全身を覆うスーツのどこに隠していたのか、手品のように次々と取り出される手榴弾やダイナマイトの数々は、ごく正確な投擲によって戦車の上に乗ったり車体の下に滑り込み、たったの一撃で穴を開け、車体を爆発炎上させている。高下駄がコンクリートを穿ちながら動き回るが、危なっかしい印象はまるでなかった。公表されている性別が真実であるならば『彼』は、あまりに戦いに慣れていた。爆発物を取り出し、起動させ、振りかぶり、投げる。たったそれだけの仕草を、折紙サイクロンは淡々とこなしていた。降り注ぐ砲撃は天から落ちる雹だとでも言うように、雨あられのように撃たれ続ける銃弾をくるりくるりと舞うように避けて。冷静に、正確に、楽しげですらある仕草で淡々と戦車は破壊され続けている。
唖然と見つめるシャーナたちの視線の端に見切れながら、ボンネットに膝を抱えて座り込んだまま、立ち上がる気配のないブルーローズがぼやく。
「……折紙、地味ー……」
「いやいや、そんな派手なアクションを期待されても困るでござるよ! 戦車を生身で撃破できると思ったら大間違いでござる!」
暗に、NEXT能力で破壊できる自分と一緒にすんなと告げられて、ブルーローズはぷぅと頬を膨らませた。
「せっかく、久しぶりに折紙の戦ってるトコ見られると思ったのに……だから呼んであげたのに、どういうことなの?」
「どうもこうも!」
対戦車ミサイルを紙一重で避けるという神業を会話の合間に行いながら、折紙サイクロンの指先が手榴弾を三つ取り出し、ピンを一息に引き抜いて行く。視線をブルーローズへ向けながらそれら手榴弾を残り一台になった戦車に向かって投げつけて、折紙サイクロンは言った。
「いくら中継されていないからと言って、戦車に肉弾戦を挑むのが見たかったらロックバイソン殿に頼むでござるよ! 拙者は御免こうむる!」
『そうですそうです! そうですよー! 折紙サイクロンのトリガーハッピー計画的に肉弾戦はちょっと違うかなって!』
「キリサトさんはなんの計画立ててるんですかーっ!」
聞いた覚えがありませんそんな計画、と叫ぶ折紙サイクロンの声に、最後の一台までをも炎の下に沈めた爆弾が、『ござるよー』という残響を残して役目を終えたことを知らせた。私はトリガーハッピーを育てるのが夢だったんですと涙声で言い張る折紙サイクロンの武器開発者は、本人の言を借りて表すのであれば『変態に属する天才』だった。あのひとは天才というか天災でいいです、といつだったか言い切った折紙サイクロンの目が死んでいたことを思い出し、ブルーローズは臨時で接続していたヘリペリの専用ラインとの接続を切った。そうしてから改めてヒーロー専用回線に通信を繋げようとしてみるが、変わらず砂嵐の音が響くだけで、先程のようにか細くであっても接続することは叶わない。強力な電波妨害は続いている。それをかいくぐり、接続してみせるラインを一時間で作りあげたのだから、確かにヘリペリの技術者は有能なのだ。
どうしようかなー、とのんびりした声を響かせながらボンネットで猫のように体を伸ばすブルーローズに、シャーナは目を向けたまま黙りこむ。周囲の光景は殆ど焦土と化していた。美しいゴールドステージの景観は損なわれ、焼け焦げひしゃげた戦車の車体と、穿たれたデコボコの道と、穴が空いた住宅が遠くまで並んでいる。その中で折紙サイクロンは通信越しに口喧嘩を始めていたし、ブルーローズはまるで普通の少女のように、マニキュアの剥げた爪先に顔をしかめている。この子たちはなんなのだろう。これがヒーローなのだとしたら、シャーナたちはこのようなものに頼り、救われているということになる。この、激戦の中で己というものを保ってみせた存在に。希望を託すのだとしたら、それはあまりに危ういことだった。
ううう、と泣き声とうめき声が半々になった響きでブルーローズは伸びをして、視線だけでシャーナを振り返る。視線が交わされた後すぐに外されて、少女の瞳が折紙サイクロンを眺めた。
