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望みをのこしてくれたひと:後

 それはミュウと人類が手を繋いだ一月後から始まっており、二週間ごとに一枚取られている。一番初めの写真は、黒々とした土の上に、綺麗な双葉が顔を覗かせているところだった。二枚目は、すこし黒味が抜けてきた土の上、順調に背を伸ばしている植物の写真。三枚目、四枚目と進むごとに土の色は命を取り戻して行き、植物の数がどんどん増えていく。そして現在は、トォニィが見たとおりだ。
「この植物は、発芽から枯れるまでの期間が短い。瞬く間に成長し、種子を作り、そして土へと戻っていく。成長の過程でも、枯れてもなお、大地の毒を吸い続けて浄化してくれるんだ。それで……虫の良い話だと分かっている。けれど、どうしても君に頼みたいことがあるんだ」
 本当は明日、正式に申し込みをして連れて来ようと思っていたんだが、と続けられて、トォニィはぼんやりとそれで『明日』とか言ってたのか、と思った。意識は写真とガラス越しの花畑に等分されていて、上手く現実へ戻すことが出来ない。幼い日々に愛した花、故郷の愛が手の届く位置で揺れていた。ナスカの惨劇を悲しむミュウたちが、二度と育てようとしていなかった植物。二度と見られないと、覚悟したもの。
「地球と、人類を救ってくれないか」
 言葉に、ハッとしてトォニィは意識をセルジュへと戻した。なにかとても大切な、重要なことを言われた気がする。言葉は耳に残っているものの、頭が意味を理解できない。ぱちぱちと瞬きをするトォニィに、セルジュはもう一度繰り返した。
「この花があれば、地球を再生できる。僕らはもう一度、地球に戻ることができるんだ。だから……ナスカを滅ぼした、僕らが、その花に頼るのは虫の良い話だって、自分たちでも分かってる。けど」
「いいよ」
「だけど、どうしても……え?」
 真剣な表情で重く言葉を重ねていくセルジュの意識は、あまりにあっさりしたトォニィの返事を聞き逃してしまったらしい。奇妙な途切れ方をした言葉が、浮かび上がって空気に消えた。え、と戸惑うセルジュに、トォニィは重たい話キライ、長い話もキライ、難しい話はもっとキライ、分からないし飽きるから、とでかでかと顔に書きながら、嬉しそうに目を細めて風に揺れる花を見た。
「だから、使っていいよ、って。シャングリラの皆も、良いって言うはずだよ。反対するくらいなら、最初からこの花を出すわけないし。やっていいよ、というか、違うな。えっと……あ、そうだ。やろう」
「お前を、見てると」
 安堵と脱力感で深く息を吐きながら、セルジュは額に手を押し当てて呟く。
「人類とミュウって、ホントにずっと争ってたんだよな? って思う。しかもわりと一方的に」
「でも、もう争ってないじゃないか」
 それはそうなんだけど、と誰もが口ごもるであろう感想を抱き、セルジュはふぅん、と頷きながら花を見つめるトォニィに苦笑した。トォニィはそのまましばらく花を見つめ、やがて満足したのだろう。お腹いっぱいご飯を食べて機嫌がいいような笑顔を浮かべ、セルジュを振り返って問いかけた。
「それで、いつから種まくの? 明日から? 明後日から?」
「……早くて半年後から」
「じゃあ、半年後に言ってくれればよかったのに。あと半年も待たなきゃいけないなんて、イジワルだ」
 不満そうに、名残惜しげに花畑を振り返るトォニィは、本当に残念なのだろう。半年、とため息をついてしょんぼりしている。思わずセルジュは研究員たちを振り返って視線で許可を取り、しゅんとするトォニィに言葉をかけた。
「時々なら、見に来ても」
「タキオンとペスとツェーレンも連れて来ていいっ? あ、あと、あとシドとかカリナとかルリとか、あ、あと、えっと、えっとっ……ま、毎日見に来ても……迷惑じゃなかったら、いい、かな」
 興奮のままに叫んでしまった前半と比べて、後半は己を取り戻したのだろう。しおしおと語尾がしおれていくさまが可愛くて、セルジュは肩を震わせて笑った。こんな風に言われて、誰がダメだと言えるだろう。いいよ、と囁いてやればトォニィの頬が薔薇色に輝いた。心が弾んで仕方がない様子に、セルジュが今朝見た途方にくれたトォニィは見当たらない。ほっと胸を撫で下ろして、セルジュも気持ちを和らげた。
