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もう一度、もう二度と

 泣き叫ぶような声が、耳に届いていたと知ったら。その事実だけできっと、彼女は泣くだろう。勝気な性格とは裏腹に、なきむしだということを知っている。きっと今頃必死に泣くのを我慢しているだろう。それとも耐えきれず、頬に涙を伝わせてしまっているだろうか。できれば泣かないで居て欲しい、と思いながら息を吸い込んだ。刺し貫かれた痛みは酷いものだったが、それ故、全身の感覚をどんどん鈍くしていく。
 意識がもうろうとして行く。傍らにある最愛の妹の声も、ひどく、遠い。お兄さま、愛しています、と己こそ胸を貫かれたのだと言うように痛みを孕んだ絶叫も、ゆるやかにしか届かない。ゼロ。仮面をかぶって舞台上に立ちつくす『英雄』に、賞賛と歓喜の声が投げかけられる。それはどんどん大きくなり、意識を飲みこんでいくようだった。ああ、スザクもきっと泣いてるな。不思議なくらい穏やかな気持ちで想う。
 仮面の下できっと、スザクは泣いている。嫌だとむずがるように首を振りながら、ナナリーも泣いているに違いない。彼女は。彼女は、涙をこぼしてしまっただろうか。二人に対しては確信的に思えることも、彼女に対してはよく分からなかった。けれど、あの泣き叫ぶような声と。ゼロを『ゼロ』として押しあげた、押し殺した悲鳴にも似た叫びは確かに聞こえていたからこそ、分かってくれたのだとは、思う。
 残して行くことを許して欲しい。生きて、未来を生きて欲しいと遠ざけたことを、どうか許して欲しい。最後に見たのは彼女の背中で、記憶に残る表情は感情を上手く表現できていない強張ったそれだった。舞台上からは遠すぎて、拘束された彼女の顔まで見ることが出来なかったから、そのことをひどく、残念だと思った。笑いかけてくれた回数など実際数える程で、それでも思い出せば鮮やかだ。
 カレン。告げられぬ名を、二度と呼べぬ名を、心の中だけで呟く。カレン、君は、君の笑顔を思い出しながら目を閉じることを、許してくれるだろうか。くずくずと意識が崩れて行く。ああ、お終いだ。ふうと息を吸い込んだ時に、なにかに導かれたように、声が響く。待って、待って。今行くから。すぐ行くから。すぐ、そこまで行くから。だから。待って、待って。もうすこし。もうすこしだけ、待って。
 うっすらと瞼を開く。群衆にもまれながら、必死に、駆けてくるのは紅の戦乙女。白の拘束衣を引きちぎって来たのだろう。ぼろぼろの布切れに似たそれだけを纏って、少女は一心に、ここへ来ようとしている。その表情は、きっと笑顔ではないのだ。だからこそ瞼を閉じて、ルルーシュはただ胸中ですまない、と呟いた。すまない、カレン。君を置いて行く。さようならはもう告げた。だからこそ。
 意識が沈むのに身を任せて、ルルーシュはゆっくり、息を吐きだした。ルルーシュの名を叫ぶ声がする。仕方ないな、と思いながら、『ゼロ』が後で上手く誤魔化してくれることだけを最後の祈りにして。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、己の命の終焉を紡いだ。

 

 光をたっぷり含む浅瀬に浮かび上がった木の葉のような満ちた気持ちで、ルルーシュは疲労の欠片など一つも残さず、深い眠りから目を覚ました。ベッドに横たわったまま、深く息を吸い込んで、吐き出す。枕に頭を預けたまま右に寝がえりして、左に寝がえりして、本能が求めるままに両手両足をぐっと伸ばして心地よく息を吐き出して。
「……は?」
