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 茨の道であろうとも

 ヒーローに出撃要請が下されてから四時間半。それはつまり、事件現場となったゴールドステージに避難命令が下されてから四時間半ということだ。事件発生から換算すれば、実に六時間が経過していることとなる。発生から出撃要請までに一時間半の空白があるのは、ごく単純な理由だった。事件発生地区の担当が、アンチヒーロー派だったからである。たったそれだけの単純な理由は、このシュテルンビルトにおいて重要な意味を持つ。ヒーロー。彼らはTVにショーアップされたある意味でのキャラクターであり、この市においては最高位の平和維持力を持っている。
 市民は警察よりも消防よりもヒーローを頼り、神の名を口にするより早くヒーローの名を呼びやうのだ。それを快く思っていない者は、実際の所かなり多い。特に警察、特に司法、特に役所。彼らは役人である。ヒーローにしてみれば立派な一般人となるのだろうが、彼らは彼らなりにそれを持っている。職業に対する誇りと自負を想い、彼らはそれぞれの力で一般人を、市民を守ろうとするのだ。そう言った理由で、警察にはアンチヒーローが多い。トップシークレットの署内アンケートでもそれは明白で、シャーナはげんなりと息を吐きだした。シャーナもどちらかと言えば、アンチヒーローの婦人警官だ。
 声高に彼らを非難することも悪感情を持つこともないが、好きか嫌いかと問われればハッキリと気に入らない、そう答える程度のアンチヒーローだ。シャーナはシュテルンビルトの出身ではない。半年前、転勤でここに赴任してきた。たった一人の家族、高校生になったばかりの娘を連れて。シャーナがアンチヒーローであるのは、その娘の存在が大きい。素直な娘だ。片親である環境にもめげず、滅多に家に帰れない母親にも怒りや悲しみを叩きつけることのない、母の仕事を応援して誇りと思ってくれる娘だ。
 すくなくとも、シュテルンビルトに越して来るまでは、娘はシャーナのことを応援してくれていた。街の平和を守ってくれるお母さんが素敵、大好きよ、と囁いてくれていたというのに。なにがヒーローだ、とシャーナは思う。そのせいで、ヒーローのせいで、最近の娘は母親の仕事をよく思わないようなのだ。そんなに危ない仕事をしないで、と娘は言う。この街にはヒーローがいる、平和を守ってくれるヒーローが。娘の口ぶりはまるで警察が居なくても街の治安が守られているとでも言うようで、シャーナは思い出して頭が痛くなった。声を大にして言いたい。娘にも説教は済ませてあるが、この頭に花が咲いたような勘違いをしている市民に言い聞かせてやりたい。
 平和は万人に享受されるものだ。そして、万人で守るものだ。警察はその手助けをする者であり、ヒーローは事件を収める一番派手な手段と力を持っているに過ぎないのだ。つまり、ヒーローが居るからといって警察の必要性が無くなる訳ではなく、そしてヒーローは平和を守り切れる者ではない。大体、人数が少なすぎるのだ。八人って。どういうことだ八人って。それはNEXT能力の持ち主が少ないことも、能力に大きな差異があることも、彼らを支えるスポンサーと莫大な費用なこともシャーナは知っていたが、あえて意味が分からないと言ってやりたい。八人。しかもそのうち二人は年若い少女で、一人は娘よりひとつ年上なだけ、もう一人は年下というありさまだ。
