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 桑楡そうゆ は野薔薇の冠に

 透明な水にひたひたと晒され、繊細に編み込まれた光の帯だけが口付けるように触れて行く珊瑚の、桃花色の瞳が深く闇の中を見つめていた。星のない夜にはほの淡く漆黒を宿し、薔薇色にも染まる瞳の普段の色合いは、薄紅や紅梅、時に桜にも似ている。けれどもその男のまことの瞳の色は桃花を宿した珊瑚であると、知る者は学園にも、その外にも数少ないだろう。感情によってほんの僅か、瞳の濃淡を変える体質は、幼い時分より中間区の空気に触れたことによって形成されたものなのだと聞く。それ以外は、誰も知らない。本当に知りたい、大切なことばかりを誤魔化してしまうのが、しかもそれを相手に悟らせもしないのが酷く上手い相手だからだ。彼は常に多数の思考を同時に動かしていて、一つきりに集中しきってしまうことは、滅多にない。過去五年程の記憶を遡ってみても、その色彩を見たのは一度きりだった。
 現在はソキの担当教員として数日おきに学園に来ている彼の魔術師の身に、またなにかあったのかとも思うが、そうであるなら男はこんな場所にはいないだろう。空気を張り詰めさせているのは思考にふけるが故の緊張ばかりで、敵意や殺意めいた衝動はひとつも感じ取れなかった。さてそうすると、なにが起きたというのか。溜息をつき、ロリエスはまた一歩、男の元へ足を踏み出した。
「シル……寮長?」
 名ではなく。その役職で呼んでいた時代も、確かに存在はするのだ。懐かしい気持ちで戯れに呼びかけてやれば、寮長は驚いた様子で振り返り、麗しき魔術師の名を囁いた。
「ロリエス……。窓から差し込む光が淡いと思っていたんだが、そうか、俺の女神の輝きのせいか……!」
「いいから、純粋に今日の天気が曇りだという現実に辿りつけ、シル。……こんなところで、なにを?」
 こんなところ、と告げる声にひときわ訝しさが混じったのは、普段なら寮長の姿がある場所ではなかったからだ。寮の一階、南側の廊下、その一番奥に位置するこの場所にあるのは物置部屋と、そして砂漠の王宮へ繋がれた『扉』だけだった。清潔に保たれている場所だから埃はなく、かび臭さもないのだが、それでも普段は使われぬ、人気の全くない場所であるからか、独特の空気感があった。時の流れていく空間であるのに、不思議と停止しているような。流れが奇妙に滞っているような。濁ってはいない。透き通るまま流れを変える川の、中州付近を見ているような気持ちになる。押し流され、何処へ運ばれて行く砂や、石。手の指の間をすり抜けてしまう、不安な感覚。ロリエスは唇に力を込め、指をぐっと握り締めた。魔術師たるもの、言葉にできない胸の不安などに、意識を預けるなんてことはしてはいけない。理性的であれ。常に、常に。
 流され、朽ち果てゆく同胞に、それでも手を伸ばし。この世へ引き戻す存在であれ。
「シル」
 怒りを、熱く、叩きつけるように。しっかりとした声で名を呼び直すロリエスに、寮長は苦笑気味に首を傾げてみせた。心配性、ともからかうように。なんだ、と労わるような声で問われて、ロリエスは思わず一歩、前に出た。不用意に男との距離を近くしようとは思わない。けれど、今は。その涼しげな首元を掴んで、乱してやらなければ気が済まなかった。服を掴んで、下へ引っ張る。忌々しいことにロリエスより長身の男であるから、そうしなければ、望む近さで視線の位置が重ならなかった。不意のことだったのだろう。へ、と間の抜けた声をあげてあっけなく体勢を崩したシルは、ロリエスの望む通り、瞳の高さを水平にした。瞬きを二度、繰り返して。ほの暗く、薔薇色の瞳がやんわりと微笑む。
「なんだよ、ロリエス。……この近さは駄目だ、口付けたくなる」
