おはなしの時系列として ソキ編『希望が鎖す、夜の別称:47』【完結!】 → ロゼア編『緊急職員会議』 → ソキ編『ささめき、ひめごと、そして未来を花束に:01』(このおはなし) になりますので、この順番での読書を推奨いたしますが、読書順はご自由にお楽しみ頂けます。
言葉にならない渇望は、その姿を目にした瞬間やわらいだ。
「あ、もう! 寮長ー!」
「……ウィッシュ」
「俺、怒ってるんだからなー! なにしてるんだよ、もぉー!」
言葉の通り、ウィッシュは怒っているらしい。普段なら甘く苺めいた輝きを発する瞳は、そこに宿る意思に、硬質な柘榴石を思わせた。戸口に見張りがいるからだろう。ウィッシュは扉を閉じはせず、半開きにしたまま、とてとてと保健室の中に入って来た。清潔な、消毒された匂いの中に、ふわふわとした香りが満ちる。咲き誇る花のかぐわしさ。思わず眉を寄せる寮長に構わず、ウィッシュはぽすんっ、と音を立てて寝台横の椅子に腰かけた。たしたしたしっ、と兎が足を打ち付けるような仕草で、靴底が床を叩いている。
「ばか、ばかっ! 寮長のばか!」
「……お前、熱出して寝てたんじゃないのか?」
「白魔術師にお願いして、熱下げてもらったの! 寝てる場合じゃないだろ! あぁああもぉおおおお俺だって先生! 先生なのに! なんで緊急職員会議だけど寝てていいよとかなるんだよエノーラのばかー!」
お前そのお願い断らせないヤツだろ多用すんなよ、という小言を喉の半ばまで出しかけて、寮長はぐっと口に力をいれて堪えた。今はなにを言おうとも、言葉が正常な意味を帯びることがないだろう。それだけのことを言って、成した、という自覚がすでにある。深々と溜息をついて脱力する寮長に、ウィッシュはくちびるを尖らせて、ぐちぐちと言葉を投げかけた。主な関係者一同が招集された会議に欠席させられたことが、よほど気に入らなかったらしい。コイツ恐らく勝手に抜け出してきたな、と思いながら、寮長はその言葉を受け止めてやった。
俺だって先生なのに、というかロゼアとソキのことなら俺を呼ぶのが一番だろ、ルルクがいるにしても『お屋敷』のこととか、『傍付き』のこととか、聞くなら俺がいいに決まってるだろ、熱だってそんなちょっとあっただけで寝込んではいなかったし、それなのに会議があったからとか、欠席にしておいたからとか、そういうのはいけないだろ、と拗ねて怒ってふんわふんわと繰り出される言葉の数々に、寮長はそうだな、と頷いてやった。ウィッシュほど当事者に近い王宮魔術師はいない。
他にいるとしても、それは砂漠の筆頭だ。先日、城を出てまた国内の巡回に戻ったのだという男を呼びつけるのは非常に困難であるから、現実的な問題として、ウィッシュを頼るのが一番だというのは正解である。正解ではあるのだが。文句の言い過ぎで軽く息切れを起こす『花婿』に、それでも、と寮長はため息交じりに言ってやった。
「無理にお前を呼びつけて、事情を話させて、体調を悪化させるほどの事態ではない、と判断された。それだけのことだ」
「それっくらいの事態だよ! ばか!」
その判断そのものが砂漠を、『お屋敷』を、宝石と『傍付き』の繋がりを軽んじている。目を怒りにきらきら輝かせて言い放つウィッシュに、男はそうかもな、とため息交じりに頷いた。いや、実際に、そうなのだろう。『学園』は『お屋敷』に対して無知である。知っていることはいくつかあるが、それがどれくらい重要で、どんな意味を持つのかを理解していない。砂漠の民は信仰めいた厳かさでそれを詳細に語ることはせず、とうの『花嫁』『花婿』たちは、説明能力そのものに問題がありすぎた為だ。
そもそもウィッシュに『傍付き』とはなんぞや、と問うたとしても、得られる答えは詳細な情報ですらない。実際に、幾度か問うているのだ。寮長は。お前がそんなにも恋しがる『傍付き』とは、どういう存在なのか、と。それは立場であり、人物であり、外見であり、そのひとに対する説明を求めてのことだった。あのね、とウィッシュがめいっぱいはりきって自慢した所から、寮長が得られた情報は数えられるくらいのものだ。
女性。ウィッシュより年齢が上。呼び名がフィア、名はシフィア。つよい。やさしい。かわいい。すごい。すき。そういうのじゃねぇんだよなぁああ、と寮長が頭を抱えて説明を遮るたび、『花婿』は言い足りないのに、と言わんばかりに頬を膨らませた。在学時代はその繰り返しであり、卒業して『学園』が別の『花嫁』を迎え、実際の『傍付き』というものを目の前にしてもなお、さしたる進展は見られなかった。砂漠の民はますますそれに対して口を閉ざし、祈りのような眼差しを向けるだけに留まった。
そもそも、砂漠以外の出身者からしてみれば、実在していたのか、という程のものが『砂漠の花嫁』であり、それに付き従う従者である『傍付き』である。『旅行』と呼ばれる顔見世を行う宝石たちとは違い、そもそも『傍付き』は在職期間、国から出ないし、もっと言えば『お屋敷』から離れることすら稀なことだ。そして『お屋敷』から離れた『傍付き』には守秘義務が課せられ、嫁いだ宝石たちは滅多に人前に出ることがない。高額な富のように、そのものとして。大切にしまい込まれる。殆どの場合は。