 それはつまり実質六人か七人くらいでしかないとシャーナは思っているし、どちらにせよ、そんな人数に守護されきるにはシュテルンビルトは大きすぎる。軽犯罪用の二軍だか二部リーグだかも存在しているらしいが、そうじゃない、とシャーナは溜息をついた。広さに対しての人数というのは、治安を維持していく上で重要な意味を持つ。例えば、広範囲で事件が発生した時に、全てに目を配れるかどうかと言うだけでも。シャーナが担当していたゴールドステージの南端に、事件発生から六時間、出撃要請が下されてからは四時間半、ヒーローはまだ現れない。それはすなわち、シャーナたち『取り残され組』の絶体絶命を意味していた。
 シュテルンメダイユ地区と外部を繋ぐ二本の陸橋が爆破され落とされてすぐ、地続きの他地区へ続く道路の全てを戦車が封鎖していることが確認された。主要道路のいくつかだけが有人であり、残りの八割から九割程度が無人戦車であることから、警察は早くからNEXTの仕業であると断言していた。戦車は、一つの地区をぐるりと取り囲む程の数なのである。想像を絶する規模であるというだけでNEXTを犯罪方向に使用した事件であるとされたが、その判断は早計であり、間違っては居なかったが正確でもなかった。
 有人戦車の乗組員を望遠から撮影した画像を解析した結果、行方不明として処理されていた軍人の名前が浮かびあがって来たからである。それも、操縦者の全てがアンノウン処理された軍人たちだ。厳密に計画された組織犯罪か、あるいはテロか。彼らの中にNEXT能力の発現者が確認できなかったことで、首謀者の特定や動機は混迷を深めるばかりらしい。二手に別れているだけだろう、とシャーナたち現場の警察官の意見は、上に届く前に黙殺された。
 軍が関わっている以上、国家ぐるみの陰謀に巻き込まれている可能性が高いので、軽率な判断を慎むように、とのことだった。その結果が、現場警察官の孤立である。下の意見を省みない上からの指示により、彼らはゴールドステージの住人を下の階層に避難させ、残っている者がいないか確認している途中で自動操縦で街中を走りまわっていた戦車数台と遭遇、そのまま包囲されて現在に至っている。装甲車でもなんでもない、ただのパトカーでは防御する術もない。撃たれれば終わりだ。人生というより命そのものが。幸い、無人戦車はパトカーを取り囲むばかりで撃ってくる気配を見せない。取り囲んでいるだけ、である。
 けれども遭遇した瞬間には確かに砲台はパトカーに狙いを定めていたし、取り囲んで逃がしもしないのだから、害がないと思うには物騒すぎた。息が詰まる。じりじりと、精神が削られて行く。無線は妨害電波のせいで繋がらず、携帯電話も当たり前のように無音を返すばかりだった。連絡手段はない。そしてシャーナたちがここに居ると知っている者たちは、すでにブロンズステージに撤退している筈だろう。見回りが終わればシャーナたちもブロンズステージに移動し、避難している市民の守護に立つ筈だった。彼らが、シャーナたちが居ないと気が付くのはいつだろう。救援に戻ることは許されないに違いない。張り詰めた意識が力を失って行くのを感じる。
 その瞬間だった。青白い光が淀んだ意識を焼いて行く。急激な冷気が風圧となって車体をも襲い、シャーナは目を見開いて一台の戦車を睨みつけた。それは圧倒的な光の本流だった。確認した瞬間は細い一条の閃光であったものが、瞬く間に爆発的に膨れ上がり、取り囲む戦車の一台を飲みこんで行く。はっとシャーナの隣で同僚が息を飲む。まさか、と言葉が音を成さず呟かれた瞬間、眩い光が一瞬にして氷へと変化した。脳髄を貫く不愉快な音。北極の氷が砕けるにも似た音を響かせ、一台の戦車が丸ごと氷に閉じ込められる。数秒して、バイクの稼働音が緩やかに響く。そーっとそーっと確かめるような動きで、戦車の死角からシャーナたちの前に現れたのは、不思議な作りのバイクにまたがった一人の少女だった。
