戻る



 ふわっとした時間軸として、『ささめき、ひめごと、そして未来を花束に』までの読了を推奨しますが、展開についてのネタバレはありません。『異形師の花嫁』を読んでいると楽しいことがあるかも知れません。ないかも知れません。なににせよイベント時空なので細かいことを気にせずお願いいたします。イベント時空なので!



2025 お正月



 談話室の扉を開けたロゼアがうわっと引いた声で呻いたので、ソキはもちゃくちゃと体を半回転させ、室内を覗き込もうとした。しかしすかさずぎゅっと肩に頭を引き寄せられ、妖精からもうんざりとした声が降りてくる。
『見なくていいわ、こんなもん……。ロゼア早く扉を閉めなさい。気が付かれるでしょう』
「はい。……先輩方、新年あけまして、おめでとうございました……」
「えぇえ? ロゼアちゃ? リボンちゃぁん。なに? なに? なぁにぃ? ソキも先輩たちにご挨拶する、ご挨拶するですうぅ」
 ぱた、と扉が閉じられ、ロゼアは足早に談話室から離れていく。その腕の中でもちゃくちゃとしながら抗議の声をあげるソキに、妖精はいいからやめなさい、と否定の言葉を重ねて告げた。
『あの部屋の中にはね、今から床に転がる混沌か、もう床に転がってる悪夢しかなかったわ』
「むむ? 先輩たちが新年会をなさっているのでは? ないのです? ナリアンくんと、メーシャくんも、新年会に参加するって言ってたです!」
「あ、うわっ! ナリアン、メーシャ……!」
 反射的に振り返ったロゼアの腕の中、急な停止と旋回にソキがはしゃいだ声をあげる。そのきゃふきゃふした声にも心を和ませた素振りなく、妖精は安心しなさい、と二人に対して言い放つ。
『軽く見ただけだけど、たぶんいなかったわよ。ルノンもニーアもいなかったし、無事に脱出できたんじゃないかしら』
「ルノンくんとニーアちゃん? 妖精さんたちのご挨拶に行ってるんじゃないの? リボンちゃんはどうしてご挨拶に行ってないの? ソキが好きだからお傍にいてくれるの?」
『助けに来てなかったから大丈夫でしょうって話よ。アタシは、アンタたちが新年会に参加してる間にでも行くつもりだったから……どうするの? ロゼア。予定を変更して帰ったら?』
 新年の、人の少ない『学園』はしんと静まり返って、すこしばかり冷えている。吐き出す息を白くしながらそうですね、と悩むロゼアに、ソキはむむんとくちびるを尖らせた。だってメグミカたちはソキに、楽しんできてくださいね、と言ってくれたのに。なんだかよく分からないけれども、どうにも新年会には参加できそうにない気配がしているのだった。どぅっ、と弾けるような笑い声と喧騒が、たまに背に届いてはふんわりと消えていく。どうしたものかと佇むロゼアが結論を出すより早く、ソキはめいっぱい、その腕の中でいやいやと身を捩って抗議した。
「ソキ、ソキまだ帰らないですうぅ! んと、んと、えっと……あ! ナリアンくんと、メーシャくんを探しに行くのは? ねえねえロゼアちゃん? おふたりにも、新年のご挨拶をしなくっちゃいけないでしょ?」
「うん、そうしようか。無事を確かめて帰りたいし……」
『待ち合わせは会場だったんでしょ? 合流のあてはあるの?』
 特にないが、無事に戦略的撤退が果たせているのなら、メーシャならなにか必ず残している筈だ。そう主張したロゼアは、まず寮の部屋へ向かうことにした。メーシャの部屋ではない。ロゼアの部屋である。行先の書き付けでも残されていれば、と思ってのことだったが、果たしてロゼアの予想は正しかった。ドアノブに手紙が一枚、細く折りたたまれて括り付けられており、緩んで落ちたり、風に飛ばされないようにと、ナリアンが祝福をかけた形跡も見て取れた。あ、お手紙です、とソキがはしゃいだ声をあげる。
「お手紙なぁに? ロゼアちゃん」
「んー……? 城下町でお茶してるから、時間があったら来て欲しいって」
「お茶! ソキ、行きたいです! ねえねえ、いいでしょ?」
 体をすり寄らせて甘くねだるソキに、ロゼアはもちろん、と頷いた。妖精にも否やはない。これから『お屋敷』に戻るとなると方々の予定の調整も必要であろうことは妖精にも分かったし、なにより『学園』から離れた方が安全を確保できるのは明白だったからだ。そうと決まれば捕まる前に移動するわよ、と告げる妖精に、ロゼアはなぜか、ほんのりと気乗りしない様子でぎこちなく頷いた。妖精に分かったのだから、ソキがその変化に気が付かない筈もない。目をぱちくりさせて首を傾げられるのに、ロゼアはなんでもないよ、と微笑んで歩き出した。
