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 目を開ければそこは、白いピクニックシートの上だった。横たわったままでしばし考え、エドワードは身を起してあたりを見回してみる。そこは小高い丘の上であるようだった。見渡す限り、一面の草原の中心に一本の木が生えていて、その下にエドワードはいるのだった。心地よく遮られた木漏れ日と影を体に感じながら、エドワードは瞬きをする。こんな場所で眠りこんだ記憶はないのだが、どうしてこんな所にいるのだろう。誰かに尋ねようとも人影はなく、風が吹いては過ぎて行く音だけが空間を揺らしていた。草原には赤や橙の色をした花が咲いており、エドワードは不意に、楓が好きそうな場所だな、と思った。優しい場所だった。穏やかな意思と、言葉にならぬなにものかに対する感謝に満ちていた。ここは守られていて、そして閉じていた。時が確かに動いているようで、止まった印象の空間だった。写真の中の世界を覗き込んだような、よくできた絵画を前にした時のような、吸い込まれそうな独特な感覚がざわざわと身に広がって行く。どくり、と音を立てる鼓動を耳にしながら、エドワードは息を吸い込んだ。ここは、どこなのだろう。どこにでもあるような平凡な、どこにでもないような非凡な、どこかにはあるような草原に、なぜエドワードはいるのだろうか。目を閉じてしまう前までのことを思い出そうとするも、どうも上手く行かない。眉を寄せて考えていると、不意に柔らかな笑い声が耳に忍び寄ってきた。不思議とその声に聞き覚えがあるような気がして、エドワードは旧知の相手を出迎えるような気楽な気持ちで、そちらに目を向けようとしたのだが。
 目が相手の姿を捕らえるよりはやく、女性のしなやかな手が、エドワードの視界を埋めてしまった。白く、きめ細やかな肌を持つ女性の手だった。ほっそりとした指には、金の指輪が光を弾いて輝いている。その片割れを何度か、エドワードは見るともなしに目にしたことがあった。
「……アンタは、鏑木さん?」
「あたり、よ。エドワードくん」
 ふふ、とおかしげに笑う声は、ひどく楓に似ていた。あの少女がそのまま成長すれば、こんな風な穏やかな声を発することもあるのだろうと、そう自然に思わせる声だった。姿を見られることを厭うように、エドワードの前から手は引かれない。エドワードは、なんだかそういうものなのだろうと決めつけて、草原へと視線を戻してやった。傍らから手が引かれ、女性の太股の上に置かれる気配がしたが、あえて顔を戻しはしなかった。
「ここは」
 どこ、とも。なに、とも聞こうとして。結局どちらも尋ねず、エドワードは口を噤み、息を吐きだした。この場所がどうとかこうとか分かるより、もっと大切なことがある。
「楓は?」
 遠くから風が流れ、また彼方へと過ぎて行く。音を立てて揺れる草原を睨みつけ、エドワードはそれを思い出そうとした。
「……あれ、俺、確か……撃たれたんじゃ」
 思い出した瞬間、胸の辺りに激痛が走った。心臓の位置はそれてくれた弾は、しかしエドワードの体を貫いて行ったのだ。ギリギリで楓に能力をコピーさせ、発動させた為に少女に怪我はないだろうが、撃たれるさまを間近で見ることになったのは可哀想だった。はやく戻って慰めてやらないと、と思いながらなんとか呼吸を整え、顔をあげて、はたっ、とエドワードは気がついた。戻る、というか、そもそも。
「こっ、ここ何処だよっ!」
「……ピクニックには良い場所ね」
「そんなことしてる場合じゃねぇよ! 楓が好きそうなトコだから今度連れて来てやりたいけどさぁっ!」
 一息に叫んで立ち上がったエドワードの手首を、女性の手がしっかりと掴んだ。落ち着く体温の、温かな手だった。
「座って、エドワードくん」
「……えっと」
「座りなさい。いいこだから」
