若い子のことが本当によく分からない、と頭を抱えている虎徹に向かって、蒸し饅頭を食べながら、カリーナはそう言うのじゃないよ、とパオリンが言う。
「五歳児甘やかすのと、恋人甘やかすのは違うもん」
「そうよ。アンタ全然分かってない!」
「うん。それに、もし将来恋人になるならボクだからね。その前に結婚するけど」
アンタまだそれ言ってたの、とうろんな目を向けてくるカリーナに、パオリンは饅頭を頬張りながらにっこりと笑った。幼い少女の一次の戯言だと誰が言ったか、という笑みだった。一年、傍で様子を見ていて、バーナビーが安定してくるようなら戯れだとしておいてあげてもよかったのだが。未だにバディの信頼を、完全に回復させきっていない虎徹にちらりと目を向けて、パオリンは正々堂々と宣戦を布告した。今はまだ取ったりしないよ、と前置きをつけて。
「でもね、タイガー。二度目はないよ。もう一回あったら、ボクがバーナビーを幸せにするから。覚えておいて」
「……虎徹さんを苛めないでくださいね、と言った筈ですが」
「いじめてないよ。おかえり、バーナビー。こっちおいでよ」
髪の毛拭いてあげる、とにこにこしながら手招くパオリンに苦笑交じりの溜息をついて、バーナビーはてくてくとラウンジを横切って行く。虎徹の前で立ち止まり、シャワー空きましたからどうぞと笑う表情は素直なそれで、それでいてバーナビーはパオリンの元へ行ってしまう。バニーちゃんと呼びかけた声にバーナビーはソファに腰を下ろしながら視線を投げかけ、色のない声でだって、という。
「……あなたは行ってしまうから」
透明な、感情のない声は、疲れ切ったが故に零れてきた本音の一部分だった。胸を疲れた表情で黙りこむ虎徹のことを守るように、ソファの上で膝立ちになったカリーナは二人の視界の間に割り込み、バーナビーが肩にかけていたタオルを奪い取る。一年も経過して、まだバーナビーはそう思っている。濡れた髪をタオルドライしてやりながら、カリーナはちらりと虎徹を振り返り、言い聞かせればいいでしょう、と告げる。厳しく冷たく響く声に内心舌打ちをしたが、かまわないとも思って続けた。
「仕方ないでしょう。バーナビーは一回アンタを諦めてんの! もう一回諦めるなんて絶対にできないの。だから、二回目を始めもしないわけ。バーナビーも大分悪いと思うけど、一年がかりでまだここかって私だって思うわよ? ちっとも進展してないし!」
「……カリーナ」
「はいはい。アンタのだーいすきな虎徹さんを苛めたりしないわよ」
不満げで物騒な声に返事を返して、カリーナは濡れたタオルをバーナビーの頭から取ってやった。カリーナを鋭く射る瞳は怒ってこそいなかったが、そのまま虎徹にスライドしていく視線と面差しは悲しげなものだった。ふわりと笑んで、バーナビーはシャワー、と呟く。
「行ってらっしゃい、虎徹さん」
「バニー」
「大丈夫です、分かってますから」
ね、と微笑む表情の儚さを、見逃してやれる訳がない。なぜ一度見逃してしまったのかも理解が出来ないが、それだけ虎徹が追い詰められていたということなのだろう。二人の少女が作り出す気配の防壁を居心地が悪そうに乗り越えて、虎徹はしっとりとした濡れ髪で打とうとし始めているバーナビーに近づいた。ソファーの背もたれの向こうに立つ虎徹に、バーナビーの視線がふっと向く。問いかけに動きかけた唇を掠めるように奪って、虎徹はバーナビーの頭を胸に抱き寄せた。二人の間には隔たりがある。ソファが邪魔で、体をぴたりと添わせることができないでいる。言葉は空に浮いてしまうばかりで、心の奥まで届かない。そうしてしまったのはバーナビーだった。そうさせてしまったのは、虎徹だった。
震える腕をバーナビーの手がぽんぽん、と叩くように撫でる。重ねられた視線は、それでも虎徹が愛しいと笑っていた。大丈夫ですよ、と睦言のようにバーナビーは言う。
「僕はどこにも行きません。……ほら、シャワー浴びて来てください。若い女の子の前で汗臭いのはダメですよ」
「……分かった、行ってくる」
「はい」
