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 ソキの旅日記 五日目

 足元がおぼつかない。ふらり、傾いだ体を転ばないように支えてくれたのは、横合いから伸ばされた青年の腕だった。そう長い距離の移動ではないのに、もう、何度目だろう。
「……ごめんなさい」
「気にしないでいいよ。俺の魔力が馴染んでないのもあるだろうし」
 相性あるから、もしかして合わなかったかも、と苦笑する青年に、ソキはそんなことはない、と首を振って否定した。昨夜、青年から分け与えられた魔力は暖かく、砂漠に沈む夕日の光の色をしていた。舌に甘く、唇に苦いそれはともすれば毒のようで、それでいて飴のようで、体中にじわりと染み込み、枯渇しかけていたソキの魔力と混じり合い、瞬く間に回復させてくれたのだ。青年は己を黒魔術師だと言った。属性は、もしかすると、風なのかも知れない。同じものであるように、それはしっとりとソキに馴染んだ。
 馴染んだのに、妙な拒絶感がずっとある。それが、ソキをじりじりと苦しめていた。
『それにしたってさぁ』
 大丈夫です、と青年の腕を押しやって立ち直すソキの前に、天井近くから妖精が降りてくる。
『もう五日目なのよ? それも、普通なら一日で来れるくらいの距離なの! アンタ、期限があるの分かってんでしょうね!』
「はい。……夏至の日までに、ですよ」
『そう、夏至の日までに、よ!』
 こんなんじゃ絶対に無理だと言わんばかりの妖精の苛々とした声音に、ふと、青年が笑みを深める。年長者が幼子をそっと窘めるのにも似た笑みに、妖精は嫌そうな顔をした。
『……なによ』
「ん? じゃあ、言えばいいのに、って思って。いいよ、俺は別に。その日までソキを保護してても」
 柔らかく笑む青年の表情は優しげだったが、妖精はそこにぞっとするなにかを感じ取り、舌打ちをする。
『アンタ、どういうつもりなの』
「ソキの魔力が今俺のもので補充されてることくらい分かるだろうに、それでよく急かすようなことが言えるな、と思っただけ。……心配しなくても、入学予定者は必ず夏至の日までにはあの国の、あの場所まで辿りつくよ。そういうルールで、そういうシステムに、世界のどこかがもうなってる。途中で俺たちを使うか使わないかっていうのは、主に案内妖精の判断だけど、案内役として選ばれた矜持がもしあるのなら、もうすこし考えてもの言えば?」
 俺、そういうの、すごく嫌い。にっこり艶やかに笑われた表情に、妖精がぐっと押し黙り、僅かばかり距離をとる。ああ八つ当たりしちゃった、とばかり苦笑して、青年はまだ意識をはっきりと安定させることができないらしいソキの背を、ぽん、と一度だけ叩いた。
「手を繋いで、引いて行こうか?」
「……もうすこし、待ってくれれば、ソキはひとりで歩けますよ」
「分かった。じゃあ、ゆっくり行こうね。俺別に、朝は急がないし」
 言うなりその場にしゃがみこんで、青年はソキに手を貸すことなく、にこにこと笑って少女のことを見ている。懐かしいものを見るような、愛おしく思っているような、すこしだけ感傷的で穏やかなまなざし。ようやく息と意識を整えて、ソキはちらり、と青年を見た。
「もう大丈夫?」
 問われてこくり、とソキが頷くと、青年はすっと背を伸ばして立ち上がる。手が差し伸べられることはなかったが、歩きだした足取りは先程よりもずっとゆったりとしたリズムで、歩幅も少女のようにちいさかった。その背を追いながら、ソキは、あの、と声を出す。
「さっきの、どういう意味、ですか?」
「さっきの?」
 妖精は、そんな二人の傍に寄りたくないようで、先程よりもずっと高くを飛んでいた。
「必ず、辿りつくって、言ったです」
「……入学許可証が、なんでこの時期に届くか知ってる?」
 いいえ、とソキはいう。不意の眩暈にぐらりと傾いだ体を、青年の手がとん、と受け止め、また歩きだすことを促した。
