いったいなにが楽しいのだか、ペスタチオとツェーレンから笑い声が絶えることはなかった。最近、めっきり笑うことも少なくなったから、それはそれでいいとトォニィは思うのだが。遊び半分に採寸するなら、もう止めて欲しい、とも思うのだ。きゃあきゃあ笑いあいながらトォニィの体を計っている二人だから、さっきからちっとも作業が進んでいないのである。話したいなら、採寸は後回しにしてくれて構わないのに。
「あのさ、ペス、ツェーレン?」
「ちょっとトォニィ! 勝手に動かないでよーっ!」
「そうよそうよ! 黙ってちゃんと立ってなさいよ根性なし!」
理不尽だ、とトォニィは思ったが、テンションの高い少女二人に口で勝てるわけもなく。ぱくぱくと数度無意味に口を動かしてから、トォニィは遅々として進まない作業にため息をついた。どうしてこんなことになってるんだ、と心から考える。ミュウの新しい長としてこれからを過ごすことになったトォニィの為に、ソルジャー服が用意されることになったのはごく自然のなりゆきで。だから採寸も、必要なら耐えられるのだ。
必要な時間で終るの、なら。これじゃ一時間経っても二時間経っても終りそうにない、とトォニィが魂を口から吐き出せそうな気分で天井を眺めていると、音もなく被服室の扉が開く。ぐったりしながら目を向けると、入ってきたのはタキオンだった。特徴的な銀の髪が、首を傾げるのに合わせて肩を撫でている。その仕草が、どうかしたのか、ということにトォニィが気がつけたのは、見つめられて五秒後のことだった。
言葉ではなく、思念波でもない理由は、ペスタチオとツェーレンを刺激するといけないからだ。過去何度かの経験で、少女らが盛り上がっている時に静かにしないと、すさまじい勢いで理不尽な怒られ方をすると分かっていたので。トォニィもそれを熟知しているので、無言で少女とタキオンを見比べ、細く長い息を吐き出した。どうにか助けてよ、との視線は、タキオンの極上の、麗しいまでの微笑で音速却下される。
「悪いけど、火に油を注ぎに来たようなものだから」
「あれ、タキ。いつから居たの?」
今すぐ帰れ、とトォニィが絶叫するより早く、振り返ったペスタチオが不思議そうに問いかけた。タキオンは今来たトコ、とくすくす笑いながら告げると、ほとんど泣きそうなトォニィに近寄ってぽんと頭に手を乗せ、もう片方の手に持っていた白い紙を少女たちに向かって差し出した。目を瞬かせながらツェーレンが受け取るのに、タキオンはできたよ、と嬉しげに声を弾ませる。
「トォニィのソルジャー服のデザイン。今さっき終わったから、持って来た」
少女たちの歓声が、部屋いっぱいに飛び散った。思わず耳を塞いだトォニィは、なんてことをしてくれたんだ、とタキオンを睨みつける。これで、ますます採寸の終了時間が遠くなってしまった。抜け出しても、興奮してデザイン図を見ている二人は気がつきもしないだろうが、そんなことをすれば後が恐いので出来ようもない。睨んでくるトォニィの言いたいことなど分かりきっているだろうに、タキオンはにっこりと笑う。
「初代と、ジョミーの服のデザインを混ぜてみたんだ。大丈夫。きっと似合うから」
「ぼくが言いたいのはそういうことじゃないって、分かっててそういうこと言うタキオンなんか嫌いだ」
「照れなくていいのに」
トォニィ可愛いなぁ、とくすくす笑う表情は本当に楽しそうで、それ以上怒る気力を失わされてしまう。けれど、拗ねた時のような面白くない気持ちは残っていて。気晴らしにタキオンの髪を一房掴んで引っ張れば、青年の眉がつりあがった。
「……なに怒ってるんだ?」
「この状況で聞く?」
「あ、聞くで思い出した。トォニィ、マントって何色がいいんだ?」
もうタキオンと会話を通じ合わせるのは絶対不可能だから諦めよう、とため息をついて。トォニィはごく自然に赤、と言った。それは敬愛するグランパのマントの色であり、そしてトォニィの髪と目の色だ。見慣れた色でもあるので、トォニィとしては赤が良かったのだが。聞いたタキオンの表情が、呆れたそれになる。数秒沈黙して首を軽く左右に振り、タキオンはあのな、とトォニィの肩に手を置いた。
「目立ちすぎるというか、赤すぎて引くから却下」
「翠でいいんじゃないのー? みどりにしようよー!」
みーどりっ、みーどりっ、と歌うように声をあげたのはペスタチオだった。楽しそうに目を輝かせているのは良いのだが、それでなぜトォニィではなく、タキオンでもなく、ツェーレンに同意を求めにいくのかが分からない。マント着る本人に聞くのが普通じゃないのか、とトォニィが半ば諦めた視線を送る中、ツェーレンは全く気にした様子もなく、みどり、と呟く。
「いいんじゃない? 翠。緑、でもいいけど。ジョミーの瞳の色じゃない」
「ね、ねっ。よし、タキ! トォニィのマントの色、翠ね!」
「ぼくにも決めさせろよすこしはっ!」
