雨粒が窓を叩いている。絶え間なく塗りつぶして行くようなその音に、ネイサンは意識を揺さぶられて目を覚ました。雨の音で目覚めるだなんて何年ぶりのことだろう。体に残る疲労感は重く、それでいて奇妙な爽快感が身にくすぶるようにして残っていた。昨夜の興奮の残り香だろう、と思いながら身を起こす。色めいたものではないことが残念に感じたが、ここ最近は多くあることだった。NEXT能力の使いすぎによる、一種の興奮状態。ある程度年齢を重ねたネイサンですら『こう』なのだから、若いパオリンやカリーナは眠れなかったかも知れない。カリーナは今日も学校だった筈だ。可哀想に、日中はさぞ眠たいことだろう。平和な日常は張り詰めた緊張を途切れさせる一番の薬だが、現在の状況では反動が強すぎて毒にすらなりかねない。昨夜、眠らぬうちに無理をしないで一日くらいは学校を休みなさいとメールを打っておくべきだったと反省しながら、雨足の弱まる気配がない窓へ視線を送る。透明な硝子の表面に、川が流れているような強い雨だった。傘など役に立たないだろう。街角のカフェは、雨宿りの客でしっとりと混むに違いなかった。
動こうともしない灰色の雲を眺めながら、昨夜は久しぶりのひどい事件だったとネイサンは思う。この街にはありふれた事件。そして、この世界にはありふれた悲劇だった。怪我人は出たが、幸いなことに死人は出なかった。犯人にも、見物人にも。この街はTVを通じて全ての者が事件の見物人になる。当事者ではなく、通行人でもなく。単なる見物人。ショーアップされるとはそういうことだ。ヒーローは舞台役者ではないが、安全圏でTVを見守る観客たちにとっては、時としてイコールにもなるだろう。ジェイク・マルチネスの撒き散らした恐怖は街全体を当事者に仕立て上げたが、あんな大規模なテロが何度も起こる筈がない。だから、市民は常に傍観者なのである。つまらない不満に機嫌が悪くなる兆候を感じて、ネイサンは思考を切り上げた。こんな考えはらしくない。思春期の若者でもあるまいに。こんな悩みで心を揺らすのはもっと若いヒーローの、それこそカリーナやパオリンの役目であって、ネイサンに相応しい役回りではないのだった。まったく、疲労が残るというのは良いことではない。こんな状態を長続きさせたくもなかった。
ジェイク・マルチネス事件。そう題されたテロが終わってもう二ヶ月になる。まだ二ヶ月とも言うが、ネイサンに取ってはもう二ヶ月だった。二ヶ月、それまで八人で支えていた平和を三人で維持するというのは、途方もない苦労であることだと身に染みて感じている。それでも少なくともあと一月以上は、ヒーローの数は三人から増えないのだった。最近ようやく深夜徘徊を止めたキースは、無理をした分入院の期間が延びたという。アントニオは退院の目途はついたというがリハビリと、なによりヒーロースーツの修復が終わらず前線の復帰はまだ先。虎徹は精密検査が終わらず、加えて前科がある為、医師命令でNEXT能力の発動禁止が言い渡されている。それは司法局と連携した命令であるらしく、発動許可を得なければいかなる場合でも罪に問われる、正式な禁止処置らしい。ハンドレットパワーを使用した回復はあくまで『回復』であり、表面上のものに留まっていた。つまり内臓のダメージはそのままである。医師からみっちり三時間、内臓疲労と免疫力のしくみと脳の誤認とパニック症状と細胞のしくみなど、ありとあらゆる身体構造の説明を交えたお説教を受けた虎徹は、ハイスクールの生徒のように反省文を書かされたあと個室で半軟禁の治療生活を送らされていた。