「触れるな」
 はいはい、と苦笑しながらロリエスを抱きこむシルは、言いつけ通りにその身に触れようとはしなかった。ただ、手を組み腕でゆるい輪をつくり、その中にロリエスを閉じ込める。じっと、ロリエスだけを見つめる瞳が、振り払われないことを確信してほっと安堵に緩んだ。そして、視線が伏せられる。己から反れた瞬間、再び桃花の珊瑚色に染まった瞳を忌々しく睨みながら、ロリエスは幾度目になるかも分からず、男の名を厳しく呼んだ。なにがあった、と問いを叩きつけられると、寮長は一度、ゆっくりとした仕草で瞼を降ろした。一秒、二秒。数えて五秒で、思考をまとめてしまったのだろう。再びロリエスを覗き込んだ色は明るい桜の色をしていて、もう二度と、ひとつきりの思考に囚われるつもりはないようだった。
「……なにを考えてたんだ? シル」
「んー……?」
 ロリエスが近くて幸せだな、とかそういうことを。そう、半ば本気で囁いてくる寮長の頭を容赦なく平手で叩き、ロリエスは凍土を思わせる眼差しで男を眺めやった。
「私は頼りないか。お前の……悩みや、考えを分かつ相手に、私では……誰を」
 呼んでくれば、助けになる、と。紡ごうとした唇が、撫でるような眼差しに、止まる。息を飲む、そのさまをじっと見つめて。
「ロリエス」
 歌うように、ただ、シルは囁いた。
「……ローリ、お前意外の誰が、俺に、必要だって?」
「では、話せ。……離せ、いい加減に」
 私以外が必要ではないと、他ならぬお前がそう告げるのであれば。それに従い、私に従え。激しい意志でもってそう求めるロリエスに、シルは苦笑しながら組んでいた手を解き、ゆるやかな円から麗しき魔術師を開放した。弱っている間はそれなりに甘やかしてくれるくせに、立ち直りかけたとみるや引き剥がす、その甘くほろ苦い優しさが、愛おしい。好きだ、と告げると舌打ちがひとつ。いいから、はやく、話せ、と苛々と繰り返されて、寮長は笑いながら背後を振り返った。視線の先に『扉』がある。砂漠の王宮と寮とを繋ぐそれは、冷えた静けさで沈黙したままだった。
「今朝、砂漠の国から連絡が入った……『扉』が使えなくなったそうだ」
「使えない?」
「王宮から、学園に直通する『扉』が上手く起動しないと。……他の王宮へ移動するものや、国境へ行くものは使えるそうなんだが、学園へ来られないらしい。調べてはみたんだが……その時だけの異変だったのか、他に理由があるのか、目立った変調は見つけられなくてな」
 今はもう普通に使えるようになってる、と『扉』を見つめるシルの視線を追いかけ、ロリエスもそれを注視した。他の『扉』と同じく、それは一見、部屋に入る為に取りつけられたものとなんら変わらない形状をしている。古い木で作られた扉。必ず一本の木から作りだされた一枚扉でないと作れないというそれには、夥しいほどの魔術式が組み込まれ、眩暈がする程繊細に編み込まれた魔力が、空間と空間を繋ぎ合せている。設計図はとうの昔に消失し、どれだけの式が術を支え、構築しているかは未だもって不明のままだ。現存する魔術師の中で唯一完璧な複製を作りあげることが出来る天才、エノーラですら、理解は六割で留まっているのだという。分からないけど残りの四割は勘で行けた、と真顔で申告したエノーラの発言は魔術師たちの伝説に残っている。
 錬金術師でも、空間魔術師でもないシルは、半分ほどの理解で限界なのだという。普通なら二割も読み解けないそれを半分理解するだけでもおかしいのだが、寮長は普段から違う意味でちょっとおかしいのが常なので、あまりその偉業は注目されないままだった。それでも有事に報告が飛ぶくらい信頼されているのは確かであるので、ロリエスは静かな気持ちで、思い悩む寮長の横顔を見つめた。
「シル」
