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 こんばんはソキちゃん、隣に座らせてくださいね、とはにかんで告げるリトリアに頷きを返しつつ、ソキはややふらつきながらソファまで辿りついた予知魔術師、己と同じ存在である少女のことを眺めやった。出会った時と同じく、やはりどこか、藤の花のような印象を与える少女である。それは髪と瞳が透明な光を透かして咲く藤の花弁と同じ色をしているからかも知れなかったし、身のこなしや言葉の響きが、どこかやんわりと甘やかな雰囲気をしているからかも知れなかった。旅の間は緊張してそれ所ではなかったし、『学園』の卒業者である王宮魔術師、加えて予知魔術師の先輩であることから気が付かなかったのだが。未だ幼さを残す可憐で華奢な乙女である。ソキよりずっと年上の少女ら、あるいは女性たちが周囲を取り囲む状態であるから、なおのことくっきりと幼さが浮かび上がる。かすかな記憶を辿れば、そういえばリトリアは十五だった。
 じぃっと見つめてくるソキの視線が恥ずかしいのだろう。ほんのり頬を染めながら、なにかしら、と首を傾げるさまは、ソキの胸さえちょっとときめかせる程、可愛らしくかつ無垢だった。ソキは問いにふるふるふると首をふって見つめていたことを誤魔化したのち、ごく親しい距離に座ってくれたリトリアに、うっとりするような喜びの笑顔を向けた。
「リトリアさん。こんばんは、なんですよ。ソキねえちょっと困ってたです。お話してくださいですよ」
「ふふ。もちろん。私でよければ、ソキちゃんのお相手をさせてくださいね」
 丁寧に紡がれる言葉は、ソキには馴染みがあるものだった。リトリアは、ソキ相手には出会った時からこういう話し方をする。しかし周囲にはやや違ったようで、ソキたちを見守っていた女の一人が、体を震わせながら口元に手を押し当てた。
「り……リトリアちゃんが、お姉さんぶってる……! かわっ、かわいい……!」
「というか人見知りちゃんなのに笑顔で話しかけてるすごい! 頑張ってるすごい可愛いお姉さんしてる!」
「成長したねぇ……私たちにはチェチェの背中からそーっと顔だけ出して、こしょこしょ、おはようございますとか、こんにちはとかしか言えなかったのにね……。ああ、でも何度か、教本持ってお姉さんお勉強教えてくださいってお願いしに来てくれたっけ……」
 大きくなったねぇ、としみじみと呟かれ、眼差しでも語られたリトリアの顔が、どんどん赤くなって行く。やがて恥ずかしさが限界を超えたのだろう。頬を両手で押さえながら、リトリアはじわわっとばかり瞳に涙を浮かべた。しゃくりあげたのを見て、彼方からチェチェリアの声がかかる。
「それくらいにしてやれ。……リトリアも頑張ってるんだ」
「リトリアさん、ソキには普通にしてくれてるですねぇ。ソキ、とっても嬉しいです」
 だから泣かないでくださいね、大丈夫なんですよ、とほわんほわん笑ったソキに片手をとられぎゅぅと握られながら顔を覗きこまれて、リトリアは瞳を涙でうるませながらも頷いた。雨上がりの藤花、あるいは朝露に濡れたそれのようだとソキは思う。うるうるですっごく可愛いです、きゃぁっ、と内心はしゃぎながらうっとりするソキを不思議そうに見つめ返しながらも、リトリアはだんだん気持ちを落ち着かせて行った。深呼吸を繰り返し、恥ずかしそうに、ごめんなさいもう大丈夫だから、と告げられても、ソキは手を離そうとしなかった。おてて繋いでるの駄目ですか、と首を傾げて問われ、リトリアはふるふると首をふる。じゃあ繋いでいましょうね、ねっ、と笑いあう予知魔二人に、見守る少女たちの視線が和む。
「リトリアちゃんがほんと頑張ってる……! 泣きやむとか……! それともソキちゃんがすごいの?」