バーナビーも戦線復帰も、未だ目途が立っていない。戦いのあと、虎徹が倒れたのを見て激しく動揺したバーナビーは、周囲が落ち着かせる間もなく意識不明に陥った。ジェイクとの戦闘で受けていたダメージと、嬉しくて安心しきっていた所でバディが倒れたのを目の当たりにし、衝撃で意識を保っていられなかったのだ。彼が目覚めたのは、戦いの終わりから二日後。起きた瞬間に虎徹さんがおじさんがと大変混乱した呼称で慌てたバーナビーは、今も部屋を抜け出してはバディのベッドに潜り込み、寝こけているのを発見されては、隣の三人部屋に連れ戻されるのを繰り返しているに違いない。元虎徹のベッドでは我慢できないので本人に会いに行くだけですとは本人の言だが、すこしの間も離れていられない精神状態が落ち着くまで、未だ時間がかかるだろう。肉体的な傷も完全に癒えたとも言い難い。つまるところヒーローの男性陣は、心も体も満身創痍なのである。唯一退院しているのがイワンだが、彼の場合は入院から自宅療養に切り替わっただけだった。毎日早寝早起き、野菜多めの食事を三回規則正しくとって、日中はストレッチやヨガに励んでいるという。
復帰が一番早いとされているのがイワンだが、それはあくまで周囲の予測であって、彼の所属会社が許可を下すかといえば別問題だった。ヘリペリデスファイナンス。折紙サイクロンをとても可愛がっている彼のCEOは今回の潜入捜査自体が不満であったらしく、復帰においてはいくつかの条件を出してきた。その条件のうち一つが自宅療養であり、また、彼の復帰が遅れている原因でもあるヒーロースーツの改善である。折紙サイクロンは、攻撃の能力を持たない。また、防御の能力も保有していない。だからこそ、彼のヒーロースーツはフルアーマータイプである。元より防御力重視であり、見切れの為の機動力も兼ね備えたものだったのだが、そのバージョンアップが終わるまで復帰するな、というのがCEOの出した条件だった。別に難しいことではない。各社とも、バージョンアップは定期的に行っているし、ヘリペリデスファイナンスも例外ではない。数日から十数日で終わる筈だったのだ。本来であれば。それなのに、十日終わっても二十日が過ぎても終わりは見えない。それには一応の理由があった。
七大企業のCEOの中で最も年若い青年は、折紙サイクロンの敵陣侵入における様々な経緯を発端として、ヘリペリデスファイナンスヒーロー事業部に革命を起こさせた。ごく正確にするならば、それはリストラの嵐であったという。企業のトップであるからネイサンの元にもいくつか情報は転がりこんで来たが、それは若手の一技術者を頂点とするクーデターでもあったらしい。折紙サイクロン潜入のおり、イワンはアンダースーツだけで敵陣に乗り込んだ。擬態の能力特性上、ヒーロースーツの着用が出来なかった為だ。しかしその時点で、アンダースーツの性能をあげることは可能だったのである。より着用者の安全を高める為にできることはいくらでもあった筈なのに、相手がヒーローであることに安心しきり、前例と慣例に従って何もしなかった古い者たちにCEOとその技術者が手を組んで牙を剥いたらしかった。その結果のリストラであるが、半数以上の人間を一気に失ったヒーロー事業部は、同時に保存していたデータを腹いせに消されるという嫌がらせにも遭遇した。それも、丁寧に紙にプリントアウトしていないデータのみで存在していたデータばかり。