「ちょっと折紙……。喧嘩しないでよね。使える回線、今それしかないんだから。口喧嘩フルオープンにしていいなら遠慮なく使うけど」
「ううぅ、拙者、社内のキャラ作りの方向性が怖くなってきたでござるよー……キリサトさんは無視することにしたので使って良いですよ。誰か呼びますか?」
「近くに居る他のひと」
端的に言い放ったブルーローズは、溜息を付きながら眉を寄せた。己にも理解できていないであろう不愉快なざわめきに、ブルーローズの視線が持ち上がり、なにかを探して宙を彷徨いだす。折紙サイクロンはPDAに指を走らせながらヒーローたちに回線を接続し、『女王さまのご指名なので出来ればタイガーさん来てください、わりとすぐ。バーナビーさんはいいそうです』と言いながら雨嵐と降り注ぐヘリペリからの文句を黙殺していた。その意識がほんのすこしブルーローズに割り振られ、訝しげに首が傾げられた瞬間だった。ボンネットから腰をあげないまま、ブルーローズが悲鳴じみた声をあげる。
「避けて折紙!」
それでも、少女の指先は青白い光を放ち一枚の盾を作り上げ、折紙サイクロンを襲った凶弾を寸前で止めた。現実を認識しきれない鈍い動きで、折紙サイクロンが彼方からの射撃を見極めようとする。
「っ……!」
息を飲む少女の噛み締められた唇と、車体を揺らした衝撃に、シャーナはブルーローズも何処から狙撃を受けたのだと知る。白い手袋に覆われたてのひらは太ももを強く押さえていて、呼吸のたび鼓動のたび、溢れる鮮血がボンネットを揺らした。ぐらりと上半身を揺らしながらも、ブルーローズはボンネットから立ち上がろうとする。震える指先がボンネットに叩きつけられるのを見て、シャーナは天啓のように気が付いた。この少女は座っていたのではない。もう立ち上がる体力が残っていなかったのだ。
「あなた! ……ブルーローズ!」
「ふえ……え、え?」
「車内に入りなさい!」
窓を開けて上半身を乗り出し、両腕を差し伸べてブルーローズを呼ぶ。少女は口を半開きにした状態で、首を振ってそれを拒絶した。そのやりとりの間にも、射撃は慈悲なく降り注ぎ、折紙サイクロンや少女を襲っている。折紙サイクロンは氷の盾に守られ、鉄の弾に射抜かれることがない。もどかしげに銃弾の元を辿りながら、折紙サイクロンがブルーローズを見る。駆け寄ってこようとする青年を、少女は鋭く睨みつけた。
「馬鹿! こっち来ないで!」
「でもっ!」
「装甲車じゃないのよっ!?」
血を吐くような声で叫んで、ブルーローズが不安定に立ち上がる。窓を閉めて、と掠れた声で囁かれ、シャーナは少女の真意を悟った。恐らく、狙われているのはヒーローだけだ。少女は守るつもりなのだ。ヒーローとして。シャーナたちの命を。ここにはTVカメラも、応援するファンもいないのに。銃弾に腕を撃ち抜かれた少女の、殺しきれない悲鳴が食いしばった歯の奥から漏れる。それでも、瞳の輝きは失われていなかった。ブルーローズはシャーナの肩をぐいと押し、ハッキリとした声で窓を閉めて、と告げる。
「大丈夫。貴方たちは守るわ」
「……私たちは警察よ! 一般市民じゃない!」
「それがなに」
ひたとシャーナの目を見据え、ブルーローズは怪我などしていないような仕草でボンネットから飛び降りる。がつん、とヒールがアスファルトを打ち、少女の体はふらりとかしいだ。細い指先が跳ね上がるようにして動き、閃光が瞬く間に氷の盾を作りだす。触れるな、と拒絶するように銃弾を食い止め、そちらを見もせずに少女はフリージングリキッドガンを手に持った。
「警察でも、市長でも、大臣でも、そんなの私には関係ない」
精巧に作られた玩具のような銃が、銃弾一つ防ぐことのできないパトカーに向けられる。
「ヒーローが守るのは」
引き金に、すでに指が触れていた。
「そこにある、人の命よ」
