つかつかと迷いない足取りで歩いてくる寮長の背を、ソキはソファに座ったまま、体をちょっとずらして一生懸命覗きこんだ。ロゼアが一緒に戻ってきているかと期待した為だ。なにせ寮長と話し合いをしてくる、と言って出て行ったのだから、一緒に戻ってきてもおかしくはない。けれども寮長の背後に人影はなく、待てど暮らせど、談話室の扉が開かれることはなかった。心底がっかりしてしゅぅんとしたソキに、ユーニャが苦笑を浮かべる。ちょうど二人の元まで到着した寮長をしゃがんだ姿で見上げながら、ユーニャがそっと声を響かせる。それはどこか音楽的な声だった。なんの楽器にも例えられない、それでいてなにか響く旋律めいた、きれいな印象の声。
「おひとりですか? 寮長」
「ああ。今は。……元気ないな? どうした」
おなかでも空いたのか、と不思議そうにしながら腰を屈めて顔を覗きこんでくる寮長に、ソキはまだがっかりした気持ちのまま、ぷるぷると首を横に振った。そのままくちびるを拗ねて尖らせるだけで、言葉を返さない。じっとりと、睨むように見つめ返される輝きに、声なくとも察するものがあったのだろう。面白がるような笑みを浮かべ、寮長の手がソキの髪をくしゃくしゃに撫でる。
「言わないと教えてやらないぞ?」
「んー……んむぅー!」
やぁだやぁだ撫でないで触らないでいやいやいやっ、と首を振りながらてのひらで寮長の腕を押しやり、ソキは意地悪な手から逃れようとした。かたくなにくちびるを閉ざしたままなので、むずがる響きがやわりと空気を震わせていく。はー、と感心したような呆れたような息を吐きながらソキの髪をくしゃくしゃに撫でまわし、ぱっと手を離してから、寮長は言った。
「……ナリアンとは別方向で、お前も相当問題児だな」
「お姫ちゃんですからね」
「手遅れじゃなくてこれかと思うとなぁ……」
しみじみとなにかを分かち合う寮長とユーニャをものすごく嫌そうに眺めながら、ソキは頬をぷーっと膨らませ、髪に手をやった。寮長、お兄さまみたいですいじわるです、と思いつつ、声には出さない。そういえば屋敷の者たちは今はどうしているのだろう。お兄さまがまたワガママを言って困らせていたりしなければいいのですが、と思いつつ髪を手で整えていると、ユーニャと寮長が無言でソキを見つめているのに気が付き、少女はきょとんとして首を傾げた。すこしばかり考えたのち、全く心当たりがなかったので、仕方なくくちびるを開く。
「ソキにまだなにかご用事です?」
「……お姫ちゃんや……もっとこう、さぁ……周囲に興味持とうぜ?」
「なんのご用事です?」
頭を抱えて呻くユーニャから視線を移動させて、ソキはもう一度、今度は寮長に問いかけた。寮長は苦笑しきった表情で、お前は手遅れじゃないけど限りなくそれに近いな、と呟くと、溜息をついて首を振った。とりあえずその問題は、後回しにしておくと決めたらしい。寮長はユーニャの頭に手を置き、ぽん、ぽん、と宥めてやりながら、ソキの目を覗きこむようにして告げた。
「部活。決まってないんだろ?」
なにかやりたいことあるか、と親身になって問いかけてくれる寮長に、ソキはいっそ面倒くさそうに眉を寄せた。
「ソキねえ、お勉強したいんですよ?」
「なんだそれつまらん」
なんでこんなに同じことを何回も言わなければいけないのかと嫌になるソキに、寮長は真顔で引き気味に即答した。とっさに口元を手で覆ったユーニャは、笑いを堪えているらしい。時々、ふるりと肩が震えている。はー、と呆れ切った様子でゆるく首を傾げ、寮長はソキの顔を覗きこむ。
「勉強?」
「そうです」
「なんで?」
火の、熱のように。肌を包み込み焼いていくような怒りを感じて、ソキは息をつめた。なにが寮長を怒らせてしまったのか、ソキには全く分からない。こわい。はく、と息を吸い込んで動くだけのくちびるが、怯えてきゅぅと閉ざされた。視線が空を彷徨って、指先はソファの表面をこする。ロゼアちゃん、ろぜあちゃんろぜあちゃん。きゅぅ、と目を閉じてしまったソキに、寮長は溜息をついた。勤めて気持ちを落ち着かせてから、ソキ、と少女の名を呼ぶ。
「理由、説明できるか?」
「……りゆうです?」
