戻る / 次へ


 嵐奔りて、砂塵は踊る

「世界が告げている……お前らを全力で、祝ってやると……!」
 新入生四人組を前にして、寮長は突然そのように告げた。
 ロゼアたちは各々の授業を終え、就寝前のくつろぎのひとときを談話室で過ごしていた。そこに寮長は無駄に胸を反らせ、髪を櫛で梳き上げながら現れた。さらさら感を誇張するようにふぁさっと髪を揺らす寮長の発言は、いつものことだが、訳が分からない。
 ロゼアの隣にちょこんと腰を下ろしていたソキが、とても白い目で寮長はどうして普通にお話できないんです? と無言のまま訴え、その視線を受けて現れた副寮長が寮長語を律儀に訳した。
「寮長語を翻訳して差し上げますと、月末にパーティーをするのでそのつもりで、になります」
 つまり、新入生の歓迎パーティーが。
 寮長は以下の点を説明した。立食形式ダンスパーティーだから、ダンスの練習をしておくこと。上級生たちはペアを決めて臨むが、ロゼアたち新入生は決してエスコートする相手、あるいはその逆を決めてはならないこと。また、上級生たちは自分たちで正装を用意するが、新入生にその必要はないこと。むしろ禁止であること。
「そんな固くなるな。ダンスは授業でひと通り習うからそれを練習しておけっていうぐらいだ。そんな難しく考えなくていいぞ。内輪のパーティーだしな」
 そんな感じであったし、寮長の説明は要点を除いてはすべて聞き流すことにしている四人であるので、楽しみだね、どんなだろうね、と囁き合いはしたが、気軽に考えていた。
 気が付いたときには、すべてが遅かった。





「……誰だよ……内輪のパーティーとかゆったやつ……」
 寮長だ。
 コンマの速さで自問に対する回答をはじきだし、ロゼアは深く溜息を吐いた。実際、ロゼアは疲れていた。
 その疲労は、パーティーの前々日から始まった。
 朝食を食べ終えたあとのことだ。パーティー準備の名目のもと授業が全て休講であるため、そのまま食堂でお茶会めいたものに移行しつつある頃だった。
「これから皆さんは各自、別々に部屋へお戻りください」
ソキやメーシャと仲の良い少女、ハリアスが現れてそう告げた。そして彼女はロゼアに申し出たのだ。ロゼアに代わって、ソキを、彼女の自室へ連れて帰ると。
 日頃、ソキの過ごす部屋はロゼアの自室である。ところがこれからパーティーの夜までそれぞれ必ず自室で過ごす必要があるらしい。つまり、ソキも彼女自身の部屋で過ごさなければならないということだ。当然、ソキは不安を顔に過らせ、どうしてもだめなのか、と問いをハリアスに対して繰り返した。何度も何度も問いかけ、そしてようやっと、駄目なのだとわかると、ソキは覚悟した顔でロゼアを見上げて言った。
「ソキ、ハリアスちゃんと一緒なら、大丈夫です」
 新入生同士の行き来は禁じられているが、手伝い役の在校生は付き添いを許される。ソキはまだ身体が弱いし、ひとりではできぬことも多いので、ハリアスが彼女の補助に回るらしい。仲良しの少女が行動を共にすると聞いて、ソキは気を取り直したのか、きらきらした目で今日はハリアスちゃんとお泊りです、と宣言し、ロゼアをメーシャやナリアンと共に送り出した。
 そこまではよかったのだ。まだ。
 問題は、それぞれの部屋のある階でナリアンとメーシャと別れ、ひとり、自室の前に立ってからだった。自室の扉の前には、一枚のカードが添えられた、眩いばかりに白い大きな箱が、でんと鎮座していたのだ。
 虹色で縁を箔押しされた白いカードには薄青色のインクを用いた整えられた文字で、たった一言、記されていた。
