すこしだけ、長く眠るね、と。その言葉を最後に、はにかむような笑みを浮かべてジョミーは意識を夢に閉ざした。長く生きた方だから、時々は長期の休みが必要になるのよ、と苦笑しながら告げたのはフィシス。これまでずっと気を張って頑張って来た方ですから、ゆっくり休ませてあげましょう、と言ったのはリオだった。長老たちもどこか甘いものを滲ませる苦笑を浮かべ、こればかりは仕方がない、と言って。
ブルーとシロエだけが感じていた、泣き出しそうな不安を直視しようとはしなかった。起きるよねっ、とシロエは叫んだ。眠りに付く寸前のジョミーの手を握って。もしも否定の気持ちがすこしでも揺れたら、無理矢理にでも叩き起こしてしまうつもりのようだった。ジョミーは幼子を宥めるようにクスリと笑って、ちゃんと起きるよ、と言った。だからブルーと仲良くして、良いコで待っていてね、と。そして、薄く目を開けて。
木漏れ日を見上げた煌めきでじんわりと瞳を輝かせて笑い、ジョミーはブルーを傍に呼んだ。足音もなくそっと傍に寄ったブルーは、シロエが握って離そうとはしない手とは逆の手を取って、はい、とだけ告げる。なんだかすごく大人になっちゃったなぁ、とジョミーはくすくすと笑って、ブルーに握られた手に力を込める。かなしいほど弱い力だった。恐ろしいほどぬるい熱だった。あのねブルー、とジョミーは言った。
「起きたら、すぐブルーの顔が見たいな。だから、呼んだらすぐ来てくれる?」
ワガママ言ってごめんね、と告げたジョミーを、シロエがぎろりと睨んだ。それくらいはワガママじゃないでしょうが、と怒られてジョミーはふふ、と幸せそうに笑う。なんで嬉しそうなのかが分からず、シロエが脱力した。もうホントよく分からない、とため息をつくシロエの手を外し、ジョミーはそっと頭を撫でてやる。無言で撫でられるシロエを見つめ、ブルーは口を開いた。
「もちろん。……ジョミー、キスしていいかな」
「なに、突然……でも、うん。いいよ」
触れられることが嬉しい、とジョミーの瞳は語っていた。五月の新緑のきらめき、そのものを宿したような翠の瞳にすいと唇を近づけ、ブルーはジョミーのまぶたの上に口付けた。一度だけ、かすめるような口付け。すぐに離して額をくっつけ、ブルーはごく穏やかな声で告げる。
「おやすみ、ジョミー。大丈夫。なんの心配もしなくていいよ。この船はぼくが守る」
ジョミーはうん、とだけ言って目を閉じ、それから大きく息を吐き出した。する、と指の間を砂が抜けていくようにあっけなく、意識が表層から奥に沈んで行った。それから、一月。ジョミーはまだ眠ったままで、一向に起き出す気配を見せなかった。
柔らかで暖かで、目を閉じて呼吸をするだけで感じる愛に、喜びで涙が浮かんでくる。それがジョミーの、シャングリラを包み込む守護の愛だった。気高く、どこまでも果てがないそれを思い出し、ブルーはすこし息を吐き出した。感傷的になっている、と思っても気持ちが止められない。ちょうど長老たちの報告も終わり、久しぶりに自由な時間が過ごせる午後だからかも知れない。要するに、暇なのだった。
普段は絶対しない、優しい思い出にすがるようなまねをしてしまうのが、なによりの証拠だ。嫌だなぁ、信じて待ってるのに、と苦笑しながら人通りのない廊下を歩いていけば、向かいから慌しく走ってくる青年がある。ブリッジ勤務の青年だった。顔を合わせれば必ず挨拶を交わすくらいの、親しい顔見知りである。こんにちは、と微笑めば、青年はすれ違いざまに若干速度を緩めてお辞儀をし、そして挨拶を返した。
「こんにちは、ソルジャー・ブルー」
「うん。そんなに急いで、どこへ?」
「書庫へ資料を取りに! 慌しくてすみません。それでは」
よほど急いでいたのだろう。結局一歩も立ち止まらずに走り抜けた青年は、すぐに角を曲がって行ってしまった。物寂しい気分だったブルーは、できるならもうすこし話していたかったのだが、あんなに急いでいるのを呼び止めるのも気が引ける。かと言って『休みなさい!』と厳命され、ブリッジへの立ち入りを緊急事態発生以外は明日まで禁じられてしまった身なので、公園くらいしか行く場所がないのだが。
