前へ / 戻る / 次へ

 ソキの旅日記 二十日目

 聖域と呼ばれる空間が、この世界には存在する。すなわち、聖なる場所であるその空間は、ありとあらゆる魔術干渉を跳ね除ける清浄な場所だ。使えるのは唯一、回復魔術のみ。ひとを癒し、傷を治し、痛みを消し去るその術だけが、光の降り注ぐ温かな場所で許されるたったひとつの神秘だった。多くは自然の中に偶然の形で存在するが、大戦争時代、それは意図的に作られるものでもあった。それを可能とするのは白魔術師と錬金術師を極めた者に限られ、また、楽音の国出身者には、加護の形でそれが許されていた。聖域は時に防衛の為に作られ、負傷者の為に維持された。
 それは絶対の空間である筈だった。召喚術師はそこに異形を、あるいは幻獣を呼び出すことができず、空間魔術師はその場所に現れることができなかった。時間魔術師の停止も、促進も、なにもかもを跳ね返す。黒魔術師の攻撃も、なにもかもが無効であり、なにも起きない。それゆえに、そこは聖域と呼ばれていた。守る為の力すら働かなかったが、回復しか発動しない空間で、それすら必要ないものだった。不安な時は、白雪の国出身者が己の出身国の加護、時に世界からの愛とも呪いとも呼ばれるそれを発動させ、聖域に『絶対防御』を付与させた。時間制限つきのそれは、ありとあらゆる魔術干渉、物理干渉すらも拒絶する。
 それを超えられる者は無い筈だった。魔術師は可能と不可能の法則にしばられる。聖域と絶対防御を突破して侵入し、害することは絶対に出来ない、筈だった。不可能という言葉がある。可能ではない、という意味だ。できないこと、という意味だ。あらゆるものに等しく同じ意味でもって囁かれるであろう言葉は、予知魔術師に対して使われる時のみ、不幸な変質を帯びて告げられる。不幸なことに。その不幸が予知魔術師本人に対してか、他の全てにおいてなのかは定かではないのだが。
 不幸なことに、予知魔術師であれば、可能なのだ。全ての法則をひっくり返すことも。不可能を可能にすることも。聖域を穢し、絶対防御を打ち崩すことも。予知魔術師の数は少ない。大戦争時代、記録に残っているだけでも三人の存在が確認されているのみだ。裏で名前を消されて動かされていた者が多いとされているが、それでも、絶対数として多くは生まれない。彼らは法則を狂わせ、いとも容易く崩壊させる。ありとあらゆる決まりは、彼らが望みさえすれば、意味を成さない。
 いくつもの悲劇と虐殺の引き金を引いたのは、予知魔術師の存在が大きかった。彼らはただ、正しい詠唱を紡ぎ終わるまでの時間を稼ぎ、あるいはそれすら必要なく、言葉として望みを繋げてしまえばいい。魔法のように『なんでも』できる、と皮肉交じりに告げられる能力だ。けれども『なにも』できないと続くのは、予知魔術師は総じて魔力総量が低く、詠唱を挟めば発動が可能であるだけで魔術適性が限られており、体が弱い者が多いからだ。適性の無い無理な発動は心身に苦痛を与え、重ねれば、それは確実に命を削り取って行く。魔術師の中でも、確実に最弱とされるのが予知魔術師とされている。
 それでも、彼らは存在するだけで確実な脅威とされるのだ。聖域を穢すことも、呪われた地を浄化することもできる、ほぼ唯一の存在として。その行いによって、彼らが命を落とす可能性が高いという事実は、さほど関係がなく。大戦争が終わって数百年が経過し、魔術師たちの自由を奪って拘束している現在でも、歴史にこびりついた恐怖は消えないままで残っている。若干とばっちりに近い扱いではあるんだが、と砂漠の国の王は言った。あの時代の文献は不自然に焼失しているものが殆どで、残された物の多くは予知魔術師がどういう風に使われたのか、使えるのかを語っていた。
 まるで、魔術師という存在の中でも、脅威とされる者を絞り込ませるように。予知魔術師は軍の兵士ではなく、主に敵方の魔術師に対する切り札として重宝された。恐らくは、もっとも同胞を殺害した魔術師が、予知魔術師になるだろう。不自然な文献の残り方は、後世への罪滅ぼしだ。魔術師の中でも歴史の研究と解明を得意とする者たちの見解は、今の所、そういう意見で一致している。さてその上で、と砂漠の王はソキに告げた。暗黙の了解の話をしよう。この世界と、そこに住む者たちが、それでもなお安心することができずに、予知という特異な力を持った魔術師にはめたがっている枷の話だ。くだらない、約束の話だ。