 あとでナスカのコたちにはフリーパスカードを発行してやろう、と思いつつ、セルジュはきらきら輝いているトォニィに手を伸ばして。ぽんぽん、と頭を撫でながら、笑顔でちなみに、と告げた。
「許可をくれたお礼代わりに教えてやろう、トォニィ。これがシド殿の仰っていたことの、僕のヒントだ」
「……みどりの? マントの?」
「そう。緑の、マントの」
 とたんに、衝撃のあまり泣きそうになって花畑を振り返ったトォニィに、セルジュは思いっきり吹き出して笑った。なんて素直で可愛いんだろう、と思う。そして、これなら少しばかりイジワルがしたくなるか、とも。わ、わかんない、わかんないっ、とひたすらオロオロしてばかりのトォニィに、セルジュは愛おしい気持ちで言葉を告げてやった。ここまで教えてやるのは反則かも知れないが、別にかまわないだろう。
 トォニィがいくら抜け出してきたと言っても、シャングリラは現ソルジャーの位置など把握しているのだろうし、セルジュが一緒にいるのもどうせ知っているのだろうから。それで止めにこないということは、つまりそういうことなのだ。理由だよ、とセルジュは笑う。
「トォニィ、理由だ。答えじゃなくて、理由。答えはひとつだけど、理由はいくつあってもいいんだ。分かるか?」
「え、えと?」
「正解を考えろ、と。そう言われたわけじゃないんだろ?」
 つまりそういうこと、と。言葉を締めくくってしまったセルジュの前で、トォニィはしばらく首をひねって考えて。そして、あーっ、と思い切り叫び声をあげた。ほとんど騙されていたことに、ようやく気がついたようだった。



 シャングリラに帰ってくるなりブリッジに飛び込んだトォニィは、その行動を予想していたが故の呆れ顔で出迎えたシドに思いっきり嘘つきーっ、と叫んだ。声と思念波での大絶叫である。聴覚と意識からの衝撃が重なり、眩暈を引き起こす。シドは額に手を押し当てることで意識の揺れをやり過ごすと、涙目で恨みがましく睨みつけてくるトォニィを、椅子に座ったままで見上げた。その表情は、年長者の余裕の笑み。
「トォニィ。帰ってきたら『ただいま』だろう、教わらなかったのか? ジョミーが泣くぞ」
「ただいまっ! シドの嘘つき嘘つき嘘つき嘘ついたーっ! ばかー! ばかばかばかーっ!」
 それでも、素直に『ただいま』が言えるのがトォニィの素直さである。涙を目にいっぱい溜めて、混乱しながら怒っている新ソルジャーに、シドはため息まじりに苦い笑みを向けて沈黙した。嘘をついたことに関して強い否定はしないが、バカだといわれる筋合いは、たぶんどこにもないからだ。あーあ癇癪起こさせちゃって、と傍観の視線を向けながらも暗に責めてくるニナに、シドはひょいと肩をすくめる。
『勝手に怒っているだけだろう。それにしても……なあ、ニナ』
『勝手に、ねぇ』
 シドがマントの色を一時保留させたことについて、トォニィたちにどう説明したかを知っているニナは、まるで納得できない呟きをもらした。それからかすかな問いに浮かんだシドの声に対して、なぁに、と問い返す。シドは嘘つきっ、嘘ついたっ、ばかっ、の三種類の言葉だけを繰り返しているトォニィを落ち着かせることもせず、腕を組みながら見返して。ごく感心したように、ひっそりと告げた。
『怒り方が、ジョミーそっくりだ。すごいな』
『あのね、シド』
「分かってるさ……さて、トォニィ」
 頭の痛そうなニナの声に応え、シドはやっとトォニィへと意識を戻した。ちょうど息切れを起こして深呼吸を繰り返していたトォニィは、やっとかえって来た反応に無言で睨みを向ける。そしてまたぼそりと嘘つき、ばか、と言われたので、シドはため息をつきながら手を伸ばして。己の頭よりずっと高い位置にある、トォニィの頬を掴んで左右に引っ張った。
「全く。この口か? 年長者に対して平然と馬鹿とかほざくのはこの口か? ん?」
「い、いたっ、いたたたたっ! いたいいたいいたい! シドっ、痛いったらっ!」
「ごめんなさい、を言えたら離してやる」
 容赦のない力で引っ張っているのだろう。サイオンを使用してトォニィの体をがっちり固定もしているらしく、トォニィは口で抗議することが出来てもそれ以上の抵抗が出来ないでいる。引っ張り始めて十秒後、痛みに耐えかねたトォニィが悲鳴のような声でごめんなさい、と叫ぶと、ブリッジの空気をも圧迫していたシドのサイオンが消え去った。実は相当怒っていたらしい。分かればいい、と浮かぶ微笑みは艶やかだ。
