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 吸い込まれた息が、深々と長く吐き出されて行く。しんと静まり返ったトレーニングルームに響いていた声はひとつだけで、音はそれだけで、ヒーローたちは身動きのそれすら響かせはしなかった。語り終えたシレーネはすこしばかり話し疲れたようすで微笑み、パオリンとしっかりと視線を合わせた。
「……いまの話で、証明になりますか? 私がシレーネ本人で、『初代』の一人だったけど、殺人犯でもあって。それで、外見の年齢が若い理由。納得できましたか……?」
 これで駄目だって言われると、本当に困ってしまうと言いたげに眉を寄せたシレーネに、パオリンはハッとして頷いた。すぐに反応を返すことが出来ないくらい、語る言葉に意識を引っ張られ、飲み込まれていたからだ。少女の言葉には真実を語る響きと説得力があって、なにより人の意識を引きつける力に溢れていた。NEXT能力故なのだろうか。シレーネの言葉は聞きやすく耳に触れ、ヒーローたちの意識を奪うように連れ去って行ったのだ。時折、零れることを許された質問を拾い上げてシレーネは説明してくれたが、話を中断させたり、否定させる言葉をもらすことは誰にも出来なかった。ようやく解放されたような心地でソファの背もたれに体を預け、虎徹は微笑んで座るシレーネを見た。
「……気になったこと、聞いてもいいか?」
「はい、どうぞ」
「殺人犯にしてくださいって、言ったって……なんだ?」
 それは、シレーネが望んで刑務所の中に居るとも受け取れる言葉だ。仲間たちが怒ったというのも、反対されたということだろう。ああ、と納得したような頷きを見せ、シレーネは言葉を探すように視線をうろつかせた。
「すぐ逮捕されたわけじゃないんですね、私。起きたら病院でしたし、被害者としてその……過剰防衛? そういう感じで話をつけることも出来たみたいなんですが、本当に、全然まったく関係ない人をすごい数巻き込んだのと、私が殺意があったことを否定しなかったのと、私がNEXTでしかもヒーローで、そういういろんな要素が重なって……ヒーローとして裁かれるか、殺人犯として捕まるか、どっちかを選ぶことになったんです。ヒーローとして裁かれることを望めば、オーチェとコージュとカナートの未来を私が奪うことになり、NEXTはやっぱり犯罪者なんだって思われてしまう。殺人犯として全ての罪をなんの言い訳もなく受け入れれば、私がヒーローであった事実を消してくれると。ヒーローは最初から四人で、そうすれば、これまでの五年間の努力は……正しく、報われる。NEXTの未来が守れる。だから私は、ただ大量殺人の犯人として警察に捕まることを決めました」
「……それを仲間に反対されたってことか」
「あんなに怒られたの初めてです」
 申し訳なさそうに、すこしだけ楽しげに笑って、シレーネは過去を懐かしむように目を細めた。
「……そろそろ、私がなんでここにいるのかのお話、しても大丈夫ですか?」
「あ、お願いします」
「はい。……って言っても、今話した中に理由っていうか、本題が入っちゃってるので申し訳ないんですが……。私が今回、死の時まで外に出ることを禁じられた状態であるのに、こうして皆さんとお会いしているのは、司法局とヒーローTVが警察をものすごく説得したからです。私は、そう名乗っていいなら元ヒーローで、その立場で同じ状態にまで陥った人が他に居なかったからだと思いますが」
 ヒーローも犯罪の標的になるということを、決して忘れないでいてください。まっすぐに虎徹たちのことを見つめながら、シレーネはハッキリと言い切った。
「巻き込まれるとか、そういうのじゃなくて。ヒーロー個人を狙った悪意に、襲われる可能性があるということを、どうか忘れないでいてください。私の時と違って、顔を隠していたり、ヒーロー名で活動していることが、ある程度までは守ってくれると思いますが……というかバーナビーさんは、なんで顔出して本名でやってるんですか……?」
