それはまるで、暗闇の世界に放り込まれた感覚に似ていた。
漆黒の闇の中、ただ己だけが存在している空間、とでも言ったところだろうか。だから当然、天地という概念すら存在していない。先ほどまで武器庫の前にいた自分を思い出し、メーシャはゆっくりと瞳を閉じ“今”を受け入れた。
平衡感覚が失われる。
たゆたうように身を任せる。
ふと、――はじまりと終わりを生み出す、星の海に抱かれているようだと思った。キラキラと輝く星々が浮かび星空を作る、あの真っ黒な海の名をメーシャは知らないが、夜空を見上げるたびに海のようだと感じていた。
だから、怖くない。
みんなの“ひかり”になりたいと願った想いは、メーシャの心に今も小さく息づいている。深く深呼吸してやがてくるだろう“そのとき”を待った。結論としては、さほど時間がかからないうちにそのときは訪れたのだけれど。
『君は、何を望む?』
高くもなく低くもない、それでいて包み込むような声にそっと瞼を押し上げる。目を開けようが開けまいが関係なく、目の前には変わらず漆黒が広がっていた。頭に響く声に意識を傾ける。
『例えば、この世で一番大きな力を持ったとしたら、君はどうする?』
男でも女でもなく、子どもでも大人でもない声がメーシャに選択を求めるように言った。
「うーん……」
漠然とした問いかけだけに、想像ができず首をかしげる。
『……悩むほどのことか?』
「想像ができないことに関しては、返答に困ると思うんです」
『そう、ぞうが、……できない、だと……?』
今度は、声の主が困惑を露わにしている。
「そうですね。……えっと、仮に俺にその力があったとしても、……何も、しないんじゃないかなぁ」
『何もしない……?』
「はい。よくわからないですけど、これといってその力でできることが思いつきません」
『……そうなのか……?』
「まぁ、俺の場合は、ですけどね」
『いいか、この世で一番大きな力というのは、世界を滅ぼせるほどのものだぞ? その力を持っていても、君は何もしないと言えるのか?』
若干、焦り気味に問いかけてくる声に、メーシャは口元を緩ませた。
「だって俺、この世界が好きですもん」
『は?』
「大好きな人たちと出会わせてくれたこの世界を恨むなんてことないし、きっとずっと好きでい続けると思います」
『……本当に』
「え?」
『本当に、この世界を恨むことなんてないのか……?』
メーシャを試すような声音が、真剣に問いかけてくる。それでもメーシャは、揺らぐことのない思いを告げた。
「はい。……この世界を恨みたくなるような出来事があったとしても、それ以上につらい現実を突きつけられようとも、……俺は、俺だけは、希望を捨てたくないから」
みんなの、ひかりになりたい。
その思いだけは曇らせてはいけないような気がして。
「何があっても乗り越えていくために、俺はここに来たんです」
『……』
「ひとりでも、乗り越えていけるように」
『そこだ』
「え?」
『そのいじっぱりをなおせ』
「…………はい?」
『人はひとりで生きていけるけれど、独りでは何も成し遂げることができん。孤独を愛してはいけない』
「ど、どういうことですか……?」
『それが、絶望を乗り越えていける希望(ひかり)に出会うための、たったひとつの方法だ』
何を言われているのかわからず、メーシャは首を傾げるばかりだ。
『君は、ワタシの使い方を誤ったりはしないだろうな』
「そこは保障できないですよ、俺にだって間違いはあるんですから」
『導く者が、正しさを身につけているものならば、問題はないだろう。それに』
「それに?」
『君が孤独を感じるときに、ワタシが傍にずっといられるだろう?』
まるで告白されているような気分になって、顔が綻ぶ。誰かに傍にいてもらえるというのは、どれだけ幸せなことだろう。ルノンも近くにいないからこそ、その言葉が、たとえそれが姿なき声だったとしても、メーシャの心にあたたかな気持ちを運んでくれた。
「それ、すごくいいですね」
『そうだろう。だからワタシは君の傍にいて、――君を絶望から救う“ただひとつ”になろう』
たったひとつの光をみたような気がした。
暗闇の中、心の中にたったひとつ差し込んでくる光を掴むように、メーシャがゆっくりと腕を伸ばす。硬い、何かに指先が触れた瞬間、――目の前には武器庫の扉。
「……」
呆然と立ちすくむ自分の手には、ずっしりとした重みを感じる。
手に馴染むソレに視線を落とすと、説明しがたい、見たこともないような芸術品のようなソレが我が物顔でメーシャの手の中に納まっていた。唯一わかるのは、アクアマリンがあしらわれていること。その宝玉は、嬉しそうに輝き、メーシャの耳元でそっと囁く。
『愛しているよ、メーシャ』
敬愛のこもる声は、先ほど漆黒の闇の中で会話した声と同じものだった。耳にいつまでも残る声と言葉に、不思議と守られているような気分になった。
「ストルの……銃?」
ふと、聞きなれない言葉がメーシャの耳朶を打つ。
「え?」
どういうことかわからず声の主を見つめる。そこには、武器庫に入る前にいたはずの寮長の姿はなく、副寮長のガレンに変わっていた。彼もまた動揺を瞳に宿したが、やがて落ち着きを取り戻して静かに全員を見渡した。
