連れ去られた少女たちに意識がないことを確認したのは、アニエスだった。警察の要請によって緊急招集された、NEXT能力の影響に深い見識を持つ女性医師と、同じく女性の看護師数名が、アニエスと共にヒーローTV用トランスポーターの中で、途切れ途切れの楓の声を聞く。顔色、呼吸、脈拍の確認を行い、眠れる少女の特徴と手元の資料を照らし合わせ、楓に名前を呼んでもらう。ヒーローたちが散らばった情報をかき集め、出動準備を行う僅かな静寂の時間を狙い、それは行われた。楓は指示の通りに眠るひとりひとりの顔を覗き込み、脈を数え、肩を手で叩いては少女の名を呼びかけた。ひとりの声も返らず、落胆と不安の溜息がアニエスたちの元まで届く。医師は難しげな顔をして、唇をかたく結んでいた。一人の看護師が落ち着いた声音で、医師に代わって楓に問いを重ねて行く。少女たちの服装の乱れ、手足に痣は確認できないか、泣き腫らしたようなあとはないか、爪になにかを引っ掻いたような傷や、血の乾いた痕はないか。楓がいるのは窓がひとつあるだけの暗闇の中で、その確認はひどく困難だった。それでも少女はPDAの機能を使って明るさを確保し、慎重に指示を受け止め、女性たちのなによりの不安を解消していく。なんの感情にか震える声で、それでもハッキリと響く声で、楓は大丈夫だよ、と言った。このひとたちは、みんな、怖い想いも、痛い思いも、していないよ。言葉を選んで、幼く告げられた事実は、それでいて性的暴行の不安を正確に理解し、安堵しているものだった。
アニエスも、医師も、看護師も、テレビクルーも、一様に強張った不安を吐きだし、肩の力を抜いて行く。最悪の事態は、少女の命が失われていることだった。それでも、救われた命を投げ捨ててしまいたくなるひどい現実がそこにあることも、彼らは知っていたのだった。楓も、それを理解していた。アカデミーの教育と、ヒーローのサポーターとして繰り返される犯罪に立ち向かっていく生活が、年齢に対して早熟な知識をもたらしていた。それでも、楓はまだそれを実感として持つことができない。心身を保護者と、片割れであるエドワードが守り切っているからだ。今も楓にそれを問わせ、確認したことに対して、アニエスの見るモニターの中では、エドワードが苦虫を噛んでしまったような顔で待機している。その保護は優しさではなく、ただの独善的な甘えだ、とアニエスは思う。守りたい気持ちは、十分に分かる。けれど少女は、少女であるが故に、いつか必ずそれに立ち向かわなければいけない日が来るのだ。その時がせめて愛に満ち、望み望まれて安らかなものであればいいと、祈らずにはいられない。それを目の当たりにした者なら、きっと誰しもが思うだろう。荒れる感情を胸を押さえる指先一つで宥め、沈めて、アニエスは質問を繰り返しながら楓の精神をも落ち着かせて行く医師と看護師に後を任せ、イヤホンマイクのスイッチを入れた。口元に、笑みを浮かばせる。
「ボンジュール、ヒーローズ! ご機嫌いかがかしら?」
声のトーンに気をつけて、いつもよりぐっと挑発的に。沈んでいた気持ちが反射的な怒りに対してでも、持ち上げられるのならそれで構わない。あからさまな発破に、モニターの中でヒーローたちはうんざりと視線を持ち上げ、それぞれに苦笑を浮かべて手を振ってきた。年若い者もあれど、彼らは百戦錬磨のヒーローたちで、恐らくは今までで一番、精神を削られるような戦いを潜り抜けてきている。なにが大切なのかを、言葉にするより早く心が知っていた。あらつまらない、と笑って、アニエスは一心不乱に食事を続けているブルーローズに目を向けた。それは普段なら、ドラゴンキッドンがしている筈の行動だった。腹が減っては戦ができぬ、とばかり、ドラゴンキッドは食事をしてから出動していく。ブルーローズ、と呼びかけたアニエスに、サンドイッチを頬張りながらブルーローズが目を向けた。