「個人的にどうしても顔と名前を出したい理由がありまして……シレーネさんは、その辺りの事情はご存じではない?」
「現役ヒーローの顔と名前と能力だけ教えて頂きました。あとは、刑務所で私に入ってくる情報っていうのは、制限されているっていうか、なにも無いので……シュテルンビルトがこんな、階層式になってるのも今日初めて知りましたし、カナートが『帝王』とか……カナートが、帝王、とかっ……!」
 口元を手で押さえ、シレーネは堪え切れなかった笑いを吹き出した。椅子の前に置かれたカフェテーブルにぱたりと身を伏せ、シレーネはくすくすと肩を震わせて笑い続ける。
「だ、だめ、がまんできない……! にあ、似合うところがもう、やだ、なにそれ……! か、かっこいい。『魔弾』の時も指差して笑ったけど、『帝王』とかもう笑いが止まらない」
「……あの、さっきから思ってたんだけど。シレーネさん、カナートさんと仲悪い、の……?」
 一連の説明の時も、なんかそんな感じがしたし。恐る恐る手をあげて問いかけたカリーナに、シレーネは浮かぶ涙をぬぐいながら顔をあげ、にっこりと微笑んだ。
「私、カナートからキエフを奪っちゃったので」
「……どういう意味で、かしら」
 盛大な自殺に巻き込んでしまったから、という意味であれば、あまりに表情と声がそぐわなかった。半ば予想しながらも問いを重ねたネイサンに、シレーネはそのままの、と笑う。
「カナートの、大好きな大好きなだーいすきな幼馴染がキエフで、だからカナートにしてみれば私は間男? なの。私が来るまではキエフと好きなだけいちゃいちゃできたのに、私がキエフのこと好きで、キエフも私の事好きになってくれてから、カナートのことを最優先にしなくなったってすごーく不機嫌で」
「……嫉妬?」
「うん。よくキエフのこと蹴り倒して肩踏みながら、銃突き付けて、答えろキエフ俺とあの女のどっちが大事なんだ俺だな? とか聞いてたくらいキエフのことだーいすきだったから……そ、それなのに、それなのに帝王……! 帝王カナート……!」
 げほげほと咳き込むまで遠慮なく笑い、現役ヒーローたちが持つ『初代』への憧れを修復不可能なまでに破壊しておいて、シレーネはスッキリした表情で顔をあげた。
「はー……。あれ、どこまでお話しましたっけ」
「ヒーローが標的になりかねないところまで?」
 正直俺そろそろ帰りたい、という笑顔で教えてやるエドワードの手をさりげなく楓が握っているのは、この場で唯一、逃亡を可能とする能力をもった相手だからに他ならない。あ、そうでしたと緊張感なく頷き、シレーネはですから、とその楓を見つめながら告げる。
「特に、能力的に自分の身を守る手段のないあなたが一番危ない。楓さん」
「……え?」
「あなたはまだ若い。だから、そういうことについてきちんと考えたことはないでしょう。カリーナさんも、パオリンさんも、聞いてください。いいですか? 私は……殺害に至る最終的な引き金になったのは暴言ですが、もしそこで持ちこたえていたとすると、私は強姦されていました。さて問題です。あなたたちがもしその状況に陥り、能力を使える状態にあったとして。来るか分からない助けを信じて、能力を発動させないでいられますか? もしくは、相手を死に至らしめる前に、自分の能力の制御をして……ちゃんと加減できると、思いますか?」
 私もこれを聞かれました、と言葉を失った少女たちに対して、シレーネはあまりに迷わず言葉を続けた。
「私は能力を使います。ためらわず」
 ただし、と『歌姫』と呼ばれたNEXTは笑う。