「皆さん、武器を手に入れられたようですね。では、あなた方の担当教官が来ていますので、案内します。ついてきてくださいね」
ガレンの後姿を見ながら、メーシャは先ほどの言葉を思い返す。“じゅう”とは聞きなれない言葉だった。できればどういうことなのか聞きたかったが、ガレンの様子を見て担当教官に聞いたほうが早いと感じた。
「さあ担当教官が待っていますよ」
どんな出会いが待っているのだろう。
逸る気持ちを抑えるように、自分を選んでくれただろう、己の武器をぎゅっと握り締めると、談話室の扉が開かれた。
――しかし、メーシャの期待をことごとく打ち破る現実が目の前には広がっていた。
やはりよくわからない寮長が、ある女性に向かって聞くに堪えない言葉を羅列し、あまつさえ「今、ここに俺がいる、それこそが幸せ!」と言わんばかりの笑顔で見上げていた。どういうことだろう。いったい。ラティから話しには聞いていたし、彼と出会ってそんなに時間は経ってないが、とても、そう、とても――変な人だ、ということは理解していた。
その隣ではナリアンが、遠い目をしている。
『本当に、見なきゃ、よかった』
「ナリアン、見たのか」
思わず声をかけてしまうほど、ナリアンはメーシャから見ても疲弊しているように見えた。どうか、ナリアンの心の安寧をと願わずにはいられない。続けてナリアンを励まそうと口を開きかけたのだが、メーシャの視界に鮮やかなスカイブルーが目に入る。
見慣れた髪色に視線を向けると、そこには顔見知りの恩人が立っていた。メーシャの視線を受けて、ゆっくりと歩を進めてくる。入学式前夜の星降の王宮で、動揺するメーシャに手を差し伸べてくれた王宮魔術師のストルだった。
「ストルさん……!」
メーシャも駆け寄り、ストルの前で立ち止まった。彼は男女どちらの性別ともとれる綺麗な顔で、微笑んだ。
「メーシャ、入学おめでとう」
「あの、あの、ストルさんが、もしかして俺の……!!」
あまりにも嬉しい再会に興奮が勝ったのか、珍しくメーシャは目を輝かせていた。駆け寄ってくる仔犬を見るような目で、ストルの漆黒の瞳が細くなる。
「ああ、そうだ。俺が、メーシャの担当教官になる。よろしく」
ぱぁああ、と輝くような笑顔を浮かべたメーシャは、背筋をぴんと伸ばした。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
「そう肩に力を入れるな。これもまた、星のめぐりあわせだ」
「……そういえば、ストルさんは、水属性の占星術師でしたよね」
「そうだ。立ち話もなんだから、座って話を聞かせてくれないか。おまえを知りたい」
にこやかに微笑むストルに促され、メーシャは談話室のイスに腰掛ける。ストルもまた、向かいあうように腰を下ろした。
「さぁ、教えてくれ」
不思議な空気をストルから感じ、メーシャは素直に自分の適性検査の結果を告げる。
「月属性の、占星術師だと言われました」
「……おまえらしい属性だ」
「俺らしい?」
「ああ。それで、武器は?」
その言葉にメーシャは少しだけ迷った。なんとなく、自分が普通とは違う武器を手にしていることが恥ずかしいと思ったからだ。愛してくれる武器にはとても申し訳ないと思い、メーシャは落とした視線を上げて隠すように持っていた武器を見せた。
「これ、です」
それを見たときのストルの目が、驚くように見開かれる。そう言えば、先ほどガレンが呟いたときに、ストルの“じゅう”と言っていた気がする、もしかしたらこの武器はかつての――?
「これも、星のめぐりあわせか」
「……え?」
「俺が、おまえの担当教官に選ばれた理由がわかった」
にっこりと微笑むストルに、メーシャはただただ目を瞬かせるだけだった。
「いいか、この武器は“銃”という。天才と呼ばれるとある錬金術師がひとつだけ作りあげ、設計図を焼き捨てた曰くつきの武器。この世に、ただひとつとして存在を許されたものだ」
ゆっくりと紡ぐ、ストルの言葉が身体の中で渦を巻く。
「そして――、ひとの命を、あまりに容易く奪うことのできる武器だ」
一瞬のうちに、恐怖がメーシャの身を包む。
肌が一斉に粟立つのを感じ、息が詰まった。
「ひと、の、いのちを……?」
「だから、使い方を誤ってはいけないよ。そのために、俺がここにいるんだ」
いいね。最後にそう付け加えたストルの声に、力強く頷く。じっと手元の銃を見た。
「……怖いか」
視線をストルに向けることで返答をしたメーシャに、問いかけた本人は鋭く言う。
「自分の身にあまる、その武器が」
「……」
恐怖は感じるけれど、導く者が正しさを身につけていれば大丈夫だと“声”は言っていた。一瞬の恐怖を感じたが、メーシャは声の話を思い出す。
『ワタシは君の傍にいて、――君を絶望から救う“ただひとつ”になろう』
そう言ってくれた“声”に応えるところからはじめよう。メーシャは、手にした武器を受け入れるようにぎゅっと握り締めた。
この武器には何も罪はない。使う者次第なんだ。
「怖くありません。だから、この武器を正しく導くための指導を、よろしくお願いします」
背筋がピンと伸びるような気持ちでストルを見るメーシャに、彼は「第一関門突破、だな」と言って微笑んだ。
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