瞼に唇を押し当てて離れて行った虎徹の背を眼差しで追い、見えなくなってからは指先を触れられた箇所に触れさせて笑むバーナビーは、ひたすらに美しかった。なんだこの綺麗ないきもの、と眺めるカリーナの前で、伸びてきたパオリンの手がバーナビーの頭を引き寄せる。もふん、と音を立てて少女の膝の上に乗せられた薄いクッションの上に頭を置いて、バーナビーはソファに横になる。カリーナがかけていたブランケットをひいてやれば、バーナビーは嬉しそうにとろとろと瞳を眠りに溶けさせてく。おやすみ、と囁くパオリンの腹に顔を埋めるようにして、二本の腕が少女の体に絡みつく。ぎゅぅ、とぬいぐるみを抱くようにされても笑うだけで、パオリンはバーナビーの頭を撫でていた。
やがて、深い眠りに落ちたことが分かる吐息が響いて来る。金の髪を指で巻くように撫で、パオリンはゆるく目を細めた。
「寝ちゃった。……可愛いなぁ」
「疲れてんのかしら」
「んー、ボクがちょっと無茶しちゃったでしょ? カリーナも危なかったっていうし、怖かったんだろうね。折紙さんも一緒だったし」
つまり、心を寄せる三人が三人とも緊急事態だったということだ。それは疲れもするだろう、と思って、カリーナはよしよしとバーナビーの頬を指先で撫でてやる。くすぐったかったのか嬉しかったのか、眠るバーナビーの表情がふにゃりとした笑みに変わった。もぞもぞと身動きをしてパオリンの腹に顔を擦りつける動きは甘えていて、カリーナの胸がきゅんと甘く締めつけられる。これは可愛い。パオリンも見えない矢に胸を打ち抜かれた表情で、体を丸めるようにしてバーナビーの頭をぎゅぅ、と抱きしめて息を吐く。
可愛い。すごく可愛い。大丈夫だからね、びっくりさせてごめんね、と眠る耳に囁けば、少女を抱き締めるバーナビーの腕はゆるゆると力を解き、やがてそえられるだけのものになった。
「……よし、ご飯食べようっと」
「まだ食べるの?」
「うん。これからまだ出動もあるだろうし、今度こそ頑張らなくちゃ!」
いっぱい食べてボク頑張るよ、と意気込んで、パオリンは野菜のたっぷりはいったサンドイッチを手に取った。カリカリに焼かれたベーコンが端からはみ出している。どうしても食べこぼしそうだったので、カリーナはペーパーナプキンを一枚取り、それを眠るバーナビーの顔にかけてやった。安い紙なのに、バーナビーに乗せられているだけで繊細なレースペーパーにさえ見えるから不思議だ。これだからイケメンは、と思いながら鼻を摘む悪戯をしてから座り直し、カリーナも食事を再開する。年頃の少女らしくダイエットや食事制限の文字が頭をかすめたが、そんなことを気にしていて戦闘中に動けなくなったら、そちらのほうが駄目だろう。
温くなって伸びてしまったうどんを黙々と啜っていると、シャワールームから虎徹が戻ってくる。パオリンを抱きしめながら眠るバーナビーに複雑そうな目を向けた虎徹は、黙ってカリーナの隣に座った。気になるのか、視線だけでバーナビーを伺っている。その眼前に、カリーナはサンドイッチをつきだした。卵とレタスだけのシンプルなサンドイッチ。食べなさいよ、と促せば虎徹は素直に手に取って、それを口に運んだ。
「……バーナビー、説明って言ってたみたいだけど、なにして来たの?」
「んー? まあ、ヒーロー活動における損害の説明っていうか……カリーナは知らないでいて良いと思うぞ」
「私とパオリンの損害賠償の交渉なのに、なんで私が知らないでいていいのよ」
そういうこと言うからいつまで経ってもバーナビーの信頼が取り戻せないんだと思うけど、と言ってやると、虎徹は胸を押さえて呻いた後、視線をうろうろと彷徨わせて息を吐く。
「だってさぁ……。バニーちゃん、最初っから全力で相手の心を折りに行ったもん」
「……はぁ?」
「だから、今回は説明でも説得でもなんでもねぇの本当は。損害賠償の請求が回って来ないように言いくるめるのがついでみたいな、バニーちゃんの八つ当たり! 俺は、やり過ぎないようにストッパーになってくださいねって引っ張られてっただけ」
