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幸せみつけてくれたひと

 意外とリオって、一度ホントに寝ちゃうと起きられないんだ、と。からかうように、楽しむように告げられた声は今でも耳に鮮明で。目を開けることだけが出来ないまま、リオはそんなことを思い出していた。いつのことだったかも、もう思い出せないくらい昔のこと。ジョミーがまだ船に来たばかりで、ソルジャー候補生としての振る舞いも、まだ求められていなかった頃の温かな思い出の一つだ。それは、陽だまりで。
 シャングリラの中で、近年は失われてしまったままの、あの温かな陽だまりの中で。その中心で。こどもたちに埋もれるようにして昼寝をしていたリオを見つけ出して、その顔を覗き込みながら、ジョミーはくすくすと笑いながら言ったのだ。
「意外とリオってさ、一度ホントに寝ちゃうと起きられないんだ? すぐ起きちゃう系だと思ってた」
『……ジョミー、それは』
 どういう、いみです、と。ぼんやり問い返すことこそ、リオの意識が常のようには目覚めていない証拠だった。眠たげな頭を座り込んだ膝の上に抱き寄せて、ジョミーはにこにこ笑いながら、リオの頭を撫でてやる。
「リオも可愛いトコあったんだってこと!」
 可愛いといわれて喜ぶ歳でもないのですが、と。言葉は形になっても外に出て行く力を失ったまま、胸の中でほろりと解けてしまった。昼下がりの陽光が、あまりに暖かかったせいだろう。そして耳に触れるこどもたちの寝息や、頭を撫でてくるジョミーの手が心地よくて。起きていることが、ひどく困難で。リオは強い眠気に逆らいきれず、意識を再び夢の中へと戻してしまった。温かなまどろみ。柔らかな眠りへ。
 思えばそれが、ジョミーがリオを探しに来た最初で最後のできごとで。あとはずっと、リオがジョミーを探していたのだ。ジョミーがリオを求めなかったわけではない。ただリオは、求められるよりは求めて、傍に居たかったからそうしていただけで。見返りを求めていたわけではなくて。ただ、ただジョミーの傍で、すこしでも力になれたら、とそればかりで。救いになりたいと、救ってあげたいと、思っていたというのに。
 まさか、こんなことになるとは思っても見なかった、と。痛みをごまかす息を吐き出し、リオは薄くまぶたを持ち上げた。岩に挟まれた体はもうどこも動かせず、疲弊しきった意識では思念波さえ飛ばせない。辺りは揺れ続けている。大きな岩が容赦なく振ってくるので、ほどなくリオの体も埋まってしまうだろう。面白味のない光景を見続けていられず、リオはぱたりとまぶたを閉じてしまった。そして、思う。
 とっさに庇った少女は、どうしただろうか、と。無事に階段を登りきり、仲間に保護されて無事でいるといいのだけれど。そして、冷たい地の底を想う。そこまで辿りつきたかった。そこで戦っていたジョミーの元へ行って、助けて、仲間の元へ戻って、そして。そして、ああ、けれどなにより、ジョミーの傍にありたかった。そう想うリオの耳に、カツン、と靴音が届く。心がざわりと揺れるほど、聞き覚えのある音だった。
 周囲の揺れや岩石が降ってくる轟音はいつの間にか止んでいて、不思議なほど安らぐ静寂が漂っている。静けさの中で、カツン、カツン、と硬質な、それでいて優しい靴音が響いて。目を開けられず、指一本さえ動かせないで居るリオの前で、止まった。空気が揺れる。その人がしゃがみこみ、笑いながら顔を覗き込んでいるのだと、リオはなぜか疑わずに信じて。息を飲んだ瞬間に、声が聞こえた。
「リオ」
 こら起きろ、と。全く怒っていない笑い声が告げて、リオの頬に指が触れた。ふにふにと数度突いたあとに、手のひらが押し当てられて、眠るリオの頬を撫でて行く。暖かかった。冷たくなど、なかった。そのことが、なにもかもを忘れてしまうくらい、嬉しくて嬉しくて嬉しくて。泣きながらまぶたを持ち上げて、リオは笑いながら待っていてくれた人の名を、呼んだ。
『ジョミー』
「おはよ、リオ。どしたの? なにか悲しいことでもあったかな」
 リオがぼくの前で泣くなんて何年ぶりだろう、と。明るい表情で笑うジョミーにこそ、リオの涙がこぼれていく。横たわっていた体を起こして、座ったままで腕を伸ばしてジョミーの体を抱き寄せ、リオはあなたこそ、と万の想いをこめて告げる。
『あなたこそ、笑うなんて……何年ぶりですか? なにか、楽しいことでもありましたか?』
「うん。聞いてくれる?」
 くすくすと。耳元を揺らす笑いがくすぐったくて、嬉しさに胸が詰まる。ええ、もちろんです、と意思を飛ばして抱擁をとき、リオは至近距離でジョミーの目を覗き込んだ。星屑のように輝く、翠の瞳。喜びに溢れた新緑のきらめきを、二度と見られないかも知れないと想って、何年が経っただろうか。分からなかった。けれど記憶の中にあるものより、ジョミーの顔つきや気配はずっと大人びていて、落ち着いたもので。
