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 2・5 けれども彼らはこともなく

 予定は夕方からだった。休日の空き時間を有意義に過ごすべく、イワンはオープンしたばかりのショッピングモールに足を運んだ。午前から午後の三時過ぎにかけて、そこでバーナビーがファッション誌の撮影をしている筈だからだ。つい一週間前にオープンしたばかりのモールは広く、天井も高く、明るく出来ていて生来の引きこもり気質であるイワンには若干居心地の悪い場所であるが、それでも可愛い後輩の仕事現場を見たいという誘惑と、憧れの国日本から出店してきた和カフェの魅力には勝てなかった。本屋でマンスリーヒーローの特集号を購入し、適当な店で昼食を取った頃に携帯電話にメールが二通入った。一通はポセイドンラインの恋人から、もう一通はモールのどこかで写真撮影をしているバーナビーからだった。夕方五時半の待ち合わせ時間の確認メールにそれで合っています、楽しみにしていますと返信し、イワンはバーナビーからのメールを開く。絵文字も顔文字も使う習慣のない後輩からのメールは、ひどく簡素でそっけなく、時間と場所だけがいくつか記載されていた。
 バーナビーのファンが押しかけて撮影の邪魔にならないよう、何時からどこで撮影を行う、というのは公開されていない。そんな配慮をしなければいけない後輩の人気に嫉妬するべきか、呆れるべきか、心配すべきか悩んだ末、イワンは素直に心配してやることにした。あれで人見知りの気があるバーナビーは、ファンの歓声に笑顔で手を振ることくらいは呼吸と同じようにしてみせるが、それでいてストレスをじりじりと抱え込む難儀な性格をしていた。マネージャーよろしく虎徹が撮影にくっついて来る時はそのストレスも感じないようだが、今日に限って虎徹は別の取材があり、こちらには来れないと聞く。虎徹と同じように傍についてやるつもりこそないが、それでも姿を見せればすこしは安心するだろうと思って、イワンは待ちあわせまでの暇つぶしをこの場所に決めたのだった。
 和カフェの位置と教えられた撮影場所を考え、イワンはぽちぽちと携帯電話に文字を打ち込み、バーナビーにメールを返信してやった。一番最後に撮影する場所が、ちょうど和カフェから見える空間だったから、そこでバーナビーを待つことにしたのだ。見やすい位置に座って眺めてるから頑張るんだよ、と先輩ぶって付け加えた言葉が、バーナビーにはよほど嬉しかったのだろう。イワンがびっくりするほど早く返信が帰ってきて、これからまた撮影です頑張ります、と告げられた。簡単な言葉なのに、なんだか笑顔が見えるような気がして、くすくすと肩を震わせる。時計を見ると、一時を過ぎた頃だった。あと二時間、やる気が続けばいいのだが。昼食の店を出て和カフェのある場所へ移動しながら、イワンはふと吹き抜けの、通路の向こうに視線をやった。なんの気ない仕草だったが、人混みの中、見慣れた姿を見つけ出して息を吸い込む。
「……エドー」
 中途半端な音量の呼びかけは、ひとりごとにしては大きく、届かせるにはあまりに頼りないものだった。しかし、知り合いの声というのもは、不思議に雑踏の中でも耳へ飛び込んで行くものである。ぎょっとした顔をして立ち止まったエドワードは、勢いよく振り返り、吹き抜けの反対側にいるイワンを見つけ出すと首を傾げてみせた。お前なんでそんなトコにいんの、と言わんばかりである。イワンは、にっこり笑ってエドワードを手招いた。エドワードは諦めたような息を吐いたあと、小走りに連結部分まで移動し、イワンの元へやってくる。
「……なにしてんのお前」
「休日消化と暇つぶし。エドは?」
「仕事? 終わったけど」
 なんか警察に脅迫状が届いたから、連携して調査してた、と言うエドワードに、イワンは眉を寄せて沈黙した。通常の脅迫状なら、エドワードの元まで依頼が入る筈もない。騒ぎが本当であればヒーローが出動する可能性が高い時、予備調査としてサポーターが呼び出されるのが常だった。なんでもねぇよ、と言葉を重ね、エドワードは腕時計に視線を落とす。
「予告時間はもう過ぎてる。不審物はナシ」
