なぜ、こんなときに。
女ともとれる顔つきの綺麗な男は、壊れた自分の武器を見下ろした。最初に思った「なぜ」は心の奥底に沈んでいく。
思えばこいつとの出会いも唐突だった。
学園から卒業するときだ。コレがふたつに別れたのは。何か理由があって形を分けたのだろう。自分の手に残った映し身の武器を見下ろしたときも確か同じ感想を持ったことを思い出し、息を吐く。
「……まぁ、王宮の中だからいいか」
同僚に聞かれたら「おまえ、そんなに簡単でいいの!?」と総つっこみされそうな気がしたが、男はさほど気にしなかった。これぐらい些末なことだと事実を受け入れる。なんとなく、そう、なんとなくこうなることは視えていたからだ。
むしろ、最大の感謝をこめよう。それが、礼儀というものだろ。
「ありがとう。今まで、俺を守ってくれて」
きっと役割を終えただろう武器は、男の手から清々しくその身を消していく。幻想的な流星の夜を見ているような気分で、男はそれを眺めていた。
「……そして、これは大事なものなんだな」
トリガーガードと呼ばれる丸い輪、その内側に埋め込まれたままのアクアマリン。まるで愛する者に託す指輪のように、それは男の手のひらに残っていた。しっかり握りこまれた指輪は、かつての相棒であり、恋人のような存在だった武器だ。戦うことから愛しいものを守護するモノに形を変えた自分の武器を誇らしいと思った男は、自室で静かに星に祈りを捧げた。
「スットルー!」
けたたましく自室のドアを叩く同僚に、ストルは顔を上げる。悼む暇すら与えてもらえないことに苦笑を漏らしながらも、ドアを開けた。
「ストル、だ。変なところで区切るな」
「あー、悪いわるい。ちょっと頼みごとがあって急いでたもんで」
「なんだ」
「あのな、今いろいろ手が離せないから、来訪者迎えてあげてくれない?」
家人にちょっとそこまで買い物を頼むぐらいの軽いのりで告げられた用事に、ストルはため息をつきながらも「わかった」とひとつ返事で頷いた。そして同僚はにこやかに去る。もう、このやりとりも慣れたものだ。
「行くか」
手のひらに残った指輪を、男は直感やインスピレーションを高めると言われている左手の中指にはめた。女のように綺麗な指に無骨な指輪。このアンバランスさがまたいい、と口元に笑みを浮かべ、ストルは自室を出て行った。
「すべては、星の巡るままに」
――ここから先の出会いから、何かがはじまる、という直感を携えて。
*★*―――――*★*―――――*★*
失いたくない。もう、二度と大事なものだけは離さない。
そう、心に誓った。そう自分で決めたんだ。
だから、後悔のないように心を強く持ってメーシャは走った。その両手に大事な小さい友人を包んで。
「助けてくださいっ!!」
やっとたどり着いた王宮。城門の兵士に縋りつくようにしてメーシャは悲痛な叫びをあげた。
聞いてるほうも心を痛める、そんな声に驚きを隠せない兵士は冷静に対処しようとしているようだった。
「どうした? 何があった?」
しかし、メーシャはうまく言葉が口から出ない。今、初めて体験している「大事なものを失うかもしれない恐怖」で口が動かなかった。がたがたと体が震えて、がちがちと歯が鳴る。心配そうに見つめる兵士の優しい瞳に語りかけようとするが、ほぼパニック状態になっているメーシャに冷静な判断はできなかった。言わなきゃいけないことはわかっているのに、自分が記憶を失った「あの日」がフラッシュバックして、あのときの心の喪失感に襲われて、そして手のひらの中で失われていく体温に呼吸が止まりそうになって。
もう、ぐちゃぐちゃだった。
きっとこういうとき、ルノンだったらしっかりしろと叱咤するだろう。その声を、メーシャは求めてやまなかった。
(だれ、か……、誰かルノンを助けて……っ!!)