「両方じゃないかしら……え、楽音はそんなに厳しいの?」
「いや、陛下のリトリアに対する教育方針は、『褒めて伸ばすことにしましたので叱りませんよ?』だ」
 チェチェリアの目がやや死んでいる。問題があるとしたら楽音の国においてその王が告げる言葉に意を唱えることがとても難しいことと、褒めて伸びるタイプなのでそうすることにしました、ではない点だろう。うんまあ結果的に成長はしているし、とぬるい笑みを浮かべて納得しようとする少女たちをしり目に、でも、とエノーラが不思議そうに首を傾げた。
「アレくらいは厳しくしても良いと思うけど……それとも先輩、言ってないんですか? 先輩に限ってまさかそんなことはないと思いますが。そして先輩の今日のブラは赤ですか黒ですか紫ですか? 私は白も似合うと思うので如何でしょう」
「……なにを?」
 エノーラから向けられる質問をなかったことにして問い返すチェチェリアには、うっすらと心当たりがあるのだろう。引きつった笑みで、胃のあたりを手で押さえている。ですから、とエノーラが目を瞬かせ、ソキの傍らで楽しげに微笑むリトリアを見た。
「リトリアちゃん、なんでブラしてないのかなって」
「エノーラはすごいと思うわ。なんで分かるの?」
 死んだ目で頭を抱え込んだチェチェリアを慰めることなく、レディがしみじみとエノーラに問いかける。リトリアが入室した時こそ位置関係が近かっただけで、一度も接触していなければ、今は結構な距離がある為だった。そもそも、見ただけで分かるものではない。なんでってと訝しげに眉を寄せながら、エノーラはさらりと言い放つ。
「特技?」
「そっか、特技なら仕方がないわね」
「うふ。エノーラとレディったら、相変わらず突っ込みが不在なのねぇ、会話に」
 楽しそうに笑いながら囁くパルウェに、レディとエノーラは顔を見合わせ、そうかしら、とばかり視線を交わし合った。
「だって特技ってそういうものじゃない? 私だって見ただけでだいたい、相手の適性とか属性とか出身国とか分かるもの。それと一緒よね」
「……リトリア!」
「きゃぁっ!」
 突如として復活したチェチェリアが、その場に立ち上がって少女の名を呼ぶ。身をすくめて悲鳴をあげたリトリアが、ふるふると震えながらチェチェリアに視線を向けた。な、なになにごめんなさいなぁに、と目で問いかけられるのに、チェチェリアは絞り出すような声で言った。
「下着を……つけなさい……!」
「……だってゆるかったり、締めつけて苦しかったりするから」
「アンダーの数字を見ないで適当に買うのはやめなさい、とあれほど……! 一緒に行って買ったのは大丈夫だろう……? どこへやった」
 リトリアはつんとくちびるを尖らせると、洗濯中、と言った。一週間分くらい買ってクロゼットの中身を総入れ替えするべきだったと呻くチェチェリアをしり目に、少女たちの無言の視線がリトリアに集中する。胸元を手で押さえながら恥ずかしがって身をよじるリトリアに、ソキはきょとん、とした眼差しで問いかけた。
「リトリアさん、お胸あんまりなくてもブラ付けないとだめなんですよ?」
「ソキ、言ってやってくれるか……? ただしソキが言い過ぎると泣くと思うからほどほどにな」
「はぁい? わかりましたです」
 なんでだろう、と不思議そうに首を傾げるソキの胸元を見つめるリトリアの瞳が、すでに涙を滲ませている。リトリアの胸元は、ぺたんっ、としている。ふくらみもなければ服が曲線を描いてもいない。きちんと下着をつければそれなりにはなるだろうが、非常になだらかな直線である。対してソキの胸元は豊かだった。ソキが胸の下で手を組むと、見えなくなるくらいの大きさである。形とか本当整っていてきれいなのよね、と一緒に入浴しているからこそ知っている数名が遠い目をする隣で、砂漠出身の女子はなぜか誇らしげである。うちの国の『花嫁』ですからね、と言わんばかりだった。最優とされた『花嫁』は、ふるふると泣きそうに震えるリトリアに、そーっとそーっと囁いた。
