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 警察が撮影場所をつきとめ、ウロボロスのアジトに踏み込んだ時、そこに彼らの姿はなかったという。まるで彼らの身代わりのように、ソファで身を寄せ合って眠っていた幼い姉妹は保護された。ひどく衰弱していたことから、今は警察病院に入院させられている。回復次第事情を聞くとのことだったが、報道によると姉妹には身寄りがないそうだ。いずれ、なんらかの施設に預けられるだろう。その知らせを器械的に右から左へ聞き流し、集められたトレーニングルームで、ヒーローたちはぐったりしていた。事件が解決したのは、発生した日の午後二時五十分。定められた刻限を残り十分とした時のことで、それはつい二十時間ほど前のことである。極度の疲労でぼんやりしながら、ヒーローたちはそれぞれ、昨日の今頃なにしてたっけ、とか細い記憶の糸を手繰り寄せていた。なにせ気が付いたら事件がほとんど終わっていたので、なにがなんだかよく分からないのである。ぐしゃぐしゃになって踏み込めない状況の会社だけが、夢でなかったことを突き付けていた。はじまりも唐突であれば、終わりも同じように唐突に訪れた事件だった。ヒーローたちが知る手段を持たなかっただけで、かなりはやい時間に警察は他都市から応援を呼び、ウロボロスの捜索とヘリコプターの監視を続けていたらしい。刻限のギリギリまで彼らが動かなかったのは、純粋にウロボロスが見つからなかったからであり、前代未聞のテロ行為が繰り返されるのを恐れたからだった。
 残り十分で攻撃に出た彼らは、人影があったというヘリコプターを撃ち落とした。そこではじめて正規の治安維持勢力がシュテルンビルトに戻っていることを知ったヒーローたちは、安堵して、そのあたりから、各々記憶が微妙に途切れている。パワードスーツは、シュテルンビルト全域を襲っていた。一番被害が激しかったのが名名大企業の本社、続いて警察や司法局であり、各ステージを支える為の柱周辺だった。彼らはどこまでもジェイク・マルチネスの方法を真似、ゴールドステージやシルバーステージを崩落させようとしていたらしい。らしい、しか分からないのは、犯人がなんのあとかたもなく逃げ伸びてしまったからだ。確かに直前までは操縦士の姿が目視で確認できたというヘリコプターから焼死体は見つからず、アジトにも姉妹以外、誰も残っていなかった。少女連続誘拐事件の、実質的な実行犯と見られる幼い姉妹の妹はNEXTであり、その能力が転移であることから、彼らはそれによってどこかへ移動したものと見られている。はっきりと分からないのは、幼い姉妹がなにも話そうとしないからだ。能力だけはある程度予想をつけていた技術者が簡単なチェックと口頭による質問で確認をとっており、すくなくとも『物体を移動させることができる』という点までは判明している。それ以上は分からないらしい。
 幼い姉妹が犯人と見られつつ、調査が進まないのは、彼女たちもまた被害者であるからだ。多くの犠牲者を出した東海岸の、四人組が関わっているとされる誘拐事件において、行方がつかめないままだった数人のうち二人が、この姉妹であることが分かっていた。NEXTだと分かって利用されたか、はじめからそのつもりで連れ歩かれていたかは今後の姉妹の証言によるだろうが、恐らく、真相は分からずじまいだろう。なにかを恐れて口数の少ない妹はもしかしたら可能性はあるが、姉は喉をつぶされて声を失っていた。繰り返し執拗に殴られた後があり、手術をしても声を出せるようにはならないと医師は告げた。また、二人はどちらも満足な教育を受けておらず、ほとんどの文字が読めず、自分の名前すら書けない状態だ。妹は名前という存在すら分からないようで、姉を『おねえちゃん』、自分のことを『わたし』『これ』『それ』と呼んでいた。虐待を受けていた可能性が高い、というか受けていない訳がない状態の姉妹は、体調が回復するのを待ってしかるべき場所に保護される。妹がNEXTであることから、アカデミーが保護する案が持ち上がっていた。姉妹の特殊な背景から引き取りたがる声はなく、このままであれば、アカデミーの寮が姉妹の家となるだろう。
 明日の正午、今回の事件の犠牲者を悼む合同式典が行われるので、黙祷を捧げるように。ヒーローTVは各企業の体勢が整うまで無期休養、と言い渡したアニエスの通信が切れると、トレーニングルームには沈黙が広がった。やがて、のそのそと顔をあげ、ドラゴンキッドがぽつりと呟く。