「勉強すんのが悪いって言ってる訳じゃない、勘違いすんなよ? それ自体は良い、というか……進んで勉強しようとすんのは偉いと思う。けどな、理由がある筈だろ? それを、教えてって言ってんの。俺は。……分かるな? 勉強したい、その理由は?」
寮長は気をつけて言葉を響かせているようだったが、それでもソキは怒られているように感じた。むずがるように眉を寄せ、くちびるに力を込める。話すのが嫌、と全身で物語る態度に寮長は天を仰ぎ、ユーニャは肩を震わせて笑った。
「怒るから」
「……しくじったとは思ってる」
あーあ、と笑いながら立ち上がるユーニャを見もせず、視線を伏せたまま、ソキはぼそりと呟いた。
「ろぜあちゃん、どこ行ったですか」
「……ん?」
その存在を求めるのとは違う響きに、寮長とユーニャがそれぞれ、訝しげに問い返す。二人の視線を受け止めて、ソキがゆらりと顔をあげた。にぶく、感情を浮かび上がらせない瞳が、ひたと二人に向けられる。
「ろぜあちゃん、寮長とお話、するって言ってたです。どこ、行った、ですか」
「……もう来ると思うが」
「ソキ、もうやです。おはなし、しないです。ロゼアちゃんじゃないとやです」
会話しない。断固として。絶対に。寮長ともユーニャとも、しない。盛大にへそを曲げたあげくにそう決意してしまったソキは、言うなりぱたりと瞼を閉じてしまった。起こしていた半身をソファに倒れこませ、耳に手をあてて体を丸くする。さわり、遠くで揺れる空気の中に、ロゼア、と途方に暮れた寮長の声が響いても、目を開かずに。ソキはかたくなに、ロゼアが戻ってくるのを待っていた。
ひょい、とソキの体が持ち上げられたのは、瞳を閉じてからいくらもしない頃だった。手さぐりで両腕を伸ばして抱きつき、ソキはもぞもぞと収まりの良い場所を探しながら目を開く。
「ロゼアちゃん」
「眠たい?」
すわりの良い場所を見つけてソキが落ち着くまで待ち、ロゼアがそう問いかけてくる。手は慣れた仕草でソキの髪を撫で梳き、ゆるゆると乱れを整えていた。その手の動きに心地よく目を細めながら、ソキはことんとロゼアの肩に頬を寄せる。
「ソキ、ロゼアちゃん待ってたですよ。おかえりなさい」
「ああ。遅くなってごめんな」
どうしても離してくれなくて、とやや疲れた様子で呟くロゼアに、ソキはふすんと不満げに鼻を鳴らした。ロゼアがいくらソキの髪を撫でても、抱き方を変えても、『花嫁』の機嫌は一向に回復してこない。やや考え込むロゼアの腕の中で、ソキはゆったりとした仕草であたりを見回し、談話室から寮長とユーニャの姿が消えていることを確認した。
「……ろぜあちゃん」
「なに?」
「結局、部活……入るですか」
問いかけではなく確認になったのは、ロゼアが戻ってくる前に告げられた寮長の言葉があったからだ。目を閉じて耳を手で塞いではいたが、ソキは別に眠っていた訳ではない。外側の音を完全に遮断できた訳でもなかったので、聞こえてしまう言葉が、どうしてもあったのだ。寮長は意識を閉ざそうとするソキに呆れたように、怒るようにもしながら言った。ロゼアはやりたいことを決めて、戻ってくる。お前はどうするつもりだ。ソキは、それになにも返さなかった。どうする、ということを決めるのは、ソキにはひどく難しい。困ったように笑いながら、ロゼアは素直に頷いた。
「もうなんかなー、色々考えるの面倒になってきて。入部届けも出されてるし……ただ、話を聞いてたら色々身体鍛えて動かすみたいだし、そこまで悪いことはないと思ったから」
狂宴部の活動内容は、ざっくりとした説明で表すのであれば、過酷な状況の中で全力を尽くして家事をすることである。壁を登って窓から窓へ移動する、木の上に登って落下する、屋根の上まで登って駆けまわる、などを行う為に、どうしても身体を鍛えることが必要となってくる。登るのと落ちるのが好きで過酷な状況とそれに付随するどきわくそわぁ感が好きで家事が好きかあるいは得意だったら向いている部活です、と部活動一覧小冊子には書かれていた。登ったり、落ちたりが好きか得意かはともかくとして、ロゼアに向いた部活である気は、ソキもしていた。なにせ、その部活動を怪我なく安全に行う為に、身体を鍛える、というのも内容のうちだからだ。
