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 シンフォニア

 こういう流れでブルーと会ってきたよ、と全て話し終えられたフィシスの反応といえば、ごく穏やかに微笑んでまあ、と言ったくらいだった。驚いているというよりは、予想とあまりに違わなかったので微笑ましかっただけだろう。大体がフィシスはリオと共謀して覗きも盗聴もしていたので、ジョミーに説明されずとも実体験に近くそれを知っていて、今更驚きもないのだった。しかしジョミーは、それを知らないのである。
 優しい呟きにきょと、と首を傾げられるさまがあまりに可愛らしくて、フィシスはにこにこと笑いながらジョミーの頭を撫でた。ジョミーは年上の女性からの触れあいに、すこし恥ずかしそうな表情になったものの手を退けることは考え付かないのだろう。落ち着かない表情で視線をさ迷わせ、顔を赤らめてあぅ、と呻くくらいだ。その呟きにこそ、フィシスは可愛らしさを覚えたらしい。腕を伸ばし、ぎゅーと抱きついてくる。
「可愛いジョミー……照れないでください。ね、大丈夫ですわ」
「フィシス。あなたはぼくのことを、可愛い人形かなにかと勘違いしてませんかっ?」
 恥ずかしさのあまり涙目になって問いかけるジョミーを抱きしめ、頭をよしよし、と撫でてやりながらフィシスはにっこりと微笑んだ。その笑みがあまりに嬉しそうで、楽しそうで、そして無垢だったからこそ、ジョミーは言葉に詰まってしまってそれ以上の抗議ができない。そんな二人を遠目に眺めてお茶の用意をしつつ、リオはあれではジョミーは勝てない、と苦笑した。見かけがか弱い女性であろうと、フィシスである。
 時の流れに逆らって外見の成長を止めてあるだけで、ジョミーよりずっと年上で、そしてブルーに匹敵するほどの百戦錬磨なのだ。加えて、ブルーと違ってジョミー可愛さのあまり混乱することもないし、立場から発言を取り繕うことも無い。よって、ジョミーがフィシスに勝てる余地はなく、これからもずっとそうだろう。ため息をついて時間になったポットを持ち上げ、リオは二人が戯れているお茶席へと寄って行った。
『お茶の用意ができましたよ。フィシスさま、ジョミーを離してあげてください。それではお茶が飲めません』
「リオっ……!」
 きらきら輝く目で助かった、とばかり呼びかけてくるジョミーに、リオは穏やかに微笑み返す。もう大丈夫ですからね、と告げるような表情に、フィシスは嘆かわしいとばかりため息を吐いたが、とりあえずなにも言わなかった。これ以上抱きついていればフィシス曰く『可愛いジョミー』の機嫌が悪くなってしまうかもしれないし、苦手意識を持たれてしまうかも知れないからだ。す、と音の無い綺麗な仕草で離れる。
 そして優美な仕草で椅子に座りなおそうとするのに、慌ててジョミーが椅子から立ち上がる。思わず首を傾げて動きを追ってしまうリオとフィシスに意識を向けることなく、ジョミーは盲目の占い師の座る椅子の背に回った。そして椅子を軽く引き、フィシスが座りやすいように調節する。まあ、とくすくす笑いながらフィシスが腰を落とすと、ジョミーは慣れた仕草で椅子を調節した。その間、気負った様子は見られない。
 慌てたのは『そうしなければいけない』という意識からではなく、ただ抱きつかれた恥ずかしさで混乱していた為、エスコートに間に合わないかも知れなかったからだろう。自分の椅子に座る時、ふっともれた安堵の意識がそれを証明していた。ポットから薫り高い紅茶を注ぎながら、リオは驚きました、と静かに告げる。そして目を瞬かせるジョミーにカップを差し出し、まだ熱いですよ、と注意しながら言葉を続けた。
『今、フィシスさまに椅子を引いて差し上げたでしょう? 中々気がつけることではありませんよ』
「そうなの? パパはママに必ずそうしてたし、ぼくも、いつもスウェナにやってたから……ええと、ごめんね、フィシス。じゃあ、もしかしていきなりで、びっくりしたりしなかった? 座りにくかったり、その」