『ロゼアたれ』
 そのカードと、箱と、またカードと、と、交互に眺めやり――ロゼアは呻いた。
「なんだこれ?」
 瞬間、背後でしゅばっと複数の気配が左右から飛び出してきた。
『説明しよう!』
 うん。現れると思った。
 ロゼアはくるりと振り返った。なにかやたら凝った集合ポーズをとる男たちが三名。中心にいるのは見慣れた説明部の青年で、残り二人は新顔だ。
「その箱には、君がパーティーで着る正装が入っているんだよ、ロゼア君」
 贈り主はパーティーの当日に明かされるから、その時に礼を述べること。そしてこれからの三日間、パーティーの準備として当日の流れの確認や正装とそれに付随する小物類の調整を行うこと、と、説明部はロゼアに告げた。
「……正装の調整って」
「ううーん肩幅とか丈とか前もって採寸表送ってあるけどほらロゼア君たち成長期だから、ちゃんと着てみて、苦しくないかとかね?」
 調節するんだ、と言われて、納得に頷いた、が。
「誰がするんだ?」
『説明しよう!』
「いや、わかってるから。もう普通に説明してくれよ」
「ふふふ、ではご期待にお応えして紹介しよう我らのことを」
 そして三人はしゃしゃっと腕を左右非対称に回し、また決めポーズをとって、右、左、真ん中、の順でそれぞれ叫んだ。
「変身魔法少女のレースとリボンをふんだんにあしらったきゃっわゆーいミニドレスから雅を極めた婚礼衣装までなんでもござれ!」
「髪飾りに首飾り、ぬいぐるみから靴だって! 野郎だけれど手先の細やかさは誰にも負けない!」
「実は菓子作りも得意だぜ! 説明部とは表の姿! 我ら手芸部男組がっ! 相手だ!」
 ――ということで、ソキにはハリアスが付いていったように、ロゼアにはこのむさくるしい青少年たち三人が付き添うことになってしまった。この事実だけでも疲労度合いはお察しくださいである。
 ダンスや礼儀作法の復習はロゼアにとって煩雑なものではなかった。どちらも傍付き訓練課程で正規教科に入っていて、それを修了している身だったから。
 ロゼアにとって最も苦痛だったのは――ロゼアのために用意されたという、その正装関連の、支度である。
 部屋の前に鎮座していた箱の中身は、ロゼアも驚愕するほど上質の、砂漠の国の民族衣装だった。
 布地はすべて絹。砂漠の強烈な日差しを思わせる目の醒めるような白の上着には、真珠色の糸で細かな刺繍が施され、見た目には重量感があるのに袖を通すと恐ろしく軽い。ズボンは裾が長めにとられ、歩くと風をはらんでふわりと広がる。けれどまるで脚に密着しているかのように動きを遮ることがなかった。幅広の腰帯はきらめく星のちらばる真夜中の色――刺繍の紋様に隠されるようにひと粒だけ宝石が縫い込まれている。頭に巻く布は上着と同じ純白。帯には金と漆黒の糸で、頭の布は両端の部分に銀で、それぞれ揃いの模様がみちっと刺繍されていた。
 服だけではない。足をやわらかく包む舐めし皮の靴をはじめとするほかの装飾品すべてがぞっとするほど高価なものだ。
 一から十までロゼア用に仕立てられた一品ものだというが、これだけでいったいどれだけの金額がするものなのか考えたくない。ロゼアは砂漠の国の一般家庭よりも多少裕福だったという自覚はある。けれどここまで王侯貴族が着る装束を手にとったことはない。ましてやそれをロゼアが身に付けて、動き回らなければならないなんて。
 一回着るだけでも気疲れするというのに、当日までに幾度も幾度も幾度も、着脱を繰り返さなければならなかった。
「はい右歩いて、左歩いて、回って、はい後ろ」
「ううんもう少しだけ長さ短くしたほうがいいな……はい脱いで! さっさと脱ぐ!」