「動きを止めるだけ、です。今度こそ。……この問題に正解はありません。なにが正しいのかは、自分で決めなければいけない。……あなたたちはヒーローです。救いの為の希望。今のヒーローには、自分の身を守る義務があると聞きました。その義務の為に、犯罪や悪意に襲われた時、相手の命を奪うしか身を守る手段がない時に、あなたたちは……どんな決断を、しますか。あなたたちは犯罪を起こしたひとを確保して警察に引き渡すヒーローで、巻き込まれた一般市民を救いに行く存在です。でもあなたたちだって、犯罪に巻き込まれる被害者にならない訳じゃない。……司法局とヒーローTVは、さすがに、消された筈の私のデータをどこかに隠し持っていて、もう引退した古い人間が、先日、現役で動く人たちに私が起こした事件をおしえて、考えておけと言ったそうです。もしヒーローが自分を守る為に、相手を傷つけてしまう決断を行った時にどうするか」
 彼らはあなたたちの決断を信じると、そう言ったそうです。微笑みながらそう告げて、シレーネはヒーローと、そのサポーターの顔をじっと見つめた。
「……なにか質問は?」
 別にいまの事にまったく関係なくても、時間のある限りは答えますから、と笑うシレーネに、すぐに向けられる言葉はなく。声が響くには、しばらくの時間が必要だった。



 そういえば、と口を開いて場の静寂を打ち破ったのはバーナビーだった。どこか緊張感のない穏やかな声に、誰もが自然にバーナビーを見つめる。注目を集めることに慣れ切った青年はそれにぎょっとした様子もなく、なにごとかと首を傾げるシレーネに問いかけた。
「あのUSBどうしました? ……僕らのメカニックが渡してくれた、長方形のちいさい記録媒体のことです」
 ものすごく困った顔でゆーえすびー、と繰り返したシレーネに言い添えてやると、少女はあっと声をあげてジーンズのちいさなポケットに指先を突っ込んだ。すぐに己が取り出したものをしげしげと見つめ、シレーネはそーっとバーナビーを見つめながら、困り切った声を出した。
「……記録媒体?」
 これが本当にそうなのか、と泣きそうな響きで問うてくる少女に、バーナビーはもちろんですと勇気づけるように頷いた。シレーネが実際にこの社会に触れていた時間は遠い過去のものであり、育ちから考えても技術の先端に触れる機会はなかったに違いない。現代を生きる幼子より乏しい知識がシレーネにそれを理解させないようだったが、少女はそれでも恐る恐る、場に集った者たちを見て問いを重ねた。
「こ……声の録音とか、映像とか?」
「はい。恐らく。……斎藤さんが言うには初代のものが入っているとか。良ければ、中身を見てみませんか?」
「う、うん。みる。……見たい、です」
 どこか幼く、たどたどしい口調が少女の素であるらしい。そう言えばバーナビーに『シレーネ』を知っているのか問いかけた時も、言葉は幼く響くものだった。その時は驚きであったのだろうが、緊張が溶けて来たのであればいいな、と思いながらバーナビーは立ち上がり、少女の前で恭しく手を差し出した。年頃の少女が頬を染めて指先を滑り込ませるであろう青年のてのひらに、シレーネはちいさなUSBを託してお願いします、と言った。バーナビーは新鮮な気持ちで微笑み、かしこまりました、と告げて仲間たちを振り返った。手招いたのはイワンである。先輩、と呼ばれて立ちあがったイワンは、すぐに頷いて待っていて、と言った。
「パソコン持ってきます。……プロジェクターは」
「どこかにしまってあるんじゃないかな。手伝おうか?」
「お願いします、キースさん。……五分以内に戻りますね」
 すこしだけ待っていてください、と告げ、イワンはキースを伴ってロッカールームへ消えて行く。シレーネはにこにこ笑いながら、ぱそこんとぷろじぇくたですね、と繰り返したが、恐らくは理解していないに違いない。手持ちぶさたにもぞもぞと身動きする姿に、カリーナとパオリンがソファを立ち、少女に近づいて行く。にこ、と嬉しそうに笑ったシレーネに安堵した様子で、二人は少女の前に立った。あの、と声をかけたのはパオリンが先だった。
「ごめんなさい。ボク、疑うようなことを言って」
「知らないなら、普通は信じられないと思うから。気にしないでください。えっと……ホァン・パオリン? と、カリーナ・ライルですよね……?」
「うん。ヒーロー名はドラゴンキッドだよ。よろしくね!」