「きれいな下着つけるのも嫌いです? レースでお花編んであるのとか、可愛い模様ついてるのとか、いっぱいありますですよ。好きなのを選べばいいと思うです。外から見えないお洋服だと思えばいいです」
「あれ? でもリトリアちゃん、自分で服買うようになったの……?」
 訝しんだのはルルクだった。リトリア在学時代にはもう『学園』にいたルルクは、当時のことをよく知っているひとりだ。一部記憶が恐怖と共に飛んでいるだけで。きょとん、と目を向けるソキに、ルルクはだって、と眉を寄せながら告げる。
「リトリアちゃんの服ってストルく……ストル先生が半分ちょっと、もう半分がツフィアが買ったヤツで、その中の本当に一割か二割くらいが、その二人以外の誰かと一緒に行って買った服じゃなかったかなって」
「……リトリアさん、ソキと一緒なんですねぇ」
 ソキが身につける服は、基本的にその日にロゼアが選んで持って来たものである。『学園』に来てからは時々、ソキがこれを着たいのでこれにします、と選ぶこともあるのだが、その服も屋敷から兄が送ってきた中からロゼアが厳選し、残したものだ。今現在、ロゼアが把握していないソキの服、というものは存在すらしていない。一緒ですねー、とほわほわ笑うソキに頷くリトリアの微笑みは愛らしかったが、その周囲では数名が無言で頭を抱えていた。うんそうなんだけどでもそれなにかちがう気がするそしていけない気がするんだけどどう言えばいいのかすら分からない急募突っ込み。少女たちの視線が床からもちあがり、弱々しくチェチェリアに向けられた。チェチェリアは机に肘をつきながらふっと儚くうつくしく笑い、遠い目をしてくちびるを開く。
「リトリアの服は給料から天引きで陛下が買っているな……あと、たまに無記名で服やら靴やら鞄やら、髪飾りその他が届く」
「いつも思うんだけど、ストルの給料の使い方って偏ってない?」
「エノーラ……あえて誰だか分かっていても言わなかったものを……」
 幸い、リトリアにその声は届かなかったようだ。ソキに下着の大切さをこんこんと説明されながら、リトリアはしゅぅんとして頷いたり、拗ねたような返事をしたりしている。王宮魔術師たちが見守っていると、その話題にも区切りがついたようだ。リトリアがぺたぺた胸元を触りながら溜息をつく横で、ソキがだいじょうぶですよー、おおきくなるですよー、とほわんほわんした声で励ましている。そうよ大丈夫リトリアちゃんまだ十五なんだから、ときゃいきゃいはしゃいだ声で少女らが励まし、そのうち一人があっと言って首を傾げた。
「それで結局、ロゼアくんはソキちゃんの旦那さまなの? ちがうの?」
「……ソキがロゼアちゃんの『花嫁』って言ったのはですね」
 もうちゃんと説明しないと、ずらしてもずらしても話題が戻っていくことに気がつき、ようやく諦めが付いたのだろう。ソキは拗ねた顔つきになりながらも息をすい、『砂漠の花嫁』っていうことですよ、と言った。多額の富と引き換えに砂漠に幸いを、救いをもたらす者。法で許された輸出品のひとつ。『砂漠の花嫁』。それがソキで、ソゼアちゃんはそれを育てるお仕事をしていた『傍付き』で、だから言ったのはそういう意味なのだと。告げたソキに、砂漠の少女らが無言で頷き、レディもまた敬虔な表情で『花嫁』のことを眺め、息を吐きだした。場に集まっていたのは女性だけだったが、男性であろうと、砂漠出身者であるなら誰もが同じような反応をしたことだろう。砂漠の民は『花嫁』と『花婿』がどんな存在であるのか知っている。それらを養育する『傍付き』が、どんな立場であるのか。どんな教育を受けているのか。理解している。