これから勉学に集中するにあたって、体がなまってしまうのはある程度仕方がないことだった。屋敷にいた頃と比べて、身体の鍛練という時間は魔術師には用意されていない。だからなまるのを防ぐ為にもいいかな、と思って。告げながら、ロゼアの手は機嫌の悪いソキをあやし続けている。それにあっけなく絆されながらも、ソキはぷーっと頬を膨らませて、言った。
「ロゼアちゃん」
「なに?」
「ロゼアちゃんは、でも、寮長みたいにならないでくださいですよ」
ありとあらゆる意味で、である。そして、あの部活動に参加していた者たちのようにもなって欲しくはなかった。あの手遅れ感をロゼアからも味わう日が来るとしたら、ソキは今この場で、どんな手を使ってでもロゼアに入部を諦めてもらう気持ちでいっぱいだった。ロゼアはきっぱりとした声で絶対になにがあってもならないから安心して、と早口で言い、なにか思い出しながらうんざりと首を振った。
「うん……大丈夫だよ、ソキ。俺は絶対に染まったりしないから。染まりたくもないし」
「ほんとです?」
「本当だって。……さて、俺はもう終わったから、ソキの部活を選ばないとな」
メーシャとナリアンは一緒に見まわってるんだっけ。それと合流してもいいけどな、と悩みながら、ロゼアはソキを抱きあげたままでソファに腰かける。ソキはもぞもぞとロゼアの膝の上に乗っかり、体を向かい合わせにして、肩を指先で突っついた。
「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん?」
「ん?」
ソキが投げ出していた小冊子を拾い上げ、ぺらぺらとめくりながらもロゼアは視線を向けてくる。それにすっかり機嫌の良い笑顔でにっこりと笑い、ソキはあのね、と言った。
「ソキ、お勉強、したいですよ」
ロゼアは寮長のように怒ることなく、ユーニャのように頭を抱えるでもなく、うん、と頷くと小冊子を閉じてしまった。その上でソキの目をそっと覗きこみ、やさしい声で囁いてくる。
「それ以外にしたいことがあったらしていいんだよ、ソキ」
「……ソキね? お勉強したいですよ?」
きょとん、として。純粋に不思議がって、ソキはもう一度それを呟いた。ロゼアが、ソキの言いたいことを分かってくれない筈がないのに。どうしてだか通じていない気がして、それが不思議で仕方がないのだ。それなのにロゼアは、ソキのことをじっと見つめて、その他、が出てくるのを待っている。その他、があるのだと告げるように。ソキは急に不安になって、胸に手を押し当てた。きゅぅと眉を寄せ、えっと、と口を開く。
「ソキは……ソキはね、ロゼアちゃん。ソキね」
「うん」
過度に促すことはなく、あくまでのんびりとロゼアは待ってくれている。それなのに、返せる言葉はひとつきりなのだ。そのことに泣きそうになりながら、ソキはおおきく息を吸い込んだ。
「お勉強したいんですよ」
うん、とロゼアはもう一度頷いた。本を閉じてそのままそれに触れていた手が持ちあがり、ソキの背に触れて抱き寄せる。くすん、と肩口に額を擦りつけるソキに、ロゼアはただ、どうして、と問うた。怒らず、呆れず、やわらかに問う声に導かれたように、ソキはロゼアの耳元にくちびるを寄せた。
「お勉強しないと、怒られちゃうですよ」
怯えたように体中に力を込めるソキに、ロゼアの手がぽん、と触れる。
「誰に?」
「……だれ、に?」
「うん。ソキ、誰に怒られると思うんだ? ……ソキは、もう、いいんだよ。結婚しなくていいんだ。『花嫁』じゃなくて、いいんだよ。……だから、ソキが好きなことをしても、怒るひとは誰もいないよ。俺も、怒ったりしない。勉強しなきゃ駄目だろうなんて、言わないよ」
もう怖いことなんてないよ、と囁き。怖いことがあったとしても、それから必ず守ってみせるのだと告げるように。ロゼアの手は優しくソキを抱き寄せ、怯える体を宥めていく。ソキの硬質な意志を宿した瞳がふにゃりと歪み、あまく、したったらずな声がロゼアを呼ぶ。
「ろぜあちゃん」
「したいこと、なんでもいいよ。難しかったら、俺が手伝う。今はできなくても、やってるうちに、ソキにもちゃんとできるようになるよ。……なにがしたい? ソキ。なんでもいいよ」
なんでも叶えるよ、とソキには聞こえた。うん、とちいさく頷いて、ソキは息を吸い込む。
