産声をあげたばかりのそれが私の中をぐちゃぐちゃに掻きまわし飛び退って行く。ばきりばきりと壊れる音は、私が世界から切り離される為のもの。最後のひとつが音を立てたと同時に意識が絶える。誰にも助けを求められないのに伸ばした指の先に、ひとり。名を呼びかけようとしたのか開いた唇が、言葉を知らず閉ざされる様を、見た。
強い風に煽られ、花びらを散らす紫の花を幻視する。藤の花だ。声もなく音もなく、張り詰めた糸が切られたやわらかさで、そして唐突な動きで場に倒れこんだ幼子を見つめながら、ストルはただ茫然とそう思った。花だ。くたりと床に投げ出された腕は白く、細く、意識を失ったまま取り戻す気配もない。暴風に折られた枝のようだ。はー、とストルの横で長い息が吐き出される。疲労と安堵に満ちた吐息。視線を向ければ疲れたと言いたげに首をひねるフィオーレが、目をしぱしぱと瞬きさせている所だった。赤と桃の二色が不思議に混ざり合い、ゆらゆらと揺れる髪色に、くすんだ灰と緑の灯る瞳。この青年の方がよほど花を思わせる外見であるのに、ストルはそれを一瞬だけ、忘れていた。
「……どうしようかな」
おびただしい魔力の名残で空気の肌触りをざらりとさせておきながら、昏睡もせずただ幾分、疲れたというだけの声色でフィオーレがあくびをする。
「とりあえず保健室かな。運んだげないと……ストル、あの子のこと抱っこしてくれる?」
「……かまわないが」
「が? うん? ……なに?」
ふぁ、と浮かんだあくびをかみ殺し、普段より気の短い様子でフィオーレが言葉を促してくる。集まった者たちを、未だ茫然とする魔術師の卵、あるいは王宮魔術師たちをしっしとばかり指先の動きで散らしながら動き回る、その足取りはしっかりしていた。
「なぜ、自分で抱き上げようとしない」
「よく考えてものを言おうね、ストルちゃんはさぁ」
まあ別にぃ、俺がそうしてあげることはぁ、まったく問題のないことなんですけどぉ、と不機嫌に語尾をゆらゆら上げながら、フィオーレは床にたたき落とされた紙束、砕かれた道具、壊れた椅子の残骸などをひょいひょい拾い上げ、あるいは足で部屋の隅に追いやりながストルに視線を向けてくる。
「魔力の暴走に至近距離で対応しちゃったのは俺なの。それで、つきっきりでなんとか魔力が、この部屋の外に漏れていかないように力ずくで抑え込んでたのも俺なの。そこんとこお分かり?」
「お前の魔力量が、いっそえげつないことが改めて分かった」
「褒めてくれてありがとう」
暴走の源となる魔術師の意識を刈り取るのならばともかく、その魔力がとにかく枯渇するまで持久戦を挑むという芸当は、やろうと思ってできることではない。本当なら二人がかり、三人がかりでも負荷が大きく立ち上がれないくらいには消耗するようなことなのに、フィオーレは寝不足なのに全力ですごく走り回って疲れた、くらいの様子しか見せていなかった。魔術師の魔力量は、水の入った器の大きさとしてよく語られる。けれども、魔術師の中のほんの一握り。彗星のように現れる砂金のような存在、魔法使いと呼ばれる桁外れのそれらは、己の魔力を水の入った器で語らない。フィオーレは入学当初、己のそれを問われてこう言ったのだという。
水源。滾々と水の湧き出す湖のほとり。枯れることはなく、絶えることもない。
「ともかく、そういうことだから。俺が直接触るのはいけないと思う」
「……フィオーレの魔力が、暴走の呼び水になった訳ではないだろうに」
「直接原因が俺かも知れないだろ?」
にっこり笑うフィオーレは、つべこべ言わずはやく抱きあげてあげろよ、と言わんばかりに倒れ伏す幼子を見つめ、ストルに対して首を傾げた。で、やってくれるの、くれないの、はやく決めて駄目だったら他の気にしなさそうなひと呼んで来なきゃいけないんだからさぁ、とたしたし靴音を鳴らされ促されて、ストルは溜息をつきながら前へ歩み出た。
「というか、フィオーレ」
「うん?」
「お前、なにをしたんだ」