「どんなに早くても、夏至の日の二ヶ月より前には許可証は届かない。それ以上早く出しても無意味なんだよ。三ヶ月前に出しても、四ヶ月前に出しても……半年、十ヶ月前に出しても、夏至の日から数日早いくらいにしか、魔術師の卵はその場所に辿りつけない。システムはよく分からない。何百年経っても未だに解析できない、なにかのルールがそれを縛っていて、星降の陛下にはそれを解呪できない。……入学許可証が届く程度がバラバラなのも、そのルールとシステムのせい」
 広い回廊に、二人分の足音だけが響いている。遠くからようやく、賑やかな喧騒がさわりと空気を揺らし始めた。あそこが食堂、と呟き、青年はソキを振り返らずに告げる。
「届いた以上、魔術師の卵は必ず学園に行かなければいけない。なるべくなら自力で。それが、いろんな理由があるけれど……それがルールだからで、それを侵すとペナルティがある。まあ、この場合のペナルティっていうのは、なにか予期せぬ、防げぬ不幸が降りかかってくるくらいの、軽いペナルティなんだけど。足の骨折れるとか、腕の骨折れるとか、肋骨折れるとか」
 なぜ骨を折る系統の話ばかりなのか、と思いつつ、ソキは前を歩く青年の面差しを眺めた。涼しげな首元にまで垂らされた耳飾りが、動きにしたがってシャラシャラと揺れている。
「でも、自力で辿りつく以外の方法も存在する。例えば、怪我や病気で移動が困難になった場合。例えば、入学の求めに背いて逃亡を図った場合。例えば、なんらかの事情で監禁されていたりする場合。その国の王宮魔術師が保護、あるいは捕縛に向かうのが決まりになってて、だいたいの場合は、そのコにつけられた案内妖精が判断して、王宮魔術師に連絡が飛ぶことになってる。で、王宮魔術師に保護された候補者は、裏ルートを使って学園まで直に行く訳。褒められた方法じゃないし、本当に緊急用としてのルートだから、頼りにされると困るから、案内妖精が進んでそれを口にすることはないけど」
 くすりと笑いながら、青年がソキを振り返る。あ、とソキは気がついた。耳飾りは右耳だけで、左耳にはなにもつけられていなかった。シャラリ、としなやかな音。
「ソキくらい危険度が高くて、体力がなくて、とか、そういう場合、王宮魔術師独自の判断で旅をストップさせることもできる。期日までここで過ごして、あとは送ってあげるよって話をしてただけだよ。そうする?」
「……ソキは、砂漠の国に、戻らないといけないですよ」
「残念」
 はじめから断られることを分かっていた気安さでくすくすと笑い、青年はさあおいで、とソキの背に触れ、体の前へ押し出した。
「はーい、注目ー! あと皆おはよー」
 広い広い空間に、机と椅子が整然と並べられている。二階まで吹き抜けの天井になっている食堂は、屋根にあたる部分の一部がぶ厚い硝子で作られているから、今日のように陽が射す天気であれば眩いほどに光が降り注いで来る。明るさに満ちた食堂の床は白い大理石で出来ていて、ゆらめく影の模様を与えられていた。ゆらゆらと、光と薄影が揺れている。不思議と、清浄な空気が漂う一室だった。いくつもある入口のひとつに立って挨拶をする青年に、どこからもざわざわと、挨拶が返ってくる。
 ひときわ大きな反応を返したのは、やはり、魔術師たちが固まって座っている一角だった。ぴゃあああああっ、と奇声をあげて立ち上がった女性はソキを見つめながら両腕を広げ、全身で喜びを表している。
「ほーら言ったでしょ、言ったでしょっ? ぜーったい兎ちゃんが部屋に泊めてる筈だから、今日の朝になったら会えるって!」
「兎ちゃんって呼ぶなって言ってるだろ! ばーかっ!」
「馬鹿じゃないですーぅ。あなたのわたしの正義の味方っ! エノーラちゃんですぅー! わー、こっちおいで、おいでよー。あ、ねえねえかわいい兎ちゃん。今日のパンツ何色?」