 にこっと笑って友好的に差し出された手に、シレーネはやや戸惑うような、ためらうような仕草で視線を落とす。すぐに握手されなかったことで、パオリンも不思議に思ったのだろう。差し出した手を引かないままで、あれ、と首を傾げている。
「握手きらい? ごめんね?」
「いえ、きらいではないんですが……私、現在進行形で犯罪者なので、ヒーローが握手するのはダメなんじゃないかなぁって……思うんですけど」
 そう言えば、バーナビーが挨拶の為に差し出した手も、シレーネはしみじみと見つめるだけで触れようとはしなかった。そういう意味だったのかとバーナビーが密かに感心していると、パオリンは素早い仕草でシレーネの手を取り、ぎゅっと握って明るい笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫! ナイショにしたらバレないよ!」
 テレビカメラもないしね、と言うパオリンに、シレーネはあっけに取られた表情で硬直している。果たして、本当にそれでいいのか考えているのだろう。鈍い動きで瞬きをしている間に、シレーネの手は再びぬくもりに包まれる。今度こそあっと声をあげて視線を向けたシレーネに、カリーナが勝気な仕草で唇をつり上げ、笑ってみせた。
「気にしすぎじゃない?」
「そ、そう……です、か……?」
 いえ絶対そんなことないと思うんですよね、とシレーネの困り切って泣きそうな横顔は物語っていたが、それを正確に読みとった上で、カリーナとパオリンは少女の手を離そうとはしなかった。華奢な、女の子の手指だった。よく手入れがされているとは言い難い肌はすこし荒れていたが、柔らかくて、そしてひんやりとして冷たかった。この手は、かつて誰かを救っていたのだ。そしてこの手が希望を手放したからこそ、現在のヒーロー制度があるとも言える。なにを言うでもなく手を繋いで俯いてしまった二人に、両手を与えた姿のまま、シレーネは柔らかく微笑んだ。そんな三人の事を戻ってきたイワンとキースは温かなまなざしで見守り、バーナビーの元へ駆け寄った。
「ありましたよ、パソコンとプロジェクター。とりあえず、中になに入ってるか確認しても?」
「はい、お願いします。たぶん映像だと思うんですが……」
 私物らしきパソコンにUSBを差し込み、イワンはソファに座った膝の上で画面を操作していく。すぐに開いた画面は映像ファイルがあることを示し、イワンはやっぱりそうですね、と頷いた。
「十五分ちょっとの映像が保存されています。……戦闘記録とかでしょうか。バーナビーさん、分かります?」
「いいえ、僕も『初代』のものだと聞いただけで、なんの映像かまでは……シレーネさん、映像、映してみて」
「お願いします!」
 いいですか、までをバーナビーに言わせず、シレーネは必死な様子で頷いた。期待と、それを切り裂いてしまうような強い不安が、シレーネの瞳の中に同居している。唇を噛んで息をつめてしまうその手を、カリーナとパオリンが強く握り直す。大丈夫、と囁くような仕草に、シレーネはハッとして目を瞬かせ、それからくすぐったそうに笑った。少女たちがささやかな交流をしているのを横目に、バーナビーとエドワードはトレーニングルームの配線を勝手にいじくって繋ぎ直し、プロジェクターとパソコンを接続してしまう。照明の明るさを落としに行ったのはロックバイソンで、始めるぞ、と声をかけたのは虎徹だった。静まり返った部屋に、プロジェクターの稼働音が響く。スクリーン代わりにされた白い壁に映像が投影されたのを確認し、イワンが再生のボタンを押した。とたん、壁に映し出された人影に、シレーネが息を飲みこんだ。
「カ……!」
 片手が自由であったなら、シレーネはその、足を組んで椅子に座り、やや不機嫌そうに腕組みをしてこちらを睨んでいる青年を、思い切り指差していたであろう。二人の少女に手を握られている状態でその動きは叶わなかったが、はくはくと動く唇が、吐き出す言葉を見失ったかのように息だけを吸い込んでいた。映像は再生されている筈なのだが、映し出された男は動かない。軍服の襟辺りで遊ぶ金の毛先が煩わしそうに眉を寄せながら、ひたすらこちら側を睨んで沈黙している。誰もがなんとなく息苦しい気持ちで見つめてしまう映像が、ようやく動きを見せたのはそれからたっぷり十秒が経過した時だった。紺碧の瞳を不機嫌に瞬かせ、男がおい、と映像を映している誰かに呼びかける。
