予想していたエドワードが苦笑しながら広げた腕の中に飛び込むと、イワンは見惚れるような動作で親友の肩に手を置き体を持ち上げて折り曲げた膝を腹に叩きこんだ。先輩さすが先輩えげつない、とどん引きした表情でバーナビーが呟く中、体を二つ折りにして咳き込んだエドワードにイワンは混乱しきった視線を向ける。
「うわぁ! エドワードだっ……! エド、どうしたのっ? まだ刑務所に居る筈じゃ……!」
「おま……もっと他に言うこと……あるだろっ……!」
「……こんにちは、鏑木楓ちゃん。折紙サイクロンのイワン・カレリンです。よろしくね」
考えた末、もう一人に自己紹介を『言うこと』の答えとして弾きだしたイワンは、柔和な笑みを浮かべて楓に挨拶をした。差し出された手にやや怯える様子を見せながらも、楓はイワンの手をそっと握ってもう一度鏑木楓です、と名乗り、よろしくお願いしますと頭を下げた。その様子に虎徹はさすがうちの楓ちゃん礼儀正しい、と目頭を押さえて喜んだが、はっと正気を取り戻した顔で姿勢を正す。
「楓」
「……誰にも、なにも言っちゃいけなかったのよ。お父さん」
名を呼ばれ、父親を映した瞳は虎徹が知る幼い娘のものではなかった。一人の、未だ幼さを残す少女のものだった。日々成長していくこどもは、親の手をすり抜けて走って行こうとする。留めようとする親の焦燥を知りながら、その先へ行かせてと願う瞳。静まり返った部屋に、楓の声が響いて行く。
「中学からヒーローアカデミーに在籍するって、それはお父さんも知ってるよね?」
「……ああ」
「その入学手続きの検査で、私の能力……触れた対象者のNEXT能力をコピーして使用することができる、だったかな。その能力がね、すごく……」
辛いと。そう告げるように途絶えた言葉は、震えを隠す少女の手の中にしまい込まれた。なにものの助けも借りず蘇った言葉の強さは、だからこそ聞く者の心に鋭く届いた。
「すごく、危ないんだって。危険なんだって。バーナビーさんみたいにすごく小さい時から能力が出てて、今まで来てたなら良いけど、私はまだ一年くらいで上手くコントロールもできないし、だから私は、私のっ」
「……落ち着け」
少女の肩に両手を置いて、静かに言い聞かせたのはエドワードだった。興奮によって過呼吸にすらなりかかっていた少女の喉が、ぜい、と嫌な音を立てて大きく上下する。上手く説明できないよ、とか細く助けを求めてくる楓に、エドワードは自分の言葉で、と求めた。
「分かりにくかったりしたら、俺がちゃんと補足してやる。だから、最初の説明だけは自分で言うんだ」
「……っ、わ、わた、わたしの……私の、能力で使えるのは、私の能力じゃないから……! 触って、コピーしちゃって、コピーしちゃうと、能力使いたくないのに、勝手に出ちゃったり、するし……また勝手に引っ込むまで、自分だとなにも出来なくて! き、傷、つけ、たり……したくな、の、に……っ」
零れた大粒の涙は人目に触れなければ存在しないのだとでも言うように、楓はローブの端を目元に押し付けて俯いた。頑張った頑張った、と褒めるでもなく慰めの為に頭に手を置いてやりながら、そういうことなんで、とエドワードがヒーローたちに目を向ける。
「楓の能力はハッキリ言って脅威だ。能力によっては制御不能で暴走しかねないし、そうなった時、それは本人にも止められない。下手すれば俺の二の舞どころか、シュテルンビルトが壊滅する可能性もある。……誇張じゃないぜ? 天候操作能力系、スカイハイやドラゴンキッドの能力のコピー状態で暴走させてみろ。炎でも、氷でも……攻撃性の低い能力であっても、それがどんな風に影響するかは誰にも分からない。それなのにNEXTとして目覚めたばかりで自分の能力コントロールできねーし、コピー相手の能力なんてもってのほかだし……アカデミーの教育でどうにかなる範囲を正直越えてるんだよ。でも、ヒーローとして放りこむ訳にもいかない。困った校長は以前から考えていたヒーローを助けるヒーローの構想、その為の教育やらなんやらをユーリさんに相談して、ついでに俺に白羽の矢が立った」