 なにを告げるでもなく、告げる言葉を持つでもなく。名を呼ぶロリエスに、振り返ったシルは眩しげに笑う。その存在がまるで、光であるかのように。輝きを見つめるように目を細め、そうだな、と呟き、『扉』に背を向けて歩き出した。行く先の廊下は、窓から差し込む淡い光で満ちている。硝子越しに仰ぐ空は、灰色。ぶ厚い雲が降りる光を濾過したがるよう、一面に広がり、座していた。



 背の高い書架が明りを遮る薄闇の中、開いた本と手元に向かってまっすぐ降りる一筋の黄金こそ、王に捧げられたこの世の祝福、福音そのものだった。場にある魔術師たちがなにもしていないことは、室内の魔力がなにも歌っていないことからも明白なことだ。ひかりは、彼の王を愛している。それが彼の治める国でなくとも、輝きは常に存在を選んで天から降り、王の手元をほの明るく輝かせるのだった。魔術師には紡げぬ王の真名を声には出さず口唇の動きだけで呼び捧げ、フィオーレは己の王へ差し出す忠誠を、喜びと共にそっと深めた。時間は一方向にしか流れないが、もし、過去の己へ言葉を届ける術があるのなら、学園を卒業する間際の己にひとつだけ、言ってやりたい。
 大丈夫だと。砂漠の王の元へ行くことを、必ず、心から喜び、彼の人を愛し慈しむことが出来る日は必ず来るのだと。今では砂漠の国王こそが、フィオーレの唯一の王。膝を折り頭を下げ礼を尽くし、心身なにもかも傷つけず守りたいと思う、唯一の。王。魔術師たちが忠誠を捧げるもの。熱心に見つめてくるフィオーレの視線に、根負けしたのだろう。会話が聞こえぬ距離を保ち、目の届く範囲にはいろ、という命令を忠実に守っていることは評価する苦笑で顔をあげた砂漠の王が、白魔法使い向かって手を持ち上げ、人差し指を口唇の前に押し付け、目を細める。静かに、いいこで、俺が呼ぶまではそこで待機していろ。声を出さず、口唇の動きだけでそう命ぜられ、フィオーレは満ちた吐息と頷きで、その意志を受け止めた。砂漠の国王は従順な白魔法使いに気を良くした様子で、その足元にしゃがみこんでいた星降の国王に、なにかを囁き落としている。
 星降の国王はなぜか戦慄した表情でぶんぶんと首を振り、俺はなにも見なかったし聞かなかったことにするんだからなっ、と言い張っていた。声が聞こえてしまったものは、もうどうしようもない。意識を集中して、響いてくる声を音として捕らえ、言葉として認識してしまわないようにする魔術師たちのただなかで、フィオーレは全く緊張感のない、へにゃりとした満面の笑みを浮かべていた。図書館の書架の隣、読書の為に備え置かれた椅子に腰かけ、机に突っ伏しながらくふくふと笑う。
「俺のへいか、ちょう、かっこいー……! な、な、ラティ? そう思うだろ? しー、って、しーって! なにあれ! ちょう! かっこういい!」
「うふふあははうちの陛下が超絶格好いいのは分かり切ったことだから一々言うまでもないわうちの陛下が格好いいのは! 当たり前のことだもの! ね! というかお願い私を巻き込まないでちょっとやめて放して服引っ張らないで私今忙しいの。空気中に漂う埃の数を数えるのに超絶忙しいの! だから他のひとに、他の人に話しかけなさい他のひとに! 私じゃない! 誰かに!」
「ええぇー……いいじゃん、ラティ? お話、しよ?」
 服をくい、と引っ張って、ねっとばかり首を傾げて問いかけてくるフィオーレの頭を両手でがっと掴み、その額をためらいなく机に打ち付けながらラティは涙ぐんだ。ふぎゃんっ、と叫ぶフィオーレの頭に遠慮なく力をかけながら立ち上がり、イケメンが憎いっ、と涙声で叫ぶ。