さりとて金銭の流れがあり、それによって砂漠の国が、民が生き永らえているのは純然なる事実である。いるんだろうな、くらいには感じていても、いざ目の当たりにするとぎょっとする、というのが他国出身らの共通した意見だった。そこから、それでは彼らはいったいなんなのか、という疑問を持つ者は多い。生きた輸出品と呼ばれる存在と、彼らを作り上げた技工士。砂漠の民は、彼らについて多くを語らない。ただ尊い祈りを胸に抱く、神聖なものを語る響きの声で、砂漠の恵みである、そう告げる。
なるほど、とだいたいの者が、そこで理解の足を止める。そこに神聖な、侵されざるものを感じるからだ。踏み込んではいけないのではないか、と思ってしまうからだ。立ち行ってはならない事情があるのなら、それは尊重されるべきである、というのが魔術師のたまごに多くある認識だ。秘されるべきだと思われることなら、好奇心で暴きに行くものではない。その認識がひっそりと、暗黙の了解として『学園』に、そして訪れる教員たちに、そこから王宮魔術師に、拡がっていくのは早かった。
その判断は正しいとは言えず、間違っているとも声をあげにくかったが、あえて暴いて波風を立てるのは、彼らは問題を起こしすぎていた。『花婿』たるウィッシュは、『学園』に来るまでに花舞の地を呪いで穢し、数十人ものひとをその手で殺めている。今も続く呪いは、地を腐らせ水を濁らせ、風を澱ませ続けている。『花嫁』たるソキは、『学園』に来るまでの旅路で一度消息を途絶えさせ、在籍してからも、その身体の弱さ、あるいは性格、あるいは性質によって、大小じつに様々な問題を起こし、時に騒ぎの中心にすらなった。
そして『傍付き』たるロゼアは、『花嫁』にそうした問いが向けられることを、明らかに歓迎していなかった。その状態で。どうして理解が深まるだろう。砂漠の出身者、関係者たちは一様に口を揃えて、寮長や『学園』の無理解をなぜ、と糾弾し続けている。それはあくまで、正しい。『学園』は、寮長はあまりに理解を欠いていた。無知で、彼らの関係性や、立場を軽んじていた。それは正しい。認めよう。しかし、と寮長は額に指先を押し当て、深く長い息を吐き出した。
それだけの下地を作り上げたのは、関係者の日ごろの行いである。言動そのものであり、意識、ふるまい、そういったものである。触れてはならぬ、という空気を作り上げておきながら、なぜ理解してくれないのか、と声をあげるのは如何なものか。無理解を詰るなら、その前に、理解して欲しいのだと言葉は尽くしたのか。そうしないで。そうもしないで。傷ついたのだと一方的に、攻撃して声をあげて、こちらが悪なのだと断じるのなら。そんなことは許さない。それは許されてはいけないことだ。受け入れてはいけないことだ。
つまるところ、現在の『学園』における生徒や教員たちの対立は、全てがそれに尽きた。通常ならば思いやり、配慮の結果としてあっただけのことが、突然なにもかも噛み合わなくなったのである。その引き金を引いたのが寮長であり、ロゼアだった。いつか起こる可能性のあった、事故だった。それに加えて寮長には、いま、はきと自覚した個人的な問題がひとつある。男は、頬をふくらませてぶんむくれて怒る『花婿』の、そのあまやかに編み上げられた名を、どこか慎重に唇に乗せた。
「ウィッシュ」
「なんだよー。ばかー。俺は怒ってる、怒ってるんだからなー」
「お前、ソキが『学園』に来てしばらくしてから、俺と二人になるの避けてただろ。理由は?」
ぴた、と分かりやすく。ウィッシュの動きが止まった。『花婿』の柘榴色の瞳が、そろ、とあたりをさ迷って言葉を探すさまを、寮長はため息をつきたい気持ちで見守ってやる。気が付かれていないと思っていたのなら、随分と馬鹿にされている。腹の底にすえた冷える、それでいて熱のような怒りを持て余しながら口をとざす寮長に、ウィッシュは、えーっと、と声をあげた。えーっと、えーっと、と気まずそうに繰り返して。やがてウィッシュは、しょんぼりと、うん、と言って頷いた。
「避けてました……ご、ごめんね……?」
「謝れとは言ってない。理由は?」
「う、ううぅ……。あの、あのな、先に言っておくと、あの、りょうちょがわるいわけじゃないんだよ……? 俺が、あの、いけないと、いうか……。俺が、我慢できなくなっちゃったって、いうか……その……」
うー、うー、と言いにくそうに唸った後、ウィッシュは視線を逸らしたままで、だって、と言った。拗ねきったソキと同じ言い方だった。
「ロリエスまでなら我慢できたんだけど、だって、ナリアンのことも構うから……」
そうか、と反射的に頷いて、シルは隠すことなく頭を抱えた。ナリアンを構うのには、本人には通達していないだけで、正当な理由がある。そうしたい、という興味関心からではなく。それも多少あるのも本当なのだが、実際は、そうしなければいけない、といった類のことだ。しかしそれを、ナリアンより先に、ウィッシュに知らせる訳にはいかなかった。事情と理由がある、と前置きした上で、寮長は真剣な顔で、ゆっくりと首を横に振った。
