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 ぴすぴすふすふすくすんくすん、と拗ねて不機嫌で仕方が無い寝息を響かせていたソキは、一通りの手伝いを終えたロゼアが迎えに来て着替えに連れ去り、帰ってきた時にはもうとろける笑みになっていた。真新しい、紅の光沢を持つ真珠色のドレスを着せられ、赤い花の髪飾りを揺らしてご満悦である。ロゼアも髪を撫でつけ、ゆったりとした印象の砂漠の正装を身に纏っている。それ去年のじゃないのと言いかけ、妖精は諦めて口をつぐんだ。
 よしんば去年と代わり映えのないものであっても、ソキの日常着のように細部が異なるものであっても、服装は個人の自由である。自分の服飾費を節約してソキの一着にぶちこんだ可能性を、わざわざ確定させてやる理由もなかった。しかし、嫌味なくらい正装を着こなす男である。ソキを片腕に抱き上げてなお、所作の滑らかさに滞りはなく。年齢ゆえの幼さを未だ顔つきに残すだけで、印象としては完成されきっている。その腕いっぱいに、花を抱き上げて微笑んでいる。そういう印象を振りまく男だ。
 ソキはロゼアの腕の中にうっとりと身を任せきっていて、時々、こそこそと耳元にくちびるを寄せてはなにか話しかけていた。そこに、応援係をだめされたぁ、としょげ返っていた面影は全く無い。うつくしく、愛らしく、上品で清楚に整えられて、上機嫌に談話室の端へ戻ってこようとしていた。ふわふわした笑い声が空気を染める。
 着替えと化粧の一時間でなにがそんなに嬉しいことがあったのかと思うが、起きたらロゼアの腕の中なのもきっと幸せでならなかったのだろうし、ロゼアの好きな服を着せられ、ロゼアの好きな髪形に整えられ髪飾りをつけられ、ロゼアの好きなように手入れされ化粧され靴を履かされその他あれこれと手間隙と時間をかけられて、戻ってくる時は当然のように抱き上げられている。不機嫌を持続させておく隙がない。
「あ、ロゼアちゃん? ソキ、リボンちゃんのお隣に座るです!」
「うん、いいよ。……お待たせしました、リボンさん」
「なんでアンタ当たり前の顔してアタシの隣に座るのよ……! ソキを膝の上からおろしなさいよ」
 微笑んで聞き流された。ソキが聞こえないふりをするのはいつものことだが、ロゼアにされると頭にくる。呪おうかしらと睨んでいると二人の後を歩いてきたシディが、苦笑しながらロゼアの名を呼んだ。やんわり窘める案内妖精の言葉に、ロゼアはんー、と声を発してソキを抱きなおす。
「ソキ、座りなおす?」
「ロゼアちゃん? ソキはちゃぁんと座ってるです」
 ソキに膝から降りる意思がなければ、ロゼアが降ろす筈もない。もにっと頬をくっつけ合わされて、くすぐったそうに微笑むだけだ。エスコート頼まれてるのアタシなんだけど、と言っても、ロゼアが抱き寄せる腕を放す気配は見られなかった。まだ廟の入り口が開放されていないので危ないでしょう、と言いたげだ。夕刻。準備もいよいよ大詰めで、楽団役があちらこちらへ走り回り、手配をする者たちが大きな声で各国の王の到着予定時刻を知らせまわっている。
 危ない、ことに同意してやる気持ちはあるのだが。座っていればなんの問題もない筈である。しかしソキがあまりに幸せそうにロゼアを満喫していたので。妖精は苛々する気持ちをシディで晴らすことにして、その暴挙を許してやることにした。



 椅子に座り、青褪めて震える姿は、とてもではないが待ち人に胸をときめかせているようには見えない。せっかく上から下まで、城の者に可愛くしてもらって送り出されてきたというのに。星降の城の待合室。ツフィアのいる部屋の近く。様々な準備が整うのを同僚たちと共に待ちながら、チェチェリアは溜息をついた。どうしても放っておけないと思いながら、リトリアの名を呼んで傍まで歩み寄る。どうした、と問えば泣き出す寸前まで涙を溜めた瞳が、そろりと持ち上がって瞬きをした。
 腕にはもっちりとしたうさぎが収まっている。つれてきたらしい。思わず優しい笑みになるチェチェリアに、リトリアはうさぎをもぎゅっと抱きつぶしながら、だってぇ、と弱々しい声を出した。
