バーナビーが意識をはっきりさせたのは、アニエスの通信が切れて一時間とすこしが経過した頃だった。それはなにも、あまりにふらふらうとうとしているので頭を打つかも知れないと心配したパオリンがまた膝枕をして頭を撫でていたせいではなく、これくらいの時間がないとバーナビーは目を覚ますことが出来ないのだった。ようやく目が覚めた顔つきであくびをしながら目を擦り、バーナビーは不安げな声で虎徹の名を呼んだ。幼子がはぐれた親を呼ぶような、あまりに切ない声の響き。苦笑しながらここに居るよと告げた虎徹に、ぼんやりと瞬きを繰り返す翡翠の瞳が向けられた。
無言でしばし見つめた後、ようやく存在を確認し終えたのだろう。ふわりと、花が咲き綻ぶように甘やかな喜びの笑みを浮かべたバーナビーは、視線を向けてくるパオリンと目を合わせると、そのままそっと身を屈めた。おはようのキスは頬に一回、触れるだけで離れて行く。額を重ねてぐりぐりと甘えてくるのに笑いながら、パオリンは両腕を持ち上げてバーナビーに背をそっと撫でてやる。行っておいでよ、と落とされるのは許可の言葉。すぐ近くにある深い森のような、宝石の欠片のような瞳が申し訳なさそうに細められるのに、パオリンは仕方ないなぁと口元を和ませる。そんな顔をさせたい訳ではないのに。行ってらっしゃいの言葉の代わり、頬に軽い口付けを送れば、触れた箇所に指先を這わせバーナビーはうっとりと微笑んだ。
うっかりそれを見てしまったカリーナが、ハンサムの微笑みで目が痛いと呻いているが、パオリンもすこしだけ同意したい。綺麗なきれいな微笑みは、精神と視覚に優しい毒を与えて心を奪って行く。頬を赤らめて視線を彷徨わせるパオリンに笑みを深め、バーナビーは音の無い仕草でソファから立ち上がった。歩くのは数歩だけだ。呻くカリーナのすぐ傍で、苦笑する虎徹の隣に腰を下ろす。
一番初めに触れるのは、差し出されていたてのひらに指先を。掴まれて繋がれて、安堵しながら怯えながら腕をくっつける。逃げられないのを確認してから、肩に体重を預けるようにくっつけば、繋がれないもう片方の手が伸びてきてバーナビーの前髪を撫でて行く。短い髪を擦り合わせるように愛でた指先が、額に触れ頬をなぞり、肩を包んで引き寄せる。おかえりバニーちゃん、と囁かれるのは明確な独占欲。仕方ないひとだと笑いながら、バーナビーは色めいた意図なく目を閉じてやった。息を吐きながら脱力すれば、眠るなよと苦笑交じりの声が言うので、バーナビーは剣呑な表情で瞼を持ち上げる。
まったく、このおじさんは本当に。全然なにも分かっていない。はいはい寝ませんよと適当な返事を返して繋いだ手に爪を立て、バーナビーはラウンジに視線を巡らせた。そういえば、寝る前より人の数が増えている気がしたので。果たしてそれは当たっていて、ラウンジの隅、バーカウンターのようになっている一角に人影が二つある。ソファには十分な空きがあるので、わざわざそちらに移動したのだろう。シャンパングラスに口をつけながら、ウインクつきでネイサンは手をひらつかせた。
「おはよう、ハンサム。よく眠れたかしら?」
「おはようございます、ネイサン。アントニオさんも。……まさか飲んでませんよね?」
「バニーちゃんお願い爪止めて痛い……!」
隣からの訴えを笑顔を向けもせず無視して、バーナビーはネイサンの持つシャンパングラスを疑わしげに見つめた。細かい気泡の立ち上る透明な液体は、距離があるからこそ匂いも分からず判断が付けられない。バーナビーの言葉を面白がる表情でシャンパングラスに口をつけ、ネイサンは笑った。
「ペリエよ。ねえ、アントニオ?」
「さすがにな、終わったら飲みに行く予定ではあるが」
そうですよね、とバーナビーは苦笑した。隣ではまだ痛い痛いと虎徹が訴えているが、手を振り払いもしないでなにを騒ぐことがあるのか。まったくもうと眉を寄せて視線を戻し、バーナビーは目を細めて囁いた。口元だけが笑っている。
「マーキングしてるだけですから、静かにしてくれませんか」
「なにこの子怖い」
「あれ、バーナビーさんが起きてる」
扉の開閉音と同時に声が響いたので、室内全ての視線が戸口に集中した。顔の前で僅かに居心地が悪そうに片手を振りながら、イワンはおはようございます、と言った。
「まだ寝てると思ってたんですけど……よく眠れなかった?」
