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 終 麗しき理想郷

 息を切らせて走りこんできたアルテラを見るなり、ジョミーは思わず微笑んだ。大慌ての表情やいつもとは違う服装から、どうしたの、と問うよりも早く、言葉が口から滑り降りていく。
「おはよう、アルテラ。可愛いね」
 告げられた瞬間のアルテラの顔と言ったら、十人中十人が可愛いと表すようなものだった。みるみるうちに赤くなった頬に手を押し当てながら、アルテラはすこしばかり涙ぐんだ目で嬉しい、ありがとう、と呟く。アルテラが着ているのは、淡いクリーム色のワンピースだった。袖はなく、スクエアネックで鎖骨が綺麗に出ている。ウエストの切り替え部分には、同じクリーム色のリボンがちょうちょ結びにされていた。
 足元を見ると普段履きの黒いブーツではなく、トォニィの瞳のような赤だった。よく見れば、髪を結ぶ紐も同じ色をしている。うんうん、と目を細めて笑いながら、ジョミーは椅子から立ち上がって、恥らうアルテラの元に近寄った。そしてそーっと腕を伸ばして優しく抱きしめ、大きくなったなぁ、と感慨深く告げる。
「トォニィには、もう見せた? 可愛いよ。いつもアルテラは可愛いけど、今日は特別可愛い。本当によく似合ってる。皆にたくさん見せびらかしたいけど、それももったいないくらいだ。自信を持っていいよ」
「……ジョミーはさぁ」
 会議をしていた真っ最中だったので、机にひじを突いて呟くシロエの目の前には重要書類がたくさんあった。船内のことだから、別に見られて困るものでもないが、ソルジャーの意識が会議に戻ってこなさそうなのには呆れるしかない。もっともシロエが呆れているのは、愛し子の成長にジョミーが喜んでいるからではなく、年を増すごとに磨きがかかっている、口説きにしか聞こえない褒め言葉の方になのだが。
「女の子を褒める時は、もうすこし考えてから発言すべきだと思いますよ。確かにアルテラは可愛いけど」
『フォローしているのか後押ししちゃってるのか紙一重な発言ですよ、シロエ』
 会議の席に着いた面々にお茶を配りながら言うリオの言葉も、注意しているのかただ呟いてみただけなのか、どちらとも受け取れるから始末が悪かった。まあ可愛いことには同意しますけれど、と笑ったリオは視線を流して同意を求める。椅子にゆったりと座って机にひじを突き、手を組み合わせてにこにこ笑っていたブルーは、愛しい太陽とその愛娘の触れあいに柔らかく言葉を放った。
「やっぱり女の子は、年頃になると違うものだね。皆が言うように可愛いけれど、綺麗だよ、アルテラ」
「どいつもこいつもー!」
「あ。おはよう、トォニィ。会議には遅刻しないように、と何回言わせたら気が済むんだ」
 ダメじゃないか、と叫びながら飛び込んできたトォニィに手を伸ばし、ジョミーは頬をつねりながら注意した。まるで幼子を怒る注意の方法に、トォニィは恥ずかしそうに手を振り払ってジョミーを見下ろす。ごく自然にそうしなければ視線が合わないほど、今のトォニィはジョミーより頭ひとつ分も背が高いのだ。外見を十六で止めたジョミーと比べ、トォニィは十八か十九で未だに成長中なのである。アルテラも同じだ。
 すでにジョミーより外見年齢が上になって久しく、十八歳の輝かしい綺麗さに彩られている。いいかげん子ども扱いしないでよっ、と怒るトォニィに、ジョミーはそれもそうだと思ったのだろう。口元に手をあてて考え込まれるのに、トォニィはなんだかすごく嫌な予感がした。ので、その予感が現実になる前に、アルテラを背に庇おうとしたのだが。それよりジョミーの行動のほうがずっと早くて、そして一枚上手だった。
 間に合わず、トォニィの腕の中に抱き込まれてしまったアルテラの手を取って、ジョミーはそれを己の口元に持っていく。手の甲に軽く口付けて視線を合わせ、ジョミーは目の毒のように綺麗な笑顔でアルテラの名を囁いた。
「ブルーの言うとおり、本当に綺麗になったね、アルテラ。嬉しいよ」
「ばっ、ばかー! ジョミーのばかぁっ! アルテラのこと口説かないでってばっ」
「トォニィ。こどもあつかいするなって言ったのはそっちだろう? だから、ちゃんと女性を褒める風にしたのに……口説くだなんて。変なことを言うものじゃないよ。あと、会議には遅刻しないでくれ」
 アルテラはトォニィの体に体重を預ける風に凍り付いていたが、それは甘えているというより、自分の体を支えられなくなってそうしているだけなのだろう。可愛い恋人の姿に複雑なものを感じながら、トォニィはめっ、と甘く叱ってくるジョミーに唇を尖らせた。
「ジョミーは最近、ぼくにばっかり冷たい。アルテラにもツェーレンにも、タキオンたちにも優しいのに」
「当たり前だろう。ぼくは怒ってる」
「いい加減許してよジョミー! もう二度と寝てるあなたに勝手にキスしたりしないからっ! ちゃんと許可とってからにするからっ」