 早足にソキの傍から離れた青年は、ためらいなくエノーラの頭をこぶしで殴り倒した。そのまま騒がしく口喧嘩を始められてしまったので、ソキはうろうろと視線を彷徨わせ、立ちつくす。ふよふよとソキの目の高さまで降りてきた妖精が、吐き捨てるように言った。
『座れば?』
「リボンちゃん、ご機嫌斜めですね……?」
『いいから、さっさとご飯寄こしなさいよ。角・砂・糖!』
 ほらほら、とちいさな両手を差し出されて請求されてしまったので、ソキはえっと、と視線を上へ持ち上げた。すると、はいどうぞ、と一人の女性がソキの手に角砂糖をころりと投げ入れてくれる。ありがとうございますです、とお礼を言ってから、ソキはその角砂糖を妖精へと差し出した。妖精は不機嫌な様子で鼻を鳴らし、角砂糖を奪い取ると、また天井の高くまで飛びあがって行ってしまう。角砂糖をくれた女性が、くすくすと肩を震わせて笑った。
「気にしない、気にしない。……ね、お座りなさいな後輩さん。それで、お名前を教えてくれるかな?」
「ソキです」
 示された椅子にちょこりと座りながら告げたソキに、女性はそう、と言って頷いた。
「ソキちゃん、うちの兎ちゃんになにか変なことされたりは」
「してねーよ!」
「だって、なんかふらふらよろよろしてるし、疲れてるみたいだし、兎ちゃんの魔力持ってるみたいだし」
 指折り数えて告げながら、女性は顔を赤くして怒る青年に、柔らかな笑みでもって言い放った。
「ついにロリでも良くなって、浮気でもしてみたのかと」
「ついにってなんだよ! あと彼女、未成年だから! あと俺と育ちが一緒の『花嫁』だからなっ? 『花嫁』! だから情操教育に差しさわりがあるような発言は慎んでくださいお願いします! 俺、泣きそう!」
 育ちが一緒、という言葉に、見守りの姿勢を貫いていた魔術師たちからも、はっとした視線が向けられる。それに、ソキはちょっと眉を寄せて身じろぎをし、控えめな頷きで肯定した。ざわり、と空気が不穏に揺れる。
「ってことは、砂漠の国の……え、なんで白雪の国にいんの? 方角違うよね? アクロバティック方向音痴なの? 妖精が放任主義すぎるの? それとも、どっかから逃げてきたの……?」
「え、え? 一人で歩ける? 兎ちゃんみたいに、すぐ転んだりすんの? すぐ体調崩して病気んなったりしない? するよね? 旅できんの? というか、旅させていいの? そして間に合うのっ?」
「兎ちゃんって言うな、呼ぶな。あと、質問は落ちついてしてやってくれる? それと、俺は今はもうそこまで転んだりしません!」
 机に乗り出して質問してくる魔術師たちからソキを椅子ごと遠ざけて、青年が顔をしかめて言い放つ。指をびしりと突き付けて宣言した青年に、なにを言ってるんだか、と呆れ顔でエノーラが言った。
「兎ちゃんが転ばないのは、つよーい加護で守ってもらってるだけじゃない。そういえば、最近、兎ちゃんの飼い主さま見ないけど、また放置プレイされてるの?」
「忙しいだけで、浮気はされてないし連絡も来てるよ! てか、エノーラ。俺は今、情操教育に差しさわりがあるような発言は慎めって言ったよな?」
「……ソキは、なにも、聞かなかったことに、しますですよ」
 にっこりとソキが笑うと、青年は涙ぐんで机に突っ伏してしまった。あーあ、と呆れる魔術師たちを天井近くから見下ろし、妖精がちっ、と嫌そうな舌打ちをする。
『どいつもこいつも! 変態か!』
「俺と! エノーラを! 一緒にするな! それだけは嫌だっ!」
「まあねえ、私は、陛下お願いしますそのおみ足で踏んでくださいそして罵って蔑んでくださいみたいな感じの変態だけど、兎ちゃんはちょっと……嫁として飼われてるだけ、だもんね……? レベルが違うよね……。相思相愛一目惚れだもんね……」
 ごめん、と言わんばかりのエノーラの視線に、青年が机に拳を打ちつけて、動かなくなった。
「もうやだ。ぜんぶ、あいつのせいだ」
「はいはい、そうねー。はやく帰ってくるといいねー? ……あ、で、ソキちゃんはなんでウチの国に居たの? そういえば」
