勝ち誇った寮長とのひたすらめんどくさい問答をどうにかやりこなし、ロゼアは息切れを起こしながらソキの元へ戻ってきた。かかった時間は十五分程度であったのだが、その間に受けたロゼアの、主に精神的な面での疲労具合は計り知れない。会話をするだけで疲れる相手、というものをロゼアは初めて知ったが、これといって知りたくも会いたくも親しくもなりたくない相手であることは間違いなかったので、嬉しいという気持ちは欠片も生み出されなかった。ソファにちょこんと座って待っていたソキの隣に、身を沈めるように座り込み、ロゼアは少女に向かって一枚の紙を差し出した。新部設立許可証の判が押されたその紙には、ほんの三行、部活の概要が書かれ、寮長の署名が入れられている。
やりようによっては数十秒でも終わりそうなその記載の為に、ロゼアはどうして設立の許可が欲しければこの俺様を倒してから行くんだな、とやたらと楽しそうな寮長と十五分も意味の分からない問答を繰り広げなければならなかったのか。というか、ソキの為の新部設立許可であるのに、なぜロゼアが窓を拭くのが好きか嫌いか、廊下の掃き掃除と拭き掃除ならばどちらがより燃えるか、洗濯をするのに生地によって方法や洗剤を変える必要があるのかを知っているか知らないか、などを聞かれなければならなかったのだろうか。結局、部活の内容を聞かれたのは最後の最後で、ロゼアが精神的な疲労のあまり、ぐらぐらと眩暈を起こしているさなかのことだった。新部設立に必要な質問は、その最後のひとつ。で、茶会部の内容を簡単に説明するとどうなるんだ、というもののみである。あとは全部ロゼアの個人情報だった。ちょっと意味が分からない。
新入生を大人げなく疲労させてソファへ沈めた寮長は、ソキの冷たい視線を背に受けながらもやたらと機嫌良く、すでに談話室から居なくなっている。ははははナリアンの嫌がる顔が目に浮かぶぜお楽しみはこれからだっ、とろくでもない宣言がなされていたので、次なる被害者は明白すぎるほど明らかにされていた。メーシャはすでに被害に遭ったのか、それともこれからなのかは分からないが、なんとなく、あまりひどいことはされない気がしている。寮長は恐らく、その日の気分と場の適当な雰囲気と個人的な好き嫌いで対人の態度や対応を決めているのだが、メーシャに関しては殊更やんわりと触れているような気がしたからだ。
腫れものに触るように、ではなく。そこに傷があることを知っているから、痛めないように距離をはかっているのでも、なく。まだその時期ではないと、それが来るのを外側から観察しつつ、ひたすらに待っているような。そんな印象で対応するのが常だった。最初から限界を突破しているナリアンの対応との違いが未だもって理解できないが、恐らく永遠に分かる日など来ないのだろう。寮長とはつまり、そういうひとである。今日はもう、なるべく遭遇したくない。用事があってもしたくない、と思いつつ、ロゼアは疲労を深く吐息に乗せて吐き出した。そろそろと身を寄せてロゼアの頭を撫でてくるソキに、大丈夫だと微笑み、ちいさな手に許可証を受け渡す。
「はい。……ソキの、新部許可証だよ。あとは、星降の王陛下の許可が必要っていうから、それも貰いに行こうな」
でも、もうすこし休ませて欲しい。そう告げるロゼアに、ソキはもの分かりの良い様子でこくりと頷いたあと、そわそわと視線を彷徨わせた。のたのたと瞬きを繰り返し、あくびをしながらロゼアはふと、なんだろうと思う。ソキがなにかを考えていて、言いだしたがっていることは分かるのだが、内容に検討がつかなかった。喉が渇いているのでもないだろうし、おなかが空いているということでもない。ソキ、と言葉を促して話しかけてやれば、ソキはうん、と一度大きく頷いた。決意した様子でそろっと体を寄せてくると、あのねあのね、とそわそわ呟き、ロゼアの耳元にそぅっとくちびるを寄せる。手で筒をつくり、こっそりと、ソキはロゼアに囁いた。