心の叫びとともに、涙が零れ落ちそうになった――その瞬間。
「よく、がんばったな」
流れるような透き通った声が、メーシャの心を捉えた。
「ストル殿!」
メーシャを心配していた兵士が、綺麗な男をストルと呼んだ。短いスカイブルーの髪がふわりと揺れ、中性的な表情が労うように微笑む。ほのかに伝わる色気に一瞬息を呑んだ。
「焦燥、悲しみ、困惑、恐怖。……すべての感情が君を覆っているね」
中性的な容姿とは違い、低く艶のある声を聞いて、メーシャはストルが男だということに気づく。ストルは呆然とするメーシャの手元をちらりと見下ろし、状況を把握したように兵士に向き直った。
「ここからは、彼を王宮魔術師預かりとさせてもらう。対応、ご苦労だった」
「はっ」
ストルの言葉に敬礼をした兵士はメーシャによかったな、と微笑み自分の担当する場所に戻った。メーシャは涙目でストルを見上げ、先ほどまであった混乱がすべてなくなっていることに気づく。ストルはそんなメーシャの頭をがしがしと撫でた。
「混沌とした感情を抱え、それでも自我を保とうとした。おまえの勇気は素晴らしい」
「え……?」
「さ、早くその案内妖精を中へ。今日はタイミングよく白の魔法使いもいるから、すぐによくなるよ」
おまえたち、ついてるな。そう続けたストルに案内されて、メーシャは正門をくぐり王宮の中へ。そこでは、ばたばたと忙しなく動いている魔術師たちがいた。
「っあー! ストル、なぁ、その子もしかしてあれか、あれなのか!?」
「そうだ。そんなことより、彼の案内妖精がへばってて困っている。フィオーレにみてもらいたい」
「あぁ、ちょっと待って、私居場所知ってるから呼んでくるね!」
その場を通りかかった小柄な女性が、片手を挙げて元気よく駆け出した。その背中に向かって、ストルが「俺の部屋で休ませておく」とひと言声をかけると、女性はまた片手を挙げた。きっと意味が伝わったのだろう。メーシャは落ち着いた心で、ルノンへの心配はそのままに現状を少しずつ受け入れる練習をした。
旅の途中ほとんどパニックになることなどなかったが、ルノンの様子がおかしくなって初めて自分の「恐怖」と向き合った。これを克服できなかったら立派な魔術師にはなれないだろう。いつでも冷静に対応できるラティの背中を見て、自然とそう思っていた。
そんなメーシャの心を見透かすように、ストルはそう肩に力を入れるなと笑う。
「何事も、未経験なことは冷静に対応なんてできないものだ。対応策がわからないからな。今、おまえに起こった出来事に対し、無理に冷静になる必要はない。……その大事に抱えている妖精の心配だけをしていればいい」
ふと、この人には心が見えるのだろうか? と感じる瞬間が多々あった。彼の言い当てる心や気持ちは、言葉を変えただけでメーシャの中にあるものばかりだった。
「まぁ、不思議に思うのも無理はない」
また、だ。また、心を読まれたような気分になった。
ここだ。ストルの流れるような身のこなしでドアが開けられる。どうやら、ここがストルの自室らしい。中に入ったと同時にドアの閉じられる音が聞こえた。
「どうぞ」
差し出されたふわふわのイスに腰をかける。メーシャの目線にあわせるように床に膝をついてストルが、そっと手を握ってきた。そのあたたかな体温に、自然と泣きそうになる。
「俺は王宮魔術師、水属性の占星術師だ。名を、ストルと言う」
口元に笑みを浮かべたストルが続ける。
「ここは星降の王宮、不安になることは何ひとつない」
「……」
「さぁ、おまえの案内妖精をみせてごらん。入学予定者くん」
心地いい声に包まれる。心にある不安も、すべて吸いあげられていくように気持ちがほっとした。けれど、体は硬直したままだった。
「どうした?」
「……手、が、……動かない、ん、です」
「ん。じゃああたためてやる」
ゆっくりでいい。大丈夫、まだ生きてる。そう伝えるように微笑むストルに、メーシャの涙腺は崩壊しそうになった。ぐっと奥歯を噛み締めることで、それを堪える。すると、ストルがゆっくりとメーシャの手を退かした。眼下に見えたのは、自分の手のひらの上で小さく浅く呼吸をして、苦悶の表情を浮かべたルノンの姿。弱っている友人に、心が引き裂かれんばかりの痛みを訴えてきた。
「……っ」
ルノン。声をかけてやりたいのに、口をあけたら涙まで零れ落ちそうになる。名前を呼ぶのをぐっと押し殺した。早く元気に飛び回って、いろいろなことを教えてほしい。あの元気な笑顔にまた、会いたい。こみあがる思いに流されまいと、メーシャは必死に心を、気持ちを強く持って目の前のストルを見る。
「うん、ちょっと疲れているだけだね」
「……る、のん、は」
「うん」
