ストルから昼寝の場所を提供されて、メーシャは言われたとおり目を閉じた。
さほど時間がかからないうちに心地よい眠気を受け入れる。やがて眠りの底へと落ちていき、また怖い夢を見てしまうかもしれないだろう予感を、ストルのローブが打ち砕くようにメーシャを優しく包み込んでくれた。
何かの魔力でも発動していたのだろうか、メーシャは夕方まで一度も目を覚ますことはなかった。ぱき。小枝を踏む音が耳に届く――このときまでは。
「……」
ゆっくり目を開けると、大きく見開いたルビーの瞳とかちあった。一瞬の間。お互いに視線を合わせたままの状態で数秒経ったのち、夕闇に照らされた少女の顔が見る間に赤くなっていく。それを見ながら浄化をしたときのことを思い出したメーシャは、口元に笑みを浮かべてまず彼女の逃げ道を塞いだ。腰かけに横になっていたメーシャを覗き込んでいただろうハリアスの頭を、がっしりと両手で掴み――
「ひゃぁあああっ!」
「逃がさないよ?」
メーシャはにっこり微笑む。
「や、は、はな、放してくださいぃいいい!」
「逃げないで、俺の隣に座ってくれるんだったらいいよ」
「座ります、座りますからぁああああ!」
「うん。じゃあ、ついでにどうしてここにいるのかも教えてね」
きっちりここまで約束させたあと、メーシャはハリアスの頭を放して起き上がり、腰かけに座りなおした。その隣に、涙目のハリアスがちょこんと座る。
「まずは、どうしてここにいるのかを教えてもらえるかな」
いまだ赤面しているハリアスに顔を向けながら、メーシャは楽しげに言った。
「………………寮長に言われてあなたを捜しにきたんです」
「寮長から?」
「はい。……もう少しで、儀式が……始まりますから」
そう言えば、と考えを巡らせて自分が夜を降ろすことを思い出した。流星の夜だということは覚えていたのだが、肝心の儀式をすっかり忘れていたのだ。
「……なんだか、ハリアスには迷惑かけてばかりだな」
「……」
「俺がちゃんとしてればよかったのに、ハリアスの邪魔をしてしまったね。ごめん。……その、……怒ってる?」
「……これぐらいで怒ったりなんかしません」
「それじゃあ」
メーシャは、そう言って立ち上がると、ハリアスの前にちょこんと座って彼女を見上げた。
「どうして俺の顔を見てくれないの?」
彼女の瞳が大きく見開かれ、そこに自分が映っていることを確認すると、なんだか嬉しくなる。
「ああ、やっと俺のことを見てくれた」
メーシャは安心からかにっこり微笑むが、ハリアスは言葉を失っているようだった。
「……あれ、ハリアスも元気ない? 大丈夫? あ、それともこの間のこと、……もしかして、気にしてる……?」
直後、――ぼんっと音でも聞こえそうなぐらいの勢いでハリアスの顔が真っ赤に染まる。その様子に、いろいろ察した。
「……えと、あー……、うん、ごめん。俺にとって必要なこととはいえ、見たくもないもの見せちゃって……」
「あ、あああああれぐらい平気です! 別に、男の人にしては肌が綺麗だとか、思ったよりも引き締まってるとか、そんなこと考えてひとりで赤くなってたりなんてしてませんから……!!」
うん、しっかり見てたんだね。
慌てるハリアスを前に、メーシャは言えない言葉を呑みこむ。彼女の思ったことについて、これ以上言及すまい。というか、そんなふうに思ってくれていたなんて、ちょっとだけ恥ずかしかった。
「ハリアスが嫌な気持ちになってなかったらいいんだ。ほっとしたよ」
下から腕を伸ばして、ハリアスの熱い頬を手のひらで覆う。驚きで息を呑む彼女に、落ち着いてと伝えるように微笑んだ。しかし、彼女は珍しく顔を曇らせる。
「私からも……、いいですか?」
メーシャが聞き返すよりも早く、ハリアスは手を伸ばしてきた。
「…………何か、ありましたか?」
そう言って目元をなぞられる。彼女が自分の涙のあとのことを言っているのだと思った。苦笑を浮かべるメーシャに、ハリアスは失言をした自分を恥じるように「ごめんなさい!!」と手を引っ込める。その手を、ハリアスの頬に当てていた手で優しく包み込んだメーシャは首をゆるゆると横に振った。
「嫌じゃなかったら、聞いてもらえるかな」
「……え?」
「この間から、ハリアスにはカッコ悪いところばかり見られてるから、取り繕う必要がないんだよね」
「…………はぁ」
「だから、俺の弱音を聞いてもらえると助かるんだけど?」