 二人が書き残した居場所の名は、喫茶『赤星』。魔術師御用達の、ロゼアのちょっとした知人のいる、喫茶店である。



 星降の城下町。繁華街からすこし離れたその場所を、いつしか人は『夜の一角』と呼んだ。静かな夜が常に降り、柔らかく漂いながらそこへ住む人々を包み込んでいる。人の身であれば出口を見失って彷徨い、魔術師であってもふとした瞬間に惑わされるその様を、その場所を、迷路のようだと言う者もある。純白の、背の高い壁が連なる道々は独特で、まさに迷路の様相でもあるのだが、その実ほんとうに、土地がほんの僅か魔力を飲み込んでいることを、知る者はすくない。その魔力は柔らかく、やわらかく、人を守るのだという。そこへ住む者を。そこを訪れる者を。
 喫茶『赤星』も、そのようにして守られた店だった。たどり着くまでの道では誰ともすれ違わなかったものだが、ロゼアとソキと入れ違いに二人組の客が出ていき、店内も半分以上の席が埋まっている。見知らぬ顔も多いものの、だいたい半分が各国の王宮魔術師だった。他にも数人の、『学園』の先輩の姿があり。そして、店の奥。いつもの談話室の定位置に似た、窓辺の席に。机にぐったりと身を伏せる、ナリアンとメーシャが二人のことを待っていた。
「ルルク先輩がね、教えてくれたんだ。ここなら安全だよ、はやくお逃げって……今年は『学園』の新年会素人にはまだ早いから、参加しない方がいいよって……」
「新年会に素人ってあるのか……? ……え? ルルク先輩、ご本人は?」
 店内に姿はない。年末に聞いた予定だと、確かに新年会に参加するとは聞いていたのだが。なんとも言えない不安な気持ちで眉を寄せるロゼアに、ナリアンは顔をあげ、澱んだ目で告げた。
「ロゼアに伝言だよ。『あっ、私は飲むからご心配なく!』だって」
「……うん。うん、分かった、ありがとうな……ありがとうな、ナリアン」
 諸々の感情を全部飲み込んで、ロゼアはどうにかそれだけ言った。額に手を押し当てて息を吐きだすと、ようやっと回復したらしいメーシャが、ふらふらしながら身を起こす。
「なんかちょっとした事故? らしいよ。お酒を飲めない人もね、楽しく過ごせるように組み上げた魔術が、調子が良すぎたとかなんとか……。『結果だけ伝えると、飲むという行為そのものがハッピートリガーになっちゃったから水でも楽しいしお酒だともっと楽しい! ついでに呼吸楽しーい! って感じ! あとで事故報告書見せてあげるからね! 大丈夫、参加者は誰一人として逃がさないで全員床に沈めてあげるから!』って言ってたよ、ルルク先輩」
「あれが、ここは私に任せて逃げなさい、なんだね、メーシャくん……。頼もしかったね……」
「頼もしかったね……。めちゃくちゃワインボトルとグラス持ってたもんね……」
 確かに、とロゼアは思った。思い返せば廊下には誰も倒れていなかったし、寮もしんと静まり返っていた。脱出した者は追わせず、被害拡大もきちんと防いではいるらしい。後で俺も事故報告書をもらおう、と息を吐くロゼアに、てちてちち、とあいらしい足音が近づいて来る。
「ロゼアちゃぁーん! たいへん、たいへん。たいへんですぅー!」
「うん? 大変なの? どうしたの、ソキ」
 深刻さがないのは、ソキがきゃっきゃとはしゃいでいるからだった。ソキは、ぐったりするナリアンとメーシャの為に、すっとするお茶を調合してもらう、とカウンターまで出向いていたのだが。調合が上手くいかなかったにしては、にこにこして、きゃぁきゃあはしゃいで、目がきらきら輝いている。ひょい、と当然のごとく床から攫いあげて膝上に抱きかかえたロゼアに、ソキはきゃぁきゃぁきゃふふっ、ととろけた声をあげて身を捩った。ナリアンとメーシャが、各々、祈るように、目頭に指を押し当てる。
「新年の疲労にソキちゃんが効く……。俺の妹がこんなに可愛い……。いまもう疲労に効くんだから、今後絶対そのうち病気とか怪我にも効くようになる……」
