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ひかりごけ:2

 ルルーシュ・ランペルージとカレン・シュタットフェルトはクラスメイトである。生徒会所属の共通点があるものの仲がそこまで良い訳でもなく、親密であるという噂については本人たちがぞれぞれに否定済みだ。否定したことについてカレンは後悔していない。あの時のルルーシュの評価といえばカレンの中で著しく低いものであったし、一々突っかかって来る物言いに対しては、膝を折り忠誠を誓った今でさえも正直頭に来ることがある。もっとも、我慢が出来なくなって睨みつけ、言い返してしまうたびにルルーシュは紫の瞳をあでやかに輝かせてしてやったりと笑うので、少女の主は恐らく、己の剣の神経を逆撫でて遊ぶ悪癖があるらしかった。
 ともあれ、ゼロという絶対主とルルーシュとがイコールで繋がれた今現在であっても、学園内においての関係は改善されないままだった。それはルルーシュ自らが望んだことであり、黒の騎士団、ひいてはゼロに対するスザクの目くらましでもあった。ルルーシュとカレンは、本来親密な仲ではない。急激に距離を詰めるような事態も発生していなかったことだし、急に親しくしては不審がられるだけだろう、と告げられたのだ。ルルーシュが望んだことに対して、基本的にカレンは否を唱えない。
 だからと言って全てを快く引き受ける訳でもなく、はいと返事はしたものの、表情は不満でいっぱいのそれだったのだろう。困ったように微笑んで伸ばされた指先が、そっと前髪を払って行った感触は優しく、そのまま指の背でコツリと額を叩かれたのを覚えている。その上で再度頼むよ、と囁かれれば、カレンになにが言い返せただろう。今まで通りにしてればいいんでしょう、とため息交じりに囁くと、ルルーシュは寝起きの穏やかな雰囲気のままにうんと頷き、ありがとう、と告げたのだった。
 学園での親しい接触はそれが最後で、あとは記憶をなぞるような日々が始まった。演技をしている上で記憶をなぞらなければいけないと言うのは大変なことに思えたが、やってみればさほどのことでもない。ただカレンはいつも通りルルーシュに対してはそっけなく、嫌味を言われれば食ってかかり、踏み込んだ親しさを持つでもなく、一定の距離を保っていれば良いだけだった。そもそも多く会話を交わす仲ではなく、積極的に話しかける相手でもなかったことが幸いしたのだ。
 カレンは昼時の眩しい日差しに目を細めながら、人気のない図書室の窓辺に腰かける。視線を下げれば校舎裏のすこし開けた空間が広がっていて、木立の下にはベンチが置かれていた。鮮やかに茂った芝生もよく整備されていて、そのまま座ってもきっと気持ちが良いだろう。カレンは膝の上に開ける予定のないランチボックスを置きながら、眼下に広がる芝生をじっと見つめていた。見渡す限りを探しても、目的の人物が見つからない。もしや予定変更になったのかと眉を寄せて考え込んだ頃、風を通す為にすこしばかり開いていた窓の向こう側から、明るい声が響いて来る。
「ルル! 会長、リヴァルも。早く、早く!」
「そんなに急かすなっ、転ぶっ……!」
「もー、ルルはもうちょっと体力つけなきゃ。でも、荷物持ちありがとう。助かっちゃった」
 ふふ、と恋を宿した柔らかい声でシャーリーは笑う。その声に全くだと全面的に同意しながら、カレンはふらりと芝生に座りこんだルルーシュを眺めた。教室から校舎裏まで、四人分のランチとシートを持ったまま、シャーリーに腕を引かれて小走りで来たのだろう。肩を揺らして息を整えている様に、カレンも呆れていたが、ミレイとリヴァルも似たような表情でルルーシュを見つめていた。リヴァルは無言でルルーシュの肩を叩いた後、てきぱきとした仕草で芝生の上にシートを広げている。
 今日は天気が良いから中庭でランチにしよう、と言いだしたのはシャーリーで、言われていた相手はルルーシュだった。すぐさま、当たり前のごとくミレイとリヴァルも巻き込まれたのでシャーリーとしては不満顔だったが、誘われた側のルルーシュはそもそもナナリーも一緒というつもりであったのは明白で、少女の恋は当分叶いそうにないな、とカレンはぼんやり考える。リヴァルとシャーリーが楽しげな声をあげながら準備を進めて行く場所目指して、校舎からゆっくりと、車椅子の少女が近づいて行く。その椅子をおしている人物を見咎めて、カレンは思い切り眉を寄せた。
「……スザク?」
