夢を見ているのだ、と、ロゼアは思った。
曇天と地を繋ぐ縄のように砂塵が幾本もの縦長の渦を巻き、吹き荒れる風にその身をよじらせている。それらによって褐色の地表から削りだされたこぶし大の礫が絶えず跳ね躍り、その狭間を縫うような細い稲妻の光が断続的に閃いていた。大地に走る蜘蛛の巣状のひびからは、痩せ衰えた灌木があたかも木乃伊の手の如き様相で突き出ている。
そんな只中に立つ、ロゼアの身の周りは、凪いでいた。
地を跳躍した小石はロゼアをすり抜けて遥か後方に転がっていく。傍若無人に暴れている風は、身に着けている衣服も、なにも、髪をひと筋すら、乱さない。
――ここは、どこだ?
銀に閉ざされた白雪の国でも、黄金(きん)の海に埋まる砂漠の国でもない。かといって緑に満ちた楽音の国でも、ましてやわらかな色彩踊る花舞の国であろうはずもない。
ざっ、ざっ、ざ。
立ち尽くすロゼアの背後から遠く足音が聞こえた。嵐の音にも負けじ響くそれは徐々に距離を詰め、最後にはロゼアと重なった――刹那だけ。
ロゼアから溶けだした女が、砂利を踏みしめて前方を行く。背に落ちる長い髪は風に巻き上げられている。彼女は立ち止って空を仰ぎ、腰に刺していたひと振りの剣を地に突き立てた。柄尻にアメジストの鈍く光る短剣だった。
彼女は跪いて項垂れた。祈っているのだ、と思った。けれど違った。彼女が朗として言葉を天にささげると、彼女を中心として花弁が開いていくように魔力が波打っていく。結界。そう改めて認識したロゼアの耳に、今度は人の喧騒が届いた。やがてロゼアの目は天に剣を振り上げ、血走った目で駆けてくる群衆を捉えた。何千何万という軍靴と馬蹄の音が混じり合う中、獣めいた咆哮が地響きのように轟きながら押し寄せる。
人の群れは女の結界に触れ、瞬く間に薙ぎ払われた。
血の雨が降った。
女は祈り続ける。
結界が綻び、間隙をすり抜けて矢が女の腕や肩を傷つけ、最後にその背を穿っても。
ずっと。
命が終えるとき、女はひび割れた唇を震わせて、最後の呪を紡いだ。光と熱を爆裂させ、そこにいるすべての者たちを肉塊へと返した禍々しい結果に反して、呪は敬虔な祈りにも似た尊く清らかな響きをしていた。
世界が雷鳴と暴風だけが全ての、ある種の平穏を取り戻す。
瞳孔の開いたまなこから零れる涙で頬を濡らし、薄笑いを浮かべたまま絶命した女の躯を、ロゼアが見下ろしてどれほどの時が経っただろう。
『XXXXXX!!!』
女が最初に現れた方向から駆けてきた男がロゼアの傍らに膝を突いた。彼は手にしていた本を放り投げた。純白の装丁が血だまりから遠く離れた場所に背から落ちる。ばらばらとめくれていくページにロゼアが気を取られている間に男は女の上半身を抱き上げていた。その手が女の瞼をおろして、髪を丁寧に撫でつける。女は安らいだ顔になった。物言わぬ女の口元に浮かぶものは、敵を殲滅して悦に入った者の浮かべるうすら寒い笑みではなく、男の胸に抱かれて幸福にはにかむ少女の微笑に見えた。
男は女の髪を撫で、瞼に口づけ、頬を摺り寄せた。そして泣いた。大粒の滴で顔を汚したまま女の頭を抱きかかえて肩を震わせ続けた。男が女を繰り返し呼ぶ。魔力を込めて呼ぶ。けれど世界は応えない。退場したものの命は蘇らない。
雷が止んで、風が凪いだ。
地平の遥か彼方、厚い雲の切れ目から、薄紫の曙光が荒野を射し染める。目を焼く光にロゼアは目を細めた。狭まった視界の端では、地に突立てられたままの短剣が、あわく、光を放ち。
ロゼアは、礼拝堂にいた。