お前らが負傷したのが相当来てたんだろ、と苦笑して、虎徹はやや遠い目になりながらもバーナビーを見つめ、寝てると天使なんだけどなぁ、と溜息をついた。
「あらぁ、本当。天使みたいね」
「ネイサン、そこで立ち止まらないでくれ」
「アントニオ、ネイサン」
ちょうどやって来た二人を呼ぶ虎徹の声が安堵交じりだったのは、数時間ぶりの無事の再会を喜んだからだけでもないだろう。ネイサンはアンダースーツに身を包んだままの姿で入ってくると、あらぁ、と咎めるような声でカリーナとパオリンの顔を見た。
「あなたたち、まぁたタイガーのこと苛めてたの? 駄目じゃない」
「苛めてないし!」
「パオリン、カリーナとお揃いの服ね? 可愛いじゃない」
反射的に噛みつくような答えを響かせたカリーナをさらりといなし、ネイサンはソファに座りながらパオリンの服を楽しげに褒める。未だボーイッシュな好みから変化がない筈のパオリンが、ワンピースなんていうものを着ているのはひどく珍しい。アントニオまで感心したように見てくるのにうっすらを頬を染め、パオリンは早口でバーナビーがね、と言った。
「この間買ってくれたんだ。だから着てる」
「あら、あなたたちデートでもしたの?」
「デートかな? うん、デートかも」
おやすみの日に待ち合わせしてご飯食べてお買いものしてプレゼント貰ったよ、というパオリンの声に、虎徹があー、と呻きながら頭を抱える。それは紛うこと無きデートだ。
「ああ、それで一緒に服くれたの」
納得したカリーナの呟きが、少女は一緒ではなかったことを虎徹に教えてくれた。バーナビーの将来を貰う的な意味合いで先程宣戦布告されたばかりなので、虎徹の体がソファに沈みこむ。気の毒そうに眺めたアントニオが、物言いたげな視線を少女たちに向けてくるが、カリーナもパオリンも言葉を重ねることはしなかった。
「……あら、そういえば折紙ちゃんは?」
微妙な空気を感じさえしていない素振りで、ネイサンがラウンジ中を見回しながら問いかける。てっきりここにいると思って来たのだろう。おかしいな、と首をひねるアントニオも居場所を知らないようで、カリーナはパオリンと視線を見交わし、全員の視線が虎徹に向けられた。大体からしてアポロンメディアのトランスポーターに集合、など言った覚えはないので、虎徹は心当たりがあるとすればバニーだろうな、と眠る美青年を指差して告げた。すこしだけためらった後、パオリンの手がバーナビーの肩をそっと叩く。しばらくするといかにも眠たげに、バーナビーが目を開いた。パオリンの膝の上に頭を預けたまま、起き上がる素振りも見せない。
「……なん、で……す?」
「バーナビー。折紙さん、どこにいるか分かる?」
「先輩?」
先輩、せんぱい、と二三度舌の上で言葉を転がして意味を把握したバーナビーは、パオリンに腕を巻きつけたまま、器用にPDAを指先で何度か叩いた。ふぁあ、とあくびをしながら待っていると、画像の出ない音声通信でイワンが通信を受け止める。
『はい? バーナビーさん、どうしました?』
「……せんぱい、いまどこですか」
気遣わしげな問いに寝ぼけ声でバーナビーが答えると、通信の向こうで溜息がつかれる。誰がどんな用事で呼び出してきたのか、大体を把握したのだろう。
『バーニー』
「……はぁ、い」
『通信切って、かけ直すから。……ありがとうね。おやすみ、バーニー』
柔らかな囁き声に、バーナビーは大きくあくびをして通信を切ってしまった。寝起きの悪いバーナビーは、逆に眠ってしまうのは早い。すぐにパオリンの膝枕ですやすやと眠り始めたのを眺め、カリーナは背に冷たい汗が流れるのを感じた。パオリンもこれはマズかったかもしれない、と言わんばかりの表情でそっと視線を外して沈黙している。イワンはバーナビーを『バーニー』と呼んだ。それは本来彼らが二人きりの時、イワンがとびきりバーナビーを甘やかしたい時に囁く愛称であった筈だ。すくー、と暢気なバーナビーの寝息が響く中、音を立てたのは虎徹のPDAだった。