「ロゼアちゃん。おるすばんしていてくださいね?」
「……うん?」
ソキがなにをしたいのかが分からず、ロゼアは少女の体がひっくりかえってしまわないよう、腰にゆるく腕を回しながら告げた。ソファの腕で両膝立ちになっているソキは、支えられているのに気がつかない様子で、機嫌良くにこにこ笑っている。
「ソキねえ、だってねえ、リボンちゃんとずぅっと一緒に歩いてきたです!」
白雪の国から、ここまでずぅっと。自慢げに、嬉しげにいうソキに内心首をひねりながらも、ロゼアはうんと頷いてやった。今年の新入生の中で、最も長い距離の旅となったのがソキである。とても頑張ったのだという。そのことは知っているし、歩けないことを知っているロゼアとしては、なにをどうしてどういう奇跡と巡り合わせと努力の結果が宝石の姫をこの学園まで辿りつかせたのか未だもって不思議であるのだが、ひとつの純粋な事実と結果として、ソキはこの場所まで自力で辿りついている。今、なんでそれを言うんだろうと不思議がるロゼアに、ソキはだからねえ、と甘えた声で言い放った。
「ソキ、ちゃぁんと一人で行けますよ」
「え。どこに?」
ほぼ即答に近い、思考する前に反射で問うたロゼアに、ソキはきょとんとして首を傾げた。
「星降の王様の所です。ソキ、許可を頂いて来ますですよ」
「ひとりで?」
やはりそれは、思考の働く前に出た言葉であった。問いただす響きに、ソキはちょっと眉を寄せ、困ったようにロゼアの目を覗きこんでくる。
「……ロゼアちゃんは、いや、ですか?」
「そんなことないよ。そうじゃないけど、でも」
困惑して、言葉に困るロゼアの目をじぃっと観察したあと、ソキは己を抱く腕にそっとてのひらを乗せた。ぺちぺち叩かれて離して欲しがるのに力を抜けば、ソキはするりとロゼアの腕の中から抜け出し、よいしょ、と気合いを入れた声でソファから立ち上がった。両脚がぎこちなく震え、ぐぅっと力が込められる。どこか危なっかしい様子で立ち上がり、ソキは大丈夫ですよ、と言った。
「ソキは、ひとりで歩けますです。転んでも、怪我しないですよ。ソキねえ、丈夫なんです」
己も意図しないなんらかの言葉が、ロゼアの口から零れ落ちそうになった。まさにその時だった。
『ロゼアくん。ソキちゃん』
やわりと春の花、その葉を優しく揺らし、過ぎゆく風のように。穏やかでしっとりとした印象の意志が、二人の名を呼んだ。振り返ればナリアンはちょうど談話室の扉をくぐった所で、二人の元へ歩み寄ってくる。その姿をしげしげと眺め、ソキはちょこん、と首を傾げた。
「ナリアンくん。寮長から逃げ切れたです?」
『俺は誰にも会ってないよ』
「えっ、でもじゃあなんで」
そんなに髪がぐしゃぐしゃで服がよれよれになってるですか、と問おうとするソキの口を、ロゼアは後ろから手を伸ばして塞いだ。目をぱちぱちさせて不思議がるソキにうん、聞かないであげようなと言い聞かせ、ロゼアはそっと視線を地に伏せる。
「頑張ったんだな、ナリアン」
『俺は、誰にも会ってないよ、ロゼアくん』
手指で乱れた髪を整えながら、ナリアンはふうと息を吐いてソキと目を合わせた。
『ソキちゃん。新しい部活作るんだって?』
「そうなんですよ! ソキねえ、茶会部するんです」
えへんと胸を張るソキが新部を設立するという情報を、なぜナリアンが持っているのか、ロゼアは慎ましく問わないでやることにした。ただ、メーシャは逃げ切れたのだろうかと、そのことだけが心配になる。先程から、遠くで走り回る複数の足音が響いていた。探せっ、どこかに潜んでいる筈だっ、と響く声があり、さあどうしてこうなったか説明しようっ、と弾む笑い声などが聞こえてくる。それとメーシャに、関連性があると思ってやりたくはない。思い悩むロゼアに時折心配そうな目を向けながらも、ナリアンはきゃっきゃと茶会部の説明と、そこで勉強をするのだと張り切って言ってくるソキにそうなんだと頷き、どこかほっとしたように切りだした。