犯人である失業した技術者たちは一様に単なるミスだあるいは事故だと主張したが、状況から悪意による犯行は明白だった。頭を下げて解雇を取り消し、謝れば戻ってやるしデータも戻るかも知れない、と告げた者たちを下したのは、粛清の嵐を起こしたCEOに与する、一技術者だった。期間は一週間。不眠不休でデータの名残を復元させ、足りない所は記憶によってほぼ完全に元に戻してみせたことにより、彼らの主張はひとつも受け入れられなかった。かくして平均年齢三十代、人数はそれまでの三分の一の極端な精鋭部隊として生まれ変わったヘリペリデスファイナンスヒーロー事業部は、忙しすぎてヒーローを稼働させる所ではないという本末転倒な自体を終結させるべく、現在も奮闘している筈だった。その一技術者の名はキリサトという。役職なしの状態から一気にヒーロー事業部の部長となったひとと、そういえば今日の午後に会う予定があった筈だと思い出し、ネイサンは物思いにふけっていた視線を室内時計に移動させて息を飲んだ。ハイスクールの生徒のように悲鳴をあげながらベッドを飛び降り、シャワールームへ飛び込む。起床予定より、二時間遅れの朝だった。
そもそも、本来なら今日は完全に休日である筈だったのだ。ヘリオスエナジーのオーナー業も、スケジュールにぽっかりと穴が空いた休養日である。最近のヒーロー活動の激しさに、社の人間がいいから休んでくださいとスケジュールの調整に調整を重ねた結果の休日だ。その想いに応えて本来なら自宅でゆっくりしていなければいけないのだが、会えますかというメールに反射的に返事をしてしまったのだから仕方がない。会うのはヘリオスエナジーに関連するスポンサーでもなければ、ネイサン好みの良い男でもない。声と名前だけを知っている『女』だと知れたらそれなりに騒がれそうだったが、たまにはこういうこともあるわ、と笑ってネイサンは待ち合わせ場所のバーで唇を湿らせる程度、カクテルを傾けた。ゴールドステージの一角にあるバーは広くもなく狭くもなかったが、天井の高いつくりで解放感があり、黒を基調とした落ち着いた作りになっている。照明や小道具、内装にどことなく『和』が感じられると口にすれば、年老いた風貌のバーテンダーは嬉しげに唇を綻ばせ、全て日本の伝統工芸による品だと教えてくれた。職人の手技によるもので、時価だという。
会員制でもない、開放された店である。まさかと笑うにはネイサンは目が肥えていたから、慎重に店内の客を見回した。さすがゴールドステージの客だからか、誰もが落ち着いた雰囲気で談笑しており、酔って騒ぐような輩は見られない。シュテルンビルトにバーは星の数あれど、ネイサンも知らなかったこの場所を指定した待ち人は、未だ来ないらしい。電話でもしてみるべきか、と思案すると同時に入口の戸が開き、カラリと穏やかな鈴の音が店内に響いた。バーテンダーが店の奥に視線をやって個室の準備が出来ているか確認する動きを確かめてから、ネイサンはそっと振り返る。入口からバーカウンターまでの短い距離を、大慌てでかけてくる少女と目が合った。それは明らかに少女だった。少なくとも印象の上では、女性とするにはすこし外見年齢が足りないように思われた。身長のせいかもしれない、とネイサンは思う。少女は踵の高い靴を履いてそれを誤魔化していたが、どう頑張っても百五十センチにすら届いていないだろう。他の店であればアルコール所か入店を断られてしまいそうな少女は、ネイサンの前で立ち止まると息を整えながらこんばんは、と言った。
外見よりは落ち着いた雰囲気で紡がれた声は、普段ならヘリペリデスファイナンスからの緊急ラインを通じてヒーローたちに語りかけるものだった。クーデターとも、御家騒動とも呼ばれる技術部の混乱を引き置きした引き金。ネイサンを呼びだした本人、キリサトに他ならない。少女は白地にピンクを基調とした大変愛らしいワンピースを着ていたが、その格好がなんの変哲もない上下に白衣である方がイメージと合致しただろう。こんばんは、と笑いながら立ち上がり、ネイサンは可愛いのねぇ、と困惑交じりに感想を送る。ショーケースの中に飾られる人形めいた少女が来ると分かっていたならもうすこし別の格好をしてきたと思っての言葉だったが、それを聞いた技術者の瞳になんとも言えない感情がよぎるのを見て、動きを止める。ああこれですか、と呟く声は無感動な灰色で、己の纏う服に興味を持たない者のそれだった。