 少女は疲労の濃い顔つきで頭をふらふらさせながら、額に浮かんだ汗を二の腕まで覆う手袋をはめた手で拭った。ちらりと長手袋に向けられた表情はなんだか不本意そうなそれで、脱ぎ捨てたいという意思が容易に感じ取れるものだった。少女は戦車に取り囲まれていたパトカーに気が付く素振りもなく、バイクから降りると巨大な氷山と貸したそれにそーっと近寄り、ぺたぺたと表面を撫でまわしては首を傾げている。これ、本当に大丈夫なのかしら。そんな声が聞こえて来そうな仕草に、シャーナはなぜだか頭痛を感じて黙りこむ。あの少女の名はなんと言ったか。青い薔薇の文様がデザインされたバイクに、青を基調としたヒーロースーツ。いでたちにぴたりと合うような名であった筈なのだが、どうにも思い出せない。名を呼んで、いいから離れなさいと言ってやりたいのに。
 一台を無力化したとて、まだ周囲にはシャーナたちの乗る車を取り囲むようにして無人戦車が稼働しているのだ。狙いを定めたまま動きもしないので油断しているのかも知れないが、それにしても無防備すぎる。まあ大丈夫かな、と言うように揺れた頭がふと振り返った瞬間、シャーナはそのヒーローの名を思い出した。ブルーローズ。氷を操るNEXT。ブルーローズの氷色の瞳が、戦車に取り囲まれていたパトカーをようやく発見し、シャーナと目が合うと驚きにまるく見開かれる。ええっ、と少女の裏返った悲鳴が遠くに響き、ブルーローズの視線が忙しく動きまわった。狼狽とは僅かに違う仕草の意味に、気が付いたのはシャーナだけだろう。同僚はヒーローの登場に助かったと胸を撫で下ろすばかりで、ブルーローズの些細な仕草に気がついても居ない。
 テレビカメラが近くにあるか、中継が今自分を映しているかどうかを確認していたのだろう。二の腕に巻きつけてあるPDAを指先で幾度も叩いて操作した後、ほっと安堵に胸を撫で下ろす仕草を見た瞬間、シャーナは怒りで息が苦しくなる。ヒーローはショーアップされた存在だ。TVは視聴率をかけて彼らを映しだし、働きによってポイントを与え、ヒーローたちは順位を競い合っている。彼らは無償による善意の徒ではない。それを知らしめる動きに悔しさと、ただ怒りを感じた。そんなものに救われただなんて、思いたくない。安心した様子で、小走りにかけて来るブルーローズを睨みつける。他に手段がないから、仕方なく救出されるしかないのだ。分かっていても警察として情けなく感じたシャーナの視線の先で、ブルーローズがぴたりと立ち止まる。
 その視線は一台のパトカーを通り過ぎ、その背後に向けられているようだった。青ざめた表情とは裏腹に、こどもっぽい仕草で唇が半分開いていた。ぱちぱちと現実感を伴わない瞬きが繰り返され、少女の瞳が驚愕に見開かれる。重苦しい機械音が、響く。動いてる。そう読み取れた唇を真実と証明するように、シャーナの正面でも左右でも、凍結された一台を覗く無人戦車が休息を終わりにしたかのよう、次々と息を吹き返していた。砲台が不気味な滑らかさで動き、標準を次々とブルーローズに合わせて行く。焦燥に彩られた瞳が戦車を忙しなく見て、ブルーローズは一瞬だけ、うかつにも背後に残してきた己のバイクを振り返った。少女の指先から、青白い奔流がほとばしる。指先が一条の線を引く。駆けだした方向は、シャーナたちの乗るパトカーに向かってだった。
「っ……あああぁっ!」
 青白い光が網膜を焼く。意識を取り戻したのはすぐ後だった。ぶ厚い氷のドームが形成された中心に、無傷のパトカーとくず折れるようにしゃがみ込んでいるブルーローズの姿がある。両手から光を溢れさせたままで歯を食いしばり、ブルーローズは勇ましい視線で数メートルにも及ぶであろう氷の向こうを睨みつけた。氷が削れる不愉快な音と、足元を安定させない振動が絶え間なく続いている。氷は不透明で、外側がよく見えない。けれど、シャーナはぞっとして、絶句した。今現在も、戦車の砲撃から守られているのだ。ひどい頭痛を振り払うような顔つきと仕草で立ち上がったブルーローズが、ふらふらとおぼつか無い足取りでシャーナたちの元へやってくる。