「お前それ絶対にナリアンに聞かれるなよ……? 発狂されるからな……?」
「むううぅう! 分かってるよー、もー。とにかく! ……とにかくさぁ、それでもう、分かっちゃったんだよね。ロリエスの時点で分かってたんだけど、いよいよ本当にそうなんだなーっていうか」
なにが、とため息交じりに問う男に、『花婿』は拗ねきった目を向けた。だって、と柔らかく響く声が、まっすぐに投げられる。
「寮長は俺のになってくれないだろ。……俺を一番にすることも、俺だけを一番にすることも、してくれないだろ。そーゆーこと」
「……遠回しに振られてる気分になるんだが?」
「遠回しに振ってるもん」
ふたりきりになるの、やめたの、そういうことだよ、と『花婿』は言った。だってどうしてもできないだろ、と首を傾げる。ウィッシュが求めるのは、一番で、そして、唯一だ。多数の中の一番では、ない。そしてそれすら、嘘ですら、目の前の男はしてくれない。シルの一番は、唯一のひとは、ロリエスだ。それはずっと分かっていた。分かっていて、でも我慢していたのに。そこにナリアンが加わったので、ウィッシュは男を諦めることにしたのだった。つたなく、そう説明するウィッシュに、寮長はそうか、と息を吐く。
「いやお前それぜっ……たいに、ソキにも聞かれるなよ……? あと砂漠の筆頭もやめて欲しい。ロゼアも」
「分かってるよ。俺だって言いふらしたりしないよ。……聞こえもしないよ。大丈夫」
ふ、とあまく唇を和ませて笑う『花婿』は、風の魔術師。言葉が見張りに届く前に形を解くことなど、術式を発動させずとも容易いのだろう。お前そういう悪いトコばっか上手になるな、と感心半分窘める寮長に、ウィッシュはくすくす、と肩を震わせて笑った。
「魔術師としての俺を、育てたのは寮長だよ」
「お前の担当教員した記憶はないが?」
「ものの例えだよー。ばかー。そうじゃなくて。……そうじゃなくて。寮長さ、言ってくれただろ。魔術師になれって、俺に」
熱を出して寝込んだ時とか。色んなことが上手く行かなかった時とか。助けてくれる『傍付き』がいなかった分、俺はもしかしてソキより崩れやすかっただろ。体調も精神も。色んなトコ。でもそのたび、怒ったり呆れたり心配したりしながら、ずっと一緒にいてくれて。諦めなかっただろ。あんまり理解してくれてないトコとかあるし、分かり合えないこととかあるし、未だにあるし、でも、それでも。寮長は俺のこと絶対見捨てないで、魔術師になれって言ってくれただろ。
「それって、俺には……なんだろうなぁ、普通になれ、強くなれって、聞こえたよ。……そう、なれるって」
「……そういう意味じゃなかったんだが」
「うん。それも分かってる。その上で、俺はそういう風にも受け止めたってだけのはなし」
努力すれば。あるいは、望めば。変われる、という、つよい希望をくれたひとだった。完成された『花婿』に、もうどう形を変えることのできない宝石に。無知で無理解だったからこそ、できる、と言って腕を引いてくれたひとだった。それがどれだけ嬉しかったか。ロゼアにもソキにも、俺の気持ちは分からないね、と微笑んで。だからね、と予知魔術師の担当教員。白雪の王宮魔術師は囁いた。
「寮長がそういう、諦めの悪いお節介だっていうのは、俺はすごくよく知ってるんだけど」
「褒める口調でけなすのやめろ」
「そういう性格、性質の自制まで狂わせるとは思わなかった。俺が悪いよ。ごめんね」
まっすぐに。瞳を覗き込むよう、視線を合わせながら。『花婿』が言い切った。なにが起きていたのか。なにが、男を不用意な言動に走らせたのか。苛立たせていたのか。理解しきった顔をしていた。はー、と寮長は、心の底から息を吐く。
「……いや、俺も、お前への……あえてそう言うが、執着が、ここまで影響するとは思ってなかった。『花婿』の性質か?」
「……俺たちが、魅了しようとして……ある程度、成功しているひとにしか、こういう風な作用はしないよ。もう、こんな風になることも、ないよ。俺、さっき、ちゃんと寮長振ったからね。ロリエスにも、言っとく。誤解されるの、ヤだろ」
「あながち誤解でもないだろ? 『嫉妬に狂った』」
狂わされた、だよ、と『花婿』が囁く。俺がまだ寮長を諦められなくて、未練がましくて、放っておいたのがいけないだけ。ごめんね、とうつくしく、柔らかく、ウィッシュは微笑んだ。
「好きだったよ。俺を魔術師にしてくれてありがとう、寮長」
「お前の幸せを祈ってる、ウィッシュ。心から。……落ち着いたら、『傍付き』のはなしでもしに来い。気になってる」
「うん。ソキとロゼアが落ち着いたらね。……それじゃあ、寮長。お大事に」
さよなら、と言ってウィッシュは立ち上がり、するり、と部屋からいなくなってしまった。ああ、とだけ言葉を送って見送り、寮長は思いもよらない程の喪失感に、顔を歪めて。それでも、もう追い縋らなければいられない程の、言葉にならない渇望は、なく。『花婿』の残り香が消えても、それを求めてしまうようなことは、なかった。