「俺の、……大事な、だいじなひとなんです」
ぼろぼろと、大粒の涙が頬を濡らす。もう我慢なんてできなかった。大切で大事だからそれを伝えたい。懇願するほどの思いをストルにぶつけると、彼はその気持ちを受け取ってくれたのか、メーシャの目元を自分の袖口で拭ってやる。
「ちゃんと、わかってる」
その声に、また涙が溢れた。――そこへ。
「ストル。今度はどうしたの?」
ノックもなしにドアを開けた男の目線が、メーシャの涙を拭うストルにいく。まるで一時停止したかのようにドアの前で止まったフィオーレに、ストルは嫌な予感がした。
「フィ」
「なにそれ、どんなプレイなの?」
「違う。おまえの考えていることはまずないから安心しろフィオーレ。そして笑いのツボには入れるな、厄介だから」
フィオーレと呼ばれた男は、きょとんとした顔でストルとメーシャを交互に見やり、ストルの言葉をさも聞いてなかったようにぽんと手を叩いた。
「ああ。そういう性癖か」
「だから、違うと言っているだろうが……っ!!」
「え、違うの?」
「くだらない問答で時間を無駄にしたくない。手短に言う。――助けろ」
「……それは、あまりにも手短すぎやしないか?」
「いいからさっさとやれ!」
ストルの鋭い声に、フィオーレははいはいと言うと涙の止まったメーシャの手元を見る。
「ああ、なるほど。うん、これぐらいなら大丈夫だよ。ていうか、今日なんなの。何このオンパレードっぷり。俺、マジ意味わからないんだけど」
ぷくくと口元を覆い始めた白魔法使いに対し、ストルはぼんやりと、こいつの笑いのツボがどこなのかさっぱりわからない、と考えていた。そのストルでさえも、同僚からは変なところでぼんやりするからさっぱりよくわからない、と思われてるのを当の彼は知らない。
そんな微妙な空気を締まらせたのは、立ち上がってルノンをフィオーレに見せたメーシャだ。
「俺の大事な、……親友を、助けてください。お願いします」
真剣な表情と声に、笑い始めていたフィオーレも表情を改める。きりっとしたまなざしに、メーシャは不思議と安堵していた。ああ、大丈夫。この人になら安心してルノンを任せられる。そう、思わせる何かをフィオーレという魔法使いは持っていた。
「任せなさい」
微笑むフィオーレに、メーシャも力強く頷く。
そして、これから学園で学ぶことを目の当たりにした。
*★*―――――*★*―――――*★*
「ありがとうございました!!」
元気になった案内妖精と一緒に頭を下げたメーシャと名乗る入学予定者から、不安や恐怖といった感情はない。親友が元気になったことに対する、素直な歓びだけが彼の内に在った。
「入学式は明日だ。おまえも疲れてるだろう。今夜はよく眠れ」
「はい。えと、ストル、さんと……、フィオーレ、さん」
ぎこちなくストルとフィオーレの名前を紡ぎ、最後にもう一度「ありがとうございました」と言ったメーシャの微笑みを最後に、二人はドアを閉める。ぱたり。閉じられたドアから、今度は無言でフィオーレと一緒に歩き出した。
「……」
「……ストル? どうした?」
穏やかなフィオーレに、ストルは小さく呟く。
「予感が、する」
「ストルのそれは予感じゃなくて予知に近いから、あながち間違ってないよね」
しかし予知魔術師よりも確実性はもっと低い。ただ、予感が実際に現実となる確率が高いだけだ。一般の魔術師よりも。それにこれは魔力とは違う。第六感的な類に近い。が、それを説明しても完全に理解、同意してくれる人間はいないため、ストルはそれに触れず話を続けた。
「……今年の新入生」
「うん?」
「どの未来も、見逃してはならないものになるだろう」
「……なにそれ、予言?」
首をかしげ、そろそろ就寝態勢のフィオーレに「おまえはもう寝ろ」とだけ残し、ストルは自室に向かって歩き出す。
「荒れるな。珍しく」
それもまた受け入れるべき未来。そして、偶然は必然。己の指におさまったアクアマリンの指輪を見下ろし、ストルは予感した。
自分がかつて握り締めていた武器を手に、今はまだもろい青年が、――自分の教え子になることを。
「あけてからの、お楽しみ、だな」
しかし、未来は気まぐれだ。気まぐれにストルに未来をみせたと思ったらすぐに形を変える。予感があってもけっしてそのとおりになるわけではない。予知魔術師でもないかぎり。
だから未来はびっくり箱だ。なってみなければわからない。占星術師はその現在を受け入れるだけ。
担当教官として会えるのを楽しみに、ストルは今日も絆と出会いを大切にする。
壊れた過去と未来の予感を胸に。
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