季節は初冬。学園のどこもかしこも寒風吹きすさび、屋外を移動する者たちは誰もが亀のように首をすくめて歩いている。
張り出された実技試験日程を報せる紙がはたはたと暖房の風に揺れる談話室に、燃え盛る暖炉の火を求めた生徒たちが集い、ある者はばねの効いたソファーに身を埋め、ある者は絨毯の上に足を崩して座り込み、持ち込んだ課題に向き合っていた。
ロゼアたち新入生四人組も例に漏れず、教官と顔を合わせたときに陣取っていた一角を定位置と決め込んで、初年度共通基礎の座学で出された課題に勤しんでいる――まぁ、四人も集まれば話が頻繁に脱線してしまうのは、致し方ないことである。
「パルウェさんは、ツフィアさんって、ご存知ですか?」
ロゼアの師、チェチェリアの同期生であるというパルウェは、学園の事務方として働いている。今日も忙しない様子で、カーテンの確認を行っていた。カーテンリールの破損が見つかったからだという。
「知ってるわよ? 驚いたなぁ、ロゼアくんから、ツフィアの話が出るなんて」
異常なし、と呟きながら書き込みをしたバインダーを閉じた彼女は、ロゼアたちの下へ歩み寄ってくる。そして手近な椅子をロゼアたちの側に引き寄せて腰を落とした。
「どうしてそういう話に?」
「あぁ、いや……パーティーのときの、話になったので」
パーティーが終了してからしばらく、お互いに忙しく、あの夜のことを四人でじっくり話せないでいた。
「あの夜は、たくさんの人に会ったから、誰がどこに所属しているひとだったかなって、みんなで確認していたんです」
メーシャが人好きの笑顔を浮かべて、ロゼアの言葉の後を引き取った。彼の隣でナリアンが同意に頷く。ソキはロゼアの身体にもたれ掛かる形で眠ってしまっていた。掛けてやったロゼアのローブごと身体を引きよせれば、彼女は赤子のように身を丸めて、ふふ、と口元を緩める。その穏やかな寝息を立てる背をゆっくり撫でながらロゼアは言った。
「シディ……お互いの、案内妖精のこととか。王宮魔術師の皆さんのこととか」
「ふうん。……パーティーでは、誰に会ったのかなぁ?」
それぞれの担当教官のことは除いて。
『まずは、王様たちと……俺はタルサさんに挨拶しました』
「あぁ、そうそう。今年の花舞の女王陛下の護衛は、タルサだったね。キアラたちはやっぱり三人組だったから、選ばれなかったのかしら……引き離しちゃかわいそうだものね」
パルウェは人差し指を唇に当てて、こてん、と首をかしげた。
ナリアンの担当教官、ロリエスの所属する花舞の国には有名な王宮魔術師たちがいるそうだ。キアラ、ジュノー、シンシア。有能だが基本は三人一組で動くらしい。ナリアンも顔見知りだという。
「星降はレディが護衛についてたねぇ」
パルウェの言葉に、ロゼアたちは頷いた。
星降の国からはメーシャの担当教官であるストルの他に、レディと呼ばれる魔術師が出席していた。本名はレィティシア。膨大な魔力を持つ、火属性の黒魔術師――魔法使い、だという。砂漠の国出身で、天体観測の後、魔力漏れを起こしたソキの様子を見に来た彼女と、ロゼアは顔を合わせている。パーティー中、ロゼアは彼女の顔を見かけはしたが、きちんとした挨拶をしそびれていた。
「それから、エノーラとキムル……ふふ、あのふたりは本当に相変わらずなんだから」
くすくすとパルウェが笑う。ロゼアは渋面になった。
エノーラは白雪の国の王宮魔術師。キムルは楽音の国の王宮魔術師で、ロゼアの師であるチェチェリアの夫でもある。ふたりとも、それぞれ王の護衛役としてパーティーに出席していた。
エノーラとキムルは同じ錬金術師――しかもきくところによれば、稀代の、という枕詞が両方に付く――で、対立する制作方針を持ち、チェチェリアを取り合った間柄らしい。ちなみに、エノーラは女性だが、ソキにいわせれば、女性が大好きな変態さんである。ソキは案内妖精との旅の途中に、初めてエノーラに会ったとき、まず下着の色を尋ねられたのだという。