『学園』は極度の緊張、混乱状態に陥った。例の事件の前後より、ヒリついた空気が全体を包んでいる。あの時は得体が知れないものに対する警戒だった。緊張はいつあらわれるかということであり、全体がひとつの意思をもって、ひとつの敵に向かっていた。今回は真逆とも言えるだろう。相対するのは見知った存在であり、緊張も、混乱も、彼らからもたらされたものだった。普段とは違い、談話室も、食堂も、図書館も、ありとあらゆる場所で、生徒たちは自然と出身国同士でひとまとまりになり、行動した。
ロゼアの騒ぎから、夜を明かすことなく。関係者と見做される者と、担当教員たちが招集され、緊急職員会議が実施された。そこで出た意見には全体の、砂漠に対する無理解、『花嫁』や『傍付き』に関する無知、ある意味での無関心があげられたが、それにもまた反発があった。寮長が危惧した通りに。知られていいこと、知って欲しいことに対する態度とも、思えなかったのに。いまさらなにを、と言うのが砂漠以外を出身国に持つたまごたちの、大部分の反応だった。
一夜があけて、世界が明るくなっても、渦を巻く不満はどこからも現れた。ふとした瞬間に口論になり、掴み合う者も、取っ組み合いの喧嘩を始める者もすくなくはなかった。大体は傍にいた同じ出身国の者が引きはがして場を収めたが、その者たちの冷静な目にも、隠し切れぬ不満は現れていた。今更なにを、と誰かが言った。大切にして、隠して、触れさせないようにして。そうして。ずっとそうしていて。それなのに、知っていて欲しかった、分かっていて当たり前だった、無知で無理解だ、なんて。なんたる傲慢なのか、と。
砂漠の出身者は、一様に口を揃えた。そんなつもりではなかったのだ、と。ただ砂漠の民にとって、それは当たり前のことで。あまりに当たり前の、言葉に出して説明することすら不思議なくらいの、ことで。神聖で、大切で、あまりに大切で。だから。大切にしてくれないひとがいるだなんて、思えなかった。確かに、言葉にしなかった、伝えることをしなかった。でも。でも、あんなに、あまりにも、あんな風に。軽んじられているだなんて、誰が思うだろう。あれは各々が胸に抱く、果てのない祈りであるのに。
言葉は、ひたすらに平行線だった。砂漠出身者はひたすらに、戸惑い、悲しみ、不思議がり、時に怒りすら交えてなぜ、と問い、他国出身者はその反応の全てに激怒した。普段なら、そこまでのことにはならなかっただろう。どんないさかいも深刻なものになる前に、何処から現れた寮長がさっと介入し、解散させたり、俺に免じて、と場を収めさせたりしていたからだ。寮長の役目のひとつに、調停役も含まれているからだ。しかし、その寮長がいないのである。
怪我を簡単に治療した後、寮長は当事者として緊急職員会議に召集された。そのあとは自室に戻ることなく、監視付きで、保健室で体を休めていて出てこない。脱臼と粉砕骨折と全身打撲に似た感じ、と診察した白魔術師と、フィオーレは言い残して砂漠に戻って行った。つまりは絶対安静。監視は寮長の罪を問うものではなく、抜け出さないように、連れ出されないように、立たされているものである。面会は基本的に自由だが、翌日の昼までにいくつ騒ぎが起きても、訪れたのはウィッシュひとりだけだった。
頼れないほど追い詰められている、と早々に結論を下したのは、副寮長のガレンである。寮長代理として男の治療や、ロゼアの処遇を各所に通達し、教員たちを呼び集め、ざわめく生徒たちを部屋に押し込め、ソキを宥めて言いくるめて睡眠薬を飲ませて寝かしつけルルクに引き渡し、など、夜を徹して動き続けた青年の、俯瞰した視点からの、やや諦めた響きの声だった。無理、とその顔に書かれている。この騒ぎはあまりに、ひとりの手には余るものだった。
「ということで、第一回、寮内自治会議を行います。よろしくお願い致します。無理です」
はーい、と即座に手をあげたのは、ルルクだった。ルルクは円卓をぐるりと見回し、ガレン、ユーニャ、スタン、ハリアス、アリシア、メーシャ、と顔を見つめながら指折り数え、最後に七人目として己を含めると、まずね、と副寮長を見つめて心から言った。
「語尾に諦めをつけながら発言しないで欲しい……。え? この顔ぶれなに? なに招集? 私たち、寮内でなんの役職も持ってないよね?」
「ひとのはなしを聞いて、ひとにはなしを聞かせられるだろうな選抜を実施しました。勝ち抜きおめでとうございます無理です」
「だから語尾、語尾をね……? うん、あの、寮長がいなくて混乱してたり、傷心だったりするのは、あの、理解してあげられるんだけど、その語尾をなんとかね……? してくれないかな……?」
ガレンは穏やかな笑顔で、無理です、と言い放った。都度無理を吐き出していないと、心が保てないくらいには無理らしい。あ、うん、そっか、とそっと視線を外して納得してやることにして、ルルクは改めて眉を寄せ、首を傾げて問いかけた。
「ナリアンは呼ばなくてよかったの? メーシャはいるんだし、呼んでおいた方がよかったんじゃ……?」
「ナリアンは、ひとのはなしは素直に聞きますが、その分、言いくるめられかねません。ひとに話を聞かせる、という点については、やや不得意で不安な面が見受けられます。今回に関しては、ある程度の知識を持ち、あるいは与えられた知識を公平な視点から共有させることのできる。相手の意見を聞きながら、それについて適切な回答を与えられることのできる者、として選ばせて頂きました。ご理解ください。あー……あー、無理。無理無理ほんと無理あー……」