「……なら、いいけど」
「一応、終日警察が増員して警備してるから、なんかあっても対処できるだろ」
 それになんかバーナビーいるらしいし、と呟くエドワードに、イワンは呆れ顔で撮影で来てるだけだよ、と言った。決して脅迫状を警戒して来ている訳ではないと告げれば、エドワードは分かってると苦笑した。
「エド、これからアカデミー行く?」
「今日中には一回戻る。なんで?」
「一緒に和カフェ行かない?」
 バーニーが撮影してるトコも見られるよ、と後輩を過度に甘やかす呼び名で囁けば、エドワードはものすごく嫌そうな顔をして目を細めた。じり、と距離を取って逃げようとする腕を掴むと、手を引きはがそうとしながら嫌だ、と言われる。
「そんなとこ! 絶対女ばっかじゃねーかよ! しかも和カフェとか男二人で行くトコじゃねぇし! ホモかと思われたら俺の精神が耐えられない!」
「いいじゃん行こうよ! エド、女の子好きでしょっ?」
「大好きだよ! でもバーナビーの撮影見たとかバレたら楓がむくれるに決まってんだろっ?」
 アイツ一回拗ねると長いんだよっ、と嫌がるエドワードに、イワンはあのさ、と首を傾げる。
「……付き合ってないよね?」
「誰と」
「楓さんと、エド」
 二人の視線が真っ向から出会い、なんとも言えない沈黙が広がって行く。人混みの中で嫌がる相手の腕を掴み、見つめ合う二人の青年の姿はどうしても目立って人々の注目を集めたが、それを気にする余裕はどちらにも残されていない。やがて、お前なに言っちゃってんの、と引きつった顔でエドワードが息を吸い込み、ぎこちなく首を横に振る。
「仕事上のバディ。俺と楓は、仕事上のバディ」
「だって。彼女が怒るから行かないって聞こえたんだもん」
「……行けばいいんだろ? そうなんだろ?」
 だもんじゃねぇよ、と息を吐き出して、エドワードはぼそりと呟いた。
「大体、あの父親とバーナビーを相手に、楓と付き合わせてくださいとか言う覚悟ねぇし」
 覚悟あったら付き合うの、ということを、イワンは優しい気持ちで聞かないでいてあげた。この親友は怒らせると怖いのである。それに、無意識に相手をどう思うのかは自由であるし、その行く末を見守るのも悪くない。ふふ、と笑みを零したイワンに溜息をつきながら、エドワードは素直に後をついて行く。程なくして和カフェに到着すると、イワンは目を輝かせ、エドワードはげっそりと息を吐きだした。内装に竹をふんだんに使った作りは真新しく、雰囲気があり目を楽しませたが、エドワードの予想通り、八割以上が若い女性客だったからである。たまに青年の姿を見かけるが、彼女に引っ張られてきたことが分かるカップルで、男同士の姿は見られなかった。ちょうど店の外が見える奥の席が空いていたので案内してもらいながら、エドワードはバーナビーの写真を撮って帰ることを決意した。それくらいなければ、たぶん、バレた時の楓の機嫌が取れない。
 よどみなく抹茶パフェとほうじ茶を注文するイワンにお前は女子かと内心で突っ込みながら、エドワードは悩んだ末、冷たい緑茶を選択した。飲み物はすぐに運ばれてくる。それがアルコールであるかのように湯のみとグラスで乾杯してから、二人は顔を見合わせて笑った。
「飲み物だけどか、エド、ダイエット中の女の子みたい」
「パフェとか、お前マジ女子みてぇ」
 にこ、と笑みが深まる。無言で足を蹴りあっているとパフェが運ばれてきたので、エドワードは一時休戦にしてやった。食べ物の恨みは怖いし、こと日本が絡んだ時のイワンはもっと怖いからだ。パフェをぱくつくイワンを携帯で写真撮影し、エドワードはそれを恐らくは仕事中である筈のキースに送ってやった。コンマ二秒で『ありがとう! とても可愛いね!』と返信が来たのでどん引きしながらどういたしましてと返信し、冷たい緑茶を一口飲む。やや苦みのあるスッキリとした味わいは、緊張していた意識をゆるくほぐしてくれるようだった。
「……エド?」
「なんだ?」
「大丈夫?」
 抹茶ゼリーをもぐもぐと味わいながらの問いかけは、まっすぐで透明な視線に乗せられていた。相手の不調を一切見逃さず、許さない観察の視線。エドワードは細く息を吐き出して、すこしの間だけ目を閉じた。