 後輩可愛いぺろぺろすぎて忘れてた、というエノーラに、ソキはゆっくりとした口調で、簡単にことのあらましを説明した。すなわち、砂漠の国の『花嫁』の勤めとして結婚相手候補に顔を合わせに行ったら、本人ではなくその父親に気に入られてしまい、婚約という形で屋敷に留め置かれていたこと。数日で案内妖精が来たので、屋敷を出てきたこと。途中までは馬車で送ってもらったが、放り出されてしまったこと。頑張って首都まで歩いてきたこと。城門の宿舎に泊めてもらったこと。
 エノーラと出会い、城に来たこと。青年に属性と魔術師の素質について判定してもらったこと。そして、これから砂漠の国に向かって旅をしていくこと。ひとつひとつを語るたび、魔術師たちの表情が険しくなり、やがて、一人の男性が呟いた。
「……第三都市の、前領主か。……なにもされなかったか?」
 怯えたように、く、と喉を鳴らして。それでも、ソキはゆるりと、笑みを深めてみせた。法には問えない程度なんだな、と同じ立場にいたからこそ冷静に判断し、復活した青年が、ぽんとソキの頭を撫でる。
「まあ、それは後で俺たちで陛下にも相談して考えればいいじゃん。……それよりさ、問題は、この子が一回は絶対砂漠の国まで戻らなきゃいけないってことなんだよ。……俺の言ってる意味が分かるな? つまり、俺よりも、さらにひ弱いであろうこの子と妖精の旅になる。……はい、先輩総出でアドバイスと援助をしてあげましょう。異論あるひといないよな?」
「ねえ、なんで戻らなきゃいけないの? 通り道なのは分かるけど」
 即座に、あれやこれやと言葉を交わし始める魔術師たちに加わらず、エノーラが不思議そうにソキを見る。誰かにいれてもらったミルクティーを飲みながら、ソキはまっすぐな目をして応えた。
「義務を放棄しなければいけないですから、お父さまにそのお願いと、御報告を申し上げなければいけないですよ」
「……兎ちゃんも、それ、やったの?」
「俺は案内妖精が来た時点で四年間は義務を果たしてたし」
 同じく、議論には加わらず、ソキの隣に椅子を並べてロールパンをぶちぶちとちぎり、口に放りこみながら青年は言う。
「ちょうどいいから、俺は死んだことになってる。な?」
「はい。……偽装だった、ですね」
「案内妖精に手伝ってもらったんだよね。俺の属性が風で、黒魔術師だったからさ。部屋に火を放って爆発炎上させて建物を崩したんだけど、呼吸と最低限の脱出ルートだけ確保して逃げた訳。あん時は我ながら頑張ったと思う。死体はどうしたんだっけかな……誰か身代わりにした気もするけど」
 ソキも食べな、と一口大のパンを与えられながら、少女は記憶を思い起こし、出なかったんですよ、と告げる。
「死体、出なかったですよ。でも、部屋の損傷がひどすぎて、だからだろうって」
「そうだっけ。……まあ、俺はそんな感じ。だから言ってないし帰ってもいない。ちゃんとやるソキは偉いと思う」
「……会いたい人が、いるですよ」
 どうしても、学園へ行く前に。世界から隔絶されたシステムの中に強制的に組み込まれてしまう前に、どうしても。
「もう、次に会えるの、いつになるか、分からないですから」
「……里帰りくらいは出来るよ? 長期休み、あるし」
「今はまだ良いけど、十五になって成人した時、既成事実を作らされたら終わるじゃん?」
 だから帰ったらまずアウトなわけ、とやや死んだ目をして告げる青年に、ソキはこくりと頷いて見せた。
「そこまで強制される、とは、思いたくない、ですけど……魔術師さんは、政略結婚とか、できませんし」
「禁止されてるもんな。それこそ、真偽判定の炎で想いに偽りなしだと認められてはじめて、有力者とは結婚できるくらいの徹底ぶりだし。……でも、可能性がないとは言い切れない。というか、間違いなく無理。一縷の望みにかけて既成事実を作らされる。絶対」
「だから、もうソキ、砂漠の為に、結婚しないのでって、言ってから行くですよ」