 現状を認識しきれない呟きを発し、ルルーシュは額にそっと指先を押し当てた。どうしよう、意味が分からない。理解できない。意識も思考もとにかくそれにつきて、冷静な判断を下す所の話ではなくなっていた。緊急事態が発生している。それもとびきりの。予想外の予想外の、さらに外を行くような緊急事態、珍事態。元より『想定外』というものに対する適応能力が低いルルーシュには、太刀打ちさえ出来ない類の、それ。
 息を吸い込んで、吐き出す。とりあえず自力で呼吸は出来ているようだ、とそんなことを確かめてから体に痛みがないことを認識し、ルルーシュは思わずベッドの上で身を跳ね起こした。まさか、そんな筈がない。『ゼロ』の剣は確かにルルーシュの胸を貫いた筈でその痛みが、傷が、簡単に消える筈はないのだから。もどかしく思いながらパジャマをたくしあげ、己の胸に手を当てる。
 触れただけでは分からなかったから、姿見の前に体を晒した。それが有機物であればそれだけで無作法になるであろう勢いで、視線を投げかける。見慣れた自分の体だ。違うものがあればすぐに気がつく筈で、だからこその異常に、ルルーシュはその場に座りこんでしまう。傷跡が無かった。胸を刺し貫かれた上での蘇生であるなら、当然残るであろう、傷跡は欠片も見当たらなかった。
 それだけではない。『ゼロ』として戦いを潜り抜けて行く間に、どうしようもなく残ってしまったいくつかの傷跡も、綺麗に体から消えていた。まるで、そんな事実はなかったかのように。ぞっとして息を吸い込み、ルルーシュは額に手を押し当てる。まさか、まさか、そんなことはない。長い、長すぎる鮮明な夢を見ていただけなんて、そんな馬鹿なことがあっていい筈はない。あの痛み、あの決意が。夢であったなど。
 立ち上がる力を失ったまま、ルルーシュはふらりと視線を彷徨わせた。部屋をよく観察する余裕がようやく戻ってきたからこその所作だが、そこでふたたび、ルルーシュは動きを凍りつかせる。どう見ても、どう記憶を探っても、そこはルルーシュの私室だった。アッシュフォード学園の中にあるクラブハウスの、ルルーシュの部屋だった。壁に、簡素なカレンダーが張られている。
 年号は、皇歴2017年。未だ黒の騎士団すら世に現れぬ、3月初めのことだった。

 

 夢か、それとも現実なのか。あるいは喪失の一瞬の狭間に見ている、長い夢のようなものなのか。数日が経過してもはきとは分からぬまま、ルルーシュは学園への短い道のりを歩んでいた。もしかして、万に一つ、記憶を持ったまま『過去』に来てしまったのかも知れないというファンタジックな結論に達したは良いものの、それも確証を得ないままだ。そもそも、そんな結論に至ったのも図書館の小説でそういった話があったのを思い出したからで、証拠あってのことではない。
 自身以外にも同じ状態の者が居れば夢ではなく現実だと思えただろうが、それとなくナナリーに探りを入れた所、我が妹ながら素晴らしい、と感心してしまうようなうやむやさで流されてしまったので、やはりよく分からなかった。ただ、清らかな天使の笑顔で『お兄さま、愛しています。世界で一番。これから、なにがあっても、ずっと』と囁かれた時、必死に涙を堪えている風だったのが気にかかった。泣くようなことではない筈だ。
 もしやナナリーは『ナナリー』なのではないか。そう思いながら流されたままもう一度尋ねられないのは、やはり万に一つ違うことが怖いからだった。そもそも『ナナリー』であるのなら、どうしてうやむやにしたのかが分からない。まさか、やはり兄に対して怒っているのだろうか。もしや本当はものすごく怒っていて、だからこそ真実を告げてはくれぬのか。恐ろしい仮定によろめいて、ルルーシュは校舎の壁にずるりと寄りかかった。
「……ナナリー」
