砂漠では道を見失いやすい。方角が分からなければ死にも繋がる。その為、国境付近の街や各オアシスでは方位磁石と地図が一緒になって売られているし、多少の出費が可能ならば進むべきオアシスの方角を示し続けてくれる、魔術が付与された地図も売っている。出回っているのはあくまでオアシスを示すものだから、砂漠の国限定で非常に有用な代物であるのだが、ソキの持つ地図はその機能に加え、最終的には星降の国の妖精の丘まで連れて行ってくれる一品だった。
ついでに盗難防止の機能も付いているので、もし盗まれたとしても入学許可証と同じく盗人の手の中からは光となって消え、ソキの元で復元されることだろう。幸い、今まで盗られたことはないのだが、妖精はそれを落し物防止機能としてありがたく受け止めていた。なにせ強い風が吹くと指の握力が負けて地図が舞いあげられることすでに十数回、転んだ拍子にどこかへ飛んでしまうこと数十回なのだ。魔術付与のされた地図でなければ、一体何枚買うことになっていたのか、考えただけで気が遠くなる。
慎重に扱いなさいね、と繰り返す妖精の言葉に頷きながらも、ちょっと首を傾げて立ち止まり、ごそごそと鞄をさぐって地図を取り出すソキの手つきは、どうにも危なっかしい。たどたどしいというか、いつまで経ってもどこか慎重で、見ていてなんとなくはらはらするのである。折りたたんでいた地図を広げると、自動的に魔術が発動する。キン、と澄んだ音を立てて金色の光が現れ、矢のような形状で、ソキが進むべき方向を指し示した。向かっていた方角に、ずれはない。
ほう、と息を吐きだし、ソキは地図をぱた、ぱたと折りたたんだ。鞄に仕舞い直すと、ソキは熱い砂の上にぺたりとしゃがみこんでしまう。無言で水筒が取り出され、ふたもかねているコップに水が注がれた。水筒をいったん砂の上にざくりと置き、ソキはコップを両手で持ち、ぐー、と一息に中身を飲んでしまう。鈍い瞬きが、地平線を睨むように見つめながら繰り返される。もういっぱい水を飲んで、ソキはじわじわと眉を寄せた。
ちょっと機嫌が悪そうな顔つきのまま、鞄に手を突っ込み、ソキが取り出したのは砕いた塩を詰めた袋である。ひとつまみ取り出して口の中に放りこみ、ソキは不愉快そうな顔つきで、ぐんにゃりと首を傾げた。沈黙が続く。十分程そのまますごして、吐き出されたのは諦めたような息だった。塩の袋と水筒をぽいぽいと鞄にいれたソキは、よいしょ、と声をあげてのたくたと立ち上がる。ふらふらした足取りで歩きだそうとするので、妖精はようやく、こら、と言った。
『一時間ごとに三十分休憩って、約束したでしょう』
「……まださっきの休憩から、一時間も、してないですよ」
ざく、ざく、ざく、と砂をならしてのたのたと歩き、ソキはまたすこし眉を寄せると、地図を取り出して方角を確認した。昨日はそんなにしつこく進むべき方を確認していなかったと思い返し、妖精はまさか、とソキの顔を至近距離で観察する。視線は妖精の方に向いておらず、地平線の方をふらふらとさまよっていた。頬に、ほんのりと赤みがある。直前のソキの行動と今までの旅路を考え、妖精は静かに確信した。
『アンタ、頭痛いんでしょ』
返事がない。妖精はソキの肩にくっついているので、距離的に聞こえない筈はないのに。
『水飲んで塩食べてすこし休んでも、まだ痛いんでしょ?』
ソキは返事をしない。ざくざく砂を踏みしめて歩きながら、かたくなに一つの方角を見つめて歩き続けている。くちびるが、むくれた様子でほんのすこしだけ、尖っていた。
『ひよわ』
こうなると、いじっぱりなソキは絶対に返事をしなくなる。聞こえてないですよ、という顔をして、ソキはまたちまちまと地図を取り出し、方角を確認してしまい直した。そうして気を散らしていないと、歩き続けられないのだろう。もっとはやく気が付けばよかった、と思いながら、妖精は怒り交じりに言葉を吐き続ける。
『うすのろ、いじっぱり、考えなし!』
立ち止まったソキはごそごそと鞄をさぐり、干したデーツの入った小瓶を取り出した。ふたを外してひと粒つまみあげ、ぱくりと食べると、ふにゃりと幸せそうな笑みを浮かべる。