「俺もそんな気がしてきた……。楽しそうなソキって、こう、ふんわりと元気になれるよね……。風邪くらいなら治せるんじゃないかな……?」
 ロゼアは微笑み、親友たちの言葉を聞き流した。普段なら窘めてくれるであろう妖精は、ソキたちが『赤星』に行くのなら、と別行動の最中である。妖精たちにさっと挨拶をしてくる、ついでにルノンとニーア、シディの無事も確認してくる、とのことだった。案内妖精と一度でも呼ばれた者たちは、総じて面倒見が良い。『学園』の騒ぎから誰ぞを助けようとし、妙に巻き込まれている可能性は、十分にあるのだった。ソキは疲れ果てたメーシャを見つめ、ナリアンに首を傾げ、早くリボンちゃんが皆と来てくれるといいですねぇ、とだけ言った。そうだな、と同意するロゼアにふにゃふにゃと笑いかけ。『花嫁』はあっと声をあげ、両手をぱちんと打ち合わせた。
「そうだったです。あのね、ロゼアちゃん。たいへんなの。たいへんなことですぅ!」
「なにが大変なの? ソキ」
 よくぞ聞いてくれました、とばかり、ソキはこくりと頷いた。
「ふくぶ、くろ……? んと、んと、ふく、ふく……福袋? っていうのがね、あるです。おーきいのと、ちーさいのと、とってもおーきいのと、とってもちーさいの! おひとりさまね、ひとつ、買えるんですよ。新年お買い得中身秘密袋なの!」
「なる、ほど……?」
「それでね、それでね! 袋がね、袋がね、すごいの。たいへんなの! すごぉーいの!」
 こんなでね、こんな、こんなでねっ、きらきらで、ぴかぴかしてて、かわいくって、とってもすてきで、それでね、それでね、と興奮して顔を赤らめながら説明してくれるソキをじっと見つめて、ロゼアはうん、と頷いた。
「見に行こうかな。あっち?」
「ソキも一緒にいく! もう一回見て、それでそれで、きゃぁあん! どーれーにー、しーよー、うーかー、なぁーですぅー!」
 福袋、なるものを、ロゼアは知識としては聞いたことがあるのだが。実は見たことがないもので。俺も俺も、とナリアンとメーシャが立ち上がるので。四人は連れ立って、店の奥へと向かった。



 壁一面が収納となり、酒瓶と透明なグラスが並ぶその前。広々とした長机に、とんとんと、ソキのいう福袋が並べられていたのだが。そこには二人の人影があった。一人がふ、と顔をあげて、もう一人に身を寄せながら笑う。
「ロゼア。あけましておめでとう。福袋、買う? ……ああ、ほら、コル。ロゼアだよ。かわいいだろ?」
「ほんとだ。……どうも、こんにちは。いつもありがとうね。はじめまして、店長のコルです」
「はじめまして、ロゼアと申します。こちらこそ、いつもお世話になっております」
 ロゼアがこの店長に会うのは、本当に初めてのことだった。ソキと、ディタの『花嫁』スピカが揃っている間に顔を見せたことはなかったし、普段の営業中も、奥の別室に引っ込んでいたり、仕入れに出ていることが多く、姿を見せたことがなかったからだ。このひとが、という気持ちで、ロゼアはコルと名乗った男のことを見つめた。このひとが。このひとだけの力、だけでなくとも。『お屋敷』から『花嫁』と『傍付き』が逃げおおせるという大犯罪に、手を貸し、力を尽くし、今もなお隠し続けている。
 落ち着かず、ざわりと荒れかけたロゼアの心を、宥めたのは『花嫁』の声だった。それは蒼い露草のような声だった。淡くも、どこか凛とした音楽めいた響き。
「ロゼア! あけましておめでとう。あのね、お得なの。お買い得なのよ? 説明を聞く?」
 カウンターの向こうから。ぴょこん、と顔を出してにこにこ笑うスピカに、ロゼアは思わず笑みを零した。他の言葉なら難しかったかも知れない。けれども、挨拶の次に真っ先にお得だとい言葉葉は、どこへ嫁いだ『花嫁』だとしても、中々そうはならないだろう。スピカは頬を赤らめて、楽しそうに目を輝かせている。地に足をつけて、生きている。経緯はともあれ。あの場所が慈しみ、本当に、本当に、心からその幸いを祈った『花嫁』が。損なわれずに、生きているのだ。
「あっ心配しないでね? そっちの子たちにもね、ちゃんとはじめまして、をしたのよ。ディタの奥様のスピカですって。えっへん」
「そうだったのですね。……メーシャ、ナリアン。ええと」
「ロゼア。俺はね、色々あるんだろうなって思ってるよ」