「……脅迫状の爆破予告時間は、昼の十二時」
「うん」
「時間は過ぎてる。不審物は見つからなかった。警察は予定変更と愉快犯の両方で捜査してる。……なんか、気が抜けない」
 嫌な予感がする、と眉を寄せるエドワードに、イワンはちらりと時計を確認した。一時四十分を過ぎた所だ。もうそろそろ、バーナビーが最後の撮影場所に移動してくる頃だろう。予定は三時までだが、順調にいけば二時過ぎには終わるとメールに書いてあった。撮影が終わり次第、合流した方がいいかも知れない。NEXTの第六感は、馬鹿に出来ない。
「脅迫状、内容はどんな?」
「ショッピングモールのオーナーに恨みがある。営業を停止しろ。予定時刻までに営業停止がされなければ、爆破する。そんなトコ。ちなみに、恨まれる心当たりは無いってよ」
「まあ、心当たりある方が珍しいよね……」
 ほうじ茶をすすってほんわりと溜息をつくイワンに緊迫感はないが、視線が時折、カフェの前を通って行く人々に向けられていた。意識が、ゆるゆると張り詰めていく。イワンの目が、無意識にPDAを確認した。
「……お前今日休みだろ?」
「そうだけど……コールは来るよ」
 休日を理由にコールを蹴ることも、一級の緊急事態でなければ、一応は認められている。認められているだけで、ヒーローは皆、ほぼ百パーセントの出動率ではあるのだが。ワーカーホリックじゃないと出来ない職業だよな、と苦笑するエドワードにサポーターだって同じでしょ、と返して笑っていると、ざわりと空気が揺れ動く。二人が椅子を蹴って立ち上がることをすんでの所で堪えたのは、それがバーナビーを呼ぶ若い女性の声ばかりであった為だ。びっくりした、と溜息をつきあっていると、ざわめきが大きくなっていく。和カフェからすぐ見える広場に、バーナビーが到着したらしい。イワンとエドワードは、同時に立ちあがった。会計をひとまずエドワードに任せ、イワンはバーナビーを取り囲むファンの中に身を滑り込ませ、するすると最前列まで移動した。特徴的な銀髪に、バーナビーはすぐにイワンに気がついたようだった。ぱぁっと顔を明るくし、唇が先輩、と名を紡いで動きかける。その時だった。どん、と低い音を立て、ショッピングモール全体が縦に揺れ動く。一度だけの揺れだった。地震かな、怖いね、と囁き声が場に満ちていくが、それが違うことをイワンは知っていた。
 バーナビーと視線が合う。首を振っただけで、イワンの後輩は意図することを正確に読み取った。すぐ終わらせて合流します、と唇が音もなく動き、バーナビーはにこやかに撮影を再開させる。警察が慌ただしく動き始める気配を感じながら、イワンはファンの間をすり抜けてエドワードと合流し、視線を見交わして頷いた。時間を確認する。午後二時、ちょうど。まさか、とエドワードが心底嫌そうに目を細める。
「十二時じゃなくて二時だって落ちだったりすんのか……?」
「……あ、通りすがりの爆弾魔だったりしないかな」
「あ、じゃねぇよ。爆弾魔は通りすがらねぇよ」
 ばーかばーか、と言ってくるエドワードの脛に無造作に踵を叩きこみ、悶絶しているのを見もせず、イワンは首を傾げて考えた。そうしているうちに、バーナビーは手早く撮影を終わらせたらしい。イワンのPDAが起動し、画面に文字が浮かび上がる。携帯のメールにしなかったのは、こちらの方が確実に気が付くからだろう。痛くて動けないエドワードの服を掴んでずりずり引っ張って移動し、イワンは多目的トイレに移動した。人目がないことを確認してからエドワードをぽいっと中に入れ、続いてイワンも入り、鍵をかける。しばらくすると再びPDAが受信を知らせ、同時にノックの音がした。一応、イワンは確認することにした。
「キースさんの魅力を語ってください」
『虎徹さんの魅力しか分からないんで無理です』
「あ、本物だ」
 この一秒すら迷わない感じがバーナビーさん、と納得して鍵を開けるイワンに、痛みから復帰したエドワードが理解不能の目を向けた。
「お前ら、なんでそれで仲良いんだよ……」
「需要がかぶってないからですよ。こんにちは、エドワード先輩。い……イワン先輩」
「無理しないでいいですよ。先輩だけでも分かるから」
