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05


 教室の扉が、跳ね飛ぶ勢いで開かれる。ぎょっとして視線を向けると、そこにいたのは仁王立ちした柚季だった。六時間目の授業が終わったばかりの教室は、部活や帰宅の人間でざわめいていたが、まだそれなりの人数を内包している。それらの視線を一身にあびながら、柚季はみじんも動揺した様子を見せず、ただ不機嫌な様子で綾と帝、そして春希の三人の元へと歩いてくる。
 そう言えば昼休みまでは一緒で、五時間目から忽然と姿を消していた不思議に綾が首をかしげていると、柚季は怒りに歪んだ表情で無造作に椅子を蹴っ飛ばし、机に直に座って聞いてよもうっ、と口火を切った。
「ちょっと五時間目サボってお買い物行こうとしたら、生徒指導の谷口に見つかって今まで怒られちゃった! 酷すぎる!」
「いや、全く酷くない。むしろもっと怒られて来い。さもなくば俺が怒る。なにしようとしてんだ生徒会役員っ!」
「どうりでいないと思ったわよ……」
 お説教は帝に任せて、綾は春希に疲れきった笑みで同意を求めた。しかし、それ自体が間違っていたらしい。そうですよねぇ、と呆れの声で呟いたまでは良かったのだが、春希は怒られて不満そうに唇を尖らせている柚季に向かって、苦笑しながら言ったのだ。
「駄目じゃないですか、柚季。報復してきました?」
「ああ、うん。それはしてきた。多分三ヶ月くらいは再起不能だと思う」
「それならいいんです。やられっぱなしは高坂家の名に関わりますからね」
 グッジョブ、と笑顔を交し合う柚季と春希から真剣に他人のふりをしつつ数歩分距離を取って、綾はためいきをつく帝に助けを求める視線を向ける。だがやはり綾は、助けを求める人間を、ことごとく間違えているとしかいいようがない。二人のやりとりとただ頷いて眺めていた帝は、綾の視線に柔らかく微笑んだあと、二人に向かって非難がましげな声で言う。
「っつか、一人で脱走しようとするからそういう事になるんだろ? 放課後になったら三人でって言っといたじゃねーかよ。馬鹿ゆず。抜け駆けすんな」
「だって、待ちきれなかったんだもん。ごめんってばー」
「さー、部活行こうかしら私ー」
 付き合ってられません、むしろ関わりあいたくありません、という表情で立ち上がった綾の服を掴んで引っ張って、春希はやんわりと笑った。今日は陸上部の練習は、大会出場者のみでやるから行かなくて良いんじゃなかったでしたっけ、と呟いて。問いかけの形を一応は取っているものの、断定の響きに、綾は諦めて腕を振り払い、椅子に座りなおす。
 無駄に頭がよくて無駄にもの覚えがいいこの三人から、逃げようとすること自体が間違っていたのかも知れない、と思いながら。早く家に帰りたいわー、と遠い目をして現実逃避しかかっている綾に、何事もなかったかのような表情で柚季がそれでね、と問いかけてくる。
「綾は、薔薇の花束って好き?」
「……可もなく不可もなく。どっちかって言うと、貰って困るものだと思うわ。なんで?」
「だよね。困るよね。私も困ったもん」
 ほらねーっ、と謎の同意を春希に持ちかける柚季の言葉は、やはりどうしてもそのまま流せないものだった。気になって気になって、聞かなければどうにもならない程度には。脱力して机に突っ伏しながら、綾は視線も向けずに口を開いた。
「私、も?」
「え? あ、うん。貰ったことあるの。で、困ったから、綾も困るかなぁ……と」
 さらにいつ、どこで、だれに貰ったのかを問うだけの気力は、綾には残されていなかった。貰った事実だけでも聞かなければよかった感満載で、綾は深くためいきをつく。なんとなく普通の育ちはしていない気はしている相手だが、ここまでだとはあまり思わなかった。これが大学生、譲歩しても高校生の発言であるのなら、まだ受け入れられないこともないのだが。