 年上の、楓によく似た声をした女性の求めを、上手く断る方法が分からず。しぶしぶ、振り返らないようにして座りこんだエドワードの頭を、手首から離れた手がそっと撫でて行く。楓より、すこし遠慮がちな触れ方だった。
「心配しなくても、すぐに戻れるわ」
「……なあ、ここは。なんなんだ?」
 エドワードの問いに、すこし困って笑う気配がした。答えてはいけないのかも知れない、と思いついて、エドワードは首をふる。無理に聞かなくても良いだろう。戻れる、というなら。
「……楓は」
 それまでの時間を沈黙して過ごしても良かったのだが、エドワードはぽろりと零れる言葉を留めておけず、口に出していた。
「今でも時々、アンタに会いたがってる」
 視線の先で、赤い花が揺れている。天から降り注ぐ眩い程の光が、草原を明るく照らし出していた。傍らから、言葉は返らない。けれども、分かっているようだった。
「俺は、それを、どうしてやることもできない……」
 視線を、ゆっくりと横へ移動させていく。今度は手でさえぎられることがなく、座っている女性の姿が見えた。見ている筈なのに、服装の印象が頭に入って来ない。顔だけが、見える。うつくしい印象の、日本女性だった。なにかを言おうと息を吸い込み、エドワードは全身の痛みに強く咳き込んだ。
「っ……エドワード!」
 血の味がする赤錆びた咳を何度も繰り返し、エドワードは目を開ける。記憶がなんの隔たりもなくひと繋がりになっているせいで、現状がまったく認識できなかったが、顔を覗き込んでくる相手の名を間違えるほどボケてもいない。イワン、と痛みを堪えながら名を呼び、体を起こそうとして、横たわっていることに気が付く。呼吸を整えながら体を確認すれば、輸血パックと腕に刺された針が目に入った。一瞬、病院かと思うが、それにしては寝かされているのが廊下の端という奇妙な場所である。あたりも暗く、状況がよく分からない。血が足りずにぼーっとする頭をそれでも動かしながら考えていると、心の底から安堵したらしきイワンの、死んだかと思った、という呟きが耳にはいる。どういう意味だと睨みつければ、イワンは折紙サイクロンのヘッドセットを小脇に抱えたまま、ぺたりと床の上に座りこむ。疲れ切った姿だった。
「だって。エド、出血が多すぎて……呼吸が止まったんだよ?」
「……まーじーで?」
「マージーでー。……あ、そうだ。エド、一応聞くけど」
 血と汗でベタつくエドワードの前髪を押しつぶすようにしてオールバックにし、開けた視界を覗き込むようにして、イワンは慎重に問いかけた。
「動ける? 動けない?」
「内容による」
「分かった。今確認する。待ってね」
 PDAを起動させたイワンが、涼やかな声でスカイハイをコールした。即座に返ってくる声に親友の口元がほっと緩むのを眺めながら、エドワードは疲労に負けてそっと目を閉じ、息を吐きだした。現状がまったくよく分からないが、恐らくイワンは、エドワードを担いで安全圏に避難し、治療を行っていたのだろう。ヒーローの中で唯一、現場での医療行為を許可されているのが折紙サイクロンだ。その為に医師と看護師の資格を取得したというイワンは、緊急事態に備えてスーツに様々な治療薬や道具を収納している。血液パックや点滴の道具まで持ち運んでいたとはエドワードの記憶にないが、確か今日は、近くに本物の医療班がいた筈だ。どうにか入手したのだろう。突入から順を追って考え、記憶を蘇らせているエドワードの頬を、イワンのひんやりとしたてのひらが覆う。熱っぽい、と呟きに、エドワードはそろりと目を開けた。
「……なんだって? 状況」
「スカイハイはちょっと迎えに来れないって。だから、タイガーさんが迎えに来るから、もうちょっと待って」
「……俺は今、状況の説明を求めた筈なんだが?」
 それは状況でも説明でもねぇよ、とまなじりを険しくするエドワードの頭を好きなように撫でながら、イワンは深々と息を吐きだした。うっとおしいなあ、と言わんばかりである。