「心細かったんだもん……。チェチェ、ツフィアはどうしてお返事をくれたのかしら……ストルさんと踊っても嫌な思いをさせないかしら……」
「んん……? リトリア……?」
「ねえ、チェチェ。ふたりがいつからお付き合いしてるか、知ってる?」
 知らない。待てどうしてそうなったと呻くチェチェリアに、リトリアは目を瞬かせながら首を傾げる。頑張って泣かないようにしているらしい。忙しなく呼吸をして、リトリアは落ち込みきった声で呟いた。
「昨日緊張してよく眠れなくて……。そうしたらなんだかそんな夢を見て……。そ、そうしたら、だんだん、なんだかそんな気がしてきて……!」
「リトリア。言ったろう。思いつめる前に相談しなさい、と……!」
「ねえ、なんか城一つ滅ぼされそうな怖い会話が聞こえた気がしたんだけど……? なに……?」
 扉を僅かばかり押し開けて顔を覗かせ、震えていたのはレディだった。リトリアは出入り口のすぐ近く、扉が開いても当たらないぎりぎりの場所に椅子を一脚移動させて座っていたから、不運にも聞こえてしまったらしい。レディさん、とあまえた声で名を呼ばれて、魔法使いは微笑して頷いた。
「お願い、リトリアちゃん。事実無根すぎて私が死ぬ前に勘違いを正して。火の無い所に煙を立たせないで。しぬから。私が」
「……じゃあ、ひとつ聞いていい?」
「はい、なに?」
 レディはこの後、チェチェリアからリトリアの監視と護衛を引き継ぎ、パーティーに同行する予定になっている。そうであるから魔法使いの正装を身にまとうレディのことを、すこし眩しげに、はにかんだ眼差しで見上げて。リトリアはその手をそっと包み込むようにして持ち、ちいさな声で囁きかけた。
「ツフィア、私のこと、好きだと思う……? あの……んと……その、ストルさんより。私の」
「そのストルよりっていうのがどこにかかってくるなんの意味かでまたちょっといろいろ話が違うんだけど、好きだとは……! 思います……! えっなんで手を握ってくれてるの……?」
「……いや?」
 きゅ、と指先に力をこめてうるんだ目で拗ねられて、嫌だといえる相手がいたらつれてきて欲しい、とレディは思った。お前には人の心が存在していないと叫んで殴る為である。このこは絶対に私が守ってあげなきゃ、と決意を新たにするレディの手を、きゅむきゅむ握って。リトリアはくすぐったそうにはにかみ、緊張を解した微笑みを零した。
「レディさんにちょっと甘えたい気持ちだったの……。ありがとう」
「チェチェお願い私に惑うなしぬぞって言って!」
「リトリア、無差別に事案を発生させるんじゃないと朝から言っているだろう……?」
 レディ頑張って耐えろ死ぬぞ、と真顔で告げられて、魔法使いは無言で深く頷いた。リトリアはぷぅっと頬を膨らませてレディの手を離し、うさぎをもちもちと抱きなおす。
「うさぎちゃんだけがぎゅってさせてくれる……」
 うさちゃんかわいい、すき、と鼻をすすって、リトリアは頬をもちもちとうさぎに擦り付けた。しゃがみこんで呻いて復活して立ち上がる、落ち着きの無い動きをして、レディはきりっとした顔でチェチェリアに向き直った。
「聞きようによってはウィッシュさまに飛び火しかねないから、早急に名前をつけてあげたほうがいいんじゃないの」
「私に言うな、レディ。リトリアに言え」
「……うさぎちゃん、っていう名前だもの」
 リトリアは己の下に現れた妖精の呼び名を、『妖精ちゃん』にする感性の持ち主である。もっと他の名前にしなさいと諭されて、リトリアはもちもちうさぎと見つめ合った。真面目に考えても、それといって思いつくものがない。ソキちゃんはなんでアスルってつけたのかしらと思い、はた、と別のことに気がついて、リトリアは助けを求めてあたりを見回した。
「あの、あの……! パーティーの間、このこどうしよう……!」
「連れて行けばいいんじゃないか……?」
 この様子では、置いていくと気になってしまうに違いない。優しく微笑みながら促すチェチェリアに、リトリアはでも、と口ごもった末に、視線をそろそろと己の殺し手へ向けた。
「……レディさん」