『……いま、私いそがしいの』
後にしてくれないかしら、と言外に告げながらも、少女は冷えたカフェオレで口の中を流し込み、ふうと満ち足りた息を吐きだした。ブルーローズは、基本的に良家の子女である。言葉にした反発はいくつもあれど、目上の人間からの呼びかけを無視しておくことは、施された教育が許さないに違いない。なに、とばかり向けられる目は、メイクで誤魔化されているものの、赤く、泣き腫らした後があった。痛々しい気持ちを表に出すことなく、アニエスは平然とした口調で問いかけた。
「あなた、そんなに食べて大丈夫なの?」
『吐いたりしないわよ。平気。……っていうか、女子が私しかいないし、長時間動かないといけないし、今のうちに食べておかないと。動けなくなる訳にはいかないのよ』
そう言ってブルーローズは、机に並べられたサンドイッチにまた手を伸ばした、が、満腹であるらしい。悩ましげに寄せられた眉をそのままに、指先が食べ物の上を彷徨った。少女のお気に入りらしいチェーン店のサンドイッチやサラダ、マフィンやスコーン、ケーキも紙皿に置かれ並べられていたが、半分以上がまだ残っている。残ったらスタッフが美味しく食べるから大丈夫ですよ、と画面外から呼びかけられて、少女はこくん、と頷いた。それでも指先はチョコレートを摘みあげ、口の中へと放りこむ。飲み込む、少女の目には怒りがあった。それは、悪に対する怒りで、犯罪に対する怒りだった。
『安全確保を確認したら、すぐに連絡するわ。すぐに来て』
「ブルーローズ……?」
『私たちは助ける。絶対よ。楓ちゃんも、パオリンも、連れ去られた女の子たち、皆助けてみせる。……でもね、私ができるのは、安全な場所まで連れて行くとか、そこを安全な場所として守るとか、助け出すとか、そういうことなの。悔しいけど、分かってる。……怪我をしてる相手がいたら、応急処置くらいは出来るわ。でも、それだけなの。怪我の治療はできないし、心のケアも専門じゃない。それができるのは私じゃない』
ブルーローズは時計に目をやり、立ち上がるとポシェットを腰にくくりつけた。新しい装備品なのだろう。ブルーローズのヒーロースーツの基本デザインに沿って作られたそれに、カリーナはチョコレートを無造作に放りこんで行く。
『でも、私にしかできないことがある』
たとえば、電池切れして動けなくなってるパオリンの口に、チョコレートを放りこみに行くだとか。ぱちん、とウインクをして柔らかく笑み、少女はウエットティッシュで手を拭った後、長手袋を拾い上げた。自分で手を通そうとするのを技術者が制し、恭しく、ブルーローズを仕上げて行く。
『私は、それを確かにやりに行くのよ。……一緒に行く相手に不安が残るけど』
『ご不満ですか? 女王さま』
会話を流して聞いていたのだろう。こちらはすっかりスタンバイを終えたバーナビーが、手慰みにあやとりをして遊んでいた。指先を動かすので頭がスッキリするんですよ、とは本人の言だが、彼にその遊びを教えた虎徹と、ヒーローたちは知っている。バーナビーは単に、そういう手遊びが好きなだけである。赤い毛糸を器用に動かして遊びながら、バーナビーはくすくすと笑い、ブルーローズに呼びかける。不満っていうか、と唇を尖らせたブルーローズが、かつりとヒールを鳴らし響かせた。
『だって、アンタってイケメンなんだもん。知ってる? バーナビー。疲れてる時にイケメン見ると、目が疲れるのよ』
『疲労回復に役立つ顔だと思うんですが?』
『言い直すわ。綺麗すぎて脳が疲れる』