「私の趣味ではないんですが、シャワーを浴びて出たらこの服しかなかったもので」
「あらぁ、恋人の趣味かしら」
「どうでしょうね。……ああ、改めまして。お待たせしてしまってすみません。ヘリペリデスファイナンスのキリサトです」
気を取り直すように早口で告げた少女は、口元を微笑ませて一礼をしながらそう言った。頭を深く下げる仕草に、ネイサンは東洋系の血を感じて仲間を思い出す。虎徹は静かに休んでいるのだろうか。とてもそうとは思えなかったが、そういえば先日、三人部屋に戻ったとも聞く。入れ替わりにバーナビーが個室に部屋移動をしたとも聞くので、両方の情報が正しいとするなら、入院生活に飽きたバディはベッドを交換こして気分転換を図ったらしい。成功したかは知らないが、精神的に平和そうでなによりだった。そう言えば真面目に静養する気になったキースから、この技術者の名前を聞いた気がする。どうも熱が出ていたせいで、夢なのか現実なのか自分ではよく分からないのだと苦笑いして告げながら、怒られたのだと。さて真偽を問うたとして、この技術者は応えてくれるのだろうか。つらつらと考え事を巡らせながら、ネイサンは案内に従って奥の個室へと足を踏み入れた。小さめの机を挟んで座り心地の良い椅子に身を沈めながら、慎重に相手を観察する。いくつか飲み物と食事を注文してから振り返った技術者は、部屋の扉を閉めながら口元を和ませた。
「気になることがあるならですね、聞いてくれればお答えしますけどもー!」
トン、と靴音を弾ませ、技術者はふわりと椅子に浅く腰かけた。脚を閉じて揃え、太ももにそっと指先を重ねて手を置く仕草は慣れたもので、上流階級の育ちというよりやはり人形めいていた。顔の上半分が隠されているからだろうか。そうねえ、と慎重に机に肘をつき、手を組んで顎を乗せながらネイサンは笑う。相手の真意と心を探り、考えを巡らせながらの会話も悪くない。
「聞いていいのかしら?」
「はい、どうぞ! 遅れたお詫びとでも思って頂ければ」
「それじゃあ、私を選んだ理由を教えてちょうだい?」
相手の空気が、ふっと笑みに緩む。それでいいんですか、と囁く声に、ネイサンはためらいなく頷いた。過去に交流と呼べる交流がある訳ではない相手だ。話し相手として誘うには社会的な立場も離れているし、技術者はネイサンがヒーローであることを知っていたから、不自然に過ぎた。少女は背筋をまっすぐに伸ばし、お呼び立てしたのは他でもありません、と告げる。
「実験させてください」
僕はあんなに嬉しそうに人体実験を要求してくる女の子を初めて見ました、といつだか言っていたイワンの声をまざまざと思い出し、ネイサンは沈黙した。嬉しそうに、とするには真剣な声の響きであるが、内容は一緒である。ぐ、とテーブルに身を乗り出すようにして、技術者は告げていく。
「あ、詳しく言うとですね、人体実験になるんですけれどもー! 個人差はありますが、痛かったり怖かったりはしないと思うんですよー。特に貴方の能力だと」
「……能力?」
「もしかして、イワン君からなにか聞いてますー? あのこもひとの話を最後までちゃんと聞かないから、正確な情報伝達で目的が伝わってるだなんて欠片たりとも思えないんですけど! ざっくり言うと、NEXT能力の解析実験です」