 すでに茫然と見守るしか出来ない警察官の視線に晒されて、ブルーローズはやや気まずげに、パトカーの窓をコンコンと手でノックした。一般市民が警察によくそうする、ごく普通の仕草だった。半ば思考停止しながら窓を開けると、少女はほっとした顔つきでシャーナを眺め、同乗していた二人の無事も確認してから口を開く。
「……この地区の、警察官の方ですね? お名前を教えて頂けますか……?」
 それはシャーナが予想していた言葉のどれでもない、疲労感にまみれた礼儀正しい響きだった。きちんとした教育を受けているのだと物語る美しい発音は、モニター越しに見た『ヒーロー界のスーパーアイドル』『氷の女王』ブルーローズと一致しない。くずぶる想いも忘れてシャーナが名乗ろうとした時、ひどく耳障りな音を立てて氷のドームが振動する。ひっ、と喉の奥で息を吸い込んだのは、他の誰でもないブルーローズだった。腹の奥に響く音を立てて氷のドームにひびが入って行く。ぐっと唇が噛み締められ、少女のてのひらが虚空を撫であげた。指先から幾筋もの光が舞いあがって行く。響く轟音と衝撃から命を守りながら、少女の頭がまたふらり、と揺れ動く。焦点の定まらない瞳が、苦痛によって像を結んで行く。苦しげに繰り返される荒い呼吸が、疲労の激しさを物語っていた。
 不意に、気が付く。事件発生から六時間、ヒーローに出動要請が下されて四時間半。その四時間半、少女はこの広大な地区を飛び回っていたのだろうか。人を救うこともあっただろう。先のように兵器を凍結させてしまうことも多いのだろう。少女の活躍はシュテルンビルトに住む以上は嫌でも目に飛び込んでくるから、その様は見物でもしていたかのよう鮮やかに脳裏に描くことができる。四時間半だ。その間、休憩も取らずに動き回っていたとしたら、体力がもつ筈もない。限界を示すように揺れた瞳は、しかしシャーナたちを認識することでみるみるうちに輝きを取り戻した。ふ、と勝気な笑みを浮かべ、ブルーローズが首を傾げる。
「名前、教えてくれます?」
「……シャーナ。こっちはドルク、向こうはレガンス」
「シャーナ、ドルク、レガンス。三人とも警察官で間違いないのね?」
 非礼すれすれの勝気な響きに、怒りを覚えなかったのは先に吐き出された素直な言葉を覚えているからだ。恐らくは中流階級の素直で礼儀正しい少女は、ヒーローである限り己そのものを出す訳にはいかないのだろう。肯定の代わりに頷けば、ちょっと待ってて、と告げたブルーローズは神経質に氷の補強を繰り返しながら、腕にあるPDAに指先を走らせた。ザ、ザザ、と砂嵐の音が響く。眉を寄せながら何度も何度も操作して、やがてか細く繋がった音声に、少女はちょっと、と声を張り上げる。
「大至急調べて欲しいんだけど、折紙!」
『なんでござるかー! 拙者今ちょっと忙しいでござるよ!』
「警察官! 現在までに避難区域に現れていないリスト、シャーナ、ドルク、レガンス! あと今私に一番近いの誰っ?」
 砂嵐が吹きすさぶばかりの画像の向こう側でも、轟音が響き続けている。戦闘中か、移動中なのだろう。さりげない折紙サイクロンの『今無理』を鮮やかに無視してのけたブルーローズの問いかけに、数秒の沈黙が横切り、消滅した。はー、と溜息の後になにかを操作する音が響き、ややあって折紙サイクロンが答える。
『該当者三名でござるよー、名前も一致してるでござる。保護したでござるか?』
「……保護したっていうか包囲されたっていうか」
『……あー』
 間延びした納得の声が響き、ブルーローズは唇を尖らせる。その間も光をまとった指先を動かし、ひび割れ揺さぶられ続ける氷を補修し続けていた。