見覚えのある場所だ。楽音の国の国境近く。街道を逸れた場所にひっそりとあった、あの礼拝堂だった。
正面には一幅の絵画。動物に囲まれながら妖精を肩に乗せて、胸の前で手を組み合わせた女の絵だ。そこから引き出される嫌な記憶に後ずさったロゼアはふと視界の下方にあのときにはなかった存在を見出した。壁画前の祭壇にひと振りの短剣が突き立っていた。
天窓から射す光線を縒り集め、柄尻のアメジストが朧に輝く。
『ほしい』
と、剣が哭いた。その刀身が声帯のように戦慄いていた。剣の回りでは、こぶし大の光球がしゃぼん玉のように浮かび、弾けることを繰り返している。球体はくるくる、くるくる、回っている。その表面には虹が渦を巻いていて――だがよく目を凝らせばそれは虹などではなく、映像なのだとわかった。竜巻がうねりながら天地を繋ぐどこか。現れる女。展開される結界。押し寄せる軍隊。かれらは女の祈りに応えた世界によって抹殺される。その引き換えに、女も血の海の縁に沈む。男が現れ、本を放り出し、女を抱いて、慟哭し。
夜明けが訪れる。
夢を見ているのだ、と、ロゼアは思った。
この短剣は、夢を見ているのだ――……。
『ほしい』
「何が欲しいんだ?」
ロゼアは剣に尋ねた。剣は息を呑んだように黙したものの、一拍を置くと静かに語り始めた。
『わたしはひとり分の未来しか守れなかった。守ったとすら言い難いのかもしれない。わたしはつがいの幸いの使いとしてこの世に打ち出された。わたしはわたしの使命を全うできなかった。以来、わたしはここにいる』
剣の声には男女の別なく、音叉の響きのようでありながら、甲高さを一切感じない。穏やかで、耳に心地よく、けれど泣いているのだとわかる声だった。
『ほしい。力が。ほしい。機会が。ほしい。そして今度こそ……』
まもってみせるから。
「じゃぁ」
ロゼアは剣の前に片膝を突いて囁いた。
「俺と行こうか」
剣は沈黙している。
ただロゼアが触れたその柄は、今まで手にしてきたどんな獲物よりも、しっくりとてのひらに馴染んだ。
あたかも剣がロゼアの手を握り返したかのようだった。
*
「ロゼアちゃん」
はっとロゼアは我に返った。
隣にちょこんと腰掛ける少女が、ロゼアの顔色を窺っている。彼女は困惑とも怯えとも取れる表情を浮かべていた。
「ロゼアちゃん……まだ、怒ってる、ですか?」
「いや……」
ロゼアは膝の上に置いた短剣の柄を無意識に握りしめていた手から力を抜いた。ソキから、そしてテーブルを挟んで対面の席に腰掛けるナリアンとメーシャから、緊張が消える。
ロゼアは苦笑して首を振った。
「別に怒ってないよ」
今は、と胸中で付け加える。確かについ先ほどまで自分は怒っていた。ソキの担当教官に。
隣のソキはいぶかしげに眉間を寄せ続ける。
それぞれの実技を見る担当教官との顔合わせやその他もろもろが一段落し、ロゼアたちは談話室の一角を占めて互いが手に入れた武器を見せ合っていた。二人掛けのソファは毒のように転寝を誘うふかふか加減だ。どうやら自分はナリアンの話を聞くうちに、うっかり、意識を飛ばしていたらしい。
「ごめんナリアン、話の途中だったのに」
ナリアンはゆっくりと首を振った。
『つかれたよね。しかたがないよ』
大丈夫、と彼は微笑む。年は四人の中で最年長らしく、態度は大人の余裕か鷹揚だった。病的なまでに線が細く、疲労の色が一番濃いのは彼なのだけれど。
「ナリアンが一番疲れてそうだけど」
『……うん……』
ロゼアの指摘をナリアンは否定せず、視線を明後日の方向へ投げかける。
『教官のひとは……いいけど……いや、いいのかな……』