どうも長老たちは、新しいソルジャーに過保護なのだった。その理由が、ソルジャー本人の無理な希望を通して、先代の二の舞になっては困るからなので、ブルーも強く文句を言えないのだが。ブルーが、ジョミーがソルジャー・シンとして動いている姿を見たのは、期間にしてみても短いことだ。回数にすれば、片手の数で十分なくらいだろう。それでも、つい無理してしまう相手だったことくらいは分かるのだ。
確かに、二人目もアレだったらハーレイの胃に穴が開くというか溶けてなくなるか、と気遣われた本人にしてみれば不吉以外のなにものではない最悪の予想をして、ブルーはてくてくと廊下を歩いていく。その背中に、見つけたっ、と声がかかった。くるりと振り返ると、廊下の端から見覚えのある姿が、先程の青年を凌駕する勢いで走り寄ってくる。速い、と思わず拍手をすれば、シロエは怒りに眉を吊り上げた。
「ちょっと、ブルー。長老たちに休むように言われたって聞いたけどっ?」
「ああ、うん。だから、公園にでも行こうかと思ってね」
シロエも一緒にどう、とにっこり笑いながら誘うと、シロエの怒りの表情に、呆れの成分が加わる。あれ、と目を瞬かせるブルーを手に持っていたスパナでびしりと指差し、シロエはあのねぇっ、と叫んだ。
「休むっていうのは、公園に行ってカリナたちと一緒に遊ぶのとは同じ意味にならないんだよっ!」
「えーと。休まるよ? 気持ちが」
「体をっ、休めろっ」
それともソルジャー二人して寝込むつもりか、と言われてしまえば、ブルーにそれ以上の反論は出来ない。確かに、ここ数週間はずっと忙しくて眠る時間が上手く取れなかったのは確かだからだ。そして多少の改善はあったものの、ブルーの朝食量は船に来た頃とあまり変わっておらず。加えて、最近の激務で食欲が落ちていた。毎食一緒に食べているシロエはそれをお見通しだったので、心配してくれたのだ。
シロエ優しい、と笑うと、照れ屋で短気な青年は珍しく怒ったりもせず、まあね、と頷いて胸を張る。
「なんたってぼく、ソルジャー係ですから」
「……なんだい、それ」
「そのまま。ソルジャーの、お世話係。ジョミーに対するリオの役割だと思って?」
そう言われて考えれば、不可解だったものの正体がすこしは分かる気がした。しかし、どうしてそんな係が作られるのかが分からず、ブルーが気をつけながらも直らない考え込む仕草として首を傾げれば、シロエは嬉しげに笑う。
「倍率高かったんだよ? まあ、ぼくに勝とうと思うのが間違ってるんだけどっ」
「勝ち負けで決めたのか……しかも倍率、高かったんだ」
「そうなんだよ。カリナとユウイは手を組むし、整備班は全員ぼくを敵に回すし、攻撃セクションは選抜してまで精鋭が立候補するし、ブリッジ勤務も何人か手をあげるしさ。カリナとユウイはなるべーく優しくしてあげたけど、ああ、心が痛んだなぁ。同僚やっつけるのはっ」
やけにキラキラした笑顔で心が痛んだと言われても、その信憑性は皆無なのだが。そういえば一週間くらい前、ブルー立ち入り禁止の看板が立てられた上で、フィシスが思念波と転移を拒む機械を提供して作動させたあげく、大演習場が長時間使用されていたのだが。その間、シロエの姿が見えなかった気がする。ついでに、船の人口密度が下がっていて、なんだかスッキリしていた気もする。
まさかあの日、と問うと、シロエはにっこり笑って頷いた。
「一日作業で大変だったんだよ? 百メートル走とか、サイオン・ダーツとか、クイズ大会とか、模擬戦闘とか」
「シロエ、足速いから……模擬戦闘はまだ分かるんだが、クイズ大会?」
ソルジャーの傍付きとなるのだから、有能な者である必要があるのは確かだろう。ブルー個人の意見を通してもらえるのなら、そんな存在はいらないと言うところだが、それがミュウの総意ならば仕方がない。なにより一週間前のその時、船に満ち溢れていたのは久々に楽しげな、心が弾んでいる仲間たちの気配だった。諸事情により仲間はずれにされていたブルーは、それだけでも嬉しくて微笑んだものだ。
