窓の外からは、うららかな春の日差しが差し込んでいる。痛みさえ伴うような底冷えのする空気はいつの間にか姿を消し、どこかぼんやりと微睡む、柔らかい温度が部屋の隅々にまで漂い溢れていた。四月。春である。春が来たということは、もう少しで夏至である。二か月近く先の予定を堂々ともう少しと言い切ってみせた先輩に、ソキは床にぺたりと座り込んだまま、ふーんそうなんですぅー、とやる気も興味もない返事を響かせた。夏至が魔術師には重要な一日であることなど、百も承知の上だった。
夏至の日。妖精に導かれた魔術師のたまごが、欠片の世界の『扉』をくぐり、この『学園』へやってくる日。ソキも、ロゼアも、ナリアンも、メーシャも。先輩たちも王宮魔術師も、一人残らず、この世界で魔術師を名乗るもの全てが、そうして自らの足でうまれた世界から隔てられた。それは必要な隔離措置であり、世界が魔術師に対する差別感情をなくしたとしても、なくなることは決してないであろう儀式だった。未熟な魔術師とは、ただの災害である。災害を制御するすべを身に着けてこそ、彼らはひとの世界に戻ることを許される。
夏至の日とは決定的な別れの日であり、新しい世界へ旅立つ日でもある。仲間を迎え入れる日でもあるから、魔術師ならば誰でも特別な気持ちで、その日のことを見つめるのが常だった。ソキもいつもならもうすこし、違う気持ちで頷いたり、返事をしたり、お話をしてあげることさえあるのだが。ソキの気のない返事にもかかわらず、えーもうちょっとかまってよーねえねえソキちゃんねえねえねえあっ不機嫌な顔になってきた機嫌悪いのかわいいねぇ、としゃがみこむ先輩に、『花嫁』はむぎいぃい、と威嚇めいた声をあげて身をよじってみせた。
きゅぅっとまなざしをするどくして、えいっ、とばかり声をあげる。
「ルルク先輩! ソキ、いま、いそがしの! かまってあげられないの!」
「忙しいの? なにして忙しいの?」
「もぉー! 見たらすぐわかるですぅ! ソキのひみつきちのお掃除なの! 整理整頓してるの!」
つまり、取り込み中なのである。大変とってもいそがしいのである。談話室の定位置。いつもは座るソファをずりずりと動かして、その背もたれの壁の間にもちゃりと座り、しまい込んだ品々をひとつひとつ広げながら、ああでもないこうでもない、と目をきらきらさせて考えるソキは、じゃましないでほしいですうぅ、と機嫌を損ねた声で言った。うーん、と困った声をあげたのはルルクである。ソファに乗り上げるようにして空間を覗き込むルルクは、そこがソキのひみつきちだと知っているからこそ、まあそっとしておいてあげようかな、とも思わなくもないのだが。
「……いやでもそれさぁ、ロゼアくんの万年筆じゃないの? なくしたって言ってたやつ」
「先輩? これはぁ、ソキがひろったの。ひろったということは、もう、ソキのなの。つまりルルク先輩の勘違い、というやつです。絶対にそうです。だからロゼアちゃんには言っちゃだめです。だめったらだめったらだめです。絶対です。言いつけるのいくないです。それはわるの行いです。わかったぁ?」
「うーん怪しさしかない……」
でもロゼアくんが知ってて放置してる可能性のほうが高いしなぁ、あれだってたぶん私物のハンカチだろうし制服についてるボタンとかあるし本のしおりとかなにかの包み紙とかかわいいものもあるんだけどいやその授業のノートは返してあげた方がいいんじゃないかなーさすがにそれは返してあげた方がいいと思うんだけどなー、とぶつぶつ呻くルルクに、ソキはんもおおおおっ、とうるさそうに、かんしゃくを起こした裏返った声で抗議した。
「これはいけないノートなの! だからソキが封印措置なの!」
「もー、授業で習った難しい言葉をすぐに使いたがるんだからー……。なんで? なにがいけないの?」
「ロゼアちゃんが机で寝ちゃうの!」
そう、つまりこのノートはソキの敵である。ロゼアはソキをぎゅっとして眠らなければいけないのに、それを怠ったのである。しかも一回ではなかったのである。このノートのせいである。つまりは敵である。ロゼアの名が記された表紙を手でぺちぺち叩き、主張するソキの動きには、明らかな怒りがこもっていた。試験前に勉強していて寝落ちたんだろうな、とルルクはあたりをつけて頷いた。まあ、ロゼアが取返しもすり替えもしないで与えているということは、すぐ必要な時期ではないということだろう。筆記試験も終わったことだし。そういえば試験どうだったの、と問うと、ソキはわかりやすく、ぴかぴかした笑顔でふんぞりかえった。
「ソキ、百点だったんでぇ、特別なお祝いをしてもらえるんですけどぉ、なんだと思う? あててみて?」
「えっ設問の難易度があまりに高い……。誰がなんのお祝いしてくれるの? ロゼアくん?」
「そうなんですよぉ! ロゼアちゃんとね、お勉強につかうね、きれいなノートを買いに行くの! あと、あと、新しい教科書ももらえるの! きゃふふふふふっ」
心底うれしくてならない、という笑いでソキがしあわせそうに身をよじる。ソキちゃんは根本的に勉強大好きだよねぇ、えらいね、としみじみと頷くと、ソキはあどけないまなざしでルルクを見上げて頷いた。
「知らないことがね、わかるようになるのね、楽しいです」
「そっか。……で、そのノートのことはロゼアくんは知ってるの?」
「ふんふふんふにゃーんにゃー!」
ぜぇんっぜん、なにも聞こえないし、なにを言われるのかもわかりませんっ、というぺかーっとした笑顔で、ソキは広げていた品々をしまいはじめた。掃除はこれくらいにしておくらしい。雲行きが怪しくなってきたので、取り上げられないうちにしまわなくっちゃ、という意思が見える、もちゃもちゃした慌てた動きだった。知ってるとは思うんだけど、いやロゼアくんが知らないということがまずありえないんだけど、でもまあ念のため報告だなー、これはさすがになー、と思うルルクに、ソファの隙間からもそそそそっと出てきたソキがふんぞり返る。
「さっ、ルルク先輩? ソファを戻してくれてぇ、いいんですよ? あと、ここで見聞きしたものは誰にも言ってはいけないですからね! わかった? わかったぁ?」
「わかったわかった」
筆記は言うの範囲外である。雑に頷くルルクにソキは満足そうに頷いて、ずりずりと位置を戻されたソファに座り込んだ。一仕事終えたからだろう。ほわぁ、と眠たそうなあくびをして、ソキはふんにゃりと首をかしげた。
「げしのひはしんにゅうせい、くるぅ……?」
「まだ発表になってないから、今年はどうかなぁ……? 来て欲しい?」
「うふふ。ソキ、先輩になるの。ソキ先輩なの。うふふふ……」
まったり瞬きをしてぽわぽわと話すソキに、ルルクはそっか、とほほ笑んでブランケットをかけてやった。はい、とソファにいたアスルを抱かせると、ソキは引き寄せられるように頬をくっつけ、動かなくなった。ほどなくすぴ、すぴ、と寝息が響いてくる。さてと、とルルクはソファに腰かけて本を開きながら、ロゼアにどう報告したものか、と頭を悩ませる。なんとか、迎えに来るまでにまとめられるといいのだが。ソキちゃんの盗品が増えています。いやこれはさすがに言い方がないな、と思いながら、ルルクはうんうんと唸って眉間にしわを寄せた。読書が進む気はしなかった。
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