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 君は、はじめて自分と向き合う 01

 星が、流れた。


 たった、それだけのことだった。
 たったそれだけのことなのに、メーシャはこれからくるであろう“感覚”に身をゆだねるように意識を閉じた。
 ――彼は、抗うことをせず、そうすることが正しいということを知っている。以前にも一度、似たような経験をしたから。


「メーシャ……!!」


 聞こえてきたのは、ロゼアの悲痛な叫び声だった。
 それをきっかけとしてまぶたを押し上げた視界に飛び込んできたのは、今にも泣き出しそうな顔をしているナリアンと、その隣で必死な形相をしているロゼアだ。ふたりとも魔力を構築してどうにか事態の収拾をはかろうとしているが、状況としてはあまりよくないのだろう。焦りしか、ふたりの表情からは読み取れなかった。心がきゅぅっと切ない音をたてて軋む。そんな顔をさせたいわけじゃない。
 でも、そうさせているのは確実に自分なのだと知って、情けなさに苦笑が漏れた。
「笑う、暇が……あったら……!! 自分でもどうにかしよう、よ……!!」
 苛立ちと焦りをない交ぜにしたような叫びに、ロゼアの状況が悪くなっているのがわかる。これ以上魔力を放出したら、危険だ。魔力について学び始めたばかりのメーシャにもわかるほど、ロゼアの疲労はひどくなっていった。当然、ナリアンも同様だ。今は風の守護がある分、ロゼアよりも疲労は軽減されているが、それもやがて限界がくるだろう。
 ――このままじゃ、いけない。
 そう思ったメーシャは、まず自分の状況を確認する。視界は狭いが、気分は悪くない。身体だって動く。だがしかし、魔力状況だけは掴めなかった。自分の身体なのに、だ。それを不思議に思いながらも、今はこの危機から脱することが先決だと気持ちを切り替る。そのとき、小さな声がメーシャの耳に届く。
「……ちゃ……、ロゼア、ちゃ……っ!!」
 ふと、ロゼアとナリアンの後ろから、何度も地面に転びながらこちらにやってくるソキの姿が見えた。泣きながら、ロゼアを必死に求めている彼女の声を聞いたら、自分がどうしたらいいのかすぐに答えが出た。
「泣かないで……、ソキ」
 泣きながら埃だらけでこちらに向かうソキに、微笑む。
 大丈夫。大丈夫だから。絶対に、君の大切な人たちを連れていったりはしないよ。これでも慣れてるんだ。一回だけ、同じようなことがあったから。それでも俺は覚えてないんだけれどね。
 世間話でもするように、ソキに言って聞かせたつもりだったが、それは声にならず誰にも届かない。今度はロゼアとナリアンに視線を戻してひとつ微笑む。そして――。
『メーシャくん……!!』
 どこに行くの。そう言うように、ナリアンから名前を呼ばれてメーシャはふたりに背を向けた。前回は自分の記憶だけですんだから良かったかもしれないが、今回はどうなるかわからない。だったら、ひとりでいい。誰にも迷惑をかけたくない。だから、自分ひとりで逝くよ。――でも。
「……みんなのことを忘れてしまうのは……、とても、……怖いなぁ」
 自然と、頬を涙が伝う。
 覚悟はできているはずなのに、一度経験してしまえばもう大丈夫だと思っていたのに。
 それなのに、この愛しい記憶たちはメーシャの心を後悔でいっぱいにさせた。
「だったら!!」
 力強い声に引き上げられるように、顔を上げる。
「だったら、ちゃんとがんばってください!!」
 はしばみ色の髪の毛を風に靡かせ、炎のように意志をたぎらせたルビーの瞳が言った。
「だめなんです、自分から“ひとり”になったらいけないんです! そう、メーシャさんは私に教えてくれたじゃないですか!!」
 ぽろぽろと涙を流しながら、少女はちいさな身体で一生懸命に両腕を広げていた。まるで、これ以上は行かせないとでも言うように、ハリアスはメーシャをルビーの瞳で射抜く。
「私は……!! あなたを、忘れたくなんか、ないですから!!」



 ――そこで、星が、はじけた。



「……」
 自室のベッドで目を覚ましたメーシャは窓から差し込む月明かりで、ここが現実世界だと気づく。
(相変わらず、みたくもないものを視せられて気分悪いな……)
 しかし、その理由はわかっていた。
「流星の夜が……やってくる」
 メーシャが初めて魔力暴走をしたときと同じ、星降る夜が――。