ジョミーが眠りに付いてから、船がそんな気配に包まれたのは初めてだったのではないだろうか。今もシャングリラは、ブルーの保護膜に包まれているが、それはジョミーの『守護の愛』には遠く及ばない。ミュウたちに向ける気持ちが、まだ段違いだということもあるだろう。けれどそれ以上に、長く生きてきたジョミーと比べてブルーが未熟なのだった。そして、ブルーより有能な者も仲間にはたくさんいるだろう。
例えば目の前にいるシロエも、その一人かも知れない。はぁ、とすこし沈んだ気持ちで息を吐くブルーの額を、人差し指で弾いて軽く睨みつけ、シロエはそんなこと気にしない、と叱りつけた。
「潜在能力で言うなら、今のミュウにブルーに匹敵する者は存在しない。でも、色んな能力とか知識に関してなら、ブルーの上にはまだまだたくさんいるよ。ぼくとか。でも、問題はそこじゃなくて。誰が、誰に、上に立ってぼくらを導いて欲しいかってことなんだよ。甘えたこというなら、誰に守ってもらって、誰の背中を見つめながら戦いたいか。この人にだったら付いてきたいって思える気持ちが、持てるかどうか」
「……うん。ありがとう、シロエ。頑張るよ」
「頑張りなよ。傍で支えてあげるから。……それで、なんだっけ。クイズ大会?」
しんみりした空気を吹き飛ばすシロエの問いに、ブルーはそれそれ、と頷いた。ミュウに関する基礎知識や、歴史、人類の体制に対する問題なんかが出されたんだろうか、と考えるブルーに頷きながら、それもあるけど、とシロエは苦笑いを浮かべた。
「基本的に出題出されたのは、ブルーに関するアレコレだよ。朝食の基本メニューとか、起床時間とか」
思わず咳き込んだブルーに、シロエは手を差し伸べて背中をさすってやった。混乱して中々咳が止まらないブルーを見つめながら、シロエはでも危なかった、と独り言をもらす。
「ぼくも、ジョミーの『ブルー秘蔵コレクション』見せてもらってなかったら、分からなかったのいくつもあったよ。問題出す長老たちも、さすがだよね。処分するのに一応目を通したの、覚えてるだなんて。……まあ、まだいっぱい隠されてるんだけどさ」
ジョミー、隠しものするのだけは無駄に上手だからなぁ、とシロエがろくでもない呟きを落としたところで、やっとブルーが混乱状態から戻ってきた。深呼吸をして涙をぬぐいながら、今なんて言ったの、と上手く聞き取れなかったらしい言葉を問いかける。
「ひ、ひぞう? ひぞう、コレクション……? なんだい、それ」
「ブルー。世の中にはね、知らないで生きてた方が幸せになれることって、いーっぱいあるんだよ?」
つまり、教えるつもりがないらしい。にこにこ笑ってそれより部屋に行こうよ、と促してくるのに頷いて歩き出しながら、ブルーはそこで初めてシロエの格好に気が付いた。今日のシロエは、ミュウたちが基本的に着ているデザインが共通の服を着ていなかった。かと言って、ブルーやジョミーが身にまとうような、いわゆるソルジャー服を着ているのでもない。シロエが着ていたのは、濃い藍色の作業用ツナギだった。
腰に巻かれた幅広のベルトには、そう言えばペンチやドライバーなど、工具がいくつも刺さっている。手にはスパナも持っていたので、作業中だったのだ。きっとブルーが部屋にいないことを知って、大慌てで探しに来てくれたのだ。嬉しいな、と思いながら先を行くシロエの背を見て、ブルーは思わず転びそうになった。バンっと壁に手をついた音で気が付いたのだろう。足元見て歩きなよ、とシロエが振り返る。
「それとも貧血かなにか? 医務室連れてこうか?」
言いながら、すでにシロエはブルーの手を引いて、進路を私室から医務室へと変更しようとしていた。慌てて違うと首を振って、ブルーは恐る恐るシロエの背中を指差し、それだよ、と口を開く。
「なんだい、その背中の……文字」
「ああ。これ? 書いたの。格好良いでしょ?」
そう言ってくるりと回って見せ付けられても、ブルーは同意できなかった。藍色ツナギの背中に、に極太の白い線が文字を描いているのは、整備班にはそう珍しいことではない。しかしシロエのそれは、明らかに普通のそれと一線を画していた。『整備班命!』と『攻撃セクションも命!』までは、まだいい。前者はよく見かける落書きだし、後者は攻撃セクションの長をも兼任するシロエの、実にらしいものだからだ。
