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 溜息をつきながらトイレから出てきたユーリを、扉の前にしゃがみ込んで待っていたヒーローたちが出迎えた。思わずびくりと肩を震わせたユーリが視線を向けたのは、一人離れた場所で壁に背を預け、腕を組んでニヤニヤと笑っているステルスソルジャーだ。無言で脇に抱えていたルナティックのヘッドセットを投げつけると、ステルスソルジャーはそれをボールかなにかのように両手で受け取り、ゆるく目を細めて微笑した。
「これ被らないと、意外と格好いいな」
「どうもありがとうございます。その、初孫を見るような目を止めてくれればもっと嬉しかったんですが? ……それで、あなたたちは一体なにをしているんですか……。トイレを使いたいなら、声をかけてくださればよかったのに」
「いやぁ……本当にルナティックだったんだな、と思って」
 はー、と感心したように息を吐き、頷きながら立ち上がる虎徹に、ヒーローたちは一様に頷いてユーリの立ち姿を見つめた。夜の、特に月が輝く、光と影の区切りがはっきりとした世界の中でしかその姿を見たことがなかったので、こうして家の中でルナティックのスーツを見ると不思議な感動がこみあげてくる。しかも、出てきたのは鏑木家のトイレからだ。黒を基調としたデザインに肩が大きく張り出した灰色のマントを着こんだ姿はユーリの身長もあって迫力があるが、うんざりとした表情がルナティックにはあった筈の狂気、理解できない追いたてられた雰囲気を感じさせない。彼は変わった。ヒーローたちが成長していき、サポーターが育って行くのを司法の天秤を携えて見守りながら。彼はなにかを癒され、なにかに蓋を閉じたのだ。壁から背を離したステルスソルジャーが、ヒーローたちを立たせながらユーリの前に立った。壮年の男は、なぜかやたらと嬉しそうな顔をしている。対照的に、ユーリは渋い表情で視線を反らし続けていた。絶対に視線を合わせたくないようだった。しかし、目の前という至近距離から諦めずに見つめるステルスソルジャーに、根負けしたのだろう。やがてユーリはうっとおしそうに息を吐き、壮年の男を睨みつけた。
「なんですか」
「いいや? ……おっまえなんだ、そのスーツ。ん? 自分で作ったのか? ちょっと見せてみろ。ほら」
「ああああうっとおしい……! いいでしょう! 私がどうしようとこうしようと!」
 マントの裾を摘んでめくり、中を覗き込みながら聞いてくるステルスソルジャーの手を叩き落とし、ユーリは目つきを険しくして叫んだ。しかしそんな抵抗など微々たるものだと言わんばかり無視した壮年の男は、まあ落ち着けよとユーリの両肩に手を置き、そのままくるりと身を反転させてしまった。そのまま遠慮なく全身を眺め倒され、ユーリの全身がぶるぶると震える。怒りのあまりユーリの頬に朱がのぼった所で、男の手がユーリの頭に伸びた。くせの強い、ウエーブがかった髪に無骨な手が触れ、ひと撫でして離れて行く。
「……がんばったなぁ」
「なんです、それ。私がしたことを、知らぬ訳でもあるまいに」
「司法局に勤めるまで、一人でネクタイも結べなかったユーリがなぁ……俺の所に結び方教わりに来たの、覚えているぜ」
 罪のなき者に手をあげず、けれど罪を犯した者を殺したことを、確かに知っている筈だと告げる糾弾を、ステルスソルジャーは鮮やかにかわしてみせた。こんな昼間からする会話じゃないぜと深い笑みに瞳を煌かせ、忘れたい汚点を暴露した男に、ユーリはにこりと笑みを浮かべた。よろしい、と言葉が漏れる。
「まずは貴様に、タナトスの声を聞かせてやろう……!」
「わ、わああああ! 落ち着いてください管理官!」
「ちょっとぉ、駄目じゃないの。真面目なコをからかっちゃ」
 両手に青い炎を生みだして臨戦態勢に入るユーリをバディが宥めている間に、ステルスソルジャーをネイサンが引っ張って離して行く。十分な距離を取らせた所で腕を離せば、壮年の男はふ、と穏やかな笑みを浮かべ、ついなぁ、と零した。