 ぽんぽん、と頭を撫でてバーナビーを引き入れ、イワンはさっと多目的トイレ前を見回した。車椅子や乳児を連れた母親の姿もなく、そもそも人の気配を感じないので、大丈夫だろう。後をつけられた心配もない。よし、と頷いて再度鍵を閉めたイワンに、さっそくバーナビーは問いかける。
「なんです? あの爆発」
「うーん。通りすがりの爆弾魔か、予告から二時間遅れの爆弾魔かどっちかなんですけど。バーナビーさんはどっちだと思います?」
「爆弾魔って通りすがるものでしたっけ……? え、どういうことですか?」
 助けを求める視線を向けられて、エドワードはイワンに出会ってからした説明を簡単に繰り返した。脅迫状が来ていたこと。予告の時間が十二時だったこと。警察の見回りとエドワードのチェックでは、不審物が発見されなかったこと。イワンが通りすがりの犯行をなぜか諦めていないこと。なるほど、とバーナビーは頷き、やけに警察がうろついていると思ってました、と納得の声を響かせる。そうしてからバーナビーはPDAに視線を向け、十秒ほど、うんともすんとも言わないことを確かめてから、困ったように眉を寄せた。
「一応、警察が対処してるんですよね?」
「ヒーローに出動要請はかかってないな」
 サポーターにも協力要請が来ていないことをPDAを操作して確かめたエドワードに、バーナビーは困り切った顔をして口を開いた。
「……警察の手に余るようなら、早い段階で協力した方が良いとは思うんですけど」
「けど?」
「四時からタイムセールなんですよ……!」
 僕、この撮影が終わったら今日は直帰して良いことになってたんで楽しみにしてたんですよね、と言うバーナビーの言葉を、イワンとエドワードはしばらく理解することが出来なかった。二人でなくとも、シュテルンビルトの市民であれば、誰もが理解不能を告げたことだろう。タイムセール、という言葉に新しい意味でも付け加えられたのだろうかと真剣に考えながら、イワンが『え?』と言った。もうそれしか声が出ない様子だった。そんなイワンを純粋に不思議がる目で眺め、バーナビーはですから、ともう一度繰り返して告げる。
「四時から、スーパーでタイムセールやるんです」
「な、なに買うの?」
「トイレットペーパーとティッシュペーパーとミルクです」
 特にトイレットペーパーはもう無くなってしまうんで絶対に買い忘れないようにしないと、と拳を握って力説するバーナビーに、エドワードは地球外生命体を観察する目を向けた。
「これ、ホントにバーナビーか……?」
「ちょっと、失礼ですね! 僕だってスーパーで買い物くらいしますよ!」
 それは分かるけど、とイワンとエドワードは困惑も新たに顔を見合わせた。バーナビーが行きそうなスーパーと言えば、いわゆる高級品しか取り扱っていない、ゴールドステージにのみ店舗を構えるそれである。しかし、そういった高級スーパーは、夕方の四時からタイムセールなどはしない。爆発してもしない。二人は頷き合い、バーナビーの肩をぽんぽん、と叩いた。
「悩み事があるなら聞くぞ?」
「大丈夫。僕はなにがあっても味方だからね」
「先輩方! 僕をなんだと思ってるんですかっ!」
 肩を叩く手を振り払って怒るバーナビーに、二人の声がぴったりと重なった。すなわち、バーナビー・ブルックスJr。しゃがみこんで落ち込む後輩の頭を、ぐーりぐーりと好き勝手に撫でながら、エドワードは冗談はさておき、と眉を寄せた。
「俺も五時にはアカデミーに行かないと」
「ああ、報告?」
「それもあるけど、下校時間だろ?」
 駅まで送らないと危ないだろ、と真顔で告げたエドワードは相手を誰、とは告げなかったが、イワンはぬるい微笑みを浮かべた。彼氏か、と突っ込んでやりたいが、先程とは違い、バーナビーがいる。自称、楓の養父であるバーナビーは、実の父親程には過保護ではないものの、性別が男である存在が少女に近づくのをよく思わない傾向にあった。そうだよねー、と受け流し、イワンもはぁ、と溜息をつく。
「僕も五時半に待ち合わせがあるから……四時半までにはここ出て移動しなきゃならないし……今二時でしょう?」
「僕は三時半には移動したいです……あと一時間半か」
