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妖精たちの許容範囲



 魔術師たち、特に『学園』にいるたまごたちは季節行事に敏感である。一月に一回以上はやれ無病息災だの、大願成就だの、あれやこれやと理由をつけて五ヶ国の細かい民俗行事を引っ張り出し、時に原型を留めない魔改造を加えた上で大騒ぎするのが常だった。それは『学園』中を巻き込む大騒動になることもあったが、大体は部活動めいた小規模な催しで、かつ白雪出身者が中心となって細々と執り行われることが多いので、実際ソキたちの元まで情報が届くのは稀なことだった。終わってから、この間はこういうことをしていた、と知ることも多い。
 ソキはそれを聞くたびに、つむんとくちびるを尖らせて残念がるのだが、当日にお呼ばれすることはあまりない。お昼寝の時間に開催時間がかぶっていて、起こさないでくださいね、とロゼアにお願いされているからである。睡眠時間の減少は、体調不良に直結しやすい。ソキは毎日くぴくぴすぴぴと健やかにお昼寝をした上でも、季節の変わり目にはなにかしらつまづいて熱を出すので、それを知っていてわざわざ揺り起こされる、ということもないのだった。かくしてソキは特別な事件事故がなければ、あまり変わり映えのない日常をぽややんと繰り返して過ごしているのだが。
 とある休日。今日こそは、という顔をしたソキが朝から寝台の上で、着替えもせずにちたちたきゃっきゃとはしゃいでいるので、妖精はなぁに、とその理由を問いただすことにしたのである。
『機嫌よくしちゃって。今日はなんの日な訳?』
 妖精は答えを聞く前に暦を睨みつけ、特になんの記載がないことを確かめた。先日執り行われた猫の日とやらは過ぎているし、桃の節句とやらも月初で終わっている。昼夜の長さが当分になる、とされた日は数日前に過ぎていた。特に、ほんとうになにもない、ただの休日である。特筆すべきことがあるとするのなら、うららかな晴れ模様である、と言うことくらいか。暇を持て余してなにくれ祝いはしゃぐ白雪の迷惑集団も、この所は寄り集まってなにか計画を立てていた様子もない。なにかしら。悪だくみかしら、と疑う妖精に、ソキはぱちくり瞬きをした。くてん、と不思議そうに首が傾げられる。
「んん? ……今日は、なんの日、です?」
『アタシが聞いてるのよ。質問に質問で返すんじゃないわ。……機嫌よくしてるでしょう? なにかあるんじゃないの?』
「うふふ。……きゅふ、きゅふふふ!」
 くちびるに両手を押し当てて笑い、身を捩ってきゃっきゃとするソキに、これはダメだな、と妖精は半眼になった。絶対になにかあるやつである。間違いがない。ちょっと、なんなの、教えなさい、と叱り口調で言い放つと、ソキはうふんと自慢げな顔をしてふんぞり返った。あのね、とふあふあした、甘くいとけない声がやんわりと告げる。
「きょうはね、おはなみなの! お花がね、いっぱい咲いたですからね、見に行くの!」
『は?』
「おそとはぁ、すっかり春ですからね。だからね、おはなみなの」
 そうしてまた、うふふ、きゅふっ、きゃぁーっ、と大はしゃぎで楽しそうに笑うソキの目の前で、妖精は腰に手を当てて息を吐いた。
『アタシはそんな予定、知らないわよ? ロゼアは知ってるの?』
「ロゼアちゃん? 知ってるです。もちろんです」
『アタシは優しいから確認してあげますけどね。ソキ? その予定は、いつ、決めたの? ロゼアに告知したの?』
 期待と喜びをいっぱいに満たした新緑の瞳が、きらきらと輝きながら妖精をみる。ぱちくり、あどけない瞬きがなされ、んん、と頼りない声がほんわりと零れていった。
「予定? んと、んと、えっとね。さっきです」
『……さっきってどれくらいのさっき?』
「起きた時ですぅ」
 ぱちんと目を覚まして、吸い込んだ空気があんまりにも春の気配であったので。これはもうお外はお花がいっぱい咲いているし、それであったかいし、お日様もぴかぴかで気持ちがいいし、おはなみです、ということに決めた、とのことである。妖精は根気強く、十五分ほどかけてソキからその情報を引き出し、途中で朝の鍛錬から戻ってきたロゼアが、いつものソキがそうしたいなら今日の予定はお花見にしようか、と言い出しかけたのを殺気を混じらせた睨みで黙らせて。苛々と羽根をぱたつかせながら、言いたいことは山ほどあるけど、と腕組みをした。
『春の花見なんていう行為をアタシが許してやるとでも?』
「ふんにゃ? リボンちゃ、おはなみ、きらい?」
『好き嫌いで言ってんじゃないのよ、アタシは』
 かくして妖精は、その直刃のような髪をかきあげ。己こそが絶対的な正義であるという主義主張のもと。
『浮気だって言ってんのよーっ!』
 寮中にくまなく響き渡る大音量で、己の魔術師に特大の雷を叩き落した。