 お願い、うさぎちゃん持ってて、とお願いされて、レディは力なく頷いた。頷くしか選択肢が無かった。ちなみにリトリアがパーティーに行くにあたってツフィアとストルをそれぞれ指名したのは、一通り終わったのち、話し合いの場が持たれるからである。そこに立ち会うのもレディだった。楽音の魔術師たちが、次々とレディの肩を叩いて労をねぎらう。でも誰も変わってはくれないのよね、と呟くと、全員にさっと視線を反らされた。溜息が出る。
 窓の外は夕陽のいろに染まっていた。なにもかもが紅に塗りつぶされる一時が終われば、世界には夜が来る。レディ、と誰かに呼びかけられ、魔法使いは視線を外から引き剥がして振り返った。ツフィアの支度が終わったらしい。分かったと返事をして、リトリアに手を差し出す。行こう、と告げればリトリアは真剣な顔で頷き。ひとりで座っていた椅子から、ようやく立ち上がった。



 ツフィア、と叫んで走りより、かけ、リトリアはつんのめるような動きで立ち止まった。誰かにそうせよと命ぜられた訳ではない。己の意思で足に力をこめたのだ。訝しく視線を向けてくるツフィアにとっさになにも言えず、リトリアはもじもじと手を組み合わせて立ち止まった。えっと、と口ごもる。反射的に助けを求めて振り返った先、戸口で見守ってくれていた筈のレディとチェチェリアが、感激で目元に手をあてているのが見えた。
 一々泣かないで欲しい恥ずかしいから、と思い、リトリアはまたもじもじとツフィアと向き直った。数歩の距離。少女めいた、ふわりと裾の広がる蒼い花模様のドレスを着るリトリアをゆったりと眺め。黒色のスリップドレスに身を包んだツフィアが、呆れ一色のまなざしを保護者たちに投げかける。
「……なにをしているの、あなたたち」
「ツフィア、安心していい。すぐに分かる」
 次はお前だ、と呪われたような気がする。意味が分からない。しぶい顔をするツフィアの前で、もじもじ、もじもじしていたリトリアが、ようやく覚悟の決まったまなざしで、きっと顔をあげた。
「あ、あの、あの! ツフィア……!」
「なに、リトリア」
 視線を重ねると、それだけで藤花色の瞳に涙が滲む。花開くつぼみの微かな震え。ふわりと赤らむ頬がゆるく微笑んだ。嬉しい、と告げている。怯えはなく。怖がることもなく。全幅の好意が差し出されている。ツフィア、と歌うように響く、祝福を載せた声でリトリアが笑う。網膜に焼きつくような微笑み。ゆっくり、礼儀正しい仕草で頭が下げられた。
「今日は、エスコートを受けて頂き、ありがとうございます。よろしくお願いします。……チェチェ、もう! 泣かないで! レディさんまで、なんでっ?」
「……分かったわ」
「ツフィアまで……!」
 もう、と照れと困惑と淡い怒りの入り混じった声で怒って、リトリアは手に持っていたちいさなポーチをごそごそと探った。数歩の距離をなんのためらいなく駆け寄り、ツフィアの手にハンカチを差し出してくる。ねえ、そんな風になかないで、と囁かれ、ツフィアは息を吐く。その吐息にも、リトリアは体をびくつかせることはなく。怯えてツフィアを伺うような真似をしなかった。ただ、待っている。すこしだけ不安そうに。背をまっすぐ伸ばして立っている。その少女に。意思を乗せる言葉が、どうしても見つけられない。
 ツフィアの知るリトリアは、幼かった。幼いままだった。まるで成長するそぶりが見られなかった。時間だけがその精神を通りすぎて行って、ツフィアの望む成長の、予兆さえないままだった。礼儀も、作法も、リトリアは知っていた。質のいい幼少教育を受けたのだと伺わせる。知識ではそこにあった。あるだけで、時折、所作に浮かび上がってくるだけで、こころが追いつくことは、終ぞなかったように思われる。『学園』にいる間も。卒業して、稀に会うことがあっても。最後に見た姿も。知識の使い方を分からない幼さが、それを役に立たないものにしていた。
 重ねる視線の角度にも、成長を知る。
「……こちらこそ」
 届いた、と思う。ようやく。まだ十分と思える程では、決してないのだけれど。知識を。本を贈り、重ねた言葉たちを。知識として降り積もらせるだけではない、使いこなすだけの成長を。リトリアが、し始めたのであれば。