「ちくしょうイケメン爆ぜろっ! ちょっと顔が良いからってなんでも許されると思ったら大間違いなのよばかああぁあっ! あっ、でも陛下は違いますから陛下は別腹っていうか私の陛下今日も格好いいです眼福です本当にどうもありがとうございますって毎日! 思っていますから! でもフィオーレはほんとに……! アンタ自分の顔の使い方分かっててやってるでしょ! そうでしょ! そんな顔でお願いされたら断る方が罪悪感っていうかああもう分かったわよ話せばいいじゃないの聞いてやるわよしょうがないから!」
「いたっ、いたたたたラティお願いだから、手! 手を離してから、に、し、て、ほしっ……! ひたい、額が割れっ……!」
「額くらいで一々! ぎゃんぎゃん! 騒ぐなっ!」
 解放した頭を再度掴んで机に叩きつけ、ラティは腕組みをしてふんっと鼻を鳴らした。
「額が割れたら、治せばいいじゃない?」
「……お前俺のことなんだと思ってんの?」
「あなた、フィオーレ以外のなにかにあったことあるの? ないでしょう? あったら言ってみなさい。今すぐ、ここで」
 とんとん、と机を指先で叩きながらの物言いに、フィオーレはそっと体を遠ざけ視線を落としながら、ないです俺はいつでもフィオーレです、と半泣き声で言った。よろしい、とばかり頷いて、ラティが立ち上がった椅子に座り直す。
「それで? なに? なに話すの? 暇なら『扉』がなんで繋がらなかったかとか、考えなさいよ。魔法使いでしょ? 最高位でしょ?」
「俺がいくら魔法使いだからって、そういう無茶ぶりするのはどうかと思う……」
「はぁん?」
 額を割るぞ、と言わんばかりの表情に、フィオーレはうろうろと視線を彷徨わせた。
「ラティ、なんでそんな、機嫌悪いんだよ……」
「メーシャの顔が見られる機会を失ったからに決まっているでしょう?」
 砂漠の国から学園へ繋がる『扉』が起動しなくなったのは、今朝のことである。原因は分からず、対処できる者もいない。昼過ぎには使用が可能になったものの、その頃には連絡を受けた白雪の錬金術師、エノーラが安全策として当面の使用禁止を要請してきた為、現在は封印が成されている。他国経由で学園に向かう『扉』まで不安定な状態に陥った訳ではない為、完全に閉ざされた訳ではなく、行けないということでもない。しかし主に砂漠の国王の身辺警護を行っているラティとしては、養い子の顔を見に行くくらいの理由でそう砂漠の国を離れる訳にはいかないのだった。今日を楽しみにしてたのになぁ、と息を吐くラティに、フィオーレは猛獣に手を伸ばすような心もちで、恐る恐る指先を伸ばした。
 ちょいちょい、と髪に触れるように撫でられて、ラティは深々と息を吐く。
「……メーシャは、元気でいるのかしら。私のことをたまには思い出してくれたりするのかしら……」
「前から思ってたけど、メーシャとラティってどういう関係? 血縁じゃないよな?」
「もしも血が繋がっていたとしても、私にはそれは分からない。あなたも知っているでしょう、フィオーレ。メーシャの魔力は暴走を起こし、その結果として、メーシャという存在を知る誰もがその記憶を失った。……ルノンを除いて」
 妖精は、世界全てからかき消え、断ち切られるその暴走に巻き込まれることがない。彼らは純粋なる魔力そのものに最も近い生き物であるから、ひとと魔術師に影響するそれに食らわれることはなかったのだ。ふぅん、と面白そうに笑みを浮かべ、フィオーレはじっとラティを見る。
「それは俺だって知ってるよ。でも、ラティ?」
「……なによ」
「じゃあなんで、ラティは、メーシャの名前を呼べたんだ?」
 記憶を失い、繋がりの全てを消されたそれの名を、どうして。警戒の眼差しに意識して笑いかけてやりながら問うと、ラティは本当に嫌そうな顔をして眉間にしわを寄せた。ああなんでそこに気がついちゃうのかしらこの男、メーシャだってルノンだってそこに気がつきはしなかったのに、と語る瞳でしばらくフィオーレを眺めた後、ラティは誤魔化しのない表情で唇を開いた。