「あのね、ロゼアちゃん。あのね」
「うん」
「ソキね。でもね。やっぱりね。お勉強するですよ」
俺の宝石がちょっとなに言ってるのか分かりません、とばかり一瞬現実逃避めいた笑みを浮かべ、ロゼアがぎこちなく首を傾げる。えっと、と引きつった声が、混乱する意志を物語っていた。
「ソキ、そんなに勉強するの、好きだったか……?」
「だって、したいことって言ったですよ。お勉強は、学校でも、しないといけないことですよね?」
上手く考えをまとめられないでいるロゼアを不思議そうに眺め、ソキは確認口調で問いかけた。そりゃあそうだけど、と頷くロゼアに、それだったら、とソキは自信ありげに頷いた。
「しないといけないことですから、ソキのしたいことはお勉強だと思うですよ!」
えへん、と胸を張って告げるソキに、ロゼアがせわしなく瞬きをした。ぐっとソキを抱く腕に力を込めながら、ロゼアは慎重に息を吸い込む。
「それは……しないといけないことで、ソキの、したいこと、じゃないだろ?」
「……ロゼアちゃん、なに言ってるですか?」
ゆっくり考えていいから、と告げるロゼアに、ソキはなにを言われているのか分からない表情で首を傾げた。
「しないといけないことが、ソキのしたいことです」
ソキはなにか間違ったこと言ってるですか、と不安がるソキに、ロゼアはなにも言わず。少女をやわく抱きよせ、深々と息を吐いた。
ロゼアが気を取り直したのは、それから数分後のことだった。膝の上に乗っかったまま好き勝手にロゼアの髪を撫でてみたり、頬をてのひらでぺちぺち触ってみたり、肩に機嫌良くすり寄って甘えてみたり自由にしていたソキは、視線が向けられたのにあまく笑みを零す。
「どうしたですか、ロゼアちゃん?」
なにか考えついたお顔してますですよ、と嬉しそうにしているソキは、すくなくともロゼアが考え事をしている間、暇ではなかったらしい。暇なのにロゼアが構ってくれないとすぐに拗ねて髪を引っ張ってきたり、指先で突いてきたりするので、気がつかないということはないのだが。よかった、と内心ほっとしながらじっと見つめてくるソキの目を覗きこみ、ロゼアはゆったりとした口調で囁いた。
「……ソキの、やりたいことがやれる部活を探さないとな、と思って。勉強したいんだろ?」
「はい」
ようやく分かってくれたですね、と満面の笑みで頷くソキは、ロゼアが己の願いを叶えてくれると信じ切っている。疑いはそこにない。ソキの、喜びに赤らんだ頬をてのひらで撫でてから、ロゼアはさてどうしようかと部活一覧の小冊子を手に取った。先程ざっと目を通しただけでも、ソキが望む『勉強ができる』部というのは存在していないように思えた。空き時間にそれを行うことはできるだろうが、それはソキの本意ではない。ソキにできそうな部活、毎月の題を決めてそれにまつわる本を読む部だとか、刺繍やレース糸で手芸品を作る部も存在してはいるのだが、他ならぬ本人が嫌がるだろう。ソキは、興味がないことは直球で、しかも声に出して断る。いえ、ソキそういうのはしたくないですよ、とはっきりキッパリ告げられるのが目に見えているので、ロゼアはその存在を知らせようとは思わなかった。
そもそもこの小冊子は、ソキが見ていたものである。いくら興味なさそうにめくっていたとしても、ロゼアが出て戻ってくるまでの時間で何往復かしただろうし、見落としていることもないだろう。つまり、本当に勉強以外はする気がないのだ。
「って言ってもなぁ……」
談話室に戻ってきてからソキを抱き上げる僅かの間に、寮長と交わしたいくつかの言葉を思い出す。説明部の言葉もあって、新しい部をつくる為にはその寮長と、星降の国王の許可が必要なことが分かっていた。分かっているからこそ。
「素直に許可くれる気が、しない……」