「なんか……なにもできなかった、ね……?」
 ずぅん、とトレーニングルームの空気が重くなった。分かっているので、言わないで欲しかった、と全員が思っているに違いない。はー、と溜息をつきながらソファに伏せていた顔をあげ、カリーナが半分眠っているような顔つきで唇を尖らせた。
「犯人は逃がしちゃったし……ポイントにはならない出動だし、映像もなにも残ってないし……私は明日生徒指導室だし。あああ、もう嫌……寝よう……おやすみ、起こさないでね」
 遺言かそれに類するものに聞こえてしまう絶望した声で呟き、カリーナがばたりとソファに逆戻りする。疲れ切ったヒーローは全員がソファか床に突っ伏していたから、それを咎める者など誰もいなかった。床の上にマットをしき、その上に寝転がりながら、バーナビーはピンク色のうさぎを抱き枕のようにもふもふと弄び、まあでも、とひとりごちる。
「被害者……加害者? よく分かりませんが。姉妹は無事に戻ってきましたし、よかった……と思うことにしましょう」
「ボク、ちゃんと助けてあげたかったのにさぁ……絶対、ボクが助けるんだって思ってたのに、なんにもできなくて」
「あら、でも聞いたところによると、妹ちゃんはアンタに感謝してるらしいじゃない?」
 幼子が話した数すくない言葉に、ドラゴンキッドの名があったのだと言う。助けると、そう言ってくれたから待つことを諦めないでいられたのだと。そう話していたとネイサンから聞いて、パオリンはううぅ、と目をうるませる。
「本当……?」
「やぁねえ、そんなことで嘘ついてどうするのよ」
「確かな情報だ。……一度、会いに行ってやれ」
 ロッカーから毛布を持って来たアントニオに慰められ、パオリンはこくりと頷いた。すでに、すぐ近くに寝転んでいたカリーナから、寝息が響いている。つられるようにあくびをして、パオリンはそういえば、とバーナビーの隣でマットに沈んでいる虎徹を、不思議そうな目で眺めやった。
「タイガーは、なにを落ち込んでるの? 賠償金? もの壊したの? 裁判になりそうなの? 負けちゃったの?」
「全部、賠償金があって、しかも悪い方向に行ってる前提の質問なのがすごいよね……パオリン、やめてあげなよ」
「え? イワンはそう思わない?」
 純粋に不思議そうに問いかけられ、イワンはうるわしい笑みを浮かべると、テントの入り口を閉じてしまった。最大人数二人までのテントの中では、キースがアニエスからの通信でも起きることなく、ひたすら眠って体力を回復させていた。今回、一番怪我をしてしまったのはキースである。骨折と全身打撲状態で空を飛びまわっていたので、ここに来るのも病院から抜け出してきたらしい。今頃、病院は大騒ぎだろう。抜け出せないように、セキュリティが強化されるに違いなかった。昨日はエドワードに抜けだされ、今日はキースを逃がしてしまったのである。機動力と隠密性に富んだ二人であるとはいえ、見直すべき所がある筈だった。イワンはすぐそうやって逃げるー、と息を吐き、パオリンはバーナビーをじっと見つめる。
「なにか知ってる?」
「……じつは楓ちゃんに根本から信頼されてなかったことが発覚して、ものすごく落ち込んでるんですよねぇ」
 詳しくはお察しください、とうつくしく微笑まれ、パオリンはふぅん、とあいまいな様子で頷いた。よく分からない説明だが、これ以上は聞くな、ということだろう。うーん、と手を伸ばして虎徹の頭を撫で、パオリンは純粋な気持ちで言った。
「はやく信頼してもらえるといいね?」
「あーあ、トドメささないでください」
「えー? 違うよ。応援したんだよ?」
 ふぐっ、とうめき声をあげて動かなくなった虎徹は、もしかしたら泣いているのかも知れなかった。子守唄のような囁き声で頭を撫でながら、バーナビーがでもその上で、これから信じて行くからって言ってくれたじゃないですか、と慰めている。やたらと余裕がある態度なのは、バーナビーが当事者ではない証だった。これでバーナビーも信頼されていなかったという事態であれば、このバディは向こう一年、絶対に立ち直らない。
「そういえば、楓ちゃんは? エドワードさんもいないけど」
「病院じゃない? 二人仲良く精密検査。そうね? ハンサム」
「……パオリンも、寝て、起きたら、病院に行くんですよ? 僕たちも、キースを返しに行きますから」
 KOHをレンタルビデオの返却のように言い放ち、バーナビーは眠たげな大あくびをした。