 どう言ったものか、と口ごもるロゼアの肩を、メーシャが叩いてそう囁いた。それだけで、もうなにも聞かないで、言わないでいる。ナリアンも同じようで、視線はすっかりカンターに置かれた福袋に注がれていた。ソキに非常に類似した雰囲気の存在については、そこにあるがまま受け止め、それ以上をあえて知ろうとはしないでいてくれていた。ほ、とロゼアが息を吐く、その腕の中で。ソキはじっと『傍付き』を見つめ、メーシャ、ナリアン、ディタ、コル、スピカの順番に視線を巡らせて。ん、と淡くくちびるに力をこめ、なにやら納得したような仕草で、こくり、とあいらしく頷いた。
「ロゼアちゃんのソキです! スピカさん? あけましておめでとうございますですぅ!」
「うふふ。挨拶は何度したっていいものね! ロゼアのソキ、今年もよろしくね」
「ふふん。うふふん。きゃふふっ、えへへへへん!」
 どやぁあああっ、とばかりふんぞり返るソキを大切に抱きなおし、ロゼアはす、とディタとコルに視線を向けて目礼した。男たちはくすくすと笑いあってロゼアの機微をやさしく受け止め、ありがとうね、とだけ告げ。さて、と手のひらで、並ぶ福袋を指し示した。
「それじゃあ、スピカの説明を聞くといいよ。スピカ、お願いできる?」
「もちろん、まかせて!」
 気合いっぱいな返事を響かせ、スピカがカウンターの向こう側で椅子に座る。必要な時だけそうして、椅子に座って姿を見せるようにしている、とのことだった。なるほど、とロゼアは、ディタとコルがカウンターから一歩も動かないでいる理由を理解した。なんのことはない。護衛である。おめでたい時とかにはたまぁに、スピカもこうして店員さんをするのよ、と慣れた風に告げてから、蒼い露草めいた声がなめらかに紡がれていく。
「砂漠には無い文化だから、福袋ってなぁに? から説明をするね。これは楽音の極東地域と、星降の南の一都市にだけある商習慣で、新年の初売りの時期につくられるものなの。最近は星降の首都でもちょこちょこ出すお店が増えてきたから、見知っている方も多いかな? 袋の中には前もってこちらが商品を色々入れてあります。中身はないしょよ。開けてのお楽しみ。袋の大きさでお値段が違うから、お好きなものをお選びください。食品と、茶葉と、小物が入っています。それでね? 喫茶『赤星』の福袋は、今年は特におすすめなの。なんでかっていうと、見てもう分かると思うんだけど、この袋はコルくんが選んできたの。袋に運命を感じちゃったやつなの」
「……あの、まさか、もしや、この袋のきらきらしたやつって」
 ナリアンがそろりと手をあげて質問をする。ナリアンが見ていたのはちいさな布製の福袋だが、大きめの四角いポーチの形状をしている。ファスナーで開閉をする作りで、色とりどりの糸で花と植物模様の刺繍がなされた、非常に華美な一品である。ナリアンが示したのは、その花模様のひとつ。ポーチの前面の花のひとつだけに、朝露のように。おおよそ一ミリ程度の、ごくちいさな石が縫い付けられている。お目が高い、とコルが嬉しさにはにかんだ笑みで囁く。
「ダイヤモンドだよ。いくつか種類があるから、好きなものを選ぶといい」
「ねぇメーシャくん助けて! この値段であってはいけないことが起こってる!」
「お買い得という言葉の範囲を超えているような値段設定ですがこれは……?」
 まず確認からしないと、という占星術師の義務めいたひきつる声に、それでもスピカとディタは、正しく、視線を交し合って苦笑した。コルだけが嬉しそうに、にこにこと笑っている。
「知り合いが困っていてね、格安で引き取ったんだよ。数がすくないから、ご購入はお早めにね」
「すみません。ナリアンとメーシャが聞きたいのは、明らかに値付けが石の値段の半分にも満たないのですが? ということだと思います」
 ロゼアが挙手をしながら口を挟むと、カウンターに肘をつき、ふぅ、とスピカが息を吐いた。
「ね。そうなの、困ったね。……駄目よって言ったのに、コルくんったら勝手に縫い付けちゃうんだもの。せめて硝子とか天然石とか、他のにしましょうって、スピカはちゃぁんと提案したのよ? もう! ディタがちゃんと止めないからよ?」