「ずっと見てやってたから、可愛くて仕方ねぇんだ……こら、ユーリ! 人様の家で暴れて。迷惑かけるんじゃねえぞ?」
「……誰と行くか、決めたんでしょうね」
 大人になれユーリ、大人になれ大人になれ、大人になれ大人になれと呪詛のようにぶつぶつぶつぶつ呟いて気持ちを落ち着かせた管理官は、額に強く手を押し当て、なんとか言葉を吐きだした。その涙ぐましい忍耐に涙ぐんでいるイワンの隣で、はい、とパオリンが手をあげる。
「ボクと一緒に行ってくれるんだそうです。イワンのことは、管理官にお願いすることになりました」
「分かりました。……いいですか、ホァン・パオリン。アレにセクハラをされたら、パワードスーツの前に蹴り出しなさい」
 そのまま逃げていいです。私が無罪を勝ち取ってきます、とごく穏やかに微笑んで告げられて、パオリンは困ったように視線を迷わせた。頷いたのは蹴る決意をした訳でもなく、そうしなければユーリの気持ちが収まりそうになさそうだと空気を読んだ結果である。パオリンは溜息をつきながらステルスソルジャーの元へ歩み寄り、よろしくね、と手を差し出した。おう、とすぐに握られた手は暖かく、力強いものだった。



 机に肘をつき、両手を握りこぶしにしてあごに下にそえながら、セリーナは頬をぷくぷくに膨らませて拗ねていた。何処を睨みつける視線の険しさは不機嫌にも受け止められるだろうが、怒っているというより、セリーナは今、純粋に拗ねていた。むきれきっていると言ってもいいだろう。時折、むぅ、だの、うう、だの、あぁ、だの意味のない言葉が零れ落ち、セリーナは体を無意味にゆらゆらと動かしていた。うつくしい顔立ちと見事なプロポーションが台無しな佇まいであるが、そもそもセリーナはそれを有効利用する必要がある時以外、他人の目というものを気にしない性質だ。ヒーローズバーに集った技術者たちが怖々とした近寄りがたい目を向けてくるのも、ぽつんと端の方に隔離されている状況も、全く気にならないらしい。取り繕うと思ってもいないのか、思う存分、自分の気持ちに素直になってぐだぐだしているのだった。また、常であれば慰めたり、話を聞いてくれたりする親友たちが全員、生死不明で連絡が取れない状況が続行しているのも、セリーナの気分が低空飛行から戻らない原因のひとつであろう。
 うー、うーっ、とお菓子を買ってもらえなかった五歳の女の子がレジの前で半泣きでぐずっているのと同じ顔つきをして唸り、セリーナはばたりとテーブルに突っ伏した。もはや言葉にもなっていない声をあげてじたばたしているセリーナをかなり離れた所から見つめ、ポセイドンラインの技術者は、はて、と首を傾げた。
「見つかったんじゃなかったっけ?」
 現在、ヒーローズバーは計らずも七大企業の技術者によって貸し切り状態にされている。各社技術者はそれぞれグループを作って集まり、話し合いや、社内にいるであろう同僚に連絡を取ろうと忙しく動き回っていた。これから各社に突入し、ヒーロースーツを手にしようとするヒーローのサポートをしようと、急ごしらえの機材を手に動き回る者もあった。その中でポセイドンラインが比較的落ち着き、なにもしていないのは現状況での最高責任者、セリーナが全く使いものにならないからだった。セリーナと共にキースを探しに行っていた一人が、呟きに反応して苦笑いを浮かべ、頷いた。
「見つかったし、会えたけど。怒られたんだよ、セリーナさん」
「……スカイハイに?」
「そう、我らがキング。スカイハイに」