「その間これ着て。丈直したからね?」
「あっ、ここに刺繍追加しよう糸もうちょっと濃くしたほうが髪と目の色に映えるね」
「はいロゼアくんもう一回着てー脱いでー着てーこれ付けて歩いてーはい外して―」
 当日は早朝から風呂に叩き込まれ髪を梳かれ腕に魔除けの絵まで施された。もういい。
「あ、ロゼア」
 いよいよパーティーの時刻が迫って、集合場所の談話室のソファーにぐったりと崩れ落ちていたロゼアは、メーシャの声に重い瞼を開けた。白銀の髪を綺麗に撫でつけた甘い顔立ちの同窓生がすぐ傍に立っていた。
「ロゼアは砂漠の国の衣装? かっこいいなぁ!」
「メーシャもよく似合うよ。なんていうか……そういう格好していると、本当にメーシャってきれいな顔立ちしてるってわかるな」
「そうかな?」
 メーシャは気恥ずかしげに笑って肩をすくめた。
 黒の正装が彼の白い肌や白銀の髪をよく引き立て、すらりとした体躯や脚の長さを強調している。なめらかでいて厚みある布地には光沢がある。形こそ奇をてらってはいないが、線の美しさは群を抜いており、布地もこの世にある最上級を用いた、といっても過言ではないだろう。
 メーシャとしばらく話していると次にナリアンが現れた。花舞の出身であるはずの彼は、ロゼアと同じ砂漠の国の民族衣装だった――彼の父親がどうやらロゼアと同郷であるらしい。ただし出身の都市は違うのか、ロゼアの正装とは微妙に違う形だった。
 ソキはなかなか現れなかった。
 パーティーの会場が入学式でも訪れたあの教会だということもあり、ソキを待つ間に思い出話に花が咲いた。そのまま時間を忘れてしまうほど話に熱中していると、扉が叩かれ、女性が顔を出した。見慣れない顔である。
「新入生の控室はここでいいの?」
様子を窺う紫の瞳は神聖さすら感じられる輝きをたたえており、だからこそその視線がロゼアと交錯した瞬間、彼女が笑いに噴きだしたときは何事かと思った。
「す、すごい……! これ、これはすごい……! にて、ちょう、にてる……!」
「え、えーっと……?」
「ど、どうかされましたか……?」
 笑いに震える女性にロゼアたちは困惑の目を向けた。彼女はどうしてかここが新入生たちの控室であると確信したらしかった。ロゼアたちの返答を待たずにまた奥へひっこんでしまう。
「じゃあね、ソキちゃん。また後で」
 綺麗な服だから転ばないように気をつけて、と言い置く女性の声が扉越しに響き渡る。ややおいて、そろり、と扉が緩慢に開き――ソキが、現れた。
 ナリアンが歓声を上げる。
『わぁ、すごくきれいだ……!』
 きれいだよ、きれいだ。ナリアンとメーシャが代わる代わる、可憐に着飾ったソキを褒めそやす。
 ロゼアは何も、言えなかった。
(はなよめだ)
 ロゼアはある種の感慨を抱きながら、目を細めてソキを見つめた。
 ソキは真珠めいた光沢のある白いドレスを身に着けていた。腰から足元にかけてを覆う、雲のように軽い布地。胸元と裾には白と金で編まれたレースの花模様。裾の部分には小さなトルマリンが縫い付けられており、僅かな動きで光を乱反射する。露出したなめらかな喉元や肩口を覆うものは、薄い紗のヴェールだ。髪はきれいに編んで纏められ、左側にのみ銀色の髪飾りが輝きを放っていた。
「ソキ」
 ロゼアが立ち上がって名を呼べば、ソキが喜色を浮かべてぱっと顔を上げる。
「ろぜあちゃ――……」
 そしてロゼアと目が合った彼女は、談話室の扉をくぐってすぐの場所で、びたりと立ち止まった。
 ソキの浮かべた表情はロゼアも初めて見る類のものだ。