 決して『傍付き』が、『花嫁』に恋を抱かぬ事実を。しん、と落ち込んだ雰囲気で重たく沈み込む空気に、でも、とソキの声が響いて行く。
「ソキはロゼアちゃん好きなんですよ」
「……え?」
「ソキは、ロゼアちゃん好きです。ロゼアちゃんはソキを『花嫁』として好きでいてくれるですが、ソキの好きはそういうんじゃないです。どきどきする好きなんですよ。……でも、別にロゼアちゃんはソキの旦那さまではないですし、そうなることはありません。分かったです?」
 ちょこん、と首を傾げて問うソキの言葉が少女たちに正しく伝わるまで、それなりの時間が必要だった。あれ、ソキなんか分かりにくいこと言ったですか、とだんだん不安になってきた顔つきで首を傾げるソキの前、立ち直った少女が拳を強く握り締める。
「つまり……! 片思い……!」
「しかもただの片思いじゃなかった……! えっでも絶対ロゼアくんソキちゃんのこと好きよね?」
「ロゼアちゃんがソキのこと好きなのは、あたりまえなんですよ? ロゼアちゃん、ソキの『傍付き』です」
 その、『ソキの』と告げる声の響きには隠しようもない独占欲が滲んでいた。少女が頬を染めてきゃぁと歓声をあげ、きらきらした目でソキのことを見つめてくる。
「うん。うん、分かった! そうよねソキちゃんのなのよね!」
「大丈夫よ安心して! お姉さんたちにまかせておきなさい……! 必ずやロゼアくんをソキちゃんにめろめろに……あれ、なってる……?」
「普段のあれが付きあってないというか結婚していなかったのだとすると、付き合ったりするとどうなるの?」
 ソキねえそういう可能性のないことには興味も感心もないので話したくないんですよ、とソキはむくれつつ、珍しく冷やかな目で周囲を眺め、くちびるにきゅぅと力を込めていた。それが、なんだか泣くのを我慢しているように見えたのだろう。
「……えっと」
 考えて、言葉を探しながら、そっとリトリアが問いかけてくる。
「そ……ういえば、ソキちゃん、武器は……武器、なんで持っていないの?」
 ソファの上を彷徨った視線が、冷たい眼差しで凍れる怒りを持て余すソキに戻される。ゆったり瞬きして、その感情を置き去りにしてきたのだろう。ぶき、です、と夢現を彷徨うような声で確認するソキに、リトリアは声をひそめながら頷いた。
「そう、私たちの武器。本。……あれは、手元においておかないといけないのよ。聞かなかった?」
「誰にです? ウィッシュ先生、そんなことは言っていなかったです」
「先生じゃなくて……。ソキちゃん、武器庫には一回行っただけ? もう一回は行っていない?」
 あともしかして普段全然本を持ち歩いていないの、と尋ねてくるリトリアに、ソキはこくりと頷いた。純白の帆布が表紙に張られた本は、ソキにはすこしばかり重いのである。普段はロゼアの部屋の本棚に、教本と一緒にしまい込んであるのだった。日記にして使おうと思ったのだが、あの本はなぜか、書いた文字が消えてしまうのである。その時は普通に筆記することができるのだが、数日経過して本を開くと、その事実すらなかったように真白い紙が広がっている。あの本なんなんです、と問う後輩に、予知魔術師はここだとちょっとと言わんばかり、眉間にしわを寄せて周囲を見回した。
「そっか……図書館の本はあの時、燃やされちゃったから……ソキちゃんは読めなかったのね」
「ソキ、予知魔術師についての本は読んだですよ? それとは違うです?」
「違うと思うわ。……ソキちゃん、なるべく近いうち、明日にでも一度、武器庫に行って?」