 とてもとても簡単な、くだらない話。
「つまり、予知魔術師は二度と利用されてはいけない、と俺……の、祖先。五カ国の王たちは考えた。いろんな理由があったと思う。可哀想だとかいう感情的な意見も、あまりに脅威だという政治的な判断も、入り混じって、結論として出たのは『予知魔術師は二度と、己の意思以外で能力を行使してはならない。利用することを禁じ、利用されることを禁じる』っていう、馬鹿みたいなこと」
 そしてそれを、確実に守らせる為に二つの条件を考え出した。利用しないでいる為に、利用されないでいる為に、どうすればいいのか。どうするべきなのか。存在としてはあまりにか弱い魔術師が、ひとりきり、己という存在を己の為だけに守り切る為に、どうすればそれが叶うのか。この世界のありとあらゆる者から、意思から、守る存在が必要だ。それが叶わぬ時には、確実に殺してやる存在が必要だ。あまりに矛盾した一方的な決定。押し付けの善意。それが、未だに続く暗黙の了解である、と王は言う。
「暗黙の了解が達成できない場合は学園が『檻』と『盾』になってお前を守る。もしくは、出身国……この場合は俺と、俺の王宮魔術師がその役目を担うことになる。王宮がお前の『檻』で『盾』、王宮魔術師がいざという時にお前の心臓を貫く為の『剣』だ。……どちらか片方だけでも、同じことになる。両方揃わなければ、どちらかしか選ぶことができない」
 しかも最悪なことにまだ条件がある、と王は憂いを帯びつつも、どこか楽しそうな声で語った。
「守る者も、殺す者も、別に制約とか契約とかは必要ない。というか、ソキがそれを見つけ出し、選んだとして、決めたとしても、ソイツらにそれを告げる必要はない。お前が確実に、世界のなにものからも守ってくれる存在だと信じること。確実に、どうしようもなくなった時は、守りきれなくなった時は殺してくれる相手だと頼ること。それを可能だと思える相手。必要なのは信頼と、愛情で、でも恋慕でなくてもいい。愛情であればなんでもいい。友情でも、親愛でも。相手が魔術師でさえあれば、性別は問われない」
 男でもいいし、女でもいい。年上でも、年下でもいい。結婚していても、していなくても。恋人がいても、いなくても。関係ない。大事なのは『確実にそう』してくれると信じられること。信じて、その想いが、確かに守られること。
「とは言いつつ、守る方にはそれなりの条件……実力も含めて、そういうのが必要になってくる。条件から外れていてもお前が信じるのは可能だが、認められない可能性も高いからな。……あくまで、決定するのは、お前じゃないんだよ、ソキ。認められなければ、許されない。魔術師は全てがそうだが、決定権も、選択権も、持つことは叶わない。望むことはできる。希望も言える。でも、それが許されるかどうか、決めるのは自分じゃない。もうすこしどうにかしてやりたいとは思ってるけど、それが叶うのはきっと、お前よりずっと後の世代だ。俺の孫くらいかな。どうにかしてやれると、したら」
 ごめんな、と告げて、王はその条件を言った。
「守る者は、出身国の加護から考えると、望ましいのは白雪の国か砂漠の国の出身者。白雪は防御において冬場は最強を誇るし、絶対防御の付与もかなり有効だと思われてる。でも、俺のオススメはうちの国出身者。こと夏場の攻撃力において、瞬間的には魔法使いに匹敵するくらいまで跳ね上がるからな。攻撃で防御も兼ねられる。だから、なるべくなら砂漠の国の出身で……次、属性な。単一属性より、複合属性の相手がいい。単一っていうのは、地水火風光闇のこと。複合が、炎や氷、自然。太陽に月に星。あと夢もそうだな。いくつかの属性に適正があるとされている者。単純には比べられないけど、複合の方がこと攻撃力に関しては強い……傾向がある。あくまで傾向だけど、そういうのも結構、重視される」