『コージュ、オーチェ。映ってるんじゃないのか?』
 悲鳴のような音を立て、シレーネが息を吸い込んだ。
「……カナート」
 少女の瞳が映像を凝視し、神経の全てがスピーカーから流れる音に集中する。誰も、問わずに同じようにした。
『……これでいいの?』
『知らん。おい、コージュ。説明書ばかり読んでいないで、俺の質問に答えろ。これは、もう、映像が記録されているのか、いないのか』
『……録画されているようですね』
 ぱたん、と本を閉じる音が画面外から響き、椅子に座っていたカナートが深々と溜息をつく。
『なら、お前たちもこちらに来い。俺ばかり映してどうするつもりだ。まあ、そんなにお前たちが俺の尊顔を後世に残したくて仕方がないというのなら、もうしばらく俺だけでも良いが』
『言っておきますが、その発言も残るんですからね? カナート。編集の時間もありませんから、この映像がこのまま、残るんですよ? 分かっています?』
 確認を重ねられたカナートは、画面からそっと視線を外して舌打ちを響かせる。その仕草が、嫌味なくらい似合う、きらびやかな男だった。やや長めに伸ばされた金髪はくすみのない輝きで、女性であれば髪飾りが負けてしまうくらいの存在感を放っている。紺碧の瞳は、澄んだ色でありながらもその美しさより、危険な印象を強く投げかける輝きを灯していた。軍服に包まれた身体はしっかりと鍛え上げられていて、手も足もすらりとして長く、男にしても長身の部類であることを伺わせた。自信に溢れた表情は魅力的で、やや甘さを残した相貌は男性でありながらもうつくしかった。ピアノを弾かせたくなるような長い指が、早くしろ、と言わんばかり画面の奥を招く。
 現れたのは、カナートと同じ軍服に身を包んだ、やはり長身の男性と、衣装めいたドレスに身を包んだ女性だった。二人は椅子に座るカナートの背を守るようにして立ち、画面のこちらに微笑みかけてくる。暗く赤みがかった琥珀色の髪を揺らし、女性が嬉しそうに口を開いた。
『シレーネ。……あなたがこれを見るのは、いつになるかしら。私たちがあなたを堀の奥に奪われて、もう五年が過ぎました。これは……私たちがあなたに残す手紙です。この手紙は、必ずあなたの元に届く。私たちはそう信じているし、コージュが』
『……こう言えばすぐ説明できるだろう、オーチェ。コージュがこの映像を見るシレーネの姿を予知した。よって、俺たちがあの馬鹿に言い残しておきたい文句を詰め込んだ、と』
『またあなたはそんなことを。……お久しぶりです、シレーネ。元気にしていると良いのですが。私が見たあなたの姿は、可愛いお嬢さんと手を繋いで笑っていましたから、安心はしています。カナートはあんなことを言いましたが、気にしないでくださいね。……こんにちは、ヒーローの皆さん。私はコージュ。予知能力を持ったNEXTです。うちのシレーネがお世話になっております』
 まるでリアルタイムの映像であるかのように、穏やかな口調で男は語り、こちら側に向かってお辞儀をした。今まさに『可愛いお嬢さんと手を繋いで』いるシレーネは、やや恥ずかしそうに体をもぞりと動かしたが、聞いているヒーローたちの驚愕はその比ではなかった。
『シレーネが言ったと思いますが』
 その驚きを意にも介さず、映像の中でコージュは告げる。
『予知能力は、本当は数分先が限界でした。ここまで先を『見る』ことになったのは……どうしてでしょうね?』
『聞くな。俺に聞くな。お願いだから俺に聞くな』
『恐らく、能力の制限限界を超えたからだと思います』
 犬猫を追い払う手つきで嫌そうに言うカナートを気にした封もなくコージュが告げる。分かっているならなんで聞くんだと言わんばかり顔をゆがめたカナートを見つめ、コージュはやや首を傾げた。