「……エドに?」
なんで、と当然の疑問を口にするイワンをソファに追いやりながら、エドワードは面倒見よく、しゃくりあげる少女の頭を撫で続けている。揃いの衣装だからか、その姿はどこか対めいていた。
「分かりやすい抑止力とストッパー役。能力の使い方を間違えれば犯罪者になっていう見本とか、アカデミー出身者としての知識とか。ヒーロー志望だったこととか、お前の知り合いだったとか、まあ色々だよ。偶然俺の担当がユーリさんだったってことも大きいだろうけど。ちなみに俺、保護観察処分? なんかそんなで、ユーリさんの家に住んでるから。で、ヒーローとおんなじに要請があると動く感じ」
「……エドさん、もういい。ありがとう」
「ん、落ち着いたな」
涙を拭って顔をあげた楓の目を覗き込み、エドワードが安堵したように笑う。その際、近い近いと父親の叫びが室内にほとばしったが、楓もエドワードも他のヒーローも、完全にそれを無視してのけた。もう、とうっとおしく呆れて恥ずかしがりながらも愛おしい、と複雑な感情の呟きを落として、気を取り直した楓は腰に手を当てる。父親に文句を言いたそうな少女を後でな、と宥め、エドワードが言葉を続けて行く。
「楓の能力発現がもう一年か二年、早いか遅いかだけでも事情は違っただろうけどな。結果が全てだ。こうなった以上、また、アカデミーに入学した以上はNEXTとして己の能力と向き合い、制御する義務が生まれる。なんの拘束力もない義務だけどな。でもその義務を、心に抱く誇りみたいにして真剣に向き合って、楓自身がどうにかしたいと思って、どうにかしてやりたいと思った大人が動いた結果がこれだ。……ま、話し合いはこの事件が終わったらにしようぜ?」
あと立場上そういう名前になってないけど、俺は楓のバディみたいなもんだからそこの所よろしく、と言ったエドワードに、虎徹よりもバーナビーが刺し殺したがるような視線を向ける。はぁ、と疑問形に跳ね上がった言葉は明らかに不機嫌なそれで、父親よりも兄めいていたが、可愛いうちの子に近寄るんじゃねぇよという意思が十分含まれていた。楓は困ったように眉を寄せ、虎徹とバーナビーを見比べて視線を動かしたあと、大丈夫よ、と昔から現在までも己の王子さまであるひとに、そっと特大の矢を打った。
「私、まだ恋人はいらないの」
それはつまり、バディで恋人である虎徹とバーナビーに取っての最大級の嫌味に等しい。本人に自覚はないだろうが。そうですよね、と胸を手で押さえて蹲ったバーナビーの隣で、虎徹は友恵ちゃん俺たちの娘が成長してるよでも俺あんまり嬉しくないなんか涙出てきた、と天に向かって語りかけている。素直な気持ちによって告げた言葉が父親と養父に瀕死の重傷を負わせたのを目の当たりにし、楓は落ち着かない様子でおろおろとうろたえる。あーあー、と呆れた声で楓の頭をぽんぽん撫でながら、エドワードはうんざりとした様子で首を傾げた。で、ヒーロたちは俺たちの初仕事の結果を聞いてくれるんですかねぇ、と嫌味っぽく言葉が落とされ、真っ先にイワンがきょとんとした目を親友に向ける。
「初仕事? ……サポーターの?」
「そ、俺ら、仕事帰りなんだわ。な、かーえで?」
「う、うん。えっと、現在行方不明とされているNEXTの位置を特定してきました」
これから説明しますね、と言って楓が取りだしたのは折りたたまれたシュテルンビルトの地図だったが、視線はそのまま、困惑したように食器が所狭しと並べた机に落とされ、動かなくなる。大体は食べ終わった食器だが、まだ食べものが残っているものもあった。気が付いたキースとカリーナが慌てて片付けようとするのを視線で制して、エドワードはぱん、と音を立てて楓の背を叩く。