しかし、残りの二つが違う。『シド・ヨーハン、ぶん殴る♪』と『キース・アニアン、蹴り飛ばす☆』が並んでいるのは、いかがなものか。シロエ、と控え目な音量で、頭の痛そうな声で呼ばれて意味に気が付いたのだろう。幼い仕草で頬を膨らませ、シロエはだって、と言った。
「これ書いておかないと、どうも調子狂うんだよね。……お守り?」
「呪いの間違いじゃ……いいけど」
どっと疲れたよ、と言いながら部屋に戻る道を進みながら、ブルーはふとあることに気が付いてシロエに問いかけた。
「シロエ」
「なに?」
「ブリッジから書庫へ行くのって、ぼくが居た辺りの廊下って通ったかい?」
シロエは、頭の中で地図を描いて考えてくれたのだろう。首を傾げ傾げ歩きながら、通っていけないこともないけど、と苦笑した。
「かなり遠回り。なんで?」
「……いや、なんでも、ないよ」
それをシロエに聞いたら答えが返ってきそうな気はしたのだが、聞くのが怖いので、ブルーはそう締めくくってにっこりと笑った。シロエはふぅん、というだけでそれ以上は追求せず、ごく自然にブルーの隣に並んで歩き出す。そして手を、そぅっと繋ぎ合わせた。
寝起きの心地よいまどろみに遊びながら、ブルーはもぞもぞとベットの中で身動きをして、手を繋いだまま眠ってしまったシロエを揺り起こした。気になってしまったら眠る所ではなくなってしまったし、そろそろ夕食なので起こしても支障ないはずだ、と思いながら。シロエ、シロエ、と何度か呼びかけると、シロエのまぶたがゆっくりと上がっていく。すぐにくぁ、と子猫のような仕草であくびと伸びをして、シロエが起きた。
「おはようございます、ブルー。なに、もう夕方? 寝すぎたかな……んー」
「ああ。もうすぐ夕食の時間。……あのねシロエ、聞きたいことがあるんだけど、いいかい?」
「だいぶ板についてきたよね、口調。寝起きでも戻らなくなってる、偉い偉い」
ふぁ、とあくびしながらブルーの頭をなでて、シロエはなに、と目を細めて笑った。なんでも答えてあげるよ、と言うくらいなのだから、寝起きでもシロエの機嫌は良いのだろう。答えてくれるといいな、と思いながらブルーは口を開く。
「キース・アニアンってどんな人?」
「人類統合軍の反ミュウ派のメンバーズ・エリート、と見せかけてジョミーのお茶のみ友達の親ミュウ派」
それで、と書面に記された事実を読み上げていくようなシロエの口に、ブルーはえいっと手を押し当てて止めてしまう。なに、と眉が吊り上げられるのをじっと見て、ブルーはそうじゃない、と笑った。
「そうじゃなくて。シロエにとって、キースってどういう人なのってことだよ」
「……なんか前にも似たようなこと聞いたよねきみ」
変な夢でも見たのかな、と疑い混じりの呆れの視線で見られて、ブルーは違う、と首を振った。そしてシロエの背中をちょいちょい、と差しながら、キースの名前が書いた辺りを指でなぞる。
「だって、一つだけ仲間に関係ないだろう? 他は全部ミュウなのに、キースだけ」
「……なんて答えて欲しいわけ」
「好きなひと、なのかなぁって」
ころんとベットに寝転んで、ブルーはシロエを見上げながら言った。シロエは大きく息を吐いて同じく寝転び、至近距離でブルーを見ながら唇を尖らせる。
「そうだね」
認めたのはなにも、諦めたのではなくて。夕方の、ぼんやりとした時間に、二人でベットに寝転びながら否定するのが嫌になっただけだった。顔を寄せ合って、くすくすと親密に笑いあっている中で、嘘をつくのが嫌なだけだった。
「好きだよ。ブルーがジョミーを想うくらいには、強くないと思うけど」
「強さとか、そんなの関係ないだろう」
「そうかな」
苦笑するシロエに、ブルーは手を伸ばした。そして頬を両手で包んで顔を寄せ、額をそぅっとくっつけ、シロエの目を覗き込む。そしてブルーは、もう一度そうだよ、と言った。まっすぐに目を合わせながらシロエも同じようにブルーに触れて、くすくすと肩を震わせる。
「そうかな」
