ふわっとした時間軸として、『ささめき、ひめごと、そして未来を花束に』までの読了を推奨しますが、展開についてのネタバレはありません。
『学園』で勤務する者は須らく『魔術師』である。正式に卒業資格を得た後、五ヵ国の王たちから呼び出しがかからなかった者の中から、希望や適性を反映する形で、運営部から就職のお知らせが来るのが通例だ。彼らは時に、王宮魔術師としての適性がないと判断されたが為に別口の就職となるのだが。それだけではなく、その他にどうしても『学園』にいて貰わないと困ると『学園』の運営部が頭を抱えたり床を転がったり泣きながら五王に懇願したりなんらかの賭け事で無事に勝利したり、ありとあらゆる手段を行使された上で、残らされる者も多い。
つまり『学園』所属の魔術師というのは、特別優秀ではない、という証明とは異なっている。選任の教員以外、特に『学園』の清掃担当、整備担当、食堂勤務の料理方などは年若い『魔術師』のたまごからそう見做されることも多く、それは大きな問題だとして二年に一度、それら誤認解消として特別授業が組まれたりもするのだが。その機会はどうも、持越しになったらしい。そうだろうなぁ、と目にもとまらぬ早業で玉ねぎのみじん切りを量産しながら、食堂勤務の青年はため息をついた。
「いや今年度問題多すぎだろ……? すごい、あの、こう、問題多すぎだろ……?」
「新入生独房一番乗りがロゼアくんって、誰もの予想を裏切ってくれたよね……。つらい……。お財布の中身が虚無へと消えて行ってしまった……。つらい……。あんなにたくさんおいしそうに食べてくれる子にご飯を作ってあげられないだなんて……。つらい……。次の給料日まで霞を食べて生きて行けるように進化したい……。つらい……」
「絶対ソキちゃんだと思ってたのに……絶対ソキちゃんだと思ってたのに……! 大穴でメーシャくんだったらまだ諦めがついたのに……!」
左右から『新入生初独房叩き込まれ協議会 −一番の問題児は誰だ!?− 誰もが一回二回三回くらいは叩き込まれるから、気にしないで行こうね』に負けたふたりのうめき声が聞こえる中、青年は玉ねぎをおおきな鍋に叩き込み、油を適量注いで火をつけて炒め始めた。今日のご飯はカレーである。カレーとは玉ねぎ。玉ねぎとはうまみ。いつの間にか消えてしまうこの玉ねぎの量こそがカレーの決めてである。ああぁあ、と呻きながらも下処理を終えたふたりが、鍋に遠慮なくにんじんとじゃがいもを投入してくる。続いて林檎をすりおろしはじめた光景を眺めながら、青年はもくもくと鍋をかき混ぜた。
そういえば、賭け事は砂漠の筆頭が、ほぼほぼ独り勝ちであったらしい。在学時代からそんな気はしていたが、あの人ほんとなんでもできるな、賭け事も得意だったなんてすげー、と思いながら。青年は時短の為に鍋にちょいちょいと魔術を唱えて、そういえば、と視線を厨房の外へと向けた。そこから見える食堂の光景はがらんとしているが、寂しさを感じることはない。食事時を除けば、これが普通の光景だからだ。しかし、普段はそれでも、もうすこし生徒の数がある。手持ち無沙汰にぼんやりと、椅子に座っている者の数を、いち、に、と数えながら。青年は訝しく首を傾げた。
「なんか妙に少ないな……。またなんか誰かやらかしたか? ソキとか寮長とか、ソキとかナリアンとか、ソキとか」
「カレー奉行のソキちゃんに対する信頼のなさ。なに?」
「カレー奉行、小食な子は目の敵にするじゃん?」
誰がカレー奉行だ、と思いながら、青年は聞こえるように舌打ちをした。丹精込めて作った料理を、あんなにすこししか食べないだなんてなにごとだ、くらいにしか思っていないだけで、特に他意はないし目の敵になどしていない。断じて。ただし卒業までには今の倍くらいには食べられるようになってもらう。思っているのはそれだけである。入学した時よりは食べられるようになってるでしょー、焦ったらロゼアくんに目をつけられるよー、とからからと笑うふたりは、共に砂漠の出身である。その為に、今現在の『学園』の騒ぎに対しても、一定の理解を見せながらも、非常にゆったりとした態度で静観している。
あっこれは駄目だった、出てきたロゼアくんがまた引きこもっちゃう、と青年にはいまひとつ分からない呟きを発しながら、ひとりがカレー用のチョコレートを冷蔵庫にしまいなおす。そろそろデザートにでも使う必要があるだろう。ソキとロゼアが入学してきてからというものの、料理に目に見えない形で使用される、いわゆる隠し味の登場頻度は著しく減った。最たるものがチョコレートだ。分からないように使ってはならない、という不文律があるかのごとく、見かけやメニューの名前で分かるものにしか、それは使用されないものになった。好き嫌いというよりはアレルギー反応に近いものがあるから、と告げたひとりは、砂漠でも首都の出身であった筈だ。