「私が、その前から、メーシャを知っていたからよ。……あの日、あの時、失われると。知っていたからよ、知ったからよ。私が……たった一度きり、使うことのできた魔術で。それを知ったから、行ったの」
 今はもうできないけれど、と語るラティの使いこなせる魔術は、ひとつきりだ。ひとを眠りに誘い、望む夢をみせる。それだけ。昔から、入学してきた時から、今日に至るまで、ラティはそれだけしか使いこなせなかった。けれども、入学式のその時、ラティは祝福によって告げられたという。お前がその生涯で正しく起動できる魔術は二つきり。ひとつは起動すればもう二度と使えず、もうひとつはいつか、なにもかもと引き換えにする選択を迫られるだろう。使えなくなったひとつが、恐らく、未来視だ。いくつもある未来の中から、もっとも可能性の高いそれを手元まで引き寄せ、『視認』し、実現させる為の魔術。占星術師の最も基本的で、初歩的な魔術だった。それを失ってなお、ラティは占星術師として在り、魔術師として存在する者のままだった。夢が。眠りの中描く夢だけが、今も彼女を魔術師として形作らせている。
「私がメーシャの名前を覚えていたのは、もう二度と魔力が、私からなにかを奪うのを許したくなかったからよ」
「……ラティのその想いが、メーシャの名前を守り切ったんだな」
「すごいでしょう?」
 誇らしげに笑うラティに、フィオーレは目を伏せ、しっかりと頷いた。すごい、と思う。強い、とも思う。ラティの入学は、十七歳。魔術師のはじまりとして遅い方ではないが、ラティに言わせてみれば『手遅れ』であったらしい。ラティは十五で妖精を視認した。この星降の王宮で。新入生を導いてきた案内妖精を視認し、それから二年間、王宮に在った。少女は、王の護衛騎士であったという。十五にして、王の最も傍で身を守る役を任せられる程の、才であったという。妖精の視認は少女から約束された将来を奪い、断ち切り、希望を失わせ、ただ魔術師としてやり直すことを義務とした。それも、最も才能のない魔術師として影で囁かれるような未熟な存在として。与えられた魔力は少なく、使える魔術は片手の数より少なく、祝福によってその数はすでに定められている。何度も何度も、泣いていたのを知っている。それでも、前を向き続けたことを。
 諦めて、思い直して、諦めて、立ち上がって、諦めて、諦めて。それでも泣きながら、ラティは何度でも前を向いた。すくない魔力量で、一回か二回、魔術を行使しただけでも枯渇してしまうようなそれで。不安定な起動しかしない魔術で。それでも、きっとなにか、できることがある筈だと。信じ続けた。諦めるたび、もう一度、と思い直した。その強さを尊敬してやまない。ラティはすごいよ、とだからこそフィオーレは、心からの想いでそう呟く。うふふ、と嬉しそうに笑ったのもつかの間、そのメーシャに会えなくなったことを思い直し、ラティは落ち込んだ息を吐きだした。落ち込みが思考を妙なところへ飛ばしたらしく、机にばたりと伏せたラティは灰色の声で囁く。
「……メーシャ、私の魔力量にびっくりしたりしないかなぁ。いや、驚くとは思うんだけど、あんまり少なくて」
「ラティはさぁ、メーシャのこと好きなの?」
「ふえ?」
 ものすごくびっくりしたらしい。普段なら絶対に上げないような声を出したラティが、むくりと半身を起して椅子に背を正し、座り直す。
「え? 今なんて?」
「いや、だから。ラティはメーシャのこと好きなのかな、と思って? えーっと、その、異性的な意味で? だってなんかすごく気にするじゃん? 会いたがったりもするし、そもそもラティが養ってたみたいなもんだし……そうなのかなって、思ったんだけど」
「私がそういう意味で好きなのは、今も昔も星降の国王陛下、ただ一人ですけど?」