あのロリエス先生ってとてつもなくなんというかなんであんなに眠たそうで眠たそうでいやそれだけならいいんだけど、どうしようこのままいくともしかして実技のときまで寮長付いて来たりするんだろうか、あんなに先生にねちっこく愛を接着させている寮長だもの、というような、やだやだ感いっぱいの目をしている。
「ロゼアも教官のひとと前から知り合いだったんだな」
倦怠感ただよいはじめた雰囲気を察してか、メーシャが明るく言った。ロゼアは頷く。
「こっちにくる旅の途中で世話になった人なんだ」
ロゼアは目を細めて回想した。数時間前この談話室で担当教官と顔を合わせたときのことを。
*
ナリアンの担当教官が退室する頃合いを見計らって、談話室の隅で腕を組んで待機していた誰かが、凭せ掛けていた背をすっと壁から離した。視界の端で影が揺らめき、柔らかな声がロゼアを呼ぶ。
「ロゼア」
ロゼアは息を詰めて面を上げ、ローブの裾を翻しながら歩み寄ってくる人物を驚きの目で以て迎えた。
「チェチェ……リア、さん?」
楽音の国の王宮魔術師。ロゼアが案内妖精のシディに付き添われて学園に向かう途中に世話になった魔術師だった。
比較的ゆったりとした身頃の法衣の上からでも充分に見て取れる均整のとれた身体つきとその上に載るうつくしい貌。薄く紅を引いた唇は慈母を思わせる笑みに彩られている。彼女は眼前で立ち止まり、ロゼアの肩を軽く叩いた。
「入学おめでとう、ロゼア」
「え、あっ、え、チェチェリアさんは、どうして?」
思いがけず早い再会に狼狽しながらロゼアは尋ねた。が、そのあとで内心舌打ちする。あのロリエスと呼ばれる女性がナリアンに告げたことを省みれば、おのずと答えはわかるではないか。
チェチェリアは――……。
「うん。……どうやらお前の教師らしいな」
担当教官だ、と、彼女は言う。座学とは別に、ロゼアの為だけに付けられた、実技の教官。
「でもチェチェリアさん……元々の仕事は?」
「うん? 王宮の仕事のことか? そっちもするよ。担当教官なんていうのはほとんど兼任だよ。突然、白羽の矢が立つからな。お前のことを見るときだけ、扉を使ってこっちに来るんだ」
学園には入学式を執り行った礼拝堂やついいましがた訪ねたばかりの武器庫のほかに、各王宮に繋がる扉がある。担当教官に限ったことではなく学園に用事を持つ魔術師たちは、その扉を使って学園とを行き来するのだという。
「なるほど」
「思ったよりうんと元気そうで安心した。ソフィも喜ぶよ」
「ソフィは元気ですか?」
楽音の国の国境でロゼアの魔術暴走に居合わせた少女。ロゼアが学園への旅に戻った後は、奴隷売買の参考人としてチェチェリアと共に王宮へ行くのだと言っていた。
「うん、元気だよ。しばらく私が身柄を預かっているから、何かあるなら伝える」
「わかりまし、た……?」
ロゼアはチェチェリアに答えながら、ぐい、と引っ張られた袖口に視線を落とした。ロゼアの背後に身体半分を隠したソキが、探る様に上背のあるチェチェリアを見上げている。
「前から、お知り合い、だった、です……?」
「ソキ」
彼女の毛を逆立てる猫のような有様に、ロゼアは苦笑した。
「こっちに来る途中に世話になったんだ。チェチェリアさん……先生、だよ」
紹介したのに、ソキはなかなか前に進み出て挨拶しようとしない。ロゼアの袖口を握るまるこい小さな手には力が籠っている。
ロゼアが怪訝さから眉を上げると同時に、チェチェリアがふいに腰を落としてソキと目を合わせた。
「君がソキか」
チェチェリアがソキに微笑みかける。