寮長は去り際、なにも聞こえてないごっこをするソキに向かって、良い部活がなかったら相談しろよ、俺が華麗に新部設立の許可を出してやるからな、と言ってはいたのだが。ロゼアの膝の上でちまちまひとり遊びをしていたソキの説明をまとめると、部活で勉強をしたいと言ったら寮長が怒った、という事実が見えてきたので、恐らく『勉強部』の存在は音速で却下されるに違いない。うーん、と悩むロゼアの膝の上で、ソキがけほん、と乾いた咳をした。口元に両手を押し当て、けほ、けほんと何度も咳き込むものだから、ロゼアは慌てて少女を抱き寄せ、背を撫でてやりながら喉に良いお茶を入れてこよう、と瞬間的に思って。ぱちり、目の覚めた思いで瞬きをした。とりあえずの処置としてのど飴をソキの口に放り込みつつ、ロゼアはひょい、と少女の顔を覗きこんだ。
「ソキ。お茶飲むのは好きだよな?」
「はい。好きですよ」
淹れるのが好きか得意かなどということは、聞かなくても分かっていた。『花嫁』の教育の中に含まれているからだ。よし、と頷きながらソキを抱えて立ち上がろうとするロゼアの腕を、ぺち、とちいさな手が叩く。
「ロゼアちゃん? ソキ、大丈夫ですよ」
「でも咳き込んでたろ? 乾燥してるし、なにか飲もうな?」
「ソキ、もう今日は待ってるのやです。やーです」
お茶を入れに行く間、離されるのを察したのだろう。いやいや絶対いや、という顔でひっついてくるのに苦笑し、ロゼアはすぐだから、と根気よくソキを説得した。結局、二つ目ののど飴をソキに与えるのと引き換えにわずかばかり傍を離れ、ロゼアは二人分の香草茶を持ちかえった。寮の一角には自炊室もあり、いつでも使用可能で開放されている為、ロゼアにしてみればとてもありがたい。ひとくち飲んで温度にも異常がないことを確かめ、ロゼアは陶杯をソキの手に握らせた。ゆっくり喉に通して行くのを眺めながら、ロゼアは離れている間にまとめた考えを口にした。
「お茶を淹れて飲む部っていうのは、どうかな」
「……お茶部? です?」
「それだと似た部があったから、なんていうか……茶会部、かな」
ちなみに既存の部は、そのまま『お茶部』という、茶にまつわる歴史や作法を学んだり、様々な茶葉を収集して味の違いなどを楽しむそうだ。それはあくまで『お茶』というものを楽しむ部であって、ロゼアが思いついたのとはすこし違っている。
「ソキは、その時飲みたいお茶を、自分で自由に淹れていいんだ。で、それをその時々、好きな場所でやる」
不思議そうに香草茶を飲みながら、ソキは静かに聞いていた。それで、と目の輝きが言葉を促している。疑うことはなく。望みが叶えられると信じていた。
「飲みながら、ソキは好きなことをすればいいよ。本を読むんでも、日記を書くのでも。勉強するんでもさ」
「でも、お茶会部なんです?」
「ソキが、飲みたいお茶を、好きに淹れる部だから」
これなら寮長も許可くれると思うんだ、と告げるロゼアに、ソキは満面の笑みを浮かべた。
「さすがロゼアちゃんです! ソキ、そうするですよ!」
「これでいいか?」
「はい。ソキねえ、じゃあ、新しい……ぶかつを……」
作る、となると寮長の許可が必要である。その次に、星降の王の許可を得に出かけなくてはならない。ロゼアが先程思い出したそれに、ようやくソキも思い至ったのだろう。みるみるうちに色彩を無くした声でどんよりと呟き、ソキは心底興味を失った目でロゼアを見た。
「……ロゼアちゃん。り」
寮長、どこへ行ったと思うですか、と。言葉を一文字しか告げぬうち、騒々しく聞き覚えのある音をたて、談話室の扉が開かれた。寮長は、絶対に、どこかで聞き耳を立てて待ちかまえていたに違いない。寮長それはストーカー行為とも呼ばれます本当にどうもありがとうございました王宮魔術師に通報してもいいでしょうかというかしたいですすごくしたいです、という視線と。寮長さすがです素晴らしいですこの上もないです感激のあまり涙が出てきました理由なんてそんなものは今日もあなたが光り輝いているという事実だけで十分ですっ、という視線を真正面から受け止めて、寮長がすさまじい勝ち誇り感でふんぞり返っていた。
「俺様の! 助けが! 必要なようだな!」
「……ろぜあちゃん。今ねえ、寮長ねえ、俺様って言ったですよ」
「ああうん、あのひと、俺の前だとわりとそんな感じだよいつも」
真正面から見ると教育に悪い気がするから、とうんざりしながらソキの視界を手で塞ぎ、ロゼアはずかずかと歩み寄ってくる寮長にちらり、と目をやって。なるべく穏便に、かつ速やかに新部設立の許可をもぎとるべく、冷静な気持ちを心がけて息を吸い込んだ。