恐る恐る目を向けると、ヘリペリ専用ラインからの着信が表示されている。通信回線が未だ回復していない状態だから、通信が入るとすればそのラインに頼るしかなくなるのだが、それでも恐怖感に似た悪寒が背筋を駆け昇って行く。が、取らない訳にもいかない。連絡を入れたのはこちらからなのである。諦めて受信すると、アンダースーツ姿のイワンが穏やかに微笑んでいた。怖い。
『こんにちは、タイガーさん。……ああ、皆さんお揃いで』
「イワン、あの、スカイハイさん知らない? スカイハイさんも、そういえば何処にも居ないんだけど」
思わず体から腕を離す虎徹にそうなるよねと思いつつ、パオリンはひとつの疑問を口にした。イワンはああ、と穏やかに微笑むと画像範囲を下に向けていく。顔からアンダースーツの上半身、腰辺りまで緩やかに映像が移動した所で、パオリンはあっと声をあげて口を手で押さえた。ゆるく苦笑したらしきイワンの笑い声が響き、持ち上げられた手が腰元に抱きついたまま離れない、キースの髪を撫でて行く。
『ごめんね、今寝た所なんだ。一時間もしたら二人でそっちに向かうから、待っててくれる?』
「うん。スカイハイさん、どうしたの?」
『……バーナビーさんと一緒。疲れたのと、充電切れ起こしてるだけだから』
なんともないよ、と囁くイワンの表情も疲れているものだった。折紙サイクロンとスカイハイは、戦いにおいて能力の汎用性が高い。スカイハイについては機動性、攻撃性、防御性全てが申し分ない能力であるし、折紙サイクロンの擬態は人命救助やサポートにおいてすでに欠かせない戦力になっている。それに加えてヘリペリデスファイナンスの技術力は、各企業の中でぶっちぎりの第一位である。今回の緊急通信ラインもそうだが、他にも多々あるそれらの技術を、使う為の核として折紙サイクロンは現場を飛び回っていることが多いのだ。純粋に移動だけで考えれば、運動量は折紙サイクロンがトップだろう。
その中で見切れも忘れないのだから、イワンの潜在能力は空恐ろしいものがあるし、それをヒーローたちは十分知っていた。現在、イワンに体術で勝てるのはパオリンだけなのだ。カンフーマスターでも時に手こずるアカデミー出身者は、さて、と呟いて笑顔の柔らかさを増した。
『用事はなんですか? 一応、アニエスさんには休ませてくださいと伝言しておいた筈なんですが』
「あー、すまん。聞いてなかったわ……アニエスの方にも回線回してんのか?」
『……ああ、すみません。回線のこと忘れてました。ヒーローTVから各自へ向けての回線強化も今ヘリペリの……主にキリサトさんがものすっごく張り切ってやってるので、もう十分もすれば回復すると思います』
イワン本人はヘリペリラインで普通に通信が出来ているので、電波妨害が解除されていない状況そのものを忘れていたらしい。すみません、とため息交じりに言葉を繰り返し、申し訳なさそうに付け加えた。
『現在位置はヘリペリデスファイナンスのトランスポーターです。皆さんのいる場所と……約一キロ離れてますね』
「あら、なんでそんなに遠くなの?」
トランスポーター同士が近くにいなければいけないということはないが、テロに似た今回の状況であるから、各社の位置は非常に近い。ネイサンもアントニオも、このトランスポーターのすぐ近く、見える位置から移動して来たくらいなのだ。通常であるならば少し遠いくらいで済む距離は、現在歓迎できるものではない。問いかけに、イワンはふっと達観した笑みを浮かべてみせた。
『……キリサトさんが』
「お前んトコの技術主任はなんでそうフリーダムなの?」
『知りません本人に聞いてください。ともかくキリサトさんが今なにか作ってるんですが、騒音が激しいので遠ざかった方が良いだろうと上の判断です。キースさんが起きたら空路でそちらに向かいますね』
イワンのいるラウンジまではさすがに音が入って来ないらしく静かなものだったが、空気の振動は消せないらしい。首を振ってややうっとおしそうに顔を歪めるイワンの頬に、下からそっと手が伸びてくる。ちらりと視線を下に向け、イワンはキースさん、と手の主の名を囁く。吐息に乗せる静かな微笑み。
『なんでもありません、眠っていてください』