「『地図を広げたいので、机を片付けてください』だ」
「う……」
「憧れのヤツばっかで緊張してるのは分かってるし、全員お前より年上だもんな。おまけに父親も居るとなるとやりにくい、緊張する、なんて言ったらいいか分からない、そもそも言って良いのか分からない、の四重苦なのは理解してやるが、俺らは『ヒーローサポーター』なんだよ。何回も言っただろ? 大丈夫だ。イワンが蹴ったの見た後だとちょっと説得力が薄くなるが、いいか? あれらは基本的に」
ぴ、と人差し指で成り行きを見守っている八人のヒーローを順番に示して、エドワードはごく真面目に言い切った。
「吠えないし噛まないし引っ掻かない」
「……でも」
「もし怖い想いをするようなら、その時はちゃんと守ってやる。約束したろ?」
な、大丈夫だ。囁きは穏やかに重ねられた額から直に熱となって広がり、楓の萎縮した心をほぐして行く。やっぱり近いだろあれ、と嫌そうな虎徹の呟きに、カリーナはウエットティッシュはどこに置いたか探しながら、全世界でアンタたちにだけは言われたくないと思うのよね、と言い返した。基本的に室内には敵がいない筈なのに、悲しいくらい味方がいない意味の分からない状況でしょんぼりとする虎徹に、おずおずと口を開く楓の聞きなれた声が届く。
「あの……地図を、広げて説明したい、ので。机を片付けて、くれると嬉しいです」
ぱんっ、と音を立て瞬間的に虎徹の口が手で塞がれたが、それを行ったバーナビーに向けられたのは純粋な賞賛の目だった。この状況で『楓ちゃんよくできましたねー』なんて言えるのは空気読めない父親だけだが、虎徹は残念なくらいそれに該当する。なにすんだよ、と手を引きはがそうとする虎徹の対処をバーナビーに任せ、ヒーローたちは粛々と机の上を片付けて行く。食べ終わった皿はシンクへ運ばれ、ネイサンの手によって手早く洗われて行く。水で流された食器を受け取って拭くのはカリーナとパオリンの仕事で、食器を分類ごとに並べ、手早く外に運び出して行くのがアントニオだった。見つけ出してきたウエットティッシュで机を拭いて行くのがイワンで、キースは人懐っこい笑みを浮かべて楓に自己紹介をし、エドワードに挨拶をし、にこにこと笑っている。
それらを横目にしながら腕を押し合い引き合いし、バーナビーが小馬鹿にした表情でいいですか、と告げる。
「余計なことを言わないでください。というか、楓さんが居る時はあなたは発言しなくて結構です。どうしても言いたいことがある時だけ、まず一度言葉をメールで打ってから僕か先輩かカリーナに送って添削させてください」
「なんでだよ! 俺の娘なんだから会話したっていいだろっ!」
「公私混同するなって言ってんだよおっさん!」
おっさん、と呟き繰り返し鉛玉で横顔を殴られたかのような顔をして、虎徹がばたりとソファに倒れこむ。動かなくなったバディをちらりと眺め、バーナビーは輝く笑みをエドワードに向けた。
「助かりました。ありがとうございます、エドワードさん」
「いいけど。一々これかと思うとめんどくせぇな……いいか、楓。今日、ちゃんと説得しろよ? どーしても一人で説得しきれなかったら、俺かユーリさんがついてるからな」
「……お父さんったら」
頑張ると溜息をつきながら、少女のちいさな手がまっさらな机の上に地図を広げていく。見慣れたシュテルンビルト市の、ゴールドステージの一部を拡大表示したものだった。楓は溜息をつきながら黒いペンを取り出し、それでは説明します、とヒーローたちを呼び集める。基本的に動くのは楓であり、エドワードはあくまで補助として傍にいるようだ。分かんなくなったら言えよ、と求められるのに頷きを返し、少女の緊張に強張った唇が動いて行く。
「まず、反政府NEXTの総数は五人から六人だと思われます。このことは、警察がつかまえた軍人の証言からあきらかになりました。名前や出身地なども分かったようですが、この情報は私たちにも、またヒーローの皆さんにも公開されることはありません。説得が可能だと警察と司法局が判断した時のみ、改めて連絡が入ります」