「リトリアたちから話は聞いているよ。初めまして。私はチェチェリア。楽音の国の王宮魔術師をしている。会えてうれしいよ、ソキ」
チェチェリアはやや強引にソキに握手を求めると、その腕を手繰り寄せるように彼女の身体を軽く引きよせ、その耳元に何かしがを囁いた。
ソキがぱちぱちっと瞬きし、チェチェリアを見る。チェチェリアは人差し指をしいっと唇に押し当てながら立ち上がり、ロゼアに微笑んだ。
「なにはともあれ、そんなわけだからな。よろしく」
「よろしくお願いします。……ソキに何を言ったんですか?」
「内緒だよ」
彼女はそう言って含みのある笑いを零した。父に内緒で悪巧みする母に似た笑みだった。
*
紹介された担当教官たちはロゼアたちとは離れた隅で話し込んでいる。
「遠くから見てるだけでどきどきするね。ものすごく綺麗なひとだなぁ」
教官たちの輪の中に見え隠れするチェチェリアをちらちらと盗み見ながらメーシャが囁いた。
「はい。すごく、綺麗ですね」
あと、やさしそうです、とソキが頬を紅潮させて主張する。二人がきれいきれいと人を褒めると嫌味にしかならない気がするのだが。内心突っ込みつつ、ロゼアはおや、と眉を上げた。引き合わされた当初こそ人見知りの気を発揮していたが、どうやらソキはロゼアの担当教官を気に入ったらしい。
チェチェリアを評価しながらきゃっきゃと笑い合うソキとメーシャに思わず口元がほころび、ロゼアはテーブルの上に置かれたカップに手を伸ばした。中の紅茶はすっかり冷めてしまっていたけれども、眠気覚ましにはちょうどいい。
ふと、ナリアンと目が合う。その双眸は水に沈めた紫水晶と同じように澄んでいる。彼はじっとロゼアを見つめたあと、慌てたように目を伏せ、そして躊躇いがちに口を開いた。
『ソキちゃんの……せんせいも、きれいな人だったね』
話題に触れていいのか悪いのか、迷った様子をみせながら、ナリアンがおずおずと問いを差し出す。
ロゼアは笑って頷いた。
「ウィッシュさ……先生は、ソキと同じだから。……だったから」
『同じ?』
「花婿、だったんだ」
ソキと同じ“宝石”の。
ナリアンは不思議そうに瞬いて首を捻っている。
そういえば彼の言う花嫁花婿と、自分たちが普段使いする単語の意味は、異なっているのだということを思い出した。
「砂漠の国には、とびきり綺麗な子を養育する家があるんだ。育てられた子たちは、成人すると他国の高貴な家や大富豪のところに嫁いでいく。それを、砂漠の国の“花嫁”あるいは“花婿”っていう」
ロゼアがそこまで話したところで、ナリアンの顔色が少しだけ変わった。彼の隣で耳を傾けていたらしいメーシャが、へぇ、と相槌を打つ。
「そこの家の子が、ソキや、ウィッシュ先生なのか?」
「そう」
「なるほど、通りでソキがこんなにきれいでかわいいわけだよ!」
そんな特別な家のお姫さまなわけかぁ、とメーシャは納得した様子でソキを褒めた。
「ウィッシュ先生は何年も前にお婿に行ってて、すごく久しぶりに会ったんだ。びっくりした」
「あ、じゃあ、ソキの先生と会ったとき、ロゼアは怒ってたんじゃなくて、びっくりしてただけなんだ?」
メーシャはよかった、と笑った。
「つらいことでもあったのかなって、思ったんだ」
怒っている、ことが、どうして、つらいこと、につながるのかわからないが、とにかくメーシャはロゼアの身を案じてくれていたらしい。
「いや、怒ってた」
メーシャって、いい奴だなぁ。そう思いながらロゼアは苦笑いを浮かべた。