「大丈夫ですわ、可愛いジョミー。どうもありがとう」
 優しいのですね、と嬉しそうに微笑まれて、ジョミーはどこか誇りに満ちた表情で軽く首を振る。当たり前のことだよ、と思念が告げていた。こぼれおちる心から、それが本当にジョミーにとっては当たり前のことなのだと二人は理解する。別にフィシスの目が見えないから特別に行ったのではなく、女性であれば誰にでもそうするのだ。ご両親、特にジョミーの父親は、幼い愛息子を『常に紳士であれ』と育てたらしい。
 そういえば、とリオはジョミーの普段の行動を思い出す。この年齢の少年にしてみれば、ジョミーは驚くほど丁寧な一面を持っているのだった。普段はぱたぱたと軽やかな足音を立てて移動しているが、すこし改まった場、たとえば長老たちの授業中などは靴が床にこすれる音すら響かない。悪意ばかりに取りまかれていた頃も、女性を見れば声をかけて荷物を運んでやったり、手伝いを申し出たりしていた。
 食べ物が口に入っている間は絶対に会話に参加しようとしないし、それが完璧に出来ているかはおいておいて、礼儀作法は一通り理解している。恐らく、シャングリラの誰よりも分かっているに違いない。今はエラに叱られているものの、成長して精神的に成熟していけば恐ろしいほど女性やこどもに優しくなることだろう。軽い眩暈を感じて黙り込み、リオはそれはそれで今のうちにどうにかしなければ、と思った。
 なにせジョミーは次期ソルジャー候補だが、同時にブルーの愛し子で、そしてなにより可愛らしい美少年なのである。サラサラの金髪に緑石の瞳。肌は白くてなめらかだし、声も綺麗で耳に心地いい。くるくる変わる表情は見ていて飽きないし、笑った表情は誰もの保護欲を刺激してやまない。今は反発が邪魔しているものの、それが消え、ジョミーが美少年から成長し、そして正式にソルジャーとなったなら。
『……フィシスさまっ』
『ええ、リオ。その通りですわ、その通り……どうにかしなければ』
 秘められたリオの呼びかけに、フィシスはほぼ即答でこたえた。同じ結論にたどり着いていたからである。すなわち、仲間に好かれるのは大切なことで構わないが、身の危険が降り注ぐ可能性があまりに高いのでどうにかしなければ、と。敵は女性だけではない。男性もきっちり視野に入れなければいけないからやっかいだった。急に黙ってしまった二人を不思議そうに見ながら、ジョミーは紅茶を一口飲んだ。
 そしてわっ、と嬉しく驚いた呟きを発し、唇を手で押さえる。
「おいしいっ! リオ、この紅茶すごくおいしいよ。どうもありがとう」
『どういたしまして。お気に召したようでなによりです。お菓子もありますから、好きなだけどうぞ』
「うんっ。食べる、食べる。ねえ、フィシス。フィシスはどれが好き?」
 にこにこ笑いながら、クッキーやスコーン、マフィンやレモンタルト、ケーキが乗せられた皿をフィシスに示すのは、まずは女性からだと教わっている為だろう。フィシスは嬉しさと将来への不安が半々になった微笑で指を伸ばし、クッキーをひとつだけつまみあげた。それだけでいいの、と首を傾げるジョミーに頷くと、少年は不安になったらしい。もっと食べなきゃだめだよ、と言ってフィシスの手を両手で包み込んだ。
「フィシスは今でもすごく綺麗だから、ダイエットとか気になるかも知れないけど、ちゃんと食べてね? 綺麗でいようって思うフィシスは可愛いなって思うけど、体調が悪くなったりするの嫌だよ。フィシスはそのままで綺麗だし、すこしくらいふっくらしても絶対綺麗だ」
『……四回も』
 思わず『綺麗』の数を数えてしまったリオは、額に手を押し当てて呻く。そしてこれは危険だ、と強く思う。ジョミーはこれまで長老たちの勉強付けで、こどもたちにも警戒されていたから他の仲間との交流などほとんど無かった。しかしジョミーは先日、無事に仲間たちに『仲間』と受け入れられ、ブルーにも会い、正式にソルジャー候補生としての道を歩み始めたのである。今までのようなひきこもりは、もう出来ない。