 最愛の妹に、もしかしてすごく腹を立てられているかも知れないという仮定は、ルルーシュの心に計り知れないダメージを負わせていた。まだ仮定であって現実ではないと思うものの、こと妹に関して何時まで経ってもルルーシュは冷静になれない。よくぞゼロレクイエム前後、思いきれたものだと自分を褒めてやりたいくらいだった。もっとも己を褒めたがる『己』を殴り倒し、最愛にして至高の妹にお前は一体なにをしたんだ出直してこい、と吐き捨てたい気持ちも本当なのだが。
 もしもう一度、あの記憶をなぞらなければいけないとして。同じようにふるまえる自信は、こと妹に関しては、ないと言いきってしまうのには抵抗と躊躇いがあるが、ない。そもそも、同じ盤面を繰り返さない為に、人は学習していく生き物なのではなかったか。よし、上手くやろう、と悪逆皇帝は決意した。これがもし、経過していった『過去』であるのなら。変えたい未来は、山のようにあるのだから。
「ルル?」
 呼びかけられて、ふと顔を向ける。アッシュフォード学園のみならず、現在も過去も、未来においてもその呼び方をするのはたった一人しかいなかったが、それでも振り返って視界に収めてから、ようやくルルーシュは安堵の笑みで呼び返した。
「シャーリー。おはよう」
「うん、おはよう。……こんな所で、どうしたの? ナナリーちゃんと喧嘩でもした?」
「していない。……筈だ」
 珍しいルルーシュの良い淀みに、シャーリーはうんうん、と訳知り顔で何度か頷いた。分かってるよ、と言わんばかりの仕草である。
「ここ数日、ルルもナナリーちゃんもちょっと変だもんね。仲直りは早くした方が良いよ? ルルが謝れば、すぐ許してくれると思う」
「喧嘩はしていない」
「……私の顔見て泣いちゃうくらいだったのに。仕方ないなあ」
 初日。混乱のままに登校した学園でシャーリーに会ったとたん、ルルーシュは感情が抑えきれなくなって涙を流した。それはルルーシュが少女を失った瞬間を確かに記憶していたからなのだが、どうやらシャーリーは、己の死の記憶など持っていないらしい。大慌てで慰め、理由を聞いてもルルーシュが言わなかった結果、数日を経て、少女の中で『最愛の妹と喧嘩したルルが、私の顔を見てなぜか泣いちゃった』という結論を導き出したらしい。安心した、とでも思われたらしい。
 大まかにそれは間違っていないのだが、相手に記憶がない以上、説明できることでもない。よって勘違いを放置しておくのが最善と判断し、ルルーシュは行こう、と促すシャーリーにちいさく頷き、教室へ歩いて行く。静かな風が吹いていた。髪を散らすそれに怒ったような顔をしながら、シャーリーはゆっくり教室に歩いて行く。普段よりちいさな歩幅に気がついても、ルルーシュはなにも言わなかった。教室に辿りつき、ルルーシュが扉を開ける。シャーリーははにかんだ笑みで、ありがとう、と言った。
 二人に気がついた少女たちから、黄色い悲鳴があがる。シャーリーはどこか不思議そうな眼差しで、ルルーシュをじっと見つめていた。普段ならはしゃぐであろうに、その反応がない。訝しんで首を傾げたルルーシュに、シャーリーは静かな声を響かせる。
「……ルル、優しくなったね」
「そうか?」
「うん。誰か、好きな人でも居たみたい」
 思わず、息を飲みこむ。瞬間的に思い出したのは、紅の髪を持つ少女のことだった。できた、ではなく。居た、と言葉を選んだシャーリーは、やっぱりそうかぁ、と苦笑交じりの残念さで首を傾げる。入り口で立ち止まったままの二人にちらほらと観察の視線が向くが、どちらも気には止めなかった。
「なんかね、自然なの。すごく自然に……誰かを大事にしてるのと同じ風に、してる感じなんだよね。慣れてる、かな」