『ばか! どじ! まぬけっ!』
こころもちふわふわした足取りで歩みを再開して、ソキは両手でそーっと耳を塞いだ。ぜったい、きこえない、ですよ、と横顔が物語っている。少女の肩ですっくと立ち上がり、妖精は笑顔のまま、その手を蹴った。
『熱出す前に休めって言ってんのよっ! アンタ、頭痛くなると次に熱出すんだから!』
「ソキは今からひとりごとを言うですけど」
つーん、とばかり視線を反らし、頬を膨らませながらソキは言った。
「砂の上で寝るより、オアシスまで頑張って、お部屋でちゃんと休んだ方が、疲れないです」
『今日の夜に辿りつくまでにアンタ絶対熱出すから休憩しなさいって言ってんの! 休・憩!』
「いま休憩すると、陽が落ちて歩けなくなるです」
ざく、と足を止めてその場にしゃがみこみ、ソキはまた地図を取り出した。方角を示す矢印は瞬く間に現れ、しばらく放置すると、地図の上には赤い光点も現れる。ちかちかと光るそれが、現在のソキの位置だった。目的とするオアシスまでは、まだ大分距離がある。目標の半分以上は消化できていたが、太陽の傾きから考えると、今日中に辿りつけるかどうか危ういくらいだ。夕方陽が暮れはじめると、ソキの歩みはいったん止まる。砂漠の照り返しが強すぎて、足元がよく見えなくなるからだ。
そのまま、太陽が完全に隠れて空に月と星が明々とのぼるまで、長い休憩時間となる。
「だから、もうすこしだけですよ」
あと、一時間とすこしだけ。呟いて立ち上がったソキは、ざくざく、そのまま歩きだし、四歩目で砂に足をひっかけた。ぐらりと傾いだ体は持ち直すこともなく、ぼふん、といささか間の抜けた音を立てて砂の上に倒れこむ。十五秒で立ちあがったソキは、不機嫌に前を睨みつけた。
「ソキは、これくらいじゃ諦めないですよ……!」
『いいからとっとと諦めなさいってば。じゃあ、あと三回転んだら諦めて休むのよ?』
ソキは、やはり返事をしなかった。よろよろ歩きだし、すぐにつんのめって、また半分砂に埋まる。体力が無くなってきた証拠だ。溜息をつく妖精に応えず、ソキはのたのたした動きで立ち上がろうとする。その瞳が、ふっと一瞬、なにものも見なくなった。体重を支えていた腕がくずれ、上半身がぐったりと砂の上に投げ出される。ぜい、と荒い息が吐き出された。
『……いま休めば、明日の昼には着くでしょう?』
「ソキの……ソキの、ガッツと根性は、まだまだやれますよ……」
『はいはい、はいはいはい。そうね』
ひらりと肩から飛び立った妖精は、眉を寄せて動けないソキの額に手を押し当てる。まだ熱は出ていなかったが、ずきずきと痛むのだろう。ほっとしたように息を吐きだしたのを見て、妖精はそのまま、慰めるようにソキの頭を撫でた。
『夜まで休んで、頭が痛くなくなったら、歩きましょう』
「……まだ痛かったら、だめです?」
『もちろん。でもアタシの許可なく回復呪文なんて使ってみなさい』
ぺちん、と妖精はソキの鼻の頭を叩き、腰に手をあてて睨みつけた。
『アンタのだーいすきなロゼアに、アンタがどんだけ無茶したか全部話してやるからね!』
デーツを食べようとしたら砂の上に落としてしまった時と同じ顔をして、ソキはくすん、と鼻を鳴らした。しょんぼりした顔つきで、リボンちゃんひどいです、と呟かれる。
「がんばるのはいいことですよ」
『そうね。でも、頑張ると無茶は違うの』
「……ソキは大丈夫です。頑張れるんですよ」
すん、すん、とむずがるように鼻を鳴らして、ソキは目を閉じてしまった。ずれていたフードをひっぱって頭を隠し、妖精はソキのローブの中に潜り込み直す。砂漠の強い日差しや熱から、このローブがソキを守ってくれるだろう。少女はいつかの寝姿と同じように、体中に力を入れて丸くなり、浅い呼吸を繰り返している。ソキは、そのまま眠ってしまったようだった。
ソキの旅日記 十四日目
ソキは夜になったら起こして下さいって言ったです。
リボンちゃんは言われてないって言うです。
夜になっちゃったです。まだつかないです。
頭は痛くなくなりました。