「俺は止めたんだよ、スピカ。でも、この袋にはこの石じゃないと絶対に駄目だし嫌だし許せないって駄々こねられて……。目を離して一人にしたのだってほんの五分程度だったし……。戻ってきたらぴかぴかの笑顔で、ディタ見てごらん! できたよ! 素晴らしいだろう! って差し出されたら、もう取りなさいとは言えないだろ……?」
「もー、ディタはすぐそうやってコルくんを甘やかす……! でもスピカは怒りますからね! めっ! コルくん、めっ。めっ、よ!」
 うんうん、ごめんね、とにこにこ機嫌よく、コルは笑っている。んもぉーっ、とスピカの怒り声が響いてるが、効果は薄そうだった。ロゼアはなんとも言えない気持ちになりながらも、目をきらんきらんに輝かせるソキを見つめて。気を取り直して、ソキはどれが欲しいの、と問いかける。ソキは四種類ある福袋をじっくり見比べては、うぅん、と楽しそうに悩んで、足をちたぱたさせてはしゃいでいる。ううん、うむぅーん、どうしようかなですぅうう、とふわふわした声が漂った。
「一番おーきぃのは、革鞄でとてもしっかりしてて細工がすばらしですしぃ、ちょっと大きいのは布の鞄で刺繍の模様がとっても綺麗ですしぃ、ちょっと小さめな紙袋は絵具と万年筆で絵が描いてあってすばらし! ですしぃ、ナリアンくんのお布のポーチもとてもすごぉくかわいいです。うーむむむむむ? お揃いにしてもよいやも……で、でもでも? ふにゃぁあん決めかねるですぅう! もーちょっと待ってて、ロゼアちゃん。待ってね、待ってね」
「うん。大丈夫だよ、ソキ。ゆっくり考えていいんだからな。……ナリアンは、それにしたんだ? ポーチ」
「うん。机の上の小物を整理するのに、ちょうどこれくらいのが欲しいな、とは思ってたから。……帰ったらすぐ保護魔術を調べて、汚れとかつかないようにするんだ……!」
 やったーお買い上げありがとうございまーす、とのんきこの上ないコルの声の声を聞いて、ソキも覚悟が決まったようだった。うん、うん、と何度も頷いたあと、きらきらした喜びでいっぱいになった目で、ソキはロゼアにあのねぇ、と言って。これにするです、とひとつの福袋を指差した。
「ソキ、ナリアンくんとお揃いポーチにするです! これにね? 授業に使うね、筆記用具を入れて持ち歩こうと思うです。ソキ、ちょうど新しい筆箱欲しかったです! 一粒だけきらりんとしててとっても可愛いですからね。きゅふふふん!」
「毎日使ってくれるの? 嬉しいな、ありがとうね」
「どういたしましてですぅ。ソキねぇ、これ。こっちの、この子にするです。じつはぁ、見た時から、もしかしてこの子はソキのになりたいんじゃないかな? と思ってたんでぇ」
 ソキが嬉しそうに指差したのは、まぁるい朝露に見立てられたダイヤモンドがきらりと輝く、深緋を基調色としたポーチだった。それに、淡く輝く銀糸で、植物や花の模様が縫い付けられている。刺繍の色こそ同一だが、ナリアンのものは深藍色を基調としたものであるので、随分と印象が違う。お揃い、おそろいっ、とはしゃぐソキにほのぼのとしながらも、今更こわごわとポーチを手にし、ナリアンがそーっと問いかける。
「ところでこのポーチの刺繍って……なんとなくソキちゃんの描くものに似てないですか?」
「そう? もしかしたら参考にしたかも知れないね。刺繍は、元は無地の所にね、俺が縫い付けました。というか、基本、装飾は全部俺がしてるから、数が作れなかったんだよね。福袋も、四種類合わせて十個しかないし……皮鞄はひとつきり、あとの布鞄と紙袋、ポーチが三つずつ。あぁ、でも売れてよかった。なんかね、誰も怯えて買ってくれないんだよね?」
「え、と……? 革鞄の細工と、紙袋の絵も、貴方が……?」
 どれも、全て、精緻でうつくしい。見事な腕を持つ職人の手を経て出来上がったものだと、ロゼアとソキの目を通しても思わせる。え、と驚きを零すメーシャに、見ていたスピカがくすくすと笑った。
「コルくんはね? わたしたちの喫茶『赤星』の店長さんで、仕入れもする商人さんで、それで、ちょっと気難しい細工師さんなのよ。本業は店長さんだから、細工師さんは趣味……? みたいなもの、なんだけど。気が向くとね、こうなるの。気が向かないとなんにもしてくれないんだけど……ね? コルくん?」
「その言葉に、自分から同意をするのはちょっとね……。というか、なにもしないってことはないだろう? そうだよね? ディタ?」