情報処理が追いつかなくて頭が痛くなるあの感じなのよ、と言いながら歩き具合を確かめ、ブルーローズはよし、と頷いた。ああ、それなら理解してあげなくもありません、と言いつつ、バーナビーは一心不乱にあやとりで複雑な形を作りあげている。アニエスをはじめ、テレビクルーには慣れた会話で光景だが、女性医師と看護師たちはぽかんと口を開いてしまった。やはり二人の会話に慣れ切った虎徹が、ニュースペーパーをがさがさと音を立てながらめくり、ゆったりとコーヒーを口にする。
『そういえば、俺たちはどっからスタートすりゃいいんだ?』
『橋のたもとから、廃墟に向かってよ。潜入組とは三十分遅れ。ちょっとタイガー? 先におトイレ行っておきなさいな』
『うっせ。バイソンはなにしてんだ? おーい』
最終チェックを終えたファイヤーエンブレムに、腰から折る恭しい一礼を送り、技術者がモニターの外へ退場していく。新聞から目を離さないままのワイルドタイガーの呼びかけに、ロックバイソンは今忙しい、とばかり頭を振った。出動に際し、男性陣は顔を覆うヘッドセットを被るのだが、今は誰もが素顔だった。むろん、外部の医師たちは口外しない旨の誓約書を書いているし、私物の持ち込みは一切禁じているので、それにしても彼らには緊張感というものが抜け落ちていた。日常の延長線上にある出動前の光景として、時間が過ごされている。
『……刺繍だよ。悪いか』
『おっま……本っ当に、ちまちました作業すんの好きだな……』
『私はバイソンくんの刺繍が好きだ。好きだよ、とても! また展覧会に出すのかい? それとも個展?』
穏やかな声が奏でられたのは、KOHのトランスポーターからだった。やはりヘッドセットを被らないでいるスカイハイが、メジャーを持って動き回っている技術者にのんびりと構えながら、面白そうに目を輝かせて問いかけてくる。しゅ、と音を立てて糸を布に乗せながら、ロックバイソンはいや、と口元に笑みを浮かべて否定する。
『今回のは、教会のフリーマーケットに出す分だ』
『それは素敵だ! きっと、皆喜ぶ』
君の趣味は皆を幸せにする素敵なものだね、とにこにこ嬉しそうに褒められて、ロックバイソンは面映ゆそうに針を置いた。
『そうだと良いんだが』
『喜ぶよ。本当に、喜ぶ。私はそれを知っているんだ、バイソンくん。実はね、私の隣の家の女の子が、君の刺繍入りハンカチを持っている。一目で分かったよ、君の作品だと。尋ねたら、教会のバザーで買ったと言っていた。それもね、母親にねだったのではなく、自分のお小遣いをためて買いに行ったそうなんだ! 彼女はそれを大切に使っているよ』
『そりゃぁいい。手に職になりそうだ』
引退したら、と口に出すロックバイソンを、静かに窘めたのは折紙サイクロンだった。本日も見切れに余念がない折紙サイクロンは念入りな柔軟体操を繰り返していて、今は水分補給をしながら休憩中である。汗を拭いながら、いけません、と囁く。
『評価がどうであろうと、あなたの存在は僕たちに取ってなくてはならないものです。簡単に引退とか、言わないでください』
『いまのシステムで、君が華々しく活躍するのは難しいよ。確かにね。けれど、ポイントだけがヒーローの役割ではない』
『……ポイントトップに言われてもって感じだけどね?』
屈伸をして体の動き具合を確かめ、よし、と頷きながらブルーローズが笑う。しょんぼりしたキングの気配を感じ取ったのか、少女はいかにも可笑しげに、ぷっと笑いに吹き出した。
『でも、ロックバイソン。私も折紙と、スカイハイと同意見! ……だから本当は、一緒に来て欲しかったんだけど』
『そりゃぁ無理だな。俺は体つきも大きいし、顔もいかつい』
『泣く子をさらに大泣きさせる、目つき悪いヒーローランキングぶっちぎり一位の折紙よりはマシよ? ……まあ、だから折紙は潜入組から外されちゃったわけだけど。あーあ』