『制限限界の意味は分かりますか? カナート』
『お前はなんで俺のこの顔を見て理解できなかったのかなとか思えるんだ! 天然! 会話が進まんだろうが! 俺はちゃんと分かってるからあの馬鹿に説明してやれ! あの女は馬鹿だから絶対忘れているに違いない。分からないまま話を進めてシレーネが泣いたらどうするつもりだ』
「泣かないわよ! お、思い出せないけど……」
 思わず反論したシレーネの声が、過去に届くことはない。映像は、少女の抗議を置き去りに進んで行く。
『制限限界というのは、NEXT能力者であれば誰もが持つものです。そのまま、能力の弱点を指すと言っても良いでしょう。私の場合は予知ができる能力、ただし、対象者の運命の数分先までしか見ることができない。この、ただし、が制限限界だと思ってください。……そうですね、そことそこの方の』
 言葉を切って、コージュが指差したのは虎徹とバーナビーだった。思わずぎょっとして体を逃がす二人に笑いかけるように、コージュは言葉を繋いで行く。
『ハンドレットパワーが一番分かりやすいでしょう。彼らの制限限界が、発動は五分のみ。一回の発動につき、一時間開けないと次の発動を迎えられない。……ずっと能力を発動していられない、発動時間に制限がある。能力の発動限界が、五分。こう言い換えてもいいでしょう。分かりますか? シレーネ』
 大丈夫分かった、と言わんばかりシレーネはこくこく頷いている。室内の面々もそれなりに納得したような面持ちで、映像の続きに見入っていた。
『なぜ制限があるのか、は明白です。寿命を削るからですよ』
「……え?」
『泣くなよ、シレーネ。泣くなよ? ……仕方がないだろう。実際、そうするまで分からなかったんだ』
 本当に、心底嫌そうに面倒くさそうに、泣くなと繰り返して、カナートは足を組み直し、腕を組み直して深く息を吐きだした。
『……お前の事件について、俺たちはずっと調べてた。一点、明らかに不審な点があったからな。いいか、よく考えろよ? お前の能力の効果範囲が、あんな広域だったことあるか? ないだろ? 声の届く範囲が、お前の能力範囲だった筈だ。それなのに、あの事件で、お前を中心とした半径百メートル、直径にして二百メートルの範囲が能力の効果範囲に含まれた。異常だろ? だから、正直なところ、お前なんかの濡れ衣も着せられてるんじゃないのかと思ってたんだが……』
『……シレーネ。あなたの能力も恐らく、発動限界を超えてしまったの。……私のものも、だけれど。ごめんね、シレーネ。本当にごめんなさい。私はあなたを助けたくて、でも……あなたの時間をそんな風に切り取って、停めてしまうなんて』
『発動限界を超えるってことは、体が脳に設定したストッパーを外すってことだ。壊すとも言うな。二度と元には戻れない訳だから。真似すんなよ? 後輩ども。体壊して死にたくなければやめておけ。俺も一週間寝込んだからな』
 寝込んだ、とカナートが告げた瞬間、シレーネが椅子の上で仰け反った。どうしたのかと目を向けられ、シレーネがだってっ、と大慌てで言う。
「か、風邪も引かないしお腹も壊さないし、頭も痛くならないし高い所とか大好きなカナートが! 寝込んだって!」
『ああ、言っておくがな、シレーネ。俺を遠回しに馬鹿呼ばわりしたら、お前用の説明を入れないで会話進めるぞ?』
「……ばかじゃないもの」
 この映像は本当に録画されたものなのか、と疑わしげなシレーネの視線に、イワンは苦笑しながら記録映像です、と言う。シレーネは、理解されきっていることを怒ればいいのか悲しめばいいのか、懐かしめばいいのか分からなくなった表情で肩を竦め、深く息を吐きだした。
『じゃ、本題に入るからよく聞けよ?』
「……はぁーい」
『いいか? 正しいと思うことを、恐れるな』
 ひたと、画面ごし、時を超えて見つめてくる視線に、シレーネの息が止まる。なにを言うのかとぎこちなく首を傾げるのに、柔らかな女性の声が説明を添えた。