「うーんと……。あ、先に福袋のお会計しようか。食品と茶葉については、いかなる理由があっても返品交換は受け付けておりません。小物だけ、例えば破損とか、明らかな初期不良があった場合だけ検討するから、持って帰る前に席で確認してくれると嬉しいな。よろしくね」
 三人の間でくるくる会話が回ったり、逸らされたりしていく様は見ていて心地よく、なんだか飽きないものだった。ソキものんびりと分かったですぅと頷き、スピカとコルにあれ、ねえ、ちょっと、と突かれているディタに機嫌よく笑った。その笑みを、三人がどこか見知った風に眺めたことも知らず。ソキは初めての福袋に心を弾ませて、ありがとうございますですよ、と言った。



 カロンコロン、と音をさせて戸鈴がなり、魔術師のたまごたちが連れ立って歩いていく。その背が見えなくなるまで手を振って見送って、スピカはうふふふ、と口に両手を押し当てて笑った。
「ソキったら、笑った顔がラーヴェそっくり! ……あーあ、帰っちゃった。もう一時間もすれば、とっておきの二人が新年の挨拶に来たのにねぇ?」
「まあ、閉店時間を超えてだらだらと残るような子たちではないからね。……教えてあげなくてよかったの? コル。ダイヤモンドの仕入れ先……仕入れ先というか、出所というか? 刺繍の図案のこととか」
「それ実は、君たちのよく知る砂漠の筆頭が宝石商に貢がれた大粒のダイヤモンドを砕いた残りで、刺繍の図案は君たちのよく知る『傍付き』を退職した男が酔って手慰みに描いたヤツだよって? しかもソキちゃんが選んだポーチについてる一粒は、面白がったラ……元『傍付き』が研磨したヤツだよって? すごいよねぇ、さすがは『花嫁』さん。出した瞬間に、もうあのひとつしか見えてなかったもんねぇ」
 これはなんだか絶対ソキのもののような気がぁ、するんですけどぉー、と眉を寄せてあいらしく唸っていたのだった。くすくすくす、とまた笑って、スピカはああ楽しいねえ、と声をあげる。それから『花嫁』は、厳かな祈りの形にそぅっと手を組んで目を伏せると、いい一年になりますように、と囁いた。不意に、カロン、戸鈴が鳴る。顔をあげて視線を向けて、来客に、スピカは心からの笑みで早かったのね、と言った。



 魔術師のたまごが、担当教員以外の教師からも、授業を受けて学ぶように。かつて『花嫁』未満だったソキにも、ロゼア以外の教師というものが存在した。その最たるものが絵を描くことだが、刺繍の図案を作ることに関しては手芸担当の他にもうひとり、ソキにそれを教えてくれたひとがいる。学ばせる、というよりは優しく。教え込む、という程にはしっかりとしたものではなくとも。母を失って泣きぐずるソキをそっと膝の上に抱き上げては、穏やかな愛で包みこんでくれた人。時にその声は物語を語り聞かせ、歌を紡ぎ、その手は針仕事を苦にもせず、よく動いた。
 ソキはよく覚えている。その手が針と糸を操って、布を服に仕上げる所も。その服に糸を置き、植物や花の模様を縫い付けていく様も。その為の構図を紙に描いていく万年筆の、微かな音も、インクのにおいも。覚えている。だから。ナリアンがそれを、似ている、と言った時。ソキは驚きもせず、意外にも思わなかったが、それを違うともそう思うとも、口にすることはしなかった。もし、もしも、本当に、それがそうなら。似ているのはソキではない。
 ソキが、それに、似ているからだ。
「……ふんむむむ」
 しかし、刺繍そのものを施したのはディタである。それは間違いのないことだろう。針の運びの癖も、糸の置き方も、ソキの知る懐かしさとは違っていた。もしも本人が刺繍していたとすればソキにはすぐ分かったし、もしかしたらロゼアも、見れば気が付くものがあったかも知れない。同じレシピを使っても、料理人が違えば仕上がりにはどうしても差が出てしまう。だから刺繍をじっと見つめても、ソキの口から零れていくのは答えへ辿り着けない困り声であり。ぴん、とは来ない気持ちが広がるばかりなのだった。
「うーん……うーん……? でも、でもこれは……でも、でも、でもぉ……!」
『ソキ。まだやってるの?』
「まだじゃないもん。今日は一回目だもん」