 ソキの妖精は花妖精である。花妖精とは、その通り、植物の花を本体とした妖精である。そうであるから、春だなんだとふわふわ浮かれて咲き出した花をわざわざ見に行って、きれいだのなんだの褒めるなどという行為は、ド直球の浮気行為そのものである。許されない、ときっぱり言い切った妖精に、ソキはきゅぅんと困った眉をして、でもでもぉ、と言いつのった。
「去年はそんなこと言われなかったですぅ……」
『だって去年はアタシと契約してなかったじゃない。今年からはダメよ。ソキだって、ロゼアが他の女をかわいいだの健気だの褒めたら浮気判定するでしょ?』
「当たり前のことです。許されない蛮行です。……えぇえ? おはなみ、ソキ、おはなみしたいですぅ……」
 あっさりと言いくるめられ、かけたものの、いじいじと拗ねておねだりをするソキに、妖精は浮気だって言ってんでしょうがロゼアの髪を丹念に抜くわよ、と言い放った。やめてくださいね、と言葉をかけながら。ロゼアは部屋から出てこないけどどうかしたの、と戸口まで様子を見に来てくれたナリアンとメーシャ、と一緒に来た妖精たち、その中でもとりわけ、同じ花妖精であるニーアに視線を向けた。そっと問いかける。
「浮気判定は……花妖精としては一般的な判断なんでしょうか」
 えっと、とそろりと口を開きかけたニーアに、妖精はつややかに微笑みかけた。
『ニーア分かっているわね』
『はいもちろんです先輩! はい! ロゼアくん! ごめんなさい一般常識になりました! そうです!』
『う、うーん……うーん』
 あからさまに、触らぬ花妖精に祟りなし、という顔をして呻くルノンの傍らで、シディは思い切り、額に手を当てて嘆息した。
『ロゼア、分かっているとは思いますが。そういったことはありませんからね……』
『は? よく考えてからものを言いなさいよシディ。アンタどうするの? ロゼアがそこらへんの小石を拾って、きれいだなかわいいな強そうだな、とかなんとか囁きながら、洗ったり磨いたりして、日光浴だの月光浴だのしだしたら。浮気だと思わない? 思いなさいよ』
『浮気云々の前に、それはごく普通に奇行では?』
 いや俺にはそういう趣味はないから、と控えめに申告するロゼアを、妖精はたとえ話をしているの、と鼻で笑い飛ばした。ロゼアちゃんの手間暇はソキのぉ、ともちゃもちゃした抗議があがるのさえ聞き流していると、シディは苦笑いをしながら、まあそういったことはありませんから、と言った。
『ロゼアがボクより価値を見出しそうな石なんていうもの、ある筈もありませんからね』
「……ん?」
『え? 鉱石妖精より強度のある石は、自然界に存在しませんよ?』
 つまりそのあたりの石よりボクの方が強いということです、と当たり前のことを当たり前のこととして淡々と告げるシディに、ロゼアは微笑んでそっか、と頷いた。お腹がすいてきちゃったから先に食堂に行ってるねロゼア、ナリアンも早く来るんだよ、といち早く離脱したメーシャを、苦笑したルノンが追っていく。えっ、とナリアンは去り行くメーシャの背に声をあげ、えっ、と言ってロゼアとシディ、ソキと妖精を見比べて。傍らに浮遊する、あいらしい花妖精へそろそろと視線をうつした。ニーアは、もうナリちゃんたら、とにっこりと笑い、羽根を機嫌よくぱたつかせる。
『大丈夫よ、ナリちゃん。心配しないで? ニーアは、おはなみは、それはそれとして、良いと思っているわ。だってとてもきれいだもの』
「う、うん。そうだよね、よかっ」
『それに、ナリちゃんが一番きれいだって思ってくれるお花は、ニーアだってわかってるもの。大丈夫よ!』
 ふあふあ、と飽き始めたソキのあくびが平和に空気を揺らしていく。痛い程の沈黙が落ちてきたのに触れないようにして、ロゼアはひょい、とソキを抱き上げた。と、と、と、と歩いて戸口へ向かい、そっと部屋の鍵をかけてからナリアンの腕を引く。
「さ、ナリアン。朝ごはん食べに行こう」
「うん……うん……? ロゼア? いまなにか、あの……ロゼア……いま……?」
「ナリアン。朝ごはんに、行こう」
 考えたり口に出したりしたらダメなやつだと思う、と真剣なロゼアのまなざしに、ナリアンはそうだねっ、と即座に同意した。あれ、それでおはなみは、おはなみ、としょんぼりするソキを抱き上げてあやしながら、ロゼアはそっと歩き出す。食堂までの道すがら、いつもと違う道を通り。外に咲く季節の花々を目にさせたことに関しては。妖精は寛容に、なにも言わなかったという。



『メーシャ。俺は、俺はあんなことはないから、安心していいからな!』
「うん。ありがとうな、ルノン」
『強いて言えばクリスマスツリーとか飾る時には俺にもなにか装飾品とか? 欲しいなって思うくらい。あっ、でも俺はその、季節じゃなくても飾ってくれていいんだからな!』
「……そっか!」



『は? アイツ、こないだ『メーシャが花粉症になったら申告して欲しいんだよな。杉とかいう調子に乗ってるヤツ俺が滅ぼしてくるから』とか言ってなかった? 樹木妖精の殺意の高さなに?』
『先輩、しー。しー、です』

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