 綾と柚季は、まだ中学三年生である。年齢にして、十四歳だ。そろそろ一つ年を重ねるにしても、十代も後半にさえなっていない少女である。それに、薔薇の花束を渡すような環境。あまり想像さえしたくない。友情抹消したいー、と呻く綾の発言を完全に受け流し、柚季がにこっと笑いかける。
「じゃあさ、綾は白が好きだよね?」
「……ええ、好きだけど?」
「ババロア好き?」
 話の流れが全くつかめない。薔薇からババロア。共通点は、はじめの一文字が『ば』という所くらいだろうか。それ以外に繋がりはなにもない。返事を返せないまま、綾はすこし考えてみた。薔薇。薔薇属の観賞用植物の総称で、花の王とされる。品種は大体二百におよぶとされ、青薔薇の花言葉は、不可能。
 ババロア。牛乳、砂糖、卵黄、生クリーム、ゼラチンを混ぜ合わせ、型に流し込んで固めた生菓子。フランス菓子の一種。やはり、いっそ面白いくらいに共通点がない。なくて当たり前なのだが。沈黙を続ける綾に、柚季が何故か輝く瞳で問いかけてくる。やけに楽しく弾む声で。
「ね、好き? 好き?」
「甘いものは嫌いよ。ねえ……なんで薔薇から、ババロア?」
「え、じゃあケーキとかも駄目だったりするの? 綾、人生の九割損してるっ! 根腐れしちゃったサボテンみたいっ!」
 サボテンってすぐ根腐れするんだよね、という柚季の言葉に、脈絡や筋道といったものは存在しないらしい。どうしてそこに繋がっていくのか、綾には理解不可能だった。だが帝や春希は、さすがに長い付き合いなのか察しているらしく、頷きを返したりしている。綾は、真剣に学校の生徒会役員に不安を覚えた。
 いいのだろうか、こんな変人三人が核をになう生徒会で。ためいきをついてぼぅっとする綾に、今度は春希が尋ねかける。
「綾さん、セーターって着ます?」
「ちくちくするから嫌い。……ねえ、なんで?」
「じゃあ、マフラーも駄目ですね。ちくちくしますものね」
 とすると、手袋も同じ理由で駄目でしょうね、と呟いて春希はためいきをついた。柚季もそうなのだが、春希もそれだけで、綾の問いかけに答えてはいない。普段なら怒って追求するのだが、今日はその元気もなく、綾はぐったりと机に突っ伏していた。どうしてこんなに疲れてまで一緒にいるのだろう、と思うが、答えは気恥ずかしい気がするので出せてはいない。
 ただこんな会話でも、自分の問いに答えてはくれなくとも、三人の放つ空気は、どこかごく自然に綾を包み込むもので。それが酷く心地よかった。守られるのは大嫌いなのに。眠るようにゆるっと目を閉じた綾に、しかし睡眠は許されない。考え込みながらの、帝の声が響く。
「綾」
「……ん?」
「ちくちくが嫌いなだけか? 赤くなったり、つけるの自体が嫌だったりはしないわけ?」
 どこか期待をこめた帝の問いかけに、綾はほんのわずか眉を吊り上げた。
「ちくちくするから、赤くもなるし、つけるのも嫌いなんだけど?」
「うわ微妙……。あー、じゃあさ、ちょっとこれつけてみ?」
 言って帝が差し出したのは、綾好みの真っ白な手袋にマフラーだった。そろそろ寒くなってきたとはいえ、まだそれらを使うには微妙に早い時期である。不思議そうに見返す綾にそれらを無造作に投げつけて、帝は目線でつけろ、と言って来る。見れば、二人もわくわくした表情で成り行きを見守っていた。どうやら、拒否権はあってもないに等しいものらしい。
 苦笑しながらも嫌な気持ちは感じず、綾は手袋をはめ、マフラーを首に巻いてみる。ふんわりとした暖かさが包み込んだ。ちくちくした感触はなく、赤くもならないようで。思わず目を瞬かせる綾に、帝は本当に嬉しそうに笑った。