 できれば、誰にもないしょで。誰にも見つからないように。そっとね、と言うリトリアに、ソキはこくりと頷いたものの、それができる気がしなかった。なにせ最近、ロゼアが過保護なのである。今日も、浴場とその行き帰りくらいしか、ソキはひとりで歩かせてもらえなかった。あとは全部ロゼアの腕の中である。何度頼んでもだめ、と言って下ろしてもらえなかったのだが、それはともかくとしてぽかぽかして温かくて気持ち良かった。半分くらいは拗ねていたのだが、宥めるように髪や背を撫でて行く手が心地よく、そういえば久しぶりに腕の中いっぱいに甘えていた気がする。でも、明日こそ歩くです、とソキが握りこぶしで決意した時だった。談話室の扉が叩かれ、ロゼアがひょいと顔を出す。
「すみません、一時間経ったのでソキを迎えに来ました。……入室しても?」
「え、もう……? あとちょっとだけ、だめ? ロゼアくん」
 ロゼアは柔らかな笑みひとつで先輩の求めを却下し、失礼します、と言って談話室へ入ってきた。そこで、チェチェリアが居ることに気が付いたのだろう。あれ、と呟いて驚きに軽く目を見開き、近くまで歩み寄って丁寧に頭を下げる。
「こんばんは、先生。いらっしゃったんですか?」
「うん。お呼ばれしていてね。……ソキを迎えに来たのか」
「はい」
 チェチェリアに微笑み返し、一礼したのち、ロゼアは大股でソキを座らせたソファまで歩んでくる。ソファにちょこん、と座ったまま、ソキは立ち上がろうともしなかった。代わりにひかり輝くような笑みをうかべ、ろぜあちゃんろぜあちゃんっ、と呼んで両腕を上にあげる。ロゼアは心得た仕草で、ソキの前に片膝をつき、とん、とその体を己に持たれかけさせた。片手で腰を抱き、もう片方の腕を脚の下に差し入れ、首筋にソキがひしっと抱きついた所で立ち上がる。慣れ切った仕草だった。ソキはロゼアの肩にきゃあきゃあはしゃいで甘えながら、あのねあのねろぜあちゃんあのね、と砂糖菓子のような声で囁いている。
「ソキ、ちゃぁんと動かないでいたですよ。えらい? えらい?」
「うん。偉かったな、ソキ。……楽しかったか?」
「ソキねえリトリアさんとお話してたんですよー」
 視線を向けられて、リトリアはロゼアにぺこん、と頭を下げた。こんばんは、と挨拶しながら、ロゼアの手がその場を動かないまま、丁寧にソキの体調を探っていく。背を撫で、髪に触れ指先で透かしながら、首筋を指先が遊ぶように撫でて行く。くすぐったいとばかりソキが身じろぎをすると、ロゼアはごめんな、と笑ってソキの頬に手を触れさせた。おおきな、あたたかな手に触れられて、ソキの瞳がじわりと輝きを浮かび上がらせる。ロゼアちゃん、と囁きを耳にした者が恥ずかしくなるくらいの声で囁かれても、ロゼアはなにと優しく返事をするばかりで、特に動じはしなかった。親指で目の下を撫で、額を重ねて、ようやく確認を終えて安堵したのだろう。ふー、と息を吐いてソキを抱きしめる腕に力を込めたのが、意志のこもった反応らしき全てだった。
 すっかりロゼアに体を預けてくつろぎながら、ソキが不思議そうに瞬きをする。
「ロゼアちゃん、どうしたですか? なにかやなことあったです?」
「やなこと、っていうか……ソキの体調が悪くなって無くてよかったな、と思って」
 一時間ひたすらその心配してた、と拗ねたように呟かれ、ソキがぱっと頬を赤らめる。ロゼアちゃんは心配性ですねー、と上機嫌に歌うように告げられ、ロゼアは苦笑いを浮かべて頷いた。
「じゃあ、行こうか。……先輩方、どうもありがとうございました。途中ですみません」
「おやすみなさいですよ」
「それじゃあ先生、失礼します」
 担当教員に体を向け直し、視線を向けて微笑んでから、ロゼアがゆったりとした動作で歩き出す。ソキも王宮魔術師たちの方に視線をやり、おやすみなさい、とほわほわしつつも耳まで届くきれいな響きの声で挨拶をした。レディは椅子から立ち上がって頭を下げ、エノーラとパルウェ、チェチェリアは微笑んで、二人が立ち去って行くのを見送った。
