BACK / INDEX

 0 『ものがたり』

 お姫さまは、ようやく微笑みました。騎士は驚きのあまり、声もでないありさまです。あまりに、可愛らしく思えたからです。言葉を失った騎士に、お姫さまはそっと、繋ぐ手に力を込めました。
「お前は」
 お姫さまの指輪が、きらきらと、光を反射して輝きました。雪解けを知らせる、陽の光のようでした。
「本当に、馬鹿だな」
 そして、ふたりは、いつまでもいつまでも幸せに。



 4 約束の色を覚えている

 かすかなざわめきに、会議室の空気が揺れた。視線の先で、トーリスが椅子を倒しながら立ち上がるのを煩わしそうに見つめ、ナターリヤは衆目を無視しながら、イヴァンとライナの元に歩み寄る。
「兄さん。姉さんも、おはようございます」
「おはよう、ナターリヤ」
「おはよう。……うん、とっても似合ってるわ」
 可愛い、と目を細めて嬉しがるライナに、ナターリヤはぷいと視線をそらして聞こえなかったフリをした。淡い桜色のスカートが、ふんわりと揺れる。下ろしたばかりの真新しい服は、袖を通してはみたものの、なんだかこそばゆくて着なれないものだった。ナターリヤはそろりと視線を動かし、反応のない兄を見る。
「兄さん」
「え……え、えええっ! どうしたのナターリヤ! 可愛いよ! 可愛い、可愛いんだけど……ど、どうしたの」
「……似合いませんか」
 明らかに狼狽しているイヴァンは、しょんぼりとした妹の声に泣きそうな表情になり、水道管を握り締めてよろめいた。一大事だった。かつて覚えがない程、大変なことだった。お返事してあげましょうね、と柔和に微笑んでくるライナにぎこちなく頷きながら、イヴァンはそろりと見上げてくるナターリヤに、怖々と視線を合わせる。金の鎖を首から下げた少女は、薄く化粧もしているのだろう。光り輝くように、可愛らしく見えた。
「う、ん。とっても、よく似合ってるよ。見なれない色だけど、温かそうな色で、ナターリヤにとっても良く似合ってる。……それでねナターリヤ。その服、誰から」
「ちょ……え、ナターリヤっ?」
 貰ったの、と贈りものであることを疑うことなく、イヴァンが問いを向けるより早く。フェリクスとバルトの静止を振り切って走って来たトーリスが、少女の左手を取り上げた。ナターリヤは不機嫌であることを隠そうともせず、音を立てて舌打ちをする。
「なんだ。私は今兄さんと話している。これをきっかけにして私は兄さんと結婚するんだ結婚結婚結婚結婚」
「しなくていいから。俺が居るでしょ? ……じゃ、なくて! 指輪! 指輪、なんでしてないのっ」
 渡したのが俺の夢とかそういうオチじゃないよねっ、と叫ぶトーリスの声だけが、国際会議場に響き渡る。しん、と静まり返ってしまった異変を、トーリスだけが気がついていないに違いない。へええええ、そおおおお、と地の果てから重たく響くような声で、イヴァンが納得の頷きを見せた。ぺちりと音を立てて手を振り払い、ナターリヤはなにも付けていない左手をひらつかせて、ごく僅かに胸をはった。
「返せ、とは言った。付けてやるとは言ってない」
「……嘘……いやでも、ああ、確かに」
「大体、お前がつけない指輪を、どうして私だけつけなければいけないんだ。不公平だと気が付け。馬鹿」
 ナターリヤはひらりとスカートをなびかせて、会議の為に割り当てられた席へと向かう。ちょっと待って、と後を追いかけたトーリスの肩を、ぽん、と優しくイヴァンが叩いた。いまさら、それに気が付いたのだろう。ざあぁっ、と音を立てて血の気を引かせるトーリスに、もちろん許すなんていう選択肢はなく、イヴァンはにっこりと輝く笑みを向けてやった。
「で、どういうこと?」
「え、っと……いえ、その」
「お姉ちゃんも知りたいなぁ」
 お話してくれるよね、と笑うライナはトーリスの正面に立っていて、逃げ場はどこも塞がれていた。ちょっと会議に遅れるねー、といいながらトーリスを引っ張って出て行くイヴァンの後に、ライナが続いて行く。ライナは部屋を出る寸前、こちらを見つめていた妹の視線に、微笑みながら手を振った。よかったね、と唇が動く。ナターリヤはふいと視線を外して、見えなかったことにした。顔が熱い。今だけは、鏡を見たくなかった。
 早足に歩き出す。その胸元で金の鎖が揺れ、とおされた金の指輪が、誇らしげに光を弾いて輝いた。

BACK / INDEX