 目を細めて睨むように見つめても、車椅子を押していたのは枢木スザクそのひとだった。今日は休みの筈だったのにと思いつつ、カレンは思わず窓辺から腰を浮かしかける。予定だとナナリーを迎えに行ったのは。
「ライは」
「ここに居るけど」
 ごくあっさりと言葉を返されて、カレンは窓に体をぶつける程驚いた。うっかり窓が開いていたらそのまま落下しかねない動きだったので、ライは咎めるように眉を寄せ、カレンに手を差し出して来る。よしよしとばかり頭を撫でられながら、カレンは思わずライを凝視してしまった。光に透ける銀色の髪に、澄み渡る蒼の瞳。柔和な笑みを絶やさぬ穏やかな表情は、どこかほっと心を和ませた。学園の制服にこそ身を包んでいるものの、彼は正式な生徒ではない。
 記憶喪失で身元も不明という状態で、ある日突然現れた彼を、ミレイが一時的に保護した客人扱いの特殊生徒だ。カレンはそんなライの『世話係』であるから、こうして話しかけられることも不自然ではない。不自然ではないのだが、自然でもない。カレンは頭を撫でてくるライの手をそっと外させて、ぎこちなく首を傾げて問いかけた。
「ライ。ナナリーちゃんを迎えに行ったんじゃないの?」
「うん。行く途中でスザクに会ったから。交代……ルルーシュも、スザクが居るよって言ったらそうして良いって」
 実際には複雑な相談も成されたのだろうが、ライは微笑しながらそう告げるばかりで、多くを説明しようとはしなかった。問い詰めようかと思いつつ、カレンはそういうことなら、と頷きを返して納得する。学園では言えない相談が交わされたのなら、黒の騎士団での活動中に聞けば良いだけのことだった。なにせライは黒の騎士団の一員でもあり、ゼロも信頼を置く戦力の持ち主でもあるので。
 ライがナナリーの傍を離れてこちらにやってきたのなら、もしかして作戦の変更や相談があってのことなのだろうか。場所を変えるかどうかを問いかけたカレンの視線は柔らかな微笑に受け止められ、ゆるく首を振って否定される。
「今日の活動に変更はない。今の所はね」
「……じゃあ、なんでここに居るの? ライ。スザクが居たって、ナナリーちゃんの傍に居てあげなさいよ」
 ライとナナリーが淡い想いを育んでいる最中であることは知っていたから、カレンはますます不思議に思って問いかける。ライの世話係は確かにカレンであるが、四六時中べったりであれこれ説明をしなくてはままならない時期は過ぎ去っているのだった。表向きの演技にしても。それとも居辛かったの、と心配そうなカレンに、ライはくすくすと肩を震わせながら囁く。
「カレンが一緒に昼食を取らないと言うんでな」
 普段の口調とは違うそれは、伝言ゲームに一番よく似ていた。怒ってたというか拗ねてたよ、と付け加えられて、カレンは思わず赤らむ頬を両手で包み、俯いた。言葉が出てこない。無言でふるふると体を震わせるカレンを優しい表情で眺め、ライはひょいと身を屈め、少女の顔を覗き込んだ。
「ちゃんと言った? ルルーシュに。あれは完全に勘違いしてると思うけど」
「……いままで通りにって言ったのは、あっちなんだけど」
「カレン」
 顔が赤いよ、と笑いながら伸びて来たライの手が、頬を隠すカレンのてのひらをいとも簡単に退かして行く。膝の上に手を戻され、カレンは恨めしげにライを睨みあげた。
「この場所の方が、護衛がしやすいのよ。一緒に食べるより」
「うん、そうだね」
「それにライが一緒だと思ってたから、十分だと思って。だから私は別に、別にその……一緒にご飯食べたくなかった訳じゃ、ないんだけど……」
 だんだんと言葉が弱くなって行くさまを、ライは仕方ないなぁ、とばかりに眺めていた。やがて口を閉ざしてしまったカレンは、視線をライではなく中庭へと向けた。そこではすっかりランチタイムが始まっていて、ルルーシュはどうやらいつも通り、かいがいしくナナリーの世話を焼いているようだった。幸せそうでなによりである。生温い気持ちで息を吐き、カレンはライを見つめ直す。
「……分かってくれてないのね?」
「うん。全然。俺に、カレンが一人で寂しいだろうからライは図書室に行って来い、とかいうくらいには」
「従わないでよ」
 ぴしゃりと手を払うように言い放ち、カレンは深く息を吐きだした。図書館という時点でカレンがどこになにをしに行っているのかまで分かっているのだろうに、どうして守護を分散させるようなことをするのか。分かっている。ルルーシュは多分本当に純粋にカレンが一人だと寂しいかも知れない、という妙な気の回し方をして、気心の知れているライにそれを頼んだのだ。頭が痛む。額に指先を押しつけて沈黙したのち、カレンは改めてライを睨みつけた。