 どこまでも晴れ渡った砂漠の蒼穹を濾して閉じ込めたかの如きソキの瞳は、今は大きく見開かれて零れ落ちんばかりだ。薄桃色の紅が注された艶めかしい唇は、その隙間に白い歯をのぞかせたまま小刻みに震えていた。
 そこから察することのできる感情は、驚き、当惑、呆然――……そう。
 ソキは、ぽかん、と、していた。
 しいていうなら衝撃的な何かに直面して思考が停止し、表情の繕い方がわからなくなってしまった者の顔をしていた。
「ソキ?」
『ソキちゃん?』
 メーシャとナリアンがいぶかしむと、ソキは童話にある百年の眠りから目覚めた姫君のように、最初は緩慢に、次第に早く、長いまつ毛をしばたかせた。
 そしてその白い肌がふいに、朱にひと息で染まった。
 まるで水銀の温度計だ。
 熱が、出たのか。
 ロゼアは駆け出した。
「ソキ!」
「きゃぁっ!」
 ソキがその場で飛び上がり悲鳴を上げる。ロゼアは足を止めて、小さく首をひねった。急に距離を詰めたから、驚いたのだろうか。
 ロゼアは努めてゆっくりと、けれど大股でソキに歩み寄った。
「ろ、ろぜあちゃん……あの、そき、あの」
「熱が出たのか?」
「ち、ちがう……違うんですよ、ロゼアちゃ、ソキ、だいじょう」
 ロゼアは片膝をついてソキの柔いヴェールの下に差し入れた手を彼女の額に当てた。叩いたばかりらしい白粉の、あまい香りが薫る。肌表面はさらりとしていたが、やや火照っているように感じられた。
 ロゼアは下からソキの顔を覗き込んだ。伏せられた長いまつ毛が目元に影を落としている。白めの部分が青白く、僅かに潤んでいて、やはり体調がすぐれないのではとロゼアは案じた。
「ソキ、少し休んでからいこうか」
 全員が揃い次第に教会へ――入学式で祝福を受けた場所へ、移動するように言われているが、時間な余裕はまだ少しある。
 ソキが、息を吸う。気持ちを落ち着かせようとしているのだろう。瞼を扇のように縁取るまつ毛が伏せられ、そして次にゆっくり押し上げられたとき、その奥に収まる静謐でうつくしい碧の瞳は落ち着きを取り戻していた。
「……だい、じょうぶ、です」
 ソキはゆるりと首を横に振った。
「もう行きましょう、ロゼアちゃん。ソキ、歩きます」
 ソキのその一言で、早々の出発は決定づけられたも同然だった。談話室から教会まではやや距離がある。ロゼアがソキを抱き上げていくのならさほどではないが、彼女が歩くとなると話は別になる。
 天体観測の夜から、ソキはどこへいくときも出来るかぎり、歩こうとしている。幾度も躓きつつも。頼りない足取りで。出発地と目的地の間に、幾度も休憩を挟みながら。ロゼアやナリアンやメーシャに手を借りて。
 その結果としてソキの歩き方の上達には目をみはるものがあるが、あくまで歩くという行為に“慣れ始めた”だけで、普通の速度で歩いたり走ったりということを彼女はまだすることができなかった。
「行きましょう、ロゼアちゃん」
 念押しするように繰り返したソキが、ナリアンとメーシャも呼ぶ。
 これまでの習いでソキを抱き上げたくなる衝動を押し殺しながら、ロゼアはソキの意思を尊重した。
「……疲れたら言うんだぞ」
「はい。あの……ロゼアちゃん」
「ん?」
 ソキはロゼアの正装の裾を手袋に包まれたちいさな手で控えめに握りしめて呟いた。
「……ロゼアちゃん、かっこいいです……」
 よく似合っている、ということを告げられる。
 ロゼアは自分の正装を一瞥して、ソキに微笑みかけた。
「ありがとう。ソキもよく似合ってる。……すごくきれいだ」
 その一言が喉に張り付いて、すぐに出てこなかったほどに。

戻る / 次へ