真剣な顔で地図と楓を見つめるヒーローたちに意識を割り振る余裕もなく、少女の瞳がエドワードを振り返る。ん、と頷かれたことですこし緊張を緩めながら、楓の手がペンのキャップを取ろうとした。
「その情報がこちらに、入ってから……色々な情報機関に問い合わせて、協力してもらって、最終的に、このゴールドステージの」
強張り、汗ばんだ指先で上手くキャップを開けられないのだろう。焦って泣きそうになる少女の手元にエドワードの指先が伸ばされ、ひょいとペンを取りあげてキャップを開けると、震える手に持たせてからぎゅっと包みこんでくる。言葉もなく指先で甲を幾度か叩かれ、離されて、楓はペン先を地図に落とす。きゅ、と音を立ててすべっていく黒い線は、震えることなく美しい円を描きだした。
「この範囲の中に潜伏していることが分かりました」
「……範囲に僕の自宅が含まれていますが」
「はい、なのでバーナビーさんは、事件が終わってもちょっとお家に帰れないかも……」
現在この範囲は警察と機動隊の手によって完全封鎖されており、事件が終わった後に徹底した安全確認が行われることとなっている。明日の夕方くらいになると思います、と告げられて、バーナビーは仕方がないと苦笑した。
「大丈夫ですよ。さ、続きをどうぞ。楓さん」
「はい! それで、今から三十分前に」
「一時間半前、な」
三十分は俺たちが戻って来た時間基準、と訂正され、少女は恥ずかしそうにペンのキャップをしめた。
「一時間半前に、このスポーツセンターで五人を目視にて確認しました。設置したカメラの映像から判断すると、まだ移動はしていません。それで、えっと……えっと、水が」
「ん、よし、交代。ここからは楓には説明無理だろ」
はいよく頑張ったとぽんぽん楓の頭を撫でながら、エドワードがイワンとバーナビーに視線を走らせる。なんだろう、と訝しむ二人に、エドワードはこの二人ならば確実に理解すると思っている顔つきで、スポーツセンターが占拠された目的は不明だが、と言った。
「分かりやすく、そこに水があった為と思われる。あそこ、でっかいプールあるだろ? 循環式の」
「ありますね。屋内プールですが見晴らしの良いように作ってあって、景観がとても美しい。……それが?」
「奴らはそれを利用して、濃硫酸を生成した可能性が非常に高い。さらに言うと、五人のうち二人が生成役。二人が銃身で、一人がトリガーだ。銃弾はもう作り終わってる」
俺の言ってる意味、お前らなら分かるな、と問われて、イワンとバーナビーはさっと視線を見交わした。二人の瞳には同じ意思が灯る。他のヒーローたちに不安の色がよぎるより早く、バーナビーが掠れた声で囁いた。
「複数のNEXT能力者による合同発動……理論上は可能でしたが、こんな風に使ってくるだなんて」
「エドワード、そのプールから見える範囲に」
「シュテルンビルトの警視庁本部、市庁舎、司法省の建物が目視確認できる。遠目には刑務所も見える。……知っての通り、液体は高速で打ち出されることで肉体を貫通する程度の威力を持つことがある。加えて濃硫酸だ。それらがもし建物を飲みこめば、被害は甚大なものになる。……戦車での包囲は囮だった可能性が高い。本命は恐らく、こっちだ」
なんで昔から絶大な悪事を働く奴らには頭いいのが多いんだと溜息をついたエドワードに、アカデミー卒業組二人はぐったりした気持ちで頷いた。若干、お前が言うなという雰囲気も漂うが、エドワードの場合はそもそもがやろうとして招いた結果ではない。どうしたものかと沈黙するバーナビーのわき腹を指先でつつきながら、虎徹は訝しげな顔をする。娘とエドワードから受けたダメージから回復したらしい。指先を叩き落としながら、バーナビーは若干面倒くさそうな顔つきでなんですか、と言ってやった。