 ライはカレンがランチの誘いを断った理由を正確に把握している筈だ。そうでなければ黒の騎士団であれほどに目覚ましい活躍などできないし、こんなにも困った顔はしていないだろう。学園は平和だ。今の所。しかし、いつまでも平和であるとは限らない。それは突然打ち破られるものであり、カレンもライも知っている。中庭は木立に囲まれていて居心地が良いが、その分、人の目からも隠れやすい。なにかがあった時に、全体の把握がすぐに出来るような見通しのよさではないのだ。
 それともこれは、心配のし過ぎだ、という遠回しのお叱りなのだろうか。とてもそうとは思えなかったので、カレンは深々と息を吐き、ものしり顔のライをじっとりと見つめた。
「違うんだけど」
「うん」
「そういう……別に一緒に居たくなかった訳じゃ」
 ライの手によって膝の上に戻されたカレンのてのひらがゆっくりと彷徨い、静かにランチボックスの上に置かれる。図書館は飲食禁止だ。もちろん、カレンに食べるつもりはない。つまり、カレンは昼食を取る気がないのだった。そうするのは昼休みの終わった後で、次の授業は最初から出るつもりがないのだろう。ライは苦笑しながらカレンの隣に腰かけ、和やかな中庭を見下ろして告げる。
「嫉妬はして良いと思うよ」
「……あのね、ライ。勘違いしないで欲しいんだけど、私別に」
「うん。でも」
 すっと持ちあがった視線が、甘やかにカレンの視線を絡め取る。何処となくルルーシュと似た面差しで微笑まれ、カレンは思わず胸の前に手を押し当てた。悔しい、くやしい。なぜだかそう思って、カレンはきゅぅと唇を噛む。
「好きって、目が言ってる」
「嘘。そんなことない」
「本当。カレンは表情に出やすいからね」
 あの日の朝からずっとそうだよ、と肩を震わせて笑って、ライはカレンの頭をよしよしと撫でた。まるで幼子を可愛がる仕草に、カレンはそっと頬を染めて問いかける。
「ゼロにも、ルルーシュにも?」
「ゼロにも、ルルーシュにも。……ゼロは、うん。前からだったけどね」
「……困る」
 だって、そういうんじゃない。心底困り果てた様子で胸に当てた手を握り締めるのを、ライは穏やかな表情で見つめていた。その視線になにか言い返そうと思いながら、カレンはきゅぅ、と眉を寄せて沈黙する。好きなのは、分かっている。当たり前のことだ。好意がなければ守ろうとは思わない。カレンはゼロを唯一の主として定め、ルルーシュの守護を心に誓った。それを、はきとした言葉でなくとも受け入れてもらったのが先日の朝のことだ。
 それは確かに嬉しいことで、どうしようもない幸福で、喜びに全身が甘くしびれたのも本当のことなのだけれど。好き、と。その言葉で表す気持ちではない筈なのに。
「ライ」
「うん」
「……どうしよう。ルルーシュは……どう思ってると、思う?」
 言って良いの、とばかりライの目が笑った。それだけで悟ってしまうライとの仲の良さを恨みながら、一抹の期待を込め、カレンは促す。どうぞ、と囁かれて、ライは困ったね、と首を傾げた。
「多分、恋に一番近いんじゃないかな。違うって言ってみる?」
「……ルルーシュは、それで、どうすると思う?」
 珍しいことに、カレンはライの問いかけを無視して言葉を重ねてみせた。まあ、仕方がないことだろう。両腕を伸ばして肩を抱き寄せながら、ライはよしよし、とカレンの頭を撫でてやった。
「分からないけど」
「うん」
「落ち込むんじゃないかな。とりあえず」
 ほら、男としてその勘違いはちょっと恥ずかしすぎるものがあるし。にっこり笑いながら告げるライを至近距離で睨みながら、カレンははぁ、と溜息をついて青年の肩に頭を預ける。
「ライ」
「うん?」
「……違わないけど、そう言うつもりじゃなかった時は、どうすればいいのかしら」
 守りたいのは、必死になったのは。そんな甘やかな気持ちを成就させたいからではなくて。ひたすらに、ただひたすらに守護の為の剣でありたいと願ったのは、あくまで忠誠心とそれにまつわる好意があったからで。けれど心の奥底に沈めておいた、ひとかけらの恋心が、なかったとすればそれもまた嘘で。困り切っているカレンとコツリと額を重ね、ライはさあ、と和やかに笑った。

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