「毛糸が駄目なだけみたいだな、それ、フリースだから」
「んー……そうみたい。なにこれ、帝の?」
「ああ、こないだ買った」
 ニヤっと笑いながらいう帝に、なんとなく嫌な予感を感じながら、綾は手袋とマフラーを外してそれらを投げ返した。訳の分からない質疑応答への抗議の意味合いも含めての行動だったのだが、帝はなんなくそれを受け取り、笑いながらそれを机の上に置いてしまう。当たれよっ、と短く呟いた綾に肩をすくめて、帝はじゃあこれで決まりで、と柚季と春希に言い放つ。
 二人は、どこか安堵した表情で頷いた。全く流れが読めずに、綾の眉が思い切りひそめられる。
「ね、なんなの?」
「ないしょっ! あ、綾、今日私お買い物行くから、一緒に帰れない。ごめんね。代わりに、帝か春希か、どっちか好きなの選んで?」
「正直に両方選びたくないんだけど」
 半眼での即答に、柚季はじゃあ帝ねー、と勝手に決めて帰り支度をし始める。今日は生徒会にも出ないらしい。そのまま柚季はごく自然に春希と手を繋いで、教室を出て行ってしまった。また明日ねー、という明るい声が空虚に響く。いつの間にか、教室には綾と帝以外の姿がなくなっていた。
 はぁ、と大きなためいきを響かせ、綾は恨めしげな視線を帝に向ける。
「本当に、なんなのよ」
「さて?」
 意地悪く笑いながら、帝がなんだと思う、と尋ねてくる。どうせ答えてくれないんでしょ、と呆れながら呟いて立ち上がり、綾は鞄を持って教室の出口へと向かった。帝はその背を見つめている。教室の扉に手を着いて、綾が不満そうに振り向いた。
「帰るんでしょ?」
「……一緒でいいのか?」
「送りなさいよ。私を守ると、言うのなら」
 挑発的な言葉に、帝が鞄を持って立ち上がる。望むところだ、と小さな響きは、綾の笑みを濃くして消えた。



06


 どうして昨日に限ってソファで寝ることを明も、ゆのかも許してくれなかったのか。その答えを綾が知ることになるのは、翌朝起きてすぐのことだった。下着の上下にシャツだけといういつもの姿で居間の扉を開けた綾は、その時点でいる筈のない人物と目があって硬直する。気が強そうに、ややつりあがった目がどことなく自分に似ている。
 男にしてはやや長めに伸ばした、不ぞろいの毛先は、一番長い所で肩口につくかつかないかだ。唇は、綺麗な半月を描いて楽しげに笑いをこらえている。右耳の琥珀のピアスがやけに印象的な、それは少年。名前は、帝。寝起きの低血圧な頭でそこまでを認識して、綾はぎょっと目を見開いた。
「……帝?」
「おはよ」
 ひらっと片手をあげて挨拶してくる帝に、綾はとっさに反応出来ずに立ち尽くす。なにが起きているのか、よく分からない。呆然としたままで帝の姿を見ていると、制服ではないことに気がついた。平日の朝なのにも関わらず、だ。ぎこちなく首を傾げてみてみれば、時計の針は七時ジャストを示している。つまり、綾が寝坊したわけではないらしい。
 続けて視線をずらし、カレンダーを見る。日付を確認すると、曜日は木曜で、祝日でもなんでもない。まごうことなき平日である。深呼吸をして、綾は口を開いた。
「な……なに、してるの?」
「さぁ、なんだろうな。……ところで、綾」
「なによ」
 いつもの笑顔ではぐらかす帝に、自然に綾の声がむっとしたものになる。それに何故か笑いをこらえながら、帝はソファに座ったままで自分の足にひじをつき、手を組んであごを乗せると余裕を感じさせる態度で言った。
「お前、いつもそんな格好で寝てんの?」
「どん……」
 な、とまで綾は発音出来なかった。寝ぼけ頭が、完全に覚醒する。声にならない悲鳴を上げて自分の部屋にかけ戻り、まれに見る速さで制服を着て戻ってきた綾は、そのままの勢いで帝に蹴りを放ちながら叫んだ。
「見るなエロっ!」