「……すまない」
「なんで謝るの? 変なルル」
 痛みを上手に包み隠して笑うシャーリーは、じゃあまた放課後にね、と言い残して小走りに去っていく。着席するまでをなんとなく見送って、ルルーシュはちいさく息を吐いて自分の机へと向かった。シャーリーが己に向ける好意がなんであるのか、知っていたからこそ、分かる。それでも、去る背を追いかけたいと思ったのは、たった一人でしかなかったのだ。憂鬱な表情で着席するルルーシュに、そろそろとリヴァルが近づいて来る。今のなに、聞いて良いの、と表情に書いているリヴァルに肩を震わせて笑い、ルルーシュは友人を傍に手招いた。
「おはよう、リヴァル。分かりやす過ぎるんだが」
「いやー、だってさ……なんだよ、今の」
「なんだよ、と言われても。ただの、朝のあいさつだろう」
 偶然会ったから教室まで一緒に来た。いつも通り、それだけのことだ、と。そっけなく、それでいて感情を抑え込んだように告げるルルーシュの横顔をじっと見て、やがてリヴァルは諦めた風に溜息をついた。お前がそう言うなら、と言うような仕草だった。そうして深く切り込まず、諦めてくれるリヴァルがルルーシュには好ましい。ありがとう、と笑うとリヴァルは目を瞬かせ、ちょっと肩をすくめて照れくさそうに笑う。その時だった。笹の葉が揺れるようにかすかに、ざわめきが耳に届く。廊下からだった。
「……なんだ?」
 不思議がって呟くリヴァルが言う間に、教室の扉が開かれる。リヴァルが横で、ああカレンさん、と納得した呟きを洩らす。久々の登校に、ファンクラブが喜んでいたざわめきだったらしい。顔色が、やや青ざめているように見えた。やはりまだ、体調が良くないのかも知れない。心配だな、と呟くリヴァルの横で、ガタリと派手な音がする。思わず目を向けて、そしてリヴァルは仰け反った。誰が予想しただろうか。あのルルーシュが、学園の王子さまが。椅子を蹴り倒すような勢いで、立ちあがってカレンを見ている、など。
 音に気がついたのだろう。カレンもはっとしてルルーシュに顔を向け、そして、二人の視線が正面から重なり合う。教室はしんとした静寂に包まれていて、誰も音を立てられなかった。そうしていい雰囲気ではなかったからだ。ルルーシュはカレンを食い入るように見つめ、カレンはルルーシュを青ざめた表情で見つめ返していた。二人はほぼ、初対面である筈だった。名前くらいは知っているだろう。同じクラスなのだから。それでも、その程度の関係であればありえないような穏やかな表情で、ルルーシュは微笑みを浮かべる。
「……カレン」
「っ……!」
「笑ってくれないか。しばらく、君の笑顔を見ていない」
 だん、と音が響く。一拍遅れでリヴァルは、その音がなんなのかを理解した。カレンが手に持っていた鞄を落とした音だ。紅い髪の病弱な筈の少女はそれを感じさせない動きで駆けてきて、穏やかに広げられたルルーシュの腕の中へ、飛び込むようにして身を寄せた。ぎゅうぅ、と背に回された腕に力がこもっている。ぽんと慣れた仕草で背を撫でて、ルルーシュはカレンの髪に口付けた。
「カレン」
「……はい」
「君なんだな、カレン。私の、紅の騎士」
 はい、と。万の想いを込めたであろう輝きのちりばめられた声で、カレンは答えた。ゆるく、腕が解かれる。至近距離から見上げられて、ルルーシュはやや困ったようにカレンに手を伸ばした。そっと、髪を撫でてやる。
「カレン」
「……ルルーシュ」
「移動、しようか」
 その言葉に、カレンはきょとんとした顔で目を瞬かせた。あ、可愛い、と思わず呟いたリヴァルはなぜかルルーシュに睨みつけられる。ルルーシュはいや大人げないな、と一人ごちたのち、ざわつく教室を見まわしてにっこりと笑った。
