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 熱砂の檻



 これから旅立つわたしへ。
 消え逝こうとするわたしより。


序章


 この部屋は濾した光で満ちている。
 精彩を欠く冬の陽でさえ、窓辺の紗幕を通らなければ入室を許されない。まろやかな明かりだけがそこに在る。
 彼の妻にとって眩さは、今や毒となっていた。
 妻は彼の膝を借りてふたり掛けのソファに横になっている。よく効いた発条が彼女の寝息にあわせてゆっくり上下している。彼は肘置きに頬杖を突き、空いた方の手で、妻の髪を梳いていた。絹糸のような淡い金の髪がなめらかな質感で以て彼の指の間を滑り、砂金の粒のように煌めきながら零れ落ちていく。
 もとより妻は脆い性質であった。けれども以前にも増して眠ることが多い。
 長くはないだろう。
 幸福な時間は永くない。ゆるやかに先細り、やがて失われる。妻の瞳の光のように。
「……なぁ、シディ」
 彼は妻の頭を撫でながら、小卓の方へ声を掛けた。
 角砂糖の盛られた陶器皿の縁から、妖精が翅を震わせ移動してくる。
「どうしました?」
 彼の膝の上に降り立ち、首をかしげる妖精に、彼は問いを口にした。
「迎えにくる妖精ってさ、俺たちの性格を考慮して、選ばれるんだよな?」
「そうですね」
「……なら、シディじゃない妖精が迎えにくるっていうこともあったのかな?」
 世界は可能性の糸によって織られた巨大なタペストリーのようなものだ。様相が織り方ひとつで変わってしまうように、今とは異なった性格の自分もありえるのかもしれない。
「いいえ、ロゼア」
 妖精は笑って首を横に振った。
「あなたが魔術師であるかぎり、迎えに行くのはボクですよ」
 何度も。
 何度でも。
「一緒に行きましょう」

 繰り返し、共にいく。
 覆された運命のその未来(さき)まで。

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