「今日はよろしくね、リトリア」
「……うん!」
 反射的に抱きつき、かけ、慌てて降ろされた手は体の前できゅっと握り合わされた。あとでうさぎちゃんをぎゅっとするから我慢、がまん、と何度か繰り返して、リトリアはツフィアの目をまっすぐに見上げる。
「あの……手を、繋ぐのは……いい?」
「もちろん。なにを遠慮しているの」
 望まれるままに手を繋いでやると、リトリアはとろけるように笑みをこぼした。嬉しい、と告げられる。嬉しい、うれしい、ありがとうツフィア。頷いて、ツフィアは戸口へ歩き出す。リトリアの手を引いて。泣いていたレディとチェチェリアの目が、それを見てまたうるむのに溜息がでた。もしや一日これなのだろうか。正直とてもうんざりしたが、とと、と傍らを歩くリトリアが、あまりに幸せそうなので。ツフィアはそれを気にしないよう、意識の端へ投げ捨てた。



 本日はどうぞよろしくお願いしますと一礼されて、ストルが感動した風でもなく無言になってリトリアを見つめたので、レディは本能の判断に従い、かつ予知魔術師の殺し手として正しく、男と少女の間に体をねじ込んだ。背後ではツフィアが戸惑うリトリアに、いいこと今日は絶対にストルと二人きりになってはいけないわ約束できるわね、とさっそく言い聞かせている。チェチェリアは遠い目をしながら、ツフィアの発言に頷いている。完全に同意のようだった。
 女性たちの反応にやや不愉快げに眉を寄せた同僚に対し、レディは臨戦態勢を整えながら言い放った。
「むらっとしたのを否定できるなら機嫌悪くなりなさいよ」
「……せめて返礼くらいさせてくれないか、レディ? チェチェリア、ツフィアも」
 五秒待っても情欲にかられたことを否定されなかったので、レディは振り返り、まっすぐな目でツフィアに問うた。
「コイツ燃やしていいと思わない?」
「この場所で騒ぎを起すなら賛成はしないわ」
 場所を移動させてから葬れ、ということで間違いないだろう。魔術師たちの聖域たる廟の入り口で、焼死事件などレディも発生させたい訳ではない。成長を喜びなさいよ食べ頃になったことに浮かれるんじゃないわよと苛々しながら、レディはストルに対して宣言する。
「言っておきますけど。リトリアちゃんに危害を加える相手に対して、殺害許可は得てるんだから! 注意して行動しなさいよ!」
「リトリアが嫌がることを俺がする筈ないだろう?」
「砂漠系男子の! 相手が嫌がることなんてしないは! 言いくるめた結果論!」
 断言するレディの背が、指の先でつつかれる。なに、と振り返ったレディに、リトリアは恐る恐る問いかけた。
「ストルさん……いじわる、するの……?」
 リトリアにはいじわるっていう単語の発音制限をさせたほうがいいと思うと立案した白魔法使いに、あなたなに言っているのと却下した過去の己を、レディは全力で殴り倒したかった。間違っているのは私だと懇々と言って聞かせたい。眩暈と共に沈黙するレディの肩に、男の手が置かれた。
「しないよ。したことないだろう?」
「会話に混じってこないでちょっと、私を挟んで! 会話しようとしないで!」
 今にも火の粉を生み出さんばかりに殺気立つレディから、リトリアは慌てた仕草でもちもちうさぎを回収する。ぎゅむりと抱きしめ頬をくっつけて堪能したのち、リトリアは真っ赤な顔でツフィアとストルを見比べた。
「ち……ちがうの! これは違うの……!」
 うさぎをだっこ、抱きしめる、頬をくっつける、堪能する、が一連の流れとして染み込んでしまっているだけである。違うの自立なの大人になったの、とうさぎを腕に抱いたまま訴えるリトリアに、ツフィアは息を吐いてたしなめた。
「リトリア。自分で管理できないなら、持ち込んでは駄目よ」
「はぁい……」
 だってこれから振られるかも知れないからそのあとで抱きしめて泣くんだもの、という後ろ向きでこじれきったありえない可能性の為に持ち込まれたのだと、知ったらストルはうさぎを奪って彼方に投げ捨てかねない。もしくはうさぎつきでリトリアが拉致されて、部屋から出てこなくされかねない。もしかして私は今日この夜が終わるまで胃痛と戦い続けなければいけないのではないかしらとレディがしにそうになっていると、あっ、とほわふわした声が場に響く。