「おはようございます、先輩。寝ましたよ。……先輩こそ、ちゃんと休みましたか?」
「イワンくんも休んだとも! そして、休ませたとも!」
やあおはよう皆、元気そうだねと満面の笑みで現れたのはキースだった。イワンの数歩後をついて来ていたらしいキースは、室内に足を踏み入れながらバーナビーと虎徹の手に視線を落とし、嬉しげにふふふ、と声を弾ませて笑った。
「おそろいだ! イワン君、おそろいだよ」
「そうですね。……手を離しても?」
「もうすこしだけ」
イワンが手を体の影に隠していた努力も空しく、振りあげられた手はいくつもの視線に晒された。指先が柔らかに絡みあう二つの手は至って仲睦まじく、当然のことながら爪を立てられた跡はない。痛そうだねとのんびり響く声は現実を見据えたものだったので、虎徹はそれでなぜおそろいなどというほのぼの強い発言が出てくるのかを現実逃避に考え、一秒で答えをはじき出して溜息をつく。キースだからだ。それ以上説得力のある理由など存在しない。
「そういえば」
手を離させることを諦めたのだろう。キースを引っ張って隣に座らせながら、イワンはごく自然な動きでバーナビーの隣に腰かけた。バーナビーとの距離が開いたカリーナがすこしばかり嫌そうな顔つきになるが、頑張ったんだってね、と言いながらキースに頭を撫でられて、眉間の皺がじわじわと消えて行く。
「出てくる時、ウチの技術班が『二十四時間戦いますがそれがなにかー!』とか、人類としてなにか大事なものを振り切った叫びをあげていたんですが、通信ちゃんと繋がりました?」
「いや、アニエスからの連絡はまだだな……。もうちょっとじゃねえか?」
「……予定より遅れ気味なんて、珍しい」
ふむ、と純粋に不思議がる呟きを落とし、イワンはまあもう少しで繋がると思いますよ、と信頼しきった言葉を告げた。事件となれば、現場に出て動くのはヒーローたちだけではない。ヒーローはあくまで第一線で活躍するものであって、それを支える者たちが居てこそ安心して戦っていられるのだ。担当技術者たちに向けるヒーローの信頼感情は、時として恋情より遙かに強い絆でもある。なにかあったのかな、とイワンの心配が消えるより早く、ヒーロー全員のPDAが同時に受信音を奏でた。発信者はヒーローTV。アニエスだった。
一同を代表してバーナビーが動き、ようやく爪を立てるのを止めて解いた手をプロジェクターに伸ばすと、いくつかの操作をしてPDAに同期させる。ほどなくして、ソファの前に設置されたスクリーンにアニエスの姿が映し出された。事件発生からすでに八時間以上が経過しているというのに、アニエスに疲れの色は見えない。休まずにずっと動き続けている筈なのに、今も瞳は爛々と輝き、視聴率獲得への自信と希望に満ち溢れていた。こんなにも心まっすぐに欲望に忠実な人間も珍しいが、それでこそアニエスである。
普段となにも代わりの無い態度と姿は、長引く事件で無意識の焦りに揺れるヒーローたちの心を、不思議な高揚感で宥めて行く。さあ、これからまたショータイムが始まる。不思議に、一同が微笑みを浮かべたのを確かめてから、アニエスはいつも通りの挨拶を口にした。
『ボンジュール、ヒーローたち。開幕時間よ、準備はいかが?』
「最高、とは言い難いですが。それなりに、いつも通りに」
『頼もしいお言葉をありがとう、バーナビー。で、アンタたち? 楽しいお知らせと状況説明ならどちらからがお好みかしら』
悪魔と取引してる気分になるのはボクだけなのかな、と言ったパオリンと視線を合わせ、カリーナは無言で頷いた。なにも湖に落としたりしていないので通り過ぎて良いですか、と言いたくなってくる。それって選ばないと駄目なもんなの、と訪ねたのは虎徹で、質問にアニエスの眉がピクリと動く。駄目なのだろう。各々の溜息と共に、視線が向けられたのはキースだった。犠牲者にされたと思うか、代表として選ばれたと思うかは性格によるだろうか、前者になりそうな恋人とは違い、キースは後者と思って張り切る方だ。なぜかうきうきとした笑顔でじゃあ状況説明にしようかな、と選択されて、アニエスは額に手を押し当てて深々と息を吐き出す。
『全く、心の準備をさせてあげようかって言うのに……アンタたちは……』
「そんなに状況、悪いんですか?」
『良くはないわ』