「実は、幼馴染なんだ」
 だから納得して黙れ、とでも言わんばかりの、輝かしい笑顔だった。

 

 生徒会室は誰も居なかった。扉が閉められた瞬間、誰と誰が幼馴染ですって、と言いかけてカレンが口を閉ざす。それを言う間もなく、抱きしめられたからだ。震える力強い腕はぽんと叩いて促しても離れる気配を見せなかったので、カレンはルルーシュを抱きつかせたままよたよたと歩き、倒れこむようにソファに腰かける。カレンを下敷きにぎゅうぎゅうと抱きしめてくるルルーシュの顔は胸に伏せられたまま上がらず、かけられる言葉もしばらくは出てこないままだろう。
 文句を言いたい気分になりながらも、カレンは手を伸ばしてルルーシュの頭を撫でてやった。サラサラの黒髪を、こうして手で梳いたのはいつぶりだろう。そういえば、もう絶対にこうしてあげられることもないのだ、と思ったことを思い出してカレンは思わず涙ぐんだ。ゼロが好きだった。ルルーシュだと分かって混乱のあまり一度は逃げだしたけれど、取り戻して再会して、それでもまだ好きだった。苦しくて、想いを告げて、受け入れられて、一応は両想いと言える関係であった筈なのだ。
 ルルーシュとカレンはゼロとその親衛隊長であり、主君と騎士であり、つたない恋人同士だった。突き離されて裏切られたと思う反面、絶対に信じない己が何処かに居た。皇帝としてのルルーシュと再会してキスした時、一度はそのまま離れて、それが最後なのだと思った。けれどすぐに腕を引かれて抱きしめられて、息を奪うようなキスをされた。ファーストキスも、その次も。もう数えられないくらいのキスを交わして、ルルーシュはカレンを抱きしめてすまない、と言った。
 さようなら、カレン、と。一方的に別れを告げられて、混乱するまま戦って。処刑の日に、恐らくカレンは、本当を知った。ああ、だから連れて行ってもらえなかったのだ、と。生きて欲しかったのだ。うぬぼれでないのだとしたら、ルルーシュはカレンに生きて欲しくて、手放したのだ。溜息をついて、カレンは幼子のように抱きついたまま離れないルルーシュを撫でる。
「……ルルーシュ」
「駄目だ」
 離れろ、と言われるとでも思ったのだろう。ぎゅぅと腕に力が込められたので、カレンは思い切り溜息をついた。
「違うわよ……。そのままでもいいから、聞きたいことがあって」
「なんだ? 君が居る以上、これは夢ではなさそうだが」
「あなた本当にロマンチストでリアリストよね……。そうじゃなくて。……幼馴染ってどういうこと?」
 本当は、他に聞きたいことがあるのだろう。迷ったあげく口に出した問いは訝しげなものであり、不安そうな響きを帯びていた。もしかして己の知る『ルルーシュ』と違うのではないか、というその不安に、ルルーシュは顔をあげてふと笑いかける。
「誤魔化しがきくだろう、と思ってさ。幼馴染の……数年ぶりの感動の再会、ということで」
「……え。ああ、そういう……? ……って、無理だと思う」
「協力してくれないか、カレン」
 どことなく命令の響きを帯びた物言いに、カレンが逆らえないというのをルルーシュは十分に知っている。微笑みながらからかうように首を傾げれば、カレンはうろうろと視線を彷徨わせた後、なにもかもを諦めたような顔つきでこくりと頷いた。
「はい……。がんばります」
「良い子だ。ところで」
「は」
 はい、と続く筈だったのだろう。それを奪ったのが己の唇だと思うとやけにおかしくて、ルルーシュはくつりと肩を震わせて笑いつつ、すこし身を離してやった。現状を認識したカレンの顔が、だんだんと赤く染まっていく。震える手が唇に押し付けられた。その手をソファに縫い止めてやりたくなりながら、ルルーシュはなにか言いたげなカレンに、ゆるく首を傾げてやる。どうぞ、とわざとらしく促され、カレンはまなじりをつり上げてルルーシュを睨む。