 その技術者が語ったことによると、セリーナはスカイハイ、ことキース・グッドマンを鏑木家の前で捕まえることに成功したらしい。アポロンメディアの技術者が、もしかして誰かの家に全員で集まってるんじゃ、と口にしたことに、可能性は高いとそれぞれの自宅へ直に向かっていた時の出来事だった。その場になぜかルナティックと、現役を退いたステルスソルジャーもいたのだが、セリーナはそれを鮮やかに無視してキースの前に走り寄り、ほとんど泣きそうになりながら一礼をした。貴婦人が王に対してそうするような、恭しく丁寧な礼であったという。そこまではよかったのだ。セリーナがついうっかりものすごく素直に、市民に危害を加えられる前にお会いできてよかった、と口にするまでは。すっと笑みを消して真顔になったキースさんは本当に怖かった、と技術者は語った。
「セリーナさんも悪気はない訳だよ。あのひとは本当に素直っていうか、スカイハイ大好きなスカイハイ信者なだけで、ジェイクのあとの市民の反応にマジ切れしてたくらいで、そこからずっとなんやかんやファンに対して不信感を持ってるのは、俺もしょうがないって思うんだ? 俺も嫌だったし、未だに嫌だよ。けどさ? もう、ああ……ああ、このタイミングで……それ言っちゃうんだ、って俺は思ったね……」
 笑顔もなく真剣そのものの顔つきになったキースは、淡々とした口調でセリーナのことを窘めたのだという。一度も声を荒げることなく、市民を疑ってはいけない、彼らを信じなくてはいけないよ、私たちを探してくれたことはとても嬉しいが、すこし悲しい、と言われてセリーナはもうどうしていいのかすら分からなくなった様子であったという。涙目で凍りつき、動けなくなったセリーナをフォローしたのは、その場にいた他社の技術者たちだった。そんなこと言っても、ウロボロスにあんなこと言われたら普通は不安になるものだし、ヒーローを守る仕事に就く者として害を加えられないか心配するのは当たり前のことだと力説され、他のヒーローもそれなりに技術者の肩を持ってくれたことで、キースはそれ以上、セリーナになにを言うということはなかったらしいのだが。敬愛するキースに怒られて、セリーナはそれはそれは落ち込み、拗ねて、むくれて、立ち直れないでいるらしい。今もポセイドンラインの同僚がなんとも言えない視線を向ける先で、セリーナはテーブルに突っ伏したまま、足をばたばたと動かしてなにか呻いている。かと思えば勢いよく体を起こし、半泣きの声でどうしてこんなに心配してるのに分かって下さらないんですかぁっ、と叫んで、またテーブルに倒れて動かなくなる。うちの責任者が奇行しっぱなしですみません、と申し訳なさそうなポセイドンライン一同に、ヘリペリデスファイナンスかた温かな笑みが向けられる。
 あれくらい奇行に入らないので大丈夫です、と言いたげな彼らに、各社技術者はそっと視線を反らし、沈黙した。彼らの脳裏には白衣をひらめかせ、顔を隠した少女技術者が腰に手をあてて高笑いをし、笑い過ぎてむせる光景が浮かんでいた。アレと一緒に仕事をしているとそうなるんだろうなぁ、とぬるい同乗の視線に負けず、ヘリペリデスファイナンス一同は、せっせと手元の図面に線を引いていた。パワードスーツと自走式マシンガンの性能を予想して、どこがどう破壊されているか考えているらしい。場合によっては外部から、あるいは内部から通信を繋げる手段がまだ残されているかもしれない、と一生懸命な彼らは、ルナティックと共に乗り込んで行く折紙サイクロンより、内部に取り残された同僚たちが気がかりであるらしかった。画期的すぎる『その発想はしないでいて欲しかった』により別の被害が出る前に連絡を繋ぎたいらしい彼らの目は、本気だった。ともあれ、精神的に立ち直りつつあるのは良い傾向である。ある意味対岸の火事として見守る技術者たちになおハブられながら、セリーナは、ついにテーブルをばしばしと手で叩きだした。もはや酔っ払いと一緒である。同僚たちが、あの上司本当どうしたらいいかなぁ、と身捨てつつ溜息をつく中で、一人だけ、セリーナの味方をしてくれる少女がいた。
