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すれ違い両想い

 カレン・シュタットフェルトとルルーシュ・ランペルージは恋人同士である。とはいえ、付き合ってまだ一週間程度の仲だった。ある日突然、教室で『カレンさんは俺の恋人になってくれたから』と宣言してのけたルルーシュを見る少女の視線は、それを肯定していたものの、実の所密かに乱心を心配するものでもあった。大変失礼だと思いながら、ルルーシュはとりあえず好きにさせてやることにした。無理もないとは思うからである。その前日の夜、ルルーシュは己が『ゼロ』であることを少女に明かしたばかりなのだ。いきなり、『もう我慢が出来ない……。カレン、私のものになれ!』と言いだしたゼロを少女は若干引いた目で見つめた後、そぅっと手を伸ばして首筋に触れて来た。額が無理なので、せめてそこから熱を計ろうとしたらしい。残念なことにゼロは平熱だった。
 えーと、と戸惑った様子を見せながらさらに首を傾げ、カレンはハッキリとした声でなにかを告げようとしたのだが。それより早く、ゼロは行動に出た。部屋の隅でピザを頬張っていたC.C.の『ああ、とうとう我慢できなくなったんだな?』という視線を限りなく無視して、唖然とするカレンの前で己の顔を隠す仮面をはぎ取ったのだ。室内には三人しかいなかったから、そうすることに問題は発生しなかった。現れた美貌をカレンはしばし凝視した後、ルルーシュの顔を思い切り指差して口をはくはくと動かした。驚きのあまり、声が出なくなったらしい。怒られたり非難されることは予想していたものの、その反応はすこしばかりルルーシュの予想の外にあった。だからこそ、その反応が可愛くて仕方がない、とばかり甘く細められた目に、カレンは顔を真っ赤にして首を振った。
「い……入れ替わった! 入れ替わったんでしょう!」
「妙な言いがかりをつけるんじゃない、カレン。分かるだろ? いつ、どんな理由が合って俺が『ゼロ』と入れ替わる必要があったって言うんだ」
「それはっ、それはその……C.C.?」
 ねえどうしよう、助けて、とばかりC.C.に向けられた瞳に、魔女はもぐもぐとピザを頬張ることで応えた。私は今忙しいからお前たちだけでどうにかしろ、と言うことだ。ルルーシュは完全勝利を確信し、カレンはなんだか絶望的な表情でよろめき、くたりとその場に座り込んでしまう。疲れたのかも知れない。なにせ時刻は深夜の三時過ぎで、作戦行動の後だったのだ。眠気と疲労とストレスのあまり発作的に正体をバラして告白まで済ませた、と言ったらカレンは恐らく泣くだろうが、それが真実の半分くらいだった。ルルーシュはなにやら嫌がるようにふるふる首を振っているカレンの前にしゃがみこみ、手を伸ばして少女の頬を包み込む。くい、と顔を上向かせれば、涙でいっぱいの青い瞳がルルーシュを向いた。
「……ルルーシュ?」
 おずおずと問いかけてくるカレンに、ルルーシュはなんだか気分が良くなってうっとりと微笑んだ。相手を困らせたり泣かせたりするような性癖ではない、筈だ。
「うん。そうだ、カレン」
「……ゼロ?」
 小動物のようにこて、と首を傾げる様が大変愛らしい。頬を包み込んでいるせいで、手に甘えるような仕草になったのも高得点だ。目を細めてくつくつと笑いながら、ルルーシュはもう一度、少女の疑問に答えをやった。
「ああ、私だよ。カレン」
「……先程の発言の真意を訪ねても?」
 驚異的なまでの忠誠心と自制心でもって、カレンはどうにか、衝撃すぎる新事実を受け入れることに成功したらしい。それに内心で感心さえしながら、ルルーシュは手首をぐいぐいと押しやってくるカレンの指を無視して、真意とは、と問い返した。頬に触れられているのが恥ずかしくてたまらないので離して欲しいようなのだが、口に出しても止められない限り、ルルーシュはそうしてやるつもりなどない。言われても、離してやれるかどうかは別問題なのだが。困って眉を寄せ、頬を赤らめながら、カレンはルルーシュにお願い、と言わんばかりの視線を向けてくる。満面の笑みを浮かべて、ルルーシュはその視線を無視した。
「真意、と言われてもな。そのままだ。カレン、私の……俺のものにならないか?」
「……それって、あの」
 うろうろ、視線が彷徨う。ルルーシュの手首に触れている指はちいさく震えていて、少女の羞恥を露わにしていた。
「つ、付き合うって、いう……こ、こと、ですか?」
「ああ」
 カレンがゼロに忠誠を捧げながら、ルルーシュを気にかけていたのは知っていた。その気にかけの種類が、淡い恋心めいたものであったことも、ルルーシュはちゃんと分かっていた。それはつまり、両想い、という事実に他ならない。勝率百パーセントの勝負なのだ。後は頷かれるのを待つだけの静寂に、割り込む者が合ったのがルルーシュの最大にして唯一の誤算だった。
「なに、難しく考えるな。カレン」
 魔女の声は甘く優しく、カレンの意識を救い上げた。先程無視した救いの意思を、必要としないタイミングになってからわざと受け取ったC.C.は、混乱するカレンと視線を合わせ、ごく優しく微笑んで見せた。カレンには聖母のようにも見えただろう。ルルーシュにはやはり、魔女の笑みにしか見えなかった。
「恋人同士が休日に出かければ、それはデートだ。大体、どこへ行こうと気にされない。どこにでも居るからな」
「う、うん」
「そういうことだ」
 にっこり笑って締めくくったC.C.の横顔に、くっきりハッキリ描かれた文字をルルーシュだけが読み取った。『私の可愛いカレンをそう簡単に手にできると思うなよ?』と。そして、ルルーシュが言葉を惜しまず口説き落とそうと決意し、唇を開くより。作戦行動における明晰な思考を如何なく発揮した親衛隊長が、そういうことですね分かりました、と気合を入れた発言でもって『恋人』という偽装的な立場を受け入れる方がずっと、早く。かくして紅月カレンとゼロはお付き合いをすることとなり、とどのつまり、カレン・シュタットフェルトとルルーシュ・ランペルージは恋人同士である。限りなくすれ違いながらも、とりあえずそういうことになっている。 