 今は相手が、ジョミーをこどもや弟のように可愛がっているフィシスだから良いものの、他の少女たちなら大変なことだ。本人に自覚がないからなお、口説かれているとしか思えない言葉は破壊力がありすぎる。リオの危惧に、フィシスももちろん同意見だったらしい。にこにこ笑いながらジョミーをなでているが、一方で追い詰められたような思念波が飛ぶ。
『リオ』
『ええ。これはもう、本当に早急にどうにかしなければ』
 人前に出せない。いろんな意味で。どうして今まで気が付かなかったのかと思うが、ジョミーと普段接する者たちの立場と年齢が問題だったに過ぎない。さすがにジョミーも長老のエラやブラウに対してここまでのことは、たぶん言わないだろうし、言えるような状況でもなかったのだ。ずっと続いていた緊張から解き放たれて、やっと素が出せるようになったのである。喜ばしいことの筈なのに、脱力感が襲った。
『ソルジャーはこのことをご存知なのでしょうか……。知らないのであれば、知らせなければ』
『いいえ。その必要はありません』
 にっこり笑うフィシスは、なにかを企んでいるというよりも、薄く怒っているようだった。思わず口元を引きつらせるリオに、フィシスはぱくぱくお菓子を食べていくジョミーを眺めつつ、うっとりとした声で告げる。
『ソルジャーにはナイショにしておきましょう。知ってもどうせ『ジョミーはぼく以外を褒めてはいけないよ』だの、『優しくするのはぼくや長老までにしておきなさい』だの、ろくでもないことばかり言うに決まってますもの。ソルジャーはたいがいそういうお方です』
 ソルジャー・ブルーの手によってシャングリラに連れてこられ、慈しみ育てられたフィシスの言葉だからこそ、説得力はなによりあった。それもそうですね、と頷きつつ、リオはでも、と表情を曇らせる。
『どうすれば』
『あら。簡単です』
 ふふ、と清らかな音楽のような笑い声を響かせて、フィシスは紅茶をこくこく飲んでいるジョミーに視線を向けた。そして、すっと手を差し出して立ち上がる。
「可愛いジョミー。私、久しぶりにシャングリラの中をお散歩したくなりました。お付き合いしてくださると嬉しいのですが、一緒に行ってくださいますか?」
「ええ。もちろん、フィシス!」
 元気よく立ち上がりながらもそっと手を取って、ジョミーはフィシスをエスコートして歩き出す。数歩歩いたところで、思い出したのだろう。あ、という顔つきで振り返ってきたので、リオは笑顔で手を振ってやった。後片付けなど気にしなくていいので、行っておいで、と送り出されて、ジョミーは安心してフィシスを連れて行く。その背を見送って、リオはフィシスがすれ違いざまに送ってきた言葉を思い出し、くすりと笑う。
『私の可愛いジョミーが誰にでもすごく優しいのだ、ということを今のうちに分からせておけばいいのです。誤解された時に、説明できる者が傍についている状況で、ね』
 思念というミュウ独自の感覚によってなに不自由なく生活しているとはいえ、ジョミーはフィシスの傍を離れることはないだろう。エスコートを頼まれたならなおさら、場を外すことがあってもすぐ戻ってくるに違いない。そしてフィシスは穏やかな口調で積極的に、ジョミーは誰にも優しいですね、と笑う。それがジョミーの自然なのだと、誰もが理解するだろう。ブルーには中々出来ない芸当だ。フィシスならではだろう。
 その言葉に意思を乗せ、神秘として伝える占い師。ミュウたちの女神の言葉だからこそ、間違いなく心に届くのだ。ソルジャー・ブルーが全体を導くものであるなら、フィシスは柔らかに方向性を与える役目を持っている。手に持つ一本の棒で、自在にオーケストラを操る指揮者のように。奏でられる音楽は、ジョミーの味方となるだろう。くすっと笑って、リオはゆっくりと天体の間を出て行った。

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