「すぐに分かるから。いいから、ちょっと黙ってなよ。さっきまで呼吸してなかったくせにさぁ……」
「……泣くなよ」
「泣いてない。鼻水だよ! 黙ってろよほんとに、もう」
 心配した、と喉の奥から絞り出される声に、エドワードは苦笑しながらイワンの目元に手を伸ばし、本人曰く鼻水らしい涙を拭ってやった。はあ、と溜息のような吐息で、イワンはその場を立ち上がった。同時に、彼方から足音が響いてくる。
「エドワード、起きたんだってっ? ……お、おおお……! エドワード、お前……よかったなぁ……」
 エドワードの前まで走り寄るなり膝からくず折れて涙声で呻く様子を見る分に、どうやら本当に危うい状態であったらしい。まあヤバい位置撃たれた感じはしたしな、とぼんやり思い出し、エドワードは顔色を失った。楓。
「ちょっ、か……楓はっ!」
「……今から移動する。エドワード、どうやって移動したい?」
「肩貸してくれますかそれで十分なんで」
 アンタが相方にやられてるような運搬方法をされたら俺の心が死ぬんで、まで真顔で一息に告げられて、お姫さま抱っこを実行するほどワイルドタイガーも鬼ではない。よろよろと身を起こすエドワードの体を支えるように腕を回し、立ち上がらせ、ゆっくりと足を進めて行く。あたりはすっかり夜だった。通路にはファイヤーエンブレムが灯して行った火が揺れていた。歩くのに支障はなく、時間をかけて、三人はエドワードが撃たれた休憩所の前まで辿りつく。そこで待っていたのは、ロックバイソンだった。男はそわそわと廊下から中を伺っては痛ましい顔つきになり、エドワードが戻ったのを見ると駆け寄ってくる。
「エドワード! 意識が……戻ったのか。よかった……!」
「……俺、そんなに意識なかったんですか」
「エド、僕、言ったよね? 君の呼吸止まったって、言ったよね? また聞き流してたでしょう……!」
 他人事の不思議さで首を傾げるエドワードに、イワンは口元を怒りに引くつかせながら睨んでくる。エドワードはしれっとした態度で言ってたけど、と呟き、その瞬間に思い出して、ワイルドタイガーの顔を見た。戦闘やカメラの危険がない為か、ヒーローは全員がヘッドセットを外していた。そのせいで、顔の確認が簡単にできた。じっと見つめてくるエドワードに、虎徹は不思議そうな顔をしてなんだよ、という。ん、と眉を寄せて口ごもり、なんでもないけど、とエドワードは言った。
「……美人な奥さん貰ってたんだな、と思って?」
「は?」
「や、うん、そんだけ。で? どうなってんだよ、今」
 あ、肩貸してくれてありがと名、と普段通りのなんでもないような声で言って、エドワードは戸口からひょい、と中を覗き込んだ。わずかな動きで言葉にならない激痛が走ったが、無視して目を凝らし、息を吸い込む。ものすごくどうしようもなさそうな息を吐きながら輸血の針を引き抜き、手早く処理をしてくれているイワンを、睨みつけるように、問いかけた。
「……なんだ、これ」
「見ての通りだよ、エドワード。……ああなってから、二時間くらい経過してる。キリサトさんの見立てでは、彼女の体力が限界に達するまでの時間が、二時間半。……麻酔銃で撃つしかないかもって話が出てたトコ」
 間に合ってくれてよかった、と囁くイワンの隣には、いつの間にかバーナビーが立っていた。イワンの言葉を証明するように狙撃用の銃を肩で担いだ青年は、エドワードの姿を見てぐしゃりと泣きそうに顔を歪め、息を吐きだして行く。言葉をかけてやらなければという気持ちはあれど、エドワードは眼前の光景に目と意識を奪われていて、言葉などひとつも浮かばなかった。そこには、雷の鳥籠があった。黄金の鳥籠だった。そこにそうして、閉じ込められているようだった。細かい金色の雷が、絶えず空気中を震わせている。