「……あ、ナリアンくん! メーシャくん!」
 ロゼアの腕の中でうっとりまどろみながら、談話室の出入り口に目を向けたソキが嬉しげな声をあげる。ロゼアのように入室して来さえしないものの、ソキとロゼアが出てくるのを待つ様子で、ナリアンとメーシャがそわそわと中を覗き込んでいた。二人はロゼアに抱きあげられ、こちらへ近寄ってくるソキの姿を認めると、なぜかとてもとても安心して和んだ表情になり、同時に目頭を押さえて廊下にしゃがみこんだ。ロゼアはそんな二人を見つめながら、なんだかとても理解のある表情で頷いていた。ちっとも意味が分からない様子で首を傾げ、ソキの手がてちてち、ロゼアの背を叩く。
「ねえねえろぜあちゃん、ロゼアちゃん?」
「ん? なに、ソキ」
「ナリアンくんとメーシャくん、どうしたです?」
 うん、とロゼアはゆるく笑みを深めて頷いた。悪夢から解放されたことを確信する、穏やかな表情だった。
「ちょっとこの一時間、寮長が……」
「……だいたい分かりましたです」
 ロゼアが簡単に説明してくれたところによると、談話室を追い出された寮長他男子一同は、この一時間、空き部屋に集められていたらしい。曰く、よっし俺たちも男子会しようぜ、と寮長がのたまった結果とのことだ。ロゼアたちは当然逃げようとしたのだが、気が付いた時にはナリアンの襟首がしっかり寮長に掴まれており、物理的に不可能であったらしい。ナリアンを置き去りに逃げるようなことは、ロゼアにもメーシャにも決してできない。かくして男子一同は、寮長による寮長の為の俺の女神の麗しさを語る会、に付き合わされていたらしい。ロゼアたちが一時間で抜けてこられたのは、ソキを迎えに行かなければいけない、という理由があった為だ。なければ恐らく朝まで付き合わされていた。ナリアンが談話室の入口まで戻ってきたロゼアの腕の中、ふにゃふにゃと甘えているソキを見てぶわりとばかり涙ぐむ。
『ソキちゃん……ソキちゃん! ロゼアくんとソキちゃんが一緒にいる……! 悪夢は終わったんだね……!』
「ああ、ナリアン。もう大丈夫だからな……! うん、やっぱりロゼアとソキは一緒にいてくれないとだめなんだよ。だって二人が一緒にいるだけで、こんなにも癒される……」
「二人とも……今日は、ゆっくり休もうな」
 そしてあの魔の一時間をなかったことにしよう、と真顔で告げるロゼアに、立ち上がったナリアンとメーシャが頷いた。三人は無言でかたい握手を交わし、ひとり、ソキがきょとんとして首を傾げている。おとこのこの友情はちょっと理解できないらしい。でも仲良しなのはいいことですねー、と笑って、ソキはぎゅぅとロゼアに抱きつきなおした。
「ロゼアちゃん、ソキちょっとねむたくなっちゃったです……」
「うん。寝に行こうか」
「ナリアンくん、メーシャくん。おやすみなさいですよ……」
 ふぁ、とあくびをしたソキの髪を、ロゼアが穏やかな手つきで梳いて階段をあがっていく。そのさまを談話室の扉に張り付いて見ていた女子が数名、ふるふると首をふりながら室内を振り返って、言った。
「いやあれ絶対付き合ってるって……」
「だってどうせソキちゃん自分の部屋で寝ないんでしょ? ロゼアくんの部屋で寝泊まりしてるもんね?」
「チェチェリア先生、実際の所どうなんですか? ロゼアくん」
 そうだ担当教員がいた、とばかり室内の視線がチェチェリアに集中した。うるわしき氷の女王はそれに柔らかな笑みを浮かべて、立ち上がり。また明日な、と言って、少女たちの問いを聞かなかったことにした。

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