『ねえ、ソキちゃん。俺もその部、入っていいかな』
「ナリアンくんが? ソキと一緒に?」
『うん。俺もね、じつを言うと勉強したくって。でも、そういう部活はないみたいだから、どうしようかと思ってたんだ』
もちろん、ソキちゃんが嫌じゃなければなんだけど、と尋ねてくるナリアンに、ソキはロゼアを振り返ってみた。顔色を伺うようにロゼアをじっと見つめ、だめ、と言われそうではないことを確認してから、満面の笑みで頷く。
「大丈夫なんですよ! じゃあ、ソキ、許可頂いて来ますです。ナリアンくん、ロゼアちゃんと一緒におるすばんしていてくださいね」
『俺も行くよ?』
二人で行こう、と申し出るナリアンを、とてもとても不思議そうに見上げ、ソキはなにを言われたのか分からない風に目を瞬かせた。
「お部屋から出ると、寮長に見つかっちゃうですよ?」
ぐっと言葉に詰まりながら、ナリアンが忌々しそうに、未だ騒々しい気配を振りまく方向を睨みつける。ナリアンが上手く隠れたのか、それとも意図して見逃してくれたのかは分からないが、探す者たちの意志はくじけていない。だからねえ、とソキはにっこり笑った。
「おるすば」
「お困りのようですね?」
ソキの言葉を響かせず、ひょい、と横から顔を覗かせたのは副寮長だった。反射的に周囲を警戒するナリアンに、寮長は先にメーシャを捕まえることにしたようですのでいまは安全ですよとさらりと告げ、ガレンはむくれた顔つきになるソキに、にこりと笑いかけた。
「ひとりで行きたいんですか? 駄目ですよ、危ない」
「……あぶないです? なんでです?」
ぷくぅーっと頬を膨らませ、全身で不満を主張するソキに、副寮長は、恐らくは寮長になにかある以外ではこのひとは決して動じないのだろうなぁ、と誰にも悟らせてしまうきよらかな笑顔を浮かべてみせた。
「寮長がなにもしないと思いますか?」
いいえ、思いません。ソキとロゼア、ナリアンのみならず、談話室で会話が聞こえてしまった者は即座にそう思った。凍りつく新入生にくすくすと笑い、副寮長はだから、と殊更言い聞かせる声で言った。だからね。
「せめて、ふたりで、行きなさい」
しかたなく。本当にしかたなく、ソキはこくりと頷いた。
ロゼアが残ったのはソキが説得しきれたからではなく、結局部屋の掃除や、シーツ以外の洗濯、物品の整理などが残っていることを思い出した結果だった。ナリアンが一緒に行ってくれる、ということで折り合いも付けたのだろう。それでも、行ってきますと言うソキに知らないひとに声をかけられたらという細々した注意事項をひと通り吹き込み、ロゼアは少女の手をナリアンに受け渡した。手を繋いで、ゆっくり歩いて行くこと。転倒防止の為である。寄り道しないでまっすぐ行くんですよ、とうきうき弾んだ声で言う通り、ソキはちまちまとした足取りで『学園』から、まずは星降の王宮へ繋がる『扉』を目指して移動している。
出発前に遅めの昼食をとったからか、気分はどこか散歩めいていた。『扉』へ続く森の中の道を歩きながら、ソキは気持ちよさそうに息を吸い込む。緑の匂いがしますねえ、と吐息と共に零された声は幸せに満ちていた。きょろきょろあたりを見回して歩く瞳が、物珍しそうに輝いている。
「砂漠とは全然違うです……あ、お花! お花咲いてますですよ、ナリアンくん!」
『梔子(くちなし) だね。白くてきれいだね』
「あっち! あっちにも咲いてるです!」