花弁のように咲き開く力の範囲を押しこめるように、残りのヒーローたちはそこにいた。自然操作系のNEXTは、その能力による暴走を、ある程度能力を同調させることで食い止めることができるという。完全に制御を失って意識を朦朧とさせる楓の傍に、ドラゴンキッドが膝をついて座り込み、片手を強く繋ぎ合せていた。それだけが、楓の意識を繋ぎとめる糸のようだった。そのまわりをスカイハイ、ファイヤーエンムレム、ブルーローズが取り囲んでいる。よく見れば取り囲む三人はそれぞれ片手をドラゴンキッドに触れさせて、全身を青白く輝かせていた。ある意味で、とエドワードが呟く。ゆったりと、それに向かって歩き出しながら。
「感動的な光景ではあるな……。自然操作系のNEXTの合同発動……多重発動? 具体的にはなにしてんだ?」
 一歩進むごとに全身に走る痛みを、エドワードは考えないことにした。じわりと嫌な汗が浮かぶのも、無視して歩き続ける。平気な顔をしなければ、楓がまた悲しむだけだった。一歩つづ、近寄ってくる足音にふと目を向けたブルーローズが、遅い、と怒るようにも、歩いていいの、と咎めるようにも眉を寄せた。
「パオリンに、協力してるのよ……! 暴走なんて、一人で食い止められるものじゃないんだから……っ、ねえ、歩けるの?」
「やあ、エドワードくん。おかえり」
「こんばんは、色男。待ってたわよ?」
 三者三様の心配と歓迎に、エドワードはぎこちなく肩をすくめることで応えた。イワンの処置は、あくまで応急的なものでしかない。失った分だけ血液は入れてくれただろうが、痛みのあまり貧血を起こしそうなくらい、意識は揺れていた。浅く呼吸を繰り返しながら楓の傍まで歩み寄り、しゃがみ込んで、エドワードはまずパオリンに、よう、と言った。
「世話かけたな、ドラゴンキッド」
「……エドワード、キミ……大丈夫なの?」
「今はな。……もうすこしだけ、抑えてやってくれな」
 ありがとう、とエドワードは溜息のような感謝を、ヒーローたちに捧げた。疲れ切った顔をしたヒーローたちは、それでも、これくらいなんてことない、と言わんばかりの笑みで頷き、楓に視線を向ける。エドワードもそっと、楓の顔を覗き込んだ。前髪が、汗で額に張り付いている。全身が帯電しているのに構わず、エドワードは楓に手を伸ばし、指先で髪を整えてやった。指先がばちん、と音を立てて感電する。歯を食いしばって痛みを堪えたエドワードに、ゆるゆると楓が視線を向けた。
「……エドさん?」
「楓。……楓、平気か?」
「エドさん。エドさん……ごめんなさい、わたし……!」
 能力を暴走させ続けるということは、強制的な全力疾走と同じだ。体力が限界に達し、心臓が悲鳴をあげても止められない力の放出は、やがて能力者の意識を昏倒させる。意識が失われれば、そこで脳が命を守る為に発動を強制的にオフにする。しかし命を削るような発動に体が耐えきれず、そのまま死に至るケースも少なくはない。楓も疲れ切って、もう体を動かすこともできないのだろう。楓は力なく横たわったまま、ひっく、としゃくりあげて目を潤ませた。
「私……!」
「……その為に俺がいる。でもまあ、精密検査と反省文は覚悟しろよ? ……ヒーローたちの、信頼の回復は努力次第だ」
「うん……。ごめんなさい……」
 もうこれはなにを言っても謝るだろうな、と苦笑して、エドワードは楓に手を伸ばした。ドラゴンキッドが繋ぎとめるのと逆の手を取り、エドワードはほら、と楓に促す。
「コピー。……できるな?」
「……どう、する、のか。分からなくなっちゃった……」
 ぎゅうぅ、とエドワードの手を握ってくる楓の瞳から、ころころと涙が零れ落ちては床を濡らして行く。そっか、と頷いて、エドワードは楓の手を口元に引き寄せ、唇を押し当てた。
「でも、お前は出来るよ」
「わ、かんない、よぉっ……!」