「リボンちゃんりぼんちゃんりぼんちゃ! リトリアさんがいるぅー!」
「なんでアンタは走ろうとするの! お前はすぐ抱き上げようとするなーっ!」
「あっ! リトリアさんが可愛いうさちゃんを持ってるううううソキがぎゅっとしてあげてもぉ、いいんですよ?」
 アンタはなんで貸しての一言がちゃんと言えないのっ、と雷を落とされながら、とてちて早足でソキが歩み寄ってくる。片手はしっかりと妖精と繋がれていた。エスコートしていると見るより、保護者をしている、という風だ。嫌な顔をしてロゼアを追い払いたがっている点を除けば。ロゼアは苦笑してふたりの後ろをついて歩き、傍らにはシディの姿もある。こんばんは、先生。ストル先生、レディさん、リトリアさんも、と礼儀正しく挨拶されて、チェチェリアは思わず微笑した。
「こんばんは、ロゼア。シディは今年もお目付け役か?」
「……いえ。『リボンさんを思い留まらせるくじ引き』に細工がされていた話はしましたっけ?」
「三日以内に首謀者を特定してぎったぎたにしてやるから参加者含め覚悟しろ」
 炎のような目で振り返って宣言する妖精に、シティがお願いしますから穏やかな花妖精という種族のあり方を思い出してください、と遠い目をして囁きかける。それを個性の一言で粉砕し、妖精はきゃあきゃあリトリアにはしゃぐソキの手を、ぐっと繋ぎなおして言い聞かせる。
「貸してください、でしょう。貸してください! ほら!」
「リトリアちゃん? ソキに、うさぎちゃんを貸してください。ぎゅぅってするです」
「え、うん。はい、どうぞ」
 きゃあぁあんかわいいですもっちりちゃんですかわいいですうう、とおおはしゃぎするソキをつれて、一同は廟の中ほどまで移動していく。出入り口付近は狭い作りではないが、この人数が集まっているには、通行の邪魔になりすぎる。全体が見渡せる場所に置かれた長椅子のいくつかを占拠して、腰を落ち着かせた。自然とリトリアとソキが並んで座り、レディとロゼアがその両端をかためる。ストルとツフィアは並んで向かいに。チェチェリアは場から離れている。
 妖精たちは一歩距離が開いた所で、てんで勝手に話をしている。不機嫌なソキの案内妖精を取り囲んで、見目麗しい少年少女がわらわらと集まって来ていた。誰も彼もが妖精なのだろう。綺麗ですねえ、リボンちゃんたら人気者ですとしみじみ嬉しそうに呟き、ソキはご機嫌でリトリアのうさぎをもちもちした。ひたすらご機嫌な笑顔でもちもちもちもちし、腕いっぱいにぎゅっとうさぎを抱きしめて、はふ、と幸せな息を吐き出す。
「はぅん。これはかわいー! うさぎちゃんです。ソキはとっても気にいったです……ねえねえ?」
「ソキ。ソキにはアスルがいるだろ。これはリトリアさんのだろ」
「うっ……んと、んと。違うですよ。おねだりー、じゃないです。ロゼアちゃんの勘違いというものです」
 視線を泳がせながら残念そうにロゼアに向かって言い聞かせ、ソキはもちもちうさぎを、未練たっぷりな眼差しでリトリアに差し出した。
「お返しするです……ありがとうございましたです……。また今度ぎゅぅっとさせてくださいです。あ、リトリアさん。お帰りなさいです。ご無事でなによりです」
「ありがとう……ソキちゃん、ロゼアくんも。騒がせて、たくさんご迷惑をおかけしたことを、心からお詫び申し上げます。不自由することも多かったでしょう。本当にごめんなさい……」
「ご無事でなによりです。……皆そう言うと思いますよ」
 なにとぞ家出という形で寛大な処置をしてあげてくださいお願いします、という嘆願書の署名は、ソキやロゼアの元にも回って来ていた。強制力のあるものではなかった、とロゼアは思う。まとめ役となった者たちはそこへ名前を書き入れる前にしっかりと、王宮魔術師の制度や仕組み、規約について勉強してその上で思うことがあれば協力して欲しいと告げていたし、その為の教本もいくつか用意して貸し出してくれた。