残り一発の引き金が引かれ、導かれた氷の結晶がパトカーを包み込んだ。凍結はさせない。守る為の膜だった。ブルーローズはフリージングリキッドガンを脚に戻し、身を翻して折紙サイクロンへ駆け寄ろうとする。けれども、すでに限界を超えていたのだろう。がくりと崩れた脚は少女の体重を支えきれず、ブルーローズは鮮血の軌跡を残して地に叩きつけられた。氷の守りから出て、折紙サイクロンが少女を庇おうとする。なにがヒーローだ。あそこに倒れているのは、ただの少女だった。人を守ろうとする。命を守ろうとする。NEXT能力を持っているだけの、無力な少女。
折紙サイクロンが、少女の頭を胸に抱え込むように抱き締める。ぐ、と胸を押して離れようとする動きを許さず、頭だけは守ろうと折紙サイクロンはブルーローズに覆いかぶさるようにした。少女はむずがるように、泣きじゃくるように、血にまみれた細い指先で折紙サイクロンのマスクを撫でる。その下にある顔を、知っているのだろう。そういう、優しい仕草だった。
「折紙……」
「なに。ごめんとか言ったら怒るよ」
「……じゃあ、言わない。……すぐ、誰か、来る?」
銃弾の音が止んでいた。動けなくなった二人に、じっくり狙いを定めているのだろう。それなのに少女はまるで穏やかに微笑み、折紙サイクロンに問いかける。青年はマスクの奥で、すこし笑ったようだった。
「回線繋ぎっぱなし。さっきからすごいよ、皆」
だから、すぐ来る。回線が音声を響かせる状態で繋がれているからこそ、その優しい囁きはシャーナの元まで届いた。目を閉じてればすぐだよ、と眠りに誘うように折紙サイクロンは言う。嫌がるブルーローズをさらに深く抱きしめて、折紙サイクロンは大丈夫、と告げる。ちいさく囁かれたいくつもの数字をブルーローズは理解しなかったが、聞くともなしに耳にしたシャーナには理解できた。それは組み合わせると座標になる。続いて読み上げられるのは狙撃銃の名前。告げる声はぞっとするような、静かな怒りを秘めていた。
「タイガーさん、バーナビーさん、ファイヤーさん、スカイハイさん。誰でもいい。誰でもいいから……早く」
『了解した! そして、了解した!』
『すぐだからな、ブルーローズ。おじさんたちがすーぐ捕まえてやるからな』
命令にも似た要請を受諾した二つの意思が、回線越し、少女の口元を和ませた。折紙サイクロンは少女の髪を撫で、耳元に口付けるかのよう深く、身を屈めて動かないで、と囁く。少女の指先が青白く発光し、氷に変化する前に霧散する。
「大丈夫」
すこしならスーツが弾いてくれる、と告げ終わるより早く、折紙サイクロンの背に深紅の雫が散る。衝撃に仰け反って呻きながらも、青年の腕はなお強く、少女の頭を抱きこんだ。防げてないし、と悪態を付く声は涙を滲ませたそれで、白い手袋に覆われた手が折紙サイクロンの背にまわる。たどたどしく背を撫でる手は、傷を癒したいのだろう。その傷を負わぬよう、守りたかったのだろう。ごめん、と囁く声に微笑した気配がそっと下り、平気だよ、と甘やかな声が告げる。よしよし、と少女を宥め撫でる指がびくりと震えたのは、遠く向けられる銃弾の気配に気が付いたからだろう。また、撃たれる。気が付いたブルーローズがもがいて折紙サイクロンを突き飛ばそうとするも、青年の腕は決して少女を離さなかった。逃げなさいよっ、と怒鳴られるのに、折紙サイクロンは根気強く言い聞かせる。
「大丈夫、大丈夫でござるよ」
「なにが……!」
耳障りな金属音を立てて、銃弾が跳ね返される。遠くのコンクリートに落ちて転がって行く音を、ブルーローズはやや緩んだ青年の腕の中で聞く。はー、と安堵の息を吐き出す青年に、盾となったロックバイソンはよくやったな、と告げる。
「遅くなってすまないな。大丈夫か? 折紙、ブルーローズ」
「はい。……すみませぬ、ロックバイソン殿。しばらくの間、盾に」