 カレンは未だルルーシュの意思を勘違いしたままなので、学園で偽装した関係を公表された瞬間の気分と言えば、これが公開処刑か、である。C.C.に話したら大爆笑された上に可愛いと連呼されたので、カレンとしては複雑な気分だった。そもそも冷静になって考えてみれば、恋人関係の偽造をするということ自体、とてつもなく複雑なのである。任務ならば良い。誰と組まされても耐えきろう。しかし任務というよりそれは任意の関係で、強制力としては薄く、ぼんやりとした隠れ蓑のひとつにしかならない。ルルーシュがなにを考えているのかまったく分からないのが、カレンの状況だった。
 大体、本当にどういうつもりなのだろう。カレンは気を使って二人きりにされてしまった生徒会室で、身の置き所のない気持ちで椅子に腰かけ、視線を横に向ける。ひとつ、空席の椅子を間に置いた隣に、ルルーシュは座っていたが、しかし机に突っ伏して眠りこんでいた。本格的に寝入っているのか、目覚める気配は見られない。放置して黒の騎士団に逃げ込んだとしても、ルルーシュは追いかけてくるだろう。だって彼がゼロなのだ。なんだか絶望的な気持ちになって、カレンは息を吐きだした。もしかしたらの初恋の相手と、唯一と定めた忠誠を捧ぐ相手が同一だったと言うのは、幸運なのか不幸なのかまったく良く分からない。どちらかと言えば嬉しくなかった。
 別に、同一であったことが嫌なのではない。別個のものとして抱いていた気持ちを、ひとつに統合しきれないだけだった。今だって本当は、無防備に眠るルルーシュにしてみたいことがいくつかあるのだが、彼がゼロだと思うと、恐れ多くて手も伸ばせない。恋しい相手には触れたい。けれど、触れることすら恐れ多い気持ちがある。うう、と追い詰められた呟きを発して、カレンはちらちらと、何度もルルーシュの寝顔を盗み見た。肌がすべすべで滑らかそうで傷ひとつなくてまつ毛が長くて綺麗でとても羨ましくて、ただ綺麗で、綺麗で、すごく好きだと思う。好きなのだ。本当に、本当に好きなのに、神聖なもののような気がして恐れ多くて、そしてルルーシュはゼロで、どうしてか恋人同士で、不可解な事にそれは偽造の立場なのである。
 心の底から理解不能の溜息をついて、カレンは机に手を乗せ、そっと顔を伏せてルルーシュを見つめた。それでも、本当なら、学園で大々的に公表してしまう必要はなかった筈なのだ。付き合っているにしても、それは嘘でも本当でも、それは情報上の事実としてそこにあればいいだけのもので、それ以上の必要性はない筈だった。カレンよりも、ルルーシュの方がそれは分かっているだろうに。それでも公開した理由を考えると、カレンはすこし、ふわふわとした気持ちになって落ち着かない。もしかしたら、なんて。期待してしまうのは、好きではないのに。落ち着かない気持ちで瞼を閉じて、カレンは息を吐きだした。眠ってしまおう。それがいい。夢の中ではもうすこし、本当の恋人みたいに、手を繋いだり出来ればいいな、と。そんなことを思った。