 というか、もうこの国には戻りませんくらい言ってから行きたいです、と息を吐き、ソキはふるりと首を振った。
「そうすれば……ロゼアちゃんは、もう、自由です」
「ロゼア……。ロゼアが、傍付き?」
「はい」
 そっか、と言って、青年は頷いた。それからしばらく会話はなく、二人はもくもくと朝食を食べて行く。ソキがデザートな、と渡されたヨーグルトに笑み崩れていると、やや遠くから、青年に声がかけられた。
「兎ちゃーん」
「先輩に対してこういうことをあまり言いたくありませんが、兎ちゃんって言うな死ね。なんですか」
「女子がノリノリで準備してるんだけど」
 指差す方向に目を向け、ソキと青年は思わず沈黙した。いつのまにか、あいていた机を勝手に使用し、王宮魔術師の女性陣が大量の私物を運び込んでいる。青年は、恐る恐る手をあげて発言した。
「先輩方、服と靴と鞄しか無いように見えます」
「事情は分かったわ、私たちに任せなさい」
「なんの事情を理解して頂けたのか分からないんで怖いです、先輩方」
 なにせ、女性陣の目はやたらときらきらしていた。表情は、もう楽しくて仕方がありません、と言わんばかりだ。青年は、恐る恐る、旅支度ですよね、と問いかけた。旅の支度よ、となに言ってるの、とばかり言葉が返ってくる。
「でも、好きなひとに会いに帰るんだから。ちゃんと準備しなきゃ!」
「そうそう、しかも、女の子でしょう? それなりの服とかじゃないと、恥ずかしい思いをするのはこっちなの。分かったら男は黙って地図とにらめっこでもして、安全なルートでも考えてなさい」
 大丈夫、私たちがちゃんと準備してあげるからねっ、と声をあげてはしゃぐ女性陣は、なにかを勘違いしている気がしてならないが、もう青年はそれでいいことにしたらしい。俺たちはちゃんと、水筒とか食糧とか、魔法具とか選んで今考えてるから、と告げる男性陣にこくりと頷き、深く息を吐いている。ちょっと考えて、ソキは一番近くにいた女性をこっちきてくださいですー、と呼びよせ、あのですね、と言い聞かせ口調で告げる。
「女の子じゃ、ないですよ。ロゼアちゃんは、ロゼアちゃんだけど、でも、違うですよ」
「……え?」
 期待に、きらり、と輝いた瞳に、ソキはだから、ともどかしげに告げた。
「ロゼアちゃんは、男の子なんですよ」
 だから普通でいいです、と続けて呟かれた言葉を、果たして女性陣が聞いていたかどうかは定かではない。結局、俺以下の体力であることを考えろ、と青年が怒って止めてくれるまで、ソキはロゼアの好みの傾向を聞きだされ、服と靴と鞄選びに付き合わされていた。



 はじめてのお使いに出す父母の気持ちが分かった、と言いながら胃のあたりを手で押さえている青年を呆れ顔で眺め、エノーラはわくわくと道の向こうを見ているソキの前に、そっとしゃがみ込んだ。
「じゃあ、気をつけて行くのよ?」
「はい、ありがとうございましたです」
「……疲れたら、ちゃんと休むんだぞ?」
 心配でいっぱいの表情で問う青年に、ソキは分かっていますよ、と頷いた。言って、歩きだそうとする腕を、青年の手が引き留める。
「……やっぱり」
 これだけ、持って行って、と呟いて、青年は己の手元に視線を落とした。人差し指と、中指に通されていた金色の指輪が引き抜かれ、細い鎖をつけられてソキにつけられる。
「肌身離さないで」
「はい。……特別なものですか?」
「うん」
 大事にしてね、と笑うだけで、青年はそれがなんだか、詳しく説明する気はないようだった。ソキの胸元で、二つの円を描くだけの簡単な指輪が、光を弾いて輝いている。服の中に隠して、ソキは分かりました、と頷いた。



 ソキの旅日記 五日目
 国境に向けて歩くことにしましたです。
 四日くらいで到着する予定です。

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