「あんな格好で出てきたお前が悪いんであって俺には一点の非もねぇっ! エロいうなっ!」
「うるさい黙ればかばかばかーっ!」
 紙一重で綾の蹴りを交わしながら反論してくる帝に、綾は顔を真っ赤にしながら猛抗議で攻撃を止めない。客観的にみて悪いのは完全に綾なのだが、帝は怒らずに、ただ呆れた笑みを浮かべながら気が済むまでそれに付き合ってやる。綾が息切れを起こし、悔しげにソファに倒れこんだのは、第一撃が放たれてから五分後のことだった。
 白のお気に入りクッションを力いっぱい抱きしめながら睨んでくる綾に、帝は発作的な笑いを上げている。なにかがツボにはまったらしい。クッションを投げられるのには素直に当たって、帝はそれを奪いながら大きく息を吸い込む。綾は、不満そうな顔でクッションに手を伸ばした。
「で、なにしてるのよー。返しなさいよー」
「あー、これ抱き心地いいなー。前に出かけた時買ったやつだろ?」
「そうよ。私の。わーたーしーの。かえせーっ!」
 帝の腕のなかにすっぽりおさまっているクッションを、綾の両手ががしっとばかりに掴む。それを帝は面白そうに眺めただけで、腕の力を緩めようともしなければ、返してやる気もないらしい。欲しかったら奪い取ってみろよ、とその顔には書いてある。綾の表情に、うっすらと怒りが浮かんだ。掴んだ手で、クッションをぎゅーっと引っ張る。抜けない。
「……かえしなさいよっ!」
「ヤだ。欲しかったら取ってみろよ。ほらほら」
 見せびらかすように、帝はさらにクッションをぎゅっと抱きしめる。表情は、いかにも楽しげにニヤついていた。切れる寸前まで怒りながら、綾は無言でさらにクッションを引っ張った。帝の腕の力が強まる。抜けない。引っ張る。強まる。抜けない。綾の意識の片隅で、ぶちっと音がした。
「帝ーっ!」
「やーい」
「なに子供のようなことやってんですか、貴方は」
 唐突にごすっと妙な音がして、帝の首が軽くありえない方向に曲がった。慌てず騒がずクッションを奪い返し、ぎゅっと幸せそうに抱きしめてから、綾は顔を上げ、帝の頭を後ろから蹴り飛ばした人物に笑いかける。
「ありがと春希。おはよう。そして、なにしてるの?」
「おはようございます、綾さん。いい朝ですね」
「質問に答えろ?」
 うふふ、あはは、と笑顔の煌く無言の戦いが始まる。見れば、春希も帝同様に制服ではなく、私服だった。綾の眉がつりあがる。
「ねえ、今日、学校じゃないの?」
「ああ、言いませんでしたか? 帝と柚季と私と、そして綾さんは、今日は自主休日なんですよ」
「嘘っ!」
 訳わからないからーっ、と叫び声をあげた綾の耳に、キュキュっとマジックが快調になにかを描く音が聞こえる。音源を見ると、やはり私服の柚季が、うきうきとカレンダーに向かい、赤のマジックで日付を塗りつぶし、休日を無理矢理作り上げている所だった。眩暈に、綾は早くも夢の世界に突入しそうになる。が、一つの疑問が、幸か不幸か綾の意識をこちら側に繋ぎとめた。
「明さんと、ゆのかさんは?」
「呼んだ? あら、綾ちゃん、おはよう。どうしたの? そんなにぐったりして」
「えーっと、聞きたいことはたくさんあるんですけれど。まず、なんであまりにナチュラルに、この三人が家の中にいるのか聞いても?」
 現れたゆのかは、それを聞いてただ嬉しそうに笑った。
「呼んだからよ? それより綾ちゃん、着替えてきなさいな。今日はお休みなんだもの。制服でいなくたっていいじゃない」
「ゆのかさーん、学校に休みの連絡入れてきたー。あ、綾ちゃん、おはよう」
「休み決定っ? 本人の意思を無視して休み決定!」