 少女はセリーナの隣にちょこんと腰をかけ、時々声をかけたり、肩に手をそえてぽんぽんと叩いたり、そっと頭を撫でて慰めてみたりしていた。どれも今ひとつ効果がなさそうなのが、同僚たちには申し訳ないが、少女は健気にもセリーナに付き添い、寄り添ってくれていた。うんざりしたり、嫌がる様子も見せない佇まいは、技術者たちの密かな尊敬を集め続けている。酔っ払い押し付けてごめんねー、とポセイドンラインの技術者が苦笑まじりに呼びかけるのに、少女はぱっと顔をあげ、両手を顔の前でふって恥じらった。大丈夫ですから、と笑む、その瞳はNEXTの発動を示す、清らかな青に染まっていた。



 雨が降り始めた。はじめは、歩くことを覚えたばかりの幼児のようにたどたどしく。次第に、駆けだし踊り出すように力強く、雨粒が天から落ちてくる。見上げればそこに、雨雲があった。それなのに、東の空は明るいままだ。雨雲が千切れて、流れて来ただけなのだろう。通り雨だ。じきに止む、と思いながら、カリーナは足早に道を進んで行った。少女の周囲で雨粒が凍りつき、澄んだ音を立てながらアルファルトの上を転がった。緊張と、高揚で、無意識にNEXT能力を発動させてしまっている。落ち着かなきゃ、と思いながら、カリーナは目の前を泳ぐように進んで行く、透明な青い蝶を追いかけた。視線の先に、タイタンインダストリーの社屋が見えてきた。まっすぐに続いて行く道だから、蝶もまた直線の軌跡で、カリーナをそこへ導いて行く。アカデミーからやってきた少女は、その能力を『案内人(ナビゲーター)』だと言った。ヒーローを盾にさせるようなウロボロスの言葉に居ても立ってもいられず、校長に直談判して外出と、能力発動の許可を取ってきたのだという少女は、鏑木家の前でヒーローの元に歩み寄り、礼儀正しくお礼を言った。先日は助けて頂いて本当にありがとうございました、と言った少女の顔を見て、あっと声をあげたのは、三人。楓とカリーナと、バーナビーである。少女は、先日の誘拐事件の被害者の一人で、エドワードを楓の元へ連れて行くのに力を貸してくれた存在だった。それによってエドワードが負傷したことはどうあれ、少女は己の能力の有効性を確信したらしかった。
 少女の能力は、道案内に特化したものであるという。カーナビゲーションに非常によく似た能力は、対象となる地点をふたつ、少女の意識化で設定することで発動する。条件付けもいくつかならば可能で、今回の発動にあたって設定されたそれは『可能な限り危険を避けた道筋』だった。一度に三ルートまでの設定しかできないとのことで、蝶に導かれて行くのはカリーナとファイヤーエンブレム、スカイハイの三人だ。スカイハイはしきりと楓を気にしたのだが、タイガー&バーナビーと共にアポロンメディアへ向かう少女は、戦力差を考えても安全に動ける方である。各社の技術者がセキュリティを魔改造しているか、していないか。映像から考えてパワードスーツの数が多そうな社と、二人組でなく突入するヒーローという選考基準で蝶に導かれることになったカリーナは、はぁ、と溜息をつきながら道を歩いて行く。最近、どうもヒーロー仲間からも庇われている気がして、釈然としない。大切にされるのは悪いことではないが、助け合うのと保護されるのでは、別物なのだ。全く、と文句を言いながら、カリーナはタイタンインダストリーまで残り二百メートル地点で立ち止まり、降り注ぐ氷の粒を振り払うよう、顔の前で手を振った。息をゆっくりと吸い込み、吐き出す。
「さあ、行くわよカリーナ。……ブルーローズが待ってるわ」
 口元に笑みを浮かべ、指先に留まらせていた蝶を先触れに飛び立たせて、少女は走り出す。凍った雨粒が地に落ち、やがて光の中できらりと溶けた。雲が切れ、青い空が見える。雨は終わったようだった。