まあいいとばかり手を振って気持ちを切り替え、アニエスは資料を添付したメールをヒーローあてに送り、それを見るようにと促した。通信の時と同じくバーナビーがプロジェクターをいじり、画面の右下四分の一程度のスペースに文書資料が表示される。指を動かすとスクロールされてページがめくられて行くのを確認して、バーナビーは資料を一ページ目に戻した。簡素に『今回の詳細』と題された表紙には、ヒーローTVのロゴが入っている。各所から受け渡された資料を、誰かがまとめてくれたのだろう。全員が読む速度をそれとなく計算しながらページをめくっていると、アニエスが要約だけを口頭で説明し始めた。
ゴールドステージを包囲した無人戦車の九割が壊滅し、残り一割は半壊程度だが動くことはない。有人戦車については半分が生き残っているが、現在警察が軍と連携して包囲網を狭めて行っているので数時間でなんとかなる見込みであり、アンノウンの軍人たちについては向こうが担当することになったので、これ以上の要請がない限りヒーローは向かわなくてよろしい。ヒーローの相手は反政府NEXTに切り替わり、現在、それらの行方を捜索中である。アンノウンとされた軍人たちについては、捕らえた相手の証言が正確であるとするなら人数と正体は大体が判明しているが、その情報は恐らくヒーローには回されない。興味を持っても知ることは出来ないが、いつもの事なので諦めて納得すること。
あとでニュースでも見なさい。どこか投げやりに並べられていく言葉たちは意識を素通りして、資料もなんとなく頭に入って来ない。難しい顔つきになりながら視線をあげて、カリーナはねえ、とアニエスに呼びかけた。
「犯行声明とか出てるの? 目的とか」
『ないわ』
「……なーんにも?」
訝しげな顔をして首を傾げるパオリンに、アニエスは言い聞かせようとする静かな口調でなにも、と告げる。それ以上の質問を拒絶する声だった。思わず唇を尖らせるパオリンを見て、イワンがそっと苦笑する。
「あったとしても、楽しい気持ちにはなれないと思いますよ。気にしないのが一番」
「そうだけどさ」
『彼の言う通りよ、ドラゴンキッド。それに、彼らに関してはもうアンタたちの手を離れたの』
関係がないから考えないでいいのよ、と告げられて、パオリンはソファの背もたれに体を預けてしまった。だから警察とか軍のひとたちはボクらのこと嫌いなことが多いんだよ、とふてくされた声で呟かれて、アニエスはそれはアンタたちのせいじゃないわね、と肩をすくめる。
『良いこと? アンタたちは会社員なの、会社員。会社の指示で動いてるヒーローが、あれは駄目これも駄目って言われた結果、誰かに文句を言われたとしてもその責任は会社に行くのよ。覚えておきなさい』
「……アニエスって慰めるの下手すぎるよ」
『あんまり可愛いこと言ってると、今日はもうカメラに映れなくなるわよ』
それはイコール、ポイントゼロを意味する。ごめんなさーい、とやる気に乏しい息を吐き出して、パオリンは背もたれから体を離した。
「じゃあ、ボクたちはNEXTを追えばいいんだね?」
『そういうことよ。……何処に居るか、何人いるか不明だけど』
「まさか、探すトコから始めろって言うの? 冗談止めてよ!」
カリーナが悲鳴混じりの抗議を響かせると、アニエスはにんまりと笑った。それがあまりに毒林檎を差し出して来る魔女の笑みに似通っていたので、カリーナはとっさにキースの背とソファの間に体を捻じ込んだ。本能が少女に逃げろと警告したので、反応として仕方がないだろう。パオリンはソファを飛び越えて影に隠れていたし、イワンは目と画像の間に手を差し入れることで視界をなんとか逃がしていた。背筋を這いずって行く嫌な予感に虎徹は黙りこみ、アントニオは胃の辺りを手で押さえている。そーっとプロジェクターのスイッチを切ろうとしたキースは、途中でアニエスに見つかって両手を降参の形に上げていた。帰りたいとぼやくバーナビーに同意したげな苦笑を浮かべ、ネイサンが優美な仕草で肩をすくめる。
「それがもしかして、楽しいお知らせなのかしら?」
アニエスの赤い唇が動こうとした瞬間だった。死にたそうな顔つきでうろんな目つきになったイワンが、抑揚に乏しい早口で尋ねる。
「すみませんそれにうちの技術部は関わってますか」
『……安心なさい。無関係よ』
「あ、じゃあいいです」