 思わず一歩足を引いてひきつった表情になりながら、トォニィはぎゅっと手を握り締め、シドが悪いんじゃないか、と再度新キャプテンを睨みつける。
「セルジュから、聞いた。シド、ぼくのこと騙してただろうっ! 嘘つきっ!」
「ほう。具体的に、俺はどうお前のことを騙したんだ?」
 悪役の笑みを浮かべながら悠々と腕を組み、シドは余裕の表情でトォニィに問いかけた。ちいさいコ苛めるのはやめなさいよ、と呆れながら呟くニナに、シドは別に苛めてるわけじゃないさ、とだけ言葉を返して。きょと、として目を瞬かせるトォニィに、回答を求める視線を向ける。トォニィ、と名を呼んで促してやれば、紅の瞳が戸惑いに揺れた。みどりの、と不安げにかすれる声が、人の少ないブリッジに響く。
「マントの、グランパの……みどりの、理由が」
「理由が分からないならおあずけ、と言ったんだ。ジョミーの瞳の色としてその色を求めるのなら、賛成しない、と。別に、ジョミーがお前に『翠』を残した理由を答えろ、なんて言わなかっただろう? 理由を考えろ、と言ったんだ。……具体的にどう騙して嘘をついたんだ?」
「……シドって性格捻じ曲がってるよね」
 言葉を受け止め間違えたトォニィが悪い面もあるのだが、恐らくシドは勘違いするように言ったに違いないのだ。面白い遊びを目の当たりにしているような笑みがそれを物語っていたし、ブリッジの隅でニナとルリが顔を突き合わせ、シドって意外とこどもよね、知ってたけど、と言い合っているのでほぼ確実だろう。悔しくて、拗ねた気持ちでじろりと睨めば、シドはどこ吹く風よとにっこり笑い、さてそれで、と言った。
「自分たちで考えてろ、と言ったのにセルジュを巻き込んだのは許してやろう。予想の範囲内だ。……で、トォニィ。帰ってくるなりこの大騒ぎだ。理由の一つや二つ、見つけてきたんだろうな?」
 これでまだ分からないようなら、マントに赤の水玉模様を入れて毒々しくめでたげな色合いに改造してやる、と地味に凄まじい嫌がらせを口にするシドに、トォニィは冗談じゃない、と顔を青ざめさせて。心の中で深く、深くセルジュに感謝しながら、そっと口を開いた。
「グランパが、ぼくに『翠』を残してくれた理由は分からない、けど。そうだったらいいな、と思う理由なら」
「言ってみろ」
 トォニィのその言葉だけで、シドの声は優しいものに変化した。言葉を聞く前に、満足してしまったようだった。戸惑いながら首を傾げて、トォニィは願いを込めて口にする。
「それが、生命の色だから」
「ふぅん」
 面白そうに、嬉しそうに。柔らかく緩んだ声であいずちを打って、シドはさらなる言葉を求めた。トォニィは緊張と喜びで心を弾ませながら、すっと息を吸い込んで声を響かせていく。胸が熱く詰まるのは、どうしてなのだろう。
「繋いで行きなさいって、言ってくれたんじゃないかと思うんだ。……グランパのマントは赤だっただろ? 赤も生命の色。体を流れてく、命そのものの色だよね。ブルーの青も、同じ。青は海の色。ずっとずっと昔に、命は海から生まれたんでしょう? だから、きっと海の青だったと思うんだ。翠は、緑だよね。植物の色。寒色にも暖色にも属さない中間色だって、教わった……中立は、歩み寄れば生まれるものだよね」
 目から涙がこぼれないようにぎゅっと目を閉じて、トォニィは息を深く吸い込んだ。どうしてだかジョミーの最後の笑顔と、言葉が思い出されて無性に切ない。
「一緒に頑張って行きなさいって、背中を押してくれようとしたんじゃないかなって、思うんだ」
 ジョミーのマントの色は、赤だった。赤は炎の色であり、戦意の高揚を導く色だ。革命の、色だ。優しく微笑んだ最後の表情に、あまりに気高く映えた色。持って行くよ、と告げられた気がした。争いを全部、全部持っていくから。そして『望み』を残していくから。さあ、行きなさいと。平和と未来に向かって走っていきなさいと、ジョミーはトォニィに言葉を残したのではないかと、思って。トォニィは、シドを見つめた。
「仲間と、人類と、皆で一緒に。手を繋ぐ為の色だから、グランパはぼくに翠を残してくれたんだと、思う」
「上出来だ」