「分かるよ。思い出せばいい。俺の能力なら、何度もコピーしてるんだから。……できるよ、楓。だから……あんまり泣くな」
 上手く涙拭ってやれないんだから、と苦笑して、エドワードは楓の目を覗き込んだ。
「……息、して。俺のことだけ考えて」
「うん……」
「終わったら、一緒に病院行こうな」
 うん、と楓はちいさく頷く。素直な様子にすこし笑って、エドワードはちいさな声で囁くように、いくつも他愛ない言葉をかけた。楓の体から、ゆるゆると力が抜けて行く。その様子を見つめていたエドワードは、アカデミーの花壇に咲いた花の話をしたあと、唐突に、するどく言葉を呟いた。
「楓、コピー」
 きゅ、と繋いだ指先に力がこもり、楓の全身が青白く染まる。パオリンが、あ、と声をあげて息を吸い込む。無理矢理に編みあげられ、鳥籠の形に作りあげられていた金色の雷が、砕ける音を立てて崩れ、雨のように降り注いでくる。誰もが全身から力を抜き、深く息を吐きだした。ごめんなさい、と何度目かの言葉を吐きだす楓に無言で手を伸ばして、エドワードは少女の頬を指先で拭い、身を屈めて目元にそっと唇を押し当てた。二秒後、遠くから保護者の声にならない悲鳴と抗議の声が上がったが、エドワードはそれを聞かなかったことにした。なにをされたか理解した楓の顔が、じわじわと赤く染まって行く。額を重ねてそれを眺め、エドワードはぷは、と耐えきれない笑いで少女の体を抱きしめた。
「なきむし」
「……いじわる!」
「否定しない」
 はー、と安堵しきった溜息で楓の頭を胸に抱き寄せ、エドワードはゆるく目を閉じた。すぅっと意識が遠のいて行く感覚がするが、まあ、大丈夫だろう。ヒーローが病院まで運んでくれるに違いなかった。保護者たちからどうやって逃げるかを考えながら、エドワードは意識をぷつりと途切れさせた。



 むしゃくしゃするから殴らせろ、と低くのたうつ声で言い出しても違和感がないであろう顔つきで、一人の女性が真夜中のシュテルンビルトの街を歩いていた。日付が代わるまで残り数分だというのに、行きかう人は多かった。さすがにこども連れはなく、歩いているのは若者やビジネスマンばかりであるが、それにしてもさすがに眠らない街である。感心しながら、女性は不機嫌に道を歩んで行く。糊の聞いたブラックスーツを着こなした姿は、これから仕事に行く風にも見えた。しかし、女性が腕から下げる大きなスーパーマーケットの袋が、帰宅する所であると告げていた。袋には、たくさんの食料品が詰め込まれていた。大人四人が腹を満たせるだけの食べ物に加え、甘いシリアルの箱とミルクが数本。女性一人で運ぶには多すぎる量が、不機嫌の原因だろう。何度か持ち直して道を歩いて行く女性は、ふと駅に通じる大通りの先を見て、足を止めた。先日からシュテルンビルトは厳戒態勢で、今日も警察が手荷物検査とパトロールを繰り返している。数秒だけ考え、女性はふらりと裏路地へ姿を消した。特に通行人の注意を引かないその動きに、手荷物検査をしていた警察官が、ふと顔をあげて首を傾げる。
「……シャーナ?」
 女性が消えた路地を注視する警察官に、同僚が不審げな声をあげる。はっと意識を手元に戻し、シャーナはなんでもないわ、と誤魔化した。警察官の頭の上を、広告バルーンが飛んで行く。映しだされる映像は、連続誘拐事件の犯人が死体で見つかった、と大々的に告げていた。連れられていたと見られる幼い姉妹の消息は、途絶えて。事件は、迷宮入りの様相を見せていた。



 四人組の死体が、シュテルンビルトのスラムで発見された。ゴミを捨てに行った近隣住民が眠るように座り込む四人を発見し、救急車を呼んだことをきっかけに警察が呼ばれ、指名手配中の四人組であると断定したのである。司法解剖の結果、死因は胸を撃ち抜いた弾丸による失血死。四人とも、同じ方法で殺されていた。現場近くにはウロボロスのマークが書かれたカードが発見されており、シュテルンビルトに巣食うあの組織が、彼らを始末したと警察は見ている。主犯が死亡したことにより少女連続誘拐事件は一応の閉幕を迎えた。被害者の肉親も、少女たちが無事に戻ってきたことを喜び、気味悪がりながらも継続している捜査結果を待つばかりで、はやく事件のことを忘れようとしているようだった。少女連続誘拐事件は、解決した。一応は、そういうことになっている。



