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騎士たちの挽歌:後

 とりあえずカレンとスザクがしたいのは虐殺の引き金を引かせないことであり、主君の邪魔ではない。よって、すみません邪魔しないのでお話をどうぞ、と笑顔で告げたカレンの言葉は掛け値なしの本音であり、うん僕らは見てるから話していいよユフィ、と朗らかに許可を告げたスザクの笑みも本当のものだった。スザクは部屋の隅から椅子を引っ張って来てカレンの隣に置き、そこに腰を下ろして皇族二人を見つめることにしたようだ。ちょっと、と嫌そうな顔をするカレンに、スザクはにっこりと笑う。
「だって、やることないし」
「そうだけど……なんで隣に座るのよ」
「広い部屋で離れてるっておかしくない? ……靴、持ってくればよかったね」
 足を置く台とか持ってこようか、と立ち上がりかけるスザクの肩を掴んで座り直させ、カレンはいらない、と首を振った。足先が汚れてしまうとしたら数歩を歩いた時点ですでに手遅れだし、怪我を懸念してのことであれば杞憂にすぎる。廊下はともかく室内には毛足の長い絨毯が敷かれていて、足をふんわりと包み込んでくれるのだった。寝転べばさぞ気持ちいいことだろう。カレンがそう言うなら、とにこにこしているスザクは、なんだか邪険にできないものがあった。カレンは困ったように眉を寄せ、沈黙する。
 スザクにしてみれば、カレンは同年代の女の子である。『前』の記憶に照らし合わせるのならば『友人』が未来に残したがったひとつであり、奇しくも『同じ』日本人であった。和解しきったとは言い難いが、顔を合わせれば喧嘩腰でしかなかったカレンは、スザクが隣に座っても嫌そうな顔をするだけで睨んで来たり、隙を狙って攻撃してきたりはしない。嫌そうな顔をしているのもすでに習慣のようなものであり、カレン、と名を呼べば少女は案外素直に顔を向け、ちいさく首を傾げて問い返して来る。
 なに、と告げられる言葉はそっけないが、生徒会で見せるような猫を被ったものではなく、少女自身の素であることがすぐに分かる。呼んだだけ、と笑いながら言えばカレンはきょとりと目を開き、次いで楽しげにぷっと吹き出した。なにそれ、と言って少女は笑う。『前』は決してスザクに見せようとしなかった、心から楽しげな笑みだ。嬉しくて、スザクも思わず笑ってしまう。カレンとスザクは同い年だが、幼馴染とか妹が居たら、きっとこんな感じなんだろうな、と思った。
 幼少期に付き合いのあった神楽耶は性格的にも特徴がありすぎて、可愛いだとか守ってあげたいだとか、そんな優しい気持ちとはかけ離れた所に居るのが現状だった。スザクは笑うカレンにそっと手を伸ばして、紅の髪に触れてみる。一筋撫でるように手を動かせば、カレンは不審げな顔をしてスザクを見たままで、取り立てた拒絶は見られなかった。がたっ、と音がする。ほぼ同時にカレンとスザクが振り向いた先で、ゼロが執務机に両手をついてうなだれている。
 ユーフェミアは困った顔つきで二人とゼロを見比べたかと思うと、慰めるような表情で少年の肩をぽんぽんと叩いた。
「……なにしてるのかな、ユフィ」
「……慰めてるんじゃないかしらね」
「ふーん。ルルーシュ、なに落ち込んでるのか知らないけど、元気だしなよ」
 あと話し合いしなくていいの、日本人が待ってる筈だよ、と暢気に告げたスザクの視線の先、ゼロはがっと音を立てて仮面に手を当て、脱いだそれを絨毯の上に投げ捨てた。全員に正体が知れていると分かって、もうヤケになったらしい。ちょっと私の主君苛立たせないでくれない、とばかりカレンが不機嫌な表情になるが、声には出されない抗議だった。ぜいぜいと肩で息をしているルルーシュを見やり、カレンはのんびりと問いかける。なんだか、慌てるのが馬鹿らしくなってきた。
「ねえ、ルルーシュ。目の調子、どう?」
「は? 目って……」
「そうね、言い方が悪かったわ。ギアスの調子、大丈夫?」
 がた、と音を立ててルルーシュが仰け反った。なぜそれを、という表情のまま、ルルーシュが足元を滑らせて背から絨毯に倒れて行く。慌ててユーフェミアが手を伸ばすが時は遅く、二人の皇族は仲良く、床に転がってしまった。すてん、という音が聞こえた気がして、二人は顔を見合わせる。まあ、怪我もなさそうなので大丈夫だろう。すっかり傍観を決め込みながら、カレンは転がったまま茫然としているルルーシュに、観察の視線を向けた。さて、どのタイミングで暴露したものだろうか。
