教会の入り口には、四人の人影がある。
彼らは歩み寄るロゼアたちの姿を認めて、喜びに弾んだ声で呼びかけてきた。
「ソキ!」
「ナリちゃん!」
「メーシャ!」
「ロゼア!」
「し、シディ……?」
ロゼアは驚愕に立ちすくんだ。声がつい裏返ってしまっている。
ロゼアの案内妖精はその顔を満面の笑みで彩り、はい、とロゼアに応じた。
目の前にいる少年は確かにシディだ。ロゼアよりやや幼い顔立ちをした、紅顔の、という枕言葉がしっくりくる美少年である。髪と瞳の糖蜜色はともに旅したときと変わらず柔らかい光をはらんでいる。その色彩を引き立てるような、漆黒を基調とした正装を身に着けていた。とはいえその正装はメーシャが着ているようなスタンダードラインではなく、砂漠の国の様式だ。ロゼアの正装と同様に、生地の端々に細やかな絵柄が見られる。ただし刺繍ではなかった。銀色のインク。しかし型はロゼアのものとほぼ同じだ。対となるように仕立てられたことがうかがえる。
そこまではいい。
問題は、だ。
「シディ……なんで大きくなってるんだ?」
隣から聞こえるメーシャたちの会話から察するに、ロゼアたちを出迎えた四人は案内妖精たちだ。
なのに、もはや彼らは手乗りサイズではない。翅もない。
普通の、少年少女に見える。
困惑の反応にシディは慣れた様子で説明した。
「僕ら妖精は人と同じ大きさになれる時期があるんですよ」
その時期に合わせるからこそ、パーティーはこのような秋口に開かれるのだという。ちなみに翅は服を着るのに邪魔なので隠しているらしい。
「そうなのか……」
妖精にまさか伸縮可能な時期があるとは。魔術の世界を甘く見ていた気がする。
呆然となりながら生返事をするロゼアをシディはにこにこ笑って眺めている。上から下までじっくり観察するその視線を怪訝に思い、ロゼアは彼に問いかけた。
「どうしたんだよ? 何かおかしいか?」
「いえ。すっごくよく似合ってます。あぁ、たくさん修正をお願いしたかいがありました!」
「修正……?」
「砂漠の国の衣装師の皆さんに」
そこで初めてロゼアはシディからこの正装を贈られたことを知った。パーティーでのエスコート役と妖精の好みに従った新入生の正装が、案内妖精たちが魔術師のたまごを学園へ連れて行くことに対する“報酬”らしい。
「……ありがとう。シディ」
「どういたしまして。でも、僕が作ったわけじゃないですからね」
正装の製作はそれぞれの出身国の王宮付き衣装部が担うという。王様にお礼を言ってくださいね、とシディは言った。
ちなみにシディの衣装が同じ型なのは彼が意識して揃いにしたわけではなく、「お揃いの型にしていただけるともう何も考えなくていいので助かりますちなみに刺繍じゃなくて絵でいいですか絵ですわたしたちがこんなこというのもあれですが刺繍し過ぎて指と腕と目が死刑宣告受けているのであと絵師組が暇しているので!」と言われてのことだという。ロゼアはそっと自分の服の裾を見下ろした。この正装はロゼアは採寸をもとに作られている特注品だ。ロゼアが初めて身体測定を受けたのは入学式直前。その後に採寸表が国に送られて即日作られたとしても――最大で三カ月弱。いくら刺繍が本職の人間でも、死にたくなるのではないだろうか、この面積と密度。
「とりあえずほかの子たちを紹介しますね……皆、自己紹介するとは思うんですけど……えぇっと、彼がルノンで」
シディはメーシャと闊達に話す少年を示した。
「あの子が、ニーア」
続けて、きゃあぁあああ、と頬を紅潮させてナリアンを讃歌する少女を。
「それで、最後に……彼女が、リボンさん」
「リボン?」
聞き覚えのある名だ、と思った瞬間、ソキの傍にいた男装の少女がきっとロゼアを睨みつけた。
「だれ今呼び捨てにしたのアンタなの?」