 呆れ果てた声の妖精に、ソキはくちびるをつむんとさせて言い張った。かれこれ一週間、時間を見つけては悩んでいるのは確かなことだったが、ずっとそればかりしている訳ではないからである。昨日は昨日、今日は今日であることだし。へりくつ、と怒った妖精に頬を突かれるのを嫌がりながら、ソキはポーチをぎゅっと胸に抱き寄せる。
「だってぇ、とっても気になってるんですぅ!」
『だから、ロゼアに言って調べてもらうか、直接店に行って聞けばいいじゃない? この刺繍の図案を描いたのは誰ですか? って。簡単でしょ?』
「そうなんですけどぉ……。でもでも、これはもしかしたら、ソキのとっておきになるような気がしているですからぁ……。ロゼアちゃんにも、ディタさんにも、もうちょっとないしょに……ソキがもしかしてって気が付いて、特定しようとしてることが、バレないよにしないといけないんですぅ……!」
 眉を寄せてもごもごと言い募るソキに、妖精は腕を組んではぁん、と言った。なぁにそれ説明なさい、と求めると、ソキはきょろきょろと室内に視線を巡らせた。なんの変哲もない、寝台の上から見える、いつものロゼアの部屋である。部屋の主は朝食前の鍛錬に行って不在で、普段通りなら、もう三十分ばかりは戻らないだろう。ロゼアは当然、ソキがなにかに悩んで探そうとしていることまでは、把握しているようなのだが。具体的になにがどう、という特定までは至っていないらしい。似てるって言われたのが気になるんだろうな、くらいで終わっていなければ、すこし拗れてしまうことくらい、ソキにだって分かるのだ。だから、ことさら、不在を確かめて。
 ソキは妖精に口元を寄せ、こしょこしょぽそそ、と淡く響かない声で、とっておきの秘密を共有した。
「あのね、これはきっと、パパなの。ラーヴェなの」
『……うわっ』
 全力で引いた声をあげる妖精に、ソキはなんでですかぁ、と頬をぷくりと膨らませて。真剣なまなざしを、ポーチに、そこへ施された刺繍へ投げかけた。
「ラーヴェとディタさんは、もしかして仲良しさんなのかもです。でも、でも、それを聞いたり……その情報を、特定して、使うのは。今じゃないです。今はまだね、駄目です。とっておきにするの。とっておきの、とっておき……だから、聞いちゃ駄目なの。ソキが気が付いたことに、気が付かれてもいけないの。ロゼアちゃんにも。ディタさんにも、コルさんにも。スピカさんにも、ですよ。……その時が来るまで、置いておかなくちゃいけないです。その為にも、なんとか、ソキはこれは絶対ですって、思って……。うぅん……」
『……ソキ? なにか企んでるわね?』
「リボンちゃ? ちがうの。ソキはぁ、おこってるの」
 のんびり、まったり、やわやわと響く『花嫁』の声で。甘くくすぐったい印象の響きで。ソキはぷー、ぷー、ぷくうぅう、と頬を膨らませ、もう一度、ソキはおこってるの、と言った。
「らヴぇも、でぃたさんも、ソキは気が付かないと思ってるの。だからこういう、うかつなことをするの。ラーヴェは、『お屋敷』をやんやして、ソキにお手紙だってくれないのに、リトリアちゃんにはお手紙をするですし、リトリアちゃんにはもっちりうさぎちゃんをくれるですのに、ソキにはこっそり、こっそりこういう、気が付くかな? 気が付かないかな? 気が付かないよね? みたいなことをするの。ソキはおこたの。とてもとてもぷん! なの。おこってるの。わかる?」
『ああ、はい。そういう……。分かる。分かったわよ、ソキ。すこしずつ情報を拾い集めて、長期的な罠を張って、絶対に逃がしてやるものかっていうことね?』
「そゆことですぅう! ふんぎぎぎぎ! もー、おこた! ソキはもぉーおこったですからねぱぱぁあああ! ソキはいつまでもちーちゃい『花嫁』なんじゃないもん! らヴぇのちぃちゃい蜂蜜可愛いさんからせいちょーしたんだもん! りっぱな、一人前の、まじちしのたまごなんですぅううううにゃぁああ! ぜったい、ぜったい、ぜったい、見つけ出して、逃げられないよにして、お兄ちゃんにも言いつけて、もおぉおおらヴぇ! いじわるされた! ソキはパパにいじわるぅを! されてる! もうもうもう、やんやですぅうう!」