 一番時間に余裕があるのはエドワードだが、最も移動時間がかかるのもエドワードである。俺も四時までだな、と眉を寄せながら呟き、エドワードはバーナビーのスケジュールに合わせて考える。
「……二十分で警察に事情説明して連携取ったとして、三十分で不審物の完全特定、三十分で爆発物解体、十分予備で持っておくとして……厳しいな」
「分担するのは? エドが警察に説明してる間に、僕とバーナビーさんが爆発物探し出して解体はじめる」
「お前らの能力はどっちも探査向きじゃない。ポイントを押さえるにしても時間がかかりすぎる……いっそバーナビーが説明するか? 顔出しヒーローの利点フル活用で」
 というか俺は一応サポーターとして警察に認識されてるからいいけど、イワンはお前顔どうやって隠すつもりなんだ、という疑問にあっさりと擬態するよと答え、イワンはそれがいいかもね、とバーナビーを見つめた。シュテルンビルトの至宝はひたすら嫌そうな顔をして、別にいいですけど、と拗ねた声を出す。くちびるがむっつりと尖っていた。
「その場合、僕は三時半に帰れますか?」
「無理じゃね? はやくて六時くらいだと思う」
「そんなことになったらスーパーに辿りつけるのが七時前じゃないですか! 嫌です嫌です却下です! 僕はタイムセールに行きたいんです! トイレットペーパ買って帰らないといけないんですからね!」
 バーナビーは兎がスタンピングするようにブーツを鳴らして腕組みをすると、いいことを考えました、と言った。目が完全にすわっている。
「帰りましょう」
「それはちょっと」
「だって、ヒーローに出動要請もかかってないし、サポーターも呼び出されてないんですよ? じゃあ大丈夫なんじゃないですか? ですよね? いいんですよ、あのおじさんみたいに事件と見たら首突っ込んでいかなくたって。それは僕だって気になりますよ? 気になりますけどトイレットペーパーが僕を待ってるんです。ティッシュペーパーだって買わなければいけないし、ミルクは昨日飲み切ってしまったからもう無いし」
 つまり、絶対にバーナビーはスーパーに行きたいらしかった。それも、タイムセールが始まる四時までに。お金あるんだからいいじゃないですか、とため息交じりに言うイワンに、バーナビーはふるふると首をふった。
「駄目です。楓さんに怒られます」
「……楓に家計握られてんの?」
「レシートを渡さないといけないんです」
 重々しく頷いたバーナビーに、エドワードは理解を示す頷きを見せた。目の前の事件を放り出しても楓は絶対に怒るだろうが、頼まれた買い物を済ませられない、ということがバーナビーには我慢できないらしい。あ、とイワンが手を打ちあわせた。
「じゃあ、買い物して戻ってくるのはどうですか?」
「トイレットペーパーとティッシュペーパーとミルク持って?」
「トイレットペーパーとティッシュペーパーとミルク持って」
 オウム返しに頷きながら言うイワンに、バーナビーはにこ、と笑った。
「絶対嫌ですけど」
「バーニー。ワガママ言わないの」
「つーか早く決めないとマジ時間なくな……」
 無くなる、とエドワードが言うより早く、ずしん、と音を立ててショッピングモールが揺れた。恐らく、二度目の爆発なのだろう。忌々しそうに空を睨んで舌打ちし、バーナビーがだん、と足を打ちならして叫ぶ。
「貴様っ! 誰の許しを得て爆発した……!」
「爆発って許可いったっけ、エド」
「バーナビー法廷では許可式なんじゃねぇの?」
 時計を確認すると、すでに二時二十分である。ふむ、と首を傾げ、エドワードはつーかさ、と言った。
「警察に見つかんなければいいんじゃね? バーナビーはもう帰ったってことになってるんだろ?」
「撮影は終わりましたから、スタッフには直帰を伝えてあります。……つまり、巡回している警察官には見つからないよう、爆弾を処理するってことですか?」
「残り時間一時間十分だ。それしかないだろ」
 警察に顔を見られたら終わりだと思え、と真剣な顔で言うエドワードに、バーナビーはこくりと頷いた。僕もマスクとか持ってくるべきでした、と悔やむ後輩の肩を、大丈夫だよ、とイワンが叩く。
「いざとなったら、マスクに擬態してあげるから」