「そうだよ」
「そうかな」
すこし悲しそうに呟くシロエに、ブルーはそうだよ、と言う。ごく穏やかな響きにこそ心を揺らしたように、シロエはやがてちいさく頷いた。
「そうだね」
そしてシロエは、脱力したように息を吐き出して。腕を伸ばして、ブルーをぎゅぅっと抱きしめた。
「はやく、ジョミー起きれば良いのに」
「どうして」
「ぼくだけなんて、不公平だ」
それが、今ブルーを抱きしめていることなのか、それとも恋する相手が起きていることなのかは分からなかった。おそらくは、両方なのだろう。ありがとう、と笑ってシロエの腕に手を添えたブルーは、その瞬間にばっと顔をあげる。シロエも同じく気がつき、ベットの上で素早く立ち上がった。シャングリラの空気が揺れる。優しく、強く、伸びやかに、暖かに、しなやかに、穏やかに、そして果てしない愛を抱いて揺れる。
覚えのある感覚だった。そして二度と、感じられないと誰もが思っていた力だった。遥かに輝く、太陽のようなサイオン。触れるだけで、愛されている喜びに涙が溢れる。
「ジョミー、だ」
かすれた声で呟いたのはシロエだった。シロエは勢いよくベットから飛び降りて、ブルーの腕を掴んで立たせる。そして、無言で腕を引っ張って走り出した。目指すのは、ジョミーが眠る一室。誰もが呆然と立ちつくす廊下を走り抜けて、道のりの半分まで来てやっと、シロエは転移するという方法があったのを思い出した。息を切らすブルーを、同じく呼吸を荒くしながら抱き寄せて、そして一気に床を蹴る。
どさりと音を立てて落ちたのは、ジョミーの眠るベットの上だった。控えていたらしいリオとフィシスが、大慌てで二人に視線を向ける。どうしてよりによってそこに落ちるんですっ、と叱るリオの思念波は、気のせいでなければ涙声だった。フィシスは口に両手を当てて声もなく、二人を通り越してジョミーの寝顔を見つめている。二人もすぐにベットからおりてジョミーを見つめ、そしてやっぱり、と大きく息を吸い込んだ。
「力が……サイオンが、戻ってきてる」
それは、滾々と湧きいずる清涼な水のように。止まることなく、どんどん大きくなっていく。長い長い冬を終え、春の目覚めにいっせいに芽吹く花のように。誰の手にも邪魔されない勢いで、どんどん体に染み渡っていく。一呼吸ごとに強くなっていくサイオンの波動を感じながら、フィシスは己の胸に手をあてた。喜びに羽ばたく、蝶のような仕草だった。
「おお、ジョミー……目覚めるのですね」
「目覚める?」
起きる、とはまたすこし違う言葉である気がした。思わず問いかけたブルーに、フィシスは花のように微笑んで頷く。
「ジョミーの力の喪失は、決まっていたことでした。でもなぜ、なんのために決まっていたのかは、誰にも分からなかった……そして喪失して初めて、ジョミーは私に言ったのです。きっと、ブルーがソルジャーになる為の荒療治だったんじゃないかな、と。あのままジョミーの力が強大なままでは、あなたは……あなたも、ジョミーも、長老たちも、甘えて甘やかしてしまったでしょう。それでは、いけなかったのです」
『だからね、ジョミーはきっと安心して目覚めるんですよ』
言葉を引き継いで。リオはありがとう、とブルーとシロエに微笑みかけた。
『ジョミーがそのままでも、もうブルーは大丈夫なのだと。ソルジャーとして立ち、しっかりとそれを支える者もいる。だからもう、大丈夫なのだと安心して……だから、眠りは終るのです』
すぅ、と息を吸い込む音がした。信じられないような気持ちで、ブルーはジョミーに視線を落とす。ジョミーのまぶたがぴくりとふるえ、そしてゆっくりと開いていく。木漏れ日を抱く五月の、新緑色の瞳が現れた。ブルーがなにより好きな色だった。ジョミーはごく穏やかに微笑んでブルーを見つめ、唇を開く。その声が己の名を響かせることを、ブルーは信じて疑わなかった。そして信頼は、ごく当たり前のように報われる。
「おはよう、ブルー」
「……おはよう、ジョミー。長い夢だったね」
でも、もう見なくて良いから、と。泣きながら微笑んで頬にキスをしたブルーを、そっと抱きしめて。ジョミーはうん、と頷いた。