キムルの属性はロゼアと同じ太陽ということもあり、パーティー中は属性について講じてくれもした。いまも質問ができると、チェチェリアを通じてやりとりをしている。
「でも、ツフィアはパーティーにいたかしら?」
パルウェの問いに、メーシャが否定に首を振った。
「俺、ツフィアさんって会ったことないんだよな」
『俺はロゼアと一緒に会ったことあるけど……パーティー中は見かけなかった。でも』
「ソキが、会ったらしくて」
ロゼアの囁きが無意識に聞こえているのかもしれない。ソキがぴくっと身体を震わせる。その肩を撫でると、ソキはむにゃむにゃと唇を動かして、ロゼアにいっそう身体を預けてきた。
天体観測――『流星の夜』のすこし前だ。チェチェリアから依頼を受け、ロゼアとナリアンは魔術師たちの商店街『なないろ小路』で小道具屋を営む老女、キュリーの手伝いをした。彼女の店で、夜色の髪に濃褐色の肌を持つ、女魔術師と会ったのだ。
彼女がツフィア。チェチェリアは、言葉魔術師だと言っていた。
ソキはパーティー中、そのツフィアと出会い、一種の恐慌状態に陥ってしまったのだと、目撃していたハリアスが説明した。彼女はソキやメーシャとも仲の良い上級生の少女である。
『わたしも、ツフィアさんについては、よく、知らないんです』
ハリアスはパーティーの後、ロゼアに言った。
『寮長ならご存知だと思うんですけれど……』
という彼女の返答により、ツフィアがどういった存在なのか、問いかけることを躊躇っていたのだ、が。
ロゼアたちの説明に、パルウェは、そう、と頷いた。
「んんっと、どこからお話しようかなぁ。……みんなはリトリアを知っているかしら?」
『知っています』
天体観測の夜、星降の国の城で『星降ろしの儀式』を終えて学園に戻る扉の前で、一瞬だけ見かけた。薄紫の髪と瞳をした少女だ。所属は楽音の国。ソキと同じ、予知魔術師だという。
「ストル先生がものすごい勢いで追いかけてた」
と、メーシャが言った。ストルは彼との会話を打ち切って、その場を逃げ出したとしか思えないリトリアを追走したのだ。何というか、猟犬のようだった。
「あぁ、そうそう。そうだったよな」
『びっくりしたよね、あの時』
「……ストルったら……そんなだったら、会いにいけばいいんじゃないかなぁ、もう」
おかしいったら、と、パルウェが笑いに肩を揺らす。
「……それで、ツフィアさんって?」
「あぁ、そうだったわね。……ツフィアはね、リトリアの保護者、の、片割れ」
『……保護者?』
三人で声を揃えて問いかけると、パルウェは大きく首肯してみせた。
「リトリアが学園に来たのは七歳ぐらいのときだったかしら。小さかったから、同じ階に住んでいた子に懐いたのね。そのリトリアに懐かれた子が、ツフィア。……ぶっきらぼうだし、独りを好む気質なんだけど、なんだかんだ言って、面倒見のいい子なの。ツフィア、口ではすごく突き放すのだけど、すごくリトリアを大事にしていてね。リトリアに何かあったらものすごく怒るのよ。ストルと一緒に」
「……ストル先生と?」
「そうなの。ストルはもう見るからにリトリアを溺愛してて……それが自分に懐いた子を妹分として慈しんでいたのか、将来の恋人として自分好みに育てようとしていたのかは、わかりませんけれど?」
パルウェの発言に、ロゼアたちは驚きに目を見開く。その反応を楽しむように笑って、冗談です、とパルウェは言った。
「とにかく、それぐらいに、ストルもリトリアをかわいがっていたってこと」
ほら、見て、とパルウェは唐突に談話室の壁の一角を示唆した。接着テープが黄ばんでいる古い貼り紙がある――“マジ切れさせるの駄目絶対”。
「リトリアに悪戯をした人たちは必ずといっていいほど、ツフィアとストルの二人に、ものすごく怒られて……。怒られるだけ、ならいいんだけど、二人は許可を貰って魔術制裁に出るから。何人も記憶が飛んだりしてたわぁ、懐かしい。それであの貼り紙」