許しを乞うように首を傾げて見せると、ハリアスは自分の手とメーシャを交互に見て口をぱくぱくさせた。そのうち、気持ちも落ち着いてきたのだろう、ゆっくりと、それでいてちいさくメーシャに頷いてみせる。それを返答ととったメーシャが感謝を伝えるように微笑んで、自分の心にある不安を吐き出した。
「――怖いんだ、流星が」
世間話でもするように努めたのだが、彼女は大変驚いたのだろう。目を丸くしていた。
当然だ。今の発言は占星術師としてあるまじき発言だ。それを、言ったメーシャもよく理解している。だからこそ、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
「怖い……って、それは今日が、流星の夜だって知っててですか……!?」
「うん」
「だって今日は、魔術師の祝いですよ? ……空に輝く星は私たち魔術師の友。導きの光で、祝福の祈り。星に巡り合う為のお祝いなんです……。それが怖いって……、そ、それにメーシャさんって……!」
「そう。占星術師だね」
「矛盾すぎます!!」
混乱するハリアスに、メーシャは小さく笑って、うん、と頷いた。
「この間、ハリアスに言っただろ。俺が、魔力暴走を起こして記憶を失ったこと」
「……はい」
「それのね、原因になったのが……どうやら流星の夜らしいんだよ、ね……。断定できないのは、俺の記憶がないせい。……でも、なんとなくわかるんだ。俺の記憶が失っていく風景が、流星の夜に似てるって……」
黙って聞くハリアスの姿に、なぜか心が落ち着いていくのを感じる。
「それが、怖いと思う理由」
にっこり微笑んで見上げた彼女は、とても複雑な表情をしていた。言葉を探しているようにも見えるが、返答するのを躊躇っているようにも感じる。メーシャも、別になんらかしらの答えが欲しくてこんな話をしたわけじゃなかった。
それこそ、誰かに許しを乞うつもりもなかった。
この“恐れ”こそ自分が乗り越えなければいけないものだと知っていたから。
だとしたら、どうしてハリアスにこんな話を打ち明けたりなんかしたのか。それはメーシャにすらわかっていない。ただ、彼女は自分から手を伸ばしてくれた。それが、嬉しかったのかもしれない。
「答えや……、許しがほしくて言ったわけじゃないんだ。……だから、何も言わなくていい」
「……」
「困らせてごめん。でも、ありがとう。ハリアスに言ったらすっきりしたな」
その場で立ち上がり、メーシャはハリアスに背を向ける。さっきまで硬い長椅子で寝ていたせいか、あちこち痛い。固まった身体を伸ばし、夕闇に染まっていく空を仰いだ。変わらない景色がそこにはある。メーシャがどう思おうと、空は変わらない。世界も変わらない。ただ当たり前のように時間が過ぎていくだけ。
たった、それだけのことだ。
吐き出した不安はメーシャの心に何も残さない。
ただ、あの未来にも似た夢を視たおかげで、自分が思う以上にソキとロゼアとナリアンのことが大事だと気づかされた。あのようなことには絶対にさせない。させるものか。そのために、強くなるんだから。――弱さを誰かに話すことで、自分と少しでも向き合ったメーシャは、改めて気持ちを切り替える。
そんなメーシャの背中を、やわらかな感触が包み込んだ。それは遠慮がちに腰に腕を回し、そっと抱きしめるようにいた。
「大丈夫です」
何か強い意志を持って、ハリアスは続ける。
「同じことは、起こりません」
不安のさらに奥に潜んでいた恐怖をも包み込むように、ハリアスの声が辺りに響く。
「たとえ起きたとしても、ここは学園です。魔術師のたまごや先生、寮長だっています。……頼れるべき相手がこんなにもたくさんいる場所は、学園しかないんです。だから、怖がらないでください。……みんないますから」
昼間、ストルに言われたことをハリアスにも言われて、メーシャは心の奥が熱くなってきた。湧きあがる思いに、もう少し手を伸ばす努力をしてみてもいいのかもしれない、と思い始める。
メーシャの武器だって『孤独を愛してはいけない』と言ってくれたじゃないか。
いつかくる魔力暴走に怯え、また失われるだろう記憶のことを考え、自分から距離をとるのではなくて、――“いつか”がいつやってきてもいいように、恐れないで前を向こう。生きているかぎり、道はあるのだから。
メーシャは、ぎゅっと腕に力をこめるハリアスの手に自分の手を重ねて微笑む。
「……ありがとう」
これで、安心して夜を降ろせる。
「それじゃ、みなさんのいるところまで案内しますね」
後ろからメーシャの前に回りこんだハリアスが、目元を濡らして笑顔になった。