イワン君の場合は能力の性質上、遺伝子から調べたいので若干こう人体実験の度合いが高いっていうか雰囲気的にどうしてもそうなっちゃうだけなんですけど、と技術者は邪気なく微笑んだ。その時ちょうど、注文してきた料理と飲み物が到着し、会話が途切れる。次々と並べられていく小皿をひとつひとつ指差し、技術者はその料理をネイサンに説明していく。これがお豆腐、これが肉じゃが、これが根菜の煮物、これはお吸い物。そしてこれが私のお茶漬け、と言って薄く透明な黄緑の液体に米が漂っている大きめの器を取りあげて自らの前に置き、技術者は木のさじでくるくると中をかき交ぜた。ひとさじすくい上げ、ふぅ、と息を吹きかけて冷ましながら少女は首を傾げる。
「ご存じだと思いますが、NEXT能力の研究は初代世代と呼ばれるNEXT能力者出現数十年前から、実はなんにも進んでません」
「……そぉねえ」
「おかげで、自分の能力が実際どういうものなのか、それすら正確には知らないで発動させてる能力者ばっかりが現状です」
ぱくりとひとさじぶんを口にして、技術者はゆっくりと顎を動かしていた。伸びた手がグラスを取り、水で流しこむように口の中を空にする。
「たとえば、貴方は」
「ねえ、キリサトちゃん」
「すみません忙しすぎて何食か栄養ゼリーとドリンク剤で誤魔化してたら胃が怠けただけです。食べられない訳ではないのでご心配なく。……違いました?」
途中で呆れたように変化していくネイサンの顔を見て、早口で告げ終わった少女が訝しげに首を傾げる。だからこれ、出来るだけ貴方が食べてくれると嬉しいですと指差された料理に視線を落とし、ネイサンはそっと額に指先を押し当てた。
「いいえ、その通りよ」
「よかった。……話を続けても?」
「食べながらならね」
優しく言い聞かせるようなネイサンの声に、技術者は一瞬だけマナー違反を咎めるような顔つきになり、すぐに諦めて木のさじを持ち直した。気の無い様子でお茶漬けをくるくるかき回しながら、幾分落ち着いた様子の声で告げていく。
「たとえば貴方の能力ですが、司法局には『火を操る』との登録がありました」
「ええ」
「火というのは熱と光を出す現象の事で、科学的に言えば物質の燃焼に伴って発生する事象です。ざくっというと、熱と光を出す燃焼が火だと思っておいて良いと思うんですよね。で、大体の場合は物質の酸化も伴います。……難しいことは置いておいて、火が発生するには大体三つ条件がそろわないといけません。ひとつ、可燃性物質があり、ふたつ、燃焼に必要な酸素があり、みっつ、可燃性物質を燃やすだけの高温があること。この三つが同時に揃ってはじめて火が出ます。……お聞きしますが、貴方の火は酸素を必要とするものですか?」
諦めて口に運ばれるひとさじを見つめながら、ネイサンは眉を寄せて考えてしまった。そんな風に自分の能力を分析して考えたことは一度としてないし、言われたとしても分かるものではない。悪い遊びに誘うように差し出した手から全身を青く染め、指の先にゆらめく火を生み出す。火は蝋燭に灯されたよう、空気の動きを捕らえてゆらゆらと揺れたが、元より酸素など視認できるものではない。分からないわねぇ、とつまらなさそうに呟くネイサンの指先、そこに灯った火に視線が注がれた。
「……もしも、燃えるものもなく、酸素も必要とせず発生するものなら、すっごいなぁ、と思うんですが」
「キリサトちゃんは、それを知りたいの?」
「NEXT能力を知りたいんです。能力の発現の仕方、それが科学の力で解き明かせるものなのか。無理ならば、その範囲で分かることはなんなのか。情報って、とても大事です。分からないことを、分かるようにするのは、大切です。NEXT能力の研究が、その発生当時から正しく行われてさえいれば、ジェイク・マルチネスの能力がビームかバリアか、あるいは他にも能力を持つ稀有な存在であるのかどうか。どんなに遅くともセブンズ・マッチの前までには、その情報が正しくヒーローの元にもたらされていたと、私は信じます。