 あと魔術師としての適性もあって、とさらに言葉が繋げられた。
「最優なのは、黒魔術師。次に、錬金術師。続いて占星術師、白魔術師かな。召喚術師とか時空魔術師、時間魔術師も空間魔術師も、系統としては特殊だから、そっちはアウト。絶対にだめな方。で、最後に、武器。学園に行くとひとつ、本人の様々な適性や性格によって武器が渡される。自分の身を守る為と、あとは魔力の制御の助けにもなってくれる、武器の形をした魔術具だな。自分で選ぶっていうか、武器の方からこっちを選んで来るから、まあやっぱり本人の希望は反映されないんだが……その武器が、なるべく、接近戦に向いてるヤツ。剣とか槍とか、メイスとか。中距離、遠距離系は……魔法で飛ばしきれなかったのと接近戦になる可能性を考えると、若干不利かな、と思う。俺は。……だから、総合すると、守り手として認められる条件は」
 砂漠の国出身の複合属性の黒魔術師で、武器がなるべく接近戦が可能な者。性別は問わず。逆に殺す方は、確実にそうできるという確信がありさえすればいいので、基本的に条件の付与がされない。誰でもいいが、確実に望みを叶えると確信できる者でなければいけない。また、害意があっての殺害であってはならない。愛情のみが許される。お前今十三歳だったか、と呟き、ソキを守る檻になる可能性を持つ王が言った。
「期限は四年間。お前の十七の誕生日までに両方見つけられない場合、お前の身柄は砂漠の国の王宮預かりになる。俺の王宮魔術師になるってこと。……十五になれば成人だから、それまでの二年と、それからの二年で、探して来い。成人してようやく、恋愛を視野に含めて異性を見るヤツも多いから、そういう意味でも……見つけやすくはなる筈だ」
 無理はしなくていい、と王は告げた。誰に焦れているか、知ってるから。
『……ちょっとー!』
 深い思考の海からソキを引きずりあげたのは、怒り心頭の妖精の声だった。ぱちぱち瞬きをしてあたりを見回すと、座りこむ足の先あたりに、着地した妖精が腰に手をあて、身を乗り出してソキを指差して怒っている。
『アンタ、何回話しかけたら気が付くのよ! なに、体調が悪いの? だったら早く言いなさいよ!』
「……ソキ、ちょっと考え事してたですよ」
『病み上がりで考え事なんてするんじゃないわよ! 熱出たらどうするの? アンタ絶対熱出すに決まってるんだから……ああもう、ほら、横になって! 今日だってここから出ちゃいけないって言われてるんでしょ? 素直に寝てなさいよ!』
 昨日に引き続き、ソキは寝台の上で絶対安静を言い渡されている。場所は変わらず、執務室に続く国王の仮眠室で、ちらりと隣室に視線を向ければ、積み重ねたクッションに腰かけて黙々と仕事を行う男の姿を見ることができた。昨日の話が終わってからの記憶がなんとなく薄いのは、またソキの体調が悪化してしまったからだ。回復魔術も連続して使うと逆効果だから、もう一日は普通に寝てな、とフィオーレはいい、リラックスできるというお香だけを焚いて、今日は傍から離れていた。
 やることのないソキは、だからずっと考えている。
「……リボンちゃん」
『なに? 寝る気になった? おやすみ』
「違うですよ。ソキは……どうすればいいか、分かんなくなりましたです」
 情報量が多すぎて、中々全てを理解することができない。求められるままにぱたりと横になって枕を引き寄せれば、目のすぐ近くまで飛んで来た妖精が、馬鹿にするようにふん、と鼻を鳴らした。
『アンタがやることなんて、今はひとつよ』
「……ねるですか?」
『そうよ、早く寝て、さっさと元気になって、とっとと星降の国に向かうの! アンタ、魔術師になるんでしょう? 旅をするのよ。その為にね! 先のことなんて、そんなに考えるもんじゃないわ。アンタどんくさいんだから、目先のことから片付けていけばいいの。いい? アンタは早く元気になって、アタシと一緒に旅に出るのよ。で、旅に出たらまたちょっと考えればいいわ』
 ほらほら、寝なさいったら、と口うるさく言いながら、妖精の手がずるずると薄いかけ布をひっぱって、ソキの体の上に落とした。ばさり、と音がする。