 特区日本についてどうするのか、二人の話し合いが終わるのを待つべきなのは分かっていて。ちらりと視線を向けた先、スザクはどうしようね、と苦笑している。そうしているうちに、ユーフェミアはスザクとカレンは助けではないが、邪魔もしないということだけを理解したのだろう。気を取り直した顔つきになって、床に座り込んだままでルルーシュになにかを語りかけている。カレンが意外そうな顔をした。
 ユーフェミアは確かに深窓の姫君ではあるが、ブリタニアの皇族であるのだ。なによりコーネリアという姉を持ち、異母兄も癖者ぞろいと来れば肝が座って居なければおかしい。加えて、落ちつき払った女性というのは強いものなのである。だからお願い、一緒に特区日本を、とルルーシュの手をユーフェミアが包み込む。ぴくりとばかり眉をつりあげたのは、カレンもそうだがスザクもだった。少女はちょっと近寄り過ぎじゃないのかと思い、少年はユフィに手を握り締められるなんてルルーシュずるい、と唇を尖らせる。
 実に三種類の、懇願と苛立ちと嫉妬の視線のただなかで、ルルーシュはと言えば混乱のあまり上手く頭が動いていなかった。とりあえず目の前に、美しく成長した可愛い異母妹がいることだけは分かる。そしてルルーシュに対して必死にお願いをしていることも。考えて考えて、ルルーシュはああ分かった、とユーフェミアの『お願い』を受け入れた。ユーフェミアはきゃあと歓声を上げ、嬉しさのあまりルルーシュに勢いよく抱きつく。ほわぁっ、と奇妙な叫び声が上がった。支えきれなかったらしい。
 ルルーシュありがとうと言いながら抱きついて嬉しがるユーフェミアは、結果的に異母兄を押し倒していることに気がついていないのだろう。カレンは無言で立ちあがり、スザクは溜息をつきながら立ちあがった。二人はつかつかと部屋を横断し、スザクはユーフェミアの脇に手を入れてひょいと抱き上げ、カレンはルルーシュの背に手を入れて上半身をあげさせた。壊れものを扱うより慎重な仕草で姫君の足を絨毯につかせ、スザクは主君の顔を覗き込むように見る。
「ユフィ。話し合い、終わった?」
「ええ、スザク! 特区日本はゼロの協力のもと、本日成立します!」
 涙声のユーフェミアを振り返ることなく、カレンは唖然としているルルーシュの顔を見る。ゆっくりと視線を合わせ、カレンはそっと問いかけた。
「ゼロ。……状況の把握は出来ていますか?」
「え、と。……すまない。すこし待ってくれないだろうか」
「はい。ゼロ」
 倒れた時に、頭でも打ったのだろうか。ルルーシュはややふらつきながら溜息をつき、額に手を押し当てて眉間にシワを寄せている。なんとなく、嫌な予感がした。左目をじっと見つめて、カレンは慎重に問いかけようとした。大丈夫ですか、と。それより先に、ルルーシュがカレンに微笑する。心配のしすぎだ、と告げて。
「……それより、どうしてここに居るんだ。カレン。君には他の団員と同じく、合図があるまで待機を命じた筈だが?」
「すみません……でも」
「全く。私がこれで、ユーフェミアになにかするとでも思ったのか? ……そうだな、例えば……日本人を、殺せと命じるとか」
 赤い鳥が羽ばたく。カレンの意識はそこで、一瞬だけ、途絶えた。ぐらりと背から倒れ伏すカレンに気がつき、スザクはぎょっとしてルルーシュの方を振り返る。冷たい汗が背を流れて行く。正確な会話は、聞いていなかったので分からない。それでも耳に、嫌な言葉が残っていた。今ルルーシュは、なんと言った。なにを考えるより早く、スザクは投げ捨てられたままの仮面に駆け寄り、それを手に持ってルルーシュの元へ向かう。問答無用で顔に押し当てて装着させ、スザクは骨が軋むような力で幼馴染の肩を掴んだ。
「ルルーシュ、君、今なんて言ったの」
「……日本人を殺せと命じるとか」
「どうして同じことしちゃうのさ! 馬鹿! 君、本当に頭いいのに、本当に頭いいのに馬鹿だよね!」