 恐らく、最もなんの問題もなく自社の技術者と合流し、ヒーロースーツを手にすることができたのは、ロックバイソンだろう。クロノスフーズに単身突入してから、時間にして二十八分。カメラの映像でアントニオを確認していた技術者が迎えに出て、アントニオは見慣れた部屋の中にいた。どの社でも同じ惨状であろう硝子という硝子が原形もなく砕け、壁や床は黒く焼け焦げ、調度品がひしゃげた状態を目にした時は、アントニオはどれほど苦労しなければ辿りつけないのだろうか、と不安に思った程だったのだが。入口から技術室に辿りつくまで、アニトニオが遭遇したパワードスーツは、二台。それも、瞬く間にスパナとペンチを持った技術者に躍りかかられ解体され、アントニオの出番などまるでなかった。拍子抜けとはこのことである。俺は来る必要があったんだろうか、と遠い目をして右往左往する技術者たちの前に立ちつくしていると、よう、と威勢のいい掛け声と共に背中が手で叩かれる。
「なにをぼんやりしてんだ? アントニオ」
「マックス……」
「疲れてんのか? 顔色は悪くねぇな……」
 繊維をロックバイソンのヒーロースーツから転用した特殊なツナギを着て、技術主任の男はアントニオの顔をじろじろと見回した。一番最初の襲撃で不意を突かれたと話すマックスは、全身に切り傷を負ったというが、服装のせいで全く分からなかった。注意をすれば消毒液のにおいがするが、それくらいで、見える場所には包帯すら巻かれていない。クロノスフーズの技術者に限って言えば、七大企業中、最も軽傷で済んでいるだろう。一番怪我が酷い者で両足の骨折だというのだから、彼らの運は極めて上等なものだった。初弾がロビーを吹き飛ばしたのを警報によって知った彼らは、即座にセキュリティレベルを最高に引きあげて防火隔壁を全て下ろし、社員に手順に沿った速やかな避難を呼びかけた。同時に、彼らは過去の事件で手に入れておいた、パワードスーツの設計図を手に取った。映像は一瞬で、その時は小型化されていることまで分からなかったらしいが、基本構造は同じ筈だと踏んだのである。そして、その予想は正しかった。ごく単純にパーツを縮小した作りのパワードスーツなど、設計図から弱点と攻略法までを導き出し、最高強度を誇るロックバイソンのスーツの寸断技術を持った技術部の敵ではないのである。パワードスーツが有人操作であったなら状況はまるで違っていただろうが、突入した全てが、プログラムによって遠隔操作されたものだったのだ。隔壁を開いて進んだ所を閉じ込め、工業用溶解液を通気用ダクトからぶちまけてある程度回線にダメージを与えて動きを鈍らせ、後は死角から襲いかかって寸断し、一台一台攻略して行ったらしい。
 うちの技術組、行動力と技術力とやる気に満ちあふれていて怖い、と思いつつ頷き、アニトニオは遠い目になった。色々覚悟してきた手前、気恥ずかしいものも感じて、つい口数が少なくなってしまう。あと一時間も遅ければ、クロノスフーズはロックバイソンの出動準備を整えた上で、トランスポーターでアントニオをピックアップに来たことだろう。俺には勿体ねぇくらいのヤツらだよなぁ、としみじみ呟くと、マックスの眉が不愉快げに跳ねあがるのが見えた。
「なんだそりゃ」
 よし、お前とりあえず座れよ、と朗らかに見える笑い顔で椅子を指差され、アントニオはぎこちない動きで着席した。まぁったくお前はすぐそうやって、と溜息をつきながらパイプ椅子を引きずって隣で開き、マックスも腰を下ろす。
「……俺たちはなぁ、お前の為だから命張れんだよ。あんまり悲しくなること言ってくれるな」
「……すまん」
「ったく。……アントニオ、お前の仕事はなんだ?」
 唐突な問いかけに、アントニオは思わず口ごもってしまう。ヒーロー、という言葉はあまりに簡単で、声に出すのはためらわれた。考えた末、犯人を確保してポイントを稼ぎ、同時に市民の安全を確保し、エンターテイメントを提供する、と書類に記載されているような言葉で答えたアントニオに、マックスは生徒を見つめる教師のような眼差しで、そうだな、と言った。
「じゃ、俺たちの仕事はなんだと思ってる?」
「……スーツの整備じゃねぇのか?」
 訝しげに問うアントニオに、マックスはふ、と笑った。アントニオが避ける間も、身構える時間もなかった。ぱん、と音を立ててアントニオの頭を平手で叩き、マックスはあのなぁ、と低くうねる声で自社のヒーローを睨みつける。