はー、とため息をつきながら、青年は炒めた野菜と玉ねぎを、四つの鍋に分けて行く。ひとつは豚肉、ひとつは牛肉、一人は鶏肉、ひとつは肉なし野菜のみのカレーになる。出身地や好み、信仰や体質、体調によって食べられない者が出てはならない。カレーそのものが食べられない者には事前申告をしてもらっているので、完全に別の調理が必要となる。食堂勤務は過酷で、重労働で、常に火の熱と時間との闘いである。毎日、毎日、その繰り返しである。青年は息を吐き。ひと段落した鍋たちからすこし離れると、あくびをして、冷えたグラスの水を一気に飲み干した。
「はー……。料理しんどい……。でも俺の作ったもので身体が構成されていく生徒が増えて行くという事実で満たされる……。俺が作ったものがお前たちを育てました……は? 最高では?」
「カレー奉行のそういうトコが王宮魔術師として迎えられなかった理由だよねぇ……。いやもう本当普通に気持ちが悪い……。もっと言い方考えて欲しい。せめて人前では口に出さないで欲しい」
「カレー奉行のせいで、食堂勤務の魔術師は総じて『ヤバい』っていう風評被害が発生してるのほんとまじ勘弁……つら……」
刃物を持つことでしか人生の喜びを感じられないド変態と、生まれながらにありとあらゆる毒草毒薬が効かない体質であるが故に史上最高の毒物を作ってみたかったという供述を残して前代未聞の大事故を起こした馬鹿は黙っていて欲しい、と青年は思った。自分たちのヤバさを自覚して欲しい。前者はともかく、ともかくして欲しくなかったのだが、ともかくとして。後者を厨房方として迎えるにあたって、それはもう会議は紛糾したのだが。
史上例のない、『学園』のほぼ全魔術師毒殺未遂事件の犯人本人が、けろっとして、食事になんて毒はいれないし毒見としてこれ以上有用なひといないと思うし真面目に勤務するけど、と言ったので、何故か卒業後の進路が決定してしまったのだった。数年前のことである。今の所、事故は一度も起きていない。一応、事故が起きた場合は死をもって償い責任を取るか、犯人を特定して血祭にあげる、という制約を王と結んではいるらしい。幸いの所、どちらも未だないままである。これからも、ないままであればいい。鍋の火を消し、ぱきぱきとルーを折って投入しながら、青年はふっと食堂の入口に目を向けた。
時間、ではないのだが。おなかがすいちゃったですーっ、と目をきらきらさせながら現れたソキが、小走りに。本人としては小走りのつもりの動きで、よちよちと、独り勝ちした噂の筆頭の腕を絡みつくように引きながら、こちらに向かって歩いてくる所だった。
「とってもいい匂いがするですうううぅ今日はカレーに違いないです! ソキ、ソキ、四種類をひとくちづつ! ぜぇんぶ食べたいですうう!」
「いやまだできてないっつーか、ソキふざけんなよもっと食べろ……! 一口で満足するようなもんを作った覚えはない……! だから腹を空かせて夜まで待て! これから煮込みだ!」
「おなかがすいたソキに対して、なんというしうち……! カレー、かれー……や、やっ、ソキ、もう、カレーのおくちなんですううう!」
いやぁあぁあっ、とこの上なく悲しげにぐずるソキの傍らに、常にあるロゼアは不在のままである。その空白を埋めずとも、誤魔化すように。ふふ、と笑って傍にいるジェイドが、すっとしゃがみこんでソキにやんわり囁いた。
「今日の夕ご飯はカレーだよ。楽しみだね。夕ご飯の楽しみにして、おやつは他のにしようね。ソキはいいこだからできるよね?」
「……夜までカレーを我慢できるソキは、いいこです?」
「もちろん、とびきりのいいこだよ。いいこだし、かわいいね。……可愛いね、ソキ」
ソキは本当に可愛いね、と心から囁く砂漠の筆頭に、聞いていた三人は首を絞められたがごとき危機感を持って口元を押さえ、視線を逸らして深呼吸をして、赤くなった頬やら耳やらを誤魔化したのだが。それを向けられた本人は輝かんばかりの笑顔で、それでいてすこし照れくさそうに、でっしょおおぉおおでぇえっしょおおおおっ、とふんぞり返ってはしゃいだので。これで事故を起こさないのすごいな、と思いながら、青年はよろよろと冷蔵庫に向かって歩き出した。夕食のデザートとして作っておいた幾つかの品のうち、プリンを取り出す為である。ソキの好みは分かっている。これから喜んで食べるだろう。
青年の目論見通り。ぷっ、ぷりんですうううソキぷりんだいすきぷりんぷりんきゃぁあああっ、と大はしゃぎするソキに、青年はよしよしたくさん食べろよ、と生クリームを絞り果物を飾って、ささっとそつなく提供した。いやあのキラキラの大好きに事故を起こさないカレー奉行もたいがいアレだよね、と同僚たちから思われていることを、青年は知らないままである。
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