『あなたが赤い糸』読了後を推奨します。ネタバレはありません。
いいわよ、と呼ぶ声には嫉妬も優越感もなにもなく、ただほんの少しの哀れみと、慈母のような許しがあった。薄衣一枚だけを身に纏った少女の傍らを通り過ぎる。身体を冷やさないでください、と呟けば、少女は己の腹に両手をあて、ええ、と静かに響く声で応えてみせた。無駄になどしないわ、と仕草が告げる。
室内は朝を遠くに、薄暗い。歩くのに支障がないのは枕元に置かれた灯篭に火が揺れているからだ。性の匂いに満ちた室内で、陰影が舐めるように揺れている。舌打ちしたい気分を堪えて、女は寝台へ歩み寄った。そこへ、ぼんやりとした瞳で。横たわるひとの名を、呼ぶ。
「……リディオ」
ゆるゆると瞳が声の主を探してさ迷い、持ち上がるのをただ見つめて待つ。泣き濡れた瞳と、赤く腫れた唇が痛々しい。今日は吐きはしなかったのだろう。すえた匂いもなく、シーツの汚れもないことを確認して、女はただ、リディオの目が己の姿をゆっくりと、確認していくのを待った。
はたはたと、瞬きがされる。蝶のはばたきのようなうつくしさ。音にもならず吐息が零れていく。ほんのわずか、満ち足りたような。安心しきった、甘えの、息。
「フォリオ……」
「はい、ここに」
「……――は?」
幾度か聞き覚えのあるその響きが、先程すれ違った少女の名であるのだろう。どの『花嫁』に似ていたのかを務めて思い出さず、女は戸口を振り返った。そうするのを、待っていたのだろう。少女はすこし悪戯っぽい顔をしてひらひらと手を振ると、廊下の向こうから扉を閉めてしまった。戻ってくるつもりはないのだろう。
朝まで、誰も。もうこの部屋を訪れない。
「……お戻りになられました。今日は、これで?」
「うん……」
とろとろ、眠そうな目でリディオが囁く。今日はもう、これで終わり。そうですか、と女は感情を乗せずに囁いた。『水鏡の館』から呼び集められた、役目を終えた筈の少女たち。その体調は徹底的に管理されている。月のものの巡る周期。一番、胎に子を宿しやすい夜を選んで伽は繰り返されている。
混ぜ物のされた水と、甘い匂いのする菓子を鉄の意思で枕元から遠ざけて、女はリディオの裸身を柔らかな毛布で覆い隠した。疲労困憊の顔をして、リディオがもそもそと丸くなる。
「……フィリ」
はい、とだけ。返事をするのに苦労した。夢と現の合間を行き来する、正気と狂気の間で今も立ち続ける、いとおしい『花婿』の瞳が甘えている。どうして、と花色のくちびるが囁き落とす。
「お前じゃ、だめなんだろ……」
触って欲しい、と。狂おしい程、その声が告げている。触って。気持ちよくして。全部。なにもかも。あなたのものにして。あなたのものにして。たったひとり。他の誰でもなく、あなたの。あなただけのものになりたい。手折って。傷つけて。奪って、犯して。
ひどくして。
「……どうぞ、お眠りください。私の……最愛の宝石」
罰が欲しい、と望まれて。愛しい体を抱くことができるだろうか。愛でなくとも望まれて。愛している、と告げることさえできないのに。
「いい夢を」
失望したように、安心したように。ゆる、と目を和ませて、すぐにリディオは眠りに落ちた。疲労と投薬の影響で、この言葉を、やりとりを、リディオが記憶に留められることはない。だからこそ、そっと身を屈めて、女は眠るリディオにくちびるを寄せた。
触れることはなく。ただ、揺れる影だけが、溶けるように重なった。
***
おまけ:奥様(たち)は大変かましい
「もぉー! 今日もだめだったんだけど! あのひとの理性どうなってるの? どうすればいいの? 盛るっ?」
「理性……そもそもあれは理性なの……?」
「やっぱりリディオに仕込んだ方がいいのかしら……。でも連戦させるのは……体力的にもちょっと……?」
「えっでもリディオがあのひとを抱くのではないのだから大丈夫じゃないかしら」
「あっそっか」
「そっか」
「そうよね……!」
「あのひとの性別が女じゃなかったらもうちょっと楽だったのよ……。こう、ぐらっときた所に直に触るとか見せつけるとかすればいけたと思うのよ……!」
「それかリディオに頑張って襲ってもらう……? 押し倒してちゅっとしてさせて? って言えばいけるとおもうの!」
「……リディオには……むずかしいのではないかしら……」
「そうよリディオには難易度が高いわよ」
「今だってリディオが上だったことないものね……今日は?」
「私が上でがんばりましたっ」
「そうよね」
「分かってたもの」
「知ってたわ」
「というかそれで頑張れたとしてもいつの間にかひっくり返されているのではないかしら……」
「絶対そうよそうに違いないわ……」
「もうやっぱりあれじゃない? お役目の一覧表にあのひとも入れて、あの人にめためたに盛って、リディオにも盛って、同じ部屋にぶちこむのが一番なんじゃない……?」
「問題はその一覧表の承認を出してるのがあのひととリディオっていうことよ……」
「この際だから改竄も視野に入れていくべきだと思うの」
「それよ」
「それがいいわ」
「もうそれしかないわ!」
「よし、じゃあ決まり! 頑張りましょうね。さ、皆、ねよねよ」
「おやすみなさぁーい」
「おやすみなさーい」
「という計画なのよ、ラーヴェ。これでかんぺきというやつなの!」
「……ミード……。なにを夜遅くまで話し込んでいるのかと思えば……」
「ということでぇ、みぃは承認印を押しちゃうの! 当主の奥様だから、代理ができるの! えいえいえい!」
「ああぁああぁ……」
*奥様たち集まるとろくなことしない
*残念ながら(?)書類は紛失したようです
戻る
←メッセージボックスです。読んだよ、の気持ちなど頂ければ。
<お話読んだよ!ツイートボタン。ツイッターで読書報告できます。