「うん、うん。ガレン、もうすこし頑張ろうね。俺たちがついてるからね、よしよし」
夢と浪漫部の部長、スタンがどん引きしながら見つめる先で、突っ伏したガレンをユーニャが慰める。
「それで、ガレン? 俺たちはなにをすればいいの?」
「あと二時間で砂漠から資料が届きます。『お屋敷』や、『花嫁』や『花婿』、『傍付き』との関係性。公開できる情報に限る、とのことですが、砂漠の民が一般的に持っているであろう認識を共有できればそれでいい。まずは、それを頭に入れてください。それが終わったら、出来る限り、その情報を伝えていく。砂漠出身者と、白雪、楽音、花舞、星降の者たちとの齟齬を解消しなければ」
「……今更じゃね? あそこまで大事に隠し立てしておいて」
スタン、とユーニャが名を呼んでやわらかく咎める。けれどもそれだけで、ユーニャは言い返すことも、言葉を重ねることもしなかった。ただ苦笑を浮かべて、首をゆっくりと横に振る。一室が自然に、しん、と静まり返った頃、ようやくユーニャは口を開いた。
「今更、だよね。分かってる……。分かってるけど、いま、しなければ」
「たぶん、この中では一番、私が内情を知ってるだろうし、中立な視点も持てるし、話もできると思うんだけど……」
思い悩むように声をあげ、ルルクは眉を寄せて言い放った。
「これ、全体巻き込まないといけない話? はいはい、ロゼアくんはやりすぎだし寮長は配慮が足りなかったね。喧嘩両成敗だね。お互いに悪いトコあったから、できれば謝罪しあってね。で、同じ事故を起こさないように、なんでこうなったか情報の共有だけしようね、じゃ駄目なの? 所詮、と言ったらアレだけど……個人の争いに、引きずられちゃってるだけ、とも言えることでしょう?」
「火種が大きくなりすぎました。寮長とロゼアの争いがはじまりと言えど、たった一夜で『学園』は完全に分裂して争っている。砂漠出身者が孤立しすぎ、また、彼らは全体を半ば敵と見做し、その逆もまた起きています。互いに、投げかける言葉が攻撃的すぎる。歯止めが利かなくなりかけているのでしょう、お互いに。……同じ学び舎の同胞に、無知だの無理解だの、言うんじゃないってことですよあー無理。今更、そう。本当に今更過ぎるんですよ、お互いにね。……あー無理ほんと無理なんですよ吐きそう」
「はい、ガレン。お水飲んで深呼吸しようね。……寮長も、ロゼアも、互いに被害者で加害者だ。ふたりだけの、ちょっと派手な喧嘩で納められればよかったね。でも、そうだね……いつか、こうなってしまうかも知れなかった。それが今だったっていうだけかもね」
今更、という点については心底同意するけど、俺は同時に反省もしてるよ、とユーニャは言った。
「ルルクのように『お屋敷』の内情を知らずとも、俺にもできることはあった。……こうなる前に、寮長を含めた周囲に、理解を深めさせることができる可能性を持ちながら……砂漠の民と同じようにして口を噤み、放置した。言わなくていいかな、と思ってたんだよね」
「はい?」
「厳しいことを言おうか? だってロゼアが言わなかったから」
入学して一年半の魔術師のたまごに、それを求めるのは酷だったかな、とも思うよとユーニャは言った。まして『花嫁』が一緒だ。意識はそちらに割り振られるだろうし、授業についていけども余裕がある筈もない。分かっていたよ。だからもしかすれば、いつか必ず、起こる事故だった。分かっていたのか、と言われれば頷くかも知れない。でもね、とユーニャはため息をついて首を振った。
「ごく個人的で繊細な、知識がなければ理解できない関係性について。説明しておいた方がいいと思うんだけど、できないなら、俺が言おうか? とは、聞かないよね……? というか、例えロゼアが自分で説明したとしても、理解を得られ切れたかと言えば怪しいものがある、と思う」
「……どうしてですか?」
「特殊な環境で生まれ育ったひとが、そうでないひとに説明しきるには、そのひとにも知識と経験が必要だよね。すなわち、己が知る『普通』ではない、『普通』とはなにか? その視点から物事が語れるか? ……ロゼアは極めて、一般的な『普通』と似通った、あるいは共通点を多く持つ『普通』でもあるからこそ、難しかったと思うよ」
これで例えば周囲に理解者がひとりもいないとか、砂漠出身者がひとりもいないとか、そういう状況なら違っていたんだろうけど。そうではなかったよね、とユーニャは苦笑した。
「お花さんを受け入れた後だった、というのも、この場合はよくなかった。……環境に適応して変化していく余地、というのは、『傍付き』より『花嫁』『花婿』の方が多く残される。なぜって、嫁ぐから。……対して、『傍付き』は『お屋敷』に残される。変化する環境には、対応すればいい。つまり、お花さんを見て、お姫ちゃんを見て、『学園』はこう学習してしまった。時間はかかるし、上手く行かないことの方が多い、でも彼らは……ゆっくりでも変化していけるのでは? と」