 教本は、どちらの意見に偏ることもないよう慎重に選定された書籍である、と目を通した者に思わせる。知識をつけて、それを判断できるだけの足場を作って、その上で決めて欲しいと集められた署名に、『学園』の者は殆ど名を書き入れたと聞く。リトリアはその言葉に目をうるませて微笑み、しっかりと頷いて息を吐き出した。
「なら、なおさら……しっかり謝らせて? それで、お礼も言わせてね。ロゼアくん、ソキちゃん。ありがとう」
「はい。……なにか、制約があると聞きましたが。生活するのに対して」
「うん。色々。気になったら、寮長に問い合わせてみて? 教えてくださると思う……」
 でも心配しなくても、ソキちゃんは家出したりしないものね、と笑うリトリアに、ソキはくちびるを尖らせて頷いた。まだ未練がましく手を伸ばして、うさぎをもちもち指先でつついている。ソキ、とロゼアに窘められてようやく指先をひっこめ、ソキはんん、と眉を寄せて呟いた。
「だってぇ……なんでかとっても気になるです。リトリアちゃん? このうさぎちゃんはどうしたの? どこで買ったんです? ソキに教えてください」
「え? え、えっと……あの、砂漠で……」
 報告書を全て閲覧しているレディの目がしんだ。あっ、これ事案のあれっていうかあれ私この位置は死ぬのではないのなんでストルとツフィアがそこにいるの、と挙動不審になるレディに、リトリアはあいらしい仕草で首を傾げた。あれ、と不思議がるような視線を、ロゼアがリトリアに向ける。問う言葉はなく。すこし観察するようなロゼアの眼差しに気がつかず、ねえねえ、と話を促してくるソキに、リトリアは頬を朱に染めてぽそぽそと囁いていく。
「たっ、たいへん、お世話になった方に……頂いたの……! あの、その方にね、一緒に、砂漠の首都まで、連れて、きて、もらって、あの……あ、ソキちゃんも知っている方よ?」
「ソキも?」
 目をぱちくり瞬かせ、きょとん、とするソキに。リトリアはもじもじしながら問いかけた。
「うん、えっと、だって、だってあの……ソキちゃんのお父さん。『お屋敷』の、前の、御当主さま……なんでしょう?」
「……そうなんですけどぉ。ふーん。そうなんですかぁ」
 ソキは一切の興味をなくしたらしい。どうでもよくなっちゃったですぅー、という意思がありありと伝わってくる、半ば拗ねたような表情と声に、リトリアはえっと言葉を詰まらせた。恐る恐る、問いかける。
「ソキちゃん……お父さん嫌いなの……?」
「ソキねえそのお話はしたくないです!」
 ぺっかーっ、と輝く笑顔で徹底して拒否されて、リトリアはしょんぼりと肩を落とした。そうなの、と落ち込みながら呟く。リトリアはひそかに、ソキとロゼアとラーヴェの話をすることを、とても楽しみにしていたのだが。くるしい気持ちでなんとか言葉を飲み込んで、そっか、とだけもう一度言ったリトリアに、訝しく考え込んだ顔つきでロゼアが問う。
「リトリアさん? その……『お屋敷』の前の、御当主さま……と? その方は、そう、名乗られたんですか……?」
 レロクの前の当主。ソキとレロクの父とされている男は、当主交代と同時に『お屋敷』の外へ追放され、亡くなった筈である。『お屋敷』の片隅にひっそりと墓があり、昨年の長期休暇の折にロゼアはそれを確認していた。ソキがそれを認識していないのは、前当主の行く末についてこれっぽっちも興味が無かったが故に誰にも聞かなかったのと、ロゼアもあえて話していなかったからだ。亡骸は回収されなかったと聞く。ただ死の報と、それが確かなことである、という言葉だけが関係者に伝えられた。
 レロクの苛烈さを考えると、肉親の情や他の理由あってでさえ、父とした前当主を見逃し生かしたとは考えにくい。また、レロクの片腕たるラギの目を逃れ、欺けたとも。『お屋敷』の伸ばす手はどこまでも届く。ディタとスピカが逃れきったのは、当時の『お屋敷』がそれほどに混乱していたからであり。また、弱い『花嫁』が逃亡の末に生き延びられるとは思われず、見逃されたからだろう。すっかり機嫌を悪くしたソキを膝に抱き上げて宥めながら、ロゼアは目を瞬かせるリトリアの答えを待った。