「おう、任せとけ。……こら、ブルーローズ。まだ泣くな。ヒーローだろ?」
無骨な腕が伸びてきて、涙目でしゃくりあげるブルーローズの髪をぐしゃぐしゃにしていく。すぐさま離れようとする大きな手をもう、と憤慨しながら掴んで、ブルーローズはマスクごし、困り切った顔をしているであろうロックバイソンを睨みつける。どうして男どもは、誰もかれもフルフェイスマスクなんてものをしているのか。顔がみたい時に、視線を合わせたい時に、こんなことではすごく困る。数年ぶり考える慣れた事実に対して怒りながら、ブルーローズは息を吸い込んだ。
「泣いてないし。……でも、お礼は言っとくわ。ありがとう」
「気にすんな。四時間以上だ、お前はよく頑張ってる」
キッドなんかさっき意識を失ってぶっ倒れてたぞ、と呆れ交じりに告げるロックバイソンの口ぶりは薄情とも取れたが、つまりは心配ないということなのだろう。どうりで折紙サイクロンが呼ぶ名にドラゴンキッドが含まれていなかった筈だと思い、ブルーローズは嫌な予感で視線を彷徨わせる。そういえば、一つ返事が足りなかった。
「……バーナビーは?」
「ハァイ! こっちはいいから向こうに行け、と言われた方。バーナビーです」
「きゃあぁっ!」
急に顔を覗きこまれて、ブルーローズはやけに少女めいた叫びをあげてしまった。美形が近い。本人が聞いたらそれでどうして悲鳴なんてあげるんです、と眉を寄せるような事実を思い、ブルーローズはフェイスカバーを一部上にずらし、顔を露出しているバーナビーを見た。激戦で疲れているだろうに、汗が浮かぶ面差しは今日もやっぱり美形だった。腹立たしい。顔を覗きこむな、近い、と思いながら、ブルーローズは慌ただしく息を吸い込んだ。
「な、な……なにしてるのよ!」
「なにって、仕事中ですが。……というか、いい加減、僕の顔に見慣れてください」
「違うし! そうじゃなくて……そうじゃなくて、あの、こっちは良いからって……タイガーが?」
他に誰がいるんですか、と言いたげなバーナビーに見つめられて、ブルーローズは居心地が悪そうに身じろぎをした。途端、腕や脚に激痛が走って息を飲む。痛い、と当たり前のことを口にするブルーローズに呆れたように、バーナビーは身を屈め、少女の額に己のそれを重ねてくる。冷たい、プラスチックに似た感触。なによ、と睨むブルーローズに、バーナビーは苛立ったような目を向けた。
「頑張りすぎなんですよ、女王さま。全く、女の子がこんなに怪我をして」
「……女の子だけどヒーローなの」
「ヒーローだけど女の子、でしょう?」
女子高生のくせに、とよく分からない悪態をついて、バーナビーは折紙サイクロンからブルーローズを引きとった。ひょい、となんでもない仕草として横抱きにされて、ブルーローズはちょっと、と力ない抵抗をする。
「危ない」
「なにを言ってるんだか」
呆れの表情まで美形だったので、カリーナは目を伏せてぐったりとした息を吐く。疲れている時に美形が近いと、イケメン疲れする。バーナビーのせいで分かった事実だ。
「もう終わってますよ。スカイハイが狙撃主を無力化させました。先輩、頑張ってくださいね」
「バーナビーさんがなにを言ってるのか分からないから頑張りたくないです」
「スカイハイ、先輩が狙撃されたのでそれはもう頭に来ていたんで、頑張って宥めてくださいね?」
まだ今日の事件終わってないんで、スカイハイはもうすこし使える状態で居て貰わないと。にっこり、極上の笑顔でKOHを物扱いしたすこし前までKOHだった男は、それにまったく固執していない晴れやかな表情で、カリーナを見て溜息をつく。
「……無茶をして」
「だって」
「だってじゃない。いいですか、女王さま。何回か言いましたが何回言っても残念ながら理解していないようなので、何回目か分かりませんが言いますよ。頼りなさい。……助けてタイガー、とか言えば良いじゃないですか。可愛い声で。あのおじさん、すぐ来るに決まってるのに」