自身が暴走の原因かも知れないと、軽口のような響きで告げるのなら、この青年には確かな心当たりというものがある筈だった。着ていた魔術師の卵の証、『学園』の生徒に共通して支給されるローブを脱ぎ、幼子に着せかけ、その布越しにようやっと抱きあげたストルに、うわぁ紳士と呆れの強い関心したまなざしを全力で投げつけながら、フィオーレはものを言わずに微笑した。ないしょ、ということだった。どうせろくでもないことに違いないので追及しないことにして、ストルは意識を失ったままの幼子を抱え、部屋を出かけて。
「フィオーレ」
「うん?」
「この子の名前は」
名も知らぬ幼子、今日この夜に『学園』へ入学することとなった魔術師の卵の、そのあまりにちいさく、軽い体を腕に抱きながら問いかけた。フィオーレは目を伏せ、ささやくようにその名を告げる。
「……リトリア」
紫の。風に揺れる藤の花のように響く、それが。
「予知魔術師だよ」
運命なのだと、未だ知らず。そうか、と言って、ストルは身を翻した。
旅の記憶は遠くにあり、入学許可証を受け取る以前のことを、リトリアは上手く思い出すことが出来ない。ただ、両親は幼子を喜んで手放し、二度と戻って来ないことを歓迎していた。その事実だけが心の中に残っている。リトリアを学園まで導いた案内妖精は、アンタの血縁にこんなことをするのはなんだけど呪うわというか気がついたら呪ってたわついウッカリ、と事後報告でそれを告げたが、幼子の心が大きく揺れ動くことはなかった。そうなの、と頷いて受け入れ、溜息をつかれたくらいだ。思い出せるのはいくつかの、切り取られた情景だけで、記憶とするにはどれもおぼろげだった。
魔力の暴走で過度の負担がかかった結果、これまでの記憶というものが殆ど壊れてしまったらしいが、リトリアにはよく分からない。そうですか、と頷いたらものすごく心配された後に大丈夫だからなっと抱きしめられて、そちらの方が、動けなくなるくらい、声がでなくなるくらいに驚いた。かすれる霧の向こうにある記憶。思い出せる、ともつかずに思い浮かぶいくつかのことでは、不幸に育てられていたという気はしなかった。ただなんとなく遠巻きに育てられていて、手を繋いでもらうことや頭を撫でてもらうことはなく、両親というものから褒められた気がしないのが本当のところだった。
入学許可証を受け取るほんの数日前に、七歳になったばかりの幼子を、手元から離すことを心から歓迎するくらいだ。顔も思い出せない、両親、という単語めいた認識しかできない存在にもしかして好かれていなかったというか嫌われていたかもしれないという可能性、事実は幼子の精神にそれなりの傷をつけたが、それだけで、それ以上のことにはならなかった。別に、それが、息をしていくのに、生きていくのに、必要でないとしたら、それ以上どうだというのか。告げられた言葉を思い出し、なんであのこあんなに達観してるの、と机に泣き伏して動かなくなったフィオーレをうっとおしげに眺め、ストルはともあれひとつ理由が分かったな、と息を吐いた。
学園が新しい生徒を迎えて、数日になる。共に入学した者がそれなりに周囲に慣れ、溶け込みはじめているのとは裏腹に、リトリアはいつまで経っても毅然と孤立していた。初日に魔力暴走を引き起こした『予知魔術師』を、周りが一歩引いた目で見てしまっている、というのはあるだろう。怯えや、不安。困惑といった視線の先で、リトリアはひんやりと凍りついた無表情で佇み、そうされるのに慣れた態度で一日を過ごしていた。つまり、そういう環境で育てられた、ということなのだろう。手を差し伸べる者はおらず、視線と噂話だけが肌を撫でていく世界。寂しくはなかっただろうか。辛くはなかっただろうか。もしもそうなら思い出せないことは、幼子にもたらされた優しさなのかも知れなかった。
ストルが幼子と言葉を交わすようになったのは、それから数日後のことだった。
