ソキは基本的には、つまり、味覚的観点では、『何でも食べられる』ように躾けられている。
だが決して『何でも食べる』とは言い切れない。彼女は放っておくと非常に偏食だ。しかも精神状態によって好き嫌いに幅が出る。
たとえば彼女が兄に夕食を共にしなさいと強制されたとする。すると彼女は日頃口にしているものでさえ食べなくなる。「兄様なんて嫌いです! 一緒に何も食べたくないです!」というような我儘な抵抗ではなく、本当に、文字通り、彼女の身体がその食材を受け付けなくなるのだ。そうなると別の食材を使った料理を急遽用意しなければならない。
だからロゼアは寮の食堂と聞いたとき、食材や献立にどの程度のバラエティがあるのだろうか、という点が非常に気になった。それらの種類が多ければ多いほどいい。ソキの食べられるものが増える。
ロゼアの心配は杞憂に終わった。魔術師のたまごたちが集まる寮の食堂には、世界各地の風味を網羅したおびただしい数の料理がならび、当然その中にはロゼアも見たことのないものが数多とあったのである。
ある日、ロゼアは甘い香りを漂わせる陶器の器を取り上げた。白いそれの中には茶色まだらな薄いガラスらしきものがはめ込まれている。
「なんだこれ」
香りからしてデザート系には違いない。
「あの……プリンです。それ」
自問に思いがけず返答があり、ロゼアは隣を見下ろした。並んでいた少女が眼鏡の奥からそっとロゼアの反応を窺っている。
「プリン?」
ロゼアが鸚鵡返しに問うと、少女は控えめに首肯した。
「えっと、はい。プリンです」
「ナニソレ」
「……食べ物です。お菓子の」
いや、それはわかる、とロゼアは苦笑した。
「これ、どうやって食べるんだ? 表面堅そうだけど」
教えて、と陶器を突き出したロゼアに、少女はびくりと身を跳ねさせる。そのまなじりに輝くものがあって、ロゼアは慌てた。『宝石』たちに対するときを除いて、自分の動きにある種の荒っぽさがあることは承知している。
「あ、すみません、驚かせ、た、よな……」
「だ、大丈夫です」
少女は躊躇いがちに受け取った陶器をテーブルに置き、小さなスプーンでその茶色い表面を軽く叩いた。ぱきり、と音をたて、茶色に亀裂が入る。
「あれ、けっこう簡単に割れるんだな」
「表面はただのカラメルを固めたものなので」
「カラメル」
「砂糖と水を煮詰めたものです……」
「飴のことか。それで?」
「……中身と一緒に食べます」
少女はひび割れた茶色の奥をスプーンで示した。
現れたのはみずみずしいひよこ色。まろやかで明るいその色は、ソキの好きな色だ。
あまい卵の香りが鼻腔を掠める。
「おいしいですよ」
少女の言う通り、プリンとやらは誠に美味しかった。
「ロゼア何作ってるの?」
「プリン」
食堂でもらったレシピを参考に、寮の自炊室でプリンを自作していると、甘い香りに呼ばれたらしいメーシャが顔を出した。
「おいしかったからさ。自分でも簡単に作れないもんかなって思って」
「……いい匂い。そのうち料理部からお誘いくるんじゃない?」
「これ以上訳の分からん部に入るのはやだよ」
こういうのは自分の趣味でたまにつくるからいいのだと、ロゼアはメーシャに主張した。
「ううん、それにしても料理ができるって素敵だよ。ロゼアがお嫁にきてくれたら、とっても幸せだろうな」
「やたら無駄にきらきらした顔するな。なんだか口説かれてる気分になる」
「えっ、本心なのに」
「嫁にするのが……?」
婿ではなく? と明後日の方向に突っ込みを入れつつプリン作りを再開する。
すると今度はナリアンと手を繋いで歩きながら、ロゼアを探していたらしいソキが自炊室に現れた。
「ロゼアちゃん! 見つけたです……! ……何作ってるですか?」
「プリン」
メーシャのときと同じ回答を口にすると、ソキとナリアンが揃って首を斜めに傾げた。
「……プリン……です?」
『……どうして……とつぜん?』
「おいしかったから試しに作ってみたくて。甘くてとろとろで、ソキもきっと好きだよ」
「……!!」
ぱぁ、とソキが顔を綻ばせる。やったですよ、ナリアン君、プリンですよ! というソキの叫びに混じって、メーシャの呟きが聞こえた。
「ロゼアはもう嫁部とか作ってみたらどうかな?」
「どんな部だよ」
「嫁に尽くす部。嫁部。どう?」
すばらしいアイディアだよね、といわんばかりの、至極真面目なメーシャの声音にロゼアは卵の黄身をかき混ぜながら呟いた。
「メーシャって、けっこう天然っていわれないか……?」
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