「……なんていうのかな。ウィッシュ先生、死んだことになってたから」
『……え?』
ナリアンとメーシャが声を揃えて訝しげに眉をひそめる。
どこから説明したものかなぁと、ロゼアは腕を組んで唸った。
「そうだな……。花嫁とか花婿には、傍付き、っていう、世話役が一人だけいるんだ。……たまに二人とかだったりするけど。俺はソキの傍付きで。ウィッシュ先生にもソキにとっての俺みたいな人がいたっていったらわかりやすいかな」
『あー……うん』
なぜナリアンとメーシャは二人で声を揃えて生温い目をするのか。ソキがえっ、えっ、という顔をしている。
とりあえずロゼアは話を進めることにした。
「……傍付きは嫁ぎ先には付いていけない。先生の傍付きの人……シフィアさんも、ある日突然、ウィッシュ先生が死んだとかって聞かされて、この目で死んだところを見るまで信じられません。どこのだれと結婚したのか、教えてくださいって当主に直談判に行って。でも駄目でさ。ずっと泣いてた」
――ロゼアくん、ロゼアくん、ウィッシュはね、死んだりなんて、してない。してない。死んでない。死んでなんかいないんだから。いないんだからぁ……。
自分よりもいくつも年長である彼女が背中を丸めて何日も何日も泣きじゃくる姿は身につまされた。
「どこの誰と結婚するか知らないの?」
メーシャが驚いたようにぱちぱちとしばたき、ロゼアは首肯した。
「傍付きは自分がずっと傍にいた主が誰のところに行くのかは知らないんだ」
そしてたとえその先で病や事故で命を落としたとしても本当は知らされない。だからこそウィッシュの訃報は余計に衝撃的だった。傍付きを含む使用人たちに隠せないほどに――ひどい死だったということを暗喩しているからだ。
『……たとえばソキちゃんがお嫁にいっても、ロゼアくんにはわからないってこと?』
「うん」
「ソキはもう誰のところにも、お嫁にいかないですよ」
ソキが主張してロゼアの腕にぎゅっと縋る。ロゼアは彼女のあたたかい日だまりを縒り紡いだような色の髪を丁寧に撫でてやった。
「とにかく……シフィアさんはそれからずっと気落ちしてて……」
あんなに闊達だったのに、豪快に笑うひとだったに。今は笑ったとしても日陰に咲く花のようにひっそりとしていた。何かの拍子に泣き出してしまいそうな気配を纏うようになってしまっていた。
忘れかけていた怒りが、また、ふつふつと気泡を上げる。
「それでも、まだ、生きてるに違いないって、だから私も死んだりなんてしない、とかって、がんばって、生きてるのに、あのっ……ウィッシュさまはっ!」
ロゼアが声を荒げたことでソキがびくっと身を震わせる。けれどどうにも止まらなかった。
「なんであのひと自分が生きてることシフィアさんに黙ってのほほーんと生きてるんだ知らせろよ! 俺はともかくシフィアさんだけには知らせとけよ! 事情があったら俺たちにも知らないフリするぐらいできるよシフィアさんは! どんだけあのひと、気落ちして泣いてたと思ってんだよあーあーあー!!」
腹立つ! と苛立ち紛れにロゼアは紅茶をぐびっと飲み干した。このままいくと拳をテーブルの天板に叩きつけてしまいそうだった。
「……っていうことで、怒ってた。ごめん」
なるほど、とナリアンが頷き、メーシャがいいよと笑って言う。
ソキだけが、首を捻ったままだった。
「……なんで、黙ってたら、ロゼアちゃん、怒るですか?」
ロゼアは思わずソキを見下ろした。彼女は本当にロゼアの怒りの意味を理解できていないらしい。あれ、俺、説明の仕方、何か間違えただろうか。ナリアンたちはわかってくれているみたいだけれど。