メーシャが耳をふさいで、ないない、と彼の師の過去について聞かなかったふりをしている。うん、どこまでが真実かはわからないから、自分たちからツフィアたちについて尋ねておいてなんだが、話半分に聞いておくことがよいだろう。
「記憶、飛ぶんですか……?」
「ツフィアは言葉魔術師でしょ。ストルは占星術師でしょ。二人ともすごく腕のいい精神系の術者なの。……で、ふたりに付いた仇名が、“リトリアの絶対的保護者”。――さっきの片割れっていうのは、ストルがもうひとりの保護者っていう意味ね」
というのも、幼いリトリアが、ふたりについて、ツフィアはお母さんみたいな、ストルはお父さんみたいな存在、と宣ったからだそうな。
ツフィアとストルのふたりから制裁を受けた者たちは例外なく保護者の単語に震えあがり、ツフィア怖い、ストルにはついては何か思い出せないけどとにかく怒らせてはならない、と過剰反応するようになっているという。
「彼らが戦術を間違わなければ、魔法使いでも……レディやフィオーレでも敵わないのよ」
フィオーレは砂漠の国に所属する癒しの魔術の使い手――白魔術師だ。その魔力量は突出していて、レディと同じく、“魔法使い”の称号を得ている。白の、魔法使い。
同僚でメーシャの後見人でもあるラティと共に、フィオーレは王の護衛としてパーティーに姿を見せていた。
「メーシャ君は、いい人を先生に持ってるね。ストルについてちゃんと勉強すれば絶対大丈夫だよ」
「俺も、そう思います」
にこ、と笑ってメーシャはパルウェに返した。うん。彼は大人だ。
「……話を聞いていると、ツフィアさんっていい人そうだけど、どうしてソキは……」
その彼女に会ったときに、精神の均衡を崩してしまったのか。
「それは私にもわからないわ」
「ツフィアさんはどこに所属していらっしゃる魔術師なんですか?」
メーシャの問いに、パルウェは首を横に振る。
「さぁ、それもわからないわ」
え、とロゼアは怪訝さに瞬いた。
「ご存知ないんですか?」
「ツフィアはね、特別になってしまったの」
パルウェはそのとき初めて、自嘲らしき翳りをその瞳に宿した。
「……彼女自身が望まなければ、誰も彼女には会うことができない」
『……ストル先生や、リトリアさんでも?』
「そうよ、ナリアン君」
ふ、と微笑んだパルウェは、さぁて、といつもの明るい笑顔を湛えて立ち上がった。
「お話はおしまい。あ、あまりツフィアのことは尋ね回らないほうがいいと思うな。皆、困った顔すると思うから」
「こまったかお……」
『だったらパルウェさんはどうして、ツフィアさんのこと、お話してくださったんですか?』
「ん?」
椅子を元の位置に戻して立ち去りかけたパルウェが足を止めて、問いかけたナリアン、メーシャ、ロゼア、そしてソキと、四人にゆっくり視線を巡らせる。
彼女はわずかに目を伏せる。
長いまつ毛が、震えた。
まるで溜まった涙をまなじりから払い出すような瞬き方だった。
ややおいて、彼女は言った。
「君たちには、あの子のこと、誤解しないで欲しかったから、かな……」
『わすれないで。王たちが、判断したとき、この家は』
『わかっているわ。……わかっている』
『すこしでも、快適にしたつもりよ』
『知っている。……感謝しているわ』
鋼鉄の扉は閉じられる。
慰めにと用意された星の数ほどの書籍を前に佇む女をひとり部屋に取り残して。
「ねぇ、シーク」
廊下を歩きながら、パルウェは呟いた。
運命の数奇さから、ツフィアと同時代に生まれてしまった。
もうひとりの言葉魔術師。
「わたし、貴方を赦さないわよ?」
――わたしの友人たちの運命を捻じ曲げた、あなたを。
――わたしに、友人を拘束させた、お前を。
「決して、赦さないわ」
あの男が罪を犯した日から。
全ては始まり、今も、続いている。
新しい魔術師のたまごたちに、運命の鎖は絡みついている。