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告白

 とても、とても懐かしい声に名を呼ばれた、と思った次の瞬間のことだ。部屋の電源が落ちた。室内だけではない。窓から見えるステーション全てが、闇に包まれている。大停電だ。そんなことが起こりうる筈もないのに、奇妙にそう納得してしまって、スウェナは笑いながら椅子に腰かける。闇に閉ざされた部屋の中で、不思議に手元だけぼんやり明るく見えるのはどんな芸当なのだろうか。ひどく、落ち着いていた。
「久しぶりね、ジョミー」
 あなたのせいね、と。非難するでもなく笑いながら囁けば、部屋の隅に隠れるように立っていた人影が、気まずげに揺れる。どうして分かったのか、どうして驚いたり怒ったりしないのか、困惑しているのだろう。全く変わらない人柄に、スウェナはこみあげてくる笑いで肩を揺らし、涙を指でぬぐいながら手招きをした。
「ね、ジョミー、こっちに来て? 久しぶりなのだから、顔を見て話したいの……ねえ」
 会いに来て、くれたのでしょう。そう吐息に乗せて囁けば、ジョミーはやっと諦めがついたらしい。カツンと硬質な靴音が響き、ぼんやりとした灯りの中、ジョミーの姿が現れた。その姿を見て、スウェナは思わず息を吐く。ジョミーと最後に別れてから、月日は確かに経過している。結婚の為にステーションを離れる日が明日に迫っていることからも、それは明白な事実である筈だ。それなのに、ジョミーは変わらない。
 身長は、多少伸びたようだった。顔つきもすこし、大人びたそれになっている。しかし、変わらない。最後に見たジョミーの姿、そのものだった。成長しないのね、と笑いながら告げたスウェナに、ジョミーはがっくりと肩を落としてよろめく。スウェナー、と情けない声が名を呼んだ。
「あのさ。もっと、他に言うこととかないの」
「他に? そうね、停電はどうせジョミーのせいだろうし、おてんばさんな所は変わってないのね。ダメじゃないの、ジョミーったら。そうやって、すぐ人様に迷惑かけるんだから」
「違うってば。……いや、停電させたのは、ぼくだから。すぐ、直すけど」
 視線をうろつかせながら気まずそうに告げるジョミーに、スウェナはあら、と言って目を瞬かせた。もっとゆっくりしてらっしゃいな、と続ければ、ジョミーはいよいよ理解不能の目をスウェナに向けてくる。これ、本当にスウェナかなぁ、と考えているのが丸分かりの顔に、スウェナはにっこりと微笑みかけた。
「だって、停電が直ったらジョミーがすぐ行ってしまうのでしょう? ……急ぐのなら、仕方がないわ。でも」
 もうすこしだけ、話を。吐息に乗せてしか求めない弱い願いに、ジョミーは無言でスウェナの向かい、主のないベットに腰かけた。そうするとどっちが部屋の主か分からなくなって、スウェナはくすくすと笑う。笑いながら、今日はよく笑う日だ、とスウェナは思った。感傷的になって気分が高ぶっているのかもしれなかったし、久しぶりの友人に浮かれているのかも知れなかった。ジョミーは、そんなスウェナに微笑む。
 スウェナが思わず胸を高鳴らせてしまうほど、奇妙に大人びた綺麗な笑みだった。急に笑みをひっこめてしまったスウェナをいぶかしむこともなく、ジョミーは優しい表情のままで言う。
「幸せそうで、よかった。結婚するって、聞いたから」
 誰から、いつ、どこで、と。疑問がスウェナの頭の中で渦巻くが、そのどれもがささいなことのようで口からは出て行かない。重要なのは、それを聞いてジョミーが来てくれた、その現実だけでいい。夢ではないことを確かめたくて手を伸ばせば、スウェナの指先から、ジョミーの頬を伝って体温が流れ込んでくる。ほっとすると同時にすべすべの美肌がやけにカンに触って、スウェナはジョミーの頬を軽くつまんだ。