 書架の間から、なにやら咳き込む音がした。ラティはそちらにちらりとも視線を向けず、フィオーレを睨むようにして言う。
「あなたが想うたった一人が、恐らくは永遠にあの方一人きりであるように。私も、恋い慕うのは、星降の陛下だけなの」
「分かった。……えーっと、じゃあなんで? どういう感じで会いたいの?」
「決まってるでしょう、そんなの」
 はんっと鼻で笑い飛ばすように胸を張り、堂々とした態度でラティは言い切った。
「家族愛よ」
「血が繋がってないとか? 言わなかったっけ? あれ?」
「ふふん、メーシャを拾って育てたのはこの私! つまり、私は養い親的な感じのアレよ、アレ!」
 どれだよ、という眼差しを軽やかに投げ捨て、ラティは幸せそうに満面の笑みを浮かべてみせた。
「うふふ、はやくメーシャが彼女を紹介しにきてくれないかなぁ……。それで、彼女さんに、メーシャくんをくださいって言われてみたい……!」
「え? 彼女の方がそれ言っちゃうの? メーシャはそれでいいの?」
「メーシャのほんとうの家族になれる子だもの。それくらい言う気がして?」
 何年くらいしたら連れて来て紹介してくれるかなぁ、彼女、とうっとりするラティの額を、フィオーレは溜息混じりに指で突っついた。なに、と不思議そうな目を向けてくるラティに呆れながら、フィオーレは真剣な顔をして言う。
「ほんとうの家族とか、ラティだってそうだろ?」
「……そう? かしら」
「ラティの、そういうヘンなトコで自信ないの、ちょっとどうかと思う……。家族だと思うよ。俺はね。メーシャを……断ち切られて、消えてしまうって分かっていてその場所に行って。記憶もなにもかも消し去られる理から、名前だけ守り通して、それをちゃんとメーシャに渡して、返して。それからずっと、傍にいて、見守って、育てた。そんなラティを家族と呼べないなら、メーシャは他に誰をそう思えばいいの。ラティは、その場所に……その時に、メーシャの家族になりに、そこへ行ったんじゃないの?」
 俺はそう思うよ、と告げたフィオーレに、ラティは困った気持ちで眉を寄せた。そこへ至るまでの道筋、思考の巡り、感情は全て消し去られてしまっていて、ラティにも思い出すことが出来ない。あの日、確かにそこへ行き、そうしたいと思ってメーシャの傍にいた。そこへ至る思いが例え恋であったとしても、今のラティにはそれを知る術はなかった。全ては失われた後だった。その中で、たった一つ、選んで残せるものがあった。ラティが選んだのは、メーシャの名前だ。他のなにをも失っても、それだけは守り、それだけは失わせてはならないと思ったもの。その時、なにを考えただろう。その名を呼び、受け渡すひとに、なにをあげたいと思って。なにを、繋げると思って。どうしたいと、思ったのだろう。
「……家族でいい、かなぁ」
「すくなくとも、俺はアイツからメーシャの保護者に伝えてなっていう情報をお前あてにいくつか受け取って、そういう話もしてるけど?」
 考え込むラティの頭にぽんと手を置きながら、そう言ったのは砂漠の国王だった。いつのまにか、書架の間から出て来ていたらしい。その後ろには星降の国王の姿も見える。その瞬間、どこでなんの話をしていたのかを思い出したのだろう。ちいさな声をあげて真っ赤になったラティの頭をぽん、ぽんと宥めるように撫で、砂漠の国王はぐぅっと伸びをした。
「さて、じゃあ行くぞ、フィオーレ。ラティも」
「……どこへ? なにしに?」
「学園に、視察しに」
 その為に星降の国まで来てるんだろうが、と苦笑する砂漠の国王に、フィオーレはあれ諦めたんじゃなかったんでしたっけと呆け、ラティはメーシャの名を叫びながら立ち上がり、即座に復活した。

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