あの時、スカイハイが彼の能力をバリアだと判断できたのは、彼の元に耐えず送られ続けたポセイドンラインの技術者たちの……解析結果あってのことです。大体、その判断をヒーローが現場でしなければいけないこと自体がもう。NEXT能力者っていうのは特殊能力者であって、ある種の天才かもしれませんが万能でも無敵でもないんです。貴方たちはどうしてか、いつもそこを間違えるけど……大人しく守られてくださいよ、ヒーロー。私たちを置き去りにしないで、一緒に戦ってください。どんな窮地でも、私たちがついていることを忘れないで。……今はこんな風にしか言えませんけど、いつか誰もが胸を張ってそう言えるように、お願いします。調べさせてください」
二度と。貴方たちだけを窮地に赴かせたりはしないと、技術者の瞳は告げていた。指先から火を消し、ネイサンは技術者に手を伸ばした。ぽん、と叩くように頭を撫で、向けられる視線に笑みを向ける。
「分かったわ。……とりあえず、ネイサン・シーモア個人として協力しましょう」
「……分かりました。その通り、CEOにお伝えします。お礼ではありませんが、今後必要であれば、ヘリペリデスファイナンスが保有するヒーローに関しての技術、情報提供は惜しみません」
「あら、キリサトちゃんがそのお返事、しちゃっていいの?」
彼女はあくまで技術者である。だからこそ企業ではなく個人としてネイサンは言ったのだが、問いかけに少女はにこりと、どこか怒りをちらつかせる表情で笑った。
「服までなら許してあげたんですけども!」
「……うん?」
「下着も用意されてたので! 変態と罵る代わりに技術提供と情報提供に関して、私の好きにしていいって約束させました!」
ちょっと手間取ったので約束のお時間に遅れた訳なんですけれども、とマスクの下で半眼になる技術者に、ネイサンはやや首を傾げながらもそう、と頷いた。色々とはぐらかされている気もするが、追及したとて言ってはくれないだろう。頭の回る相手との会話は楽しいが、引き際も肝心だ。やや気が収まらない様子で、少女はぐるぐると冷めたお茶漬けをかきまわしている。
「そもそも情報と技術の共有はある程度必要なんですよ。だから早く書類作って七大企業のCEO会議の時にでも提案して可決をもぎ取ってきてくださいって言ってるのに! なーにーがーイワン君の体調が心配で仕事が手につかないですかあのすっとこどっこい! 仕事が手につかないのになんで人の服買いに行く余裕があるっていうんです! 大体私は駄目っぽいのを全員解雇しろとは言わなかった筈なのに、私が無視したセクハラ発言にそっちが切れてどうするって話ですよ我慢しろ! ……すみません大体聞かなかったことにして頂けますか」
「……それ、ちゃんと食べたら忘れてあげるわ」
「努力します」
深々と息を吐きだして、木のさじが引き上げられる。のろのろと口に運ばれるのを眺めながら、ネイサンもようやく、目の前の料理に箸を伸ばした。
雨上がりのぬかるんだ道をトランスポーターに向かって歩きながら、ネイサンはふと、先日のことを思い出した。あれからネイサンの火を蝋燭に灯して持って帰った技術者からは、『今の所、大体九十パーセントくらい普通の火です』という理解しがたい研究報告が上がってきている。つまり普通の火として考えて問題はないということです、と告げられたので、それ以上はまた結果待ちだろう。疲労感に全身を浸して歩きながら、ネイサンはふと指先を空に向かって振った。雨上がりのしっとりとした空気を煌かせるよう、火の軌跡を追いかけて虹がうまれていく。しばらく見つめた後、ネイサンは虹に背を向けて歩き出す。やがて輝きは消えるだろう。けれど、それはいくらでも生み出せるものだ。雨上がりのシュテルンビルトには、虹がかかる。希望のようだと、誰かが言った。