「なぁに、ジョミーったら。心配して来てくれたの?」
「……スウェナ。お願いだから、台詞と行動は一致させて欲しいんだけど。なにすんだよ」
「だって、ジョミーのほっぺたったらあんまり触り心地が良くて……あら、髪の毛もサラサラじゃない」
 なによこれ、どんなお手入れしてるのジョミーったら、とじゃれるように手を伸ばしてくるスウェナに、ジョミーはとてつもなく迷惑そうな顔つきで唇を尖らせた。無駄な抵抗をしないのは、動けばさらにじゃれ付かれるだけだと知っているのだろう。どこか知らない場所で、女の子のオモチャにでもされているのだろうか。愛されて、大切にされているジョミーに安心しながら、軽い嫉妬でスウェナは胸が痛くなった。
 髪を撫でる手が止まったのを、どう受け取ったのだろうか。ジョミーは疲れたような息を吐き出し、だってさ、と拗ねた口調で話し出す。
「髪の毛のお手入れはレディのたしなみなのよ、って怒られるんだ。ぼくはレディじゃないんだけどって言っても、カリナ聞いてくれないし。髪の毛乾かさないで寝ると風邪引くでしょうって、お風呂上りはすぐにリオが飛んでくるし。よく寝ないと大きく育てないよって、ブルーはあんまり夜更かしさせてくれないし。それでだよ」
 スウェナが思った以上に、ジョミーはよってたかって大事にされているらしい。思わずジョミーの頭を胸に抱き寄せて、スウェナはくすくすと笑ってしまった。大切な友人が幸せに過ごしていたことが、嬉しくてすこしだけ寂しくて、そしてなにより誇らしい。拗ねた言葉に笑い声でそう、と言ってスウェナは満面の笑みを浮かべる。よかったわね、と囁けば、ジョミーは若干ためらいを見せたものの、無言でこくりと頷いた。
 その幼い仕草を可愛らしく思いながら、スウェナは悪戯っぽい笑いをひらめかせる。なんだか、分かってしまった。ねえジョミー、と笑いながら呟いて、スウェナは囁く。
「あなた、好きな人ができたでしょう」
 げふっ、とジョミーが咳き込んだ。思っても見ない言葉だったらしい。顔を真っ赤にして口を動かすのをじっと見つめて、スウェナはにこにこ笑いながら分かるのよ、と言った。
「だってジョミー、私と同じ目をしてたもの。好きな人のことを、思い出した目だわ。……ね、どんなひと?」
 先ほど名前が告げられた三人の誰かだろう、と思いながら、スウェナはもう答えが分かっている気がした。それは恐らく、最後に名前が告げられた相手だ。そのひとのことを語る時だけ、ジョミーの顔は甘く緩み、瞳は歓喜を宿して輝いていた。柔らかな幸福に彩られた声は、聞いているこちらが嬉しくなってしまうほどで。ねえ、どんな相手なの、と重ねて尋ねてくるスウェナに、ジョミーは恥ずかしそうにうなった。
「き……綺麗な、ひとだよ。優しくて、すごく優しくて柔らかい空気の、それですごく強いひと。冴え冴えとした、月みたいに、見てて切なくなるくらい綺麗な、ぼくの、大切なひと」
「告白はしたの? それとも、まだ?」
 語れば終ると思っていたのだろう。いよいよ困った様子で沈黙してしまうジョミーに、スウェナはにっこり微笑んだ。聞きたいな、と言われてしまっては、ジョミーに断るすべもない。やがてちいさな声で、した、とだけぶっきらぼうに告げられて、スウェナは笑いながらジョミーを抱きしめた。口ぶりからすると、良い結果なのだろう。そのことが、スウェナは自分でも驚くくらいに嬉しかった。
「よかったわね、ジョミー。私たち、同志だわ」
「同志?」
「そうよ。好きな人がいて、想いが通じ合った同志」