 傍らから寝息が響いて来たのを確認して、ルルーシュはぱちりと目を開いた。無言で身を起して周囲を確認するも、未だ生徒会のメンバーに戻ってくる兆しは見られない。好都合だと思いながら、ルルーシュは一つ開けていた椅子をつめて直に横に腰かけ、カレンに手を伸ばした。遠慮なく触れることが出来るのは、カレンが眠っているからだった。起きていると未だにパニックに見舞われた視線で『作戦に必要なんでしたら恥ずかしいの我慢します!』と訴えられるので、繊細な青少年としては非常になえるものがあるのだった。それはそれで可愛らしいと思えなくもないのだが、いつまでも勘違いされていたい訳でもない。まったく、と溜息をつきながら、ルルーシュはカレンの頬を撫で、髪を一筋、指で擦るようにしながらうっとりと愛でる。
「……いつ、教えれば信じる?」
 好きだと。恋を、していることを。それは紛れもなく本当のことで、作戦や黒の騎士団は全く関係ない所にあるものなのだと。どうすればまっすぐ伝えることが出来るのだろう。とりあえずC.C.が邪魔をしてこない所でだな、と真剣に考えたルルーシュは、ふとあることに気がついて、くつくつと笑みに肩を震わせる。す、と身を屈めて耳に唇を押しあてた。鼓膜を直接震わせるように、声を吹き込む。
「カレン」
 びくうっ、と震えた体は、怯えによるものか動揺か、それ以外の理由あってなのか。静かに笑いを吹き込みながら、ルルーシュはカレンの肩に手を回し、逃げられないように抱き寄せた。
「本当に……君が好きだと、どうすれば信じる?」
「うぅ……」
「……痕でも付けるか」
 満更冗談でもなさそうな声で呟き、ルルーシュの指がカレンの首筋をひと撫でする。寝ているふりを止めて飛び起きたカレンは、全力でルルーシュの口を手で押しやりながら、信じる、と叫んだ。ルルーシュは沈黙したのち、少女の首から手を退けてやる。肩を抱き寄せることは止めなかったので、カレンは抱き寄せられたままで逃げようともがきながら、懐疑的な目をルルーシュに向けた。
「……ねえ」
「なんだ」
「残念そうに、しなかった? 気のせい……?」
 答え方を間違えれば、カレンは全力で逃げるだろう。ふむ、と思案しながら、ルルーシュは身を屈め、無防備な少女の唇を奪ってしまう。その上で気のせいだろう、と言い放ったルルーシュの腕を振りほどき、カレンは真っ赤な顔をして、脱兎のごとく生徒会室を逃げ出した。その後、広げて待っていた魔女の腕の中に逃げ込んだカレンを抱きしめ、C.C.は勝利者の笑みでもってルルーシュに告げる。段階を間違えたな、この童貞、と。



 カレン・シュタットフェルトとルルーシュ・ランペルージは『一応』恋人同士である。だからこそ、魔女は今日も一人でほくそ笑む。毒リンゴなど食べさせなくとも、姫君は今の所、魔女のものである。王子はいない。『一応』を取るべく、今日も魔王は頑張っている。

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