 それは誰の許可なのだろう、とまったりお茶を飲みながら考えるシロエの視線の先で、硬直から復活したアルテラが手を伸ばした。トォニィの頬を包み込むようにして視線を合わせ、そしてアルテラはにっこりと笑う。綺麗な綺麗な、女王さまの笑みだった。ひっ、と悲鳴を飲み込むトォニィに、アルテラはにこにこ笑いながらちいさく首を傾げる。
「トォニィちゃん? ジョミーになにしてるの?」
 ああ、怒るのそっちなんだ、とシロエはリオに紅茶のおかわりを要求した。自分で淹れてもいいのだが、こんなに面白い光景から目を離せないのである。リオは嫌な顔ひとつせずにおかわりをついでやり、オロオロするジョミーにも声をかけてやった。
『ジョミーも紅茶、飲みますか? ホットとアイスの二種類ありますけど。ホットはダージリン、アイスはアフタヌーン・ブレンドです』
「アイス。……ねえリオ、リオ。どうしよう」
「怒らせておきなさい、ジョミー」
 恋人の唇を奪われたブルーは、優雅な仕草でカップを傾け、告げる。
「いつものことだろう」
「そうよ! ホントにいつもよ! どうしてトォニィは、あたしというものがありながらジョミーに手を出すのっ! あたしのジョミーに変なことしないでっ」
 トォニィはアルテラとは別格でジョミーが大好きらしいのだが、それは別にトォニィに限ったことではないらしかった。アルテラもそうだし、ナスカで生まれたこどもは全員がそうだろう。つい昨日も同じような内容で仲良くケンカしていた事実を思い出し、リオは平和ですねぇ、と胃を痛めて沈黙するハーレイに同意を求めたのだが、望む言葉は返ってこなかった。相変わらずのハーレイに、同情の視線だけが集中する。
 室内の注目を二分割にしながら、トォニィは真っ赤な顔で言い訳をしていた。
「へ、変なことってなんだよっ。いいだろ別にキスくらいっ」
「キスくらいじゃないわよっ。ジョミーにキスなんて、そんな羨ましいっ!」
『結局いつも、問題はそこなんですね……あなたたちと来たら』
 複雑にも程があります、と苦笑するリオに、トォニィとアルテラは同時に強い視線を向けた。そしてお互いの顔を指差しながら、だってだってと親にエサを求める小鳥のように勢いよくさえずり始める。
「トォニィったら、私にキスする回数より、ジョミーにキスする方がずっと多いのよっ! それってすごくひどいと思わないっ?」
「アルテラこそっ! どうしていつも、ぼくが服あげると一番にジョミーに見せに行くんだよっ! 普通はぼくに見せるだろっ!」
「だって似合ってるか不安じゃないのっ。ジョミーが可愛いって言ってくれたら、トォニィに見せても安心できるわっ!」
 つまるところ、この二人がいつもケンカばかりしている理由は、お互いにお互いとジョミーが同率一位であり、それに対して複雑な感情があるからなのである。呆れて見守るジョミーの横顔には、『二人とも、お願いだからぼくの為にケンカしないで、って言ったらどうなるかなぁ』と書かれている。大騒ぎの大喧嘩になるからやめてくださいね、とたしなめつつ、リオはソルジャーである人を椅子に座らせた。
 そして御所望のアイスティーを差し出しながら、会議が再開できませんね、と苦笑する。ジョミーはストローでアイスティーを一口のみ、文句なしの笑顔で美味しいと褒めてから、まだ言い争っているトォニィとアルテラを見て、肩をすくめた。そしてジョミーは潤った喉を動かし、綺麗な笑顔で二人の名を呼ぶ。振り返った二人に笑顔を見せて、ジョミーはトォニィ、アルテラ、と愛しく囁いた。
「二人とも、愛してるよ。だから、仲良くね」
 様子を伺っていたツェーレンたちには、もちろんきみたちも、と思念を返すことで安心させて、ジョミーはむくれてしまったブルーの元に歩み寄る。そして、いつまで経ってもあなたと来たら、と身を屈め、頬にそっと口付けを落とした。
「しかたないひと。ぼくはみんな愛してるけど、恋をしたのはあなただけですよ。ブルー」
 とたんに仲良く、アルテラとトォニィから敵意の視線を向けられて、ブルーは肩を震わせて笑った。ジョミーは不思議そうな表情で、でもまあ幸せそうだから良いか、と納得して自分の席に戻る。そしてすぐに表情と意識を切り替えて、シャングリラのソルジャーへと戻った。温かな空気の中で、すこしだけ緊迫した話し合いがはじまる。それは、地球へ向かいながら幸せになっているミュウたちの、ごく普通の一日だった。



 かつて、地上には楽園があった。
 ――ナスカ。
 それは、赤き乙女の星に眠る名前。



 今は。安らぎの船の中、理想郷に笑っている。
 その船の名は――シャングリラ。
 いつか誰かが目指していた、楽園そのものを呼ぶ名前。



 楽園に生まれ、理想郷に笑う。
 ナスカの子たちが、幸せであるように。

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