 砂漠において『お屋敷』は特別で、別格だ。もしも悪戯に前当主を名乗る者があれば、早急に報告する必要がある。リトリアはそろりと視線を持ち上げ、えっと、と戸惑う声をあげた。
「そう、仰られた……のでは、ない……んですけど……。ソキちゃんの、お父さん、なら……前の御当主さまでは、ないの……? お兄さんが、いまの御当主さまだと、ソキちゃんが言っていたから」
「いえ」
 血の繋がりが当主を決めるのではない。受け継がれる資質はあるだろうが。それは継ぐ理由には決してならない。ある事実に『耐えられる』者だけが、輝石として壊れず欠けず、花として枯れず折れず、持ち堪えた者だけが生き延び、『お屋敷』を継承していくのだ。次代が、たまたま血の繋がった内生まれであっただけだ。だから、そういうことではないのだ、と否定を口にしかけて、ロゼアはとある予感によろめいた。
 ろぜあちゃん、ときょとんとした声が、腕の中から呼びかける。
「どうしたの? びっくりしたお顔をしているです」
「……なんでもないよ、なんでもない。リトリアさん、あの、そのお話は今度詳しく。必ず、詳しくお願いします」
 ソキ、喉かわいたろ飲み物を探しに行こうな、と囁かれ、ロゼアの腕の中でソキはこくんと頷いた。ぎゅっと抱きつきなおすと、そのまま立ち上がられる。あーっ、と叫んで妖精が駆け寄り、ロゼアの足を蹴飛ばした。
「アンタなに勝手に抱き上げてんのよ!」
「あ、リボンちゃん! ロゼアちゃんをいじめちゃだめだめぇ! お話は終わったの? ソキをほーちするだなんていけないことです!」
「アンタがリトリアのうさぎをもちもちしてたから気を使ってやったんでしょうがああぁあ!」
 そっちこそ話は終わったの、と尋ねられ、ソキはこっくりと頷いた。リトリアも恐る恐る頷き、離れていくロゼアたちを見送った。やや呆然としてしまう。
「ソキちゃん、ラーヴェさんが嫌いなのかな……」
「リトリア?」
 名を呼ばれて、ぱっと視線を向ける。微笑むストルと目が合った。思わず笑い返す。
「ストルさん。なに?」
「……いなくなっていた間の話を聞かせてくれるか」
「う、うん……。あの、後でね。あとで、私もストルさんと、ツフィアにお話があるの。だから、それが終わったら……」
 終わって、まだ。リトリアの話を聞こう、という気持ちが残されていたとしたら、その時に。私にも聞かせてちょうだい、と囁いてくるツフィアにも同じ気持ちで頷いて、リトリアはソファから立ち上がった。どきどきする胸を宥めて、まっすぐに目を向ける。
「ストルさん……」
「ん?」
「私と、一曲……踊ってください」
 差し出した手は、すぐに絡めて繋がれる。跪いて微笑まれ、喜んで、と囁かれてリトリアは涙ぐんだ。幸せで嬉しくて恥ずかしくて、どきどきして恥ずかしくて、いっぱいで、息がおぼつかなくなる。あ、ぅ、と真っ赤な顔で声をこぼすリトリアの肩に、そっとツフィアが手をおいた。
「落ち着いて、大丈夫よ。……レディとここで見ているから、行ってらっしゃい」
「つふぃあ……」
「リトリアを頼んだわよ、ストル」
 一曲終わったらどこかへ連れ込んだりいなくなったりせずに速やかに戻って来なさい、という意味合いの言葉である。ストルは数秒沈黙したのち、信用がないなと苦笑した。意味を完全に理解しておいて、しない、と言わないまま、ストルはリトリアの手を引いて歩いていく。あああ戻ってきたら話し合いかしぬ、と胃をぎりぎり痛めて無言になるレディの傍らに、ツフィアはそっと腰を下ろした。視線はひとつの所へ注がれている。
 優美な音楽が流れていくのを耳にしながら、レディは息を吐き、なにか飲む、と問いかけた。ツフィアはしばらく返事をしなかった。踊りだすふたりの姿に、声も。言葉も出せないようだった。うつくしい祈りで胸が満ちている。幸福を願うような。レディは適当に持ってくるからね、と言って立ち上がる。その背に、ようやく、ありがとうと声がかけられる。振り返っても、視線はふたりに向いたままで。
 魔法使いは深く、息を吐き出した。

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