『えっとね、ソキちゃん……』
ナリアンが見かねたように声を掛けた。
『ロゼアくんが……たとえば、たとえば、だけど、ソキちゃんと一緒にいないときに、死んでしまいましたって、聞いたら……』
「やっ……やです!」
ソキがぶるりと身を震わせてロゼアにしがみついてくる。
「やです! ロゼアちゃんが死ぬなんて、やです!」
『うん。えと……』
「いいよ、ナリアン。話続けてくれて」
ソキの背をぽんぽんと軽く叩いてやりながらロゼアは笑った。ナリアンはソキとロゼアをしばらく見比べていたが、意を決したようにすうと息を吸い込んだ。
『あの、たとえばなし、だよ。……それで、ソキちゃんが、ずっと、ロゼアくんの、心配を、してるのに、ロゼアくんが実は生きていて、その、生きていることを、ソキちゃんに内緒にしてたら、どうして? って思わない? どうして、ソキちゃんに内緒にしてたんだろう。ずっと会いたいのに。なんでって』
「……思う、です」
『うん。ロゼアくんもね、おんなじだよ』
なんでって、思ったんだよ。
そこまで言い終えたところで、ナリアンは疲れたのか、ソファに深く沈んだ。
ソキが身を起こして、ロゼアをじっと見上げる。その顔には納得の色。
だが。
「……ロゼアちゃんは、なんでが、いっぱいに、なっちゃったんですね……」
返答の仕方は斜めにずれていた。
うん、まだちょっと理解してない気がするな、と、思ったのはおそらくロゼアだけではあるまい。
「ま、まぁ、とにかく、ウィッシュ先生が生きていてよかったな。よかったんだよな?」
メーシャが場を丸く収めようとしている。ロゼアは笑って頷いた。
「うん」
生きていてくれてよかったというのは、本当だった。
ウィッシュは宝石たちの中で最も親しかったから。
彼の死を聞いたとき、シフィアのことがなければ、ロゼアの方が泣きたかったのだ。
大切なひとは、傍にいないと、守れないんだ。
そう初めて痛感したのは、彼の死の報を通じてだった。
ソキのことも、これで、こうやって傍にいれば、きっと守れる。
そう思いかけてふと、ロゼアは短剣の存在を思い出した。
――……今度こそ守る、機会が欲しい。
この短剣はそう言って、ロゼアのものになった。
「武器を手に入れたときってさ」
話、戻すけど、と前置いて、短剣を天井の照明に軽く掲げて見せる。
「武器、話しかけてこなかったか?」
『……話しかけてきた』
ナリアンが答えてソファに立てかけてあった杖を引き寄せる。その隣でメーシャも同様に手の中の銃をぎゅっと握りしめて首を縦に振った。
メーシャが武器を手に入れたときの様子を潜めた声で話し始める。やはり武器を手に入れたときの状況は、それぞれで全く異なっているらしい。
ソキの武器は本だというが、彼女はどんな風にしてそれを。
視線を落としたところで、ロゼアは息を詰めていた。
ソキは武器庫で手に入れたという本を胸に強く抱いている。純白の――帆布の装丁。
それが褐色の地に落ちて開かれ、風に煽られて勢いよく捲られる。
ぱらぱらぱらぱら、染みひとつない白いページが。
夜明けの薄紫に染められていく。
「ロゼア」
呼びかけに応じてロゼアは意識をメーシャに向けた。
メーシャは好奇心に微笑んでいる。
「ロゼアの武器庫は、どんな様子だったんだ?」
武器に、何を言われた?
ロゼアは頷いて微笑み返し、ゆっくりと語り始めた。
「俺の武器は、夢を見ていたよ」
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