『あのね、シレーネ。私たちはあなたを諦めていないの。あなたを絶対、助けてみせる。言ったでしょう? 待っていてねって。必ず迎えに行くから、待っていてねって……これを残したのはね、シレーネ。あなたがたぶん……前と同じような状況に巻き込まれるって、コージュが予知したの』
『……今度こそ、助けを信じて待ってくれますか、シレーネ。ああ、武力行使をせずに無抵抗で待っていてくださいね、と言っている訳ではありませんからね? ちゃんと身を守って、助けが来るのを待っていてください、という意味ですよ。……死を望んだりしないでください。どうか、もう二度と。助けは来ます。必ず来ますから……待っていてください』
『まあ、コージュの予知が外れることもあるから、心配のしすぎかも知れないがな。……お前、ちゃんと刑務所で大人しくしてるんだろうな? いいか、外部から依頼があって外に出してもらえるとか言われても、簡単に請け負ったりするなよ? どうせ一時的で戻されるに決まってんだし、なんらかの罠に決まってんだか……おいコージュ、なんで視線反らして……外かっ? もしかして刑務所の外にいるのかっ? シレーネ! この馬鹿っ! 考えなし! 低能っ! だーかーらーお前は馬鹿だと言うんだっ! いいかお前が一人で出歩いた時の犯罪巻き込まれ率を思い出してみろ馬鹿っ! お前は道を歩くとスリとぶつかり、角を曲がれば強盗とでくわし、路地に入れば指名手配犯と目が合うような超一級品の犯罪者吸引体質だと、俺が何回言えばそのつるっつる脳みそに記憶させられるんだ馬鹿! 低能! 警察の保護下でなければ、外を歩くな絶対にだ!』
 ぜいぜいと息を切らしながら絶叫するカナートの、その渾身の訴えを右から左に聞き流した様子で、シレーネはむっと唇を尖らせた。ごくごく幼い仕草だった。
「カナート、大げさなんだもん……」
『お前、今どうせ俺が大げさだの過保護だの心配性だの言ってるだろうがなっ! 事実しか言ってないだろう俺は! ……オーチェ、コージュ、笑うな! 笑いごとじゃないだろうあの馬鹿の体質は! ……いいか、シレーネ。もしなんらかの犯罪に巻き込まれた場合、それが誘拐でも監禁でも強盗でも殺人現場の目撃でも、なんでもだ。自分で対処できる範囲ならば、自分でやれ。でもな、できないと思ったら、次にお前が言う言葉は『助けて』だ。いいな? 分かったな? 『助けて』だぞ? 間違っても死ねだの死にたいだの滅べだの爆発しろだのは言うなよ? お前が言うと本当になるからな。……助けを、求めろよ、シレーネ。今度こそ』
 まだ続く筈だった言葉を邪魔したのは、映像の奥から響いて来る爆発音と振動だった。画面の中で三人の顔が緊張に引き締まり、カナートは舌打ちをして立ちあがる。
『来たか……先に行くぞ。後は頼んだ』
『……気をつけて』
 送り出すオーチェに口元だけの笑みを向け、カナートは画面外に置いていた狙撃銃を拾い上げて背負い、懐から拳銃を取り出して残弾数を確認した。
『じゃあ、またな』
 カナートたちが居たのは、どこかの一室であるらしかった。映像の奥には扉が見え、カナートはそこから出て居なくなってしまう。すぐに発砲音が連続して響き、残された二人も全身を青白い光で包み込ませた。数秒だけ目を閉じたコージュが、オーチェに数秒後に出てすぐ走ってください、と告げる。オーチェはコージュに全幅の信頼を向けた表情で頷くと、まだ録画を続けていたカメラに向かい、にっこりと微笑んだ。
『迎えに行くわ、シレーネ。いつか、絶対、迎えに行くから。待っていて。……さようなら』
『……自分たちで選んだ結果です。自分を責めてはいけませんよ、シレーネ。……それでは、また』
 ぶつん、と音がして映像が途絶える。無機質な数字がこの映像が録画された日時を示し、やがて壁から映像が完全に消える。それは、シレーネが刑務所に入って、ちょうど五年後の日付だった。なぜこんな映像が自社のメカニックを通じて渡されることになったのかを考える前に、虎徹は野生の勘めいたざわめきに従い、ソファに散乱していた資料のひとつを手に取った。カナート、オーチェ、コージュの引退の期日は同一のものだった。映像が録画された翌日。引退理由は職務遂行中の怪我となっており、その後のことはなにも記されていなかった。静まり返った部屋の中、シレーネはまっすぐに背を伸ばして映像の映し出されていた壁を見ていた。その横顔はなにもかも知っているようで、覚悟を重ねた者のようにも見えた。