「……なのに、いつまで経っても変化しないことに、寮長は焦った?」
「そういう一面もあったと思うよ。さぞもどかしかっただろうね。……今更だ。誰もが説明を怠った。それがどれだけ重要か、分かっていながら。いつか分かってくれるだろう、なんて意識で目隠しをした。……どんなに言葉をつくしても、理解し合えない、だなんて、そんなこと。魔術師なら一番最初に教わるのにね」
でも、と震えながら声をあげたのは、それまで静観していたハリアスだった。少女はなんの感情にか泣き出しそうに瞳を潤ませながら、でも、と何度も言葉をつっかえさせ、まっすぐに前を向いて口を開く。
「今更、と言えるのだって……いま、が、あるからでしょう。私は、できることを……ソキちゃんと、ロゼアくんの為だけじゃない。これからの私と、私たちの為に……できることを、したいです」
「うん。俺も、反省はここまでにする。……先輩方。できることが、あるんでしょう? なら、できること、しましょう?」
皆が争っているのなんて、嫌だよね。争わない為に、できることがあるんだよ。難しく考えないで、今はその気持ちで、できることをしていきたい。それじゃだめですか、と笑うメーシャに、頭を抱えながら顔をあげたガレンが、十分です、と呻いた。
「もうほんと相互理解とか難しいことは埋めていいです無理。この、火種みたいな状況の緩和。そう考えてください。このままでは、というかもう無理そうですが、明日から新学期どころじゃないんですよあー……」
「ガレン寝かせた方がよくない? 結局徹夜したんでしょ?」
「会議が終わって資料が届いて読み込んで理解してすり合わせまで終わったら寝ますご心配なく無理ですけど」
もう自分でなにを言ってるのか分かってないんじゃないかしら、としみじみ見守ってしまい、ルルクはそういえば、と思い出しついでに問いかけた。
「ソキちゃんに飲ませた睡眠薬なんだけど、成分表ある? 確認しなきゃ」
「保健室の常備薬ですよ、寮長のお見舞いついでに確認してきてください」
「あと、ロゼアくんがいつ懲罰室から出てくるかの予定って、いま分かる?」
資料到着まで二時間あるならそれまでは実質休憩時間ということ、とのびやかに自由な発言を響かせて立ち上がるルルクに、ガレンは苦笑して分かりません、と告げた。
「少量の食事と水分を口にして、あとはふさぎ込んでいるようですし……。自主的に向かったことを考えても、三日か四日程度だとは思いますが、なぜ?」
「ソキちゃんを起こしておくべきか、寝かせておくか考えてるの。ソキちゃんの妖精とも相談するけど」
あんな半狂乱で三日もいたら、どうなるかは目に見えている。そこはあなた方の判断にお任せします、と告げられて、ルルクは頷き、足早に部屋を出た。寮の空き部屋を使っていただけだから、廊下にはすぐ見知った者たちの姿がある。それなのに、誰とも、視線が合わなかった。挨拶の声もない。肌をひりつかせる緊張が漂っていた。息を吐き、ルルクは保健室へ足を向ける。できることをするしかないのだ。ひとつ、ひとつ。
できることを。祈りのように口の中で呟いて、ルルクは廊下を歩んで行った。
こんこん、と戸を叩く音が響く。はい、とガレンが応じるより早く、ほわほわに響く声がのんきに響いた。
「いけないーのだーれだー。ねーねー、なにしてるのー? ひみつ? ないしょ? いけないーことー?」
「あれ?」
さっと立ち上がったのは、ルルクより戸口に近かったユーニャだった。ユーニャは思わず笑みに緩んだ室内の空気同様、こそばゆい気持ちで肩を震わせながら、鍵も閉めないでいた扉を開く。
「こんにちは、お花さん。どうしたの? 寮長のお見舞いに来て、帰ったと思ってたけど。入る?」
「ユーニャだ! ユーニャだー! うんとね、食堂で朝おやつ食べてたら、食堂の魔術師たちがね、俺にね、ご飯食べに来ない生徒がいるから、声をかけてきて欲しいって。俺じゃなきゃ駄目だって、どーしてもお願いされたんだー。だからね、頼まれごとを聞いてあげてるんだ。ユーニャたちで最後だよ。朝ごはん食べないとさー、いけないだろー?」
「そうなんだ。皆の所を回ってくれたんだね、ありがとう。たくさん歩いて疲れたろう? 急いで白雪に帰るのでなければ、椅子に座って、すこし休んでいくといいよ」
褒めて、と『花婿』が言い出す前に心からそれを告げ、ユーニャはウィッシュを室内に招き入れた。ウィッシュはとてとてとした足取りで机と椅子が運び込まれただけの空き部屋に踏み入ると、んー、急いではないよ、とのんびりとした声で質問に応じる。
「俺はさ、ソキの担当教員で、責任もあるし、陛下だって『学園』でなにか用事を頼まれたらやってきてあげて良いって言ってたし、まだソキも寝てたしさー。あっ、ガレンが睡眠薬飲ませてくれたんだって? 良い判断だったと思うよ。ありがとね」
とてとてとて、ぽすん、とウィッシュはユーニャが座っていた椅子に腰かけた。ウィッシュの為に用意されていた席だと周囲に錯覚させる程、自然で、堂々とした仕草だった。くす、と笑みを深めたユーニャが、椅子を取りに部屋からいなくなる。必要な人数分だけしか、物資も運び込まれていないのだ。筆記用具すら。室内の穏やかで、それでいて困惑気味の雰囲気と、それらをいっさい気にする素振りもなく。ウィッシュはユーニャが使っていた筆記用具を引き寄せ、資料を手に取って堂々と目を通した。