「んー? いや、その、NEXT能力の合同発動? ってどんな感じのことなのかなー、と。なんとなく分かるけど、なんとなくしか分からないからバニーちゃん説明してよ」
「ものすごーく乱暴に簡単に説明すると、例えばスカイハイの起こした風に僕のハンドレットパワー乗せて風速や風圧をを百倍にするようなものですね。昔から理論だけはあって、理論上は可能とされていたんですが、あくまで机上の空論だろうということで片付けられていた技術……技術というか、方法というか、まあそういうものなんですが、ほぼ不可能とされていた筈なのに……。エドワードさんが先程言った銃弾と銃身とトリガーというのも、合同発動理論の時に出てきた用語です。銃弾が例えばスカイハイの風と僕のハンドレットパワーだとすると、銃身はそれに方向性を持たせる役目の能力です。僕たちの場合、恐らくその役目を担えるのはロックバイソンでしょうね。二つの混ざり合った能力を制御する訳ですから、これには能力的な適正が大きく関わって来ます。最後にトリガー、引き金です。混ざり合い、引き絞られた能力を求める場所に開放する能力者。一番適切なのは物体のテレポート能力を持ったNEXTですが、銃弾が風とハンドレットパワーのように形あるものでない場合もありますから、能力の制御力が高度であればある程いい。ファイヤーエンブレムやブルーローズなら可能でしょう」
唯一名前の出されなかったドラゴンキッドが頬を膨らませかけるが、例えばハンドレットパワーに電気的なショックを与える攻撃とかも可能ではありますね、と付け加えられたことでにっこりと笑う。思わずにこ、と笑い返してから、バーナビーは虎徹に理解したのかを問う視線を向けた。なんとなく、と頷いた虎徹に苦笑しながら、バーナビーはまあそんな感じで、とまとめてしまう。
「この場合は恐らく、濃硫酸を直接攻撃手段として使ってくる為の行動なんでしょう。生成が完了しているとしたら、一刻を争うな……」
「そうだな。場所と人数が分かったし、アニエスに連絡して」
「駄目!」
突入を、と続けようとした声を、楓が厳しい声で遮った。行動を止められたヒーローではなく、まるきり娘に怒られた父親の顔をしてどうしてだよぉ、と悲しげな声をあげた虎徹に、楓がびしりと指を突き付ける。
「だから怪我するし賠償金も増えるのよ! お父さんったら全然分かってない!」
「楓。お父さんじゃなくて、ワイルドタイガー、な」
即座に横合いから入ったエドワードの訂正にこくこく頷きながら、楓は視線を虎徹から離さず指を引っ込める。まるで、見ていなければ居なくなってしまう、とでも言うような態度だった。虎徹に関しての対処は、さすがに娘だ。完璧に正しい。でも急がなければいけないのは事実でしょう、と控えめにフォローしたバーナビーの声に、答えたのはエドワードだった。
「分かってます。だから、今中和剤を作ってもらってるんで。……もう数分だけ待ってください」
「中和剤? ……って、炭酸水素ナトリウムとか?」
「どれだけ大量に運び込む気だよアホバカイワン。まあ、あながち間違ってはいないけどな……持ち運びしやすいようにタブレットみたいな固形で作ってもらってるから、それができるまで待て。あとはヒーロースーツの追加装甲。動きを制限しない程度に耐酸化性能を付属してもらってる。パーツ追加になるか、塗装でその機能を持たせるかは各メカニックと技術提供者の協議によって決まるらしいけど」
エドさんも折紙サイクロンさんね、と楓に悪戯っぽく囁かれ、エドワードは苦笑して肩をすくめた。説明にカリーナがうんうんうんうん頷いているが、微妙な笑みを浮かべているのはハイスクールの知識では会話に追いつけないからだろう。それでも諦めないで理解しようとするのがカリーナの可愛い所だ。分からなかったら質問していいですよ、とイワンに苦笑され、カリーナは複雑そうな顔つきになりながらも、とりあえずの疑問を口にする。