 やがてシレーネは、虎徹が資料を手に持っていることに気がついたのだろう。ゆっくりと向けられた視線は、やがて、泣くのを堪えた微笑みに変わる。
「あの時の、世界の……正義が、それだった、だけです」
 いまはちがうでしょう、と問いかける言葉は、否定されれば消えそうな儚さで紡がれた。ああ、違う、と言葉にして否定してやった虎徹に、シレーネは本当に嬉しそうに笑う。笑いが自然に引いた後、さて、とシレーネは囁く。
「怒られちゃったし……これからちょうど、警察へも行かなければいけなかったので。私、そろそろ行きますね」
 繋いでいた手をそっと離して、シレーネは立ち上がる。反射的に引き留めようとする者たちの視線を微笑む仕草ひとつで振り払い、シレーネはパソコンに接続されたUSBを眺めた。
「それ、差し上げます。ご迷惑だったら申し訳ないけど……私が持っていても、刑務所の中までは持ちこめないから」
 もし処分に困るようなら、それを渡してくださった方に戻してあげてください、と微笑んで、シレーネはヒーローたちに深く頭を下げた。
「私の話を……聞いてくれて、ありがとう。コージュが言ったことがすこし不安だけど、でも、大丈夫だと思います。これから警察に行って、偉い人に会って、それが終わったらまた刑務所に戻って……もう、出ないと思うので」
「……警察まで、一緒に行くか?」
「大丈夫です。お迎えの車も警察が出してくれたものですし、運転してくれてたひとも、あのひともNEXTで、なにかあったらちゃんと対処できるようにはなっていますから……あ、最後にちょっとだけ。えっと……楓さん?」
 急に手招かれ、楓は驚きつつもシレーネに近寄って行く。背を正して前に立てば、身長がそう違わないことに驚いた。楓は同年代の少女に比べればスケートをしているせいか、体がしっかりとした作りで背も高いが、シレーネは女性にしても背が低い方だろう。やや見上げるだけであっけなく重なる視線にどぎまぎしていると、シレーネはあのね、と言い聞かせるように囁いた。そっと、耳の奥に染み込むような声だった。
「頂いた資料で、あなたの能力が、他のひとのNEXT能力のコピーで……ずっと制御が安定しないって聞いたけど、本当?」
「は、はい。そうです」
「……制御不安定が、発動制限でないことを祈っています。あのね、調べたら、ある程度は分かる筈だから。NEXT能力を研究してるひとがいたら、その人に頼んで調べて貰って? 制御することで体に負担がかかる能力って、あるの」
 私もそうだったから、と言って、シレーネは己の眉間の辺りに人差し指で触れた。
「頭が痛くなったら、無理に制御しようとしちゃ駄目よ。……分かった?」
「……はい」
「うん。……おまもりだけ、あげるね」
 告げたシレーネの全身が、青白く染まる。瞳の奥の輝きまで青白く染め、シレーネはそっと、言葉を告げる。
「……ちゃんと、『制御できますように』」
 足元から風が吹いたような気持ちで、楓は息を吸う。意識がハッキリしたような、綺麗な水と空気の中にいるような、清らかな気持ちで瞬きをした。思わず辺りを見回すと他のヒーローたちも同じような顔つきで瞬きをしていて、シレーネは面白そうに、肩を震わせて笑った。私がちゃんと制御できてなきゃ仕方ないね、と苦笑して。でもきっと、ご利益あると思います、と告げたシレーネに、楓は不思議な気持ちで頷いた。もう発動を示す色彩を拭われた瞳は、きらめく森のような碧を宿していて。それをなぜか、寂しそうだと、楓は思った。

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