『あと、アンタが考えるのは、どうすればいいか、なんてことじゃないわ!』
「……なんですか?」
『アンタがどうしたいか、よ。一番の望み。アンタが今一番したいこと! 一番我慢できないことでも、なんでもいいわ。アンタはどうしたいの? なにがしたいの? 言ってみなさいよ。叶うかどうかは別だけど、言わなきゃ誰にも分かんないわ』
 やはり、体が回復しきっていないのだろう。横になると素直な眠気が押し寄せてきて、ソキはゆるりとまぶたを閉じた。誰かを探して伸びた手が、なににも触れずに布の上に落ちる。ぎゅっと体を丸くして、ソキはちいさく呟いた。
「リボンちゃん」
『……なに?』
「……さがしに、行きたいです」
 会いたい。目を強く閉じて告げるソキに、妖精はうん、と頷いた。
『それがアンタの望みなら』
「……会いに行きたいです」
『分かったわ。……ねえ、アンタの兄が言ってたじゃない。楽音の国の国境を越えて行ったって。通り道よ。向かいながら探せるわ。……アンタが考えなきゃいけない難しいことは、今じゃなくたっていいじゃない。学園についてからでも、遅くないわ。好きにしていいのよ。アンタは好きにしていていいの。アタシがちゃんと、連れて行ってあげるからね』
 だから眠りなさい、と頬を撫でてくれる妖精に頷いて、ソキはきゅっと唇に力を込めた。泣きごとなんて言いたくないのに、言葉が勝手にもれて行く。リボンちゃん、と呼ぶと、なに、と返事がかえってくる。目が開けない。眠いのか、怖いのか、分からなかった。
「……考えたことなんて、なかったですよ。ロゼアちゃんが、いなくなる、なんて……ソキは、考えたこと、なかった……」
 いつか、離れなければいけないと知っていた。十五で、ソキは結婚をする。その先には連れていけない相手だと、いつからか教わり、知っていた。あと二年で手を離さなければいけない、大切なひと。国を離れる用事は、これまで何回もあった。いつだってロゼアは、帰ってくるソキを待っていてくれた。おかえり、と言ってくれた。帰りを待っていてくれることが、当たり前だった。なくなってしまうなんて、思ったこともなかった。それはまだ先の話で、それはまだ、知らない時間のことだった。
 怖くて、一度だけ、約束をした。連れていけないことは知っていた。逃げられないことも分かっていた。離れれば、いつか、ソキの知らない所で、誰かと幸せになるのだろう。その幸福だけをひたすらに夢見ていた。将来のことを考えたことがあるとすれば、ロゼアが幸せでいればいいと、それだけだった。知らない場所に、いなくなってしまうなんて、思わなかった。知らない場所に行くのは、ソキだけだと思っていた。それが怖くて、一度だけ。それも怖くて、一度だけ。ソキの知らない所で、知らない相手とこのひとはいつか幸せになるのだと、考えたら苦しくて、耐えられそうになくて。
 約束をした。だから、いなくなるのならソキだと思っていた。いなくなられるなんて、思ったことはなかった。眠りにつく意識が、その言葉を耳の奥によみがえらせる。



『……ロゼアちゃん』
 ざぁ、とどこか遠くで潮騒に似た音がする。砂漠を渡って行く風の音だ。
『もし、もしも……もしも、ソキが、呼んだら』
 痛いくらい真剣に、見つめ返してくれたことを覚えている。
『迎えに、きて……連れて行って、くれますか』
 頬を撫でてくれた手も、抱き寄せてくれた腕の強さも。
『ソキは、きっと、遠くへ行くです、けど……ど、どうしても……我慢ができない、時に、一度だけ』
『ソキ』
『ちゃんと我慢しますです。でも、どうしても、どうしても……どうしても嫌になったら』
 まだ、覚えている。
『……とおくへ、つれていって。ロゼアちゃん』
『うん、分かった。迎えに行く』
 覚えている。
『約束、ですよ』
『うん』
 一度だけ、約束をした。
『……絶対、来てくださいね』
『行く。どこでも行くよ。……ソキ、だから、必ず』
 だから。
『はい』
『必ず、俺を呼んで』
『……はい』
 いなくなるなんて、思わなかった。