じゃあ死ぬの取り消しにしますとばかり安堵に綻んだイワンの表情に、向けられた表情は様々だったが、意味は大体同じものだった。大丈夫です強く生きますから、と儚く微笑んだイワンを、キースが慰めるように撫でている。普段ならばじゃれるないちゃつくなと怒るアニエスは寛大な心でそれを許してやり、ヘリペリデスファイナンスはとりあえず関係ないわ、と明言した後に大きく息を吸った。
『今回の事件の規模を理由として、先程司法局からヒーローTVに連絡が入ったわ』
「……ユーリ・ペトロフ?」
『ええ、そうよ。ワイルドタイガー、アンタがお世話になってるヒーロー管理官から楽しーいお知らせよ』
まず連絡を入れてきたひとからして楽しい知らせである筈がない、という文句を虎徹は飲み込んだ。画面に表示された不健康そうな青白い面差しはすでに見慣れたもので、ヒーローたちは一様にいぶかしげな顔をする。『彼』がなんの用事だというのか。ヒーローTVの関係者は知らないことだが、すでにヒーローたちはルナティックが『彼』であることを知っている。捕まえないのは現行犯での確保が未だに出来ていないからと、決定的な証拠が見つからないからだ。加えて、この一年に関して『彼』は死刑判決を下すことに尽力していて、特に目立った殺害をしていないことが理由に数えられるだろう。
過去の罪は消えない。そのまま、そこにある。けれども憎しみ続けるにしては『彼』のおいたちは同情的であり、時にルナティックはヒーローたちに協力する素振りを見せたりもしている。共感は出来ない。分かってやることもできない。そこにあるのは、思考への一定の理解と人間的な同情だけだ。ひとはひとを殺してはならない。そこにどんな理由があろうとも。法が死刑判決を下すことならば出来る。合法的な殺人命令。あー、と陰鬱な呻きを落とし、虎徹は似たような顔つきをして黙りこむ仲間たちを見回した。誰も言葉を発さない奇妙な沈黙に、アニエスの表情が訝しげなものになる。
虎徹はゆるく視線を持ち上げ、まさか、と重たい声で問いかけた。
「……味方が増えるなんて、そんなことは」
『あら、情報が早いわね』
「っ、嘘だろ?」
思わず立ち上がった虎徹を止める者はいない。『彼』の力は強い。良くも悪くも。ヒーローにしてみれば最悪の敵の一人なのだ。確かに今回の事件は規模が大きく、時間が長引いているものの『ジェイク・マルチネス事件』程ではない。犯行声明が未だ出されておらず目的が不明であることも大きいが、ヒーローたちの認識としては彼の事件より強大だとは思えず、同等とも考えられなかった。説明を求めるいくつもの視線を冷たく無視して、アニエスは決まったことなのよ、と言い放つ。
『それにもう、アンタたちの居るラウンジの、扉の前まで来てるわ』
「……鍵はどうした」
『アポロンメディアのメカニック、斎藤さんに、司法局からの要請でマスターキーのレンタルが申し込まれたそうよ』
虎徹とバーナビーの脳裏に、ふひっと笑う斎藤さんの姿が映し出された。二人の視線が交わされる。うん、斎藤さんが貸しちゃったなら仕方ない。溜息をつきながらソファに座りなおす虎徹に、バーナビーがそっと身を寄せてくる。無言のバーナビーに手を差し出してやれば、指先が弱い力で繋がれた。アニエスは無言で眉間に皺をよせ、指先でトントンと額を叩きながら言い募る。
『まあ、そういうことだから。……連絡は終わったわ、入室していいわよ』
もう一回線、別に通話ラインを確保していたのだろう。画面の外に向けられた視線は何処へと繋がった先を見つめていて、それに応えた二つの声が遠くと、すぐ近くから響いた。性別の違う二つの声。嫌な予感に息を奪われるより早く、ラウンジの扉が開いて行く。入って来たのは、青年と少女だった。二人は揃いの白いローブを肩から羽織り、フードを背に落として顔を露わにしていた。ローブが動きに従って優しく揺れるさまは、中世の騎士のマントを思わせる。
そこに描かれたのは、法の順守を誓う司法局の紋章と、純潔の意思を表す白百合。高潔であれ、潔白であれと歌う花。ローブの内側に来ているのはカジュアルな黒の上下だが、布にはない不思議な光沢がアンダースーツと同じ素材であることを示している。ブーツの踵を打ち鳴らして止まり、二人はよく訓練された仕草で、ヒーローたちに向かって敬礼する。