『……誰かと、話を』
『もう終わりましたよ。……さ、おやすみ、キースさん。あなたはもうすこし休まなければ。大丈夫、僕が傍にいますから。……安心して眠ってくださいね』
頬を撫でる手をそのままにさせて、イワンは静かに語りかける。ねむたげな声はそれからいくつかの単語を発したが、やがて手がぱたりと落ちると同時、声も聞こえなくなってしまった。通信をそのままにしていた画面にちらりと視線を走らせ、イワンがああそれから、と会話を終わりにする態度でにこりと笑う。
『いくら僕が色んな通信無視することもあるからって、あんまりバーナビーさん使わないように』
一年前、甘やかすと決めてからこちら、イワンはバーナビーからの通信であれば確実に繋いでくれるのが常だった。普段ならば文句を言わない所なのだが、さすがに恋人を安らがせている時間に、起こされたらしいバーナビーから繋がれて来るものがあったらしい。分かりましたね、と念を押されて、だったらちゃんと出ろよ、という言葉を虎徹は飲み込んだ。ひとまず頷かれたことで、よしとはしたのだろう。それでは一時間後にと言い残し、イワンは通信を切ってしまった。全員が、思わず安堵の息を吐き出して肩から力を抜く。普段は温厚な分、怒ったイワンというのはそれなりの脅威だ。ご機嫌ナナメねぇとネイサンが溜息混じりに呟いて、アントニオが同意するように頷いた。
「いい加減、どうにかならないのか。イワンも……カリーナ、パオリンも」
「なによ! 私たちが悪いのっ!?」
「そうは言ってないだろう。そうじゃなくて、お前たちいい加減に」
続く言葉は、空気の振動によって奪われた。パリパリと、音の名残を残しながら黄金の雷が空に溶けて行く。鋭い、射るような目をしてパオリンが手に青白い燐光を集めていた。無垢なまでの怒りが、瞳には宿っている。
「いい加減に、なんだよ」
花色の唇は赤く、甘く、少女らしく艶めきながら怒りを吐き出して行く。
「いい加減にするのは君たちだよ、ボクたちじゃない」
「パオリン……」
「能力、こんなことに使ってごめんね。それは反省してる。でも、アントニオさん。いい加減にするのはボクたちじゃない。ボクたちはね、なにもバーナビーを過度に守ってる訳でも甘やかしてる訳でもないんだよ。そういう風には見えないかも知れないけど、すくなくともボクたちは……ああもう、上手く言えないな。ねえ、なんで分からないの? ボクたちを一方的に悪者にするのは止めてよ」
悪かったのはどっちもでしょう、とパオリンはバーナビーの眠る横顔に視線を落としながら言う。
「アントニオさんたちは大人だから、タイガーの気持ちもよく分かるでしょう? 特にアントニオさんは色々事情も知ってるみたいだし、昔からのお友達だから、どうしてもタイガーの味方するよね。それは仕方ないよ。でもね、それで、だからって、バーナビーになんで分かってやれなかったとか、聞き分けがないとか、いつまでも怒ってるとか、そういう風に怒るのは止めてよ」
「……別に、怒ってるんでもないしね。バーナビーは」
「すくなくともボクたちは、そういう風にアントニオさんを責めたことはない。そうだよね?」
瞬きと共に意思の奥に塗りこめられていく怒りを見つめながら、アントニオはそうだな、と頷いた。すぐにすまなかったと告げられたからこそ、パオリンは不服げに唇を尖らせる。そんな風に謝られたら、これ以上怒っている方がこどもっぽい。溜息をついて怒りを霧散させ、パオリンは眠るバーナビーに身を屈めた。額をくっつけるようにして目を閉じれば、安らいだ寝息がすぐ傍に聞こえる。規則正しい鼓動と体温は安定していて、嬉しさがじわりと胸に広がった。静寂を切り裂くように、全員のPDAが音を発する。
『ボンジュール、ヒーローズ。お元気かしら?』