 一人きりの、迷子になった気分だった。寂しくて、悲しくて、辛くて、胸の奥がずっと痛い。
『……アタシがいるわ』
 痛くて、痛くて。言葉が、上手く受け止められない。夢うつつに、謝ったような気がした。いつか、どこかへ行ってしまうくせに。そんな風に思いながら、なにかを言った気がした。妖精は怒らなかった。ただ、悲しげに告げる。
『それでも、アタシは……アンタが分かるまで、ちゃんと、傍にいるから』
 眠る顔の近くに、ぬくもりがある。言葉はよく分からない。けれど、その温かさのことなら。信じられるような、そんな気がした。



 体の回復はほぼ終わってると思うよ、とソキから手を引きながら言う白魔法使いに、王は難しげな顔をして占星術師に視線で問いかけた。とてもそうは見えない、という意見に、占星術師は一応同意に頷いてみせる。体をかたく、丸くして眠るソキの目には涙をこぼしたあとがある。少女を守るように寄り添う妖精は、それを拭ってやったのだろう。すこし前に、明日になったらもう出発するんだから、と怒っていた。留め置けても、明日の昼くらいが限界に違いなかった。少女は予知魔術師だ。
 行く、といえば、心から望めば、世界はそういう風に動いてしまう。
「……精神的な打撃を、すこしでも癒してあげられればいいんだけど」
 心が痛いのは魔術でも、魔法でも治してあげられないからなぁ、と溜息をついて、フィオーレは眠るソキの頭を撫でてやった。溜息をつきながら立ち上がったラティが、ソキにぐっと身を屈めて額を重ねると、視線で王に許可を求める。夢属性の占星術師であるラティは、魔力の量が極端に少なく、使える魔術はひとつきりだ。ひとを眠らせ、夢をみせる。たったそれだけ。けれどもラティの使える魔術は確実に、少女の痛みを和らげるだろう。信じて、ラティは息を吸う。
「陛下。夢を、見せてあげてもいいでしょうか」
「……夢だろう」
「夢です。覚めれば幻になる、ただの夢。……でも、幸せな夢は心を温めてくれる。私は、そう信じています」
 だから、と願う占星術師に、王は溜息をついて好きにしろ、と言った。頷いたラティが、ひどく辛そうな顔をして眠る少女に、そっと魔力を流し込む。告げるいくつかの言葉は、子守唄に似た響きだった。静けさが漂う夜、空には星が流れている。



 ソキの旅日記 二十日目
 (日付だけが書かれている)



 ひかりがあふれている。眩しさに、強くまぶたを閉じた。しばらくして慣れた頃、ソキはそっと目を開いた。知らない部屋に立っていた。訪れた覚えのない、見たことのない部屋だ。本棚にはぎっしり本が詰め込まれ、そこかしこに様々なものが置かれていて、整理整頓されているとは言い難い。ごちゃごちゃした印象の、不思議に落ちつく部屋だった。ぼんやりと見回して、ソキはふっと答えを胸に浮かび上がらせる。この部屋を作ったひとは、この部屋を使っているひとのことを、きっと、とても愛している。きらきらした、うっとりするような、喜びと優しい愛に満ちた部屋。そういう空間だった。
 ふと、一人ではないことに気が付く。部屋の奥には机が置かれて、誰かがソキに、背を向ける形で座っていた。この部屋の主だろう。きれいな、白銀の髪をしていた。なにか手紙を書いているようだった。声をかけていいのか分からない。迷っていると、ふと、青年が顔をあげる。ゆったりとした動きで振り返る、青年の瑠璃色の瞳がソキを映し、驚きに見開かれる。耳触りのいい、とうめいな声が、まっすぐな響きで言葉を紡いだ。
「……ソキ?」
 知らない相手だ。けれど、ひとつだけ分かった。青年が向かっていた机には、アクアマリンのあしらわれた武器が置かれていた。その形を、文献でソキは見たことがあった。かつて天才と呼ばれる錬金術師がひとつだけ制作し、今は設計図すら失われている、強力な武器。銃、と名前のつけられたもの。ソキはそれをじっと見つめたあと、青年と視線を合わせて、確信する。大切なものを見る目をしていた。愛しているよ、と伝えてくれる瞳だった。このひとだ。このひとが。
「あなたが……」
「ソキ?」
「……ソキを」
 殺してくれるひとだ。

前へ / 戻る / 次へ