普段より幾分、星が騒がしい夜のことだった。その感覚を訴えたとて、同じ魔術師にさえそう通じるものではない。占星術師の中でも、特に過敏な者や、『耳が良い』とされる者など、ほんの一握りが感覚的にそれを知る。空気を震わせざわめく、その音ではない。声を張り上げ響かせる、その騒がしさではない。魔力そのもの、己の内側にあるそれが、ざわりと音を立てて星の声に同調する。ざわり、ざわり。ざわり、風に揺れる木の梢のように。揺れて、揺れて、不安定なまま満ちていく、不愉快な、それでいて胸一杯に空気を吸い込みたくなるような。言葉に出来ない響きを、魔術師の卵はただ、騒がしい、としか受け止められない。
騒がしいとか煩いとか全然羨ましくないし夜に力いっぱい眠れるからちっとも妬ましくないしでも皆とりあえず柱の角とかっ、机の角とかにっ、めいっぱい足の小指をぶつけるようなことが一日四回くらいあればいいと言うというか積極的にぶつかっていくべきだと思うのよね私は今日も眠れるんだから眠れちゃうんだからふはははは羨ましがればいいわあああぁあそして全員睡眠不足になぁれっ、と涙声で叫んで寮の部屋へ走り去って行ったラティのことを思い出し、ストルはげっそりと息を吐きだした。明日には機嫌がよくなっていればいいのだが。去り際の捨て台詞はいっそ呪いめいていて、言葉にその魔力を乗せるだけの資質がラティにないと分かっていても、なんとなく心配になってくる。
夜の森の散策を続けながら騒がしい星を仰ぎ見て、ストルは一応、念の為、呪いに効くとされている花を摘んで行こうと決めた。月の光で花開く白くちいさな花は、摘み取った者にささやかな祝福を与えるのだという。魔術師たちに伝わる御伽話。それが本当なのか分からないが、ラティの言葉であるならそうするのが相応しいと、ストルには思えた。ラティとて、本気で呪いたくて言っているのではないだろう。万一言葉がその性質を帯びて響いていたのだとすれば、白い花の守りがやわらかい解呪で防いだことは、きっとあの少女の慰めになる。
花は、妖精たちの住む小高い丘と、学園のある森の境界付近に咲いていた。夜風が白い花びらをくるくると巻きあげ、満天の星空へ向かって投げ放っている。その、白い花が雨のように降り注ぐ先に。リトリアがぼんやりと座り込んでいた。ストルが存在に気がついたことに、リトリアも気がついたのだろう。振り返った幼子は一時だけストルを見つめ、やがてふいと逸らされた視線は星空へ戻ってしまう。声をかけることもできず、ストルはただその姿を見守った。どうしてこんな場所に、こんな時間に、ひとりきりで、どうして。言葉は、ぐるぐると渦を巻き、星のざわめきと共に降り積もって行く。ざわり、ざわり、声なき訴えに魔力が揺らされるのを感じながら、ストルはふと、その答えを拾い上げた。
それは風に巻き上げられた白い花びらが地に落ちるのに似て、まるで気まぐれに理由などなく。天啓のように、ストルの手の中まで落ちてきた答えだった。ざくり、踏み出した足が土を踏む音が響く。かすかに肩を震わせたリトリアが、ふたたび振り向くのと、同時に。ストルは幼子の傍らに片膝をつき、その目を覗き込んでいた。
「聞こえるのか」
花色の目だ、と思った。
「星の声が。……君は、聞こえるのか」
まばたきを繰り返した瞳に、ゆっくりと涙がたまって行く。雫が頬を伝うまで見つめ、ストルは持っていたハンカチでリトリアの目元を拭ってやった。怯え、竦んだように体をちいさくして唇を閉ざすリトリアは、ストルの問いに答えない。それでも、不意に大きくざわめいた声に、反射的に耳を塞いだ幼子の仕草が、ストルと同じものを受け止めたのだと物語る。ストルですら一瞬の眩暈を感じたその声は、リトリアが『聞く』には大きすぎるものだったのだろう。体中を強張らせる姿が痛々しく、ストルは思わず、その腕を伸ばしていた。
「大丈夫だ」
背をそっと引き寄せ、撫でてやる。驚きにまあるく見開かれた瞳が、あどけなくストルを見つめていた。
「大丈夫だ。……悪いものでは、ないから。この声は」
馴染みのないものなら、すこし怖いかも知れないが。大丈夫だ。だから、泣かなくても、いい。ぎこちなく、たどたどしく言葉を繋げていくストルに、リトリアはこくん、と頷いて。