実際、そんなことをしたら今頃不機嫌で仕方がないというのに、ブルーローズが怪我をしているのを見て、それが忍びないというようにバーナビーは言う。この男は本当に丸くなった。そしてヒーローを仲間として認めて、家族のように大切にしている。貴女が血を流して先輩に抱き締められているのを見た僕の気持ちが分かりますか、と告げる声は悲しく拗ねていたので、ブルーローズはそっと、バーナビーの額に触れてやった。指先の血が擦れてつくが、構わないだろう。これくらいで、バーナビーは怒らない。なんですか、と向けられる瞳に、ブルーローズはうん、と言って笑う。
「助けてバーナビー、でも。すぐ、来る?」
「はい」
「フェミニスト」
ふ、と笑って、バーナビーはブルーローズの額にごち、と頭をぶつけた。痛いんだけど、と不満げな少女にそうでしょうともと唇をつり上げて微笑み、バーナビーはてくてくと身軽くパトカーの方へ歩いて行く。その途中で気が付いたのだろう。あ、と言ったブルーローズが、指揮者のようにさっと腕を一振りした。青白い光の欠片となって、車を守っていた氷が消滅する。氷は水になって大地に吸い込まれることなく、ただ光の粒子となって空気へ溶け消えた。パトカーが数歩の距離になって、ブルーローズはバーナビーの腕の中で身じろぎをする。言葉に出されない求めに従い、バーナビーはそっと、少女の足を地へ下ろしてやった。
歯を噛んで痛みを堪え、ぐらつきながらもブルーローズは庇護の中から立ち上がる。そして毅然とした態度で歩き、パトカーをひょいと覗き込むと晴れやかに笑った。
「お待たせ、シャーナ。ドルクと、レガンスも。これから避難指示に従い、貴方たちはシルバー、もしくはブロンズステージに移動して貰うわ。以後は……貴方たちは警察官だから、怪我がないようなら所属する署に連絡してもらって……移動より、連絡が先だったかしら」
くるりと疑問に円を描く視線はシャーナたちの元に定まらず、バーナビーを振り返る。青年は通信が途絶えている状況なので連絡は無理ですねとさらりとした声で告げると、つかつかと音高くシャーナたちの元に歩み寄ってくる。もうちょっとあっち行ってなさいよ、と犬猫を追い払う手つきで振られたブルーローズのてのひらを掴み、バーナビーはにっこりと、雑誌でよく見せる類の微笑みを浮かべた。
「貴方がたの護衛にはロックバイソンが付きます。彼の指示に従って、申し訳ありませんが徒歩で移動してください。……貴方は時間切れですよ、ブルーローズ」
「忍耐が無い男って嫌われると思う」
「それが原因でバディと不和を起こしたことがありませんので、ご心配なく。で? お姫さま抱っこと横抱きのどちらにします?」
ブルーローズは二秒だけ考え、信じられないとばかりバーナビーを睨みつけた。
「一緒じゃん!」
「うわ、考えないと分からないって重傷ですよ?」
「……っ、病院に!」
弾かれたように横入りしてきたシャーナの声に、二人のヒーローが不思議そうな視線を向けた。長時間車内に居たせいでふらつく足腰を叱咤しながら立ち上がり、少女の前に立ってシャーナは息を吸い込む。
「ブルーローズ、貴女は……病院に行かなくては、折紙サイクロン? 向こうの彼も、今すぐに!」
「……折紙は、行った方がいいだろうけど」
困惑し、困り切った顔つきで少女は視線を動かし、折紙サイクロンを振り返る。果たして、撃たれて倒れていると思われたその姿は、すでに立ち上がって逃げようとしていた。移動ではなく、逃げようとしていたと分かるのは、彼が白衣を着た集団に取り囲まれ、逃げるなだの動くなだの罵声交じりに叱られていたからである。ヒーローを取り囲む集団白衣の背には、ヘリペリデスファイナンスの社章。社員の皆さんですね、とバーナビーが呟き、極めてどうでもいいことのようにヒーロー事業部技術者の、と付け加えた。なんとなく見守ってしまう複数の視線の先、黒髪の女性は手のひらでしきりに折紙サイクロンのスーツ、それも背の撃たれた辺りを探っている。しばらくして悲嘆にくれたような叫びが、静けさを貫いた。