 ひゅぅ、とか細く息を吸い込む音がした。勢いよく振り返ったスザクの目に映ったのは、苦しげな表情の中でも鮮烈な意思を灯した空色の瞳。それを縁取るように揺れる、濁った赤ワインの色だった。ギアスが、かかっている。カレンはぶるぶると震える程に力がこもった両腕を持ち上げ、スザクの肩を押しやって身を捩る。無言で首を振って抵抗するカレンを、ルルーシュは仮面越しに目を見開いて見つめた。
「どういうことだ……。カレンにはすでにギアスがかかっている筈。それに今、俺はなにも……」
「暴走だよ、ギアスの。それに……カレンは、君がギアスをかけたカレンじゃない。もちろん、一度かかってるけど、意識が違うから……キャンセルになってたのかも」
「……スザク?」
 仮面の下で眉を寄せているであろうルルーシュの腕を引っ張って立たせ、スザクは己の主の元へ走る。不安そうなユーフェミアに大丈夫ですから、外と連絡を取って人払いの続行と演説の一時間程度延長を頼みこみ、スザクは抵抗を続けるカレンを見た。告げるならこのタイミングしかない。スザクはルルーシュを睨むようにして、息を吸い込んだ。
「僕とカレンは……未来から戻ってきたんだ、ルルーシュ」
「……お前、この状況でなにを」
「聞いて、ルルーシュ。僕は本気で話してる。ユフィも、聞いて。僕たちは……俺と、カレンはね。ユフィ、君を死なせたくなくて。ルルーシュ、君を殺したくなくて。きっとそれだけの気持ちで、戻ってきた。……考えて、ルルーシュ。君なら分かる筈だよ。今のギアスが、もしユフィにかかってたらどうなったと思う」
 反射的にユーフェミアを見ようとしたルルーシュの視界を手で遮り、スザクは静かにカレンを指差した。仮面越しであっても不安があったから、ユーフェミアを見て欲しくなかった。ぎこちなく視線を外したルルーシュが、声もなくもがくカレンにふらりと歩み寄る。全身が震える程に緊張した状態で横たわったまま、紅に縁取られた瞳で、カレンは愛おしく目を細めた。
「ル、ル……シュ、ゼロ……。ごめ……ね?」
「カレン……?」
「ちゃんと、止めてあげられなくて……ごめん、なさい……」
 だからそんな、辛そうな、苦しそうな顔をしないで。
「……ルルーシュ」
 どうすることもできず、祈るようにカレンの手を握り締めるルルーシュに、ユーフェミアが声をかける。スザクは少女の傍らに控えて、苦しげな顔で沈黙を保っていた。スザクは日本人だ。刺激してしまわないようにとカレンの死角に立ちながら、ただ手を握り締めていた。
「ルルーシュ。カレンさんに……命令、してあげて」
「ユフィ? なにを」
「カレンさんは、貴方の騎士なのでしょう?」
 背をまっすぐに伸ばした立ち姿は、息を飲むような皇族の威厳に溢れていた。思わず見つめてしまうルルーシュに、ユーフェミアは穏やかに、優しげに笑う。
「騎士にとって、主君の命令は絶対です。どんな状況であっても、どんな場合であっても、それは代わりません。……ね? スザク。今日の天気は雨ね?」
 窓から見える景色は、雲一つない快晴だ。スザクはちらりと天気を確認したあと、満面の笑みで頷き、唇だけで『イエスユアハイネス』と綴った。満足げに頷き、ユーフェミアはルルーシュに笑いかける。
「ルルーシュ、言ってあげて。貴方の言葉だけが、カレンさんを助けられるの」
「……カレン」
 カレンは正式には、ルルーシュの騎士ではない。あくまでゼロの親衛隊長だ。少女を駒として扱う為に、あえてそれに留めていた己に対して悔やむも、すでに時は遅いばかりだろう。それでもカレンがゼロに捧げていた忠誠は本物で、少女の瞳はひたすらに、ルルーシュの言葉を待っていた。息を吸うのすら苦しげなカレンの頬を包み込むように手を触れさせ、しっかりと視線を合わせてルルーシュは言う。
「……ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが、紅月カレンに命じる」
 大きく見開いたカレンの瞳が、ぼろりと大粒の涙を流す。それが歓喜であるのだと、分かるのはスザクだけだった。命令されるほど、強く。想われる喜びがある。
「ギアスを、跳ねのけろ! 絶対遵守の力ではなく、俺の言葉を……命令を」
「……イエス」
 伸ばされたカレンの手が、仮面越し、ルルーシュの頬を撫でる。
「ユア、ハイネス。……我が君、貴方が望んでくださるのなら」
「カレン」