「で? 誰が一番近いの? タイガー? タイガーよね? タイガーがいい。バーナビーはいい。早く来て疲れた」
『残念なことに拙者でござる。スカイハイ殿と一緒でござるが、スカイハイ殿も移動中でござる』
「……アンタたちどうやって移動してんの?」
 途切れ途切れの音声の向こう、圧縮された空気の動く音がしていた。なんとなく言いたくないような折紙サイクロンに、察したのだろう。ふー、と息を吐いたブルーローズは、あのね、と語り聞かせるように囁いた。
「折紙。私の傍、今カメラ一台もいないの」
『……え』
 ぴく、と反応したのが分かりやすい声だった。ほ、本当に、とどもりながら続けられた声は素直な響きで、不安げな警察官の意識を素通りしていく。黙りこんでしまったシャーナたちをちらりと振り返り、視線を外してブルーローズは囁いた。
「こんな機会、滅多にないと思うけど?」
『そ、そそそそ……そうでござるな。そうでござる、が!』
「ブルーローズの救助の為に仕方なく、でヘリペリの人も分かってくれると思うわ」
 ふふ、と穏やかな笑い声が二人の会話に割り込んだ。折紙君、と甘やかに響く声が告げる。
『行っておいで、君の負けだ』
『……でも』
『大丈夫。……ブルーローズくん? 見えるかい? 今、折紙君がそちらに向かうから』
 ややうんざりしたようなブルーローズの視線が、外界を隔てるぶ厚い氷のドーム、その上に向いた。絵本に描かれる魔法使いがそうするように、指先が振られると氷が透き通って行く。それは戦車に囲まれ砲撃を受け続ける絶望的な状況を露わにしたが、同時に視線の先、天の近くにある救援の姿をも表した。スカイハイが折紙サイクロンを抱きあげて、ここだよ、と手を振っている。ゆるく笑みを刻んだブルーローズの唇が、柔らかに動く。
「リア充砲撃されろ」
『やめてください怖い! 冗談にならない!』
「冗談じゃないし。それより、早くして? 疲れたって言ってんの聞こえなかった訳?」
 ふー、と演技でもなく長い息を吐きだした唇が、かすかに震えながら結ばれる。ぐっと力を入れて寄せられた眉の間を指先で叩いて、ブルーローズはその場にしゃがみ込んだ。
「……ごめん、折紙。ほんとに……はやく……」
『……うん。ブルーローズ、怪我は?』
「してない。……誰にも、怪我させない、から。折紙」
 ごめん、と少女の唇が動く。砲撃を恐れず飛び込んで行った少女が、力及ばず守り切れなくなることを、なにより恐れて震えながら。
「……す、けて」
『すぐ行く。……すぐ行くでござるよ!』
 叫び声めいた青年の決意がくだされ、ブルーローズは唇を歯で噛みながら再び立ち上がる。脚はぶるぶると疲労に震えていた。それでも少女は立ち上がり、美しい笑みを浮かべてシャーナたちを振り返る。意思を強く持つ為に少女が手を強く握っていなければ、隠しきれない震えさえなければ、一幕すら演技であったと思わせる微笑。
「……すこしだけ怖いかも知れないけど、大丈夫」
「え……?」
「ブルーローズは負けないの……」
 吐息に乗せて囁かれた誓約。それは己に対する誓いに他ならない言葉だった。ブルーローズは脚に付けていたフリージングリキッドガンを持つと、手慣れた仕草で残球数を確認する。あと三発、と凛と響く声が告げた。
「でも、全部あげるわよ! 折紙!」
『承知した!』
『それでは行くよ! そして、行ってらっしゃいだ。折紙サイクロン! ブルーローズ!』