呪うわよ、と、宣告した妖精は靴の踵を盛大に踏み鳴らしてロゼアの間合いまで踏み込んでくる。彼女は両腰に手の甲を当てて立ち止まると、身体を前倒しにしてロゼアをじろじろ観察し始めた。
「……アンタが、ロゼア?」
「そうだけど……」
ソキがもたもたと足を動かしてリボンに追い縋り、彼女の袖口を引く。
「り、りぼんちゃん顔がこわいです」
「黙っていなさいね、ソキ。……へええええ、ふううぅん、アンタが、ロゼア」
案内妖精はつり目を軽蔑らしき眼差しに細めて吐き捨てた。
「三点」
「ソキ知ってます! 三点満点で三点ですよ!」
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! 千点満点に決まってんでしょうが!」
これは、どう、反応すればいいのだ。
ぎゃあぎゃあ騒ぎ始めるソキと彼女の案内妖精を呆然と見つめる。
隣に立つシディが肩を落として溜息を吐いた。
「……すみません……リボンさんいっつもあぁなので……。呪われないように気を付けてくださいね、ロゼア。地味に効きます」
哀愁漂う案内妖精の頭を、ロゼアはなんとなく撫でてやった。
妖精たちに連れられて教会内部に足を踏み入れると、正装の人々が既に集っていた。在校生たちは長い
『白は清廉。砂は叡智。楽は芳醇。花は潤滑。そして星はあまねく道標。空白を漂う五の国に、幸いなる五の王に』
彼女に微笑み返しかけていたロゼアは、唐突に響き渡った唱和に息を呑んだ。視線をそっと左右に走らせる。横一列に並ぶ新入生たちの間に入った案内妖精たちが、真剣な眼差しを五人の王たちに向けていた。
『妖精の丘より遣わされ、世界の命を承りしわたくしたちが、祝福された四名の、新たなる朋をご覧に入れます』
王たちの首肯を合図に、ロゼアの左隣でルノンが張りのある声を上げた。
「ご挨拶、申し上げます!」
彼はメーシャを一歩だけ前に進ませ、魔術師の卵の出身地や年、属性といった紹介を口上する。
妖精たちはロゼアたち新入生をひとりひとり順番に紹介していくらしい。
次はロゼアの番だった。右隣に立つシディが柔らかな音程ではきと告げた。
「ご挨拶を申し上げます。砂漠の出身。黒魔術師。名はロゼア。年は十六。属性は太陽。……砂漠の国から学園の入口まで、ボクが導きました。……ロゼア」
さぁ、と促されてロゼアは前に踏み出して王たちを見つめた。
左右から投げかけられたステンドグラスの七色の光線が彼らの背後で交差している。描かれた祈りをささげる魔術師たちと妖精のモチーフ。感じられるものは、過去への鎮魂と現在への希望と未来への祝福。
ロゼアはなめらかと思われるだろう所作で一礼した。
「ロゼアです……よろしくお願いいたします」
身廊部分に、在校生たちが降りてくる。
儀式準備部の腕章を付けた上級生たちが翼廊の端に椅子を並べたことを合図に、ロングドレスや燕尾服で飾った男女が楽器と譜面台を携えて集まり始め、最初は何にするジャイヴとか? いやなんでいきなりそんな足つりそうなのにすんの普通はワルツだろ、はいはい準備部通りますテーブル並べるからねっ、どけどけ料理さまのお通りだっ、というパーティー準備の仕上げの声がそこかしこで心地よくざわめく。
「ひさしぶりだなぁ、ロゼア。また背が伸びたんじゃねぇの?」
紹介が終わったロゼアたちに男が歩み寄って声をかけてきた。当然、見知った顔だ。
光のような男だ、とロゼアは思った。故郷の、白い太陽から落ちる、砂の金に染められた光のようだと。
それというのもロゼアを映す双眸が砂金の色に輝いているからだろう。正装の布から零れる髪は閃光の傍らに生まれる闇のように黒く、肌は砂漠の国の民の多くと同様に煮詰めた飴色をしていた。
彼こそ、ロゼアの故郷である砂漠の国の王、そのひとである。