こてん、と首が傾げられる。
「なにこれ? なにしてたの? わるだくみ?」
「……情報の共有を。早急に、と職員会議でそれを求める意見が出ていた、とのことで」
「俺欠席させられてたからー、それ知らないんだー。ふうぅん? ……もー、ほんとさー、会議もさー、寮長もさー、ガレンもだよ? 俺を呼んでくれればいいのに。仲間外れよくないだろ」
ぺらぺら、と紙をめくって遊んでいる、くらいの気のなさで資料に目を通し、ウィッシュは集中する視線を平然といなすと、けろりとした顔で言い放った。
「説明は上手にできないと思うけど、砂漠出身者を落ち着かせるのは得意だよ、俺」
「どういう……意味で……?」
「えっなんで警戒されてんの……? そのままの意味だよ? あっ、悪いことはしないよ? えへへ」
照れくさそうにされても、怪しさしかない。なにせ相手はウィッシュだからである。思い切りよく、極大のやらかしをする相手である。先の魔術師大会からも、それは明らかなことだった。椅子を運び込んできたユーニャが苦笑して、隣に腰かけながら囁くように問いかける。
「具体的には、なにをどうするのかな?」
「ん? あの、だからな? 喧嘩しないようにすればいいんだろ。砂漠出身者が集まって物々しくしてるんだったら、俺はそこに行って本でも読んでるよ。それで、勝手にどこか行ったらいけないだろって言うの。そうするとな、皆、俺の傍にいるだろ?」
利用できるものは利用すべきだよ、と魔術師としての判断で、『花婿』は言った。
「俺の目の届く場所で、争いは起こらないよ。俺、そういうの苦手だもん」
「説得力があるような気がするんだけど……? あれ、でも、信憑性がないような……?」
「えー? なんでだよー。ほんと、ほんとだって。『花嫁』『花婿』の前で、争いごとは禁止なの! 砂漠のじょーしきなんだからなー!」
怖いし、びっくりするし、大きい声は嫌だろ。だから皆静かにするの、そういうものなんだからな、とぷんすこしながら説明されても、室内に集った者は皆腑に落ちない顔をして、ううん、と言葉を探して口を閉ざした。争いが苦手だというその口で、魔力そのものを縫い付ける暴虐を成したのは誰なのか。それはまだ、先日のことである。え、ええぇ、なにこの反応、おかしくない、と目をぱちぱちさせながら首を傾げるウィッシュに、ガレンは額に手を押し当てながら呻いた。
「争いごとが苦手なひとは、そもそも手段を選ばず勝ちに行かないからですが……?」
「だからぁ、好きじゃないし、得意じゃないから、長引かせたくないんだってば。一撃必殺にしとけば、ばーんっ! として、どーんっ! となって、それで終わるだろ? 争ってるの見なくていいから、すっきりするし」
「ええぇええ好戦的過ぎる……! いやその発想がすでに好戦的すぎるというか? 争いごとが好きじゃない、よーし短時間で確実に殺すぞー! みたいな思考の流れが争いが苦手とはなんだっけ? 好きじゃないとは? 長引かせないって慈悲とか優しさではないのですよ? という感じ」
そうかなぁ、俺は平和で穏やかなのが好きな平均的な『花婿』だよ、だってシフィアだってアルサールだってそういうもん、とげせぬ、という顔をしてむくれるウィッシュに、『お屋敷』関係者たるルルクは、そうでしょうとも、とよどんだ目で頷いた。
「そういうことにしておけば、そういうことの枠内で収まる。方々の教育方針ってそういうトコあるもの……」
「あぁ……ああ、そういう……」
「そっ、そういう、じゃないんだからなー! ばかー!」
ばかばかばかばか、もぉーっ、とぷんすかぷんすか怒りながら、ウィッシュはともかく、と室内を睨みつけるよう見回した。
「俺はそうだし、砂漠の皆がロゼアとソキのことであんなに怒ってるんだったら、十分通用する手なの!」
「……つまり、あの?」
そろ、と手をあげて発言を求めたのはメーシャだった。いいよ、と偉そうに頷いてみせるウィッシュに、メーシャは困惑を隠しきれない顔で、間違っているかも知れませんが、と前置きしながら口を開いた。
「俺は、いえ、この部屋に集まっているひとたちは、先生のことを先生だと思うし、『花婿』であったことも知っているけれど、『魔術師』だと思っている。でも、砂漠のひとたちはそうではなくて、『魔術師』であることを分かっていながら、先生のことを『花婿』だと思っているし、ソキのことを『花嫁』、ロゼアのことを『傍付き』だと、そう感じているからこそ、今回のようなことになった……?」
「そう。そういうトコもあると思うよ。俺はね」
どれが正しいとか、なにが間違ってるとか、そういうことではないんだろうけれど、と白雪の王宮魔術師は、冷静な判断の宿る瞳で首を傾げてみせた。ひとつの理由と原因があった訳じゃない。理由はいくつも、原因となることも多くあった。それが積み重なって絡まり合って、当事者もそうじゃないひとたちも、誰もが理解しないまま、できないままに、こんなことになってしまってる。俺がいうのも可能性のはなしだよ、とふわふわとした『花婿』の声で、魔術師は言った。