 GO、と中継のカメラは決して拾わない壮絶な気配を漂わせた合図がくだされたと同時、ブルーローズは展開していた氷を銃弾に砕かせた。維持の為の力を途絶えさせ、青白い光の奔流を指先に集め直す。摂理に反して存在していた氷は一瞬で消滅し、戦車とシャーナたちの間にあった遮蔽物がゼロになる。轟音を立てて発射される砲に怯むことなく、ブルーローズはフリージングリキッドガンの引き金を引いた。銃弾とから砲台が瞬く間に凍りつく。全体の二割を凍結させた戦車に向かって、真上から衝撃が下された。それは青い閃光に見えた。直後、戦車が爆発炎上を起こす。現実味のない光景にシャーナが瞬きを繰り返している間も、ブルーローズは別の戦車に向かって引き金を引いた。
「……ああああああ! やっちゃったでござるー! 手裏剣回収し忘れたでござるー!」
「あーあ、絶対怒られると思うんだけど」
「ひ、非常事態! 非常事態でござるよ!」
 戦車の真上に巨大手裏剣を突き刺すことで爆発炎上させた折紙サイクロンは、企業ロゴのはいったそれを背から取り外しているからなのか、非常に身軽な姿に見えた。頭を抱えてしゃがみ込む姿は嘆いているのか、首が激しく左右に振られている。
「もしくは拙者、無くしちゃったことにするでござるよ!」
「あんな巨大なもんどうやって無くすのよ!」
『全部聞こえてるわよ馬鹿あああああっ!』
 二人のPDAからほぼ同時に涙声混じりの絶叫が響く。それはTVモニター越しには一度も聞いた覚えのない声だったが、ヒーローたちには馴染み深いものだったらしい。あーあ、と顔を見合せ、折紙サイクロンは取り出した手榴弾を戦車の下に投げ入れつつ、首を傾げる。
「救助最優先だったでござる。あと武器が役立ってるでござるよー、キリサトさん」
『当たり前でしょう! こんなこともあろうかと開発しておいた折紙サイクロン専用中距離爆破物、今使わないでいつ使うのよ先読みの神様ありがとう! でも手裏剣……! た、高いのにあれ! 作るの面倒くさいのにあれ!』
「いつも思うけど、ヘリペリの技術者ってちょっと変よね?」
 戦車の駆逐を完全に任せることにしたのだろう。残弾一発のフリージングリキッドガンを脚に収納しなおし、周囲の警戒だけはしながらブルーローズがパトカーに走り寄る。ダイナマイトによく似た形状の爆発物を戦車に向かって投げつけながら、折紙サイクロンは肩をすくめるジェスチャーをした。
「人間関係に支障が出るのでノーコメントでござるよ」
『折紙サイクロンは戦闘が終わったらトランスポーターに戻るように!』
「と、ところでキリサトさん! なんで爆発した後に『ござるよー』って言うでござるかこの爆発物!」
 おかげで、断続的な戦車の砲撃も破壊音もなにもかもに緊迫感が無くなっている、うんざりした表情でパトカーのボンネットに腰かけているブルーローズは、形式美だの折紙への愛とリスペクトだの訳が分からないことを叫び続ける通信の音量を下げながら、深く長い溜息をついた。
「さっすがヘリペリヒーロー事業部の技術者よね……奇人か変人か変態のどれかに属する天才しかいないって言われてる意味が分かるわ。……あ、あっ! も、もうすこし待ってよね? 危ないから、今」
 ものすごく、たった今思い出したかのように話しかけられて、シャーナはぎこちなく頷いた。ブルーローズはうんと素直に頷き返し、ボンネットに腰を下ろしたまま、肘をついて折紙サイクロンの戦いぶりを眺めている。砲撃を紙一重で避けるという驚異の反射神経と運動能力を発揮しながら、折紙サイクロンは次々と戦車を破壊し続けていた。シャーナの記憶が正しければ、折紙サイクロンというヒーローは『後方支援型』の『ヒーローにしては類をみない直接攻撃能力のない』ヒーローであり、その活動は常に『人命救助優先』で『スポンサーアピール見切れ優先』であった筈なのだが。眼前の折紙サイクロンは、そんなことを忘れて来たかのようになめらかに戦車を破壊し続けている。

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