 その分だけ時間は流れて行ったのだ、とリオは思う。静かな喜びで胸を満たしながら待つリオに、ジョミーはあのね、とにこにこ笑いながら言った。
「ずっとぼくを信じて、ぼくの傍にいてくれた人がいるんだけど。これがすごく有能で、ちょっとのことじゃ隙なんか見当たらなくて。だからぼくの身の回りの世話とかできると思うんだけど、自分のこととかすごくきっりちこなしててさ。特に朝なんか、ぼくより絶対早く起きて起こしに来るんで、意外と寝起きにぼーっとしてるの知ってるんだけど、もう何年もそんな姿見られなかったんだよね。お昼寝の暇とか、なかったし」
『……あ、の?』
 誰、とジョミーは言っていない。しかし恥ずかしい気持ちになって言葉をとめようとするリオの手をきゅっと握って、ジョミーは最後まで聞いててね、と笑う。その笑顔は、リオが最初に好きになった『ジョミー』のもので。だからこそなにも言えなくなってしまったリオに、ジョミーは機嫌よく告げていく。
「ぼくはその人のことが大好きでね。本当に、船に来た頃から今も、ずっとずっとずーっと大好きで。最初は大好きってちゃんと言えてたんだけど、ソルジャー候補生になってからとか、特にブルーの跡を継いでからは……そんなこと、言えなくなっちゃって。公平でなくちゃいけないと、思ってて。その人のことはずっと、実はずっと別格で大好きで大切だったのに、でも中々そういうの、言えなくなっちゃって」
『その人は、分かっていたと思いますよ』
 やれやれ、と穏やかに微笑んで。リオは泣きそうに歪むジョミーの頬を撫でながら、いつかそうしたように額を合わせ、物語を語り聞かせるように囁いた。
『あなたに、それ程までに想われていたのですから。言葉に出されずとも、態度で表されなくとも。その人は、分かってましたよ。……分かっていました、ジョミー』
「だ、だからねっ! だからぼくは、実はずっと狙っ……決めてたことが、あってっ」
 泣かない、泣かないっ、と気を引き締める深呼吸を繰り返して。ジョミーは慌てた口調で言い放った。くすくす笑いながら首を傾げてやるリオに、ジョミーはあのね、と囁きかける。
「もしもぼくが先に起きることがあったら、絶対起こしに行こうと思ってたんだ。だってリオは……リオは、一度ホントに寝ちゃうと、中々起きられないし、起きてもぼーとしてるだろ? だからね、迎えに行こうって決めてたんだ! ……その人って、リオのことだよ。ずっとずっと、傍に居てくれてありがとう。だからたまにはこうやって、ぼくがリオを迎えに来てもいいよね?」
 たまにはぼくにもリオを迎えに行かせてくれなくっちゃっ、と。明るく笑うジョミーは、船に居た筈のリオがどうして、冷たい岩の下にいたのか全部知っているのだろう。ね、と笑いながら差し出してくる手を掴んで立ち上がり、改めてリオはジョミーを抱き寄せた。成長して、それでもリオより一回りちいさい体。おつかれさまでした、と告げると、ジョミーは笑いながらリオもね、と言った。
「さて! リオも見つけたことだし、そろそろ長老たちのトコ行っても大丈夫かな……リオお願い一緒に行って」
 あんまり嫌そうに呟くので、リオはさすがに長老もあなたの行いを怒ったりはしないと思いますよ、と笑ったのだが。ジョミーはちょっと違う、と首を振って、遠い目をしながら言葉を落とす。
「リオのトコ来る前に長老たちは見つけたんだけどさ……ハーレイとブラウが、なんていうかこう、良い雰囲気で、入っていけなかったというか……お邪魔したらいけないかなって、いうか。でも置いていくとか考えられないから、今から行こうとは思うんだけど、リオ一緒にいこ?」
『お供しますよ、ジョミー』
 それは入っていけませんよね、と笑いながら、リオはごく自然にジョミーの傍らに立って歩き出した。ジョミーもその立ち位置を受け入れていて、数歩進むたびに視線をよこしては、そこにリオがいることに明るい笑いを浮かべて喜ぶ。思わず、本当に船に来たばかりの頃のように手を繋ぎ合わせれば、ジョミーは驚いた顔をして、そして手に力を込めた。もう、離れない。これからは、これからも、ずっと一緒だ。
 こっちこっち、と長老たちが居た方へリオを案内しながら、ジョミーはそれにしても、と笑う。
「ブルーに会ったら、まず何から話そうね! たくさんあって困っちゃうね!」
『そうですね』
 でも会ったら、とりあえず笑って差し上げましょうね、と。リオはにこにこご機嫌なジョミーの頭を、そっと撫でながら告げた。ジョミーは意外そうな顔つきになったものの、なにも言わずに頷いて歩き出す。手をしっかりと繋ぎ合わせて、その傍らに並んで、リオはジョミーと共に足を進めた。

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