 魔術師の卵と内心を共有する妖精は、腕組みをすると無言で首を左右に振った。なにか大事なものをいくつか賭けてやってもいい。誰の予想より、遥かに、ソキはめちゃくちゃに怒っている。ふんふん鼻息荒くポーチをためつすがめつ観察し、ソキはやがて、ぱち、と瞬きをした。己の記憶をまなうらに強く。描き、そして。捉えたそれを、逃さぬように。ソキはポーチを膝の上にぽんと置き、そこへ縫い取られた花のひとつを、指先ですいと撫で上げた。一粒の宝石のきらめく、その花を。ポーチをひっくり返して糸を引っ張り、なにかを確認して。ソキはうん、と一度、しっかりと頷いた。
「ラーヴェです」
『……なにか分かったの?』
「これね、石を縫い付けるので、他の花とは縫い始めの糸の方向がちょっとだけ違います。ひとさし、ふたさし、こうするように、図案に指示があった通りだと思うです。これはね、『お屋敷』で教わるのとはちょっと違うの。こうした方がラーヴェがやりやすいからっていう、パパの癖なの。ソキもこのやり方はしないですし、他には見たことないです。……飾りを後から縫い付ける時だけ、そうするの。ソキはちゃんと覚えてるです。これは……これは、たぶん……ううん、絶対、大丈夫です。これは、言い逃れのできない証拠、というやつです。ソキは、パパに刺繍を教わったあと、間違ってる? じゃないですけど、癖とか、そゆの、だめよって教わりなおしたですから。ソキはもう忘れちゃってると思ってるにちぁいないです。……ソキはおこたですよ、パパ。いかりしんとうというやつです。このいかりわすれてなるものかです」
 ふんわかふんわか響くだけの、ものすごい怒りがそこにあった。ぜったい、ぜったい、にがさないですからねぇええ、とぷるぷる震えながら言い放ち、ソキは唐突に、しゅぱっとばかり両腕を上に持ち上げた。
「ロゼアちゃんおかえりなさい! だっこぉだっこぉだっこおお!」
「ど、どうしたんだ? ソキ。ソキ、ソキ? どうしたの」
 扉を閉めて振り返ったばかりのロゼアが、慌てて歩み寄ってくる。ぱっと抱き上げられると猛然と体を擦り付けて、ソキはふしゅる、と膨らんでいた頬をしぼませた。
「あっでも? 福袋は楽しかったですね、ロゼアちゃん! またしたーいです」
「うん? うん、そうだな。楽しかったな。……ソキ、なにか嫌なことあったんだろ? なに?」
「嫌なこと? やなことはなかったですよ、ロゼアちゃん」
 きょと、としてロゼアを見つめるソキに、『傍付き』の不可解そうな観察が向けられる。しかし、嫌なことがなかった、というのは『花嫁』の本心である。結局、怖い夢でも見たのかな、という所で落ち着いて、ロゼアはソキを抱きなおした。そして、それから、いつものように。おはよう、と囁かれたので、ソキはうっとりと笑って朝の挨拶をした。


 ***


「っ……く、くしゅ」
「わー。ラーヴェがくしゃみした! めっずらし」
「ほんとだ。なんだろうね? 誰かに噂されてるとか? 心当たりは?」
「ない」
「一誹り、二笑い三惚れ。四は風邪、だっけ? もう二回くしゃみさせとく?」
「やめなさい、なんで三回にしようとするんだ。せめてそこは四回では?」
「え? ラーヴェ風邪引いたの? 大変だね大丈夫? 今すぐ帰ってスピカにうつる」
「風邪ひいてないが?」
「そうすると、誹りかー。……誰かになんか悪いことでもした? 心当たりいっぱいあるねぇ、ラーヴェ?」
「他人事なのが腹立たしいな……十件あれば十五件は共犯だろう? ジェイド」
「君たち一人で悪だくみとかできない感じ? 仲良し?」
「いや? 罪の分散は基本だろう?」
「俺たちは仲良しだよねー、コル?」
「仲良しだよねー、ディタ」
「別にそこは否定してな……ジェイド、悲しい顔するのやめてもらっても?」
「ジェイドかわいそ。慰めてあげよ」
「ラーヴェひどーい! ジェイドのこと弄ぶのやめなっていつも言ってるのにー!」
「いいんだよ。俺が本命じゃないのは知ってるし……。俺たちはお互に本命のいる、割り切った関係だから」
「それはそう」


 どばっ、とあふれかえるように笑い声がある。酔っ払い四人の相手を早々に放棄していたスピカは、ひとつ机を離した席で、ひとりゆったりとそれを眺めて。まったくもう、と肘をついて、心から深くため息をついた。
「わるいひとたち!」



戻る

 ←メッセージボックスです。読んだよ、の気持ちなど頂ければ

 <お話読んだよ!ツイートボタン。ツイッターで読書報告できます。