「それは、仕事の、ごく一部だっつってんだろ……?」
「す、すまねぇ、つい」
「俺たちの仕事は、お前を最高のコンディションで送りだすことだ。怪我なく、不安なく、活躍の舞台に立たせることだ」
 その為ならパワードスーツの解体くらいしてやるよ、と鼻で笑い、マックスは立ち上がった。視線でアントニオにも起立を促すのは、ヒーロースーツの準備が整ったからだろう。忙しく動き回っていた技術者たちは、緊張した面持ちでマックスからの最終指示を待っている。よし、と頷き、マックスはアントニオの背を押した。前へ歩けと、促す仕草だった。
「俺たちは、ロックバイソンの為の技術者だ。……だから、アントニオ。お前は素直に可愛がられて、守られてろ。ロックバイソンになりゃ、俺たちは守ってやれねぇんだからよ」
 無傷で送りだすことができて安心した、と笑い、マックスは動けないロックバイソンを置き去りに、ヒーロースーツの最終調整をしに歩いて行ってしまった。普段より早足であるのは、気のせいではないだろう。なんと言えばいいのか分からないアントニオに、振り返ったマックスがおい、と声をかけた。
「早くしねぇか。……これからだ。気合い入れていけよ?」
「分かってる。……ありがとうな」
 握りこぶしを目の高さに持ち上げれば、マックスはにやりと笑い、拳を打ちあわせてくれた。行ってこいよ、と促されるのに頷き、アントニオは歩きだす。すぐにスーツの装着担当者が駆け寄り、体調など細かいことを質問してくるのに頷きながら、アントニオは落ち着いた気持ちで顔をあげ、笑った。



 ヘリペリデスファイナンスのビルは、見るからに傾いていた。比喩表現ではない。純粋に斜めに傾いていたのだ。これはもしかしてこれ以上ダメージ受けると倒壊しかねないんじゃないでしょうか、と冷や汗を浮かべながら呟いたイワンの隣で、ルナティック姿のユーリは上に重たい飾り乗せていますしね、と呟いた。重心がずれると不味いのではないか、と言いたいらしい。表情を読ませないマスクがないせいで、ほぼ他人事の顔をしているユーリの表情が、イワンからはよく見えた。なにも言うまいと頭を振って歩きだしたイワンの隣に並んで歩きつつ、ユーリはどうも落ち着かない様子で顔に手で触れている。いくら道に誰も歩いていないからと言って、ルナティック姿で堂々と顔を出していることが、落ち着かなくて仕方がないらしい。やがてそれは顔を出す羽目になった原因への怒りとなり、ユーリは品のない舌打ちを響かせると、視線を険しくしてステルスソルジャーへの呪詛を吐きだした。それが一言ではなく、途切れず延々と出てくるのだからイワンは純粋に感心してしまう。焼け焦げたロビーをそっと覗き込み、内部に向かって足を進め始めてもまだ文句を言っているので、イワンは思いきって尋ねることにした。そうでもしなければ、BGMかなにかにしてしまいそうなくらい、いつまでも途切れる気配のない文句だった。
「どういう付き合いなんですか?」
 奥に行くにつれ壊れた箇所が多くなって行く社内を、イワンは慎重に進んで行く。時折、夥しい量の血痕に遭遇して足が竦んだが、イワンはあえて立ち止まらなかった。倒れ伏す人の姿が、不気味なくらい確認できなかったからである。天井が崩れて瓦礫が折り重なっている箇所もあり、方角だけを確かめながら、迂回して進んで行く。怪我をしている者も多いだろうに、彼らは忽然と姿を消していた。耳をすましても、呻き声ひとつ聞こえない。ぞっとするイワンの耳に、ユーリがそうですね、と口を開くのが聞こえた。質問をして十分以上が経過しているし、状況からも会話を諦めていたのだが、どうもユーリは暢気に考え込んでいたらしい。反射的にいらっとした気持ちを押さえこんで歩いて行くと、ひとつ角を曲がった所で、ユーリがイワンの前に出た。監視カメラが、二人の動きを追いかけている。
「……父親の、紹介で知り合いました」