その顔には不本意ながら既視感がある。
案内妖精から紹介された折に妙な視線を集めていたのもこの王のせいだ。
眉間にしわを寄せながら、ロゼアは先ほどから抱いていた疑問を投げかけた。
「四年ってなんですか?」
ソキが妖精から紹介を受けた直後に、砂漠の国王はソキに告げたのだ。あと、四年だ、と。
王はロゼアの問いをきれいに無視した。
「オイ、俺は背が伸びたんじゃないのかって訊いてるんだよ」
王はロゼアの問いに答えるつもりはないらしい。ソキも沈黙しているから、ロゼアが知るべきことではないのだろう。
溜息を吐き、王に答える。
「測ってないので、わかりません」
「あ、ボクは伸びたと思いますよ」
「だよなぁ、シディ。だよなぁ。ま、しばらく見てない奴のほうがわかるよな、こういうことって」
「なんだか、親みたいだね?」
王の隣に立ち、ゆるく曲げた指を唇に当てて笑う正装の婦人は、花舞の女王。彼女は耳になめらかく触れる落ち着いた声音でロゼアに祝辞を述べた。
「ご入学おめでとう、ロゼア」
「ありがとうございます。お目にかかれて光栄です」
「……この態度の差。……いいけどな。気分としちゃぁ親戚みたいなもんだし? 昨日もお前の親に会ったしな」
「父さんたちに?」
「そう。元気だぞ。お前に頑張れってさ」
ロゼアの両親は共にソキの屋敷で働いている。とはいえ一年の半分は不在で、ロゼアといえど両親が何をしているのかまでは知らされていない。ただし元は傍付き同士ということもあって、彼らは屈強である。安易に怪我や病気をするような二人ではない。それでも息災だと知れるのは素直に嬉しい。
王とロゼアのやり取りを見守っていた花舞の女王が言った。
「親戚というか……兄弟のようだね……?」
年の離れた、という彼女の意見に、周囲の者たちが同意に頷く。そのうち小さな笑い声が足元から響き、ロゼアはぎょっとして飛び退いた。
花舞の女王の傍らで、ロゼアも知る砂漠の国の王宮魔術師が笑いに蹲っている。
「ううう、も、だめっ。なんでロゼア、陛下とそんなに似てんの? 正装して並ぶとますます似てるんだけどなんなの……? くくくっははははっ」
「……オイ、フィオーレ」
砂漠の王は自国の魔術師の小刻みに震える腰を足先で蹴った。
「あっ、やめてよ陛下、汚れる」
「昨日、俺とロゼアの父親が似てるってお前が笑い転げていたときに、同じことをパーティーでもしたら蹴るぞ本気でって、俺は言ったよなぁ?」
「ごめ、ごめん陛下っ……でも耐えられなっ……ラティ、ラティは……?」
この笑いを共有できるラティは? と彼が視線を巡らせた床先では、メーシャ、メーシャと呻いて蹲っている女性の姿があった。彼女もフィオーレと同じ、砂漠の国の王宮魔術師だ。ロゼアも面識がある。
花舞の女王が、ゆったりと微笑んだ。
「実は……兄弟なのかい?」
「全っ然、違います」
ロゼアが全力で否定すると、そう、と女王は頷き、砂漠の王に小首をことんと倒してみせる。
「今のうちに兄弟だって告白してみたら?」
「違うっつってんだろ! なんで俺が知ってて黙ってるみたいな話になってんだよ!」
その後、似てる、似てない、とひとしきり議論を戦わせた砂漠の王は、対する花舞の女王に白旗を上げた。
「……もう疲れた……先に行くわ……」
王はソキの頭を軽く撫で、ロゼアの肩を軽く叩いた。
「じゃぁな」
そこでようやっとロゼアは思い出した。
砂漠の王に言わなければならなかった言葉を。
「あ、王陛下。衣装、ありがとうございました」
「おせえよ」
ばぁか、と笑った彼は、ひらりと手を振って、星降の王の方へと歩きだした。花舞の女王も、ではね、と小さく手を振り、魔術師たちを引き連れて、ほかの集まりに紛れていった。
楽器のチューニングが始まる。
そろそろ、曲が始まるのだろう。