「大丈夫だから……もう行って? ユーフェミア皇女殿下も、日本人に……行政特区設立を、宣言してきて下さい」
 これ以上は、誰も待たせないで。ゆっくりと目を閉じて告げるカレンに、ユーフェミアはしっかりと頷いた。
「分かりました。行きましょう、ゼロ」
「……すぐ戻る」
 感情を押し殺した声で告げられて、カレンは静かに頷いた。目を閉じているので分からないが、足音が二つ、遠ざかっていく。扉が閉まった音と、施錠の音が響き渡る。ふー、と安堵の息を吐きだした存在が、ゆっくりとカレンに歩み寄り、横たわるすぐ傍で止まった。
「……カレン」
 視線がまっすぐに落とされるのを感じて、カレンはゆるゆると瞼を開く。緊張しながら視線を向けたのはカレンだが、スザクの顔も強張っていた。全身が、すぐにでも戦えるように緊張しきっている。だったらもうすこし間を開けて話しかけてくれればいいものを、と呆れながら、カレンはぐったりと脱力した。
「……なによ」
「ごめん、なんでもない。……呼んだだけ」
 遠くで、わっと湧き上がる歓声を耳にする。ユーフェミアとゼロが、再び民衆の前に姿を現したのだろう。手を携えて。カレンは絨毯に手をついてふらりと起き上がり、よく晴れた空を嫌そうに見上げる。
「……スザク」
「うん?」
「アンタ、ルルーシュが戻ってきたらすぐ、ものすごいくだらない命令ギアスかけられなさい。皇女殿下と一緒に」
 ルルーシュとかけっこ勝負した時に、全力で負けるとか。なんかそういう害のないギアス。疲れた声で言うカレンに、スザクは笑いながらうん、と頷いた。スザクが見上げる空も晴れている。眩しくて、二人はそっと目を細めた。

 

 ルルーシュがカレンを騎士に任命したのは、行政特区日本が成立した次の日のことだった。正式な騎士にしてもらった、と満面の笑みで飛び込んで来たカレンを出迎え、スザクはよかったね、と言って少女の頭を撫でてやる。後から入ってきたルルーシュは、やけに嬉しそうに撫でるスザクと撫でられているカレンを複雑そうに見やり、執務机の向こうで肘をついているユフィになんとも言えない視線を向けた。
「……ユフィ」
「ルルーシュとナナリーと似たようなもの、だと思うわ」
「君の恋人だろう。他の女性に簡単に触れさせないでくれ」
 むっとした顔つきでルルーシュはカレンの腕を掴み、スザクから引きはがすように抱き寄せた。スザクはやれやれ、と苦笑してカレンから離れ、複雑そうな顔をしていたユフィの元へ向かう。ぷぅ、と頬を膨らませて見つめてくるユフィにごめんと笑って、スザクは主君の髪に唇を寄せた。

 

 むっとした顔で抱き寄せられ、カレンは戸惑ったようにルルーシュを見つめる。
「……撫でられちゃいけなかった?」
「そういうことじゃない」
「じゃあ、なに?」
 問い返すカレンに、ルルーシュはぐっと言葉に詰まってしまう。珍しさにじっと見つめてしまうカレンに嫌な顔をして、ルルーシュは溜息をつきながら問いかけた。
「君が知る『俺』は……君を突き放したかも知れないが」
「……うん」
「俺は、君を傍から離すつもりはない。カレン」
 傍に居ろ、と言うルルーシュに、カレンは目を瞬かせて。それからとても嬉しそうに笑い、ちいさく、しっかりと頷いた。ずっとそう言ってもらいたかったと告げたら、ルルーシュは笑うだろうか。カレンはルルーシュの耳に唇を寄せ、試しにそれを言ってみる。きっかり一秒沈黙したあと、ルルーシュはカレンに腕を伸ばし、ぎゅぅと力を入れて抱きしめて来た。力任せに抱きしめられて、カレンは胸が熱くなる。
「離れることなど、許さない……」
「……うん」
「カレン」
 名を呼んだルルーシュの瞳が、カレンを映してきゅぅと細められる。眩しいものを見つめる眼差しに、息苦しい気持ちを感じてカレンは気がつく。『彼』もあの瞬間、この表情をしていた。太陽がまぶしくて、日差しがまぶしくて、そうしたのかと思っていた。けれど、違うのだ。紫の瞳が鮮やかに告げる。視線が重なるだけで胸がいっぱいになってしまうほど、強く、深く。
 愛を。
「……カレン」
 愛していると、言葉よりも深く告げて。ルルーシュはそっと、涙をこぼすカレンに唇を寄せた。

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