 エドワードがふたたび目を覚ましたのは、事件が強引な終わりを迎えてから四日目の朝だった。ぱかり、と目を開いたエドワードは息を吸い込み、吐きだしてから顔を横に倒して、手を握り締めたまま、まぶたを下ろしている少女を確認する。
「……楓」
 少女は、泣き腫らした顔つきをしていた。痛々しい様子に苦笑しながら、エドワードは手を伸ばして楓の髪に触れた。一筋を指に絡め、さらりと流すようにして撫で、その動作をひたすら繰り返す。やがてエドワードは笑いながら少女の耳元に口を寄せ、笑いながら囁いた。
「耳赤い」
「っ……!」
 声にならない悲鳴と共に体を跳ね起こし、楓は耳を手で押さえながらエドワードを指差した。ぱくぱく口が動かされるが、言葉が出てこないのだろう。やがてふるふると震えた握りこぶしが、ぽすん、と音を立て、やわらかくエドワードの胸に打ちおろされた。その手を、大切そうにエドワードの手が包む。
「……こういう、時は」
「ん?」
「気がつかないふり、するの! 女の子だって、繊細なんだからね……!」
 分かった、と答えを待つ楓の顔をじっと見つめたあと、エドワードはんー、と目を細め、困ったように笑った。
「無理」
「え。……え、えっ? なんで?」
「俺、いじわるだそうだから。教えてやんねぇ」
 ぷー、と頬を膨らませた楓が、根に持つといいことないと思う、と呟く。エドワードは、うんそうだなー、ないなー、と適当に返しながら、震えたままの楓の握りこぶしを撫でていた。その手から、やがて力が抜け。指が解けて、震えが消えて。エドワードの服を掴んで、泣き顔を隠したがるまで、ずっと。なんでもない言葉を響かせながら、楓の手に触れていた。



 精密検査を終えたパオリンは、廊下で待っていたナターシャの元へ一目散に駆け寄った。声をかける前に気がついたナターシャは、椅子から立ち上がり、両腕を広げてパオリンを待つ。女性の腕の中へ飛び込むようにして戻ったパオリンは、聞いてよ、と不満でいっぱいの声をあげた。
「ボク、しばらくNEXT能力使用禁止だって言うんだ!」
「……でしょうねぇ」
 ヒーロー活動もお休みしなさいって言われた、とむくれるパオリンを宥めながら、ナターシャはさもありなんと頷いた。パオリン自身は不調を自覚していないようだが、血液検査で何カ所か、明らかな異常が発見されている。同じ能力の暴走によって自然災害レベルの被害が巻き起らないよう、パオリンはずっと同じだけの規模の能力を発動させ、あたかも親鳥がひな鳥を嵐から守るよう、包みこんで守護していたのだ。他の自然操作系NEXTの支援もあったとはいえ、並大抵のことではない。直後は一人で立てない程に衰弱していたのに、お腹一杯ご飯を食べて、寝て起きて食べて、寝て起きて食べて運動してを繰り返し、精神的に回復したパオリンは、もうすっかり元通りだと思っている。ごねるパオリンを今日一日使って宥める決意をしながら、ナターシャは少女の顔を覗き込み、笑った。
「じゃあ、ご飯を食べに行きましょう? そこでゆっくり、話を聞くわ。ね?」
「……レストランより、ナターシャのゴハンがいいな」
「あら、いいわよ。……冷蔵庫の中身が足りるかしら」
 差し出された手を、心配ないよ、としっかり握り締めて。パオリンはスーパーマーケットに寄ってから行こうよ、と元気よく笑った。

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