「ええっと、炭酸水素ナトリウム? って、なに?」
「重曹のこと。ただこれで中和すると……かなり発泡する筈なんだけど、それはどうするの? すごくやりにくい気がするんだけど」
「泡が出る代わりに花が咲いたりすると可愛いですよねちょっと頑張ってみますー! って言ってた」
意味分からなかったけどお願いしますって言っといたからすくなくとも泡が少なくなるような生成してくれるんじゃねえの、それが可能かどうか知らないけど、とぬるい笑みで付け加えたエドワードに、イワンの表情が引きつった。ヒーローたちもなんとなく理解して、それを言ったであろう技術者の姿を思い浮かべる。ヘリペリの技術者はちょっと頭がおかしい。精神的に泣きそうになったイワンの頭を、カリーナがそっと撫でてくれる。ありがとうと呟きながら、イワンは無言でキースに体重を預けた。甘えたさんだ、と笑いながら、キースがイワンの髪に鼻先を埋めて抱きよせる。
「それにしても」
諸々の騒ぎより食欲を満たすことを優先したのか、パオリンが饅頭を口いっぱいに頬張りながら首を傾げた。
「なんでそんなことするんだろうね?」
「……花が咲くのが?」
「違うよ。今回のNEXTとか、軍人さんとか」
犯行声明まだ出てないんだよね、と確認したパオリンに、エドワードはヒーローたちと同じく手首に巻かれているPDAを指先で操作し、確認した後で頷いた。警察が捕らえた軍人たちは途切れ途切れに証言をしているものの、犯行の動機に繋がる言葉は引き出せていないままだ。だからこそエドワードは、苦い気持ちで口を開く。
「俺にはまあ、なんとなく分かるけどな」
「……え?」
「復讐だよ、動機は。多分だけどな。反政府とか言ってるけど、要求もなにも出てないのは要求がないからだ。これはただの復讐。相手になにも要求しないし、したくもない。怒りと憎しみを叩きつけることでしか心が報われないと知っていて、だからこそなにも言わない。単純で、簡単で、この上ない理由だ。……軍人たちは恐らく自らアンノウンになって機会を伺っていて、迫害され怒りを溜めこんでいたNEXTを手を組んだ。彼らの怒りの原因は違うが、共通しているのが復讐心なんだろうよ」
エドさん、と心配そうに楓が青年の手を握る。ちょっと驚いた顔をしてから笑って、大丈夫だ、とエドワードは言った。
「……捕らえられた軍人の名は公開されてないが、情報を引き出す会話の中で一人分だけ愛称だか称号だかが零れ落ちた。それに聞き覚えがあって調べたら……そいつの家族と恋人は、戦争中にテロに巻き込まれて全員死亡してる。アンノウンになったのは、それからすぐだ。テロは国内で起こった。安全とされる地域でのことだった。……他の奴らも多分似たようなもんだと思う。奪われたものは、安全な場所で確かに守られている筈だった。それなのに奪われた、守ってくれなかったこの国そのものに怒りを叩きつけたいんだろ」
「どうしてシュテルンビルトなのかしらねぇ。ここ、政府機関なかったと思うけど」
「ヒーローTVがあるからだと思います。電波妨害があるから生中継はできなくても、録画した映像がこの事件規模だと必ず流れるから……ただのニュースより、ずっと注目される。年代を問わず」
復讐と怒り、憎悪の結果をまき散らす手段としてヒーローTVは極めて有効な手段のひとつだな、と息を吐かれて、ヒーローたちの脳裏にジェイク・マルチネスの行ったウロボロスTV中継が蘇る。ああ、そうか、と静かな納得が広がった。あれから二年が経過したが、NEXTの迫害は社会の重要な問題として残っている。彼らはあくまで一般市民として取り扱われず、骨を折り内臓に甚大なダメージが加わるような暴行を受けてさえ、能力を使った抵抗により相手が傷つけば有罪が下されるのが現状だ。NEXT能力保持者と一般人は、まるで車の事故と飛び出してきたこどものように取り扱われる。