「先輩……! ありがとうございます……!」
 感激の面持ちでイワンの手をぎゅっと握り、バーナビーはでも僕、頑張って警察から逃げますからね、と言った。とてもヒーローの台詞とは思えない言葉だが、この場にそれを気にする余裕がある者は残っていない。バーナビーはタイムセールの開始が迫っているし、イワンはデートの待ち合わせを控えているし、エドワードは下校時刻までにアカデミーに辿りつかなければいけないのだ。一時間と十分の短期決戦。それが彼らに残された唯一の道だった。



 かくして、警察の混乱が極まる事態は始まった。最初に異変に気がついたのは、監視カメラを見つめていた警備の者である。万引き防止の為、店頭の分かりやすい位置に設置されたカメラに、影が映り込んだのだ。それは、人の手がカメラのレンズを押さえているように見えた。咄嗟に、近くの店に内線を繋ごうとするのだが、混んでいるのか店員が出払っているのか、呼び出し音が響くばかりである。何回もかけ直し、五分も経過した所でようやく、アルバイトらしき女性が不思議そうに電話口に現れる。そこで警備は監視カメラが何者かに塞がれていたようだが、なにか不審者を見なかったか、と問うのだが、女性は驚いた様子でこう答えた。
「いいえ、とんでもない! ただ、バーナビーさんがお店にいらして、ファンの方とすこし交流していたものですから、忙しくて……カメラのことはよく分かりませんが、ファンにもいろんな方がいますから、悪戯かなにかではないでしょうか?」
 その後も監視カメラは不審な手で数分間覆われたが、結果は全て同じで、どの店もバーナビーの来店で忙しく、不審者は見なかったと口を揃えて証言した。バーナビーは四時前まで買い物を楽しみ、その後は忽然とショッピングモールから姿を消したという。買い物を終えて帰ったのではないだろうか、とファンやショップの店員たちは言った。



 次に、ショッピングモールを巡回中の警察官が異変に気がついた。警察官は脅迫状が来ていることも、爆弾が設置されているらしきことも知っていたから、人気のない場所や店から離れたトイレなどを中心に、不審物が置かれていないかを点検していたという。彼がはじめにそれを発見したのは、三時過ぎのことだった。視界の端に青白い光が見切れた気がして、男性用トイレの一番奥の扉を開けた時のことだ。便座の蓋が閉められている。その蓋の上に、綺麗に解体された爆弾が置かれていた。警察官の男は思わず目を擦り、頬をつねり、痛みがあることを確かめ、ドアを閉じてもう一度開き、もう一度閉じて、深呼吸をしてからまた開いた。解体された爆弾が、そこにある。当然、無線で発見の連絡を入れると、上を下への大騒ぎとなった。他の場所でも、解体された爆弾が見つかったというのである。
 それはやはりトイレの蓋の上にちょこんと置かれていたり、ゴミ箱の隣に慎ましやかに置かれていたりしたが、見つかる物は全てがきちんと解体されていた。控えていた爆発物処理班が点検した所、教本の手順そのままを実行したかのような、見事な解体であると言う。こんなことが出来るのは爆発物処理班でもそうはいない。ヒーローアカデミーでも爆発物の解体は教えているというが、成績のトップクラス、それも主席くらいしか可能な芸当ではないと告げられる。しかもよくよく調べてみれば、爆発物は発見場所に設置されていなかった可能性が高かった。なぜなら発見場所はそれまで警察官が神経質なまでに巡回していた場所であり、爆発物自体に、固定具を外した形跡があったからだ。指紋は検出されなかった。爆発物を解体した犯人は、用意周到に手袋をはめているらしい。警察官はすぐ、ヒーローの誰かがやったのではないかと思い至ったが、現在、彼らに出動要請は出ていない。唯一ショッピングモールで確認されているヒーロー、バーナビーはファンに囲まれて買い物を楽しんでいる最中だと言う。解体するのは不可能だった。
 緊急本部に集った誰もが押し黙り、意味の分からなさに唸った時だった。無線のひとつから、悲鳴のような声が言う。
『あ、あの! ば、爆弾を解体している不審者を発見しましたが、逃げられました!』