 慎重に、選びに選び抜いた言葉だったのだろう。それきりまた言葉が途切れ、次にユーリが口を開いたのは、イワンが百二十四まで数を数えた時だった。
「それから、ずっと……父が、いなくなってからは、月に一度。最近は一年に一度、前触れもなく顔を見せに来たと言って現れて……保護者のような顔をする相手、ですね」
「……ほごしゃ」
「とっくにそんなもの、必要ない年齢なんですが。どうも」
 いまひとつ、その辺りを理解していないようで。あまりにユーリに似合わない単語に繰り返してしまったイワンに構うことなく、ユーリは嘆かわしいと言わんばかり首を振り、深々と息を吐きだした。と、そのまぶたがぴくりと震えた。一瞬にして張り詰めた雰囲気に導かれるように、イワンの耳もこちらへ向かってくる機械音を聞いた。知らず、体に力を込めて体勢を整えようとするイワンを肩越しに見やり、ユーリは大丈夫ですよ、と告げて一歩を踏み出し、そのまま歩いて行く。眼前に、瓦礫を踏み越えてこちらへ来ようとする、いびつに成長した蜘蛛のような、自走式機関銃が見えた。ゆったりとした歩みで距離を縮めながら、ユーリはついにその両手に、青い炎を溢れさせる。
「何一つ、心配することはありません。あなたはただ、私について歩けばいい。……さあ、前へ」
 しなやかな指先が、爪弾くように青い炎を導いた。衝撃は一瞬遅れて空気を震わせ、ただ、瞬時に炭化したそれが、視線の先で崩れ落ちるのをイワンは見る。桁外れの威力だった。
「……他愛もない。児戯に等しい玩具ごときが、私の歩みを止められるとでも? ……舐められたものだ」
 ふ、と笑ったユーリが目を暗く輝かせながら歩み、のっそりと姿を現したパワードスーツに口元の笑みを深めるのを見て、イワンは直感的に理解した。あ、これ、この人、絶対に八つ当たりしてる。溜りに溜まったストレスを、極限まで圧縮した炎に叩きつけ、それを全力で向かってくる者に投げつけているのだ。数年間、ルナティックの活動をしていなかったこともあって、さぞ抑圧されていたことだろう。ふ、ふふふ、と若干向こう側の世界に足を踏み入れた笑みを響かせながら次々と、なんの問題もなく破壊していくのについて歩きながら、イワンはぬるい笑みを浮かべた。時々、生き残っているらしき監視カメラは、忠実に二人の動きを追いかけて動いている。イワンはユーリに気取られないようにその一台を見つめ返し、ちょっと眉を寄せながらゆっくりと唇を動かした。
『キリサトさん。……楽しようとしてるでしょう』
 違いますよ適材適所ですよぷんすこっ、と口に出して怒る技術者の姿を脳内で受信して、イワンは精神的な理由で眩暈を感じた。キリサトが動けるくらいに回復しているのなら、おびただしい被害を物語る状況であっても、誰も倒れていない理由に説明がつく。少女は、あれで目の前の犠牲をそのまま放置しておくことはしない。可能な限り助けようとするし、その為の努力は惜しみなくする性格だ。そして、大胆な賭けをすることもイワンは知っている。つまりキリサトはある程度敵の存在を無視して、怪我人の保護を優先したのだ。天井が所々崩落しているのは、わざと崩すことでパワードスーツと自走式機関銃の足止めをし、その間に保護を急いだのだろう。映像から、かなりの高確率でキリサトの傍にCEOがいることが分かるので、建物の破壊許可が下されるのは早かったに違いない。人命優先をためらう相手ではないし、キリサトは天災と呼ばれる天才だが、彼女を愛するCEOは、時としてその判断でちょっとした天災を一級災害にまで押し上げる相手だ。君の好きなようにおし、とキリサトの暴走を止めもしない様子は、あまりに自然に思い浮かんだ。キリサトのみならず、無事でいる技術者たちが共謀していることを示すように、先程からパワードスーツは一体ずつしか姿を現さない。おかげで、ユーリは順調にストレスを解消しているようだった。程なく、目的地へ辿りつけるだろう。

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