擬態してなんとかすればよかったのに、とぶつくさ文句を言いながら、ブルーローズは腕をぐぅっと上に伸ばして息を吐く。対して折紙サイクロンはしゃがみこんだまま動かなくなったが、彼を慰める技術者はいない。ぷぷーっ、言われてやんのーっ、と指をさして笑う少女の白衣がモニターの端にひらりとちらつき、折紙サイクロンが立ち上がると共に走り去って行った。即座に後を追う折紙サイクロンのトランスポーターからは、怒ったあああっ、逃げないでくださいっ、いやああ叩くっ、絶対叩かれるうううっ、と大変騒がしい音声が響き、やがてぶつん、と途切れてしまった。アニエスの見つめるモニターに、『しばらくお待ちください』との文字と共に、手裏剣を投げる三頭数にデフォルメされた折紙サイクロンが現れた。今日もヘリペリデスファイナンスは、その溢れる技術力と情熱と、使わなくていい方向に発揮している。オロオロするスカイハイを乾いた笑いで宥め、ポセイドンラインでは最終チェックが粛々と進められていく。慣れ切った態度で息を吐きだし、バーナビーがあやとり糸をぽいと椅子に投げ、立ち上がった。
『まあ、人選として間違っていないと思いますよ? 潜入組に僕とブルーローズと、エドワード先輩。犯人確保に、ワイルドタイガー、スカイハイ、折紙サイクロンに、ロックバイソンというのは。戦力に偏りがあるのは否めませんが』
『仕方がないじゃない? 女の子をおびえさせないっていう基準をクリアしたのが、私とアンタと……よーく考えれば、ヒーローが助けに行くんだから大丈夫だったんじゃないの?』
『はいはい、世の中の矛盾に気がつかないでくださいね、ブルーローズ。念には念を、というだけですよ。さて、それでは僕たちはそろそろ行きますが……虎徹さん』
甘く潜められた囁きに、ワイルドタイガーが顔をあげる。ちょいちょい、と指先で招かれるのに笑って、バーナビーがバディとの距離をつめた。そっと身を屈めて、額が重ねられる。
『行ってきます。あなたの分も、助けますから』
『おう、よろしくな。相棒』
『ええ、安心して犯人の確保、お願いします。壊さないように』
うっせ、と笑いながらバーナビーの肩を叩くワイルドタイガーのスーツは、誰もが見慣れたクリアグリーンと白が基調になったものだった。バーナビーのスーツも、特に見て分かる変更点はない。画面の端で技術者たちが、まあ仕方ないから今回は許してあげよう、とばかり腕組みをしているのに戦々恐々とした視線を向け、タイガー&バーナビーは拳を静かに合わせ、身を離して歩いて行く。ぺたぺたとスーツを触りながら、バーナビーは深々と息を吐きだした。ヘッドセットを装着しながら、うんざりした様子で眉を寄せる。
『……もうしないでくださいね、ペイント』
『反省ています、もうしません、の誓いが先でしょう?』
うちの技術部の方針は原則的にヒーローを甘やかさない、で統一されているの。微笑んだ女性技術者はバーナビーの背を叩き、トランスポーターの外へと送りだす。ブルーローズも一足先に外に出て行き、暮れゆく夕陽を眺めながら目を細めた。少女の元へ、バーナビーが歩み寄る。カメラが追い掛けて行くのは、そこまでだった。ヒーローTVが生中継で映像を流すのは、これより三十分後。出てくるであろう犯人を追いかける確保組であり、奥深く潜入していく救出組ではないのだ。バーナビーとブルーローズがぱん、と手を合わせて笑いあい、歩んで行く先に、ひとりの青年が立っている。目深に白いフードを被る横顔は、表情を誰にも読みとらせない。海風に、マントが音を立ててはためいた。青年の唇が、動く。誰かの名を、呼んだようだった。午後、六時四十五分、ジャスト。ヒーローとサポーターは、囚われた少女たちを救いに、長い道をかけだした。