「……あの」
おずおずと手を持ち上げ、肩のあたりの服を弱く、指先で摘んだ。
「おな、まえ……一度、見たことがある、けど、でも」
しらないの。あなたの名前は。あなたは誰。告げる、その指先が白く震えていた。あどけなく、弱く響く声が、ささやく。
「あのね……おしえて……?」
うすいとうめいな貝殻のような爪が、求めて、求めて、どこかへ向けられていたのを、あの時に見た。視線だけが重なり、呼ぶ声は言葉を知らず、ただ断ち切られて倒れこむのをストルは見ていた。その一度きりを覚えていた幼子の手が、ストルを繋ぎとめて震えている。助けを求めて伸ばされた先の。あの指先。
「……ストルだ」
ああ。
「俺は、ストル」
花だ。
「ストル、だ。……リトリア」
あどけなく、開いたばかりの無垢な花だ。名を告げられ、嬉しげに笑うリトリアに、ストルは息がつまるような感覚でそう思った。
誰も彼もがストルの背をひょいと覗き込み、微笑ましいとばかり笑み崩れて立ち去って行く。訪問者が十人を超えた所から数えるのを止めていたストルは、読んでいた本にしおりを挟み、ぱたりと閉じて溜息をついた。どうしてこうなったのか、考えを巡らせるが、結論など最初から分かっている。その存在に対して、なにか害のない、かつ効果的に精神を削るような呪いを発動させるべきか否かを真剣に悩んでいる所で、フィオーレがひょい、と談話室の扉から顔を覗かせた。視線は彷徨わずにストルを見つけ出し、ぶふぁっ、と耐えきれない様子で笑い声が響く。反省もしていなければ落ち着いてもいない元凶に、ストルはやわり、笑みを深めてみせた。
よし、呪おう。
「なにに魔力を使うのも自由だとは思うけど」
本気で決意したストルとフィオーレの視線上に体をねじこませるようにして現れ、エノーラはひょい、と占星術師の背を覗き込んで笑った。
「この至近距離で魔力が動けば、さすがに起きると思うわ?」
また工房に籠っていたのだろう。天才と呼ばれる錬金術師の少女からは薬草の香りと、どこか金属的な油の匂いがした。よく寝てるね、可愛い、と珍しくも女っぽさを感じさせる表情で笑い、エノーラは呪いを取りやめてやったストルの、横顔をじっと見つめた。もの言いたげな、面白がる瞳。眉を寄せながら、ストルは低く、響かない声で問うた。
「……なんだ」
「あなたがどんな顔をしているのか、見に来たのよ」
なにか変わったことでもあったのかしらって、と告げる錬金術師の表情は少女めいた好奇心とするより道具を作る職人の探究心のそれに近く、ストルから怒る気持ちを奪い去って行く。特になにも変わらないだろう、と呟くストルに一応は頷いて同意してやりながらも、エノーラは屈みこんでいた背を正し、凝り固まった腕をぐぅっと伸ばしながら告げた。
「だって、ストルが噂の新入生ちゃんを懐かせた、ってフィオーレが言うんだもの。気になって気になって。あなた、わざわざ人に関わりに行くような性格でもないし、小さな子の面倒を好んでするようにも思えないし……だから、どうしてこうなったのか聞いていい?」
一応、ソファに座るストルの背と、ソファの背もたれの間の空間に入りこんでくうくう寝息を立てているリトリアを、起こさないようにはしているのだろう。ストルと同じくひそりしか響かない声音で楽しげに問いかけてくるエノーラは、楽しくて仕方がない様子だった。第一発見者にして事態を言いふらしているに違いないフィオーレは、また談話室の入り口からどこかへ去ってしまっていて、この様子では今日中に学園の誰もが知るに違いなかった。誰にも懐かず、懐こうとしなかった幼い少女、リトリアが、ストルに心を委ねている。
その影に隠れるように。ひっそりと寝息を響かせている。
「……どうしてと言われてもな」
ストルは己の背にちらりと視線を向けたのち、エノーラに向かって話しだす。
「談話室で本を読んでいたら、リトリアが来て」
「うん」
「朝だったので、おはよう、と声をかけたら、おはよう、と言ったので挨拶が出来るのは偉いな、と褒めて」