「このたび、司法局から正式な認定を受けましたヒーローアカデミー所属のサポーター、鏑木楓です」
「同じく、司法局から正式な認定を受けましたヒーローアカデミ所属サポーター、エドワードです」
『……ワイルドタイガーと折紙サイクロンは生きてるかしら?』
二人が部屋に入って来たと同時に驚愕で息を止めた虎徹とイワンに、アニエスから小馬鹿にするような声が飛ぶが、驚愕の大小はあれど全てのヒーローがぽかんとした顔で彼らを見つめていた。一番ダメージが少なく、復帰が早かったのはネイサンとパオリンだ。今にも泣き出しそうな顔つきで凍りつく虎徹をちらりと見てから、パオリンはそろそろと手をあげて質問の意思を示す。なに、とそっけなく許可されるのに頷き、息を吸い込んでパオリンは言う。
「……サポーター?」
掠れた声をなんとか響かせ、パオリンはぎこちなく腕を下ろした。分かっている。他に聞きたいことは山のようにある。もっと気になっていることだってある。けれど動きの鈍い頭ではその問いを編みあげることが精一杯で、その他のことは、まだ受け止められる気がしなかった。サポーター、と繰り返し告げ、アニエスは息を吐く。
『彼らは厳密に言えばヒーローではないわ。企業スポンサーを持たず、ヒーローTVの持つ一部リーグ、二部リーグにも関係がない。NEXT能力を生かし、ヒーローのサポートをすることを目的として司法局が認可し、アカデミーが送りこんで来た貴方たち専用の助力よ』
「なんの、為に」
『ヒーロー活動による損害賠償の軽減、および医療費の軽減。作戦遂行のさらなる迅速化。ヒーローに匹敵する能力を持ちながら様々な事情があって活動が困難な者の救済措置、能力コントロールの実地訓練、NEXT能力の研究、あとはなんだったかしら……頭が停止して死んでるそこのワイルドタイガーと、その家庭の為に優しく簡単に説明してあげると、公共物や個人資産の破壊を未然に防ぎ、ヒーローたちを怪我なく帰還させ、その為の作戦をNEXT目線で考えなおしアドバイスする。NEXT能力が強力で汎用性も高いエドワードの有効利用と法的な監視を兼ねていて、アカデミーでも難しい鏑木楓の能力の制御と自覚を促し、さらにはサポーターという立場を設立することでヒーロー一部リーグ、二部リーグとは別の就職先、能力の適正によって進むべきもうひとつの道を作って行く、というのが目的だそうよ』
ここまで詳しく説明してあげれば分かるわね、と告げられたアニエスは頭が痛そうだったが、同時にどこか楽しげですらあった。彼女に取ってアクシデントは頭を悩ますことである以上に、視聴率獲得の為のご褒美だ。まあいいんじゃない、やってみれば、と軽く告げるアニエスに、ようやく虎徹が強い意思を取り戻す。
「良い訳あるか! こら、楓っ! お前、パパに無断でなにやってるんだ!」
「アルバイトしていい? ってメールした時、いいって返事したじゃない」
「それは、兄貴の店でも手伝ってお小遣い貰うのかと……!」
労働基準法がNEXT、特にヒーロー関連にはほぼ適応されないことを思い出し、虎徹は頭を抱えて唸ってしまった。というかアルバイトってことは給料は発生するらしいけどそうじゃなくて、駄目だもうなにから考えて良いのか分からん、と首を振る虎徹を尻目に、イワンが長い息を吐き出す。そこで、落ち着いたと見て取ったのだろう。よう、と至って気楽に片腕をあげ、エドワードが笑った。
「久しぶり、イワン。元気そうには見えないけど、体調は整えとけよ?」
「誰のせいだと思ってるのかなんて分かって言ってるよね、エドワード。……エド、本物?」
「確かめるか?」
苦笑したエドワードの体を青白い光が包み込み、足元に穴でも空いたかのよう、その体が垂直に床へと沈んだ。頭まで飲み込まれて消え去ったのち、よっ、と声をあげて床から生えてきた手が体を持ち上げ、元通りに立ち直した所で発動を示す光が霧散する。物体の透過とそれをくぐり移動する能力の発現者が、エドワードの他に出たという報告はアカデミーに届いていない。NEXT能力の保持者をアカデミーが全て把握している訳ではないが、本人の報告と近親者、あるいは親しい者からの申告によって集められる能力データの精度は近年ますますあがっている。エドワードだ、とぽかんとした声でイワンは呟き、勢いよく立ち上がると同時に床を足で蹴った。