言うなりそっちに行きたがろうとするソキの手を、ナリアンはやんわりと握ってやった。その手を振り払ってまで行きはしないが、ソキはずっとうずうずした様子で森を見回し、花を見つけては楽しそうにはしゃぐ。ソキがお花、と見つけるたび、ナリアンはやさしくその名を教えてやった。あれはランタナ。あれはバーベナ。あれが夕顔で、あれは千日草。ソキは聞いているのか聞いていないのか、分かっているのか分かっていないのかもあいまいな態度で、こくこくと頷くことだけはしていた。やがて『扉』の前まで辿りつくと、ソキは持って来た新部設立許可証を落としていないかを確かめ、全く脈絡もなく、ナリアンくんはものしりさんです、と感心した。
「見ただけで、すぐ、お花の名前分かるですねぇ……」
『俺の家の庭に、たくさん咲いてたからかな』
そういえばナリアンは、花舞出身であるのだということを思い出し、ソキは深く頷いた。花の咲き乱れる、祝福の国。気候はほぼ一年を通して温暖で、激しく荒れることはなく、作物の実りは常に約束されている。清らかな水が湧き、それは都市の隅々にまで平等に行き渡るのだという。砂漠とは全く違う。平和で、穏やかな印象の国だった。その国へ『花嫁』が嫁ぐことはあっても、同じような存在が生まれることは、決してない。『花嫁』は砂漠の花だ。乾いた砂と、強い日差しの中で咲く。
『ソキちゃん』
ナリアンは、いつも、そぅっとソキの名を呼ぶ。『扉』をくぐって現れた星降の中庭で、手を繋いだまま立ち止まって。ナリアンは内緒話でもするようにしゃがみこみ、ソキの目を見て笑った。ほら、あっち。みてごらん。指差した先に、黄色い花が太陽を向いて咲いていた。
『向日葵。たくさん咲いてる』
「はい」
『……あと、見間違いじゃなければ、あの中に陛下がいた』
はい、と返事をしかけて、ソキはしげしげと王城を仰ぎ見る広々とした中庭の一角。向日葵ばかりが植えられた花畑を見つめた。けれども、身長の関係なのか、ソキにはちっとも分からない。不思議がって首を傾げていると、ナリアンがすこし考えながら、ソキに両手を伸ばして来た。触れる前に、ナリアンは問う。
『抱っこする? そうすればきっと、ソキちゃんにも見えるよ』
というか陛下、気がつかれたみたいだからいまこっちに来ると思うけど、とナリアンの言葉通り、はしゃぎきった星降の国王の声が中庭に木霊し、何処かに潜む王宮魔術師が落ち着きと威厳ーっ、と絶叫している。落ち着きとか威厳とかそういうものを、星降の国王、その側近たちはいっそ潔く諦めるべきなのではないかと思いながら、ソキはじっとナリアンを見つめ返し、ふるふるとしっかり首を横に振った。
「あのねえ、ナリアンくん。ソキを抱っこしていいのは、ロゼアちゃんだけなんですよ」
『……そうなの?』
「はい。ソキねえ、ロゼアちゃん以外には抱っこされないんですよ!」
それは『花嫁』に定められた明確な決めごと、という訳ではない。けれどもだいたいの『花嫁』、あるいは『花婿』は己の最も近しい『傍付き』以外に身を委ねることをしなかったし、周囲もそれは分かっていて、求めることはすれど強要することは決してなかった。ナリアンはあっさりと腕を引き、そっか、と頷くと苦笑する。
『……ソキちゃんは、ロゼアくんのことが大好きなんだね』
「はい!」
『なるべく、早く帰ろうか』
きっとすぐ許可頂けると思うんだ、と告げるナリアンに、ソキは機嫌良くはい、と言った。ナリアンはそんなソキにやわりと目を細めて笑い、伸ばした手で少女の髪をふんわり撫でる。やわらかな感触に、ナリアンは一瞬、なにか大切なことを思い出しかけたのだが。ナリアンとソキの名を呼びながら走ってくる星降の国王があんまり嬉しそうだったので、すぐにそのことを忘れてしまった。