「……キスした」
「ああ、したな。手を退けてくれないか、カレン。邪魔なんだ」
「なんで……キス、するの?」
 勝気な空色の瞳が、涙を浮かべて歪んでいる。唇を寄せて零れそうな雫を舐めながら、ルルーシュは楽しげに微笑する。
「言わないと、分からない?」
「分かるけど……言って、欲しい」
「ワガママだな、カレンは。……好きだ。愛してる」
 言わせておいて、恥ずかしそうな顔が本当に可愛い。ぎゅぅと抱きしめ直しながら、ルルーシュはそっと囁いた。
「話すことはたくさんある。これからのことも……あの計画のことも」
「……うん」
「それでも、今は君に触れたい。……その後で、話すよ」
 だから、と告げようとするルルーシュの頬に手を触れさせて、カレンはゆるく笑みを浮かべる。そっと身を屈めてくるルルーシュに、カレンは静かに囁いた。
「……大好き」
 満足げに、ルルーシュは目を細めて笑う。その表情を本当に好きだと思って、カレンは目を閉じた。

 

 もう今日はキスしない、とばかり唇を押さえて無言で睨んでくるカレンを軽く無視しながら、ルルーシュはさて、と時計に目をやった。一時間目はとっくに遅刻している。どうするか、と考えていると、わき腹が人差し指で突かれる。丁寧な仕草で指を退けながら、ルルーシュはカレンに目を向けた。
「なんだ?」
「……言おうと思って忘れてたんだけど。ナナリーちゃんも黒の騎士団に来るのよね? ……あ、まだ扇グループだけど」
「……は?」
 虚をついてしまった表情で聞き返すルルーシュに、カレンも不思議そうに首を傾げた。二人の間にはなにか決定的な認識の違いがあるのだが、それがルルーシュにはよく分からない。カレンはしばらく沈黙したのち、ああ、と呆れたように頷いた。
「ナナリーちゃんは」
「……うん」
「『ナナリーちゃん』よ?」
 だって中等部から小走りに出て来たと思ったら私の手をこう握って、下から覗き込むように『カレンさん。一緒にブリタニアを壊しましょうね』って言ってきたから、私思わず『あのまさか、総督……?』って言っちゃったの。そしたらナナリーちゃん、満面の笑みで『ああ、よかった。カレンさんも『カレンさん』なんですね』って言うから。レジスタンスだって分かってて普通に声かけてくるのもすごいと思うけど、と説明するカレンに、ルルーシュはもう一度呟いた。
「……え?」
「……まさかルルーシュ」
「や……やっぱり怒っているのかっ? そうなのかナナリー!」
 発作的に中等部に走って行こうとするルルーシュをどうにか食い止め、カレンはナナリーを呼びだした。天使のように愛くるしい少女はあらあらと首を傾げると車椅子からすっと立ち上がり、ぱちりと瞬きをして目を開いた後、とことこと狼狽する兄の前に歩み寄る。そしてナナリーはしげしげと『兄』を見つめ、もしかしたら、と思っていましたけれど、と。深く、静かな息を吐きだした。
「お兄さま」
「……ナナリー」
「愛していました、お兄さま。これまでも、ずっと。……愛しています、お兄さま。これからもずっと、ずっとです!」
 ああ、ようやく伝えられた、と。目に涙をいっぱいに溜めて笑うナナリーを、ルルーシュは強く抱きしめた。三人の反逆計画が、緑髪の少女で四人になり、茶髪の少年で五人になり。やがて日本にやってくるピンクの皇族で六人になる。その優しい未来の、はじまりの瞬間だった。

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