 設置している不審者の間違いではないかと誰もが思ったが、落ち着かせてよくよく聞きなおしても、爆弾を解体していたという。あまりの事態に茫然と見つめ、声を失ってしまった警察官に、顔をマスクで隠した青年はてきぱきと作業を進め、はい、と解体した爆弾を渡してこう告げたという。
『気にすんなよ。俺、通りすがりの解体魔だから』
 ぶっは、と第三者の笑い声も聞こえた気がするが、あたりには誰もおらず、警察官と謎の青年の二人きりだったと言う。じゃあ、それよろしく、と告げて去ろうとした青年を呼びとめようと振り返るも、そこにはもう誰もおらず。青白い光の名残だけが、床のあたりに漂っていたらしい。混乱の渦に巻き込まれた本部に、次々と解体された爆発物発見の報が飛び込んでくる。その知らせは、四時過ぎまで止まることはなかった。



 時計が五時半を示す。次々と帰宅者を吐き出すポセイドンラインの玄関口から、意気揚々とキースがかけだして来た。お疲れさまです、と言ってスーツ姿のキースを物珍しげに見つめ、イワンは会議かなにかですか、と問いかけた。出社するにもシャツとジーンズ、ジャケットが普通のキースがスーツを着るとしたら、それくらいしか理由が思いつかなかった為だ。最も、それはイワンも同じことなのだが、ヒーローは急な出動に備えて着脱のしやすい私服を着るのが常なので、別におかしいことでもなんでもない。キースはうん、と笑顔で頷いて、それからイワンの顔を幸せそうに覗き込んだ。
「パフェは美味しかったかい? 店内に覚えがなかったけど、新しいお店を開拓したのかな?」
「はい。この間、シルバーステージにショッピングモールがオープンしたでしょう? その中に、日本から出店してきた和カフェがあって……今度、キースさんも行きましょうね」
「デート?」
 くすくす笑いながら尋ねるキースの今日は、良い一日であったらしい。よかったなぁ、と幸せな気持ちで思いながら、イワンはデートですよ、と頷いて歩き出す。これから二人で早めの夕食を取って、レイトショーに繰り出す予定だった。観る映画の候補はいくつもあって決め切れなかったので、食事中の楽しい悩みには事欠かなかった。どこで食べましょうね、と悩むイワンの携帯電話が、メールの着信を告げる。内容を確認して、思わず笑みに肩を震わせたイワンに、キースは不思議そうに問いかけた。
「誰からかな?」
「ああ、バーナビーさんからです。ほら」
 メールには自分で撮ったのだろう写真も添付されていて、やたら誇らしげな顔をしたバーナビーの前にはトイレットペーパーとティッシュペーパーの五箱パック、そして紙パック入りのミルクが置かれていた。メールの題名は『やりましたよ!』で、本文は『これで怒られなくて済みます』と書かれている。キースは、笑顔で首を傾げた。よく分からない。よく分からないが、バーナビーが達成感に溢れていて、幸せそうなことが感じられたので、よかったね、と心から囁く。イワンがしみじみと頷いていると、メールがもう一通届けられた。送信してきたのは、エドワードだった。こちらは写真の添付はなく、メール本文だけの報告だった。『バーナビーが買い物してるか心配してたから、大丈夫だって言っといた。お疲れ』とだけ書かれている。無事に合流して、そして駅で別れた所なのだろう。やっぱり、なんだか幸せな気持ちで笑ってしまったイワンに、キースは分からないままで問いかけた。
「……今日は、なにかあったのかい?」
 メールをしてそんなに楽しそうな君は滅多に見ないからね、と微笑するキースに、イワンはそうですね、とやや考え、落ち着いた様子で、こともなげに告げた。なんにもない普通の一日でしたよ。でも楽しかったです、と笑うイワンにそれは素敵なことだね、と頷き、キースは映画館の近くに美味しいレストランがあることを思い出した。夕食はそこが良いだろう。なにを食べようか考えながら、キースは言う。
「さあ、このまま事件が起きず、一日が終わればいいんだが」
 そうですね、イワンは頷いた。ショッピングモールの爆弾魔は、その後、警察の必死の捜査により捕らえられたという。

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