 なにがどうしてそうなってるのよーっ、と叫ぶ綾に、明とゆのかは笑ったままで、教えてくれるつもりはないらしい。自分で考えてごらん、と明の表情が言っている。それをむっとして軽く睨みつけてから、綾は真剣に悩み出した。だが、混乱具合が一向におさまらず、どうしても集中できない。うあーっ、と呻く綾に、帝からはためいきが漏れた。
「綾」
「なによっ」
「お前、馬鹿だろ」
 噛み付くような言葉にもさらりとそう返して、帝は無造作になにかを綾に向かって投げてよこした。咄嗟に目を閉じるようにしながら受け取った綾の、腕の中にあるのはカラフルなチェックの包装紙。なにか柔らかな、軽いものを包み込んだ紙だった。目を瞬かせる綾に、帝は呆れた表情でカレンダーを指差す。
「自分の誕生日くらい、覚えとけ」
 指先の指し示すものに吸い寄せられるように、綾は日付を確認する。十月二十六日、木曜日。生まれて十五回目の、綾の誕生日。あ、とやっと気がついた呟きが漏れる。クスクスと好意的な忍び笑いが響いた。
「だからね、お祝いしようと思って、用意してたんだ。僕とゆのかさんと綾ちゃん、三人で祝おうと思ってたら、なんか帝君たちもやりたいって言うから。お祝いは多いほうが楽しいでしょう?」
「お誕生日おめでとう、綾ちゃん」
 微笑しながらいうゆのかの隣をすり抜けて、柚季が跳ねるように歩いてくる。そして、ずいっと綾に小さな箱を差し出した。
「おめでと、綾っ! 愛を込めてっ!」
「……え、っと?」
「うん、バスオイルっ! ミントの香りにしてみましたっ!」
 綾は甘いのよりこっちのが好きかなぁ、と思ってと笑う柚季に、綾はそうじゃないんだけどなぁ、とあいまいに笑いながらも箱を受け取る。中身を聞いたのではない。ただ、どうして柚季がそんなものをくれるのかが分からなくて。誕生日という実感はあるが、綾はその日にものを送られて祝われるという習慣に、純粋に慣れていないのだ。
 戸惑う綾に、春希がなにもかもを見通したような笑みで、クスクスと笑いながら紙袋を押し付ける。
「はい、どうぞ。気に入るか、分かりませんが」
「……なに?」
「猫の写真集です」
 聞いた瞬間、綾の表情が喜びに輝いた。
「猫っ! 猫猫猫っ、ねこっ?」
「子猫もいました」
「子猫ーっ!」
 ありがと春希ーっ、とはしゃぐ綾に、春希は微笑ましそうな表情でどういたしまして、と呟いた。
「あとでじっくり見てくださいね。とりあえず、着替えてきてください」
「うんっ! ……っと、帝は?」
 着替えようと居間を出て行きかけた所で、帝だけ聞いていない事に気がついた綾は、立ち止まって問いかける。帝はなぜか、若干不機嫌な顔をして呟いた。
「開ければ?」
「あ、うん。それもそうね」
 とりあえず、と呟きながら柚季のバスオイルと春希の猫写真集を手近な棚の上に置き、綾は帝から受け取ったチェックの包みを手に取った。リボンを解き、セロハンテープをはがして開いていく。最初に見えたのは、柔らかな白。綾の動きが止まる。帝が、クスっと笑った。
「俺とおそろいになっちゃったけど、いいよな? お前、白好きだし」
 出てきたのはフリース地の手袋とマフラー。先日、教室で綾が帝から見せられたそれと、同じもの。綾はそれらに視線を縫い止められたように動けない。明とゆのかが、クスクスと笑った。
「よかったね、綾ちゃん」
「あっ」
 言葉に弾かれたように、綾の顔が上がる。真っ赤に染まった顔を隠すようにマフラーと手袋を押し当てながら、綾は帝の方を向き、小さな声で言った。
「あり、がと……嬉しいわ」
「どういたしまして」
 相変わらず余裕たっぷりの、それでいて嬉しげにやや弾んだ帝の声。安堵したような、優しい笑顔。それをどうしても直視できなくていきなり走り出し、綾は部屋に逃げ込むようにして扉を閉めた。

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