「ロゼア」
聞き慣れた声に呼ばれ、ロゼアは振り返った。チェチェリアだった。
「わぁ!」
隣でソキがキレイ、と歓声を上げる。
飾り気のない黒紫の身体の線に沿ったロングドレスと同色の長手袋。大粒の青を連ねた首飾り。簡素な装いだからこそその輝きが映えている。大人の女性のうつくしさというものは、ソキのような花嫁や花婿とはまた違った種類のものだ。咲き誇る大輪の薔薇めいた、しっとりとした存在感を、チェチェリアは持っていた。
ロゼアは自分の師に微笑んで、彼女の呼びかけに応じようとした。
その瞬間だった。
「先生」
「キムル!」
唐突に横から割り込んだ女の声に、ロゼアの声はかき消された。
あまりに、鋭い声だった。
相手を断固と否定する、力に満ちたどこか悲痛にも響く声。
音楽や談笑もふつりと途切れ、震えた女の声を強調する。
「な……んで……!」
軽く片手を上げて歩み寄ってきていたチェチェリアが足を止め、彼女の肩越しにロゼアは広間に声を響かせた女の姿を確認した。白雪の国の王宮魔術師だ。黒髪に琥珀の目を持っていて、チェチェリアに数歩遅れて佇む、彼女の連れらしき男を指し示している。白い手袋に包まれた指先は、小刻みにわなないていた。
「なんでっ、アンタがここにいんのよ……っ!!」
さっきから訊きたくてたまらなかったのよ、教えなさいよっ、とまくし立てる女に、男はうっすらと笑った。
「もちろん――……」
彼の落ち着いた低音の声が、広間の空気を弦楽のように震わせる。
「君が僕の妻にブラの形はどんなだのパンツは何色だの破廉恥なことを訊くことを防ぐためだよ、恥知らずさん」
恥知らずはどっちだ、と限りなく公衆の面前で口にするべきでない単語をさらりと吐いた男に、その場にいた誰もが心の中で突っ込んだ。
女が髪を逆立てる勢いで叫ぶ。
「あんたこそ恥を知りなさいよ私は先輩にブラは黒ですか白ですかレースですかって訊くときも今日のパンツは紐ですかレースですか赤ですか紫ですかって訊くときもちゃんと場所をわきまえてるわよ!」
いや、全然わきまえている気がしない、と少なくともロゼアは思った。
「大体、アンタなんて先輩の異性であることをいいことに先輩を、つ、つ、つ、つ、妻に、妻にっ、するだなんて腹黒い! 腹黒い!」
「腹黒い?」
男が女を鼻で嗤った。
「正攻法だよ。異性の僕がチェチェの下着を見たいなら、夫になるしかないじゃないか」
ロゼアはそっとチェチェリアを盗み見た。彼女は死んだ魚のような目をしていた。
女と男は、まだ口論を続けている。
「チラリズムで我慢しなさい! そんなだからアンタの作るものには情緒がないんだわ」
「スタイリッシュと言ってほしいね。合理性を追求するために無駄をそぎ落とした結果だ。君こそ突飛なものばかり作るんじゃないよ勘ばかりに頼っていたらいつか足元をすくわれる」
「人の希望通りにしか作れない癖に何を言ってるのかしら勘は閃きよ新しい時代の息吹よ。アンタのやり方じゃぁ革新的なものは生まれない」
「人の希望通りに作ってこその技術者だと思うがね。勘は最後のひと振りだ。後世に勘は伝えられない。
そこにひとりでも多くの者が辿り着けるように、積み上げられた周囲が理解できる確かな理論と技術こそが新たなる技術を生み出す礎になる。そうだろう?」
突然、破廉恥な話からとても真剣な話になった。正直、付いていけない。
「えーっと……」
ロゼアは呻きながら眼前のチェチェリアを見上げた。彼女は死んだ魚のような状態からいつのまにか脱し、氷雪の精霊よろしく、そのうるわしい美貌に雪嵐の如く冷やかな笑みを乗せて、口論を続ける男女を見ていた。
その永遠に終わる気配のみられない二人の口論を止めたのは、ロゼアの見知らぬ男と女である。
「もうよしなさい、ふたりとも」