「俺を表す言葉って色々あるよね。白雪の王宮魔術師、『学園』を卒業した魔術師、ソキのおにいちゃん、ソキの担当教員、シフィアの『花婿』、嫁いだ『花婿』、あとは、うぅん……あ! パパの息子とか。えへへ」
そう、俺ねー、じつはー、あのひとの息子なんだー、と嬉しそうに自慢してから、ウィッシュはひとつひとつ、指折り数えてどれも俺、と言った。
「どれに比重を置いて、自分をどう思ってるかって言うのは、その時々だよね。皆そうだと思うけど。でも、自分がどう思ってるかっていうのは、その時対応するひとには分からないことだよね。だって、そのひとの認識する自分、だもん」
「どう思われているか、ということですか?」
「うん、そうだよ、メーシャ。……俺はねぇ。俺とソキはね、たぶん、砂漠の民にはずーっと『花婿』で、『花嫁』だと思うよ。魔術師として、同胞として認めてくれてない、とかじゃなくて。まずまっさきに、第一に、俺は『花婿』なんだよ。その中でも、例えばレディは王宮魔術師である分、随分、俺たちを魔術師として見ようとして、意識してそれを第一に持ってこようとしてくれてる、と思う」
この内側にいるのと、外側に出されること。『学園』の生徒と、王宮魔術師。その視点と意識を持てるかどうか。在校生にはちょっと難しいと思うよ、とウィッシュは微笑んだ。だからこそ、今回のような時にはウィッシュの存在そのものが利用できるのだと。
「使えるうちは使った方がいいよ。それに、相互理解の妨げにはならないだろうし」
「……そうですか?」
「うん。……なんだろうなぁ、たぶん、ほんとたぶんね、皆、認識は一緒なんだよ。ほんと。ただ比重が違うだけ」
だって俺のことを魔術師だと思ってないひとなんて、『学園』には存在しないだろ。ソキのことも、ロゼアのことも。分かってるんだよ、と子守歌のような柔らかな声で『花婿』は囁く。
「どうしたって、なんだって、俺たちは俺たちのまま、全部連れて行くしかないんだから」
「……ええ、そうね。変化とはそういうものだわ」
私にはきっと、あなたの切なさも、ロゼアの苦しさも、分かると思う、と。声をあげたのはアリシアだった。
「変わる、というのは、無くなる、ということではないの。消えてしまうことではない。いままでのことが、これからも……表に出ないで、ただ、そこにありながら……靴を、履き替えるようなものだわ。場にふさわしいように。動きやすいように、好きなように……服を着替えて、出かけもするでしょう? でもそうするのは、私だわ。そこには私がいる。別人みたいに変化して見えることがあっても、なにも変わらない、私がいるのよ」
「そう。だからね、俺は『花婿』だよ。ロゼアは『傍付き』だし、ソキは『花嫁』だよ。役職とか、立場とか、名前を付けて呼べるから、脱ぎ着できる服や靴みたいに、代えていけるものなのかなって思われてしまうけど。そうじゃないんだよ。……難しいよなぁ。これだけたくさんおしゃべりしても、俺にはちゃんと伝わったか分からないし、誰にどう言えばいいのかも分からない」
それでいて、俺がもう『花婿』じゃなくて、ロゼアが『傍付き』じゃなくて、ソキが『花嫁』じゃないのも、ほんとうのこと。これも決して覆せない、ほんとうのことなんだよ。だから寮長が間違ってる訳じゃない。でも、正しくない。砂漠の民が間違った意識で主張している訳じゃない。でも、相応しくはない。さあ、どうしようね、と課題を出す教員の、すこし悪戯っぽい表情でウィッシュは笑った。
「さ、おはなしはこれで終わりだよ。皆、資料は持ってってもいいから食堂に行って? 朝ごはん食べよ? 俺はその間に、砂漠の皆のトコ行って、落ち着かせてくるからさ。……ルルクは、できればご飯食べたら、ソキの様子を見に行って……どんな風だったか教えてくれる? 眠ってればいいんだけどさぁ……」
薬を使ってなお、『傍付き』がいなければ、その眠りは浅いものになる。ソキの妖精さんが傍にいてくれるなら、そう変なことにはならないと思うけど、と不安がるウィッシュに、任せて、と頷いて。ルルクはふと、自分で様子は見に行かないの、と問いかけた。担当教員としても、また血の繋がりはない兄としても、ここまで来ていてしかも滞在するのなら、顔を見に行くのが自然だったからである。
ウィッシュは微笑んで頷き、我慢しないとね、と囁いた。
「これで俺が様子見に行ったら、砂漠のひとたち、さらに頑なになると思うから。落ち着くまでは、離れてるよ。よろしくね。……頼むね」
でも、なにかあったら絶対に俺を呼んで。担当教員としても、『花婿』としても。どちらかが必要だと思ったら、ルルクだけの判断で構わないから。迷わないで呼んで、と告げるウィッシュに、しっかりと頷きを返して。ルルクは、よし、と気合を入れて立ち上がった。意識がようやく空腹を思い出す。ほらほら、行くよー、と部屋からせっせと追い出し始めるウィッシュに、それではまた後で、と言って、ルルクはアリシアと手を繋いだ。歩き出す。
長い一日になりそうだった。