エドワードとバーナビー、ブルーローズがいなくなって十分。ヒーロー管理官から入った通信が、残されたヒーローたちに様々な情報を告げて行く。警察の懸命な努力と捜査により、犯人のだいたいの人数と背後関係にまでは調査が及んでいるらしい。主犯と見られる、エドワードが目撃した幼子の正体のみが不明なのだが、そこが一番重要な気がする、という言葉を誰もが飲み込んだ。かつてないほど、ユーリの声音が苛々しきっていたからである。エドワードをヒーローと共に直接前に出して動かすにあたって、ユーリは相当な苦労をしたらしい。この数時間で私の胃痛が限界を何回か突破しました、胃薬の鎮痛作用に対しては神に感謝をしたくなったので日曜日に教会に行ってきますとまで言われたので、一室に集まったヒーローたちは無言で視線を交わし合い、祈りをささげられるタナトス的な神に黙祷した。胃薬の鎮痛作用の素晴らしさについて感謝される正しい相手は、その薬を開発した薬剤師か、あるいは製薬会社に向けるべきなのではないかとも思うが、神レベルで痛かったのなら仕方がないだろう。それにしても司法局は大変すぎて絶対就職したくない、と決意を新たにするヒーローたちに、とげだったユーリの声が、それでも淡々と犯人の名を読みあげて行く。
犯人グループは四人。西海岸で起きていた人身売買グループの犯人と一致しており、顔は街の防犯カメラで確認済み。二日間で全シュテルンビルトのカメラというカメラ、映像という映像を徹底解析して警察に協力したのはオデュッセウスコミュニケーションの全社員であり、現在は九割が倒れるように寝ていて会社は開店休業状態であるという。執念としか言いようのない人海戦術でもって犯人の特定に全力をあげたオデュッセウスには、これ以上の被害者を出さずに事件を解決することで応える、と警察は約束した。幼子は恐らく、彼らに売られた、あるいは連れてこられた被害者の一員である可能性が高い。シュテルンビルトで少女誘拐事件が起こる一月前に、同じく西海岸で起きたとある事件で行方不明になっている姉妹の妹の方と、エドワードの目撃情報が非常に重なる為だ。姉妹のNEXT能力の発動の有無は報告されておらず、その証言は得られていない。理由は、姉妹の両親がすでに死亡しているからであり、殺人事件として捜査中であるが、同時に監禁されていた可能性もあるからだ。姉妹は両親によって虐待を受け、部屋に閉じ込められて生活していたものと思われる。両親の死亡に姉妹が関わっているかが依然として捜査中であり、どちらともつかない。
また、今回の事件において妹の存在はエドワード・ケディに目撃されているが、姉の存在が不明である。生存しているとすれば、妹のNEXT能力から考えて利用する為の人質になっている可能性が高い。よって潜入班は誘拐された少女たちを保護したのち、すみやかに医療班に引き渡し、犯人グループの確保に合流すること。可能であれば姉妹の身柄の確保を優先すること。また、主犯は先程述べたように四人であるが、協力者が共にいる可能性がある。確保組は主犯四人を優先しつつ、協力者も絶対に逃がさないこと。つらつらと述べられていくユーリの言葉にうんうんと頷きつつ、ヒーローたちの眉が寄せられていく。ウロボロスではないとユーリは言ったが、いっそのこと、そうであって欲しいくらいの事件だ。世の中に犯罪者グループがいくつあるか分からないが、大規模なものひとつであったなら、それは駆逐しやすい気がしてしまう。スカイハイが祈るように目を閉じながら、低く、ユーリに問いかける。
「人身売買と言ったね、管理官。……西海岸の被害者は、無事に親元に帰れたのかい?」
『……七割は、無事に』
「やはり、全員がNEXTだったのかしら?」