「今は寝ましょう。全員疲れ切っている。……起きたら、またゆっくり考えればいい。しばらく出勤自体がないようですし。……長期休暇だと思えばいいか。なにしようかな……」
 ピンクうさぎに顔を擦りつけながら目をつむり、バーナビーも動かなくなった。寝てしまったらしい。話し相手がどんどん少なくなって行くのにつまらないと足をばたつかせ、パオリンはあーあ、と拗ねた声で言った。
「検査嫌だなぁ……」
「ちゃんと受けなさいな。終わったら、皆で美味しいもの食べにいきましょ?」
 もう寝てしまいなさいとばかり頭を撫でられて、パオリンのまぶたがゆるゆると落ちて行く。心地良い眠りは、瞬く間にやってきた。トレーニングルームが、穏やかな寝息で包まれる。ヒーローに連絡が取れないことを訝しんだ各社技術者たちが、直接トレーニングルームに来て、それを見つけて穏やかに笑うまで。音もなく、彼らはつかの間の休息にまどろんでいた。



 お父さんが息してないの、と呆れた声で言った楓に、エドワードはしみじみと、そりゃ息しなくなるだろうな、と言った。
「言ったんだろ?」
「……うん」
「別に、怖くもなかっただろ?」
 ベッドに並んで腰かけながら髪を撫でてくるエドワードに、楓は素直な動きでこくん、と頷いた。あの後、騒ぎが落ち着くのを待たず、エドワードの腕の中で泣きやんだ楓は、衝動的に己の心を口に出していた。それも、ほぼ全てである。エドワードに対する告白のみならず、一緒に住むようになるまで虎徹をどう思っていたのが、なにがあってどう感じていたのかを、懺悔のように楓は告げた。時に血を吐くような痛みすら伴う言葉を、エドワードはずっと、聞いていてくれた。うん、と頷き、そうか、と言いながら、楓を抱きしめて離さないでいてくれた。そして全てを言い終わった楓に、エドワードは告げたのだ。今言ったこと、そのまま全部、父親に話して来い。怒られもしないし、怖くもないし、バーナビーは味方してくれるから大丈夫だ、と。考えてみれば、記憶が飛ぶ程疲れて帰って来た父親に言うことではなかったそれを、楓はその日のうちに、忠実に実行した。よって昨日から、虎徹はなんとなく目が死んでいる。
「……ごめんなって言われちゃった」
「そっか」
「うん。……でも、言ってくれてありがとう、って。おとうさん、言ってくれたよ。バーナビーは、頑張ったねって」
 嬉しかったなぁ、と楓はとろけるような笑みを浮かべた。ふぅん、と頷いてやりながら、エドワードは楓の頭に手を伸ばした。髪を撫でながら後頭部を引き寄せ、そのまま額に唇を押しつける。かすかに音を立ててから離してやれば、楓は目を見開いて瞬きをしたあと、みるみるうちに頬を赤くする。
「……おでこ?」
「ここ、ファーストになんだろ?」
 恥ずかしくてたまらないのに、不満げな楓に苦笑して。エドワードは少女を胸に抱き寄せ、頬を撫でながら親指で唇に触れた。つ、と指でなぞりながら問えば、楓は恐る恐る頷き、エドワードを見つめてくる。震える手が服を引くのをあえてあやしてやりながら、エドワードはそっと身を屈めた。額を重ね、楓の目を覗き込みながら囁く。
「大事にするから、大事に取っとけ。……また今度な」
「……今がいい」
「自分の年齢考えろ。俺は犯罪者になりたくない」
 今度こそ出てこれなくなる気がする、と本気で言われ、楓はむくれながらエドワードに抱きついた。体温を感じて撫でて貰えば、自分の機嫌が簡単に回復することを、楓は知っている。無言で頭を差し出してくる少女に苦笑いをして、エドワードは楓の髪を指に絡めるようにして撫で、片腕で腰を引き寄せた。
「……楓、やわらかい」
「エドさん、ぎゅってするのとか好きだよね……?」
「いや、別にそこまで。つーか、楓抱いてんのが好きなだけ」
 落ち着く、と穏やかな息を吐きながら告げられて、楓はくたりと体の力を抜いた。離してくれないだろうし、嫌な訳ではないので、どうせなら楓もくっついていたい。もうすこししたら、保護者が来て離されてしまうだろうし。あとどれくらい一緒に居られるだろう。分からないまま、エドワードの体温を覚えたがるよう、楓はそっと瞼を閉じる。瞼に触れた唇が、おやすみ、と囁く。微笑んで、楓もおやすみなさい、と言った。。目を閉じているのに、部屋の明るさを感じた。天気は晴れ。今日は夕方まで、温かく過ごせる一日だろう。

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