 *★*―――――*★*―――――*★*


「メーシャ?」
 ぼんやり果物を口に運んでいたメーシャは、ロゼアの声で我に返った。
「……え?」
「ライチ、……落としてるぞ?」
 言われて視線を落とすと、手にしていたはずのライチがテーブルの上に転がっていた。ヨーグルトを食べるソキの手が止まり、きょとんとした表情を向ける。なんでもないと笑みを浮かべてライチを手にする前に、隣のナリアンが拾ってくれた。
『メーシャくん……、大丈夫……?』
 ナリアンにいたっては、ものすごく心配しているのか、すごく不安な視線を向けられる。メーシャは慌てて笑顔を浮かべると、ナリアンの手からライチを受け取った。
「ちょっとぼーっとしてただけなんだ。ありがとな、ナリアン」
 ライチを口の中に放り込んで、その場を取り繕うように笑顔を作る。さして気にする様子もなく、みんなは朝食に戻っていった。気づかれないように、ほっと安堵の息を漏らしたメーシャは、周りに心配かけさせないよう、残りの朝食を無理に詰め込んだ。
 誰にも心配をかけたくなくて、朝はいつもより笑顔を心がけた。――つもりだった。自分がライチを落とすという失態をするまでは。
 目覚めの悪い夢を見てから、もう一度眠る気になれず、メーシャはほぼひと晩中起きていた。この時期はいつもそうだ。
(それで、いつも寝不足をルノンに指摘されるんだっけ)
 朝食を終え、みんなと別れたメーシャは誰にも気づかれないよう苦笑をにじませた。
「メーシャ」
 寮から図書館に向かって歩く道すがら、誰かに呼び止められて振り返る。
「ストル先生」
 自分の担当教官が、鮮やかなブルーの髪を揺らしながら寮の方角からやってきた。
「ちょうど寮に行ったところで、入れ違いになったらしい。追いついてよかった」
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
 遅れた朝の挨拶に応えたストルが、次の瞬間には眉間に皺を寄せてメーシャの頬を手のひらで覆った。
「……ストル先生?」
「不安に、ほんの少しの恐怖を感じる……。不安定だな、何かあったか?」
 自分でも気づきたくなかった感情をすんなり言い当てられてしまい、メーシャは瞠目した。
「ちゃんと浄化はされているようだし、魔力になんらかの穢れはみられない。比較的、落ち着いているようにも思えるが……。もしかしたら、魔力ではなく、おまえ自身か?」
 真剣に顔を覗き込んでくるストルに、嘘は言えない。メーシャは諦めて苦笑を浮かべた。
「……先生には、敵わないな」
 その様子に何か察したのか、ストルは纏わせていた緊張をふっと解き、微笑む。
「少し、話そうか」
 手を引いて歩くストルの背中に向かって、メーシャは戸惑いを声にだしてぶつける。
「ストル先生、お忙しいんじゃ……!?」
「君は俺の大事な教え子だ。これぐらいの時間、どうってことない」
 そう言って、メーシャを図書館裏に連れて行った。
 そこには猫足の腰かけがひとつと、ちいさな噴水。その周囲を色とりどりの花が咲き乱れ、その一角だけ日にあたっているものだから、噴水に陽光がすけて小さな虹を作り出していた。水の音が心地よくて、誰かのとっておきの場所のように思った。
「……そのとおりだ。ここは、俺のお気に入りの場所でね」
 ストルの声に、メーシャは隣を見上げる。
「ここに案内したのは、君を入れてふたり目だ」
 誰かを思い出しているのか、嬉しそうに微笑むストルにつられて、メーシャも口元を綻ばせる。水の音を聴きながら猫足の腰かけに座ると、ストルの静かな声が辺りに響いた。
「これは俺の独り言だから、答えたくなかったら答えなくていい」
 低く、やわらかな声が、気遣いとともにメーシャの心をふんわり包み込んでくれる。ありがたくて胸がいっぱいになった。
「君のことは、ラティから聞いている。だからと言って、特別扱いをするわけじゃない。……君も、それを望んではないだろうからな。メーシャ、……君は、聡い男だ。周りを大切にする優しさもある。でも、ひとりでなんでもしようとするな。すべてを抱えて、自分で解決できると思うな」
 力強く伝えてくるストルの声に、自然に彼へと顔を向けていた。
「ひとは、とかく自分でどうにかしようと奮闘する。それが、近道だと信じてな。けれど、結果的に遠回りなことだってあるだろう。未熟な生き物ゆえに、誰かの力を借りていかなければ生きていけない。自然や動物の血肉の恩恵を受けていることを、忘れるな」
「……」
「君は、ひとりで生きているわけではない」
 責めるわけでも、咎めるわけでもなく、ストルは穏やかな声でメーシャにそれを伝えた。
「俺も未熟な人間だ。こんな俺でも力になれることだってあるだろう。そのときは、どうか頼ってくれないか」
 微笑むストルが、ぼやけて見えない。揺らいだ視界で、彼は困ったように眉根を寄せてメーシャの目元を拭ってくれた。ぽろりと頬を伝う涙にはぬくもりがある。それは、自分が生きていることを伝えてくれた。まだ、この世界から隔離されていないことを教えてくれた。
「いいこだ。……これ以上は蛇足になるな。俺は流星の夜に備えて、準備があるからここを離れるが、メーシャはしばらくここにいなさい」
「で、でも」
「少し眠れば、落ち着くこともあるだろ?」
 ゆっくりと頭を撫でたストルは、自分のローブをメーシャの頭の上に落とした。
「ここは、そのための場所だ」
 ローブで遮られた視界は真っ暗だったが、メーシャの恐れていたものではなく、自分をあたたかく包み込んでくれるものだった。

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