エノーラは、この青年とそう長くはないが短くもない付き合いなので、ストルが礼儀正しくとも、さほど親しくない相手に自ら率先して挨拶をするような相手ではないことは知っている。まずなんで声をかけようと思ってそれを実行に移したのか、大事なのはそこからでしょうがあああぁあっ、と叫びだしたそうな顔つきで、エノーラはとにかく先を促した。それで、なんでソファとストルの間、狭い空間にリトリアがころりと寝ころび、丸くなってすうすう寝息を響かせているかに辿りつく為である。促され、ストルは記憶を探るように首を傾げた。
「リトリアも本を持っていたので、読むのかと思って。ここへおいで、と」
「……隣に呼んだの?」
「読書に、座る場所が必要だろう?」
その時は陽あたりが読書には絶好だったんだと主張するストルに、エノーラはうんまあ私が聞きたいのはそこじゃないっていうかそれじゃないっていうか、どうしてそこでここへおいでとかそういう言葉がね、出てくるのかとかね、そういうことなんだけどね、と問いを投げつけてやりたい気持ちをぐっと我慢して、それで、と先を促した。それで、と幾分不思議そうに、ストルは言う。
「途中までは読んでいたみたいなんだが、眠たくなったんだろう。うとうとしだしたから、俺に寄りかかっていいからすこしお眠り、と言って」
「……う、うん。うん?」
知っている単語なのに全く違う意味を乗せられている気がしてならない、つまるところなに言ってんのか理解できないから事細かに詳しく説明して欲しいんだけどあれちょっと待ってやっぱり説明してくれなくていい理解したくないから、という気持ちをぐるんぐるん持て余している面持ちで、エノーラがぎこちなく首を傾げる。それに、なんでそんな妙な顔つきをしているんだとばかり不思議がりながら、ストルは眠っているリトリアを振り返り、やんわりと目を細めて微笑した。
「気がついたら、間に入りこんでいた。眩しかったんだろう」
「そ、そうかな……? ちょっと、え、えぇ……ええー……?」
よろりとストルから離れたエノーラは、頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。さもありなん、と談話室中から向けられる視線で同意を得ながら、エノーラはごく慎重に息を吸い込み、泣きそうな気持ちで問いかけた。
「あのね、ストルくん」
「どうした」
「ど、どどどうしたもこうしたも……!」
あれ、ねえストルくんってこんな会話通じない相手だったっけそんなことないよね昨日までは別に普通だったと思うんだけどなんなの昨日の夜から今日の昼過ぎにまでの間になにがあったっていうのというかなにかあったとしか思えないから私はそれが聞きたいんであってっ、と涙ぐむ気持ちで己を叱咤し、エノーラはきっと睨みつけるように眼差し鋭く、顔をあげた。
「いつの間に! そんな! 仲良くなったの!」
「仲が、いい……か?」
そういう風に見えるのか、と虚をついた表情で問い返してくるストルに、エノーラは会話を諦めたくなる気持ちで何度か頷いた。フィオーレが出て行ったきり、様子を見に来るくらいで戻って来ないのは、恐らくそういう理由だろう。やれやれと立ち上がり、そういう風に見えるけど、と言ったエノーラに、ストルはそうか、と頷いて。
「懐いてくれたのか……?」
眠る、リトリアを見つめて。
「……可愛いな」
あまく、ただ、言葉を零した。もぞりと身動きしたリトリアの、体をすっぽりと覆うローブはストルの着ていたものだろう。もぞもぞ動いてきゅぅと丸くなるのを穏やかに見つめ、ストルは安心して眠れているようでよかった、と胸を撫で下ろした。だから私が聞きたいのはそれじゃないっていうかそこじゃないっていうか、だからっ、だからああああぁっ、としゃがみこんだエノーラはふるふると身を震わせ、声に出さずに耐え切った。それでも、気配が煩かったのだろう。もぞもぞ、もぞもぞ身動きをしたリトリアは、ローブを耳のあたりまで引き上げて、すん、と拗ねたように鼻をすすり。
ようやくまた、その寝息を穏やかに深くした。