ソキとナリアンの両腕いっぱいに向日葵をお土産に持たせ、星降の国王は二人が『扉』の向こうへ帰るまで見送ってくれた。花を抱えて歩かなければいけないので、二人の歩みはなおのんびりとしている。時々、ソキが転びかけるたびにどこからともなく風が吹き、ちいさな体を支えては去って行く。それが、ナリアンを愛する風の加護だと未だ知ることはなく。ソキはほっとした様子でまた危なっかしく歩き出しながら、懐にしまった新部設立許可証に、満面の笑みを浮かべていた。
「すぐに許可くれてよかったです」
『早かったね……』
ナリアンはしみじみと頷いた。なにせ、用件を聞いた瞬間に、星降の国王はにこりと笑って良いよ、と言ってくれたからだ。寮長が許可下してるのなら俺から特に言うことはないよ、と続けられた言葉には、彼の王が青年に向ける信頼を伺わせたので、ソキとナリアンは思わず心配になった。寮長のなにがそんなに信頼できるのか、ソキにもナリアンにも、さっぱり分からないからである。その困惑と不安が、すぐに伝わったのだろう。執務室に戻るでもなく、木の幹を机代わりに持っていた筆記具で署名しながら、星降の国王はいかにも楽しげに喉を鳴らして笑った。
「今は分かんないだろうし、結局分かんないままで卒業してくかも知れないけどさ。シルは信じられるよ。俺はそう思ってる」
その信頼を押しつけるつもりも、強要するつもりもないのだけれど。笑いながら許可証を折り畳んでソキに持たせ、向日葵も持ってって寮とかお部屋に飾りな、と告げながら星降の国王は悪戯っぽく唇を微笑ませた。
「信じるのはひとりじゃなくてもいいんだよ、ソキ」
「……よく分からないです」
「そのうち分かるよ。もうすこしすれば」
言葉は廟で告げられた祝福のように身に馴染んで響き、予知めいた印象を残して消え去った。ナリアンにもなにか耳打ちしていたようだが、ソキに聞こえるものではなかったので、分からない。考えながら歩いていると、また転びそうになったので、ソキは向日葵をぎゅぅと抱きしめ、寮までの残り短い道のりで決意した。とりあえず、歩くことに集中しよう。よし、と頷いてちまちま歩きだすソキの隣で、ナリアンはややぼうぉっとしながら道の先を見ていた。その先に、寮の建物が見えてきた所で、ナリアンがあ、と声をあげる。
『メーシャくんだ! ロゼアくんも居る……なにしてるのかな』
「お迎えですよ!」
ロゼアちゃんっ、とあまくほどけた声が青年の名を呼ぶ。すぐに気がついて歩いてくるロゼアを追いながら、メーシャは二人の持つ向日葵に目をまるくしていた。そういえばメーシャは無事にアレから逃げ切れて、そして何事もなく部活を決めることができたのだろうか。聞いてみよう、と思うナリアンの視線の先で、腕からばらばらと向日葵を落としてしまったソキが、その代わりのようにロゼアに腕を伸ばし、抱きあげてもらっている。あーあー、と苦笑しながら片腕でソキを抱き上げ、もう片方の手で器用に向日葵を拾いあげながら、ロゼアは一応少女を叱っているのだろう。それでも、幸せそうに笑いながら頷くソキは、きっと全く反省していないに違いない。
星降の国王がソキに告げた言葉は、ナリアンの耳にも届いていた。
「ナリアン。おかえり……ぼぉっとして、どうかしたのか?」
不安そうに問いながらナリアンの隣に立つメーシャの腕に、何本か向日葵が抱えられている。すこしばかり花がくんなり疲れているのは、ソキがぎゅぅっと抱きしめて歩いたせいだろう。寮に帰ったらすぐ、水につけてやろうと決意しながら、ナリアンは静かに首を横に振った。
『なんでもないよ、メーシャくん』
「そっか。なら、いいんだ」
『うん。ありがとう……そういえば、メーシャくんは何部に入ったの?』
これでもし狂宴部とか言われたらあの寮長を襲撃しよう。ひそかに決意するナリアンに、メーシャはそれが、とやや口ごもって告げる。
「部、というか……委員会? 委員、部……? に、入った」