今回と同じケースだったのか、と問うネイサンに、ユーリは頭の痛そうな声でいいえ、と言った。
『NEXTも含まれましたが、ごく少数でした。……今回の事件は、西海岸で起きていたものと、実際は共通することが非常に少ない。……実行犯が変わったからです』
「どうしてNEXTを……それも、少女ばかり」
「それは、俺たちの後に、警察が調べてくれるさ」
痛ましく眉を寄せるスカイハイの肩を、ロックバイソンが慰めるように叩く。ああ、と返事をしながらもやりきれない表情で、スカイハイはヘッドセットを手に取った。
「……犯人は逃走しようとするだろうか? 本当に?」
「被害者を盾に交渉しようとするか、それをさせる前にバニーたちが辿りつくか……可能性はどれが高いんだ? 管理官」
『……商品はまた集めればいい。西海岸で彼らを捕らえられなかった者たちに、叩きつけられた言葉です』
彼らは執着していません。冴え冴えと輝く冷えた月のような声で、ユーリは言葉を紡いで行く。
『彼らは逃げ、そして繰り返そうとするでしょう』
「……逃がすかよ」
「聞いていいかしら、管理官。彼らはなぜ、逃げられたの?」
そこまでの情報が出回る相手ならば、西海岸の警察も必死で捕らえようとしたのだろう。ユーリはしばし口ごもり、やがて重々しく口を開いた。
『重傷四十八名、死傷者十二名、軽傷三十五名』
「……え?」
『それだけの人数の包囲網を、突破されたということです』
不用意に、三メートル以内には近づかないようにしてください、と付け加えられ、接近戦をメインとするワイルドタイガーとロックバイソンが顔を見合わせた。
「……なにもんだよ、そいつら」
『カルト集団の手先、ということまでは判明しています』
「世も末ね……」
まあ、私たちのやることは変わらないわ、とファイヤーエンブレムが立ち上がる。時計は予定出発時刻の五分前を示していた。そろそろバーナビーたちは建物の内部に侵入し、船上とヘリから、警察が説得を始める頃合いだ。ヒーローTVも生中継の準備を整える。溜息をつきながら立ち上がったヒーローたちの耳に、遠く聞こえたのは爆発音と怒号と悲鳴。ああ、とついでのように、ユーリが付け加えた。
『先日、二度目の爆弾魔に襲われたショッピングモールの件ですが、今回の犯人に関わりがあるものと見られています』
「……どんだけ多彩な犯罪者だよ」
『彼らにしてみれば、出先でちょっと遊んでみた、くらいの感覚なのでしょう。一回目の爆発騒ぎでは、脅迫状を送りつけた犯人が逮捕されていますが……脅迫状に便乗して、爆発を起こした可能性が高いことが判明しました。二回目の騒ぎで、爆発の威力が上がっていることを考えると……』
閃光と共に、廃墟の一角で火柱が上がる。待機していた消防がヘリから放水を始めるのをヒーローと共にモニターで確認し、ユーリは苦々しく断言した。
『大人しく捕まりはしないでしょう』
『用意はいいかしら? ヒーロー?』
視聴率の鬼は、本日もゆるぎなく視聴率の鬼である。爆発炎上する状況にぐんぐん視聴率が上がって行くのが、もう嬉しくてたまらないらしい。げっそりしながら立ち上がるヒーローの耳に、ヒーローTVのオープニングが開始されたことを知らせる音楽が飛び込んで来た。お茶の間で流れる映像にしてはショッキングだが、シュテルンビルトの市民にしてみれば娯楽の一種である。今日はなんの犯罪が取り締まられるのか、平和がまたひとつ積み上げられるのか、わくわくしながら見守られることだろう。この街とシステムは、極めて歪んでいる。それを十分自覚しながら、ワイルドタイガーは仲間たちと共に立ち上がった。トランスポーターを出て、道の先、黒煙と炎を吹き上げる廃墟を睨みつける。爆音と風を巻き起こしながら、消防ヘリがまた一台飛んで行く。そこからやってくる影は、まだ、ない。