 嬉しいわ、と腕の力を強めてくるスウェナに、ジョミーはすこし頬を赤くしてちいさく頷いた。そして、ぼくも抱きしめてもいいかな、と訪ねてくる。いったいなにを気にしているのかと笑いながら、スウェナはぜひ、と頷いた。スウェナの背に、ジョミーの手が回される。青年らしく成長しているジョミーの力は強く、スウェナを抱き寄せた。女性としてではなく、姉のような気持ちで抱きしめられ、スウェナは心地よく目を閉じる。
 嫌にならない沈黙は、どちらともなく流れていった。その静寂を邪魔しない音量で、ジョミーは呟く。
「ホントは、来ちゃいけないんだ、けど」
「あら。そうなの」
「うん。だから、来ないつもりだったんだ、けど……心配で、気がついたら、スウェナの部屋で」
 あんまりびっくりして、この部屋だけのつもりが全域を停電に追い込んでしまったのだ、と反省しているのが丸分かりのしょんぼり口調で告げられて、スウェナはそれでよかったのかも知れないわよ、と慰めてやった。下手にスウェナの部屋だけ停電していたら、どんな異変だ、とすぐに誰かが飛んできたことだろう。ありがたいことではあるのだが、それではすぐにジョミーは居なくなってしまったことになる。
 それは、嫌だった。しなやかな強さを秘めたジョミーの体を抱きしめて、スウェナは優しく微笑んだ。
「じゃあ、誰にも言って来なかったの? ジョミーったら、きっと今頃心配されてるわ」
「……うん」
「ありがとう。でも私は大丈夫よ。今すごく幸せだし、ジョミーにも会えてこんなに嬉しいことってないわ」
 続けなかった言葉を、ジョミーはしかし理解したのだろう。もう一度うん、と言うとスウェナから腕を離して、ベットから立ち上がる。スウェナはその動きを、じっと見ていた。ジョミーは部屋の隅まで歩いて行って、くるりと綺麗に半円を描いて振り向く。赤いマントが、ばさりと揺れた。なんとなく微笑ましくて、スウェナは目を細める。
「似合うわね、その服。……本当に、とてもよく似合ってる」
「あの、スウェナ」
 その賛辞にこそ、勇気付けられたかのように。弾かれるように口を開いたジョミーに、スウェナは姉の気分で首を傾げて見せた。無言で続きを促すと、ジョミーはあの、その、と手をもじもじ動かしながら、視線をさ迷わせつつ告げる。どこに居ても。なにをしていても。
「ずっと、スウェナの幸せを祈ってるって……迷惑、かな」
「まあ、ジョミー。馬鹿ね、そんなことないわ。そんなこと」
 急激にこみあげてくる涙に、声を詰まらせながら。スウェナは強く首を振って、ジョミーの言葉を否定した。そしてしっかりと視線を捕らえて重ね合わせると、大きく息を吸い込んで言い返す。
「私も。どこに居ても、なにをしていても……いつかそのことを、忘れてしまったとしても。それでもずっと、心のどこかでずっと、ジョミー。あなたの幸せを願っているわ。当然じゃない? だって私たち」
「うん。親友だ。そうだね、スウェナ。ありがと」
 ふわりと、ジョミーの足が床から離れる。そのことに驚きと納得を感じながら、スウェナはふわふわと飛んできたジョミーにクスリと笑いかけた。そして手を伸ばして頭をなで、さよなら、と告げる。ジョミーは真剣な顔で頷き、それからすっと体を屈めて、スウェナの頬に口付けを落とした。まあ、と肩を震わせて笑うスウェナに柔らかく笑いかけて、ジョミーは口を開き。どうか幸せに、と祈るように囁いて、姿を消した。
 その直後、ステーション全域に起きていた原因不明の大停電は、終わりを告げた。

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