「ナニソレ」
「ロゼアちゃん。あのねえソキねえ、ちゃんとひとりで行って帰ってきたですよ?」
思わず突っ込んだロゼアの腕の中で、ソキは嬉しそうに報告している。それにうん、と頷いてやりながら、ロゼアは訝しげな視線をメーシャに向けていた。もし寮長になにかされてアレな感じだったら襲撃しよう、という意志が見え隠れしている。うん、二人とも止めような、と柔和な笑みで宥めながら、メーシャもしきりと首を傾げていた。どうも、自分でもよく分かっていないらしい。
「こう、声をかけられて、気がついたら入部していたというか……とりあえず、部員っていう呼ばれ方じゃなくて、委員会部だから、委員長って呼ばれる? らしい?」
『……ねえ、メーシャくん。それは、なにをする部活なの?』
メーシャは可憐な花が散るかのごとく、地に目を伏せて儚く笑った。
「なんだろうな……?」
そうだ、寮長襲撃しよう。ロゼアとナリアンの意志がひとつになった。ロゼアに抱きあげられたソキは、誰もちっとも話を聞いてくれないことに気がついたのか、不満そうな顔をして息を吐いている。それでも、なんとなーく、メーシャの身に降りかかった不幸を把握していたらしい。ロゼアの腕の中ですっかりくつろぎながら、ソキはぐーっと手を伸ばし、メーシャの頭をぺちぺちと撫でた。
「きっと、好きな委員長になる部活なんですよ。メーシャくん、元気出してくださいです」
「うん。……ありがとうな、ソキ。ロゼア、ナリアンも」
ただ、襲撃はしなくていい。二人の物騒な気配にやんわりと釘をさしたメーシャに、ナリアンもロゼアも心から仕方がなく頷いた。そんな三人を不思議そうに見比べていたソキが、突然、きゃぁっと悲鳴を上げる。びっくりしてソキを抱きなおすロゼアに、少女は腕の中で大慌てしながら大変ですよっ、と言った。
「ソキ、お花持ってたのどこかへ落としちゃいました!」
「……俺が拾ったから大丈夫」
「さすがはロゼアちゃんです!」
今の今まで、存在そのものを忘れていたらしい。なんだ、と脱力しながら苦笑する二人に、ロゼアはソキがごめんな、と呟いた。ソキは交わされていた会話を全く聞いていない態度で、そういえば、と首を傾げる。
「新部設立許可証、持って帰ってきたですが、これ……もしかして、寮長に……ていしゅつしなければいけないですか」
心の底から嫌なのだろう。灰色の声で呟くソキに、ナリアンは遠い目をしてたぶんと呟き、メーシャは終わっていなかった災難に気がついて世を儚み、ロゼアは深く息を吐いて少女を抱きしめた。
「俺も一緒に行くから……」
「ロゼア。俺も行くよ」
『大丈夫。四人で行けば寮長は俺に来る』
その時がお前の最後だ覚悟しておけ、という声が聞こえたのは気のせいなのだろうか、とロゼアとメーシャは視線を見交わした。気乗りのしない様子でソキは息を吐き、ロゼアの腕をぺちぺちと叩く。
「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん。ソキ、歩いていきます」
「あ、うん。分かった」
「でも、手を繋いでくださいね」
すとんと地におろされた体をまっすぐに立たせながら、ソキはロゼアに向かって手を差し出した。その手を大切に繋いでやりながら、ロゼアはしっかりと頷く。じゃあ、行こうか、と促すと、ソキはゆっくりと歩きだした。歩幅を合わせるのは身長差から難しいので、なるべく同じ速度で、ロゼアも歩きだす。そういえばこの向日葵どうしたんだ、とナリアンに問いながら、当たり前のようにメーシャがついてくる。うん、あのね、とないしょ話のような響きで、ナリアンの意志が優しく、空気を震わせた。
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