平常通りのアニエスの声がヒーローを呼ぶが、画面が砂嵐以上の映像を移すことはなかった。とりあえず音声だけを最優先で繋げたとのことで、映像はまだ時間がかかるらしい。説明するアニエスの背後で、それで爆発機能とかつけると良いと思うんですよ常識的にっ、と技術者の声が木霊していたが、要求は却下されるに違いない。どこの常識と照らし合わせるとそういうことになるのか未だ理解できませんとイワンの地の底から響く低い声が囁き、ヒーローたちは同時に頷いた。ともあれこれで、ヒーローTVと各個人の回線が繋がった。これで貴方たちの無茶と無謀をなんとかできるわ、と言い切ったアニエスはブルーローズと折紙サイクロンの危機を知っているようだったが、深くは追求してこなかった。思わずほっと胸を撫で下ろすカリーナに、虎徹は無茶するなよ、と改めて声をかけてくる。
一時の感情で邪険にしてしまっても、厳しい言葉を投げかけても、こうして気遣ってくれることがカリーナには嬉しくて、すこしだけ申し訳ない。せめてと思って素直に頷けば、虎徹は久しぶりに明るい笑みを浮かべ、カリーナの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「ん、いいコだ」
「……タイガー」
「ん?」
アニエスが通信が途絶えていた間の連絡事を嵐のような早口で告げて行く途中、カリーナはそっと虎徹を呼んだ。手を振り払われなかったことで、気をよくしたのだろう。笑いながら顔を覗きこまれて、カリーナはぎゅう、と眉に力を入れた。
「バーナビー、アンタのこと嫌ったわけじゃないし。パオリンも、イワンも……わ、わたしも! アンタのこと、ちゃんと、好きだから」
「……分かってる」
バニーちゃんの味方してくれてるんだよな、と苦笑されて、カリーナは分かってんじゃない、と口元を和ませる。
「でも、バーナビーが一番味方して欲しいのはアンタよ。……忘れないでね」
「ああ」
『ブルーローズ! タイガー! 聞いてるのっ?』
人が話してる時に暢気におしゃべりなんかするんじゃないわよ、とばかり怒られて、虎徹は肩をすくめ、カリーナはハイスクールの生活指導の先生みたい、と思いつつはぁいと言った。
「それで? 今の状況ってどうなってるの?」
『……戦車を破壊しつくしてくれたおかげで、彼らの戦力はほぼ無力化されたわ。他にも武器、狙撃銃や小銃、それに機関銃なんかも確認できたけど、こっちは警察が対テロ鎮圧部隊を出してくれるそうよ。だからとりあえず、向こうに任せて』
カリーナたちの持っている情報は、恐らく市民が想像しているよりもずっと少ないだろう。街に爆発音と振動が響いてすぐ出動要請によって呼び出され、ヒーロースーツを着用すると同時に通信が寸断された。五分後に折紙サイクロンからメールで街が戦車に取り囲まれていることと、現在の包囲図、逃げ遅れの市民や通信復旧の可能性がないこと、一時間以内に通信ラインだけなら作りあげて見せると技術主任が言っているのでそれはなんとかなること、などが知らされたが、それくらいだ。犯人の数も、目的も、被害の状況ですら、正確には知らないままでいる。全てを知るのは終わった後のことだろう。溜息をついて、カリーナは意識を切り替えた。
全てを理解して動けることなど、この世にいくつあるというのだろう。
「で? 私たちはなにをすれば?」
『テロ組織に合流して動いている、反政府NEXTの発見と逮捕よ。……まあ、ここからはいつも通りね』
アニエスの声が張る。そして全くいつも通りに、胸を張って誇らしげにすら響く言葉で、有能な女性プロデューサーはヒーローに告げた。
『ボンジュール、ヒーロー。本番までもう少しよ、よろしくね? ……ところで』
バーナビーの声が聞こえないけど、と問われ、ヒーローたちの視線がバーナビーに集中した。PDAのコールには、さすがに目覚めていたのだろう。ようやくパオリンの膝からもそもそと体を起こして、バーナビーはゆっくりと眉を寄せ、首を右へと傾けた。
「……おきてますけど、なにかもんだいでも」
『……その低血圧ヒーローは、あと一時間くらいあげれば元に戻るのかしら?』
一時間あればなんとか、と答えたのは虎徹だが、甚だ疑わしいことをカリーナは知っていた。一時間で起きるといいけど、と溜息をつくのにバーナビーは不満げに、だからおきてますけど、と呟いて、大きくあくびをした。