 シドの言葉が終るのと同時に、トォニィの背中からマントがかけられる。驚いて顔だけ振り返らせれば、そこにはニナが立っていた。ニナはトォニィの背中にそっと身を寄せて、すこしだけ背伸びして耳元に唇を寄せる。
「本当はね、どんな理由だってよかったのよ?」
 くすくす、と笑う声に、トォニィは思考が停止した。なんだって、と横顔に書くのに、シドは思い切り目線を逸らして笑いに吹き出す。信じられない様子で目を見開くトォニィに、ニナのすこし後ろに立っていたルリがにこやかに教えてくれる。
「すこし長生きしている先輩からの、ちょっとしたイジワルです」
「……君らの性格歪みすぎだと思うんだ、正直」
 助けてセルジュ、今すぐ助けてっ、と涙目でしゃがみこんだトォニィに、笑いの発作から立ち直ったシドが、冷静をよそおった視線を向けた。
「まあ、ジョミーの瞳の色だから、で安易に決められると困るのは本当だったんだが」
「シドの言うこと、もう信じない」
「拗ねるな。ほら、ジョミーの伝言教えてやるから」
 膝を抱えてしゃがみこむトォニィに、シドは肩を震わせながら言葉をかける。そしてトォニィに向かって手を伸ばし、ぎゅっと繋ぎ合わせて精神を同調させる。流し込むのは、『その時』の記憶。ジョミーがシドたちに、次世代のソルジャーについてのことを指示した時の、記憶だ。はじめに響いたのは、声だった。
『……を、残していくよ』
 トォニィの意識は、一瞬で記憶に飲み込まれる。不鮮明だった声がハッキリと響き、目が捉えられるのは誰かの視界だった。シドの見た景色だろう。今と同じ、それでいて懐かしい空気に包まれたブリッジで、ありし日のジョミーが凛とした表情で立っている。
『希望の色を、残していく。トォニィに、いつかそう伝えて、シド』
『なぜ、翠が希望の色なのです?』
 それはもっと、明るいイメージなのだろう。不思議そうなシドの声が響き、あるいは青だと言葉にもされる。青、それはフィシスの記憶にある地球の色だ。ミュウたちの希望を託すに相応しい色だ。それなのにジョミーは静かに首を振り、それじゃダメなんだ、と口を開く。
『覚えてるかな、シド。ナスカで、ユウイが植物を開発したよね……ナスカの大地に初めて根付いた、あの花』
『ええ、もちろん』
『あれを見て、ぼくは……『希望』って、なるものじゃないんだなぁ、と思ったんだ』
 作れるんだよ、とジョミーは告げる。
『作り出して、作り上げていけるものなんだよ。だから、あの日から、ぼくの希望はみどりのひかり』
 持っていた、マントになる予定であろう翠色の布にそっと唇を押し当てて。ジョミーはおごそかな面持ちで、囁きを落とす。
『ぼくの希望を、残していくよ。トォニィ』
 ぱっとシドの手が離され、トォニィの意識が現実へと戻る。大丈夫か、と問いかけてくるシドの声に応えず、トォニィは震える手でまとうマントに手を伸ばした。そして布をぎゅぅっと握り締めて、息を吸い込む。いくつもいくつも、言葉にしたい気持ちが胸には溢れていた。けれど、そのひとつとして言葉にならない。ジョミーに聞きたいことが、たくさんあった。けれどなにを問いかけたとしても、もう答えは返ってこない。
 それでも。
「ねえ、グランパ」
 ぼくを愛してくれていた、と。震える声で問いかけられた言葉に、答えたのは記憶の中の声ではなく、今を生きる仲間たちで。当たり前じゃないの、とニナが笑った。もちろんですよ、とルリが頷く。シドは苦笑しながらトォニィの頭をなでて、あれは溺愛って言うんだよ、と告げる。それにトォニィがなにかを答えようとした瞬間、ブリッジに続く扉が開き、足音が複数近づいてくる。振り返れば、居たのは四人だった。
 ペスタチオは元気におかえりーっ、と叫び、トォニィに向かって走り寄ってくる。タキオンは恭しくフィシスの手を引き、ツェーレンはもしもの時に備えて、二人のすこし前をゆっくりと歩いていた。トォニィはフィシスを気にしながらも、足元を気にしないペスタチオが転ばないように、と手を差し出して出迎えて。なにから報告しようかな、と心を弾ませる。まず聞かれるのはマントのことだろうから、それとジョミーの言葉と。
 そして、いつか地球に咲き誇る、ナスカの花を教えよう。

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