「やっぱりー! やっぱり血糊じゃないですか心配して損したー!」
「僕としてはなんでスーツに血糊機能が付いているのか説明して頂きたいくらいなんですが」
「うまーく使えばいつか陽動に使えるかな、と思って仕込んでおきました!」
ですよね私たちのスーツが射撃なんかに貫通される訳ない、と納得しきった女性の呟きに、白衣の集団から力が抜けた。技術者たちが確認したかったのはそれだけだったようで、じゃあ休憩してる時にメンテするからちゃんと脱いで休むようにと言い渡し、ぞろぞろと何処へ歩き去って行く。視線の先を追えば、一応道は閉鎖されていた筈なのだが、ヘリペリデスファイナンスのトランスポーターが止まっている。ブルーローズは溜息をついて首を振り、行かなくていいみたい、と呟いた。
「それに私も、これくらいなら……まだ、事件ぜんぜん終わってないし」
「……撃たれたのよ、貴女は」
「かすっただけ。それに、ヒーローの出番はまだまだこれからなの。心配しないで?」
つん、とした澄まし顔で言い切るブルーローズの瞳があまりに真剣で、だからこそ、シャーナは立ち上がれもしなかったくせに、という言葉を飲みこんだ。今も、平然とした顔をしているだけで、体力が回復しきっていないのだろう。背をバーナビーに預けてもたれかかることで『女王ブルーローズ』の顔と姿勢を維持しながら、少女は呆れたように警察官を眺めまわす。
「いいから、早く移動してくれないかなぁ……」
汗と泥にまみれ傷ついてなお、少女は確かに『ブルーローズ』だった。ヒーローが『こう』であると市民が望んだ通りに、冷たく、高慢で、可愛らしく、美しかった。浅い息を繰り返しながら、ブルーローズは不愉快げに首を傾げる。その仕草が不機嫌になった時の娘のそれと重なって、シャーナの目に涙が浮かんだ。この少女は、シャーナの娘より一つ年が上なだけなのだ。どうして気が付かなかったのだろう。彼女にも親がいる。シャーナに娘がいるように。どうしてシュテルンビルトは、年端のいかない少女にこんなにも気高い正義を与えてしまうのだろう。これくらいの年頃の少女は、まだ、守られるべきなのだ。それなのにブルーローズは警察官を守ろうと、銃弾から遠ざけようと身を躍らせた。
シャーナはアンチヒーローを撤回できない。そんな風にするヒーローを、そんな風に頼ってしまう市民のことを。長い年月をかけて、そんな風に思ってしまったヒーローを、愛しさと悲しさで認めてあげることができない。声もなく、唇を噛んで涙をこぼしてしまうシャーナのことを、ブルーローズは困ったように見つめていた。死の危機から逃れられて、ようやく安堵したとでも思ったのかも知れない。切り傷や擦り傷でいっぱいになった腕を伸ばして、ブルーローズはシャーナを抱き締める。よしよし、とぎこちない声が耳元で歌い、シャーナの涙を拭って行った。なにも言わず、シャーナの同僚が腕を引いてヒーローから離れて行く。しばらく歩かされるように足を進め、振り返ったシャーナの目に、再びバーナビーに抱きあげられる少女の姿が移った。
同僚の腕を振り払い立ち止まり、シャーナはヒーローに敬礼をする。息を飲み、二人の同僚も同じようにした。ブルーローズは照れくさそうに笑って、警察官にひらひらと手を振った。血の滲んだ白い長手袋が、次にTVに映る時は真新しいそれに変えられているであろうことを、シャーナは疑うこともなく信じていて。だからこそ、その赤を覚えていようと思った。
かの『ジェイク・マルチネス事件』から、二年と数カ月。アンノウンの軍人と反政府NEXTたちによって起こされた『シュテルンビルト包囲事件』が終結を迎えるまで、残りあと十時間。