よしじゃあ翠で、と頷きかけるタキオンに、トォニィは涙声で叫んだのだが。だって不満はないだろう、と不思議がる視線を向けられてしまったので、トォニィは思わずその場にしゃがみこむ。ないけど、不満、ないけど、とどんよりした声で呟くも、三人組に慰めの気配など生まれない。好き勝手にトォニィのソルジャー服について会議しだすのを、止めたのは意外な人物だった。コラ、とまるで唐突な声が空気を揺らす。
「お前ら、なに勝手に決めてるんだ」
「シドっ」
どうりでどこにも姿がないと思ったら、と頭の痛そうな声を響かせ、シドはフィシスを伴って部屋に入ってきた。フィシスの姿を見たとたん、トォニィはぱっと立ち上がってかけより、じゃれ付いてくる大型犬の仕草で女性に抱きつく。あらあら、と微笑ましく笑うフィシスの声が、トォニィのすぐ耳元で響いた。皆で無視するんだっ、とフィシスの肩にぐりぐり頭をこすりつけながら訴えると、頭がぽんぽん、と心地よく撫でられる。
すぐ隣から、シドのもの言いたげな、呆れ一色の視線が突き刺さるが、トォニィは知らないふりをした。つーんっと顔を逸らしてフィシスに甘えていると、軽やかな足音で近寄ってきたペスタチオが、トォニィを睨みつける。
「無視してた、じゃないでしょっ? 決めてあげてた、でしょっ?」
「ペス、うるさい」
「あのね、シド。私たち、トォニィのマントの色決めてたのよ!」
トォニィの訴えをなかったことのように無視して、ペスタチオはタキオンと共にソルジャー服のデザイン図を見ていたシドに駆け寄った。シドはごく冷静に色を問いかけ、ペスタチオはにこにこ笑いながらみどり、と告げる。シドの反応は、ナスカのコらが予想した、どんなものとも違っていた。翠か、と呟いたあと、シドは思い切り眉を寄せ、難しい顔つきで黙り込んでしまったのだ。浮ついていた場の空気が、冷えていく。
「……賛成しない」
なにか、とても悪いことをしてしまったような気持ちで口をつぐんだナスカのコたちに、シドは反論を許さない口調でそう告げた。はっきり反対と言われるより、ずっと苦しい気持ちになる答えだった。頭ごなしに叱り付けられたようにしゅん、とする三人に、トォニィはなにか声をかけようとするのだが、言葉が出なかった。落ち込んでしまうトォニィの頭を、フィシスの手がそっと撫でて行く。優しい声が、シドを呼んだ。
「説明してあげなくては」
そういうフィシスは、理由を分かっているようだった。困った風な、不思議に落ち着いた雰囲気でトォニィを撫でながら、ナスカのコたちを慰めるように微笑んでいる。シドは大きく息を吐いて、言葉に迷いながら口を開いた。
「翠は……ジョミーの瞳の色だから、そうしたんだろう?」
「うん」
こく、と素直に頷くペスタチオに、怒ってはいないから、と優しい表情で微笑んで。けれどシドは、それなら、とハッキリとした口調でもう一度言った。
「賛成しない。それだけの理由なら、その色は背負うべきじゃないんだ……ジョミーが、もしもの時にと、次代のソルジャーに残していった色は確かに『翠』だが」
ナスカのコたちにしてみれば初耳の台詞を、シドはさらりと口にした。あまりの衝撃に声が出ない四人の顔を見回して。シドは、俺とリオとニナの三人しか言われてない、と言葉を付け加え、そして大きく息を吐き出した。
「理由が分からないなら、おあずけだ。しばらく自分たちで考えてろ」
デザインはこれで構わないから、とタキオンから手渡された図の紙をくるくると巻いて、シドは苦笑した。そして採寸が終ったらデータ回せよ、と言い残して出て行こうとするのに、トォニィは慌てて声をかける。シド、と呼びかけると、予想していた笑顔で振り返られた。
「なんだ?」
「グランパは……ぼくのこと」
もしもの時にずっと、次をトォニィにと、考えてくれていたのか。そう問おうとして、しかし言葉にならないトォニィに、シドは柔らかな表情でさあな、と笑った。ごまかしているのではなく、本当に告げられておらず、分からないのだと告げる笑みだった。それだけで、背を向けて歩いて行ってしまうシドをそれ以上とめることなく、トォニィはため息をついてフィシスにもたれかかった。それから体を離して、椅子を探す。
部屋の隅に、置き忘れたかのように置かれていた椅子を持ってきて、座れば、とフィシスに示して。しぶしぶ採寸作業を再開する少女たちに呼ばれながら、トォニィはあのさ、とフィシスを見つめた。
「フィシスは理由、知ってるんだよね」
「ええ」
もしもの伝言はされなかったものの、色の相談はされましたから、と。告げるフィシスの笑みは、胸を刺す痛みにすこしばかりぎこちないものだった。過ぎ去った過去は、どんなに優しいものであろうと、甘い痛みで心を襲う。ただ幸せを感じて思い出せるようになるまでは、もっと長い時が必要なのだろう。ごめん、と額に口付けて謝罪を送り、トォニィはそれでさ、と立ち直りの早い仕草で、ちいさく首をかしげた。
「教えてくれる気は、ないんだよね?」
「ええ」
シドたちに怒られてしまいますから、とくすくす肩を震わせて笑って、フィシスはトォニィの頬をなでた。それから肩を押して、採寸へ行くようにと促す。トォニィは、今度こそ二人の気が散らず、採寸が必要最低限の時間で終るように祈りながら、体を起こして。助けを求めるように、グランパ、と囁いた。